109 : ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:37:25 ID:VLaTQqMs
週初めというのは実にだるい。休日のだらだらした感じをそのままに、無理矢理体を動かすのだから。 
ローマは一日にしてならず、ということわざは本当なんだな、とつくづく思わされる。 
しかも…朝っぱらからこいつに出会ったらもう決定打。瞬獄殺を喰らったようなもの。僕のライフはもうゼロだ。 
「おっはよー☆」 
「…なんでアンタは朝からそうテンションが高いんだ」 
家を出て歩くこと20分。駅に着き、改札をくぐろうとしたとき、水城が現れやがった。 
「そりゃー、真司に出会ったからだよっ」 
「馬鹿か。僕は憂鬱で仕方ない。僕の半径5メートル以内に近づくな」 
「ひーどーいーよー、私と真司の仲じゃないのよぅー」 
「アンタと僕はただのクラスメイトだろ」 
「真司には見えないのー? この小指の先の赤い糸が。それと、いい加減"歌音"って呼んでよねー?」 
「ああ、その糸なら三組の伊藤の指と繋がってたな」 
「あんなでぶちんは眼中にないわいっ!」 
水城歌音は校内でも良くも悪くもかなりの有名人だ。 
良い意味では、水城は恐ろしく頭の出来がよく、運動神経も並外れてる。 
9月にあった前期末テストでは全教科満点をとり、体育ではサッカーをやらせればハットトリックは当たり前。 
バスケをやらせれば一試合に五回はダンクシュートか、ハーフラインより後ろからのスリーポイントシュートを決めると聞いたことがある。 
ちなみに水城の身長は156センチ。もはや化け物だ。 
悪い意味では…普段のこいつはまるでアホ。 
常にマイペースで、平気で女子の友達の胸を揉むわ、授業中は音楽聴きながら爆睡するわ、人目をはばかることなくオタクっぽい会話をするわ…変人、という言葉が一番似合う。 
しかも何の嫌がらせか、ここ数ヶ月は僕に付きまとってくる。 
休み時間は一人でいたい僕にねぇねぇと会話を振り、頭が良いくせにノートを写させろとせがんだり…はっきり言ってしつこい。 
さらに、どこぞの団長よろしく曜日によって髪型を変える習慣まであり、月曜日の今日は右側のサイドポニーと決めているようだった(ちなみにおとといの土曜日は左側のサイドポニー)。 
これで不細工なら誰も見向きもしない、痛いヤツで終わりなのだが…残念なことに、水城はかなりの美少女と名高いのだ。風の噂によると、高校で告白された回数は50回にも昇るらしい。 
だが水城は誰かと付き合っているようには見えない。全部フッたのだろうか? 
110 : ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:39:41 ID:VLaTQqMs
「! …ねぇ真司。休み中、女の子と会ったりした?」と水城がいきなり尋ねてきた。 
のえるの事を言ってるのか? なんて鼻の効く奴だ。だが僕は、 
「アンタには関係ないだろう」と答えた。 
「っ…! なによ、真司のばか! 私はねぇ…真司が心配なのよ!?」 
「何がどう心配なのか知らんが、心配ならまずわめくのをやめてくれ」 
「…ばか! もう知らない!」水城は僕を置いてさっさと階段を登っていった。…あんな水城は始めて見た気がする。 
しかし当たり前というか、電車はすぐには来ず、僕は余裕で水城に追いついてしまった。 
水城はむすっ、とした顔で黙っている。触らぬ神に祟りなし、僕は何も言わないことにした。 
『間もなく、一番線に準急、○○行き電車が参ります…』 
アナウンスが電車の到着を告げ、すぐに電車は僕らの目の前にやってきた。 
車内は人が溢れんばかりで、すし詰め状態だ。僕は押し負けないようになんとか電車に乗り込む。水城は無言で僕の隣に来た。 
扉が閉まり、電車が動き出す。初速の反動で大きく揺られるが、加速するにつれてバランスも安定してくる。 
水城は未だに沈黙している。普段なら、何が面白いのか僕の顔をじっ、と見てるのに今日は見向きもしない。 
それは"普通"のことなのに、普段から水城の奇行に慣れつつある僕にしてみれば不気味としか言いようがない。 
僕は顔色を窺おうと、水城の方をちらっ、と見た。 
……目を閉じて、なにかを我慢しているような顔をしている。肩が震えてる…? まさか! 
