(30)028 『07.恵みの雫』

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雨の中にリゾナントが見えて、なんだかとても懐かしい感じがした。
リゾナントに着いたということは、それなりに時間が経ったということだ。
いつもは嬉しくなるこのシルエットも、今は胸を締め付けるものでしかなかった。

ドアの前に着くと同時に、愛ちゃんが傘を閉じる為に繋いでいた手を離した。
ポケットから鍵を取り出し、扉を開く。

離された右手が寂しかった。
もう繋ぐことはないんだろうな。
そう思うだけで、視界が涙で滲む。

中は暗くて暖かかった。
ついさっきまで田中っち達がいたのかもしれない。
愛ちゃんは私にタオルを渡すと、自分も頭からタオルを被りながらキッチンへ入っていった。

「ガキさん、カフェモカでええやろ?」
「あ、うん」

頭をタオルで拭いていたら、さっきと同じ格好のままの愛ちゃんが
二つのカップを持って出てきた。
カウンター席に座ろうとした愛ちゃんの髪の毛から雫が落ちそうだった。
あんまりちゃんと拭いてないんだろうな。

「ありがとう」
「ん、えーよ」

私が座ったのを確認してから、愛ちゃんは私にカップを差し出した。
私がカップに口をつけたのを確認してから、愛ちゃんはようやく髪の毛を拭き始めた。
そんないつもは何でも無いような気遣いでさえ私の心を揺さぶる。


両手で包み込んだカップが、冷えた身体を暖めてくれた。
一口飲んだだけで、心まで温められるようだった。
私の大好きなカフェモカ。
このカフェモカも、もう飲めなくなるんだ。

そんなの…そんなの無理だよ。
私だって、みんなの仲間でいたいよ。
私は“ここ”にいたい。

もしも、裏切者としてでなく、共鳴者として出会えていたら―

無駄だとわかっていても。
叶わないとわかっていても。
そんなことばかり考えてしまう。

「…里沙ちゃん」
「…!」

急に名前で呼ばれて、私は咄嗟に声が出せなかった。
なんだか久しぶりに呼ばれた気がする。
まだこんなに仲間がいない頃に、呼ばれていた名前だ。

「何?」

私はむず痒いような、くすぐったいような気持ちになりながら愛ちゃんの顔を見た。
そこには右手を差し出しながら、私の顔を真剣に見る愛ちゃんの顔があった。


「手繋いでもええか?」
「手?」
「もう離さんって、言ったやろ?」
「…!」

私は左手を差し出そうとして、寸前でやめた。
その手を握ったら、二度と離せなくなると思ったから。

忘れるな。
上からの命令は絶対だ。
このまま戻らなかったら、裏切り者として“処理”されてしまうだろう。
それだけじゃない。
きっと…仲間もみんな…。

忘れるな…!
私は、ダークネスの裏切り者―。

「やっぱりあかん…?」

愛ちゃんの声は震えていた。
いつものように安心させてあげなきゃと思う。
だけど、私は何も言わずに頷いた。

その手を握りたいのに。
抱きしめて、大丈夫だよって言いたいのに。
今までしてきたみたいに…したいだけなのに…。
たったそれだけのことも、私はもう出来ないのか。


「そう…か…」

愛ちゃんは行き場の無くした右手で、髪の毛をくしゃくしゃと掻きむしった。
愛ちゃんの癖だ。
こんなこと、私がただのスパイだったら気付かなかっただろう。

「ごめんな」
「何がよ」

次に愛ちゃんが呟いたのは、謝罪の言葉だった。
謝ることはないという意味も込めて、私は静かに笑った。

「守ったるとか、心配するなとか、いろいろ…言ってあげれんくて」
「愛ちゃん…」
「明日から里沙ちゃんがおらんのやって思うと、すっげー不安で。
こんなに里沙ちゃんの存在が私にとって大きかったんやなって、改めて感じて…」

こんなに弱っている愛ちゃんを見るのは久しぶりだった。
いつからか愛ちゃんは弱音を吐かなくなって、いつの間にかみんなを励ますようになってた。
私も愛ちゃんにたくさん元気付けられてたこと、ちゃんと気付いてる?

「怖いんよ…里沙ちゃんがおらんくなったら、今までみたいにやれる自信がない」

私の中で愛ちゃんの存在が大きいように、愛ちゃんの中でも私の存在は大きくて。
それはとても嬉しいことで、とても…悲しいことだった。
今まで当たり前だと思ってたことが、当たり前じゃなくなってしまう。
それがどういうことなのか、どれだけ怖いことなのか、ようやくわかった気がした。


でも、私まで弱気になっちゃいけない。
私に残された時間は、もう多くはないのだから。

「ねぇ、愛ちゃん」

愛ちゃんの記憶に、私のことは残らないけれど。
私は絶対に忘れないから。

「オムライスの作り方、おしえて?」
「オムライス?」

離れていても、“ここ”を感じて居たいから。
初めて愛ちゃんに作ってもらった料理はオムライスだった。
それ以来食べていないけれど、きっとあの頃よりもっとおいしくなってるんだろうな。
絶対に作り方を覚えて帰ろうと、上から帰還命令が出た時から思っていた。

「愛ちゃんみたいにおいしくは出来ないだろうけど…」

少しでも、向こうでリゾナントを感じられたら。
きっと、頑張れると思うんだ。

「ん…ええよ」

私の考えていることがわかったのか、愛ちゃんは静かに微笑んだ。
ぽかんとしている私を横目に、愛ちゃんは空になったカップを持って席を立った。

「里沙ちゃんが作れんぐらい、おいしいオムライス作ったる」

キッチンへ入る直前で振り向いて、ニッと笑ってその一言。


作ってほしいんじゃなくて、おしえてほしいんだけど。
その一言は飲み込んで、私は代わりにため息をついてみせた。

「なーによ、それぇー」
「ほら、時間無いからさっさと作るで」

さっきまでと打って変わって、愛ちゃんは急に生き生きし始めた。
きっと…ううん、絶対無理してる。
だけど、それに胸を痛めることはない。
どれだけ泣いても、時間は過ぎていくだけなんだ。
それなら、残された少しの時間、私も精一杯の笑顔で答えよう。

「まず手洗ってな」
「はーい」

最初で最後のお料理教室。
愛ちゃんに負けないぐらいのオムライスを作ってやろうじゃないの。

今、ここで私が料理をしていること。
愛ちゃんに料理を教えてもらっていること。
完成したオムライスのこと。
オムライスを食べている二人のこと。

その全ての思い出は、私の記憶の中に閉じ込めよう。