(37)221 「Sugao-flavor」

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ずっと昔。またはずっと未来。来ない日。来る日。ある日のこと。
言葉。嘘。本当。幻と現実。

闇は光を隠し、光は闇を映し。
闇が光を返せと問い詰め。光が闇を返せと問い詰める。

暗闇の使者は、夜空に浮かんで、光って消えた。臆病に笑って、卑屈に笑う。
何も確かなモノはないと。終わる事だけが、全てを失くす。

やがて太陽が空を焼き尽くす頃。
答えを求めて彷徨う少女は―――星の煌く夜に出会った。



午前十時。曇った空。灰色の雲。
相変わらず変な天気が続いている。
時季が時季のせいで唇がかさかさ乾き。左の頬に分かりづらいニキビが出来た。

あー、最悪。

1週間ぶりの授業も聞かず、久住小春はそんな事を気にしていた。
年明けに全国模試があるが、まぁなんとかなるだろうとぼんやり思う。
冬休みもほぼ仕事で潰れるのだろう。
いつもの事だが、何日か休暇を取ったとしてもどこへ行いけば良いのか分からない。

退屈にもてあます時間。
結果的に、小春の目下の悩みは、他人にはどうでもいいような事だった。
本当に、自分以外の他人には全くもって関係ない。

 それに、誰が自分の事を気にするのだろう?

月に2、3回来れれば良い方の高校生活。成績も運動も、良くも悪くも無い。普通。
顔は……それなりに綺麗な方なのだろう。
だが五年経って卒業アルバムを捲っている時に、「あれ?こんなヤツいたっけ?ま、いいか」
と言われるかもしれない。
クラスに居たことさえ忘れられているのだろうか。

 まぁ、別にそれでも良いかもしれない。

別に、印象がいい訳でもないのだ。
目立つ事をしている訳でもない、校内では大人しい部類でもある。

 ……なんだかなぁ。



よけい気が滅入ってしまい、溜息が出た。すると、教室に怒りを含んだ声が鳴る。

 「―――おいっ!」

少し驚き、小春は黒板の方に目を向けた。じっとこちらを睨む国語の教師と視線がぶつかる。
上の空で全く授業を受ける姿勢を見せていない小春に怒っているらしい。

 「おいっ!……えぇっと……」

勢いよく怒鳴った教師だが、急に失速した。なにやら、手元の名簿に目を落としている。

 知らないで当然だろう。

人前に出る仕事をしているが、こうして高校で自身の"もう一つの顔"が知れ渡っていないのも。
この先生がクラスの担当になってから数ヶ月も経つのに、名前さえも一致出来ないのも。
全て事務所、否、小春がそう望んだからだ。

 面倒ごとは嫌いなのだ。変に人目を気にする生活などしたくない。
 それがたとえ、他人と接点を交わる事が無くなるとしても。

心の中で毒づく。
しかし小春は顔にも出さないため、そんな事を知る由も無い教師は、小春の座席と名簿の
名前をようやく一致させ、くどくどと説教を始めた。
緊張感がないだの、こんな事をやっていうとあっという間に卒業だの。
おまえらの先輩は今必死でうんたらかんたら。

だが、小春の耳は左から右へスルーしてしまう。意味の無い話など、聞いても無駄な事を知っている。
そんな小春を、周りに居る生徒は聞こえないとでも言うように教科書へ視線を落としていた。

 ―――全てが、どうでも良かった。



其の日、小春が学校を出たのはいつもより一時間も遅い4時近く。
国語の教師に、放課後呼び出されたのだ。
授業中に叱り付けただけでは足りず、というより、他で機嫌が悪かった教師は
完全に小春のことでキレてしまった。小春にしてみればいい迷惑だ。
早く切り上げなければ仕事に間に合わなくなる。
そうなればまた怒られるのだ。

 仕方が無い。

小春は溜息を吐き、それを見た教師がまた口を開こうとした時、違和感を覚えた。
だがそれも一瞬、教師は自身の思う全てをぶつけるように語りだす。
途中から涙を流す教師を見つめる無表情の小春。

 ―――教師は気付かない。一瞬過ぎった違和感の意味を。
  周りに居る他の教師が、誰も居ない椅子に必死に語りかける姿を見て怪訝な表情を浮かべているのを。

外に出ると、既に薄暗くなっていた。
まだ春になったばかりの空は、先急ぐように暮れる。
授業が終われば、さっさと家に帰るか、仕事へ向かう毎日。

太陽が低くなり、明るい時間が短くなっていた。
暗い闇の時間、夜が続く。長い、暗い、時間。

 「ハァ…」

呼吸とも溜息ともつかない、息を吐く。
電車通学である小春は、帰るのとは逆のホームに立ち、電車を待つ。
吹きさらしのホームに、肌を刺すような冷たい風がスカートを揺らす。
その目の前を違う高校の女子生徒が過ぎていく。



