日は落ち、登った月は雲に隠れて見えない。
外は一面、土砂降りの雨。
校庭のグラウンドに運動部の姿は無い。
雨音がざあざあと鳴る校内の一室。
赤い絨毯にピアノが一台置いてある。音楽室だ。
「きらきらひかる おそらのほしよ
まばたきしては みんなをみてる
きらきらひかる おそらのほしよ」
音楽室で一人の少女が「きらきら星」を歌っている。
指1本での単調なピアノの演奏。歌声は艶やかなアルトの透明な響き。
黒い基調の制服に身を包んだ、栗毛色の長髪の少女が一人で歌う。
それだけで、まるでその一室はさながら神殿のような趣となっている。
信じた道に身を捧げ、理想を抱き歌うその姿は、殉教者と重なるが故に。
少女の名前は「ファルシータ・フォーセット」。イタリアからの留学生であり、国では音楽学校に通っていた歌手の卵である。
「ファルさん。合唱部が終わった後、いままで自主練やってたんですか?」
歌い終えたファルに、一人の少女から声がかけられる。
「一人で掃除なんて大変だったでしょ。何かファルさんって、そういう嫌な仕事進んで引き受けたがるよね」
もう一人の少女は、気づかうような口調で話しかけた。
「そんな嫌な事ないわよ。掃除を申し込んでおけば、一人で音楽室を使えるから。
全部自分の為にやってるの。歌の練習も含めてね」
そう言うファルの声は、さわやかととれる音色だった。
「ファルさんって将来はプロの歌手志望なんでしょ?」
「だから練習してるんだよね?」
「そう、最高の舞台で最高の歌を歌うのが私の『夢』」
ファルの目は遥か遠く、だが強い意志を込め、天を眺めた。
「ファルさんならなれますよ、きっと! すごい才能で、努力もたくさんしているんだから」
「うん、そうだよ、きっと。あ~あ、わたしもファルさんみたいな素敵な人になりたいな」
ファルはそう言った少女に微笑み返した。
――私はそんな人間じゃない。私には何かが欠けている――
その思いを押し殺しながら。
「ファルさん、良ければ一緒に帰りませんか? カラオケにいって歌いましょうよ」
「御免なさいね。ファルさんとは私と先に約束してたの」
何時からその人は音楽室の中にいたのか。横から割り込んだのは、清流の様に澄んだ声。それなのにその言葉は強く、遠くまでよく届いた。
声の主は、ファルシータと同時期に転校してきた少女「比良坂初音」である。
黒く艶やかな長い髪、古風なセーラー服。ファルと共に所属する高校とは異なる制服、同じ黒を基調とした制服だ。
その身に宿す赤い瞳は心を見通されるような深さがある。
「……ええ、悪いけど初音さんと先約があってね。ごめんなさい」
ファルは、出来うる限りの申し訳ないという感情に満ちた表情を浮かべて言った。
「仕方ないですね。じゃあ、また今度という事で」
ファルは孤高さがあっても親しみやすさがあるが、初音は高貴でどこか気押されてしまう雰囲気がある。
そのためか、二人ともあっさりと納得した。
「ごきげんよう。二人ともお気をつけてお帰りなさい。近頃は物騒な噂が流れているのだから」
初音は穏やかに笑いかけた。
「はい、そちらもお気をつけて」
「さようなら。また明日」
「ところでさ、噂っていったら、ここでも――」
話しながら音楽室から二人は出て行き、遠く声が離れていく。
校内のどこか、夕刻に現れ、男を誘い、犯す淫乱な女。
正体は男を食べる魔物。
既に何人かの男子生徒を連れ去り、どこかで骨も残さず食べてしまったという。
そんな噂話をしながら、二人は去っていった。
「で、要件は何? 『キャスター』」
初音に尋ねるファルの表情は一変し、冷たい目で初音を見据える。彼女は「聖杯戦争のマスター」としてのファルシータ・フォーセットになった。
ファルにとって笑顔とは、対人関係を良好に保つため、使い慣れた仮面だ。
「聖杯戦争について、貴女がまだ理解していない事についてよ」
初音もまた「キャスターのサーヴァント」である比良坂初音として答える。
「前にも言ったでしょう? 私は聖杯なんてどうでもいいの。私の夢にとって何の関係も無い事だわ」
それはファルの本音。だが、ファルにはもう一つの思いがある。
世界を、都合の良い奇跡を望む境遇にまで自分を陥れた世界を憎み、そんな自分を変えたい、叶えたい願いがあるのなら。
――聖杯を望めばいい。例え人殺しが避けられないとしても。
ファルはピアノの椅子から立ち上がり、出入り口に向かう。
「でも、それでは済まないのがこの聖杯戦争なのよ、ファル」
初音はファルと共に音楽室の外に出ながら、ファルの内心を知ってか知らずか、微笑んだ。
「この聖杯戦争には脱落したマスターを保護する人間はいないわ。ただ偶発的に誕生した界聖杯がマスターを呼び込んだだけの世界。
そんな状況で戦う事を諦めたますたぁがどんな目に遭うか……お分かり?」
ファルもそれは理解している。おそらく聖杯を求めるマスターに利用されるだけ利用され、最後は命まで奪われる事だろう。
「脱出の手段はまだ見つからないの?」
廊下を初音と並んで歩きながら、ファルは尋ねる。
「今のところはね。糸を外に伸ばそうとしたり、人を操って調べてみたりしたけど、この都市から出る手がかりもないわ。何らかの結界があるのかもしれない。
結界がどういうものか、私を使う貴女なら分かるでしょうけど」
聞き覚えのない結界という言葉だが、どのような効果かは、ファルは初音の作った陣地を見て納得している。
「私は、聖杯なんていらないけど、あなたに願いがあるなら戦いに協力するわよ。その前にまず情報収集が先決だけど。
