(32)378 『蒼の共鳴第二部-喫茶リゾナント、閉店-』

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『…本当にいいんだな』

「ええ、すいません、我が儘言って…」

『…記者会見には出ないのか?』

「休業ですから。
…あ、言われなくても分かってます…そう甘い世界じゃないことくらいは」

『…契約は未だ1年ある、休業がそれ以上に及ぶようなら…分かってるな?』

「はい。本当にお世話になりました」


携帯電話の終話ボタンを押す音が、静かな部屋に響く。
久住小春はしばし携帯電話のディスプレイを見つめた後、それを折り畳む。

港区某所に立つ高級賃貸マンション。
僅か16歳の少女が一人で住むには明らかに広すぎる3LDKの部屋は、既に大半の荷物が運び出された後だった。

小春は部屋を一瞥した後、ゆっくりとした足取りで玄関へと向かう。
静かな水面を思わせるかのようなその瞳からは、一切の感情を読み取ることは不可能だった。

玄関を出ると同時に、オートロックが作動し施錠が完了する。
小春は玄関を一瞥することなく、悠然とした足取りでエントランスへと向かった。


待たせていたタクシーに乗り込み、小春は運転手に行き先を告げたきり窓の外を見つめる。

幾度となく見てきた景色が徐々に遠ざかっていく。


(またこの景色を見ることはあるのかな…)


決して口にすることなく、心の中だけで紡がれる言葉。
小春はふいに、ジーンズのポケットに仕舞った携帯電話を取り出す。

登録しているニュースサイトからの号外メール。
それに書かれている内容に、思わず唇から小さな笑いが漏れる。


『月島きらり、突然の休業!
トップアイドルに一体何があったのか!?』


小春は軽く笑ったまま、携帯電話を再び折り畳みポケットへと仕舞い込む。

『月島きらり』、それは久住小春のもう一つの顔。
数年前に突如引退したトップアイドル『AYA』の後に芸能界に現れた、期待の新星である。
歌にドラマにと活躍し、その演技力はアイドルとは思えないとまで評された月島きらりの突然の休業。
しかも、具体的な理由は一切明かされないとあって、いくつもの憶測が流れるのは仕方のないことだった。


突然の暴挙とも言える休業を受け入れてもらった小春が向かう先は、ただ一つ。
仲間達が集う大切な居場所、喫茶リゾナント。
窓の外を見る小春の瞳が、ほんの一瞬、煙るような光を湛える。


―――今日は、喫茶リゾナントの閉店日だった。


     *    *    *


「れーな、これ5番テーブルね!
あ、さゆ、レジお願い!
絵里、6番テーブル片付けて!
みっつぃー、4番テーブルの注文聞いてきて!
ジュンジュン、リンリンコーヒー豆とダージリンの茶葉買ってきて!」


喫茶リゾナントは異常な程の熱気に包まれていた。
数十年もの間地域に根付いてきた喫茶店の閉店日ということもあり、次から次へと訪れる客。
滞在時間に制限を付けなければならない程の来店客に、急遽手伝いを借り出さねばならぬ程であった。

マスターである高橋愛は、額に浮かぶ汗を服の袖で拭う。
開店直後から、まともに休憩を取る暇もない程フル稼働で料理を作り続ける愛は、
かつてない程の忙しさに何も考える余裕はない。


だが、その方が都合がよかった。

やむを得ない事情があるとはいえ、祖母に託された歴史と愛が詰まった店を閉めなければならない。
とてもじゃないが、このくらい忙しくなければ泣き出してしまいそうだった。

一人客が去っても、すぐに新たな客が来る。
本来なら、常連客…家族にだけでも一言挨拶したいくらいだが、なかなかそういう余裕がない。


「愛ちゃん、今注文途切れたから…挨拶してきなよ。
簡単な注文くらいなられーなでも出来るし、ね」


田中れいなの一言に、ありがとと一言返して愛はカウンターの外へと出る。
家族の一人一人に、愛は丁寧に挨拶をしてまわる。

表向きの閉店理由は、海外で料理の勉強をしてくるということにした。

そうでも言わなければ、家族達は気に病むに違いない。
間違っても、経営難による閉店であるとは思ってほしくはなかった。

閉店の真の理由。

それは、喫茶リゾナントに訪れる客を守るためだった。

愛達のもう一つの姿、それは悪の超能力組織ダークネスと死闘を繰り広げる超能力組織リゾナンターである。
数年にも及ぶ長い戦いの間、不思議と客に危害を加えられたことはないが…それは、あくまでもダークネスが本気を出していなかったためだ。


