池上燐介26

26.清掃



俺は再びこの場所へとやって来た。
目の前には大きく聳え立つ高層ビル。その玄関前には「貳名製薬」と彫られた大理石。
そう、長束邸で受け取ったあのリストに記された場所のひとつである。
しかし、俺はビルを前にして一向に動こうとしなかった。
ビルの前まで来たはいいものの、どうやって入り込むかを考えていなかったからだ。
真正面から突入するのもいい。しかし、内部を探ることが目的となれば、
できうる限りスマートに侵入するのが最も望ましいことであるのは言うまでもない。
真正面から突入すれば、内部の人間から不審者として処理されてしまうのは明白だ。
かといって、コンクリートと鉄筋で固められた高層の密室空間に、
誰に気づかれることなく侵入することは困難極まりないこともまた確かなのだ。
(さて……どうしたものか)

あれやこれやと策を巡らしている俺の横で、一台の車が停車した。
車がドアを開くと、中からは清掃員の格好をした中年男性が二人、姿を現した。
服の背中には「貳名クリーニングサービス」とある。

「おい、時間は?」
「12時調度です。遅れてません」
「ふぅー、危なかったな。ここの会社は時間に厳しいからな。遅れなくてよかったよ」

二人の中年が何やらと会話している。
会話の内容からして、ビルの中の清掃を頼まれた連中らしい。

と、その時、俺の頭の中で何かがひらめいた。
俺はバケツやらブラシやら雑巾やらを抱えている二人に歩み寄った。

「あの……ちょっとよろしいですか?」

突然の俺の声に、二人は目を丸くしながらこちらを振り返った。

「はい?」

──三十秒後、辺りにかすかな悲鳴が響いた。


「えーと……今日は『植草』君、キミ一人かい?」

深々と清掃用の帽子を被り込んだ俺の前に立ち、服の胸につけられたネームプレートを確認
しているのは、清掃場所を案内するよう上司に命令された貳名製薬の社員である。

「いえ二人です。もう一人は遅れるとの連絡がありまして、先に私だけが……」

そう嘘八百を並べ立てても、前の男は疑うそぶりも見せない。
本物の清掃員は今頃車の中で大人しくお寝んねしているというのに、呑気なものだ。
まぁ、であればこそ、こうして疑われずに侵入できたのだが。

「では、29階と最上階の30階の廊下と部屋の清掃をお願いします。
あぁそうそう、30階の社長室には研究所の所長さんがお見えになっておりますので、
やらなくて結構だそうです」

「わかりました」

俺は男に背を向けて一階奥のエレベーターへと向かい、乗り込んだ。
エレベーターの向かう先は「30」と記されたボタンが光る30階。
内部を探ってこの会社の重役の居場所を突き止めるつもりであったが、これは運が良い。
こうも早く突き止められるとは。

そうこうしている内に、「チーン」という音と共にエレベーターのドアが開いた。
エレベーターを降りると、そこは一本の広い廊下であった。
廊下には赤い絨毯が敷かれ、その先には「社長室」のプレートが掲げられた
大きなドアが見える。

「あそこが社長室か……」

一人そう呟いた俺は、部屋の前まで歩み寄ると、中の様子を伺おうと耳を欹てた。
部屋の中からは二人の男の声が聞き取れる。

「──で、結局完成したのかね? 例の新薬は」
「まだ試作品ですがね。まぁ、これで研究部にもとりあえず顔が立つというものです」
「服用するだけであっという間に人工異能者の誕生か……。これ以上増産してどうするつもりなのかね」

(新薬……異能者……。そういえばこの会社は「ナガツカインテリジェンスグループ」の傘下だったな。
ナガツカ……そうだ、気になってはいたが、もしや長束誠一郎の……)
そうして思考を巡らす内にも、二人の男の会話は続いている。

「さぁ? No.1のお考えになることは、私達の考えの及ぶところではありませんからねぇ」
「ま、今回の異能者達の一件で、機関に所属する大半の異能者が駆り出されたようだからな。
虐殺部隊をはじめ機関のセカンドナンバー達……結構な被害が出ているそうじゃないか」
「もしかしたら今後の人材を補う為に開発を命じられたのかもしれませんね。しかし『No.12』──」
「ここではナンバーを呼ぶなと言っただろう、『No.14』」

(No.12、No.14……こいつらも幹部か。とするとやはり異能者……?)

「──もとい社長。しかしやはり私には解かりませんな。こうまでしてこの町の異能者達を戦わせる理由が」
「君も言っただろう。No.1のお考えになることは、我々の考えが及ぶところではないと。
ただ一つ言えることは……この事について探ろうとすれば、我々とて命が危ういということだ」
「命令通り動いていればいい……駒というのも、案外楽じゃありませんな。
ま、今に始まったことではありませんが」

(No.1……城栄 金剛……。
……どうやらこのゲームには、奴自身しか知りえぬ目的があるようだな)

俺は更に奴らの話を聞きだそうとドアに近づいた、その時だった。
手に持っていたバケツをすべらせ、廊下に落としてしまったのだ。
バケツは廊下と接触すると、大きな金属音を立てて転がっていった。

「誰だっ! 出てこいっ!」

社長と呼ばれていた男の声が挙がった。
(チッ……俺としたことが……。まぁいい……)