マスターのスタンスを大雑把に分類すると、戦いに乗ったマスター。乗らないで脱出を目指すマスター。今の状況がわからず準備もしない半端なマスター。
私は脱出派だから同じ脱出派と上手く手を結んで情報を集める事から始めて、後は半端なマスターを利用して乗ったマスターの盾にするか。または情報を売って乗ったマスターを利用できないか……」
「貴女は、人を利用するかどうか、できるかどうかで動くつもりなのね」
「急に連れてこられて、いきなり殺し合いをしろ、だなんてこんな状況で信頼関係がすぐできるわけないじゃない。もっとも、私は誰も信用しないけどね。
それは私達も同じでしょう? でも、あなたは聖杯を捕るのに私が作った優等生という仮面と人脈を利用して、その代り、私はあなたに命を守ってもらう。
そういうお互い利用し合う関係だけで、私たちは十分得でしょ?」
ファルのその考えは、この特殊な状況だけではなかった。ファルが信用するのは、自分の歌の才能だけだ。聖杯戦争に連れてこられる以前から、ファルはそうして生きてきた。
二人は校内にある「茶道室」の前についた。
ここは初音が能力で製作した陣地で、二人の借り宿でもある。
暗示により、初音は高校でただ一人の茶道部の所属となっている。ここは所属した学生が全員卒業した後、そのまま未使用になっていた茶室……という設定の暗示がやはりかけられている。
実体は、入り口も、畳も、白い土壁も、障子も、年期を感じさせる柱も、床の間も、押入れも、全て初音が糸で紡いで造り上げた物である。
ここは初音の『巣』だ。空き教室を使って、そこに造り上げた『巣』だ。
近くにある給湯室、洗面所などやそこに繋がる通路もまた、初音の陣地となっており、普段は生徒たちに影響はないが、初音が少し魔力を通せば人払いの暗示、認識できなくなる暗示が発動できる。
さらに、高校の全敷地は初音の結界に覆われ、内部外部の人間の精神に働きかけ、記憶を操作されている。
例えば、人が一人消失した程度では、誰も違和感を感じないように。
二人は扉を引き、靴を脱いで茶室に入った。
中には一人の少女が、囚われの身となっていた。
両方の手足が蜘蛛の糸で畳に縫い止められ、口は猿轡のように糸で覆われている。
その姿を見て、ファルは唐突に思い出した。
さっき会った二人組は、本当はいつも三人組で行動していたはずだ。
なぜ今まで忘れていたのか?
「気づかなかったでしょう? 私の『巣』に捕らわれた人間は、誰からも忘れられる。
主の貴女も例外ではなくてよ」
振り向いたファルに対し、初音は赤い瞳を向けた。
「実を言うとね。私も聖杯なんて興味ないのよ。召喚されたのはほんの気まぐれ、気の迷いよ」
初音は一つ嘘をついた。初音には気の迷いなどとは言えない、確かな願いがある。だがそれは聖杯に叶えてもらうまでの事ではなかった。
あるいは――叶えたくないと言い換えるべきか。
「だけど、私は仮初の生でも、自ら死を選ぶことはしない。負けるつもりで戦うつもりなんてないわ」
初音の赤い瞳が強い光を灯す。
「だから、主である貴女には、この戦で絶対生き延びるという覚悟を見せてほしい」
「そこで、ファル。貴女に――この子を殺してもらえないかしら?」
ファルは意味が分からず呆然としたが、言葉を正確に咀嚼した瞬間、脊椎に氷柱が入るような戦慄が走った。
初音は懐から匕首を取り出し、刃を掴みファルに柄を向けた。
「何を棄てても、誰を犠牲にしても、生き延びたいという覚悟を見せてほしいのよ。
勿論貴女には断る自由があるわ。もっとも、そうしたら私は貴女を見捨ててしまうけど」
脅迫そのものといえる言葉を、初音は微笑んで口にした。
ファルは初音について、いやサーヴァントという存在について、与えられた知識だけで判断していた。
人類の歴史を進ませた偉人、戦場で猛威を振るった英傑、あるいは暴虐で汚名を得た悪党。そういった善悪問わず偉業を為した者達。その写し身がサーヴァント。
マスターは本来現世に存在できないはずのサーヴァントを繋ぎとめる楔となり、提供する魔力と絶対遵守の効力を持つ令呪でコントロールする。
もっとも、ファルは初めから行動を縛るつもりがなく、初音に自由な行動を許し、願いがあるのなら戦いのために協力し、聖杯も渡す気でいた。
その代り、自分を守り、元の世界に戻す事。これを絶対の条件とした利害関係。そのつもりでいた。この時までは。
「もう一つ言っておくと、先程二人が噂していた話。あれは本当よ。
私が作り出した半妖、贄が男から精を奪い、昇華して私に与えているの。命が失われた死骸は私が喰べたわ。
私は『貴女達』と違って人を殺すのに何の躊躇いも罪の意識も感じないわ。貴女と主従の誓いを結んだのは、そういう『バケモノ』なのよ」
ようやくファルは理解した。目の前で微笑んでいるモノは人ではない。英傑でも、悪党ですらない『バケモノ』だ。
そして利用する、戦いに協力するなどと言った自分に対し、その本当の意味を突きつけ、嬲り、貶めようとしている。
それは、この聖杯戦争がつまるところ殺し合いであるという事。それに積極的に関わる事は、己の意志で人を殺すという事。
サーヴァントという存在も、仮初とはいえ生を得ている故、例えサーヴァントだけを殺させるように指示しても、それを操るマスターもまた殺人を犯すという事。
その上、この『バケモノ』は、既に人殺しをしており、そのマスターである自分もその加害者の側であるという事だ。
衝撃から落ち着いたファルは、初音の言葉とこの状況について考える。
初音とは利用し合う関係だと自分から言った以上、見捨てるという言葉は本当だろう。
