(36)398 『ヴァリアントハンター外伝(8)』

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目の前で、小さな女の子が泣いていた。
空港だった。
女の子の傍らの床には、彼女の体躯には不釣合いなほど大きく膨らんだリュックが置かれている。
涙を溢れさせた大きな瞳は、やはり自分と同じ遺伝子を引いているのだろう、
泣いていながらそれでもどこか気の強そうな鋭さを持っている。
藤本れいな。
いや、今日からはもう田中れいなか。
美貴はこれから遠方の地へと養子へ出されるまだ三歳の妹を、
自身も泣きそうになるのをこらえながら、なだめるように抱きしめた。
父や母も姉妹の抱擁に混じり、「ごめんね、ごめんね」と呟きながら辛そうに顔を歪めている。
やがて遠慮がちに田中のおじさんが飛行機の搭乗時間が迫っていることを告げ、
れいなは気丈にも涙をぬぐい、笑顔を見せておじさんの手を掴んだ。
まだこんなに小さいのに、この子も自分の置かれた境遇は理解しているのだ。

「待って!」

何度も振り返りながらゲートをくぐろうとする小さな背中を呼び止め、
美貴はもう一度れいなのもとへ駆けた。
不思議そうに見上げてくるれいなに、
美貴は自分の首にかけていたペンダントを外して差し出した。


「みきねえ、これなぁに?」
「おまもり。ちゃんと本物だからね」

小さな水晶がトップについたそれは事実、
美貴が守護のルーンを刻み魔力をこめた本物の魔除けだった。
違和感は、その直後。
れいながペンダントに触れるか触れないかという瞬間、目の前で何かが砕ける、いや消滅するような感覚にとらわれた。

「ありがとう! たからものにするね!」

その違和感もしかし、妹の弾けるような笑顔の前で簡単に消え去った。
そうして今度こそ、れいなはゲートをくぐり遠く福岡の地へと旅立っていった。


  *  *  *


目を覚ますと、愛想のない真っ白な天井が見えた。
腕に異物感を感じて視線を移すと、点滴のチューブが繋がっている。
清潔なベッドに寝かされているし、どうやら病院だと認識する。
ふと首元に寂しさを感じて、慌てて周囲を見回した。
だがサイドテーブルに探していたものを見つけ、安堵の息をついて手を伸ばす。
小さな水晶に黒革の紐を繋げただけの簡素なペンダントだ。
れいなが手にした瞬間からその効力は消えているが、
元は正真正銘の魔力がこもった御守だった。
効果がなくとも今なお肌身離さず持ち歩いている、れいなの宝物だ。


「田中さん、目が覚めたんですね!?」

扉を開いて目を丸くした看護師が廊下へ取って返した。
おそらくは医師を呼びにいったのだろう。
はて、自分はなんでこんなところで寝ているのか――。
ペンダントを首に回し、意識が落ちる前の記憶を整理して、れいなは跳ね起きた。

「そうだ、美貴ねえ!」
「やーっと起きたんか、この寝ぼすけ」
「怪我で言ったら絵里たちの方が重傷のはずなんですけどねぇ」

声をかけられて隣を見ると、病室に三つ並んだベッドにはれいな以外にも二人、
それぞれ高橋愛と、あの時の狙撃手――ベッドに掲示された名前を見るに亀井絵里が寝転んでいた。
二人とも服の上から見えるだけでも頭や腕や胸部に包帯を巻いている。

「え、あれ? なんでお二人が……?」
「……気ぃ失ってたんやから仕方ないとはいえ、
 そこまでボケたこと言われるとやっぱ腹立つな」
「え。はい?」
「こっちも命がけだったんですよ……。」

聞けば、あのあと二人はすぐに現場から逃走はせず、
離れた位置から亀井の超感覚"鷹の目"を使って戦闘の状況を窺っていたらしい。
電源が切れて"後藤真希"に滅多打ちにされているれいなの窮地を見て、
亀井の超遠距離狙撃で敵を引きつけ、隙を見て高橋が瞬間移動でれいなを回収してくれたと言う。
無論、相手は前例がないレベルとはいえヴァリアントだ。
"能力殺し"を持たない二人はかつてない強固な障壁に苦しめられ、
現場付近まで駆けつけた紺野の運用車で命からがら逃走できたようだ。
ちなみにここは中野区にある警察病院だとか。


