(39)725 『Inner heated “FLAME”』



「おっ、どーもどーも。わざわざありがとうございます」

白衣の裾をひるがえしながら立ち上がり、小川麻琴は自分の研究室への“来客”をにこやかに招き入れた。

「いやー、“氷の魔女”にご足労いただくなんて恐縮です」
「そんなお為ごかしの挨拶なんかいらねっつってんだよ。とっとと本題に入れ」

無愛想にそう返す“氷の魔女”――藤本美貴に「相変わらず冷たいですねー」と屈託なく笑い返しながら、小川は今しがたまで自分が座っていたデスクに戻る。

「これなんですけど……どっすかね?」

その言葉とともにマウスが操作され、直後にディスプレイに浮かび上がったのは一枚の写真だった。

 廃墟らしき建物の一室。
 ニヤニヤと品のない笑いを浮かべる数人の男。
 そして、その男たちに左右から両腕を押さえ込まれ、顔を上げさせられている一人の女性―――

「ああ、この子だよ。間違いない」

一目見てあっさりとうなずく藤本に、小川は念押しするように尋ねる。

「ちゃんと見てくださいよ?藤本さんを信じてないわけじゃないですけど、なんせ6年も前のことなんですから」
「だから間違いねーっつってんじゃん。大体さ、コイツらこの後この子にボコられたんだよね?だったら疑いようもなくない?」
「あはは、それはまあそうなんですけど念のためですよ。その肝心のコイツらがよく覚えてないなんて言うもんですから。…でも、間違いないわけですね。なるほどなるほど」
「嬉しそうな顔して物好きなやつだな。ってか研究用のサンプルなら6年前に何体か持って帰ってあったはずじゃないっけ?」
「それはそうなんですけどわたしは生きてる個体が見たいんですよ。藤本さんはみんな殺しちゃうからなあ」
「ハァ?みんなとか言うな。大半はあたしじゃないんだから。それにあたしだって別にいつも殺したくて殺してるわけじゃないっての」
「あれ?そうなんですか?」
「あれ?じゃーねーよ当たり前じゃん。あのときの“獣人族”のやつらだって抵抗しなけりゃ殺さずに済んだのに。一緒にいたあの男も」
「へぇ~“氷の魔女”にも温かい血が流れてたんですね、意外にも」
「……あんたも殺されたい?」


凍てつくようなその視線を、とぼけた笑顔のまま軽い謝罪の言葉一つで受け流した後、小川はふと心もち真顔になった。

「お分かりかとは思いますけど…このことは大声で言いふらしたりしないでくださいね」
「んなことわざわざ喋る相手もいないっての。それより…そっちこそ約束を忘れんなよ?」
「分かってますって。『永遠』はわたしの目標の一つでもありますからね」
「目標の一つ……ねえ。ま、あたしは自分の望むものさえ手に入るなら、あとはあんたが何しようと別にどうでもいいけど」
「ともかく、もしかしたらこれでその研究も一歩前進するかもしれません。ありがとうございます」
「じゃ、あたしはもう行くから」

来たときと同じように素っ気なく部屋を出て行く藤本を見送った後、小川は白衣のポケットから携帯電話を取り出した。
その顔には、好奇の表情がありありと浮かんでいる。

実のところ、研究自体に新たな「生きている個体」はさほど必要ではない。
サンプルの中には、いわゆる「脳死」状態ではありながらも生物学上は「生きている」ものもある。
本当のことを言えば、研究にはそれで十分だった。
だから、ここから先は自分の「趣味」とでも表現するのが実情に即していると言えるかもしれない。

しかしそんなことを“魔女”にわざわざ言うつもりはもちろんなかった。
利用できるものは何でも利用すればいいのだから。
とはいえ“魔女”との約束を違えるつもりはない。
もしも自分の研究の途上で『永遠』に近づくことができる成果を得られたならば、喜んで実験台になってもらうだろう。

