(33)945 『坂道自転車』

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秋の日は早い。 その速さと競うように進む二人乗りの自転車。

「もうすぐ本格的なレッスンが始まるっちゃね」
「ええそうなんですよね。 始まっちゃうとリゾナントにも中々来れなくなっちゃいますけど」
「リゾナントも寂、いや静かになって万々歳たい」
「ま、私一人がいなくたって十分賑やかでしょうけどね」
「そんなことはないっちゃ」
「田中さん…」
「確かにジュンジュンやリンリンも賑やかかもしれん。
 絵里やさゆにしても、決して静かとは言えないっちゃ。
 ただ小春の声の甲高さややかましさは別格やけん。」

小春と呼ばれた少女は適わないなあというように苦笑いを浮かべる。

「それにしても小春が本格的にモデルの勉強を始めるって言い出すなんて、どげんしたと。 もしかしたら大地震の前触れじゃなかと」

「最初は事務所の勧めで一日だけの体験レッスンを受けたんですよね。  そしたらレッスンの先生にメチャクチャにダメ出しされたんですよ、
 っていうかほぼ全否定されちゃいました。 
 歩き方、立ち方、話し方、立ち居振る舞いの全てを。 あなたこれまでどんなつもりで芸能界のお仕事をしてきたのって」
「その先生って女、男、どっち? それともオカマさん?」
「30前後の綺麗な女の人でしたけど、それが何か」
「小春には小春の良さがあるのに頭ごなしにそんなことを言うなんて許せないっちゃ。 もしも男なら二、三発ぶん殴って」
「止めてくださいよ。  まあ私もその時は腹が立ったんで、 これまでの人生で見てきた中で一番最悪な画像を
 そのオバサンの目に貼り付けてやろうかと思ったんですけどね」
「思ったということはやらんかったと」
「ええ、オバサン散々言ってくれた後で一つだけ、あんたの所作は決まってるって。 
 それは天性のものだろうって褒めてくれたんですよね。 ま、それは貶して褒める、アメとムチみたいなもんなんでしょうけど」
「しょ、しょさ。 何ね、それは一体何のことね」
「所作は所作でしょう。 私もその時は何のことかわからなくて後で携帯で調べて、それでも今イチぴんと来なかったんですけど」

少女は端正な顔に笑みを浮かべながら自転車を漕ぐ女性との会話を楽しむ。


「私がダメ出しをされたのは当たり前。 
 だって私本当に自分の将来のための勉強って何もやってこなかったんですよ。 
 それはお仕事は一生懸命やってきたつもりですけどね。 
 でもそれだって今考えてみるとただ漠然と与えられたお仕事をこなしてただけなんですよね」
「そんなことは…」
「いえ、そうだったんですよ」

会話が途絶え、チェーンの擦過音と息遣いだけが二人を包む。
思い直したように少女が言葉を発した。

「この自転車一度チェーンにオイルを注した方が良いですよ」
「でも買ったばかりとよ」
「リサイクルショップででしょ。 私もチャリには結構乗ってましたからね。 音で判るんですよ、音で」

そうなんかなあと呟きながら小柄な女性は話を元に戻す。

「それで? そのオバサンに褒められて、それでモデルになる勉強を始めようと思ったと?」
「うーん。 そういう言い方をされると何となく私がおだてられるとすぐ調子に乗るバカみたく聞こえるんですけど」
「ははっ、ごめんごめん」
「結局私はどこか自分で言い訳をしながらお仕事をやってたんですよ」
「言い訳?」
「私にはダークネスと戦うという使命があって、芸能界のお仕事の為には最低限の時間を裂くことが出来ないとか」
「それはそうじゃなかと」
「どうせいつかダークネスと命のやりとりをするときが来るから、ダンスや歌のレッスンをしたって無駄になるとか」
「いや、違う。 小春は精一杯やってた。 れいなはずっと見てたからよくわかる」

「何たって月島きらりファンクラブの名誉会員ですからね」


初めて喫茶リゾナントを訪れた時、今自分が腰に手を回しているこの人は、その一見強面の外見とは裏腹に、
臆面もなく自分に対して憧れの視線を向けてきた。
それは自分がリゾナンターに入ってからも続いた。
でも自分が愛佳に対して心無い言葉を吐いた時、真っ直ぐ自分を見据えて―許せない―と言った。
リゾナンターの仲間の中で、この人が一番自分のことを何のフィルタも通さずに見ていてくれたのかもしれない。
そんな人が自分のことを認めてくれている。そのことは素直に嬉しい、でも

「リゾナンターの皆は、ダークネスと戦いながら自分のことを向上させようとしてるじゃないですか。 
 愛佳は学校の勉強を。 ジュンジュンやリンリンは日本語の勉強を。 
 道重さんは大学に通ってるし、亀井さんだって身体と相談しながらだけど将来ケーキ屋を開く為の勉強をしてる。
 新垣さんは仕事のことをあまりリゾナントに持ち込まないけど、必死でやってるっぽいし。 
 高橋さんはリゾナントのお客さんの為に、少しでも美味しいコーヒーや料理を出せるようにと研究してるし」

