(40)046 『変わらないモノ』

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久住小春が喫茶リゾナントを訪ねてきたのは、閉店まで後1時間という何とも微妙な時間であった。
その頃にはもう、他の仲間達の大半は帰宅し、そこに残っていたのはわずか3人。
喫茶店のマスター“高橋愛”、リゾナントの看板ウエイトレス“田中れいな”、そして、
都内有数の進学校に通う優等生“光井愛佳”であった。

軽快なジャズが会話の邪魔にならない音量で流れる店内。
小春はすっとカウンターの席に座り、来店の度に注文する定番メニューをれいなへと告げる。

相手の顔を見ずにメニューを告げる、横柄とも言えなくもない態度。
だが、周りの人間はそれに慣れているのか。
れいなのオーダーを読み上げる声と、それを復唱する愛の声がリゾナントに響いた。

注文が出来るまでの間、小春は一切言葉を発することはなかった。
小春にも、そして―――ここに集う“仲間達”にも、それは常のこと。
自分から話を振ることもなければ、人の話に乗っかることもない小春。
それは、ともすれば仲間達に対して心を開いていないように捉えられかねなくもない。

だが、実際はそうではない。
気心が知れている仲間だと思うからこそ、小春はあまり自分のことを語らないのだ。
それは、小春が“月島きらり”というアイドルをやっていることに起因する。

アイドルである以上、どうしたって愛想を振る舞わなければならない。
たとえ、自分が心底嫌いだと思う相手であってもだ。
月島きらりという、人当たりのいい仕事熱心なアイドルを“演じる”以上、
疲れて一言も話したくない時でも共演者に話を振ったり、スタッフに気を遣ったりしなければならない。
そうした気遣いこそが、仕事と共に評価され次の仕事に繋がると分かっているからこそ、
小春は常に仮面を被り続けなければならなかった。

ここでは、その必要はない。
疲れている時に無理に話をする必要はないし、興味がある話題の時だけそれに乗っかればいい。
月島きらりという仮面を脱ぎ捨て、ただの女子高生久住小春としていられる空間だった。


「はい、ミルクティー」

「ありがとうございます」


それっきり、リゾナントには静寂が訪れる。
明日のための仕込みに愛とれいなは動き回り、テーブル席では愛佳が1人参考書を広げている。
ティーカップに口をつけ、小春はそっと息をついた。

仄かな甘みのミルクティーは、疲れた体に優しさを灯す。
小春は鞄から手帳を取り出す。

明日の予定も、一週間先の予定も、一ヶ月後も。
ぎっしりと詰められた予定は、とてもじゃないが当分ここに来る暇がないことを示していた。

両親から離れるためにと、自ら望んだ芸能界入り。
仕事自体も、辛いことも多々あるが、何かを成し得た時の達成感はそれらを一瞬で消し去るほど大きい。
天職とまでは思わないが、向いていないとは思ったことはただの一度もなかった。

しかし、小春の心を占めるのは…今後の活動をどうするかということだった。

絵空事のような、事実。
それは―――自分が悪の超能力者組織“ダークネス”と対立する組織“リゾナンター”の一員であるということ。
いつ、どんなタイミングで戦闘が起きるか分からない状態であるにも関わらず、小春だけが代役不可能な仕事をやっている。

徐々に激化する戦闘。
小春が仕事をしているその最中にも、仲間達は必死に奮闘しているという事実。
仲間達が命をかけて戦っているというのに、自分だけが“特別扱い”のままでいいのだろうか。


迷いは仕事にも影響を及ぼし始めている。
今まで楽々こなしていたドラマの撮影でも、何気ないワンシーンで数回リテイクを出すようになった。
インタビューを受けている時でも、時折インタビュアーの発言がきちんと聞こえておらず、聞き返すことも多くなった。
マネージャーからの小言は日に日に増えている。

このまま宙ぶらりんのままではよくない。
そう思いながらも、決断を下せずに今までずるずるとやってきた。

小春はミルクティーを飲みながら、ゆっくりと店内を見渡す。
以前訪れた時と何も変わらない光景がそこにはあった。

小春の口元に零れる微笑み。
一体、何を迷う必要があったんだろうか。

―――答えはずっと前からここにあったのだ。


「高橋さん、田中さん、今日は帰りますね」

「またね、小春ー。
疲れてるみたいだけど、ちゃんと休むっちゃよ」

「お疲れ様、小春。
無理だけはしちゃ駄目だからね」

「はい。
みっつぃーもまたね」


荷物をまとめ、リゾナントを後にする小春。
歩き出した小春が最初にしたことは、マネージャーへの連絡だった。


小春の告げた言葉に、マネージャーは激昂した。
ひとしきり激昂した後、落胆したマネージャーに対して小春はごめんなさいと謝る。

ごめんなさい、という一言で済むようなことではないと分かっていても、何度も謝るしかなかった。
小春がマネージャーへと告げた言葉の内容、それは。

芸能活動の休業。

デビューしてからずっと、精力的に小春を売り出してきた事務所からしたら、
ようやく芽が出てきた小春の休業は到底許せることではないだろう。
休みがろくにとれないから不満なのかと、彼氏が作れないから不満なのか、それとも他に理由があるのか。
問われた言葉に、小春の返事は甘くなる。

