(42)172 『SINNERS~1.一条の光~』

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中国東部の山間部。
人の出入りが厳しく制限されたその深緑の一画に、とある私設団体の所有する土地があった。
なんちゃらドーム何個分、とでも形容したくなるほどの広大な敷地に、大小さまざまな施設が並び建つ。
住居、教育機関、研究所、鍛錬場、処理場・・・・・・施設の名前を挙げ出したらきりがない。

ここは、中国全土から集められた超能力者を育成するための、“D”と呼ばれる組織が所有する区域。
真っ当な生き方をしている者など、ただの一人も存在しない場所だった。


異質な力は、人を遠ざけ人から遠ざかる。

この施設で生活しているのは、すでに帰る場所のない人間たちばかりだ。
孤児となって街を彷徨っていた所を組織の幹部に引き取られたり
組織の存在を知って自ら仲間入りを志願した故郷や両親を持たない者。
時には例外もあったが、ここにいる者は皆なんらかの孤独を背負って生きている。
銭琳も、そんな孤独を背負う人間の一人だった。


現在琳が生活をしている施設は、私有地のもっとも奥まったところにあり
その唯一の出入り口には常時見張りが立っている。
施設の名は、牢獄。
組織の反逆者や“役立たず”を一時収容するための施設である。



あと何日こうしていればいいのだろう。

檻と壁で四方を閉ざされた独房。
完全に外界から切り離されたこの場所では、過去の思い出に浸るか自問自答を重ねるくらいしかすることがない。
冷たい独房の床に寝そべったまま、琳はもう幾度となく浮かべた思考を繰り返す。

過去を振り返るくらいなら、答えの出ない問いについて考えていたほうがましだ。
少なくとも今は、そう思っている。


今日も一日が滞りなく幕を下ろすのを感じながら、琳はその目を閉じた。
はずだった。

「・・・・・・?」

奇妙な気配を感じて、閉じかけた目を開ける。
看守ではない。見回りは済んだばかりだから、次に来るのはあと数時間後のはずだ。
では誰だ。
気配のするほうへ、ゆっくりと目をやる。

「え」

視界に入ってきたものが信じられなくて、琳は思わず体を起こした。
だが、やはり自分の目は間違っていない。


独房の檻の向こう側で、見知らぬ女が一人こちらを見つめて立っていた。


まだ幼さの残る顔立ち。琳とそう年齢は変わらないだろう。
背は高く髪もやや長い。
まっすぐ伸びたその黒髪は、純朴そうな彼女の人柄を表しているようにも思えた。

「ねえ」

琳が意識を向けたことをみとめて、彼女はゆっくりと言った。

「おまえは、どうしてここにいるの?」

淡々とした口調。
見下すような冷たさも、憐れむような温さもない。
ここ数日は看守の高圧的な声しか聞いていなかった琳にとって、その口調は新鮮だった。
彼女に対する興味が湧いてくる。
だから彼女の問いに答える前に、自らの抱いた疑問が先に口を衝いた。

「あなたは誰ですか?施設の関係者じゃないですよね」


自分が今ここにいるのは、組織にとって許しがたい罪を犯したからである。
牢獄とはそういうものだ。罪人を外界から切り離し、自らの罪を自覚させる場所。
罪の意識を持ち反省の意思があるようなら外に出してもらえるが、それができなければ
あとは処罰を受けるのみ。

先日も近くの独房から一人、外に連れて行かれた男がいた。
彼がその後どうなったのかはわからない。
確かなのは、彼が去ったことで、現在牢獄に収容されている人間は琳一人になってしまったということだけだ。



「私はただの訓練生。ちょっと・・・眠れなくてヒマだったから、牢獄に忍び込んで、
 そこに囚われてる奴の話を聞いてみようと思った。・・・それだけ」
「でも、ここって警備厳しいって話ですけど」
「ん。ちょっとコンピュータいじったら楽勝だった」
「・・・警備の意味って・・・・・・」

警備とは、“役立たず”を見張るために設置されているのではなかったか。
これでは警備のほうがよっぽど役立たずだ。
囚われている側だという立場を忘れて、琳は思わず嘆息する。

