(39)792 『ヴァリアントハンター外伝(10)』

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「うん、うん。大丈夫、怪我の方はたいしたことないから。
 それで……あのさ、もしもの話だけど――、いや、なんでもない。
 や、ほんとになんでもないから。忘れて。
 じゃあ、母さんも父さんも身体に気をつけて」

告げて、携帯の通話を切った。
場所は病院内に設けられた通話可能スペース件、休憩所だ。
時刻は深夜。
本来なら患者が出歩いて良い時間帯ではないが、
両親がほぼ半日の時差がある地域にいることを理由に許可を貰った。
据え置かれた自販機でコーヒーを買い、備えつけのソファに身を沈める。
れいなは紙コップのふちに口をつけて苦い液体を喉に流し込み、息を吐いた。
両親は健在だった。
アレの正体が自分たちの娘であることも、どうやら本人の口から告げられたらしい。
やはり、問えるわけがない。

もしもの話――自分が姉を殺したとしたら悲しいか、なんて。

答えは決まりきっている。
両親の愛情はなにもれいなにだけ向けられたものではないのだから。
それに、最も重要なのは両親の気持ちではない。
肝要なのは――姉を殺す覚悟が、れいな自身にあるかどうかだ。

『アンタの家族は、まだ残っとるんやろ』
『せめてご両親や、福岡の親戚の人たちのことは大切にして欲しいって絵里も思ってる』

二人の言葉が、思いやりが、まだ胸の奥に棘のように残っている。
彼女たちは、優しい。
自らが失ったものを持つれいなを妬むでも、うとむでもなく、
ただ純粋に、自分たちと同じ辛さをれいなやれいなの家族に味合わせたくないと、そう思っている。
それはきっと、彼女たちのような境遇にいる誰もが持てる優しさではないはずだ。
そんな優しい彼女たちは、けれどきっと二人だけでは姉の手で殺される。


高橋の言を抜きにしても、姉を殺さずにこの件を解決するという選択肢は、ないと考えて良い。
目的は不明だが、すでに姉は大勢の犠牲者を出した。
彼女の罪は重い。
仮に説得や捕縛に成功したとして、姉を連れて世界中の国家機関から逃げ続けることなど可能だとは思えない。
それに、れいなとしても姉のしていることは到底許せるものではなかった。
許せるものではないが、しかしそれを止める為に彼女を殺せるかと問われれば、やはり答えに窮する。

「中澤さんの言った通りなの」

唐突にかかった聞き覚えのある声に、れいなは顔を上げた。
顔を上げることで、我知らずうつむいてまたあの水晶を手の中で弄んでいたことを自覚する。
視線を向けた先には、相変わらず何を考えているのかわからない表情の道重さゆみが立っていた。

「中澤さんの依頼なの。藤本美貴について知ってる情報を包み隠さず話してやってくれって」

れいなの疑問に先んじるように、さゆみは現れた理由を告げた。
その発言の内容で、また別の疑問が発生する。
藤本美貴について道重さゆみが知っている情報。
彼女は高額な依頼料を取る情報屋だ。
日頃の多忙に拍車がかかっている現状とはいえ、中澤が伝言役程度に彼女を使うとは思えない。

「簡単な話。さゆみは情報屋。もちろんある程度は選り好むけど、
 基本的に大金を払ってくれる依頼人の欲しがる情報ならなんでも揃えるの。
 それはたとえば愛ちゃんだったり、中澤さんだったり、――藤本美貴だったり」

口に出したれいなの疑念に対し、さゆみは事もなげにそう答え、肩をすくめて見せた。
当惑するれいなをよそに、さゆみは更に言葉を連ねる。

「わかりやすく言うと、さゆみは中澤さんの間諜としてユニオンに潜り込んでたけど、
 それと同時にユニオン内にいた藤本さんの依頼で警察に探りも入れてた二重スパイってことなの。
 ま、中澤さんや藤本さんはどっちも気づいてたみたいだけど」


あっさりと告げられた事実は、しかしかなり重大なものに思えた。
さゆみが二重スパイだというのなら、様々なことに納得がいく。
例えば美貴が、どうやら後藤真希の身体を乗っ取った直後にれいなの前に現れた理由。
同時に、目の前の機械がれいなだと初めから知っていた理由。
それによくよく考えてみれば、
たいした金額を支払ったわけでもないらしいのにさゆみがれいなの動向を逐一紺野に報告していたことも不自然だ。
これもさゆみが元々美貴の依頼でれいなの動向を探っていて、
気づいた中澤がどうせついでだろうと、他の情報屋を雇うことをちらつかせて
小遣い程度の金額で紺野に報告させていたのなら説明がつく。