一気に話しすぎて疲れたのか、ふうーっと一息をついた。

「れいなは何もやっとらんよ。 いやそれはリゾナントでのウエイトレスの仕事は真面目にやってるけど」
「やってきたじゃないですか。 
 私が初めてリゾナントに行ったとき、何でこの店は現役のヤンキーをウエイトレスに雇ってるのかなって思いました。」
「ええっ、きらり、小春はそんな風にれいなのこと見てたね」
「でも今じゃ田中さんの笑顔目当てに来てるお客さんもいるぐらいですから。」
「れいな別にそんな風に意識してやってきたわけじゃないとよ。 
 ただリゾナントに来てくれるお客さんに喜んでもらえたらと毎日一生懸命やってきただけやけん」
「それが大事なんですよ、それが。 私はこれまでどこか醒めてるような態度で仕事に接してきた。 
 それがクールなんだと思ってた。 
 全力を出して100点を取るなら、余力を残して80点を取る方がカッコいいと思ってた。  …でもそれは違ってたんですよ」 
「小春…」

いつしか自転車は止まっていた。


「私も一生懸命やってみたい。 カッコなんか気にせず一生懸命やってみたい。
 例えそれを誰かに貶されたって、バカにされたって構わない。 
 全力で頑張ってやろう。  そう思ったんです。
 そうじゃないと私はリゾナンターの仲間でいる資格が無いって」
「小春はエライっちゃ」
「えへっ、そうですか。 こんなこと言うのは田中さんが初めてですよ。 みんなには内緒ですよ」
「言うっちゃ。 言うに決まってるっちゃ。」

田中と呼ばれた女性は柔らかな笑みを浮かべていた。
言葉とは裏腹に少女の願いを聞き入れようという思いが表情に表れている。

再び自転車は走り出す。

「もうきらりちゃんとは呼べなくなっちゃうんかな。  スーパーモデル、月島きらりさん」
「やめてくださいよ。 少しレッスンを始めるだけなのに。  それにモデルにだってなれるかどうか」
「小春。 なりたいとかなれないとかそういうのは一切無しっちゃ。  なる、ったらなる。 それだけたい」

「…ええっ。 そうですね。
 でも不安なんですよ。 いやレッスンとか仕事とかじゃなくて。
 今までよりリゾナントに顔を出せなくなっちゃって、私の居場所が無くなっちゃうんじゃないかとか」

ブレーキの甲高い音が響いた。
少し急な下り坂が目の前に続く。


「何を言うね、小春。
 そんなことでどうにかなるぐらい弱っちい絆やとか思ってたん、私達の絆を」
「いいえ、そんなことは。 ただ」
「仲間っていうのは始終一緒に居るから仲間っていうんじゃない。
 心と心が繋がってるから仲間っていうんやなかと。 例え小春がどんなに遠く離れても…」
「田中さん。 私そんなに遠くに行ってしまうわけじゃないんですよ。 ただ本格的なレッスンを受けるので、皆と一緒にいる時間が…」
「まあ、いいね。  小春だけやない。
 他の皆もそうたい。  
 これから先どんなことがあったって、例え何が起こったとしてもうちら9人はずーっと仲間やけん」
「ずーーーっと仲間ですか」
「そう、ずーーーーーっと仲間っちゃ」

二人から笑いが洩れてくる。

「まあもしも誰かぶん殴りたい奴が居るけど自分では出来んみたいなことがあったらいつでもメールして。 このリゾナンカーブルーで颯爽と駆けつけるから」
「田中さん。 リゾナンカーってこれただの自転車じゃないですか。 自転車って確か英語で…サイクリングでしたっけ」
「小春、最後の最後まで人をからかうとは何てやつっちゃ。 サイクリングってingがつくからには現在進行形じゃなかと」
「ちょっと田中さんこそ最後なんて言わないでくださいよ。 小春はいつまでもリゾナンターなんですから」
「小春、れいなのことをバカにするのは構わん。 でもリゾナンカーブルーをバカにするのは許せん、小春」
「誰もバカにしてませんって。 それより駅まで送ってくれるんでしょう。 早くしないと電車に乗り遅れちゃう」
「このリゾナンカーブルーがどんだけ早いか、その身体に思い知らせてやるっちゃ。 小春振り落とされないようにしっかり捕まってるっちゃよ」
「ちょ、田中さん、何するつもりなんですか。 危ないですって。 この坂道かなり急ですよ」
「ハハッ、小春は弱虫やねえ」

シャーッ 
三三 三 三ハヽヽ
 三三三 三 *` ロ´)<リゾナンカーブルー・マキシマムブーストオン!!
三 三三 三 O┬O  
三三三 三-ヽJ┴◎
    キコキコキコキコキコキコキコ


「ちょーっ」
急な坂道を駆け下りていく自転車。口をつく悲鳴、軋む車輪、変わる風景、誇らしげな哄笑。
全部、全部、グルグルと回って、でも解け合うことは無くバラバラと細いタイヤに踏み砕かれていく。
やがてそのスピードが緩む。

「なんでブレーキをかけないんですか」
「ブレーキを使ったら負けだと思った。 さあもう1回ブーストオン!!」
「ちょっと、やめてーーっ」

叫びながら少女は思っていた。
この感覚を共有できる限り、私はいつまでもこの人と繋がってるんだろうなあ。
青い自転車が進む。
不安を、憂いを、躊躇いを踏み砕きながら進む。
頼りなげでそれでいて明確な未来へと向かって。