「そんなことより!なんでおまえはここにいるの?どんな罪を犯したの!?」

こっちの戸惑いなどお構いなしに、彼女は矢継ぎ早に質問を重ねてくる。
あまりにも必死なその姿をまったく不審に思わなかったわけではないが、
琳はとりあえず彼女の質問に答えることにした。

「私がここにいるのは、上官に歯向かって怪我させたからですよ。造反とみなされたんです」
「・・・・・・なんでそんなことしたの?」
「『有望な能力者を見つけたが、その男は差別されることなく幸せに暮らしている。奴を組織に
 入れるためにも、奴の居場所を跡形もなく消してしまえ』と命令されたのがきっかけで・・・」

少し思い出しただけで、あの時感じた胸苦しさが蘇ってくる。
あの時の痛みが。
何も知らずに彼らを傷つけて、傷つけたことすら気づけなかった痛みが、蘇る。



――――どうしてその手を取ってしまったのだろう。彼らはあんなにも私を愛してくれたじゃないか。


「・・・泣かないで」
「え?」

その一言で、我に返る。
彼女の声は先程の淡々とした口調と違い、どこか憂いを帯びていた。


いつのまにか琳は泣いていた。
おそらく、久しぶりにあの時のことを思い出したせいだ。
向き合うのが怖くて、ずっと心の奥に仕舞い込んだままになっていた記憶。
それはとても卑怯なことだと、わかっていたはずなのに。

「ごめんね。泣かせたかったわけじゃないんだ。私はただ・・・・・・知りたかっただけで」

言い聞かすように呟く彼女の瞳にもまた涙が光っていた。もらい泣き、だろうか。
そう思うと、彼女に対して抱いていた微かな警戒心は驚くほどあっさり解けていった。

この人は悪い人じゃない。
出会ってからまだほんの少ししか経っていないというのに、なぜだかそう感じる。
素性も何もわからない相手なのに。
      • そうだ。
自分はまだ、この人の名前すら知らない。

「あの、あなた名前は?」
「あ?・・・ああ、私の名前は」



『各員ニ告グ、各員ニ告グ。セキュリティシステムニ異状ヲ感知シタ。タダチニ現状ヲ確認セヨ。繰リ返ス・・・』

機械で拡張された声がサイレンを伴って施設内に響き渡る。
臨時コールだ。緊急度は5段階中の3といったところか。
この危機感を煽る放送で、二人は一気に現実へと引き戻された。

「やばい。足跡消すの忘れてた」

言葉とは裏腹に、彼女の表情からは切迫した様子が感じられない。
彼女の言う足跡とは、セキュリティをいじった際に残ってしまった痕跡のことだろう。
コンピュータの知識が乏しい琳にはよくわからないことだが、それは充分に“やばい”状況のような気がする。
本当に、彼女は何者なんだろう。

「今度はもっとうまくやらなきゃ。・・・・・・ねっ!私、明日も来ていい?」
「えっ!・・・まあ、その・・・ハイ」

来るなと言ったところで、やっぱり来るんだろうな。
なんとなくそんな予感がして、琳はついOKを出してしまった。

まあいいか。
どうせ今の自分は数日後の処分決定を待つ身。彼女が何者であろうとその運命は揺るがない。
だったら、少しくらい冒険をしてみてもいいだろう。
これまで生きてきた十数年間、ずっと優等生であり続けた、と思う、自身の最後の冒険。



差し当たっての問題は。

「あの・・・私は銭琳といいます。あなたの名前は?」
「あ、そうか。忘れてた」

お互い名前を知らないというのは不便だ。
知る必要のないことと言ってしまえばそれまでだが、知っておいても損はない。
そして何より。
自分は、この人の名前を知っておきたいと思った。
この人には、自分の名前を知っておいてほしいと思った。

「私は李純。またね、琳」

この出会いは、きっと忘れられないものになる。
それは、予感というよりも願望。
すでに終幕を迎えている自らの行く末に対する、半ば無意識の願望だった。