僕はそうっと水城の後方を見てみた。そこに立っているのはスーツを着た中年の男性。 
その男の手元を見てみた。すると…水城のスカートがはた目にはわからない程度にめくれているのに気づいた。耳をすますと、その部分からもぞもぞ、と音がする。 
「………しんじぃ…」水城がか細い声で囁いた。それだけで僕のすべき事が決まった。 
111 : ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:42:41 ID:VLaTQqMs
「おい、おっさん」僕は男の方にさっと向き直り、スカートの中の手を思い切り掴んだ。そのまま上に掲げる。 
「朝から痴漢行為を働くとはずいぶんと大層なご身分だな?」 
「な、なんだね君は!?」 
「痴漢野郎に名乗る名前なんざ、ないな」 
「い、言い掛かりはよせ!」そう言いながら男は顔中冷や汗をだらだら流している。 
「だ、第一君はいったい何者なんだ! その女の子の知り合いなのか!?」男は歌音を指差して言った。 
「ふん…僕は痴漢行為を指摘はしたが、こいつが痴漢に遭ったなんて一言も言ってないぞ。女性なら、あんたの目の前に三人はいるじゃないか」 
「あっ、しまっ……ぐぅぅぅ~~!」 
馬鹿な奴だ。制服が同じだからわかったんだとか、すぐ隣にいたからわかったんだとか言えばよかったものを…。歌音を除いた女性は二人とも私服。おまけに一人はどうやらズボンだ。 
それでもこんなブラフにひっかかるのは、この男にやましい所があって、指摘されて焦っていたからに他ならない。 
「しんじぃ…ふぇぇぇん…」歌音はとうとう僕にすがりつき、泣き出した。体はまだ震えている。 
「大丈夫だ、歌音。僕がついてる」 
「しんじ…しんじぃ……ありがとぉ…」 
##### 
次の駅で降りた僕らはそのまま痴漢野郎を駅員に突き出し、その場で警察を呼んだ。途中、男が何度も「金はやるから離してくれ」と言ってきた。 
僕はそれを聞いて蹴り飛ばしたくなったが、ミイラ取りがミイラになりたくもなかったので必死に怒りを堪えた。今は警察が着くのを駅の待合室で待っている状態だ。 
歌音はというと、ずっと僕の手にすがりついて泣いていた。僕は心配で歌音を慰めようと声をかけたが、 
「大丈夫だよ…真司が守ってくれたから、嬉しいの」と、涙の理由を教えてくれた。 
「あの…厄介なことになりましたよ」と、女性の駅員がそっと僕らに話しかけてきた。 
「さっきの男…○○党のカタヒラとかいう議員だったんです。しかも、『弁護士を呼べ』と言い張って…多分、金でなかったことにするつもりですよ」 
……クズ野郎め。 
112 : ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:44:06 ID:VLaTQqMs
「そんなことさせるか。…すみません、歌音を少しお願いします」 
「え? …は、はぁ」 
僕は歌音を駅員に預け、待合室を出て携帯を出し、父さんの会社に電話をかけた。 
親に頼るのも情けないが…それほど僕はあの男が許せなかった。 
『真司くんですね、お父様に御用でしょうか』 
「はい。急いで繋いでほしいのですが」 
『かしこまりました』 
僕がかけた番号は、以前父さんから教えてもらった、緊急連絡先。 
ここに電話をすれば、どんなに忙しくても父さんは出てくれる、そう教えられたのだ。 
ただし…緊急時以外の使用は禁止。父さんも、僕はけしてくだらない用事でこの番号を使わないと信じてくれるからこそ、このホットラインを用意してくれたのだ。 
『おお、真司。どうした』 
「悪い、父さん。…頼みたいことができたんだ」 
『…言ってみなさい』 
「僕の友人が痴漢を受けた。痴漢をしたのはカタヒラっていう○○党の議員。身元は駅員さんが確認した」 
『そして、地位と金でなかったことにしようとしている…そういう事か?』 
「…ああ。それをさせない為には、情けないが父さんに頼らざるを得ない」 
