(28)450 『蒼の共鳴番外編-その先にある未来-』

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ゆったりとしたJAZZが流れる喫茶リゾナント。
光井愛佳は今日も、テーブル席に勉強道具を広げて課題に取り組んでいた。

課題をするなら家でやる方が、余程集中出来るのだが。
しかし、愛佳は喫茶リゾナントと―――そこに集うかけがえのない仲間達に出会ってからは、
テスト期間を除いて、ほぼ毎日リゾナントに顔を出すようになった。

集中が切れたら周りで談笑する仲間達の輪に加わればいい。
そして、また気が向いた時に課題に取り組めばいいのだ。
実際、家で独りで根を詰めていた以前と比べても、現在の方が試験の成績はいい結果が出せている。

黙々と課題に取り組む愛佳の手が、不意に止まる。
ノートの上に出来た影に視線を上げると、そこ優しく微笑む田中れいなの姿があった。


「…そろそろ休憩せんと。
愛佳が来てからもう二時間だし」

「へ、ああ…そんなに経ってました?
じゃ、ちょっと休みますわ」


愛佳の返事に、れいなはカウンターの奥にいるマスター高橋愛へと声をかける。
数分後、愛佳のテーブルへと愛がコーヒーカップを片手に現れた。

店のウェイトレスであるれいなと、マスターの愛と三人で談笑する。
最近話題の中心となっているのは仲間の一人である久住小春が拾ってきた子猫ミーのことだった。
今日はまだ一度もその愛らしい姿を見ていないことに気がついた愛佳は、愛達に問いかける。


「そういえば、ミーはどないしてるんですか?」

「あー、今カウンターのとこで眠ってるよー」

「寝る子は育つっていうけん、いっぱい寝かせると」

「そうですね、猫は“寝子”とも言ったりしますし」


愛佳の言葉に、二人は感心したように目を丸くする。
その視線が照れくさくて、愛佳は小さく苦笑いした。

他人はおろか動物にも興味のなさそうな小春が拾ってきた子猫ミーは、リゾナントに来てからすくすくと成長している。
後一月も経てば自分の足でリゾナントの中を歩き回るに違いないと笑うれいなは、以前にも増して雰囲気が柔らかい。
それを見つめる愛の瞳もとても慈愛に満ちたもので、愛佳の頬にも自然に笑みが浮かぶ。

笑い声に目が覚めたのか、カウンターの方から微かな鳴き声が聞こえてきた。
鳴き声が聞こえてきた途端、慌てて席を立ちカウンターへと向かうれいな。
その背中をしばし見つめた後…愛と愛佳は視線を合わせて微笑み合った。


「あー、ミー起こして悪かったっちゃ。
よしよし、れいな達静かにするけん、もう少し眠ると」


普段では考えられない、子供をあやすような甘い声。
愛と愛佳は口元を必死に抑えながら、視線を合わせる。
先に口を開いたのは愛だった。


「…今日が定休日でよかったわ。
あんなれーな、常連客が見たら大変なことになってたがし」

「そうですねぇ…別に、普段愛想悪く接客してるわけじゃないんですけどね。
でも、ミーに接している田中さん、普段の何倍も可愛いですよね」

「あー、れーな、猫好きなんだって。
実家に居た時も飼いたかったらしいけど、家族が猫アレルギーだから飼えなかったとか言ってたし」

「そうなんですか…じゃあ、ようやく田中さんの夢が叶ったんですね」


愛佳の言葉にそうやね、と返事をした愛は席を立つと自分と愛佳の分のコーヒーカップを持ってカウンターへと戻っていく。
入れ替わるように席へと戻ってきたれいなの両腕に抱えられていたのはミーだった。
鳴く度に席を立つよりは自分の傍に置いておいた方がいいと思ってと、れいなは少しばつが悪そうに微笑む。

相変わらず小さいミーを見つめて微笑む愛佳の耳に、おかわりは何がええと言う愛の声が届く。
ミルクティーお願いしますと答えた後、愛佳はそっとれいなの腕の中にいるミーへと手を伸ばした。
柔らかい手触りと温もりに微笑みが深くなるのを自覚した愛佳の耳に届いたのは、ドアベルの音。


「こんにちわー」


元気のいい声と共に、ぞろぞろと店の中に入ってきた仲間達。
大学から直接来たのか、重そうなバッグを持った道重さゆみ、そして片手に花束を持っている亀井絵里。
バナナを両腕に抱えたジュンジュンに、買い物袋を手に持ったリンリン。
そして、一番最後に入ってきたのは愛と共に仲間達をまとめるサブリーダー新垣里沙だった。