「……それで、なんでれなのところに? 美貴ねえの情報の依頼人は中澤さんなんじゃなかと?」

不思議と怒りは湧いてこなかった。
そもそも、さゆみはフリーの情報屋だ。
金銭面には過剰なほどシビア。
人懐こく接してくるようでいて、実際はれいな達と仕事以上の付き合いをしようという素振りは一切なかった。
おそらくそれが、情報屋としての彼女のスタンスなのだろう。
なら、裏切られたなどと彼女を責めるのは角が違う。

「うん。情報は依頼人に直接渡すのが原則なんだけど、今回はその依頼人の命令? みたいなものなの。
 どうせ情報自体はれいなに話しても結局は中澤さんに伝わるし、
 お小遣い程度の手数料は貰ったからさゆみとしては特に問題ないけど」
「けどなんで中澤さんはそんなことを? 必要な情報なら、中澤さんかられなに伝えても一緒じゃなか?」
「んー、まぁそうだろうけど。情報ってゆーのは口頭の場合、人を介せば介すほど徐々に原型がなくなっていくものだから。
 藤本美貴の情報はできるだけ原型を保った状態でれいなに伝えたかったってことじゃないかと思うの。
 あ、ちなみに書面じゃなくて口頭で報告するのはさゆみの流儀なの」

書面など形の残る報告は、厄介ごとの種にしかならない。
それが流儀の理由らしい。
二重スパイ、いや、下手をすれば三重やそれ以上に複雑な活動をこなしていそうなさゆみにとっては当然の措置なのだろう。
加えて言えば、用心のためさゆみは常に盗聴器の探知機を持ち歩いてもいるとか。
一応は口頭の報告の方が、見聞きした情報に自分が受けた印象などを乗せやすいという理由もあるそうだが。


「それじゃ。多少長い話だし、隣良い?」

返事も待たずにソファに腰かけ、ついでにれいなの持っていたコーヒーをさらって一口含む。
一息吐くと、さゆみは事務的な口調で語り始めた。
藤本美貴の情報。
彼女がなぜ、今のような暴挙を働くに至ったのかを。

  *  *  *

目撃者は殺す。
それが粛清人の原則だと後から美貴は聞かされた。
魔術で記憶操作をすればいい、という安易な反論はすぐに封じられた。
精神操作、それも一時的な暗示ではなく長期的な記憶の消去、改竄は極端に難しい。
一見成功したかに見えても何かの拍子で魔術が解けてしまうこともあるし、
いちいち記憶を操作した目撃者を監視し続けられるほど協会の人材は豊富ではない。
魔術の秘匿は魔道協会の大原則。
そもそも記憶操作が万能なものであれば、
オカルト扱いされているとは言え一般人に魔法や魔術といった概念が知られているはずもない。
たかが少女一人を救い、記憶を操作して別の戸籍を作り別の国で暮らせる環境を整えてやるような慈善団体でもないのだ。
いちいちそんなことをしていては組織の運営資金すらままならない。
その資金から給料を貰い、両親が貰った給料で育ってきた美貴にはそれ以上反論の余地は残されていなかった。

自らの職務の悪を知り、両親の為してきた悪を知り、それでも美貴は粛清人として生きることを選んだ。
言葉の端々から、理由は両親が今もなおこの職を続けているそれと同一だろうと想像できた。

罪もない弱者を誰かが殺さなければならないのなら、せめてそれは自分の手で。
無論、目撃者自体を出さないように最大限の努力もした。
経験を重ね、職務に余裕ができてきた頃には騒ぎから魔術師の痕跡を完全に消すため、
自殺や強盗による他殺に見せかけて標的を殺すよう努めた。
それでも最初の仕事の時のように、美貴が現場に出向いた時にはすでに手遅れというケースは腐るほどあった。
罪もない力弱い人間を殺す時にはあのサポーターがそうしたように苦痛がないよう、
刹那の一瞬での脳髄破壊や、薬物、銃器など、魔術師らしくない手法も迷いなく用いた。


逆にそんな状況を作り出した元凶となる魔術師にはじっくりと苦痛を与える。
氷結の魔術で手足に凍傷を負わせ、細胞が壊死して腐り落ち、標的が早く殺してくれと懇願しても冷たく一瞥するだけだった。
どころか、あえて治癒魔術を行使し、標的の精神が壊れるまで同じ苦痛を際限なく与える拷問のような処刑法を選び続けた。

