(30)276 『kiss of life』

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道重さゆみは暗い病院の渡り廊下で立ちつくしていた。

亀井絵里の病室を訪れた帰り、病院を訪れているうちに顔見知りとなった、入院患者の少年がICU(集中治療室)へと運び込まれるのを目撃してしまったのだ。

少年は小児癌だと聞いていた。大人に比べ死亡率はそれほど高くは無いものの、進行が早い為予断を許さないのだ、とも…。

暗い廊下の奥から、誰かが歩いてくるのが見える。

病院には似つかわしくない、黒衣に身を包んだ女だった。長い漆黒の髪が陶磁器のように白い顔を浮き立たせている。
「さゆみ」と同じ顔をもつその女は、しかしさゆみとは全く異なる…、闇をしか見つめていないような、冷たい眼差しを持っていた。

「お姉ちゃん…!?」
驚きの声をあげるさゆみ。
「…『癌』というのは不思議な病気ね…。細胞が異常な増殖をはじめる…。そしてその細胞が消費する異常なエネルギーが、周りの細胞を破壊していく…」
女は一点を見つめるような視線で語り始める。

「…お姉ちゃん、あの子の事知ってるの!?」
「…知らないわ…。でも、この『地球』に対する『人間』の存在は『癌』にたとえられる事がある…」
「そして、『人類』に対する私たち『能力者』の存在もそれに似ている…。そうは思わない…?」


「そんな事…、どうでもいいです…。あたしはただあの子の事が心配で…」
「人は皆、いつかは死ぬものよ…。それが少し早いか遅いかだけの事。…あなたが思い悩む事じゃないわ」
「…そんなこと…わかってます…。でも…、でも!」
「…命が短かったといっても、不幸せとは限らない…。でも、その子が人生の最後に苦しんでいるのなら…、私は楽に逝かせてやることは出来るわ…」

その女は右手をスッ…と病室の扉へとかざす。
「お姉ちゃん!?なにをするの!?」
無言のまま、女はその瞳に暗い光を宿した。
数秒の沈黙の後、突然、病室の中で少年の叫び声があがる。

「お、お姉ちゃん!?なにをしたの!? …まさか?まさか!?」
さゆみは女の両腕を掴むと、激しく揺さぶりながら問い詰める。
女はかすかに唇の端に笑みを浮かべた。
「…柄にも無い事をしたわ…」

「…あの子の脳の…、腫瘍の部分を“消滅”させた…。急激な消失だからちょっとショックはあるけど、命に別状は無いわ…」
「…え!?…どういうこと?それじゃあ…?」
「…あの子の『癌』は消えたわ…。後は体力の快復だけでしょうね…」

「お姉ちゃん…!!」
さゆみは両手で顔をおおうと、声をあげて泣いた。

「…あの子は必死に生きようとしていた…。…それに…、さゆみ…。あなたの喜ぶ顔が見たかった…」
「…遅くなったわね…。誕生日おめでとう、さゆみ」


女はゆっくりとさゆみに近づくと、その涙に濡れた薔薇色の頬をあげ、柔らかな唇にキスをする。
「…あなたを愛しているわ…。“永遠に”なんて言わない…。“この心ある限り…”」
そう言うと、女は再びさゆみに唇をよせた。
その唇の意外な温かさと、唇を割って入り込む滑らかな感触にさゆみは身体を震わせる。

ふと気がつくと、さゆみは同じ病院の廊下に一人立ちつくしていた。
病室の中から、少年の家族の歓喜の声がかすかに漏れ聞こえてくる。
さゆみは自らの唇に指で触れてみる。
そして手のひらで胸を押さえるとつぶやいた。

「誕生日って…。お姉ちゃんも一緒じゃない…」

「ありがとう、さえみお姉ちゃん…。そして…、誕生日、おめでとう」