一気に騒がしくなるリゾナント。
皆、所定の席へと腰掛け、談笑が始まる。


絵里は持ってきた花を窓辺に置いてある花瓶へと挿した後、さゆみが座るテーブル席へと腰掛ける。
リンリンはカウンターの中にいる愛へと、持ってきた買い物袋を手渡しジュンジュンの座るテーブル席へと腰掛けた。

定休日なのにいつもと変わらない、否、一般客がいない分いつもよりも騒がしい喫茶リゾナント。
愛はせっせと全員分の飲み物を作り、れいながそれを皆に配る。


「こんにちわ」


最後に現れたのは小春だった。
今日は仕事がなかったのだろう、制服に身を包み変装用の赤い縁の眼鏡をかけた小春は、
れいなと愛佳がいるテーブル席へと真っ直ぐにやってくる。

れいなの膝の上に座るミーの姿に、僅かに口元に浮かぶ微笑み。
以前では有り得なかった小春の微笑みに、それを見たれいなと愛佳の口元にも柔らかな微笑みが浮かぶ。


「…ほら、小春」

「え」

「…抱っこせんと?」


れいなは小春へと、ミーを差し出す。
一瞬だけ戸惑ったような表情になった小春は、おずおずとミーへと手を伸ばした。

ぎこちない抱き方にミーは少しだけ掠れた鳴き声を上げた。
助けを求める小春の視線に、れいなは声を出さずに頑張れと口だけ動かす。
どう抱きかかえればいいのか戸惑う小春に向かって口を開いたのはジュンジュンだった。


「久住の抱キ方、なっテなイ!
私の方ガ上手ダ!」


一瞬、騒がしいリゾナントに沈黙が広がる。
小春とジュンジュンはけして仲がいいとは言えない間柄だ。
むしろ、よく周りを巻き込んで言い争いになり…その度に仲間達は気を揉むことになる。
小春の視線がジュンジュンに向いた瞬間、微かな緊張が周りに走った。


「…小春の抱き方がなってないっていうけど、ジュンジュンだって下手くそじゃん。
この間ミー抱っこしてるとき、ミーがすごい鳴いてたし。
あたしの方がまだジュンジュンよりは上手だもん」

「そんナことナい、あレはミーがお腹空イてタだけダ!」

「っていうか、この中だったられーなが一番ミーの扱い上手いと」

「えー、れいなよりもさゆみの方が上手いと思うの。
さゆみから溢れ出る愛にミーもメロメロなの」

「えー、絶対絵里が一番だし」

「リンリンが一番でス、バッチリンリンデース!」

「…野良猫の世話しとったし、愛佳が一番上手いもん」


一触即発かと思われた空気が再び、賑やかさを取り戻す。
誰が一番ミーの扱いが上手いかという話がヒートアップする店内は、先程よりも大きな喧噪に包まれる。


里沙はカウンター席からその様子を眺めて小さく微笑みながら、コーヒーカップへと口をつける。
カウンター内で一人洗い物をしている愛は里沙の方へと視線を向け、口を開いた。


「…騒がしいのぉ」

「そうだね、でも…いい傾向だよね」

「まぁ、前よりかは全然いいけど」


そう言って愛は溜息を吐きながら苦笑した。
その微笑みに里沙も思わずつられるように苦笑いを浮かべる。

小春はリゾナントに来た当初から、周りに馴染もうとはしなかった。
いつも攻撃的な態度で、どんなに優しく声をかけても棘のある言葉しか返さなかった小春。
その態度が原因で喧嘩になることも多々あったが、ミーが来てからは小春に変化が出てきた。

言葉に以前のような、他人を拒絶する棘がなくなった。
そして、積極的ではないものの、周りの人間とコミュニケーションを取るようになってきた。
その変化が皆分かるから、ほんの僅かでも空気がおかしくなりそうな時には声をかけて元の空気を維持する。