では、私は直接自分の手で人を殺せるのか? 聖杯戦争と何の関係も無い、ただの少女を。
これがもし敵のマスターの話なら――私は殺せる。きっと何の躊躇いもなく。
殺さなければ殺される、という理屈ではない。他人の命が自分が戻るため、『夢』のために必要なら、迷わずに奪える。私はそういう人間だ。
そう、私は結局行動を自分の損得でしか判断できず、選択の天秤の片側に載せるのは常に『夢』だ。
しかし、無関係の人間を殺すというのは、リスクや損の方が大きいのではないだろうか。
それでも、サーヴァントが殺さなければ見捨てる、とまでいうのなら、私はこの子を――
ファルは捕らわれた少女を見、少女はファルの瞳を見返した。
その時、ファルは少女の瞳に込められた思いを見た。
二人が何の話をしているのか分からないけど、きっと彼女なら、誰にでも優しく親切なファルさんなら自分を救ってくれる。そんな純粋な瞳。
当たり前の豊かさを何の苦労もなく当然に享受し、幸せに暮らしてきた証拠の無垢な瞳。
――その瞳は、ファルの心を苛立たせた。
だから、ファルは初音からナイフを受け取った。
思い出したからだ。ファルは死にもの狂いで何かをしなければ、何もできない人間だという事を。
ファルが少女に対し、馬乗りの体勢になり、初音は二人の横に回り込んだ。
初音が手をかざすと、少女を拘束する糸が解れ、口はそのままに片腕が自由になった。
少女はファルに馬乗りにされて、自分が見捨てられたと思ったのだろう。
片腕でファルの服を掴み、引っ張り、突き放し、懇願するような唸り声をあげ、否、実際命乞いをしているのだろう。涙を流し、必死になって細腕に見合わない力でファルを引きつけ、また引き離す。
少女が振り回す腕で、ファルの制服のボタンが胸から引きちぎられ、同時に首から下げていた銀製の羽のアクセサリーが畳に落ちる。
ファルはその銀の羽を見つめた。初めは自分の『夢』の様に光り輝いていた二枚の羽。いつのまにか錆びて薄汚れてしまった羽。
――この羽は私だ。
「誰もが夢を見る権利があるって聞いたことがあるわ」
ファルは少女に顔を向けながらも、誰を見ることもなく自身の過去に意識を飛ばし、言葉を紡いだ。
それは綺麗な言葉だ。でもそんな現実はどこにも存在しない。ファルはそう確信している。
「でも夢を叶えるにはそれを支える生活や環境がいるのよ。それに、夢を見る事さえできない人間も沢山いるの」
ファルシータ・フォーセットには『夢』がある。一人前のプロの、国一番の歌手として生きていくという『夢』が。
だが、ファルは『夢』のために『夢』とは関係ない過酷な努力をしなければならなかった。
「だって、この世界は残酷だから」
再び、ファルは自分の過去を思い出す。赤子の頃、親に捨てられた自分を。
引き取られた孤児院の中、過酷な労働、僅かな豚の餌にも劣る食事、冬の寒さを防ぐ毛布さえ与えられぬ眠りを。
そんなファルに残酷な世界が、薄情な神が唯一授けてくれた祝福が、歌の才能だった。
孤児院を抜け出て歌の芸で小金を稼いでいた時、たまたま居合わせた貴族に才を見込まれて音楽学校に推薦入学できたのだ。
でも、孤児であるファルには支えてくれる人がいない。夢破れても帰る場所も無い。小学校に通えなかったため、読み書きが満足にできないハンディもある。
学校の学費は無料だが生活費は別に必要だし、歌詞や歌を勉強する本に費やす金も自力で稼がなくてはならない。
プロの歌手という『人並みの夢』を追うためだけでも、いや『人並みの生活』だけでもファルは『人並み』を遥かに超えた努力をし、それ以上に人を利用しなくてはならなかった。
良好な人間関係を持つ優等生という地位を築くために人の嫌がる頼まれ仕事も笑顔で引き受け、寸暇を惜しんで歌の練習に励み、アルバイトで金を稼ぎ、基本的な読み書きや詩集のような音楽に必要な他の教養を習得してきた。
一方で、裏では必要と思った人間を自分に取り込み依存させるため、その人物の悪い噂を流し、講師にさりげなく、恩着せがましくならないよう慎重に取り入り、利用できる男なら誰とでも――醜聞が表沙汰にならないよう――寝た。
ファルは蜘蛛糸にとらわれた少女の恐怖におびえた瞳を見、再び銀の羽に目を移した。
ファルを捨てた親が、彼女へ歌の才能と共に与えてくれたもの。
ファルが『夢』のために多くの者を利用し、裏切り、捨てていく度に。
残酷な世界を憎み、裕福な人間を妬み、純粋無垢な人間を疎み、人と人との関係は、利用し合うだけのものと確認する度に。
無意識に手でまさぐって、薄汚れていった銀の羽。
――この羽は私だ。私の心の羽だ。
――いつか錆び果てて『夢』に向かい飛ぶ力を失うかもしれない羽だ。
――それでも、私はこの薄汚れた銀の羽で、何処までも高く遠く羽ばたき続ける。
ファルシータ・フォーセットは、歌を歌って生きていく。
その『夢』のためなら、何でもできる。
――例え、人殺しだって。
「ごめんなさい。私は、自分の夢の為なら何でもできるひどい女なの」
その言葉で自分の命運が断たれた事を悟った少女は、絶望の淵でもがき、狂えるように叫ぶ。
ファルはそんな少女を冷たく見据えた。一度決意を固めたら、自身が驚くほどに冷静だった。
そして片手で少女の暴れる腕を押さえ、片手で、ナイフを振り降ろした。
畳に赤い血が飛び散った。
少女の首は、胴と分かれた。
糸によって。初音が手から放った鋼糸によって。
ファルがナイフを少女の喉に突き立てる寸前に。
「…………どうして?」
返り血を浴びたファルが、初音に向かい問いかける。