「ま、あんだけの飛行速度持ってるアレがなんで車を背後から吹き飛ばさなかったのかは謎やけど」
「そ、それはどうも、ありがとうございました……。」

それがどれだけの苦闘だったか、実際にアレと対峙した経験と
二人の傷の具合から、れいなはどう礼を述べたものか思案したが、結局は月並みな台詞しか出てこなかった。

「別に礼はいい。ただアンタ、アレが後藤さんやなく別の何かやって断言してたしな。
 情報が欲しいから助けただけや」
「まーた悪人ぶってる。
 そんなこと言って愛ちゃん、田中さん助けようと一番必死だった癖に」
「……るっさい。アレと近接戦なんてするならあーしやなくても必死になるわ。
 それと、愛ちゃんはやめろって何回言わすん」

高橋はやや頬を赤らめて亀井に枕を投げつけているが、
確かに情報が欲しい程度の動機でアレの前に立つなど生半可な覚悟で出切ることではない。
存外に良い人かもしれない、という推測はあながち間違ってはいなかった。
性分なのか口では偽悪的なことを言っているが、
この人もこれだけの傷を負ってまで知り合って間もない他人を助けてくれる人種なのだろう。
と、そこで改めて二人の傷を見た。
包帯で覆われているが、ギプスがないから少なくとも手足の骨折などはしていないようだった。

「あの……、助けてもらってなんなんですけど、お二人はどうして"その程度の"怪我で済んでるですか……?」


敵は高橋を殺すことに微塵の躊躇いもなく周囲のビルが崩壊するほどの一撃を放ってきた相手だ。
いくら二人が凄腕のヴァリアントハンターだとは言っても、骨のひとつも折れない軽傷で済むわけがない。
れいなの回収に集中し、二人の連携がどれほど巧く噛み合おうと、
この程度の怪我で済んでいるのには何らかの必然が無ければおかしい。

「いや、ここに運ばれた時はまさに虫の息っていうか、
 紺野さんが車で運んでくれなきゃ失血死してたろうってくらい重傷だったらしいんですけど」
「義肢は千切られるわヒビ入ってない骨探す方が大変だわ、
 駆動鎧(スーツ)に守られてたアンタと違って外傷だけならこっちのがヤバかったんよ」
「へ?」

れいなはいまひとつ話が掴めず首を傾げる。
まさか医者に治癒魔術の心得があるとも思えないし、
それならなぜ今の二人はここまで回復しているのだろう。

「あー、そか。肝心なこと言い忘れてた。あんた、――1ヶ月近く眠ってたんよ?」
「1ヶ月!?」
「そ。そんでその1ヶ月の間に、」
「世間の情勢はえらい変化したんやで?」

不意に声のした扉を振り返ると、そこには中澤裕子が佇んでいた。


  *  *  *


美貴が魔道協会の魔術師として正式に登録され、
初仕事を経験したのはれいなが養子に出されてから二年後、十歳の時だった。
両親は別件で忙しい身なので、サポートには経験豊富な別の魔術師がついた。
仕事の内容は、協会から出奔した後に太平洋上の小さな島の漁村に身を隠し、
人間ベースの合成獣(キメラ)の創造という悪質な研究に没頭している魔術師の抹殺だ。
美貴が行うのはまぎれもなく殺人行為だが、覚悟はできている。
世の中には、生かしていては他の大勢の死を招く存在がいるのが事実。
なら、善良な多数を生かすべく悪質な少数を殺すのは致し方ないこと。
そしてその役割を担うべきは、自分のように他人にはない力を持った人間だ。
だから覚悟はできている。少なくとも美貴自身はそのつもりだ。

「おう新人。あんま気ぃ張りすぎると、本番で力出ねぇぞ」

それでも緊張が態度に表れていたのか、島に向かう漁船の中でサポート役の魔術師が声をかけてきた。
全身に黒い幾何学模様のタトゥーを刻んだ若い白人の男で、
言動にどこか軽薄な印象を受けるが根は良い人間らしく、両親からの信頼も厚い。
実際、タンクトップから覗く鍛え抜かれた筋肉に刻まれたタトゥーはどれも肉体強化等、
戦闘用の術式を組み込んだものであるし、くわえたタバコのフィルターにすら炎熱系の陣を刻んである。
陣は小さいが構成に無駄がなく、魔力をそそげば緊急時には灼熱の炎を生み出せるだろう。
彼がサポートについてくれるのなら安心だ。
元より今回の標的は戦闘に特化した魔術師ではない。
協会に反旗を翻したのだから研究施設の要塞化くらいはしているだろうが、
要塞粉砕のノウハウくらいは美貴も熟知している。


「ま、この手の汚れ仕事は慣れだ、慣れ。
 俺も最初ん時は自分の殺した人間の死体見てげぇげぇ吐いちまったもんさ」
「ミ、ミキはそんなはしたない真似しないもん」
「ほーう、流石は名門藤本家の虎の子。その調子なら俺の出番はないかもなぁ」