氷の魔女。

同じ魔術師たちから、美貴に対する畏怖と畏敬がこもったそんな通り名をつけられるまで、それほど時間はかからなかった。
むしろそれは美貴が望んだ結果だったといえる。
自身の研究にしか興味がない魔術師という人種に対してすら本能的な恐怖を植えつけ、
実際、美貴が憎む類の研究に没頭する魔術師は目に見えて減った。

そうした仕事の合間を縫って、美貴は頻繁にれいなを訪ねた。
あの空港での違和感の正体が、魔力を消滅させる彼女の特異体質であると見抜き、
将来なにかの役に立つだろうと軽い気持ちで行っていた戦技指導も、より熾烈なものとなった。
たとえ嫌われても構わないという覚悟で、美貴はれいなを徹底的に鍛え上げた。
日本では違法である銃器すら与え、扱い方を念入りに仕込んだ。
理由はひとつ。
美貴が初めての仕事で痛感し、その後の仕事でも幾度となく確信させられた摂理。

弱い者は、弱いというただそれだけの理由で不利益を被る。

本人はあまり自覚していないだろうが、れいなの立場は微妙なところにあった。
魔術師でないにも関わらず、魔術師である自分や両親と頻繁に接触しているという事実。
自分や両親は、れいなという人質があるがゆえ、協会に従順である側面すらあったのだ。
いくら美貴や両親が凄腕の戦闘魔術師だとは言っても、
魔道協会全体を敵に回せばれいなを守りきることは不可能だった。
だから、れいな自身にも強くなってもらう必要があった。
協会にはれいなの体質について徹底して秘匿していたし、
成長に伴い、れいなは戦い方次第ではあのサポーターレベルの戦闘魔術師を返り討てるほどの実力をつけていた。

しかし、それでも美貴の不安は拭いきることができなかった。
超能力者。


なんの媒介も用いずに高等魔術と同等の現象を引き起こす、
おそろしい魔力を秘めた新たな人類とでも呼ぶべき人種が世界的に増えていたのだ。
きっかけは突然変異か、あるいは魔術師の中に一般人と契る者が在ったのか。
数字を見ると、原因は明らかに遺伝によるものだった。
超能力者の因子は強く、片親が超能力者であるだけで必ずと言っていいほど子供に形質は受け継がれる。
幸か不幸か血統を重んじる魔術師の社会は閉鎖的で、
高レベルの超能力者並の魔力を持つ魔術師こそいなかったが、
世界人口が爆発的に増えている昨今、状況は明らかに危惧すべきものだった。

一年後か、十年後か。
少なくとも近い将来、無能力者は超能力者という新人類によって淘汰される。
現生人類の祖先、ホモ・サピエンスによるネアンデルタール人のゆるやかな駆逐と比べ、
無能力者絶滅までにかかる速度は規格違いのものになるだろう。
超能力者と無能力者の間には、人種としてあまりにも大きな差がありすぎる。
現時点でマイノリティである超能力者を差別する団体があるように、
超能力者の優位性を主張し、無能力者を駆逐しようとする団体も世界を見れば星の数ほど存在するのが現実だ。
超能力者の割合はすでに一割強。
残り九割弱の無能力者を駆逐するには十分な人口比率になりつつあると言っていい。

伝統的な血統と体制を保守したい魔道協会も現状に危惧を抱いているのは同様で、
世間の裏で協会が芽を摘んだ紛争もひとつやふたつではない。
美貴自身、粛清人の仕事の傍ら、クーデータ―を企てる超能力者を何人も手にかけてきた。
それでも近い将来、協会の目をかいくぐって大きな紛争が起きるのは確実だろう。
そうなれば戦争になる。
無能力者とその背後につく魔道協会、それらと敵対する超能力者という構図だ。
だが美貴にとって、協会の体制保守には興味がない。
美貴にとっての最大の問題はいつでもひとつ。

れいなが、最愛の妹が、無能力者でも超能力者でもないという事実。

超能力者にとっては検査でなんの反応もでない無能力者。
無能力者にとっては異能を打ち消す能力を持つ超能力者。


れいなは良くも悪くも優しすぎる性格だ。
その性格を考えれば、れいなは誰も殺さずに紛争を解決しようとするだろう。
超能力者に襲われる無能力者がいれば敵の能力を打ち消して無能力者を救う。
その逆があれば持ち前の戦闘能力で超能力者を救う。
どちらの派閥にも属さないということは、同時にどちらの派閥からも敵視されることを意味する。
下手をすれば自らが救った者に裏切られ、背後から刺されるのがその末路。