紺のダッフルコート、丈の長くも短くもないスカート、そして―――傷んだ鞄と靴。
丈の長いマフラーと、スカートを短く折り込む小春とは違い、随分と地味だった。
間もなくして電車がやってくる。
ホームに居た人々を呑み込み、電車は走り出す。

あの女子生徒は窓のすぐ近くにもたれかかり、俯いていた。
まるで顔を隠すかのようにマフラーを顔に巻きつけるその姿を逸らすように、外へ視界を向けた。
中の気温差で曇るガラス窓。
ふと、その隣にはその女子生徒と同じ制服の二人組が居る。

まるで他人に―――あの女子生徒に聞かせるように中傷的な言葉を話す。
当然、誰も其れを注意しないし、しようとも思わない。

 関係が無いから。他人だから。
 知らないとでも言いたげに、ある人は眠りに落ち。ある人は眠るフリ。

小春の隣に居る女子大生風の彼女は、ヘッドフォンから流れる音楽を聞き入る。
ステレオのヴォリュームを上げたのか、チャカチャカと鳴るリズムから、微かにメロディが聞き取れた。
小春の知る曲。
この間、仕事の関係でラジオ番組に出演した時、偶然流したものだ。

日本語で、歌詞もその内容も幸いにも理解できたし、舌ったらずの声で女の子が唄っていた。
聞こえてくる微かなメロディに合わせて、小春は無意識のうちに口ずさむ。
歌詩を繰り返しているうちに、小春の中で何かイメージのようなモノが浮かぶ。

途端、不快な笑い声が例の二人組から聞こえてきたかと思うと、あの女子生徒は
どこか泣きそうな表情へと変わっていた。だが周りの他人は何もしない。
小春は睨みつけるようにその二人へと視線を送った。
一人がこちらに気付いたかと思えば、甲高い悲鳴が上がる。


 「ど、どうしたのっ!?」
 「む、虫っ、虫が…!!」
 「はぁっ?」
 「取って取って!き、気持ち悪い!!」

バッバッと全身から何かを払うように暴れる女子に、もう一人の女子は困惑した表情を浮かべる。
落ち着かせようとするが、女子は半泣きになってなおも暴れまくる。
周りに居るサラリーマンや、隣に居る女子大生は変なものを見るような視線を向けていた。
数分後、電車が駅へと到着すると、何かから逃げるように女子は走り、途中で転びながらも駆け出す。
「待ってよぉ!」と、もう一人の女子が情けない声で追い掛けて行ったが、背後から聞こえる
嘲笑的な笑声に耐えられなかったのもあるのだろう。

先ほどの女子生徒は、急に暴れだした女子を見てぽけーっとしていた。
小春はそんな姿に見向きもせずに、電車から降りる。
百貨店やデパート、カジュアルショップの多い通りに、冷たい風が吹き込んだ。

 「さっむ…」

背中を丸め、身を小さくする。通りを歩いていき、あと5分もあれば仕事場だ。
午後四時十五分。
暗い空と明るすぎるライト。照らし出されていた一軒の洋服店。
小春と同世代の女の子が、あれこれと服を手にとっては、身体に当てたり友人達と笑い合う。

 青春真っ只中。友人と一時の幸福にただ喜んでいるだけにも気付かず。
 どうでも良かった。
 自分が死んだって、居なくなったって、泣いたり悲しんだりする友達なんか居ない。
 結局、忘れられてしまって、それで終わりなのだ。

ディスプレイされた服は襟が可愛く、ボタンラインにフリルが控えめに付けられている。
こんな服は、自分を可愛いと思う人しか着ないだろう。自分には似合わない。
仕事では着るかもしれないが、私服では一生着る事の無ないものだ。
―――先ほどの女子生徒なら、どう思っただろう?


 「…なに考えてるんだろ、私は……」

不意に予定時刻を思い出し、小春はお店を後にした。


仕事を終え、家に着く頃には、もう八時を廻っていた。ただいま、などという言葉は無い。
この時間、父親はまだ会社から帰ってきていない上に、母親もまたしかり。
共働きであるため、この時間でさえも帰ってこない事など珍しくも無い。

リビングの電気を付け、カバンを茶色いソファに放り投げ、小春は腰を下ろす。
テーブルの上にあるリモコンを取り、パチパチと切り替えた。
とりあえず、情報系のバラエティ番組をぼんやりと眺める。
置いてあった母親の伝言をクシャクシャに丸め、ゴミ箱に放り投げだが入らず。
立ち上がると、洗面所へと向かった。

両親が建てた夢のマイホーム。
無駄に機能的な洗面台。蛇口を捻り、冷たい水が溢れ出た。
手が痛いくらいの温度と、体温。冷えた手は寒いと訴える―――


 ―――このまま、凍死でも出来ればいっそ楽なのに。

死んでみたくなる。
だから、夜の世界へと足が動いたのだろうか。

月明かりは揺ら揺らで。小春は手を伸ばす。
空の果てで息を吐けば、屑星がまた堕ちて、消えていった。
嘘だったのに。伸ばして、話した。
メロディを唄い、鳴らし、月明かりは揺られる。彼女は手を伸ばす。