「……あなたの望みでしょう? こんなことするくらいなら、どうして私に殺させようとしたのよ……」
無言で近づく初音に、ファルは力が入りすぎて震える体で、今にも泣きだしそうな顔で、声で、問いかける。
なぜ震えるのか、なぜ初音に問いただすのか。ファルは自分自身が分からず、涙が出そうになっていた。つい直前まで少女を本気で殺す気でいたというのに。
「さぞ怖かったでしょう、ファル? まるで冬の寒さで凍えているようよ」
全身が固まったファルを、初音はやさしく、ファルの血まみれの手に銀の羽を乗せ、花びらを潰さず摘み取るような柔らかさで両手で覆った。
ファルは一瞬身震いしたが、初音の手のぬくもりに、匂い袋の様な香気に、柔らかな笑顔に包まれ、硬直した躰が解れていった。
「気が変わったのよ。バケモノは気まぐれな生き物なの」
初音は、ファルの掌の上にある、銀の羽についた血を優しく、滑らかに指で拭った。
「貴女の銀の翼は、汚れても尚空を目指すから貴女に似合っている。でも鮮烈な血の赤はそぐわないわ。覚悟を見せてもらえて、私はそれで十分満足よ」
指についた血を初音はなめとり、片方の手で、ファルの髪を撫でる。
「手と顔、それと翼を洗っていらっしゃい。匂いが染み付いてしまうわ」
「ひとつの夢のため あきらめなきゃならないこと
たとえば 今 それが……」
ファルは手と顔、そして翼を洗いながら、未完成な新曲の歌詞を唱える。
どんな惨劇があっても、どんなに心乱れても、歌えばファルは自分というものを取り戻せる。その点でファルは非凡な努力と才能の持ち主だった。
放課後の夜、しかも初音の陣地内には最早誰もいない。返り血に汚れた服を人に咎められる心配をする必要も無く、ファルは歌詞を紡ぎ続ける。
「居場所はどこだろう? 私の役割はなに?
ずっとずっと思ってた そしてみつけた気がしたの……」
居場所。役割。それはプロの歌手。それも最高の実力と栄誉を得た上での。それがファルの目指す居場所で役割で『夢』だ。
だが、ファルは最近それを思う時、不安が心をよぎる。
ファルが歌を歌い続けるという『夢』を目指すのは、生きる為だけではない。幸せのためだ。
歌のレッスンで、アンサンブルが上手く調和したときは楽しい。演奏会で賞賛されるのは、生きている実感が湧いてきて嬉しい。その時は演技ではない、ありのままの、本心からの笑顔が出るのが心地よい。
だからこそ、生活の全ては歌の修練に集中するためのものだった。さらに上の実力を身に付け、より多くの人々を魅了し、より大きな舞台で歌うのがファルの『夢』であり幸せなのだから。
そうして高みを目指し努力している途中で、ファルは何時しか気づいてしまった。
自分の歌には、歌声には何かが足りない、欠けているモノがある、と。それを自覚してしまった。
自分の歌の才能は裏切らない。努力に応えて力が上がっていく。この歌の才能が有れば、自分一人の力で生きていける。自分の歌だけで『夢』を、全てを手に入れる。それがファルの精神を支える原点。
だが、本当に人間一人では生きてはいけない。だからファルは対人関係では笑顔の仮面を被り、礼儀正しく振舞い、人の信用を勝ち取ってきた。
それでもファルは「全ては自分の為」「自分は人を利用している」「人は互いを利用し合っている」「夢の為には必要な事」と思えばこそ、強く自分という存在を保つ事が出来たのだ。
それを、歌の才能そのものに疑いを抱いてしまっては、ファルシータ・フォーセットという『夢』に向かい飛び続ける生き物は、一瞬で地に墜ちてしまうだろう。
この不安を抱いた時、ファルが想起するのは二人の奏者の顔だ。ファルに足りないモノを支え、実力を高めてくれるであろう音を奏でる二人。
あの二人のうち、どちらかを手に入れれば、私はさらなる上の領域へと到達出来る。
だから私は、二人を利用するために人を傷つけ、人を騙し、朗らかな笑顔で取り入り……。
ふと、ファルは鏡で自分の顔を見かえした。そこに映るのは暗く澱んだ瞳だ。あの少女の無垢な瞳に比べて、自分はなんて薄汚れてしまった事だろう。
だけど後悔なんてしていない。もし、してしまったなら、今まで利用し、裏切ってきた人達全てにどんな顔を向ければいいのか。謝ることさえできない。そんなのは御免だ。
今までの境遇と努力と、利用してきた人たちの顔を思いだし、ファルの瞳は精彩を取り戻してゆく。
「やがて 覚悟が芽ばえていた この夢のためならば 他を捨ててかまわない……」
ファルが部屋から出たのを確認した初音は、畳の上に座り込んだ。膝を両手で抱え、体を小さく折りたたんでみる。
初音のスカートの中から子蜘蛛が大量に産みだされ、少女の死骸に覆い群り埋め尽くした。子蜘蛛は死骸の血を啜り、肉を食み、骨を齧る。
生きている人間の精を直接吸うのに比べれば、死体を、それも間接的な形での摂取は劣るが、それでも若い生娘の肉体は初音に上質な精を提供してくれる。
力が漲る感覚を味わいながらも初音に歓喜の気持ちは無く、かつて経験した事のない感情に戸惑っていた。途方に暮れていたのである。
鬱々として気が晴れない。退屈とは違うこんな気分は初めてだ。
先程、己の主を試そうとしたのは、ファルに人殺しを経験させるのは、心変わりする寸前まで本気だった。
それがなぜ、直前でそれをやめて私自ら殺したのだろうか。残酷で嗜虐的な私がなぜ。
廻々、狂々と頭が茹だるほど悩んでも答えは出ない。元々初音は気まぐれな生き物だ。
「銀……貴方がここに来ることができたなら、一体どうしたのかしら?」