快活に笑う彼のおかげで緊張は幾分か和らぎ、美貴もかすかに微笑を浮かべた。

   *

「あら先生のお友達? ええ、村中みんな感謝してるのよ。なにせこんな辺鄙な村でしょう、
 お医者様なんて遠くの街まで行かなきゃいなくって」
「おお、先生には世話になってるぜ。前に流行病が村に蔓延した時なんかも、
 先生の調合してくれた薬のおかげで一人も死人が出ずに済んだんだからな」
「ぼくのおかあさんずっと寝たきりだったんだけどね、先生ただで診てくれて、
 ちょっと入院しただけでおかあさんすぐによくなったんだよ?」
「いやあ感謝しとるよ。わしゃあずっと脚が悪くてのぉ。
 それが先生に診てもらった途端、また海で漁ができるくらいになったんじゃ。
 調子は脚が悪くなる前よりむしろ良いぐらいだよ」

漁村に到着後すぐ、件の魔術師について聞き込みを行った結果得られた情報はこういった類のものだった。
標的は大胆にも漁村のすぐ裏手の山に病院施設を建造し、同時にそこに居住しているらしい。

「……なんか、想像してたのとずいぶん違うね。
 誰も彼も良いお医者さんってイメージ持ってるし、特に暗示系魔術の痕跡もないし」

屋台で遅い昼食を取りながら、美貴は率直な感想を漏らしてみた。
会話は周囲に理解できないよう英語を用いる。

「いや、医者とか薬屋ってのは魔術師が本性を隠すのにゃ使い古された伝統的な手段だ。
 おまえは戦闘魔術に特化したやつが周囲に多いから知らんだろうが、
 自身の研究に没頭するタイプの魔術師って奴ぁ狡猾な上に陰湿だ」


「ってことは、村人にはわざと善人を装ってるってこと?」
「その方がなにかと都合が良いんだろうよ。
 しかし、村人の様子を見るに……こりゃ、思ったより厄介なヤマになるかもな」
「? どーゆーこと?」

意図の掴めない発言に美貴は眉をひそめたが、
サポーターは「あくまで可能性の話だ」と言ってそれ以上は言葉にしなかった。
納得がいかずなおも食い下がる美貴だが、

「……直にわかる。さ、とりあえず仕事を片づけんぞ。さっき使い魔の鳥が山の方に飛んでった」
「え、うそ!?」
「俺らが島に着いた時から見られてたぞ?
 ああいう手合いは逃げ足も速い。今頃はもう身支度整えて出発準備OKってとこだろ。
 ま、俺の使い魔の蛇に鳥を追わせたから相手の位置はわかる」

それだけ言うとサポーターは立ち上がり、二人分の代金を置いてさっさと山の方へ歩いていく。
美貴もあわてて口に含んでいたものを水で流し込み、その後についた。

   *

ドサリと、干からびた人間の死体が山中の土に倒れ伏した。
あっけない。
それが美貴が初めて魔術師を、人間を殺めた時の感想だった。
周囲には蒸気が立ち込めている。

「お見事。けど魔力は温存しとけって言ったろ。お前なら心臓か動脈あたりの血液凍らせるくらいで十分だったんじゃねぇか?」
「ううん。ミキの素養って元々水だもん。氷結は術式が複雑な上に局所的に狙おうとすると多少時間もかかるから、
 人間相手の近接戦なら全身の水分まとめて沸騰させた方が楽なんだよね。
 原理もまあ、科学的には人体内の水分子の振動を激化させて温度上げるって単純なもんだよ。
 同じ原理で逆に凍らせるって手もあるけど、脳に熱持たせた方が敵の反撃の余地潰せるし」
「なるほど、水限定だが原理は電子レンジみたいなもんか。末恐ろしいお子様だ」


「で、魔力の温存ってどうして? もしかして他にも魔術師がいるとか?」
「いや、魔術師はいない。ただ――」

言うが早いか、サポーターはくわえていたタバコを山の上へ向けて放り投げた。
タバコはたちまち燃え尽き、灼熱の炎となって数十メートル離れた位置の木々を焼き尽くす。

「ちょ、いきなり何して――」
「よく見ろ」

ドサドサと、焼け焦げた木々の上から人間の焼死体が十数体ほど落ちてきた。
――否、人間ではない。
骨格は人間に近いが、どれも鋭い爪や不自然に太い片腕などを持っているのが強化した視覚で確認できる。
ほとんど焼けてしまっているが、そのすべてが同じ衣服、手術用の貫頭衣のようなものを身につけていた。

