131 :触雷! ◆0jC/tVr8LQ :2010/06/30(水) 02:08:44 ID:7J9UodzR 父の話とは、新しく立てる系列企業の社屋を、ミリタリーグレーに塗るかオーシャングレーに塗るかという、世にも稀などうでもいい事柄だった。 「もう、お父様ったら」 真面目に対応するのが馬鹿馬鹿しいので、軽いローキックで突っ込みを入れる。 「うぐっ!?」 倒れて動かなくなった父を放置し、私は父の部屋を出た。 元の部屋に戻ると、エメリアとソフィが待っていた。 「お嬢様、会長のご用件は……?」 「もう済んだわよ。貴重な時間を浪費したわ。続けましょう」 椅子に腰を下ろす。会議再開だ。 「エメリア。さっき言っていた、ゴキブリを油断させる作戦だけど、何か案はあるの?」 先程の話題に戻り、エメリアの意見を求める。 「はい。お嬢様がご婚約をなさってはいかがかと」 「婚約ね……当然いずれはするんだから、今してもいいけれど、それであのゴキブリが油断するかしら?」 私が疑問を口にすると、エメリアはとんでもないことを口走った。 「いいえ。詩宝様とではありません」 「……何ですって?」 私が詩宝さん以外と婚約する。そんなことは太陽が西から昇ってもありえない。 それは分かっているだろうに。 エメリアは気が触れたのかと、私は思った。 彼女も詩宝さんのことは慕っていて、私が詩宝さんと結婚した暁には愛人になる予定だったから、ゴキブリの出現で錯乱した可能性はないでもない。 「エメリアさん、どういうことかちゃんと説明してください」 私と同じように思ったのか、ソフィがせき立てる。 エメリアは「失礼しました」と言い、説明を始めた。 「つまり……お嬢様の偽の婚約を発表して、あのメイドを騙すのです。これほど、あのメイドが喜ぶ知らせはありません。必ず引っかかって、油断するでしょう」 「なるほどね」 趣旨は分かった。確かにその方法なら、ゴキブリを欺くことはできるだろう。 しかし、私は気乗りがしなかった。 例え嘘であっても、詩宝さんに対して二心を抱くような真似は、プライドが許さない。 第一、今詩宝さんは、ゴキブリの暴虐に耐えながら、私の助けを待っているのだ。 そんなときに婚約など発表したら、詩宝さんの絶望はいかばかりだろう。 想像したくないが、最悪の場合、世を儚んで……ということだってあり得る。 「でもねえ……」 私が躊躇っていると、ソフィが発言した。 「ボス。偽の婚約を発表するのと同時に、それが嘘だと詩宝様だけに伝えるというのはどうでしょう?」 それなら、ギリギリで許容範囲内だ。 しかし、あのゴキブリの目を掻い潜って、そんなことができるだろうか。 私はその疑問を、素直に口にしてみた。 「どんな方法で、詩宝さんに知らせるの?」 「それはですね……」 ソフィは私とエメリアの耳元で、ゴニョゴニョとつぶやく。 私とエメリアは頷いた。 「それなら、うまく行くかも知れないわね」 「はい。危険はありますが、やる価値はあります」 こうして、詩宝さん奪還作戦は、そのスタートを切った。 132 :触雷! ◆0jC/tVr8LQ :2010/06/30(水) 02:09:15 ID:7J9UodzR 「雌蟲は、ようやくご主人様を諦めたようです。やっと身の程が分かったのでしょう」 「うん……」 紅麗亜が持ってきた夕刊の記事を見て、僕は複雑な気分になっていた。 いつか、中一条先輩とお別れするのは分かっていた。 元々住む世界が違っていたのだから。 しかし、この婚約は、本当に先輩が望んだものなのだろうか。 そうであるなら、何も言うことはない。ただ祝福するだけだ。 だが、もし、周囲に強要されて婚約したのだとしたら。 そして、2日前のこの家での出来事が、それに少しでも関係しているのだとしたら。 僕は先輩に、とんでもなく悪いことをしてしまったことになる。 「…………」 何かを言おうと、口を開きかけた。 そのとき、玄関で呼び鈴が鳴る。 「出て参ります」と言って、紅麗亜が降りて行った。 誰が来たのだろうか。晃ではないだろう。さっき帰ったばかりだ。 (ちなみに、今日彼女が来たとき、僕は紅麗亜に「2階に上がって、絶対降りてこないでください」と言われたので、結局会えなかった。) 少しして、紅麗亜がまた上がってくる。 「申し訳ありません、ご主人様。郵便だそうなのですが、ご主人様に直接渡さないといけないそうです」 「うん。分かった」 大切な郵便物なのだろう。僕は1階に降り、玄関に出た。後から紅麗亜も来る。 待っていた配達の人に、僕は頭を下げた。 「ご苦労様です」 「紬屋詩宝様ですね?」 「はい。僕です」 「速達です」 そう言って、配達の人は封筒を差し出した。僕はそれを受け取る。 受け取ったとき、はっとなった。 封筒の下に、別の紙がある。 配達の人がいなくなると、紅麗亜は早速、「何の手紙ですか?」と聞いてきた。 咄嗟に僕は、踵を返して走り出す。 「ご、ごめん。ちょっとトイレ!」 一目散にトイレに駆け込んだ僕は、鍵をかけ、便座に座った。 まず封筒を見る。送り主は中一条家。 封筒に要件までは書いていなかったが、封は切らないでおく。 封をしたままで紅麗亜に渡さなければ、確実に彼女は怪しむだろうから。 そして、封筒の下に書いてあった紙を見た。 そこには、手書きでこう書かれていた。 『婚約は嘘です。一緒に送った招待状の場所に来てください。必ず助けます。 世界一大好きな詩宝さんへ 舞華』 中一条先輩の筆跡だった。