「あ、わたし。早速だけど、ちょっと一人連れてきてほしいのがいてさ」

電話が繋がり、小川は軽い口調で話し始める。

「うん、やり方は任せる。後腐れのないやつらを使ってさえくれれば。対象(サブジェクト)の画像ファイルは今から送るよ。ただ、一筋縄じゃいかない相手だからそのつもりで」

だがその思考は、既に自身の研究のことへと飛んでいた。

「何しろあの“獣人族”の―――」


    □   □   □

「高橋サン!ジュンジュンのトモダチデス」

勢いよく開けられた扉に取り付けられたベルが勢いよく音を立てる中、それにも増して勢いのいい声が開店直前の喫茶「リゾナント」に響いた。

一体何事かと振り返った高橋愛の目に映ったのは、先日廃墟となったビルの一室で知り合った中国人、ジュンジュンこと李純。
そして、その隣に立つ小柄な一人の少女の姿だった。

「アー、はじめましてこんにちハ。この前中国から来まシタ銭琳言いマス。リンリンと呼んでくだサイ。よろしくお願いしマス」

やや戸惑いを覗かせながらもにこやかな表情で流暢に挨拶し、礼儀正しくペコリと頭を下げる銭琳の様子は好感が持てる。
しかしそれと同時に、愛は銭琳から微かな警戒心や不信感、そして何よりも笑顔の奥底に横たわる孤独の色を感じ取っていた。
だが、ある種負の感情とも言えるそれらは不愉快さよりもむしろ、これまで出逢ってきた“仲間”の多くに感じたものとどこか似通った物悲しさや淋しさを伝えている。

―――もしかして、この子もあるいは“能力者”……?

そんな思いが頭を過ぎる。

「はじめましてー。あーしは高橋愛です。よろしく。日本語上手やのー」

だが、もちろんそんなことは口にも顔にも出さず、愛は自己紹介と微笑みを返した。

「もしかして愛ちゃんの方が日本語苦手なんやない?あ、田中れいなでっす。別に呼び捨てでいいけんね」

愛を茶化しながら後ろから顔を覗かせる田中れいなにも、銭琳は人懐っこい笑顔と言葉を返す。

「ハイ、分かりましタ田中」
「あ、いや、名字やなくて……」
「ハハ、冗談デス。でもやっぱり『田中サン』にしておきマス。中国では名前呼び捨てするは普通デスけど、日本では目上の人はさん付けするが普通だカラ。郷に入れば郷に従えデス」
「そ、そうなん?まあ…別にいいっちゃけど…」


リアクションの選択に困って勢いが失速したれいなを、銭琳はニコニコしながら見つめている。
しかしその目には、愛だからこそ気付けた、何かを探るような色が浮かんでいた。

李純が「トモダチデス」と連れてきた相手の心を覗き見るようなことはしたくなかったが、万一れいなや他の仲間に敵意を持った存在かもしれないと考えるとそうも言っていられない。
しばらく迷った末、その「色」の正体を探るべく、愛はそっと自身のチカラを解放した。

“そこ”に在ったのは―――

 蒼白い月に照らし出されている寒々としたどこかの草原。
 その景色の中、力強くしかし慈愛に満ちた表情を湛えて何かを言っている壮年の男性。

 それと重なるようにして浮かぶ、血まみれの顔で何かを必死に伝えている若い男の姿。
 その手から渡された赤い石がつけられたペンダントのようなもの。

まるでその場に自分がいるかのように思えるほどにあまりにもはっきりとしたそれらの映像が、銭琳にとって忘れ難いものであるのは明らかだった。
同時に―――

 怒り、悲しみ、憎悪、無念、孤独………そして、それらの感情を総括するかのように響く「復讐」を誓う“声”―――

表面上の明るい笑顔とは裏腹に、その小さな体の奥深くには仄暗くも激しい炎が揺らめいていた。

「あ、リンリン。そろそろ行カナイト時間ナイゾ!」
「エ?時間ナイゾってそれはジュンジュンのアルバイトでワタシは関係な……」
「人手が足リナイ言ってタ。今日モ手伝ッテヨ~」
「ちょ、引っ張らないデ……ア、高橋サン、田中サン、失礼しマス」
「マタ来ルヨー!再見!」

