(28)216 『蠍火-緑炎の執行人-』

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



「そうか、この街にいるのは間違いないんだな。
で、特定にはどのくらいかかりそうだ?
……分かった、特定次第連絡を頼む」


携帯電話の終話ボタンを押し、私は軽く息を吐いた。
特定はさほど手間取らないだろう、気が重くなる時間は刻一刻と近づいてきている。
生ぬるい風が吹き、じとっとした湿気が私の体にまとわりつくようだった。
遠くに煌めくネオンを眺めながら、私は憂鬱になる心を奮い立たせる。

祖国から約三時間の国、日本。
そしてここは首都である東京への玄関口の一つ、羽田空港に程近い工場地帯だった。
景気があまりよくないせいだろうか。
以前訪れた時よりも稼働している工場は少なく、夜の11時過ぎとあって、人通りも皆無といっても差し支えない。

都合がいいとはまさにこのことだった。
普段なら、他人に姿を見咎められないように神経を尖らせながら物陰に潜むのが常。
だが、今日はそこまで神経を尖らせる必要はないだろう。


(早く終わらせて帰りたいものだな)


好きこのんで海を渡ってここまで来たわけではない。
むしろ、こうした機会がなるべく訪れない方がよかった。
それを他の仲間に言うと、皆私のことを嘲笑ってこう言う―――“執行人”失格だ、と。

執行人、それは私の属する“組織”の階級の一つだ。
特段高い方でもないが、けして低くもない、半端な階級。
とはいえ、誰もがその階級に昇進出来るわけではないらしい。


組織へと属することになった日に、私はその階級に就くことになった。
執行人となった私に言い渡された組織の上層部からの命令、それは。

―――裏切り者への死刑執行。

組織の中で一定レベルに到達した“超能力者”の中から選定されると言われている役職は、
私にとってはただただ、重荷でしかなかった。
組織を裏切る行為を働いたとはいえ、人をこの手で屠らなければならない。

戦いは好きではなかった。
出来るならば、そうした世界から遠ざかりひっそりと生きていきたいといつも思う。

そして、思う度に打ち拉がれるのだ。

組織によって以前の記憶を消された私には、ここで命令を遂行する以外生きる術はないのだと。
自分の名前も、家族がいたのかも、一体どのような生活を送っていたのかも…一切の記憶が私にはない。
仮に何かのきっかけで思い出せたとしても、おそらく…組織は私を社会的に抹殺しているだろう。
何もかも一切の記憶を奪われた私に与えられたのは、“蠍火”という名と執行人という肩書きだけだった。

ポケットに入れた携帯電話が軽快なメロディを奏でる。
私は軽く溜息を吐きながらポケットを探り、携帯電話を取りだして通話に応じる。


「…分かった。
で、他に仲間はいないんだな。
ああ、では、完了後にまた連絡する」


通話を終了した私は、携帯とは別に所持していた端末へと送られてきたメールを開封する。
そこには、裏切り者の潜伏先の住所と地図が表示されていた。
今居る地点からそう遠くない工場地帯の一角にある、小さな工場跡地に潜伏しているらしい。


おそらく、取引相手の入れ知恵なのだろう。
下手に動き回るうちに組織の手の者に始末されぬよう、そして、
取引成功の暁にはすぐにでも国外に逃亡させれるようにと考えたのだろうが。


「甘く見すぎだな…」


呟きと共に、私は地面を蹴って高く跳躍する。
常人ではありえない身体能力を行使し、私は工場の屋根から別の工場の屋根へと飛び移っていった。

闇を駆け抜け、目標地点へと向かう度に体が重くなるようだった。
早く終わらせたいと思うのと同時に、この命令自体がなかったものにならないだろうかとも思う。

思うだけ無駄だと分かっていても、思わずにはいられない。
苦しいほどに胸を締め付ける想いに、呼吸が乱れていく、向かう足が鈍くなる。

だが、足を止めない限りいつかはそこに辿り着くのだ。

目標地点付近へと降り立った私は、コートの内ポケットに手をやる。
目以外の全てを覆う作りの白い仮面、それは執行人の顔を誰にも知られないためのものだった。
そこに居るのが裏切り者だけとは限らない、別の組織の人間に顔が割れるようなことがあってはならないのだ。

仮面を装着すると、不思議と荒れていた気分が落ち着いていくのが分かる。
これを装着するその時だけ、私は蠍火になれるのだ。
組織を裏切る者に死刑を執行する、無慈悲な執行人へと。

一歩一歩と、裏切り者が潜む廃工場内部へと踏み込む。
埃臭く淀んだ空気に舌打ちをしたい衝動を堪えながら、壊れた窓から差し込む月明かりだけを頼りに歩く。
無論、周囲への警戒は怠ることはない。
物音を立てぬように歩きながら、私は辺りの気配を探っていった。


数分程歩いただろうか。
微かな物音に私の足はそこで止まった。
間違いない、裏切り者はこの近辺に潜んでいる。

私は息を一つ吐くと、意識を集中する。
数秒程で“結界”を生み出し、外界からこの空間を隔離した私は相手の出方を窺う。
能力レベルは一般兵程度とはいえ、さすがに結界を張られたら気付くだろう。

刹那、“念動波”が私の方へと飛来する。
私は片手を突き出してその念動波に自分の念動波を当てて相殺した。
次々に飛んでくる念動波は単調な軌道のものばかりで、相手の動揺が目に見えるように伝わってくる。

まさか、こんなに早く組織の手の者が来るとは思っていなかったのだろう。
つくづく、頭の悪い裏切り者だと思う。
組織の情報網は一国の諜報機関にも引けを取らぬレベル、仮にも一度は属した者ならそのくらい知っているだろうに。