別の事を考えようと、初音は宿敵の名を口にする。その言葉には愛憎が、敬愛と侮蔑と友情と殺意が交錯し、混ざり合っている。
だが、それもサーヴァントとして別世界に召喚された初音には、最早思っても詮無い事だった。
無意味さに気づいた初音は、再び自分の主人となったファルシータと己の事を思い見る。
妖としてあって数百年。人は生まれ、死んでゆき、花は咲き、そして散る。時が移ろう中、私はいつしか瑞々しい感情を失い、ヒトの籠絡と凌辱、それらによって人間が外道へと堕ちてゆく過程に愉悦を見出していた。
今はヒトを籠絡し、感情や道徳を引き裂き踏みにじるのは楽しいし、身も心も凌辱し、快楽と絶望の虜に墜とすのも面白い。化物と恐れられるのも心地良い。
そんな私が、心変わりしたのは――そう、恐らくあの主人を堕としたくないと思ったからだ。直接その手を血で汚させたくないと思ってしまったからだ。なぜだろう。私は狂ってしまったのだろうか。
「なんであの子がこんなに気にかかるのかしら。……かなこ、貴女とは全然違うのにね」
深山奏子。銀との戦いによる傷を癒すため、入り込んだ学校。そこで偶然見つけた倉庫で輪姦されていた少女。
この手の下衆共が嫌いな初音は男達を皆殺しにし、奏子だけは気まぐれで殺さずにしておいたが、彼女は化物の初音を怖がるどころか逆に初音の内側に踏み込んできた。
初音は初め、奏子を遊び相手としか思わず、弄び、嬲っていたが、それでも初音を慕う奏子によって、初音は少しづつ奏子を妹の様に思うようになっていった。
いや、もしかしたらそれ以上、それ以外に思う様に。だから、初音の願いは「元の世界での自身と奏子の行く末を知りたい」である。
奏子のおかげなのだろう。化物の私が、ほんの少しだけヒトの心を持つようになったのは。
でも、それは変わるのと、狂うのとどれほどの違いがあるのだろう?
『やがて 覚悟が芽ばえていた この夢のためならば 他を捨ててかまわない……』
初音の耳にファルの作った歌の歌詞が聞こえてきた。初音は陣地内で糸を通じ、全ての気配、音を感じ取れる。その歌詞を聞いた時、初音は自身の中に芽生えたヒトの心が、未知の思い、そして既知の感情を揺り動かすのが分かった。
この思いは何? 銀への思いとも、奏子への思いとも違うこの思いは何?
全く分からない。だけどファルの歌を聴く度、実感できることがある。それは、私が生を歩み始めたあの頃の……。
思案に暮れる初音に、ファルが部屋へと戻る足音が聞こえてくる。
初音は子蜘蛛を元に戻して立ち上がり、スカートを払って足の甲を床につけ、両膝から畳に腰を据えた。
そこにいるのはいつも通りの女郎蜘蛛の化物「比良坂初音」だった。
ファルが部屋に戻ると、初音は畳の上に鎮座していた。
部屋を見ると、有るべきはずのモノがない。畳に染みひとつ無い。
「あの子の……死体は、どこへやったの?」
「喰べたわよ。骨も残さずにね。貴女には本来魔力を生む資質がありませんもの。
足りないものを他で補うのは、この聖杯戦争では当たり前の事よ」
ファルに魔力の素養が無いことは、ファル自身も知っている。ファルの世界には、演奏者に魔力が無ければ音を鳴らす事も出来ない「フォルテール」という鍵盤楽器があるからだ。
そのフォルテールが見滝原に、この世界に存在しないことが、ファルに記憶を取り戻させる切欠となったのだ。
「確か、あなたは戦いの防具用に、私の服を織るって言ってたわよね。制服の着替えはある?」
ファルは冷静に話題を変える。
「そこの押入れの中よ」
初音は襖を指差した。
「服は多少の魔術や刃物、銃弾程度なら跳ね返すくらいの力を持っているわ。
そして蜘蛛は潜んで獲物を待つ者よ。魔力を隠蔽して、普通の服と全く変わらないよう仕立ててあるわ。
大抵のますたぁやさぁばんとには気づかれない自信はあるけど、私より探るのが上手の敵なら感付かれるから注意なさい」
ファルが着替える為、押入れに向かおうとした時、初音の声が足を止めた。
「着替える前に貴女の歌を聞かせて頂戴。貴女が、貴女自身のために作った歌を」
「それって……『雨のmusique』の事?」
作詞、作曲ファルシータ・フォーセット「雨のmusique」。それは元居た世界で通っているピオーヴァ音楽学校の卒業課題のために作った歌だ。
ピオーヴァ音楽学校の卒業課題は、自分で作詞、作曲し、独唱か演奏者のパートナーを選び、演奏会でその歌を歌うというものだ。
演奏会には講師の他にも、楽団に所属するOBもいる。成果次第では即プロへの道も開ける。
「そんなの、着替えてからでも」
「お願い」
初音の声は穏やかではあるが、有無を言わせない圧迫感があった。
ファルは数秒ほど惑ったが、結局歌う事に決めた。
グレイの空 雨の糸
街中 霧に煙る
こんな日は 少しだけ
やさしい気持ちになれそうよ
歌えばファルは、いつも通り真摯に歌へ集中する。『夢』の高みへと羽ばたく純粋で誠実な思いを込める。
だが、ファルの歌声は、素人の初音にも分かるほどいつもとは違う。
重く、締め付けるような、まるで逃げ出したくなるような……。
それでも、終わってほしくないような、いつまでも聞いていたくなるような……。
そんな不思議な音色だった。
Look at me Listen to me
だれかを愛して
君が必要と言われたなら どんなに…
「必要と言われたなら」。その歌詞で、初音の脳裏に奏子の顔が浮かぶ。『バケモノ』の初音を受け入れ、慕った奏子。
初音は歌うファルに目を向ける。こんな歌を作りながら、人は利用し合うものだと言い切ったファル。