「………れいな、もしかして中国の人のノリにはついていけんかもしれん…。それともあの2人が特別なだけっちゃろか…」

来たときと同様に賑やかなベルの音をバックに扉の向こうに消えていく2人を見送った後、れいなが半ば呆然とそう呟く。
そして――愛もまた、それとは違った意味合いでぼんやりと立ち尽くしていた。


「おはよう。……おーい、おーはーよーうー」

再び店内に人が入ってきていたことにようやく気付き、愛は我に返った。

「…あ、ガキさん。おはよー」
「何が『あーよー』よ、シャキッとしなさいシャキッとー。こうして客が来てんでしょうが客が」

焦点の結ばれた愛の視線の先にあったのは、いつもと変わりない新垣里沙の「やれやれ」という表情だった。

「やけどガキさん、まだ開店時間やないとよ」
「コラ、そこの店員。細かいこと言ってないで早くいつものやつ用意しなさい」
「ハイハイ、かしこまりー」
「『ました』を付けなさい『ました』をー。お客様なんだよわたしはー」

れいなと賑やかなやりとりをしながらいつものカウンター席に座る里沙に、愛は何となく救われた気持ちになった。
そして、それと同時に先ほどまで抱いていた逡巡の感情が緩やかに溶けていくのを感じていた。

もしかしたらこの先、銭琳の方から助けを求めて愛を“呼ぶ”ことがあるかもしれない。
“そのとき”はもちろん、自分にできるだけのことを全力でしようと思う。
でも、多分今はまだその時期ではない。
銭琳自身が自分と向き合い、立ち向かっていかねばならない事柄に自分で気付かねばならない時期だと思う。
そこに愛が介入することはできないし、してはいけないだろう。
今の銭琳に必要な者がいるとすれば、それは愛ではなくきっと―――

李純に初めて出逢ったとき、その純真な瞳と一点の曇りもない胸中に、愛は心を揺り動かされた。
銭琳の奥底に燃えている暗い炎を、明日を照らす明るい篝火に変えるための支えになるものがあるとすれば、それはきっと李純のその純真さだけだ。

理屈ではなく、その人が側にいるだけで救われることがある。
愛自身にとって里沙の存在がそうであるように。

今の銭琳にとって、その存在は―――きっと李純しかいない。


「…愛ちゃん?」

再び遠くに行っていた視線が戻った先には、怪訝そうな里沙の顔があった。

「何薄ら笑いしてんの?ちょっと怖いんだけど」
「あ、もしかしてあーし笑っとった?」
「もしかしなくても笑ってたよ。何かあったの?…あ、そういやさっきそこでジュンジュンに会ったんだけど、隣にいたの誰?」
「ジュンジュンの友達でリンリンって子なんやって。時間なくてあーしらもまだ名前くらいしか聞いてないけど」
「ふーん………リンリン………」
「いい子っぽかったよ。礼儀正しいし日本語上手だし」
「愛ちゃんにかかると誰でも『いい人』だからなー。っていうか日本語上手なのあまり関係ないから」

「はい、お待たせ致しましたお客様」

ツッコみツッコまれる2人の間に湯気の立つカップが置かれる。

「おー、ご苦労ご苦労。早速いただきますよー。………あー、やっぱりマスターが淹れた方がおいしい気がする。もう少し修行したまえぃ」
「うるさーい!文句あるんやったら店出て行っていいけんね」
「絵里とさゆが来たら言われなくても出て行きますよー」
「あ、絵里とさゆも来ると?一緒にどっか行くっちゃん?」
「うん。絵里が『もっと小春ちゃんと交流を深めるべき!』とか言い出して…まあそれでちょっと一緒に。小春ちゃんは後で合流するんだけど」
「ふーん……それは大変っちゃねガキさん」