美貴はそんな結末を認めたくない。
そして、そんな結末は阻止できると断言できない自身の無力が何より歯痒かった。
できるのはただれいなを鍛え、少しでも彼女が独力で生き残る強さを培うのを手伝うことだけだった。

そんな折だ。
寺田光男という魔術師の粛清指令が協会から下った。
狡猾な男だった。
協会に残されたわずかな資料から得られた情報は男の研究が"人体の人為的進化の可能性について"だったということだけで、
現在の研究内容はおろか研究の拠点、つまり魔術師としての工房の所在すら掴めていない状態だった。
指令が下ったのも、協会の探索員が巡回中に偶然男のものと一致する魔力を感知し、
魔術ではなく外科手術によって顔こそ変えていたが、
骨格や、魔術師が無意識に発する微弱な力場の特徴から本人と断定、尾行によって現在地が掴めたというだけの話だ。
二十年。
それほど長い期間協会から逃げ続けた魔術師などそうはいない。
協会は血相を変え、熟練した粛清人であり現地に比較的近い土地にいた美貴へ指令を下した。

場所は何の因果か、美貴の故郷でもある日本。
とある製薬会社の研究施設に寺田はいると聞く。
通常の仕事と異なり事前情報がほとんどないことを慎重に捉え、
美貴は旧知の仲である中澤裕子と連絡を取った。
本来の協会の体制に反することであり、実際協会内部でもその存在を知る者は限られているが、
中澤は魔道の外の人間でありながら魔術師についてある程度までの知識を持つことを許された人間だった。
粛清人による対象魔術師の殺害は、一般社会に置いては殺人事件として取り扱われる。
未開の地での粛清ならともかく、法治国家、それも先進国ともなれば治安組織の追究を誤魔化すのは容易ではない。


基本的な魔術師の痕跡は協会側が消し、対象の死体も同時に持ち去ってしまうのが通例だが、
対象の研究内容や周囲に及ぼした影響次第ではそれが難しいことも多々ある。
そうした時に役立つのが中澤のように治安組織の重要なポストに就く人間だ。
情報操作や協会にとって都合の悪い証拠の隠滅に始まり、時には事件そのものを握り潰してもらうこともある。
これは中澤に限った話ではなく、日本国内でも他に行政、立法機関に数名、
米国などでは州ごとにそうした役割を担う一般人を雇い、協会側もある程度は彼らの要求を呑む契約になっている。

中澤には美貴も過去にいくつかの案件で世話になったことがある。
今回も仕事について深くは話さず、
ただ探索員が撮影した対象の顔写真や件の研究施設について掘り出せるだけの情報を流してもらった。
結果、驚くべき事実がひとつ判明した。
寺田光男は現在「つんく♂」というふざけた偽名を名乗り、
ヴァリアントハンターギルドの統括機関ユニオンの日本支部責任者という立場にあった。
あまつさえテレビや雑誌といったメディアに堂々と顔を晒してもいた。
これほど堂々と表に出ていたとなると、なるほど協会が見落としていても不思議はない。
更によくよく経歴を洗い出せば、寺田はそのユニオン自体の設立に深く関わった人物であるという。
寺田が入った製薬会社の研究施設もユニオンの息がかかったものらしい。

ヴァリアントについては社会常識として幾らか知識がある。
十三年前に突如現れた異形の怪物。
物理攻撃を寄せつけない"障壁"と超能力を併せ持ち、
現在ではユニオンによって束ねられたハンターに駆除されるだけの存在。

そして俗説とされながらも未だまことしやかに流れる憶測。
ヴァリアントは超能力者の突然変異。
美貴はこのときひとつの仮説を思い浮かべた。
超能力者の突然変異という俗説のあるヴァリアント。
そのヴァリアントを駆除する者たちを統括する機関に籍を置き、
間接的に関係のある研究施設に出入りする一人の魔術師。
そして残されている魔術師の研究内容は"人体の人為的進化の可能性"。
寺田光男の出奔は二十年前。
ヴァリアントの最初の出現は十三年前。