念動波を相殺しながら私は徐々に距離を詰めていく。
近距離戦は苦手なのだろう、距離を詰める度に向こうは後退していた。
だが、いずれは…結界の端に辿り着く。
内部から結界を破壊すれば逃走出来なくもないが、それは向こうが私と同等もしくはそれ以上の能力者でないと叶わぬこと。

手に取るように伝わってくる焦燥、恐怖、そして僅かばかりの希望。

追い詰めながら、私は徐々に力を放出していく。
相殺から、攻撃へ。
裏切り者の心に僅かに浮かぶ希望を刈り取るように、攻撃の質を高めていく。

向こうの攻撃を相殺しながら、それとは別に生み出した念動波の軌道を操り相手の体に掠めさせる。
短い悲鳴が途切れ途切れに私の耳を打った。

それを数十秒も繰り返しただろうか、ついに裏切り者の攻撃が止まる。
警戒を怠ることなく、私は一歩一歩と靴音を鳴らしながら近づいていった。


月明かりに照らされた地面に膝を付く裏切り者。
赤く染まる全身を、私は他人事のように見つめる。
最早抵抗する気力がないのか、顔を上げようとすらしない裏切り者へと私は声をかける。


「…何か言い残すことはないか?」

「言い残すこと、だと…」

「ああ、ないならないで一向に構わない。
執行の前に聞いておくのが一応の決まりだから聞いただけだからな」


執行という言葉に、裏切り者の体から殺気が抜け落ちていく。
だが、私はそのことに対して何の感情も浮かんではこなかった。
最初こそ威勢よく迎撃する裏切り者は皆、相手が執行人であると分かった瞬間にこうなるのだから。

後はもう―――執行するだけだ。


「…なぁ、執行人さんよぉ。
俺が悪かったよ、頼むから…あんたから組織に話付けてくれねぇか。
幸い、と言っちゃあなんだが、まだどこの組織にも機密情報は売ってないんだ。
頼む、命だけは助けてくれ」

「…話はつけられなくもない」

「本当か!
頼む、組織に無事戻れたらあんたのために何でもする!」


命が助かるかもしれないと分かった瞬間、裏切り者は縋り付くような目で私を見上げてきた。


愚かな、いや、愚かだからこそあの組織を裏切ったのだろう。
こいつは今までにただの一度でも…組織を裏切った人間が復帰したという話を聞いたことがあるというのだろうか。
…そんな前例は今までただの一度もない、そして…これからも。

私は軽く息を吸うと、裏切り者に対して絶望を突きつけるべく口を開いた。


「…本来なら、問答無用で執行しているところだが…。
お前に選択肢を与えてやろう。
―――今すぐここで私の手にかかるか、組織に戻った後…精神破壊処理の上、人体実験用モルモットとなるか」

「…!」

「生憎、私は半端な立ち位置だ。
お前の死期をほんの少し伸ばすことくらいしか出来ない。
今すぐ死ぬか、そう遠くない未来で死ぬか。
どちらにせよ…お前にはもう、この二つ以外の選択肢は与えられない、分かるだろう?
―――組織を裏切る者には死を、それが組織の絶対の掟だ」


裏切り者の目に浮かぶ絶望。
一度は助かるかも知れないと伸ばした手を無残にも払われた裏切り者は、叫び声と共に飛びかかってきた。
私はその拳を避けながら腹部に掌底を一発叩き込む。
地面に崩れ落ちた裏切り者の口から血の混じった吐瀉物が吐き出されたのを一瞥しながら、私はその顔面を容赦なく蹴り上げた。


強烈な蹴りを食らった裏切り者の体は数メートル先まで吹き飛ぶ。
地面に転がり呻き声を漏らすばかりの裏切り者へと歩み寄り、私はその場に膝を付く。


「…我が名は蠍火、死刑を執行する前にお前に私の名の由来を教えてやろう」


裏切り者の肩に手を伸ばし、私は力を収束していく。
必死に四肢を動かそうと全身に力を籠める裏切り者の肩を掴む手に力を籠めると、肩の骨は呆気なく砕けた。
苦悶の形相を浮かべ、涙と血を流す裏切り者に私は最後の言葉をかける。


「蠍火、それは我が能力に起因する名。
日の当たる場所ではただの炎、だが…暗闇の中では鮮やかな緑光を放つ炎となる。
そう、まるで…暗闇の中で緑色に光る蠍のようにな」


言葉を言い終えると共に、私は自分の有する能力“発火能力(パイロキネシス)”を解き放つ。
緑色の光が裏切り者の全身を包むと同時に、人の背丈くらいはあろうかという火柱が発生し―――裏切り者は一瞬で炭と化した。

しばしその場に立ちすくんだ私は、天を仰ぐ。
月はもう、先程よりも傾き時間の経過を告げていた。

また、自分自身が生きるためにこの手で人を殺したという事実が、耐え難い重石となって私の心にのしかかる。
いつまで経っても、この重みに慣れることはない。
だが、慣れることはなくとも…私はまた、命令を受けたらそれを遂行するのだろう。

生きていたい、生き残りたい。

執行を拒否すれば、自分がこうなるのだ。
例え、意思のない操り人形の如く、執行人として人を屠ることしか出来なくとも…私は生きていたかった。


ゆっくりと仮面を外す。
頬を何かが伝った気がしたけれど、それは気のせいだろう。
もう、人を殺す度に泣くこともないくらい、私は数多の人間を屠ってきたのだから。

携帯を取りだし、組織に執行完了の旨を告げる。


―――淡い光を放つ月を一睨みして、私は次の命令を遂行するべく闇の中へと飛び出していった。