亀井絵里と道重さゆみが店に現れるのは、いつものようにきっとしばらく後になるだろう。
絵里が集合時間をちゃんと守ったことなど数えるほどしかなく、さゆみがそんな絵里を見捨てて一人で先に来たことは一度もない。
そしてそのことを里沙とれいなも十分に承知している。
今はまだうまく馴染めていない久住小春も、きっとそのうち気持ちを伝え合える存在の大切さを素直に認め、心を開くときがくるだろう。
そして、あの淋しい笑顔の少女―リンリンも…きっと。

“仲間”っていいなと改めて思いながら、愛はまた知らず微笑みを浮かべていた。

―――だが、それから半月ほどが過ぎたある日の夜、“そのとき”――銭琳が無意識に助けを叫ぶとき――は思いがけない形でやってきた。


    □   □   □

店内に一人だけ残っていた客を見送った後、テーブル席に残された食器を片付けようとしていた愛は、不意に立ち止まって視線を泳がせた。

――リンリン…?

あの日以来、銭琳は幾度となく半ば李純に引きずられるようにして「リゾナント」に顔を出した。
その度に少しずつ本当の意味で柔らかくなっている銭琳の笑顔に触れ、愛は自分の考えは間違っていなかったと安堵していた。

李純と共に過ごす毎日は、明らかに銭琳の心に変化を与えていた。
愛たちへの“疑念”を完全に捨てたわけではないようだったが、警戒の色は目に見えて薄くなっていた。
いや、というよりも、銭琳の“目的”自体が緩やかに変化し始めていたのだろう。
おそらくは、本人さえも気付かないうちに―――

「れいな!」

カウンターの向こうで食器を洗っているれいなに聞こえるよう、愛は大きめの声でその名を呼んだ。
普段あまり聞かないその愛の大声に驚いたのか、れいなは濡れた手もそのままに急いでカウンターから飛び出してくる。

「な、なん?どうしたと?もしかしてれいな何かやらかしとったと?」

半ば怯えたような顔をしてそう訊ねるれいなに「あ、いや、ほやなくて」と慌てて手を振り、愛はそのままその両手を合わせて鼻の頭につけた。

「ごめん、れいな。今からちょっと店お願い。勝手言ってごめん」
「えっ?まあもうお客さんも来んやろうし別にいいっちゃけど…愛ちゃんどっか行くと?」
「うん、リンリンのとこ」
「はぃ?リンリン?何で?どういうこと?」
「ごめん、詳しい話は帰ってからするから。ほんとごめんね」
「ちょ、愛――」

非難と哀願の入り混じったような表情を浮かべるれいなに申し訳ない思いを抱きながら、それを振り切るように愛は光の粒子となった。


    *   *   *

愛が“飛”んだ先で目にしたのは、両目をいっぱいに見開きながら半歩後退して、突然目の前に愛が現れた驚きを表現する銭琳の姿だった。

「タ、高橋サン!?これは……アナタは……」
「ごめんな黙ってて。あーしには、こんな風に離れたところに移動することができるチカラと……人の心の中が読めるチカラがあるんよ」
「心のナカ……!……そうデスカ。だったら、ワタシがどうして日本に来タカ、そしてジュンジュンに接触しタカ、知っているんデスね」
「うん、本当にごめん。勝手に心の中を覗いたことは本当に申し訳ないと思ってる。謝って許されることじゃないのは分かってるけど…ごめん」

最初に逢ったときに覗いた銭琳の心の中の光景や“声”を鮮明に思い出しながら、愛は深々と頭を下げた。

 銭琳が日本へと渡ってきたのは、「父の仇」を探し出すためだった。
 生まれると同時に母を亡くし、それがために周囲から冷たい目を注がれていた銭琳にとって、父はこの世でただ一人温もりをくれる存在だった。
 だが――それさえも、まだ幼くして奪われた。
 6年前に起こった、表の世界には決して浮かび上がってこない凄惨な事件によって。

