神様は私たちに耐えることのできない苦しみはお与えにならない。
かつて少女にそう言った母親は、何年も前に空の向こうへと旅立った。
母の前は父だった。母の次は姉だった。
そして姉の次は自分だと、紺野木綿季は理解している。
そもそも、理解するも何もないのだ。自分の患っている病は不治であり、そして愛する家族はもう皆空の彼方。
であれば次に旅立つのは自分しかいない。奇跡が起きてある日突然特効薬が完成し、自分が健康な身体を手に入れる未来を空想したことがないと言えば嘘になるが、しかし十五歳という年齢は空想と現実の間に垣根を設けられるようになるには十分すぎた。
「ごめんね、こんなマスターで。がっかりしたでしょ?」
「まあ、驚きはしたかな。病人ならもっと酷いのを見たことあるけどさ」
右手に刻まれた三画の刻印――令呪を見つめて、木綿季は自分のサーヴァントに苦笑いで謝罪した。
彼女が居るのはベッドの上だ。点滴が繋がれ、その様はお世辞にも健康の二文字とは無縁のそれである。
手足は枯木のように痩せ細り、血色は悪く、生ける屍と言って差し支えない。
木綿季は、「戦わせたいんなら、ALOのアバターでも使わせてくれればよかったんだけどね」と一言足す。
少なくともこの状態からは想像も出来ないだろうが、彼女は此処ではないバーチャルの世界では、"絶剣"の名で知られる名うての剣士だった。
聖杯戦争の舞台となる界聖杯内界は、木綿季の知る世界よりも技術の発展が幾らか遅れているようだった。
ナーヴギアのようなフルダイブ型VRマシンについて調べてみたが、構想自体は存在するものの、実用化には未だ程遠いのが現状らしい。
病気を発症してからというもの、現実よりも仮想世界で過ごす時間の方がずっと長かった木綿季にとって、此処での生活は恐ろしく退屈で……そして、苦痛だった。
「ボクはね、多分もうあまり永く生きられないと思うんだ。
界聖杯はボクを"蒐集"する時に、死にかけてた身体を少し修復してくれたみたいなんだけど――検査結果、やっぱりかなり悪くてさ。
もし急変したら、そのまま助からないかもしれない。そうなったら、キャスターも困るよね」
「そうだね。今の俺は君との主従契約ありきで此処に居られる脆くて儚い影法師だ。
木綿季に死なれれば契約も途切れて、すぐさま英霊の座に強制送還されることになるから」
「……だから、もしサーヴァントを倒されちゃったマスターを見つけたらボクのところに連れてきてほしいんだ。
ボクに何かあった時、その人を新しいマスターにして再契約すればキャスターは聖杯戦争を続けられるでしょ?」
「木綿季は欲がないね。自分が死ぬ前に聖杯を手に入れろ、とかは言わないんだ」
キャスターの質問に、木綿季は少し考えて。
「ボクは、誰かを踏み台にしてまで生きたいとは思わないから。
それに――界聖杯の介入があって助かりはしたけど、本当ならボクは、あのまま死ぬはずだったんだ」
やはり自分の考えが変わっていないことを確認し、こう返した。
マスターを失ったサーヴァントは消滅するが、その逆は違う。
だから誰も殺さずに聖杯を手にすることも理論上は可能だ。
けれど、あくまでそれは理論上の話。現実にそれを叶えるのがどれほど困難なことかは、木綿季にも分かる。
それに――仮にその難易度を度外視して考えたとしても。やはり木綿季は、誰かの願いを踏み台に勝ち上がってまで生きたいとは思えなかった。
「でも後悔はなかったよ。怖くもなかった。
大好きな友達と、仲間と、競い合ってきた人たちに囲まれてさ。
ゆっくり眠りにつくみたいに瞼が落ちてきて。
ああ、頑張ったなあ。ボク、頑張って生きたなあって。そう思いながらだったから」
亡くなった姉から引き継いだスリーピング・ナイツ。
ゲーム内で時に対立し、時に手を取り合ったプレイヤー達。
そして、自分のOSS(オリジナル・ソード・スキル)を託した親友。
皆に囲まれながら永い眠りに落ちるのは、どこまでも安らかで穏やかで、恐怖など欠片もない最期だった。
「だからね、ボクはこう思ってるんだ。
ボクはあの時ちゃんと死んで、今此処で過ごしてる時間は最期の夢だって」
自分は、人生という長い坂道を登り切った。
その実感があるからこそ、木綿季は聖杯を求めないのだ。
とはいえそんな女に喚ばれてしまったキャスターはとんだ災難だなと思い、彼女はまた苦笑いしてしまう。