時系列的にも矛盾はない。
魔術と聞くと科学とは相容れないものと見なされがちだが、この二つの間には大きな関係がある。
そもそも西洋科学、特に化学は魔術の一流派である錬金術から派生したものであるし、
現代の魔術師の中には自身の研究のため一般の大学で物理や化学、生物、医学、薬学を修める者も多い。
協会から出奔した魔術師が隠れみのとして医者や薬屋を営むのもその辺りに起因する。
仮に、寺田光男が自身の研究に現代科学の要素を多く詰め込む必要に迫られ協会を出奔したとしたら。
仮に、寺田光男の目的が超能力者という魔術師の大敵になり得る者たちの駆逐にあるのだとしたら。

美貴は対魔術師用の結界がほどこされた研究施設に難なく踏み込み、
それらの仮説を寺田光男に直接ぶつけた。
男は"氷の魔女"を前にしてもたいした恐慌を見せることなく、あっさりと美貴の仮説を認めた。
ヴァリアントは行方不明扱いにした超能力者を材料に、男の魔術と現代科学によって生み出された人工の存在であること。
そのヴァリアントと超能力者であるハンターを殺し合わせることにより、超能力者の撲滅を図っていること。
超能力者の撲滅なら魔道協会も願っていることだ。
なぜわざわざ協会から出奔したのかという問いには、それは協会があまりに臆病だからだという言で返された。
確かに、あの保守的な組織にこれほど大胆な計画を実行に移す胆力はないだろう。

話を聞き終え、美貴は"寺田光男"と"つんく♂"を殺害することに決めた。
無論、実際に手にかけたのはヴァリアントの材料として調達されていた超能力者の内、
素養とレベル、血液型が寺田と同一であり、顔立ちや体格、骨格も"つんく♂"のそれとよく似た者だ。
その身代わりを即席の外科手術で"つんく♂"と同じ顔に仕立て上げ、手術痕は治癒魔術ですぐに塞いだ。
後は研究施設に火を放ち、体面上は本物の"つんく♂"に避難誘導などを任せ、
一人逃げ遅れたかのような状況で身代わりには焼死体になってもらった。
幸い美貴は素養がなくとも血液沸騰に代表される物質の加熱魔術の応用で、炎の魔術の基礎くらいは扱える。
死体をうつぶせにし、顔は判別できる程度の火傷にとどめ、指紋が残らないよう不自然にならない範囲で手指は焼き尽くした。
寺田も協会の追手に対してこうした手を打つことは考えていたようで、
歯の治療痕や血液検査などの結果はすでに始末してあった。
後は寺田の自宅や執務室などに落ちている毛根等を身代わりのそれと入れ替えるだけでDNA鑑定の結果からも逃れられた。

社会的に"つんく♂"という人物は死に、美貴も協会に"寺田光男"という魔術師を事故に見せかけ抹殺したという報告を出した。


警察は病院のカルテなどが消えていることなどに少しは疑問を持ったようだが、
死体と自宅の毛根とのDNAの一致やそもそも顔が本人のものと断定できることから事件性はないと判断。
協会に至っては病院のカルテが消えていることくらい、協会から二十年も逃げ続けた魔術師なら当然だろうとあっさり納得した。

当然、美貴は善意から寺田を見逃したわけではない。
引き換えに寺田の研究内容の開示と、美貴の目的への手助けを約束させた。
口約束など幾等でも反故にするのが魔術師という生き物だ。
美貴は寺田の生存を口外した場合、寺田は美貴の目的を妨害した場合それぞれ死亡する類の誓約魔術を契った。
その後、頃合を見て寺田は超能力者でもあるユニオンの幹部を殺して成り代わり、
美貴は彼の組織の研究員という偽の身分を得た。
憎たらしいことではあるが、粛清人として働く内に得た知識のおかげで美貴も人体への魔術的変異には造詣が深い。
寺田とは独自の研究を推し進めることも可能だった。
世界中に点在する寺田の息がかかった施設での研究の傍ら、
美貴はしばらく粛清人としての仕事もこなし続けた。
流石に苦戦はしたが"後藤真希"という最高の"材料"を手に入れることにも成功。
やがて寺田光男殺害の件が協会の記憶から薄れた頃、美貴は世間から失踪した。

残るは研究の仕上げのみだった。
後藤真希の肉体を変異させると同時に乗っ取り、史上最凶の魔術師となるための。
美貴は絶壁の力を求めたのだ。
すべてはただひとつの目的のため。

近い将来に最愛の妹、れいなを襲う災厄の原因となる者たち――超能力者を滅ぼすためだった。
……少なくとも、そのはずだった。