『情けなくなどはないさ。真司はまずその娘を痴漢から助けたんだろう? 十分だよ。…わかった、父さんに任せなさい』 
「…ありがとう。父さん、体に気をつけてな」 
『ああ、真司も気をつけてな』 
―――通話終了。僕は携帯をしまい、待合室に戻った。 
「だから弁護士を呼べと言ってるだろう!? 私はここを動かんぞ!」男はいまだわめきちらしている。 
「黙れクズ野郎。呼びたきゃ自分で呼べ」僕は苛立ちをそのまま口にした。 
「小僧、私が誰だかわかってんのか!?」 
「痴漢して開き直ってるクズの顔なんか知るか」 
「貴様…ッ」男は携帯を取りだし、電話をかけた。どうやら弁護士にかけているようだ。 
「キミか、実は厄介な事に巻き込まれてな…すぐ××駅に来てくれ。…何、キミ冗談はよしてくれよ。 
 え…懲戒? 略式で、たった今決定した、って…おいキミ何を言ってるんだ! おい…嘘だろ…」 
かちゃん、と携帯が男の手から滑り落ちた。男はさっきまでの開き直りが嘘のようになにかを呟きはじめた 
113 : ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:46:37 ID:VLaTQqMs
「私は悪くない私は悪くない私は悪くない……」 
…気分が悪い。僕は男から目を反らし、歌音のそばへ戻った。 
それから10分後、警察が到着した。男を痴漢の現行犯で逮捕、警察官の一人が手錠をかけた。その瞬間、男が弾けたように抵抗を始めた。 
「私は悪くない! そうだ、あの女だ! あの小娘が私を誘惑したんだ! 仕方なかったんだ! 離せ、離せえ!」 
…僕の怒りは限界に達した。つかつかと男に歩み寄る。拳を握り、男めがけて振り抜こうと…したのだが、 
「ぶふぉあッ!」 
それよりも早く、歌音のキックが男の顔面に炸裂した。 
「ふざけんじゃないわよ…誰が誘惑ですってぇ…!?」歌音は僕の腕を掴み、物凄い事を叫んだ。 
「私はねぇ! この桐島真司の事を誰よりも愛してるのよ! あんたなんか…眼中にないわよこの×××野郎!」 
もう一発ハイキックが入った。一瞬わけがわからず呆けていた警官が、慌てて間に入って歌音を制す。僕も一緒になって歌音を抑える。 
「落ち着け歌音! あの男はどちらにせよ社会的に死んだんだから!」 
「真司ぃ…はぁ、はぁ…ひぐっ」 
「…おい歌音!」 
「あれ…い、きが…?」 
…過呼吸だ。 
「駅員さん! ビニール袋を!」 
「は、はい!」 
歌音はなおもひゅうひゅう、と苦しそうにしている。僕の腕を掴む力はばかみたいに強くなってる。 
僕も鞄の中を探り、ビニール袋ないし応急処置に使えそうなものを探す。…だが見つからない。 
114 : ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:49:49 ID:VLaTQqMs
焦りを感じている中、突然腕を強く引っ張られた。 
「し、んじ…ごめん……ね…」 
歌音は僕の唇を塞いだ。そのまま必死に口呼吸をする。どうやら、ビニール袋の代わりに人口呼吸で代用するつもりのようだ。 
よくもまあそんな知識を持っていたな… 
「ふーっ…はぁ、はぁ…はぁ…んむっ…」 
「っは………おい、もう少しゆっくり息をしろ」 
「んっ……はぁ…………はぁ………」 
徐々に呼吸が落ち着いてくるのがわかった。歌音の、万力に匹敵する腕の力もだんだんと緩んできた。 
「はぁ……はぁ……もう、だいじょうぶ…だよ…」 
「…そうか」 
「ごめんね…嫌、だった?」落ち着いた歌音は、今度は僕の顔色を気にしながら尋ねてきた。 
僕は歌音の唾液で濡れた口元を軽く拭おうとしたのだが、それを聞いてやめた。僕にだってそれくらいの配慮はできる。 
「気にするな、案外悪くなかった」 
##### 
それから約1時間後。男は歌音のキックにより気絶したまま連行された。 
僕は学校に今回の顛末を連絡し、そのまま遅刻する旨を伝えた。 
伝えた…のだが、僕らはなぜか駅構内のマックにいた。 