「キャスターは新しいマスターと一緒に願いを叶えてよ。
それが見つかるまでは、ボクがキミのマスターで居てあげるからさ」
木綿季の頭にも他のマスター達と同様に聖杯戦争に関する知識が一通りインストールされている。
だから、願いを叶える道を選ばないという自分の選択をキャスターにまで強いるつもりはなかった。
自分はただ、新たな契約相手が見つかるまでの間のマスターとして彼をこの世界に繋ぎ止めていればいい。
それからどうするかはキャスターと、彼の新しいマスターの考え次第だ。そう思っていた。
「欲がないのは良いけどさ。俺は、君の言ってることにはあまり同意出来ないな」
「……? 新しいマスターを探して、ってとこ?」
「いいや。これが夢で、本当の自分はあの時死んでる、みたいなところ」
の、だが。
キャスターは不意にそんなことを言うと、今まで腰掛けていた室内用暖房機からすっと立ち上がった。
そして木綿季のベッドの傍らへと立ち、微かに笑う。読んで字の如くに、微笑む。
「肉体なんてものは、所詮魂の容れ物に過ぎないんだよ。
そして君の魂は今、しっかり君の中で脈を打ってる。
元の世界でどうなったかは知らないけどさ。木綿季は今、俺のマスターとしてちゃんと生きてると思うよ」
そう言ってキャスターは、手を伸ばした。
木綿季も面食らいつつ、しかし抵抗はしない。
手が、頭に触れる。頭を撫でられたのかと思ったが、どうも違うらしい。
何を、と問いかけた時。キャスターはその端正な顔面に浮かべた笑みを崩さぬまま、一言、木綿季には意味の理解出来ない言葉を呟いた。
「『無為転変』」
◆◆
紺野木綿季の召喚したサーヴァント・キャスターは人の形をしている。
だがその皮膚には、無数の継ぎ接ぎの痕跡があった。
顔立ちこそ整っているものの、それでも世の大半の人間が異様な印象を受けるだろう外見。
そんな彼が触れ、一言呟いた。木綿季は最初、彼が何をしたいのか理解出来なかったが。
次の瞬間――すぐに分かった。何しろ彼女はかれこれ何年も、不治の業病と戦い続けてきたのだから。
「え……?」
身体の中にいつもあった倦怠感と、自分は病んでいるのだと指摘してくるような悪感。
此処一年以上はずっと取れていなかったそれが、影も形もなくなっている。
意識は限りなく鮮明で、呼吸をすれば空気の味の清らさかに驚いた。
身体の怠さなどもう一切ない。このままベッドを降りて走り出すことだって可能だろう。
仮想世界の中で、"ユウキ"として戦い、駆け回っていた時のような――いや、ともすればそれ以上のコンディション。
幾度となく奇跡を願い、そしていつしか運命を受け入れた少女に。
今この時、奇跡は本当に舞い降りたのだ。
「俺の術式(ほうぐ)はね、魂の形状を弄くれるんだ。
それを応用すればこんな風に、病気を治したりすることも出来る」
なのに――なのに。
この時木綿季が覚えたのは、喜びでも安堵でもなかった。
そんな感情を抱いてはいけないと頭ではそう思っているのに。
木綿季は、自分の身に舞い降りた奇跡に対してどうしようもなく強い不安を感じたのだ。
「これで君は、引き続き俺のマスターってわけだ。
ま、暫くは健康な身体での生活を楽しんでなよ。
念願だろ? 前に治してやった奴には、感謝されるどころか殺されそうになったけどさ」
何年も抱え、苦しめられ、向き合ってきた病という呪い。
それは今、もっと上を行く呪いの御業によってあっさりと癒やされた。
紺野木綿季の中に深く根を張っていた楔は抜かれ、彼女は真の意味で自由になった。
健常な人間よりも余程健康になったその身体に、もう容態の急変なんて概念は存在しない。
されど、忘れてはならない。彼女の呪いを解いたのは、聖者の奇跡などではなく。
あくまでも――もっと強い"呪い"に依るものであるのだということだけは。
「これからも宜しく頼むよ。木綿季」
紺野木綿季のサーヴァント。
彼の真名を、真人という。
彼は人の形をしているが、しかしあくまで形が同じというだけだ。
彼は文字通り、呪いである。人が人を恐れ憎む負の感情から生まれた、"呪霊"。
更にその中でも規格外の領域に分類される、災禍の化身のような存在。
これが純粋な善意で人を救うなどということは有り得ない。
故に紺野木綿季は今、真人に呪われたのだ。
呪いは呪いらしくあるべきだと信じる、下衆の魂に魅入られてしまったのだ。
「……ボクは――生きられるの?