 血まみれの体を引きずり銭琳の家の扉を叩いた若い男は、銭琳に突然の悲報をもたらした。
 『銭琳、君の父上はおそらくもう………。僕はこれを君に渡すように父上から頼まれた。君の母上の遺したものだそうだ』
 途切れ途切れにそう言いながら男が差し出す赤瑪瑙のペンダントを受け取り、銭琳はただ静かに歯を食いしばった。
 泣いてはいけないと思ったから。
 父を喪った今、これからこの世界をたった一人で生きていくために、ひたすら強くあらねばならないと思ったから。

 それと同時に銭琳の中に芽生えたのは「復讐」の二文字だった。
 氷を操る不思議なチカラを持った17,8歳くらいの少女――
 その日から、父の命を奪ったその少女に復讐することが、銭琳にとっての生きる意味となった。

 そして――李純。
 父の属する組織が保護していた“獣人族”の唯一の生き残りであり、父が“あのとき”命懸けで逃がした少女。
 父亡き後、遺志を継ぎたいと懇願して入っていた組織で、ようやくその少女の現在の居場所を知った銭琳はすぐに日本に飛んだ。
 何か予感めいたものを感じて、以前から日本語や日本に関する知識を習得していたことに満足しながら。
 父の仇である氷の能力者もまた日本人であるらしいということに、運命的なものを感じながら。
 そして、自分が炎を操る能力者であることに、生まれて初めて感謝しながら―――


「謝らないでくだサイ。黙っていたノハ…いえ、騙していたノハ、ワタシの方デスから」

愛の謝罪に対し、銭琳は静かに首を振った。

「ジュンジュンと…“獣人族”の唯一の生き残りでアル彼女と一緒にいれバ、もしかして父の仇に出逢えるかもしれないと思いマシタ」

銭琳の生きる目的の全てである「復讐」は、それを果たすべき相手に出逢わない限り成就することはない。
しかし手がかりらしい手がかりはまるでなく、銭琳にとって李純はそんな中でようやく得た、たった一つの糸口だった。

「ワタシは自分の為にジュンジュンを利用していマシタ。高橋サンたちのこと、もしかしたら仇ではないかと疑っていマシタ」
「だけど……今はただジュンジュンのことを助けたい。そうでしょ?」
「……そう…なんでショウか……。自分でも…自分の気持ちが分からナイ。ただ手がかりが失われるのが怖いだけなのかもしれナイ…」

数日前に…いや、何度も李純が「コレ、お気に入りダヨ!」と笑顔で繰り返し言っていたワンピース―――
その切れ端らしき引き裂かれた布を握り締めながら、銭琳は苦しそうに首を振る。

突然李純の携帯からかかってきた電話。
その向こうから李純が途切れ途切れに告げたこの場所に銭琳が駆けつけたときには、すでにもうその姿はなかった。
ただ、お気に入りのワンピースの切れ端だけを残して。
その事実が意味するところは明白だった。

「違うよ、リンリン。今のリンリンにとって一番大切なものは、もう復讐なんかじゃない。だって、そんなものよりもっと大切なものができたでしょ?」
「もっと…大切なモノ…?」
「そう、ジュンジュンが言ってたじゃない。リンリンのこと『トモダチ』だって」
「トモダチ……」
「うん。ジュンジュンもね、リンリンが何か隠してることは気付いてたよ。でも、それでも、心の底から言ってた。リンリンはかけがえのない『トモダチ』だって」
「―――ッ!!ジュンジュン……ワタシは…あなたを騙していたノニ……利用していたノニ……」
「でもリンリン、あなたもちゃんと心の底では思ってたよ。ジュンジュンのこと、大切な『トモダチ』だって。だから……あーしは今ここにおるんよ?リンリンに“呼”ばれたから」