「どんだけ食う気だ……」机の上にはポテトのLサイズ、バーガー、ドリンクがすべて二つずつ。ちなみにすべて歌音のもの。僕はベーコンポテトパイしか頼んでない。 
「だって急いでたから朝ごはん食べてなかったもの。どうせ遅刻するなら腹ごしらえしちゃう」そう言いながらばくばくと食べまくる歌音。 
「急いで、って………ん?」 
ここで僕はあることに気づいた。僕が改札をくぐったとき、つまり歌音と遭遇した時刻は7時42分。 遅刻するような時間じゃあない。 
しかも歌音は毎朝僕とばったり会う。偶然にしては出来すぎだと思ったが…まさか。 
115 : ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:51:07 ID:VLaTQqMs
「待ってたのか? 僕を」 
「………そうだよっ」歌音は顔を真っ赤にしてそう言った。 
「毎朝?」 
「うん」 
「偶然じゃないんだな?」 
「うん」 
「僕の事愛してるのか?」 
「うん………はっ、誘導尋問!?」 
「馬鹿だろ」 
まったく…どいつもこいつも、簡単に好きだの愛してるだの言いやがって……僕にはわからない。 
「むー…そういう真司はどうなのよ? 私の事…どう思ってるの?」 
「…わからないんだ」 
「…え?」 
「僕は生まれてこのかた、誰かを好きになったことがない。理解できないんだ。"好き"という感情が。それに…僕には恋愛なんて無意味だから」 
「………どういうこと? 無意味って」 
「僕は先天性無精子症だ。だからだよ」 
今まで誰にも話さなかったことを、僕は歌音に語り出していた。 
「それがわかったのは11歳のとき。僕の父さんも、生まれつき精子を作る機能が弱かったんだ。だからある日、病院に連れてかれて、そう診断された。 
 でも僕は父さんと違って、弱いどころか…全く"ない"。…僕が生まれたのも、奇跡的だったんだと」 
「……ふふっ」 
「何がおかしいんだ?」 
歌音はうっすらと微笑みながら言った。 
「馬鹿だねぇ真司は。子供ができなくたって、好きな人の傍にいられれば幸せなんだよ? …私が教えてあげる。私のこと好きにさせてやるんだから」 
「自信満々なんだな」 
「それが私の取り柄だもん。それに、真司だって満更でもないんでしょ。だって、さっきからずっと私のこと"歌音"って呼んでるじゃない。 
 いつもはアンタ、って呼んでるのに」 
「………!」 
気づかなかった。僕はいったいいつから名前で…? 
116 :少年 桐島真司の場合 3 ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:52:29 ID:VLaTQqMs
「私は真司のこと、好きだよ。真司と、ずっと一緒にいたい」 
「……わからないよ」 
「今はそれでもいいよ。いつか絶対、わからせてあげるから」 
歌音はそう言ってにこっ、と微笑みながら、二つ目のバーガーに手をかけた。 
##### 
結局、学校に着いたのは午後11時ごろになってしまった。 
まずは職員室に寄り、教師に事の顛末を報告せねばならない。 
「失礼します」と声をかけ、歌音と共に中に入ると、副校長と二、三人の教員がいた。 
「君か…」と副校長が口を開いた。僕は歌音に代わり、駅での出来事を、議員の懲戒の件を除いて話した。 
「ふむ…わかった。そういうことなら、今回は二人とも公欠扱いにしよう」 
「「ありがとうございます」」 
ここの副校長は、僕の中学のと比べるとかなり融通がきくと思う。別に、公欠になってもならなくても困らないが… 
「さて、もうじき10分休みのチャイムが鳴る。君達も早く教室に行きなさい」 
「はい」 
副校長に促され、職員室を出る。すると、体育教師で一年生の担当をしているうちの一人である、持田という教師とばったり会った。 
「う~ん? お前さっきの授業、いなかったよな?」 
「ええ、色々ありまして」 
僕はこの男が、一目見たときから嫌いだった。バスケの授業の事を根に持っている訳じゃない。そもそもバスケの時はもう一人の方の体育教師だ。 