里沙は微笑みながら、コーヒーカップに口を付けた後ゆっくりと口を開く。


「…今はまだ皆…凍てついた氷かもしれないけど。
だけど…きっといつか、その氷は溶けて分かちがたい一つの流れになっていくんじゃないかなぁ」


静かに、そして、どこか他人事のように呟く里沙の言葉に洗い物を終えた愛はカウンターから手を伸ばす。
パシン、という軽い音と共に里沙の頭に走る一瞬の痛み。


「他人事みたいにいうな、馬鹿」


愛の言葉に、ごめんと素直に謝った里沙は再びテーブル席の方へと視線を向ける。

その視線の意味を知る者はなく、喫茶リゾナントにはぎこちなくも温かな空気が流れ続けた。


     *    *    *


課題があるから誰よりも先に帰宅の途に着いた愛佳は、不意に後ろを振り返って立ち止まる。

小走りで愛佳を追いかけてきたのは小春だった。
まさか小春が自分の後を追ってくるとは思っていなかった愛佳は、そのことに少しだけ動揺する。
途中まで一緒に帰ろう、そう声をかけてきた小春にいいですよと返事をしたものの、
今までだったらまずなかった事態に愛佳は戸惑いを隠せない。

戸惑いを隠せない愛佳を知ってか知らずか、小春はポツリポツリと今日あった出来事を愛佳に話す。
久し振りに学校に行ったという事、授業が進んでいて聞いていてもさっぱり分からなかったという事。
明日仕事をしたら数日は学校に通えるから、その間に少しでも周りに追いつきたい、そう言って小春は微かにはにかんだ。

小春に何か出来ることがあったら手伝う旨を告げながら、愛佳は小さく微笑む。
心を開いてくれている、そう感じるからこそ口元に笑みが浮かぶのを堪えられない。
幸い、小春の視線は前を向いているからその微笑みを見られることはなかったが。


「…そういや、さ。
みっつぃーは予知能力使えるんだよね。
未来が見えるって、どんな感じ?」

「そうですねぇ…」


不意に言われた言葉に愛佳は口ごもる。
大した意味もなく、話題の一つとして小春が話題を振ってきたのは分かる。

分かる、が、しかし。

愛佳にとって予知能力は、仲間達と出会うまでは忌むべき能力でしかなかった。
はっきり言って、今も余り好きにはなれない。
時には予知夢という形で、愛佳自身の意思とは無関係に未来を視ることもある。
大概、そういう予知夢は悪い予知夢であることが多く、誰にも話せずに一人眠れぬ夜を過ごすこともあった。

しばしの沈黙の後、愛佳は心のままに言葉を発する。


「どんな感じかは…まだ、愛佳はこの能力のこと、よく分かってないところがあるから上手く久住さんに説明できひん。
未来はこの一瞬にも姿を変えてて、愛佳に出来るのはその時一番鮮明に見えたものを皆に伝えるだけなんですわ。
…正直、正直言うと、たまに“その先の未来”を視るのが怖くなるんです。
愛佳の力だけじゃどうしようもないものが視得たらと思うと…」


そう言って黙り込む愛佳。
小春は一瞬迷った後、隣を歩く愛佳の手へと自分のそれを伸ばす。

自分よりも小さな手を、優しく包み込むように握る小春。
手を握ってきたことに戸惑う愛佳に、小春は自分にも言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「…大丈夫だよ、みっつぃーは独りじゃないから。
何が起きたって、皆で頑張れば乗り越えられるよ、きっと」

「久住さん…おおきに」


そっと握った手を握りかえしてくる感覚。
こそばゆさを感じながら、二人は無言で歩き続ける。

やがて、二人は駅へと続く大通りへと出た。
そっと繋いでいた手を解き、小春は慣れた感じでタクシーを呼び止める。

小春の上げた手に気付いたタクシーが、滑り込むように歩道の脇へと寄ってきた。
別れの挨拶を口にしようとした愛佳よりも先に、小春は愛佳の方を振り返る。


「じゃあ、おやすみ、みっつぃー。
また明日、リゾナントでね」

「…はい、おやすみなさい、久住さん」


小さな微笑みと共に、小春はタクシーへと乗り込んで去っていった。
だが、愛佳はその場にしばし立ち尽くす。

いつも、去り際に声をかけるのは愛佳だった。
そして、それに対して突き放すような返事をして小春は去っていく。

だが、今日は…小春の方から愛佳へと声をかけてくれた。
しかも、その口から発せられたのは…また明日会おうという、今までの小春だったらまず言わなかったであろう言葉だった。


しばし立ち尽くした愛佳は、駅へと向かって歩き出す。

やっぱりその先の未来が怖いと思ったりする自分も確かにいる。
でも、どうなるか分からない未来に怯える必要はないのだと、小春は教えてくれた。

また明日。

また明日という未来が、今はただただ待ち遠しい。
今日の様な日を重ねていけば、きっと、どんな困難も切り開いていけるはず。


―――駅へと向かう愛佳の足取りは、どこまでも軽かった。