驚いたように愛の顔を見つめる銭琳に、愛は微笑んで頷きながら静かに訊ねた。

「今のリンリンにとって……一番大切なものは何?」

しばらく間があった後、銭琳は決然とした光をその目に宿してきっぱりと言った。

「ワタシはジュンジュンを助けタイ。護りタイ。ワタシの大切な『トモダチ』を。…高橋サン、力を貸してくだサイ」

銭琳の中で燃えていた暗い炎は、今は激しくも温かい熾火となり、その笑顔を照らし出していた。

愛はその言葉に微笑みながら頷きを返すと、真剣な表情に戻って銭琳の手をそっと握る。
李純の連れ去られた先は、愛の中で“共鳴”という名の道標がはっきりと指し示していた。

「…行くよ、リンリン。覚悟はいい?」
「ハイ!バッチリデス!」

愛と銭琳が互いに頷き合ったと見えた次の瞬間―――そこにはもう2人の姿はなかった―――


    □   □   □



「「おっくれましたー」」

“遅刻常習組”の入店と同時に、李純のアルバイト先の中華料理屋は一気に喧騒に包まれた。

「おっそい!絵里、いい加減学習できんと?毎回待たされるさゆの気持ちにもなりぃ!」
「まーまー、れいなも毎回毎回そんなに怒ってたら身がもたないよ、あはは~」
「そうなんだよ、れいな。さゆみもようやく最近気付いたの。毎回腹を立てる方が負けなんだって。残念すぎる事実だけど」
「まったくカメは…っていうかジュンジュン!あんたはもっとおかしいでしょうが!何でリンリンだけ働いてるわけぇ?」
「ソレは、ジュンジュンが遅刻したカラ…だにゃん」
「そんなことは分かってんの!だから何で本来働いてないといけないあんたが遅刻してんのって言ってんでしょうが!にゃんとか言って誤魔化さない!」
「まあまあ、ちゃんとこうして無事来たんやし、れいなもガキさんもあんまり厳しいこと言わんであげてやー。2人とも反省してるし」

ウェイトレス姿でニコニコとその喧騒を見守る現在の銭琳の姿と、あのときの―――李純の救出に向かった夜の埠頭での銭琳とのあまりの差異に、愛は何故か不意におかしくなる。

 李純の“声”に導かれて“飛”んだ先には、物々しく銃器で武装したチャイニーズマフィアらしき集団が在った。
 そして彼らの中ほどで、引きずられるように船に乗せられようとしている一人の女性。
 何か薬物を投与されているらしい脱力したようなその女性――李純の姿を認めた瞬間、愛は銭琳の中に激しい炎が燃え上がるのを感じた。
 「高橋サン、ここからはワタシ一人でやりマス。いえ、やらせてくだサイ」
 咄嗟に言葉を返せないほどの気迫と決意を銭琳のその言葉から感じ取り、愛はただ小さく頷いた。
 銭琳のうちに赤々と燃えていた炎は、その瞬間から夜の埠頭を照らし出す正真の炎となった。

 ――十数人のチャイニーズマフィアが全員地面に這いつくばり、銭琳が李純をその手に抱きしめたのはそれから僅かな後のことだった。

 抱き合ったまま2人はしばらく何かを語り合い、涙を流していた。
 もちろん、愛はその会話を聞くことはしなかったし、何より聞く必要もなかった。
 2人の表情を見ていれば、それで十分だったから。

そして現在(いま)――愛は再び、ただ黙ってそっと見守っていた。

集中砲火をうまく絵里に押し付けてするりと輪を抜け出した李純が、さりげなく銭琳のところに歩み寄るのを。
その李純と視線を合わせる銭琳の顔に、“共鳴”という名の篝火に照らし出された柔らかい笑みが浮かんでいるのを―――



最終更新:2014年01月18日 14:00