心の中でそう舌打ちをしながらも、俺は落ち着いていた。
ドアノブに手を回してドアを開けると、俺はその姿を二人の前に堂々と曝け出した。

「清掃員? 聞かなかったのか、この部屋の清掃はいいと伝えておいたはずだが?」
「承知しております。ですがこの仕事を長くやっておりますと、ゴミを片付ける癖がつきましてね。
この部屋にある大きなゴミを見過ごすことはできなかったのですよ」
「ゴミ? 何を言ってるんだ、この部屋にはそんなものはありやせん!」
「いえ、ございます。あなた方二人という、大きな生ゴミが」
「え、ええい! 貴様、人を舐めとるのか! 貴様の会社の上司に言いつけてクビにしてもらうからな!!」
「それは止めて置いた方がいいでしょう。困るのは私ではなく、
この服の本当の持ち主である『植草』という男になりますからね……」

俺の言葉を聞いて、これまで激昂していた社長と呼ばれた男に代わって、
『No.14』と呼ばれていた男が口を開いた。

「貴様……何者だ!」

俺は深々と被っていた帽子を取り、薄ら笑いを浮かべながら答えた。

「ただの清掃員さ。ただし、片付けるものはお前たち機関の人間だがな……」
「……ほう、どこで情報を仕入れたのかは知らんが、どうやら我々のことをご存知のようだな?」

これまで激昂していた社長と呼ばれた男の表情が、妙に冷静になっていく。
男は深々と椅子に座り直すと、胸ポケットから取り出した一本の葉巻に火をつけ、吹かし始めた。

「我々を片付けるときたか……。なるほど、君もただの人間ではなさそうだ。
大方、この町での一件に巻き込まれた異能者と言ったところかな?
まぁ、戦闘を強いられて怒る気持ちは分からないでもないが、君のやろうとしていることははっきり言って無益だ」
「無益かどうかは俺が判断することだ」
「フッ……仮に今ここで我々を殺したとしても、No.1が計画を変更することはない。
我々はあのお方の駒に過ぎんのだ。それを分かっているのか?」
「……お前らこそ分かっていないようなので教えてやろう。お前らが城栄の駒であろうが何であろうが関係ない。
俺の狙いは機関そのものの壊滅だ。お前らは勿論、城栄もいずれ俺が始末することになる」

俺の言葉を聞いて、一瞬二人はきょとんとした顔を見せた。
そして二人は直ぐにその場で哄笑を始めた。

「フフフ……ハーッハッハッハッハ!」
「クククク……こいつは傑作だ! No.1を倒すぅ? 身の程知らずとはこのことだな!」

「おかしいか? まぁ、直ぐに笑えなくしてやるさ」

俺は右手の指の関節を鳴らしながら、彼ら二人に一歩一歩と歩み寄っていく。

「……まぁ、待ちたまえ。見たところ君はかなり腕が立つようだ。
予め断っておくが私達二人は『非異能者』でね。君の満足のいくような闘いにはならないだろう」

彼らの思わぬ告白に、俺は思わずピタリと足を止めてしまう。

「……なに?」

「自己紹介が遅れたな。私の名は『重松』。貳名製薬の社長であり、機関研究部所属兵器研究科長。
ナンバーは12。この男は『南条』。我が社の製薬研究所の所長であり、機関での私の部下だ。
ナンバーは14。先程も言ったとおり、我々は正真正銘ただの人間だよ」

(非異能者が機関の幹部に……? やはりただの戦闘集団とは違うのか)

「我々にはどう逆立ちしても君には勝てまい。君とて我々を相手にしては物足りないのではないか?
そこで、だ……我々のペットが君の相手をしよう」
「ペットだと……?」
「このビルの30階……ここは社長室以外の部屋は存在しない。なぜだか分かるかね?」
「…………」
「君のような野良犬が迷い込んできた時を想定して用意されたフィールドだからさ。
つまり、ここは侵入者と私達の番犬が闘う闘技場でもあるのだよ!」

男は銜えていた葉巻を灰皿に押し付け火を消すと、「パチン」と指を鳴らした。
するとこれまで部屋を囲っていた壁が……いや、この階を構成していた全ての壁がずり下がり、
あっという間にこの30階は何も無い真っ白な広い空間と化すのだった。
──いや、何も無いわけではなかった。全ての壁が取り払われた空間のその先で、
首輪をした巨大な三つの頭を持つ怪物が唸っているのだ。

「フフ……あれこそ我らの番犬! 獣でありながら『15』のナンバーを持つ『異能獣』!
その名も『ケルベロス』!! さぁ、奴を殺れいっ!!」

男の掛け声と同時に、ケルベロスと呼ばれた獣の首に付けられていた首輪が外された。
拘束具を失ったケルベロスは、文字通り解き放たれた野獣となって、猛スピードで俺に向かってくる。
だが俺は下手に動き回ることはせずに、向かってくる奴をギリギリまで引き付けると、
俺の体に奴が直撃する瞬間に、横に飛び退いた。
勢いづいた奴は止まることもできずに、そのまま轟音を立てて壁へと激突した。
あの様子では、重松、南条と名乗ったあの二人は、自らの番犬の体に押しつぶされてしまっただろう。
ところが──。

「フッフッフ……ケルベロスは私と南条が創り上げたもの。
飼い主には危害を加えぬようプログラムされているのさ……残念だったな」
「力強く俊敏──。そして三つの頭を持つケルベロスに死角は無い。
故にこうして背中の上に居れば我らが君に殺されるということはないわけだ」

いつの間にか獣の背中に乗っていた二人が、嘲笑うようにこちらを見据えていた。

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最終更新:2009年10月05日 00:50