まだ、この先も……?」
されど、少女はまだそのことを知らない。
漠然とした不安感と、未だ実感の持てない完全な"生"の感覚。
その二つを抱えながら、今はただ戸惑うことしか出来なかった。
そんな彼女の傍らで――呪いは、粘ついた悪意の籠もる瞳で、ただ嗤っていた。
【クラス】キャスター
【真名】真人
【出典】呪術廻戦
【性別】男性
【属性】混沌・悪
【パラメーター】
筋力:C 耐久:C 敏捷:B 魔力:A 幸運:B 宝具:EX
【クラススキル】
陣地作成:B+
魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。"帳"の形成が可能。
【保有スキル】
呪霊:A
人間の負の感情が呪力となり漏れ出し、それが集合して形を成した存在。
真人はその中でも最上位の一角である、人が人を恐れ憎む負の感情から生まれた"特級"の呪霊である。
【宝具】
『無為転変(むいてんぺん)』
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:1~20 最大補足:1~100人
相手の魂に触れて魂の形状を操作することで、対象の肉体を形状と質量を無視して思うがままに変形・改造することができる術式。
変形させていない人型状態の素手で触れなければ効果はないが、「自身の魂の形を知覚した上で魂を呪力・魔力で保護する」以外に防御手段がなく、一度改造されれば基本的に元の状態に回復させる手段はない。
自分自身に対して使えばノーリスクで自身の肉体を自在に変形させられるため、肉体の武器化や身体能力の強化が容易に可能。ある程度の魔力を消費はするものの、応用の一環として分身のような芸当すら可能である。
また攻撃以外の使用法としては、重度の先天的傷病、身体の欠損でも改造することでほぼ完全に治すことが可能。
更に奥の手として、真人は"自閉円頓裹"という"領域"を展開するすることができる。
ただし聖杯戦争においては魔力の消費量が殺人的に大きい極めて燃費の悪い宝具となっており、最低でも令呪二画分以上の魔力が無ければそもそも展開することすら叶わない。
『遍殺即霊体(へんせつそくれいたい)』
ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:1~10 最大補足:10人
真人という存在の魂の本質、その剥き出しの姿。
人間に近い姿をしていた今までの姿から一変し、姿に人間の面影はほぼない。
原型の倍以上の強度を持ち、"一部を除き変形しない"という縛りを自らに科すことで耐久性を底上げしている。
耐久を2ランク、更にその他のステータスを1ランクアップさせる。
この宝具を展開した状態の真人は魔力の消費量が跳ね上がるが、この状態になっても第一宝具『無為転変』は通常通りに使用することが可能である。
【人物背景】
皮膚が継ぎ接ぎだらけの青年で、身体を黒いローブで覆っている。
性格は軽薄、発生したばかりの呪霊ゆえに無邪気で子供っぽく好奇心旺盛。
表面上は人間にも優しく接するが、本性は呪霊らしく冷酷非情。人間を見下しており、逆に同族である呪霊には親しみを持って接する。
"呪いは呪いらしくあるべき"だと考えており、目的達成のため合理的に動く同胞に対してもっと自由に生きるよう諭していた。
その術式故か、"魂"そのものを知覚できる能力を持つ。そのため、人間の喜怒哀楽や感情は全て魂の代謝物にすぎず、命に価値や重みは無い(故に肉体は魂の容れ物にすぎない)という持論を持っている。
【サーヴァントとしての願い】
現状は未定。ただし、あくまで呪いらしく――あるがままに。
【マスター】
紺野木綿季@ソードアート・オンライン
【マスターとしての願い】
特になし
【能力・技能】
卓越した剣の腕を持ち、対人戦の経験も豊富な実力者。
……というのは、あくまでもVRMMORPG"ALO"の中だけでの話。
現実の彼女は末期のHIV患者であり、余命幾許もない状態。
【人物背景】
15歳の少女。
フルダイブ型VRマシン"ナーヴギア"を医療用に転用したメディキュボイドの最初の被験者になり、以来3年間のほとんどを仮想世界で過ごしてきた。
元は両親と姉との四人家族だったが、彼女以外は全員が既にHIVで他界しており、天涯孤独の身。
学校に行きたいという願いを叶え、ゲーム内でもギルドメンバーばかりではなく様々なプレイヤーと交流を深めるなどして充実した生活を送っていたが、容態が急変。親友の少女に自作のソードスキルを渡し、そのまま死亡した。
当企画では、命が完全に尽きる寸前で"蒐集"に遭う。
召喚に際して容態が多少回復しているものの重病人であることには変わりなく、いつまた急変してもおかしくない状態だったが、真人の『無為転変』により健康体に戻された。
【方針】
人を殺すことはしたくない。
最終更新:2021年06月03日 21:10