歌うファルを見る初音には、得たヒトの心からまた新たな未知の思いが浮かんでいくのを感じた。
Look at me Listen to me
アタシヲアイシテ
だれも知らない心 見抜いてくれたら…
ファルは歌いながらも、初音の変化した表情に驚いた。
初音から、いや他の誰からも向けられたことのない、全く理解できない表情。瞳の光。
それを見た時からのファルの歌は、ファル自身も知らない全く新しい音色に変化していた。
Look at me Listen to me
アタシヲアイシテ
だれも知らない私が ここにいるのよ
歌を終えたファルは、顔から一切の表情が消え、呆然としていた。
心臓の音が聞こえる。芯が冷えた頭に、空白な意識に強く、鳴り響いている。
歌声に欠けているモノが埋まった。ファルはそんな確信を得た。
歌がさらなる高みへと指を掛けたというのに、ファルの心には高揚も、感慨も、何も無かった。
あったのは、疑念と、絶望に近い空虚。
私が作ったこの「雨のmusique」は恋の歌。曲調も歌詞も、誰に対しても受け入れられるよう計算して作った愛の歌。
だけど、曲の最後で自分をさらけ出す部分の歌詞は、私の密かな願いが込められている。
優しく親切で、誰からも好かれる『私』じゃない。多くのものを捨て去り、多くの人を利用し、裏切り、薄汚れてしまった『私』。
そんな穢れた『本当の私』を知って、それでも尚受け入れてくれる人がいたのならどんなに……。
あの表情は「私は貴女の全てを受け入れる」という意味だったのだろうか。だとしたら――なんて皮肉。
私が『本当の自分』をさらけ出しても、それを受け入れてくれるのが他の誰でもない、人ですらないこの『バケモノ』だなんて。
それが私の歌に欠けていたモノを埋めてくれるだなんて。
まるで私の心も『バケモノ』同然と言われているようじゃないか。
――私は、本当に本物の歌手になれるのだろうか。私の歌に価値はあるのだろうか。
急に、ファルは人恋しくなった。『あの二人』に会いたいと思った。
ファルの歌に足りない、欠けているモノを埋めてくれると思えた二人のフォルテール奏者に。
魔力で演奏するフォルテールは奏者の資質、特に強い感情によって音が聞き手の心を揺さぶるほど大きく変化する。
一人は美しくも悲しい、そして受け入れてくれるような音色と朧げな表情に深く惹かれ、もう一人は誰よりも憎く、妬ましいが儚くも強く抱きしめられるような音色に魅了された。
正負の違いはあるが、人との関係を「有用」か「無用」かだけで判断してきたファルにとって「利用価値」以外の強い感情を抱くその二人は、特別な存在だった。
「……着替えるわ」
虚ろな表情で微かな声を発し、ファルは辿々しい足取りで押入れに向かう。
襖を開け、血に濡れた制服を脱いだ。白い肌が外気に晒される。
「ファル」
足音も気配もなく、いつの間にか初音はファルの側まで近づき、肩を掴んだ。
制服がファルの手からすとんと落ちる。
「まだ聖杯戦争について、私について説明が終わってなかったわ」
ファルの耳元で、優しく、甘く囁く。
「私はバケモノだけど、化物退治の英雄達に比べれば弱いのよ」
事実である。宿敵である銀との実力差は圧倒的で、初音が本性を現してもようやく勝算が1、2割程度あるかどうかだった。
「それでも、補う方法はあるの」
初音は薄く、妖しく微笑んだ。
「一つは、人を喰らう事。純粋で穢れなき魂を墜とし、精を吸えば今以上の力を引き出す事が出来るわ」
それはサーヴァントは成長も劣化もしないという原則に反する能力、初音の生き方に由来した宝具によるものだ。
「もう一つは――」
初音はファルをかき抱き、そのまま畳の上に仰向けにして押し倒した。
「貴女と深く繋がる事」
初音はファルの首に歯を立てた。ファルはちくりと痛みを感じ、顔を歪める。
次の瞬間、ファルは動悸が激しく高鳴り、躰が燃える様に熱くなり始めた。
初音の尖った歯、牙がファルに蜘蛛の毒を注入したからだ。
「繋がりをより深く、強くすれば貴女の精を直接吸い取って、私はより強力な力を得られる」
初音はセーラー服を糸に戻して解き、その体をあらわにした。ファルのそれより滑らかで肌理細かい肌。均整の取れた身体。黒々と濡れたように輝いた髪。
同性から見ても羨望に値する肉体。だが、ファルの虚ろな瞳は一点だけに集中していた。
初音の股間には、女性に本来ない器官があったからだ。
繋がりを深くとはこういう事か。ファルはこれから自分に起きる事態を理解した。
他人事のように。無理やり引き出された快楽を、空白な意識で受け流しながら。
「……好きにしなさいよ」
ファルは何もかもどうでもよくなっていた。奈落の底まで落ちたい気持ちだった。
『夢』が見えなくなった、追えなくなった自分に価値なんてない。汚れるならどこまでも穢れてしまいたい。
この『バケモノ』が私を犯すというのなら、いっそ身も心も何もかも壊してもらいたい……。
「自分を見捨てる必要なんてなくてよ、ファル」
自身の心の内を見透かされ、ファルははっと初音を見返した。
「貴女の歌は『バケモノ』の私の心さえ震わせたわ。だったら、人の心に響かないはずがないでしょう?
もっと誇りを、自信を持ってもいいのよ」
もう初音は笑っていなかった。ファルにもはっきりと伝わるほど真剣に、本気でファルの心を案じている。
「あなたは……!」
だが、その態度は、逆にファルの逆鱗に触れた。
「あなたは、一体何がしたいのよ!
私に人殺しをさせようとしたり、寸前で自分で殺したり! 無理やり歌わせて、私が歌に自信を失わせるようなまねをして、勝手に励ましたり!