休みがろくに取れないのは芸能人たるもの、喜ばしいことだ。
彼氏が作れないことなど、今のところ恋愛自体に一切興味がない自分からしたら取るに足らないことだ。
電話を切り、小春はそっとため息をついた。

休業する理由、それは。


「…久住、さん」

「あ…」


小春がリゾナントを出てからすぐに追いかけてきたのだろう。
振り返った先には、困惑した表情を浮かべる愛佳がいた。

おそらく、会話の内容が聞こえていたのだろう。
言葉を発しようとして、ぎゅっと拳を握り込んだ姿に小春は小さく微笑む。


「何で、休業しはるんですか?
好きでやらはってるんですよね、お仕事」


遠慮のない言葉に、小春は曖昧に返事をする。

好きでやっているか、と言われたらそうだとは言い切れない。
手っ取り早く両親から離れられて、なおかつ自分の生活の一切を自分で出来るということ以外、大したメリットなんかなかった。
むしろ芸能人であるがゆえにプライベートはあってないようなものだし、心ない人間の言葉に傷つけられることも珍しくはない。
小春の場合、完全に自分自身の都合でやっているだけなのだが、それを愛佳に素直に告げるのは気が引けた。

普通の女の子ならば、一度くらいは小春のようにきらびやかな世界に憧れることも珍しくはない。
しかも、愛佳は小春が純粋にアイドルに憧れて芸能界入りしたのだと思っている節がある。

そんな愛佳に、正直に思いを吐露するのは酷だ。

世の中、そんな綺麗なものじゃない、と。
愛に満ちあふれた作品を書く小説家のプライベートが、必ずしも愛と縁のある世界ではないように。
希望に満ちあふれたマンガを書くマンガ家が、必ずしも希望溢れた生活を送っているわけではないように。
アイドルをやっている女の子が、好きという純粋な思いだけで日々芸能生活を送っているわけではないのだ。


「愛佳には分からへん。
何でせっかく頑張ってきたことを止めてしまうのかが」


泣き出しそうな顔で自分を見てくる愛佳に、小春は数歩分近付いて手を伸ばす。
柔らかな髪を一撫でして、小春は胸の中に生まれた思いを正直に告げることにした。


「…芸能活動はいつでもやれる、たとえ休業して居場所がなくなっても…小春は、
また芸能界に戻りたくなったら必死に頑張るよ。
でも、さ。
ダークネスと戦う皆と一緒に戦えるのは、今しかないから。
もう、皆が一生懸命戦ってる時に自分1人だけ仕事とかでいないのとか、無理だから」

「久住、さん」

「…今までごめん、でも、これからは…皆のために小春も精一杯頑張るから」


それだけ告げると、小春はくるりと踵を返して歩き出す。
すぐに休業出来るわけではないだろう、少なくとも話し合いなどで数日は身動きが取れないに違いなかった。
今の自分に出来ることは、少しでも早く決着がつくように事務所の人間を納得させる言葉を考えることだった。

最悪、休業ではなく引退という形になるかもしれない。
それも覚悟の上で臨まなければ、なし崩しに今のままの状態が続くだろう。

脳裏に過ぎる、仲間達の顔。

両親を拒絶し、1人厳しい世界に身を置いて生活してきて擦れた自分を受け入れてくれた、かけがえのない仲間達。
時に衝突することもあった。
傷つけ泣かせることもあれば、傷つき家に帰ってから涙を流すこともあった。

それでも。

―――彼女達は大切な仲間で、守りたい存在なのだ。


「あの、本当に…久住さんはそれでええと思ってはるんですか?」


冬の夜独特の、身を切り裂くような空気と共に投げかけられた声。
その言葉に、小春の気持ちが揺らぐことはなかった。

背後を振り帰った小春は、微笑みながら口を開く。


「…別に、小春が休業したって何も変わらないでしょ?だって、最初から小春は小春だもん。
皆はずっとそうだったじゃん、月島きらりとしてじゃなくて、久住小春として見てくれた。
小春は…月島きらりである前に久住小春だもん。だからなーんも変わんないよ」


呆気にとられたような顔の愛佳に軽く手を振り、小春はもう振り返ることなく歩き出した。
肩で風を切るように颯爽と歩くその後ろ姿にはもう、何の迷いも感じられない。

そう、何も変わらない。たった一つの答えはすぐそこにあった。

月島きらりとしての自分ではない。
久住小春を久住小春として必要とし、大切にしてくれる仲間達。
どちらかを選ばねばならないのなら、迷うことなく自分が選ぶのは彼女達だ。

歩きながら小春はついつい笑ってしまう。
どうして、こんな簡単なことにすぐに気がつかなかったんだろう。
もう、随分前から自分の気持ちは芸能界や月島きらりよりも、彼女達の方へと向いていたのだ。

明日以降のことを考えると気が重くなるが。それでも、もう、自分の答えは出ている。
後はもう突き進むだけだ、たとえその結論に傷つき、悩む者がいたとしても。


―――青白い月が優しく、帰り道を照らしていた。