「あれって……。」
「忘れたか。標的の研究内容は人間ベースのキメラの創造。
 おおかた、自分が死んだら自動的にスイッチが入るように細工してあったんだろ」
「じゃあこの人達は――」
「入院してた患者だろうな。そんで、おそらくは村の連中もほぼ全員こういう細工をほどこされてると見て良い」
「な、なんでそんなこと言い切れるの!?」
「聞き込みの証言にあった流行病。そんで、それを治したのがこの魔術師。
 病を流行らせたのはおそらくコイツだろう。とんだマッチポンプってわけだ。
 患者の中には寝たきりから復活した人間、悪かった脚が以前より良くなった人間もいた。
 おそらくはキメラ化の副作用で身体能力が向上したんだ」
「そんな」
「良いか、よく聞けよ新人。この村は丸ごと全部がキメラにされてる。
 しかもご丁寧に施術者の死後は術者を殺した者に向かうようプログラム済みだ。
 コイツの持ち出してきた研究資料を見るに救済は不可能。
 筋書きはこうだ。山中の病院から原因不明の出火。
 火は山の木々に次々と燃え移り、一夜にして麓の民家まで焼き尽くした。生存者はゼロだ。
 細かい工作はロンドンに手配してもらう。とりあえず今は――村の人間を殺し尽くすぞ」


  *

右半身が熊の剛毛に覆われ、もう半身は生気を失った人間のままという人外を、
美貴は海水を凝縮して象った刀の切っ先で八つ裂いた。
武装としてバックパックには弾頭にルーンを刻んだ9mmパラベラム弾とMP5サブマシンガンを入れてあるが、
敵の脅威の度合いと事後処理の煩雑さを鑑みるに魔術兵装のみで十分と言えた。

「クソッ!」

チーターの遺伝子を移植され、猛スピードで飛び掛ってくるキメラを、高圧で撃ち出した水の弾丸で貫く。
百メートルほど離れた位置ではサポーターが素手でキメラの頭蓋を割り、
集団で襲い掛かってくる連中を炎の奔流で焼き尽くしている。
罪のない村人を救うために来たというのに、
現実にはその村人を虐殺している自身に歯がみして、美貴は舌打ち混じりに周囲の人外を水の刃で薙ぎ払う。
襲い掛かってくるキメラを次々に屠りながら、美貴は民家を一軒一軒覗き込んでいた。
せめて一人でも。一人でもこの厄災から逃れられた人間はいないのか。

「誰か! 無事な人はいないの!?」

すでに日は落ちている。
民家に灯りはなく、祈るような気持ちで民家を覗く。

「たすけて」

それは微かに、しかし魔術によって増幅された美貴の聴覚へ確実に響いた。
障害となる人外を無我夢中で斬り捨てながら、
美貴は声のした民家へと踏み入った。
民家は狭く、ただひとつのテーブルの下でカタカタと肩を震わせる小さな影を見つけた。

「無事なの!?」
「おねえちゃん、誰……?」


影の正体はまだ小さな子供、ちょうどれいなくらいの年頃の女の子だった。
恐怖に怯えて涙を流し、まだカタカタと震えている。
安心させるようにゆっくりと、肩に手を置いてこの土地の言語で話しかける。

「大丈夫。お姉ちゃんはあなたを助けに来たの」
「本当……?」
「うん」
「みんな、みんなどうしちゃったの? お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、
 みんな急に怪物みたいに……それで外に行っちゃって――」
「大丈夫。大丈夫だから」

美貴が殺したキメラの中に、彼女の家族も含まれていたかもしれない。
その後ろめたさを隠すように、美貴は少女の身体を抱きしめた。

「おい新人! どこ行った!?」

外からサポーターの声が響いてくる。
気づけば喧騒も収まっていた。
どうやらキメラ退治は片づいたらしい。

「ここ! 生存者も一人!」

声を張り上げると、ほどなくしてサポーターも室内に入って来た。
美貴の腕にすがるようにして立っている少女に目を向け、

「生存者か?」
「うん。キメラ化の兆候もないし、あの病院にかかったこともないって」
「そうか」


パンッと、乾いた音が木霊した。
左腕にかかっていた少女の重みが忽然と消える。
少女は床に倒れ、その額には赤黒い弾痕が穿たれていた。
ツ、と弾痕から一筋の血が流れ落ちる。
少女の表情は涙に濡れた瞳を見開いたまま停止している。
即死だ。事態を理解する暇もなかっただろう。
こちらに向けられたサポーターの右手から、拳銃の硝煙が立ち昇っている。

「な、にを」

美貴が状況を整理し、怒声を浴びせようと口を開いた時には、
すでにサポーターの顔が眼前まで肉迫していた。
腹部に容赦のない一撃を喰らい、呼吸が詰まりくず折れる。

「言ったはずだろ。生存者はゼロだ」

延髄への一撃で意識を絶たれる寸前、美貴が聞いたのは氷のように冷たいその一言だった。