ダークネスから放たれたスパイであり、かけがえのない仲間である新垣里沙。
調査を終えてダークネスへと連れ戻された里沙を取り戻す戦いを終えた愛達は、先のことを見据えた上で閉店という決断を下した。

今までは、里沙というスパイがいたから、調査という目的があったから喫茶リゾナントに攻撃が加えられることはなかった。
だが、調査は完了し、里沙を取り戻した今は…いつ、ダークネスが本格的に動き出すか分からない状態である。

喫茶リゾナントを閉め、行方をくらますことでどれだけの効果があるかは分からない。
しかし、今までのように暢気に喫茶店を経営しながら生活するのは余りにもリスクが大きいのは確かだ。

自分達だけの命なら、まだよかった。
でも、ここに集う客の命がかかってくるとなると話は別であった。

無関係な人間の命が奪われるようなことがあってはならない。
そのために、祖母に託された店を閉めるという決断を愛はしたのであった。

無論、いつまでも閉店するつもりはない。
ダークネスとの戦いに終止符を打った暁には、再びこの地に戻り喫茶リゾナントを経営するつもりだ。

他の仲間達もダークネスとの最終決戦に備え、高校や大学を休学し、引っ越しの手続きを既に完了していた。
皆、ダークネスを倒すその日まで、この街には戻らない覚悟である。

里沙を奪還してから数日経過しているが、今のところ何か起こる気配はない。
平和ではあるが、愛達の胸はどこかざわついていた。

それはおそらく、嵐がくる前の静けさ。

不測の事態に備え、出来ることは全てやらなければならない。


一通り挨拶を終えた愛は厨房に戻る。
厨房に入った愛は、反射的に右手を顔の前に翳した。

パスッという音と共に手の中にすんなりと収まるそれは、携帯用のゼリー飲料。


「後5時間、頑張ろうね、愛ちゃん」

「…ありがと、れーなも頼むで」


眼を細めて笑うれいなに微笑み返しながら、愛はゼリー飲料を飲み干す。
普段くらいの忙しさならちゃんとした料理を作って食べる暇はあるが、今はそんな余裕はない。

空になったゼリー飲料をゴミ箱に放り投げ、愛は袖をまくる。

これからまだまだ客は来るだろう、訪れる人々に最高の料理とサービスを。

愛は大きく息を吸い込むと、キッチンに立つ。
カウンターの外では、オーダーを読み上げる仲間達の声が途切れることなく続いている。

「何か手伝えることありますか、高橋さん!」

「お、小春、いいところにきたねー。
れーなの代わりにウエイトレス、しっかり頼むよ-」

「分かりました!」


愛とれいなは視線を交わして笑い合う。
客商売という意味では、ある意味愛やれいな以上のスキルを持つ小春が到着した。
これで大分楽になったと思う間もなく、新たな注文の声が厨房へと届く。


「飲み物はれーなに任すから、頼んだで」

「了解!」

「高橋サン、今戻りまシたー!」

「ジュンジュンリンリン、お疲れ様!
早速で悪いけど、今度はこれの買い出し頼むわ」

「ハーイ、いってきマすー!」


帰ってきたジュンジュンとリンリンは、手書きのメモを受け取ると再び外へと出かけていく。
喫茶店の外では、入店できるのを今か今かと待つ沢山の客が並んでいた。


     *    *    *


「今頃、愛ちゃん達忙しいだろうな…」

「そうだろうね、閉店だもんね」


喫茶リゾナントがある都内から遠く離れた、山梨県にある青木ヶ原樹海。
そこの地下に建造された施設内に、新垣里沙と小川麻琴の声が溶けた。

里沙も麻琴も、手持ち無沙汰であった。
愛達の手伝いに行けるならば行きたいのだが、ここを出ていくわけにはいかない。


里沙も麻琴も、ダークネスを裏切りリゾナンター側へと寝返ったのだ。
ダークネスからしたら、一刻も早く抹殺したいであろう二人。
今もおそらく、居場所が割れているリゾナンター達よりも優先して追っ手達が探しているのは想像に難くない。