ふざけないでよ、私を弄んでそんなに楽しいの!?」
怒りに任せて、灼けつく喉で叫ぶ。ファルがここまで激情を露わにするのは、これまでの人生の中で初めてだった。
「……バケモノは退屈な生き物なの」
そう言って、初音は寂しげに微笑んだ。
「全てが起こり、栄え、滅び、風化して、無為に消えていって、それでも私はそのままであり続けなければならない。世界が私を置き去りにしてゆく。続くのは永遠の退屈よ」
それは木石と何の変わりがあるだろう。いや、初音は人を襲う事を考えれば、時にがけ崩れで人を飲み込む山というべきか。
「そんな私に、貴女の歌は、歌う姿は私に知れない未来の楽しさを、私が生きている事を、私の流れる時を感じさせてくれるの」
私は本来、ファルの様な女に魅惑を感じない。澄んではいない精気、傷ついた魂。それらは私の好む物ではない。
だが、私はファルに単なる欲情、昏い愉悦以外の、それ以上の何かを得たヒトの心に抱いていた。人が抱く思慕や情景とは似て異なる、何かを。
それはファルの『夢』に、歌に対してだ。ファルの真摯さ、誠実さに満ち溢れた歌、歌う姿は私に蜘蛛の妖に生まれたての頃の、世の中の全てが美しく輝いて見えた頃を思い出させてくれる。
理由は分からない。何か魂に通じるものがあるとしかいいようが無い。だが、この感情を蘇らせてくれる事実に比べれば、理由なんてどうでもいい。
まるで思春期を迎えたばかりの少女の様な新鮮な感覚を、未知で広大な世界へ踏み入る感動を、遠い遠い月日が奪い去った鮮やかな景色を。ファルの歌は私にそれらを思い出させてくれる。
歌を改めて聴いてようやく自覚した。私はファルに惹かれている。彼女の乾いてざらついた心に。それでも天上の星を目指す純粋な思いに。人の信義を裏切りながらも、ただ一つのものを求める至誠に。
思えば『夢』を見る事が出来る人間は、私の知る限りごく一部の豊かな人間だけだった。殆どの人間はその日を暮らすのに精いっぱいで、一握りの糧の為互いを利用し合い、その結び付きから外れた者は命まで奪いつくされる。それが私の知る人間だ。
だが、ファルは地を這う虫よりも生きるのに過酷な環境に置かれながら、己の才能と器量を磨き、そして人を利用し人を踏みにじり『夢』を手に掴もうとしている。
『夢』の為に泥を舐め、星を見上げ飛び続ける。この泥と星を同時に見る彼女の稀有な在り方に私は魅せられている。
「ファル。私は貴女が気に入ったのよ。貴女の穢れた心、それでも夢を純粋に追う至情、そして貴女の歌がね。
私が人を喰らい、戦うのは私が生きるためだけど、それ以外に貴女が元の世界へ戻るために力を貸してもいいと思っているわ」
初音はファルの汗ばんだ肌を掌で拭き、甘い息で喉を撫でた。ファルの身体が快感で跳ねる。
「……私の、為に……あなたが力を貸しても……。私は……感謝なんて、しないわよ……。私は……誰にも……感謝なんて、しない……」
毒が回った熱い躰が荒い息遣いで冷気と酸素を求め、思考に靄がかかる最中、それでもファルは強い語気で初音に吐き捨てる。
「……どうせ……人は、利用し合うだけの……生き物だから……」
結局ファルシータ・フォーセットは、そういう生き方しか、薄汚れた生き方以外選ぶことが出来なかった。
初音は華やかに、妖艶に、皮肉気に笑った。その笑みは、ファルには『人』は『私』の間違いじゃないか、と言っているように見えた。
そして初音は、ファルの躰を好きにした。
初音が人を喰らう本気の行為に、ファルは悶え狂い、泣き叫び、果てては蘇り、蘇っては果てる。
結局比良坂初音は、こんな形でしか、化物としてしか情愛を示せなかった。
それでも、この瞬間、まるで『飢え』を満たすかのように二人は互いを求めた。
何に『飢え』ているのか、その正体が分からないまま……。
――二人は紡ぐ。互いを結ぶ縁の糸を――
【マスター】
ファルシータ・フォーセット@シンフォニック=レイン
【マスターとしての願い】
聖杯なんていらない。元の世界へ戻る。
だけど、聖杯がなければ帰れないのなら、その時は……。
【weapon】
無し
【能力・技能】
夢に向かう確固たる意思。そのために努力を惜しまず、あらゆる手段を実行に移す行動力。人を裏切る行為や真意を隠す演技力。
それらを支える強靭な精神力が武器といえるかもしれない。
【人物背景】
近代イタリアに似た世界の出身。ピオーヴァ音楽学院の声楽科3年生で、元生徒会長。17歳。
優しく、おしとやかで、誰からも好かれる人物。
夢はプロの歌手で、そのための努力は惜しまず、才能も講師たちから高く評価されている。
非の打ち所が無いところがかわいげがないが、嫌味も感じさせないほど、さわやかでもある。
その裏では、平気で人を利用し、裏切り、捨てていく。
人間関係は互いを利用し合うものと考え、誰にも感謝などしない。
自分が捨てられた境遇を、世界を憎み、貧しさから必死に抜け出そうとしている。
裕福な人間を妬み、自分を孤児院から引き上げた貴族を嫌いだと言い切る。
純粋な人間を疎み、今までしてきた努力や裏の所業を知らずに無垢な瞳で憧れなどと言われると、その人物に殺意さえ覚える。
そんな彼女は、夢に対してだけは限りなく純粋で誠実なのだ。
その実現のためには、どんな努力や忌まわしい所業をも厭わないとしても。
【マスターとしての願い】
自分の『夢』の実現に聖杯など必要ない。あえて願うなら『社会的地位』と『金』だろうか。
【方針】