いつか、小春は夢を見た。多分、夢だ。
とてもリアルで、それは、本当に現実になった。
だが触れて初めて、その冷たさを知る―――そんなリアルなら、流れて消えてしまえば良いのに。

 「今日も、良い月やねぇ」

いつの間に居たのだろう。背の低い女性は、明後日の方に向かって言った。
川のせせらぎを聞きながら、大きな石に座って。

 「人ってな、時々、自分が今、何処におるか判らんくなるんよ」

訛りっ気のある、だが偉そうに言う口調とはかけ離れすぎる可愛い声。
綺麗な人だと、思った。

 「でもそれは判らないんやなくて。きっと知らんだけ。
 判っとったら、誰も夢なんて見んくなるでの。気付いたところで、それは今更や」

オトナびているようで幼い声。ふと、女性は小春を見つめ、ニッコリと笑った。

 「判らんことばかり。許せんことばっかり。それでも呼吸して、急いで、もがいて
 必死に這いつくばって、捨てたはずの弱い自分でまたつまづく。
 傷ついて、俯いて、うそぶいても、呼吸はするんや、人間っていうんは」

内容があまりにもさっぱり過ぎたが、まるで女性は、嘆くように言っていた。
自身を、この世界を、そして―――小春を。
何も言えず、小春はただ、耳を傾けた。


 「間違う方が多いんよ。いつも正しさに導かれてる方がおかしいんかもしれん。
 でもな、それも歩くための軌跡なんよ。
 朝陽が昇る頃、きっと気付く。呼吸して、ここにおる事を。
 光に目を背けず、眩しさの向こうに手を伸ばしてみて。きっと、そこにはちゃんと存在しとるから」
 「…誰なの?」
 「あーしな、"声"が聞こえるんよ。あんたみたいな、その不思議な"チカラ"と同じ」
ささやかな風に揺れる髪。
向こうの空には三日月が浮かび、星の光が瞬く。その下で、二人は出会う。
女性の表情はとても哀しく、だけどとても綺麗だった。
 「あんたの気持ちは、全部は判らん。でもこれから、ちょっとずつ教えてほしい」
人を好きになる事。弱い自分。
愛されたいと願い、愛されないと思ってしまっていた。
なのに小春は見てはいけないモノを見てしまったように、逃げ出した。
振り向きもせずに走っていた。
いつだって、自分の世界から逃げることだけを考えていた。
今になって思い知らされる。
 『誰か、ねぇねぇ誰か』
 私は、ひとりきりなんかじゃない。皆、同じだった。
手を伸ばせば、すぐにでも手を繋げる。
大嫌いって言ったら、大好きになる事を知った。
自分を見ていてくれる人が居ることが分かった。ひとかけらの勇気を感じた。
怖くて、寂しくて、情けなくて、惨めで。
みんな同じように弱くて、誰かを必要としているのなら、手を広げて、触れてみよう。
背中の声を、翼を、命一杯抱きしめてくれる人が居るのを知っているから。



 唇からこぼれる溜息が、風に滑っていった。

玄関を開けると、喫茶店の来店の鐘が鳴る。
ほどなくして、活気のある声が飛び交い、小春を迎えてくれた。
8人のさまざまな表情と、さまざまな声の色。

あの日から一週間ほどした後、仕事がある時は、こうして朝食を取ることが日課になった。
初めは、あの女性への興味からだったが、人が増えるたびに、視界が広がっていった。
笑い飛ばす日々。
昨日と明日の繰り返しだが、確かにそこには在った。

目を閉じ、耳を澄まして、嘘をつけない声を呟く。
遅刻するで、と女性の声。今日は7人のそれぞれの声と色が混じる。

 「いってらっしゃい」

何も怯えることは無い。

 「いってきます」

いつもと同じ道。仕事場近くの道路。
信号待ちで佇む女子生徒。
切り過ぎた髪をどこか気にするように歩き出す。その背中へと、声を掛けた。

 「おはよう、ミッツィ」
 「あ、おはようございます、久住さん」



女子生徒は微笑んだ。俯く事も、戸惑う事もなく。
互いにニッコリと笑った。
耳を塞ぐ手を離して、二人の足跡が聞こえる。あっという間に、分かれ道が見えてきた。

 「それじゃあ私こっちなんで」
 「あ、うん」
 「いってらっしゃい」
 「…いってきます」

手を振り、笑顔で見送ってくれるその姿に、小春もまた、笑顔で手を振った。

やがて太陽が空を焼き尽くす頃。
答えを求めて彷徨う少女は―――星の煌く夜に出会った。

答えはきっと―――無い。