この男は嫌に威圧的で、何かと理由をつけては生徒に因縁をつける。やれスカートが短い、男子の癖に髪が長いだの。 
そのせいで多数の生徒からは嫌われている。ねちっこい性格から、"ネチ田"というあだ名さえつけられているほどだ。 
「女連れで遅刻するたぁ、朝から結構なご身分ですなぁ」 
「持田先生! 真司は私を庇ってくれたんです!」 
「話は聞かされたよ。ふん、お前もお前だな。痴漢ごときで騒ぎやがって、減るもんじゃないんだし、黙って触らせておけば良かったものを」 
117 :少年 桐島真司の場合 3 ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:54:09 ID:VLaTQqMs
…よくわからないが、どうも今日の僕は頭に血が昇りやすいようだ。持田のその言い草に、黙っていることができなくなってしまった。 
「痴漢ごときとはなんだ。あんたに、歌音の味わった恐さの10分の1でも理解できるのかよ」 
「桐島、口のきき方に気をつけろよ?」 
「その言葉、そっくり返してやる。あんたこそ、とても教師とは思えない口のきき方をしてるぜ」 
持田の目つきが変わった。なめ回すような視線から一転、僕を厳しく睨みつけてくる。 
「教師に刃向かうのか? そんなやせっぽちの、もやしみたいな体で。聞いたぞ? こないだバスケの試合で倒れたんだってな。お前みたいなガキは見ててイライラすんだよ」 
「あんたみたいな大人気ない教師よりはましだ」 
「は! いいだろう桐島、放課後格技場に来い! 俺が直々に、お前に稽古をつけてやろう。…逃げるなよ?」 
そう言うと持田は、来た方向とは反対の方に去っていった。 
「真司! 今からでも謝ろうよ!」持田の姿が見えなくなってから、歌音がそう言ってきた。 
「こんなの、ただの体罰…ううん、嫌がらせだよ! あいつ柔道の段持ちだよ! 真司が勝てないのわかってて…ボコボコにされるよ!?」 
「あれで段持ちかよ。まったく、あんな奴でも段が取れるなんて、日本の国技が聞いて呆れる」 
「真司! 私のこと庇ってくれたのは嬉しいけど、そのせいで真司が怪我するなんて…嫌だよ!」歌音は弱冠涙目になっている。…こんな歌音は初めて見る。 
僕は歌音の不安を取り除いてやるように、言ってやった。 
「僕があんなやつに負けると思うか?」 
118 :少年 桐島真司の場合 3 ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:58:01 ID:VLaTQqMs
##### 
「聞いたぞ、桐島。お前、ネチ田に喧嘩売ったんだってな?」 
「売ってきたのは持田の方からだ」 
昼休み。 
さっきの一件はすでにクラス中、いや学年中に広まってしまっていた。おかげで僕は休み時間中、色々な奴に話し掛けられている。正直、鬱陶しい。 
歌音には、適当な場所で人目につかないように時間を潰すように言っておいた。いつものように僕に付きまとえば、間違いなく好奇の視線を寄せられるからだ。…世話焼き? ほっとけ。 
「大丈夫なのかよ? 以前他のクラスで似たようなことがあって、体罰とか稽古とかいってこっぴどくやられた奴がいたらしいぞ。ましてお前、バスケで倒れるくらいだし」 
「………バスケの件は思い出したくないんだ、話題にしないでくれ」 
「ねえ桐島くん」一人の女子生徒が割り込んできた。 
「あれ本当なの? その…歌音ちゃんが痴漢に、って」 
「僕は眠い。おやすみ、話しかけるな」 
僕は女子生徒を無視して、机につっ伏した恰好で寝たふりをした。拒絶のポーズだ。 
まったく…どいつもこいつも、本当に暇人だな。 
しかし僕の席の前に立っている生徒二人はおかまいなしで喋る。 
「でも珍しいわよね。いつも我関せず、な桐島くんが歌音ちゃんをかばうなんて。しかも痴漢とネチ田と、二回も」 
「ああ、そういやそうだな。桐島、ここ最近水城にかなり気に入られてたみたいだし…情がわいたのかもな」 