自分の様に巻き込まれ、脱出を目指すマスターを探し、本性を隠して手を組む。
戦うか、脱出か、自分から決められないような中途半端なマスターは徹底的に利用する。
戦いに乗ったマスターに対しては、まず情報、特に弱点を探る。
とにかく打てる手段は思いつく限りすべて打ち、自分の利用できる武器はすべて使う。
【クラス】
キャスター
【真名】
比良坂初音(ひらさか はつね)@アトラク=ナクア
【パラメーター】
筋力:C 耐久:D+ 敏捷:C 魔力:A 幸運:B 宝具:C
【属性】
混沌・悪
【クラス別能力】
陣地作成:C+
自身に有利な陣地を作成できる。
隠蔽に特化し、気配察知に優れたサーヴァントでも探るのは困難。元の場所と違う意匠でも全く違和感を感じさせない。
道具作成:C+
魔力を帯びた器物を作成できる。
糸で衣服や建物、生活用品などを織り上げる事が可能。やはり隠蔽に特化し、魔力の察知は困難。
【保有スキル】
堕天の魔:B
彼女は堕ち、穢れ、それでも人を魅了する女郎蜘蛛である。
真正の魔獣、魔物でしか持ちえない強い生命力や再生能力、スキルを得ている。
人ではない事で、対人用の精神干渉への耐性も持ち合わせる。
吸精:A
男女を問わず、相手の生命力、精を吸い取る事で幸運を除いたパラメーターをアップさせる。急速な傷の回復も可能。
上昇値は吸精した相手の質と量による。
変化:C+
文字通り『変身』する。女郎蜘蛛より人間の姿へと擬態している。
サーヴァントの気配、ステータスや魔力を隠匿し、人間『比良坂初音』として認識されるようになる。
手足の一部だけを解き、蜘蛛のそれへと戻すこともできる。この場合、筋力、耐久、敏捷値が上昇する。
怪力:B
一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。
使用する事で筋力をワンランク向上させる。持続時間は“怪力”のランクによる。
女郎蜘蛛の籠絡:A
男女問わず、心の隙間につけ入り、傷を広げ苛み弄び犯すための魅了の手腕。呪術、暗示も含むスキル。
気を当てられた相手は徐々に初音に魅了されてゆく。逆に気を分け与える使い方なら体調や傷を回復させられる。
他に糸で人の会話を収集したり、糸を付けた相手の記憶や意識を操作し、身体能力の限界まで操る事が出来る。
【宝具】
『他者擬態・蜘蛛乃巣(アトラク=ナクア~ゴーイング・オン)』
ランク:C 種別:結界宝具 レンジ:10~40 最大補足:1000人
初音が生み出した八体の要蜘蛛を用い、糸の結界を張る。
結界は内部、外部の人間の精神に働きかけ、特定の領域を巣として人目につかないよう遮断し、記憶は初音の意図したとおりに改竄される。
巣の中で初音にとらわれた人間は初めから存在しない者として扱われ、それを誰も疑問に持つことは無い。
だが、要蜘蛛を仕留められる度結界は綻び、暗示が徐々に解けてゆく。
戦闘時は無数の糸を吐き出す矛にも、巣と網、糸柱を幾重にも張り巡らす盾や罠にもなる。
『自己変態・女郎蜘蛛(アトラク=ナクア~ヒュージ・バトル)』
ランク:C 種別:対妖(自身)宝具 レンジ:0 最大補足:1体
身の丈十尺を越える女郎蜘蛛としての本性を現す。
魔力と幸運を除いた全ステータスが1ランクアップ。後述する蜘蛛の糸や子蜘蛛の力も上昇する。
吸精によりさらに巨大化し、全ステータスに+補正が付く。
純粋無垢で最上質な魂を数十人も喰らえば、++補正が付くほど強化し、さらなる巨大化を果たすだろう。
『他者変態・妖ノ贄(アトラク=ナクア~アダプション)』
ランク:D+ 種別:対人宝具 レンジ:― 最大補足:1人
初音の網にかかった人間を、魔力を用いて不老の半妖(初音は贄と呼ぶ)へと変化させる。
自我はある程度あるが初音に服従し、自らが蓄えた精、他者から奪った精を初音に提供して数十年をかけて滅んでゆく。
本来は人間を初音の同族として造り替える能力である。
以上の宝具は、クトゥルフ神話のアトラク=ナクアとは何の関係も無いのだが、その在り方の類似性から名がつけられた。
【Weapon】
蜘蛛の糸
鋼鉄の数倍の硬度とカーボンファイバー以上の引張応力、瞬間接着剤以上の粘着力を併せ持つ。
蜘蛛の巣のいわゆる縦糸と横糸のように、粘着性が有る粘糸、無い鋼糸とを調整できる。
人間を操る起点にもなる。
子蜘蛛
初音がほぼ無限に生み出せ、人間を喰らう。
人間に仕込めば催淫剤にもなる。
【人物背景】
齢400年を数える女郎蜘蛛。
しとやかで妖艶で古風、凛々しく儚げ、そして残酷で気まぐれに優しい。
宿敵である銀との決戦の果て、重傷を負った初音は傷を癒すため、ある学校に潜伏した。
そこで凌辱されていた少女、深山奏子を気まぐれに救った事で初音の運命は廻り始める。
【サーヴァントとしての願い】
仮初といえど、生を得た以上、それを自ら放棄する気は無い。ただ生き残る。
そして、願わくば自身と奏子の行く末を……。
【把握資料】
両方とも十数年前に発売されたゲームなので、入手は少々手間取ります。
ただ、某動画サイトで全プレイ動画が投稿されているので、そちらなら把握は容易です。
二人とも小説版で過去と心情が深く掘り下げられているのですが、入手困難です。
シンフォニック=レイン
HDリマスター版がSteamで販売されています。
アトラク=ナクア
廉価版がamazonで中古で販売されています。
最終更新:2021年06月09日 01:04