そういう状況でノコノコと出ていくわけにはいかない。
彼女達に迷惑がかかる可能性がある以上、ここでジッとしているのが最良のことだった。

里沙の目に浮かぶ光は煙る。
今すぐにでも傍に行きたい、その気持ちを押し殺す横顔は年齢よりもずっと大人びて見えた。


「あんた達、何ぼーっとしてんのよ。
やることは一杯あるんだからしっかりしてちょうだい。
もうあの子達の荷物は届いてるんだから、早く部屋に運び込む!」


凛とした声に、里沙と麻琴は反射的に立ち上がる。
施設の主保田圭のお出ましに、ふぬけたようになっていた二人は慌てて部屋を出て行った。

その後ろ姿を見送った圭は、緩慢とも言える速度でテーブルへと歩み寄る。
崩れ落ちるように椅子に腰掛ける姿は、先程の凛とした声からは想像もつかない。


(後、どれだけ持つかしらね…)


押し寄せる目眩、吐き気に圭は自然と頭を抱える。
ダークネスの前身組織『M』を離脱してから、今に至るまでの数年間、圭はたった一人で戦ってきた。

いずれ、自分の元を訊ねてくるであろうリゾナンター達。
彼女達のために最善を尽くし、最良の環境を生み出すためにと、自身の持つ能力を幾度となく酷使してきた圭。

一線級の能力者でも察知出来ないような特殊な結界装置を生み出し、己の居場所を誰にも察知できないようにし。
リゾナンター達をサポートするために自身の技術と能力を最大限に行使し、研究施設兼居住施設を建造し。
加えて、先日、里沙奪還にダークネスの施設へ乗り込むリゾナンター達へと、戦闘服や移動手段を創造したのだ。

いかに圭が類い希な能力者でも、限界というものはある。
圭は次第に衰えていく力の減少を最小限に留めるために、数年前から能力増強剤を服用していた。

能力増強剤、飲めばたちどころに己の持つ能力を格段に向上する薬。
だが、飲用を続けることで起こる副作用もある。

圭の体を確実に蝕む、老いと苦痛。
自身の限界が近づいていることを悟る圭は、苦痛を堪えながら思考を巡らせる。

これから、今までにない激しい戦いの場へと赴く少女達のために、一体自分は何をしなければならないのか。
残り少ないであろう時間で、どれだけのことを伝えることが出来るのだろうか。


乱れた呼吸を整える。
荷物を移動するだけなら、そう長い時間二人が席を外しているわけではない。

圭はテーブルの上に置かれていたコップに、脇に置いてあった水差しを傾け中身を注ぎ入れる。
白衣のポケットに手を入れ、取り出した鎮痛剤を口に含むと同時にコップに口をつけ、それを嚥下した。


―――薬の効き目が現れるまで、圭はずっとテーブルに突っ伏したままだった。


     *    *    *


最後の客が店を出て行った。
時刻は夜の0時、通常閉店時刻より2時間以上リゾナントを開けていた計算になる。

客が帰った後も、一息吐く暇はない。
大量のゴミを片付け、テーブルと椅子を一箇所にまとめ…一時的ではない、完全な閉店準備に取りかかる。

誰もが無言だった。
物を片付ける音以外、何の音もしない空間。

皆、喫茶リゾナントで過ごした日々を思い返していた。
それぞれの胸に去来する思い出は、どこまでも切なく、それでいて温かかった。

ここに集って、たわいもないことを時間の許す限り話し続け。
戦いに傷付き言葉少なくなる時も、ここで心身の傷を癒した。
些細なボタンの掛け違いから、喧嘩することもあったのだ。


全てが大切で、愛おしい記憶。

深夜にまで及ぶ作業は終わり、仲間達は次々に店の外に出て行く。

二階の居住部分の施錠と消灯を済ませた愛は、一番最後にリゾナントのドアを出た。
その足で裏口に回りドアの施錠を済ませた愛が最後にしたことは、喫茶リゾナントの出入り口へと張り紙をすることだった。


『喫茶リゾナントは閉店いたします。
またいつかお会いしましょう』


CLOSEDの札の上に貼られた張り紙を一瞥した愛は、先に出て待っていた仲間達の方を振り返る。
その瞳には涙はなかった。


「じゃあ、行こうか」


その瞳に涙がなくとも、愛の気持ちは仲間達には痛すぎるほどに伝わっている。
だから誰も何も言わずに、愛の方へと集まる。
今までの思い出を踏みしめるように、ゆっくりとした足取りで愛を囲む七人。

愛はほんの一瞬だけ、小さく微笑む。

ゆらりと揺らめく、鮮やかな黄色の光。


―――それが一瞬強く光ったと同時に、八人の姿はその場からかき消えた。