「かっこいとこあるじゃん、桐島くん。ルックスもいいんだし、もちっとアクティブになればモテるのに」 
こいつら、人が寝てる(ふりだが)のにお構いなしでぺちゃくちゃと……… 
今日の夕飯でも考えよう。そうだな…昨日買った合挽肉でハンバーグ、付け合わせは…… 
そんなこんなで6時限目まで終わり、あっという間に放課後を迎えた。 
僕はクラスメイトに絡まれる前にさっさと鞄を持ち、教室を出た。 
「真司!」…歌音が教室から飛び出して僕の名を叫んだ。 
「やめようよ! 真司怪我するよ!? 相手はネチ田だよ、逃げたって誰も馬鹿になんかしない…ううん、私がさせないから!」 
歌音はわかってるのだろうか…いや、わかってないな。普段からマイペースなあいつが、まさか教室内でみんながダンボ耳になってる事に気づくわけないか。 
119 :少年 桐島真司の場合 3 ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 16:59:56 ID:VLaTQqMs
「はぁ……」僕はため息をつき、投げやりに言った。 
「何言ってる、僕が怪我をするわけないだろう。僕はただ持田に、"稽古をとってもらう"だけなんだからな」 
……瞬間、教室から凄まじい歓声が響いたのは言うまでもない。 
格技場。床には発泡体入り軽量畳が一面に敷き詰められている。 
この高校には格技場を使う授業はなく、柔道部があるだけだ。だから、フローリングがあらわになることは滅多にない。 
持田はジャージ姿で格技場の真ん中にいた。 
「桐島、格技場に入るときは一礼しろと教わらなかったか?」 
「僕は武道をやりにきた訳じゃない」 
「減らず口を…お前は上にいる者に対しての礼節を欠いているな。俺が叩き直してやる」 
持田はさっ、と僕の前に立ち、右手で僕の制服の袖を、左手で襟元を掴んだ。いきなり投げ飛ばす気だ。 
「ふんっ!」持田は僕に対し、いきなり大腰を決めてきた。僕はとっさにばしん、と受け身をとる。 
「ほお、受け身の取り方は知っていたか。だがまだこんなものじゃないぞ? 七組の松本は痣だらけになるまでしごいてやった。お前も、同じようにしてやるよ」 
松本。その名前は知っていた。 
松本は図書委員で部活には入っておらず、ひょろい訳ではないがスポーツマンでもない、ごく普通の生徒だ。中学時代は卓球部で、柔道の体験談は聞いたことがない。 
なぜそこまで知っているかというと…僕も図書委員だからだ。 
まさかど素人に対してそこまでしていたとは…歌音の言う通り、これは理不尽な体罰、嫌がらせ。ならば…手加減は無用だ。 
入口付近が妙に騒がしい。どうやら、野次馬が何人も覗き見てるようだ。 
松本の時はここまで大騒ぎにならなかったと記憶しているが…これは僕、というより歌音の影響だろう。 
さっきは鬱陶しかったが、僕はこれを待っていた。言い換えれば、彼らは証人になり得るのだ。 
僕はハネ起きで畳から立ち上がり、持田に向き直った。 
「じゃ…先生には稽古に付き合ってもらいます」 
120 :少年 桐島真司の場合 3 ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 17:02:57 ID:VLaTQqMs
次の瞬間、持田は宙を舞っていた。 
「え…!?」 
どさっ、と大きな音がする。僕は、後頭部から落ちるように持田を投げたのだ。 
「あれ、先生。受け身もとれないんですか。…それで有段者ですか?」 
「ぐ…桐島ァ!」 
普通なら気を失ってもいいのだが畳に救われたようで、持田は再び立ち上がり僕に突進してきた。 
よく言うだろう。冷静さを欠いた獣はタチが悪い、と。だが、持田が冷静さを失うのはむしろ好都合だった。 
失えば失うほど、スキだらけになるからだ。 
僕はつかみ掛かってきた持田を軽くあしらい、また投げる。 
それでも持田は立ち上がる。そのたびに投げる。はたから見れば、お手玉をとっているようだ。 
「畜生!」持田はついに柔道をやめ、僕に拳を放った。だが僕はあえて避けない。 
拳が触れる瞬間、衝撃をやわらげる為に体を引きながら右頬に拳を受けた。 
僕は大袈裟に吹き飛び、倒れる。歯は大丈夫だが…さすがに痛い。だが、痣は確実にできただろう。柔道ではつくはずのない痣が。 
「ふは、ははははは…大人に逆らうからこうなるんだよ!」持田はゆっくりと歩みよりながら言う。 
目的は果たした。あとは持田に眠ってもらおう。僕は再びハネ起きをして立ち上がる。 
「何!?」 
油断した持田の懐に入り込み、そのまま素早く投げ飛ばす。さっきまでよりも、高く。…ここまで投げ甲斐のない奴は初めてだ。 
「あーっ、すいません!」畳にたたき付けられた持田。僕は投げた勢いを利用して跳び上がり、持田の鳩尾に肘を叩き込んだ。 
ばきっ、と音がした。持田はぐふっ、と情けない声を出し、泡を吹いて気絶した。 
「すいません、僕素人だから"うっかり"肘入っちゃいました! ほんとすいません!」野次馬どもにもよく聞こえるように大声で叫んだ。 
格技場の扉が派手に開かれた。野次馬(主にクラスメイト)が一斉に道場まで押し寄せる。 
(すげぇ…あのネチ田を倒しやがった) 
(しかも"うっかり"とか…白々しいな) 
(あのネチ田が一方的にやられてたぞ。しかも桐島、ご丁寧に顔に痣まで作って、抜け目なく被害者になってるな) 
(こりゃー、ネチ田もクビか? 松本のこともあるし) 
(…お、お姫様のご到着だぜ) 
「真司!」歌音が野次馬を割って、道場に入ってきた。 
121 :少年 桐島真司の場合 3 ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 17:05:17 ID:VLaTQqMs
「その顔…っ、大丈夫!?」 
「持田に殴られてな。けど大丈夫だ」 
「もっ…ばかぁ!」 
歌音は僕に強く抱きついてきた。瞳からは大粒の涙を流している。 
「ばか…心配したんだから………ぐすっ…ふぇーん…」 
「…すまないな」僕は歌音の頭をぽんぽん、となだめるように軽く叩いた。 
イヤッホー! と野次馬が騒ぎ出した。ヒューヒュー、と口笛を吹いたり、拍手をしだしたり…やかましい! 
その後、持田は気絶したまま保健室に運ばれた。僕は顔の痣の診察を勤務医に受け、「激情した持田に殴られた」と話した。その後、診断つきで担任にも報告。 
この点に関しては圧倒的な目撃者数、証言があり、疑う余地なしとされた。 
持田が寝ている間に事態は校長にまで報告され、持田が不在のまま職員会議にまで発展したらしい。…ただでは済まないだろう。 
すべてが一段落ついた頃には、もう日が暮れていた。 
僕は今、歌音と一緒に帰っている。仕方ないんだ…さっきから手を繋いだまま放してくれない。 
けど、歌音だけだ。僕がなぜ持田を返り討ちにできたかを尋ねなかったのは。…別に教えてもよかったんだが。 
「真司、今日は本当にありがとう」 
「…ん?」 
「私のこと、ずっと守ってくれたよね。今だって、家まで送ってくれてるし」 
「アンタの家が僕の家の近くだからだろ、たまたまだ。まったく…駅から歩いて10分だなんて。方角も同じだし、僕の家の目と鼻の先じゃないか」 
「素直じゃないなあ…まあ、そういうところも大好きだよ?」 
「……………そうかい」 
122 :少年 桐島真司の場合 3 ◆BaopYMYofQ :2010/02/19(金) 17:06:08 ID:VLaTQqMs
…のえるもまったく同じ事を言っていたな。やはり、二人は本当に僕を好きなのか。 
できれば教えてほしいよ、あんたらの精神構造を。いくら考えても、その感情が理解できないんだ。 
ただ…さっきクラスメイトにこう聞かれたとき、僕は回答に迷ってしまった。 
『どうして歌音ちゃんを守ろうとしたの?』 
わからない。ただ、無性にいらついたんだ。あの痴漢と、持田が。気がついたら行動していた。まるで、のえるを拾った時のように。 
本当に……僕は何がしたいんだ。 
最終更新:2010年02月19日 17:34