729 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13:04:38 ID:XfAuM+yJ
ランの爪が僕の頭部目掛けて振り下ろされ、響く悲鳴。
その悲鳴の主は、あろうことかランだった。
僕の頭部目掛けて振り下ろされた一撃は、僕の頭のすぐわきを穿っていた。
僕は無傷だった。
ランは絶叫しながら、頭を抱えてその場に蹲る。
「ラン?」
シルバーが怪訝そうな声をあげ、ランに駆け寄る。
すぐに、いくつかの悲鳴が続いた。
倒れていたポポややどりさんも、頭を抱えてうめいている。
まだ生き残っていたロケット団員の内の何人かも同様だ。
ただでさえ意識が朦朧としている上にこの急展開。
僕はさっぱり事態についていけていなかった。
僕は頭に特に何も感じるところはない。
それはランに声をかけているシルバーも、数人のロケット団員も同様のようだった。
特定の人間だけが苦しんでいる?
苦しんでいる人達の共通点はなんだ?
女性ということ?
いや、違う。ロケット団員に、僕らと同じように困惑している女性がいた。
じゃあ、なんだ?
苦しんでいるロケット団員を眺める。
そこで気づいた。
今苦しそうにしているのは、みんなポケモンじゃないか?
そう思ってみてみると、苦しんでいるのは皆一様にポケモンのように見える。
「ラン、引くぞ」
シルバーも未だ何が起こっているかよく分かっていないようだったけど、苦痛に呻くランを背負うと、林の中に走っていった。
この判断の早さはさすがというべきだろうか。
彼が林に逃げ込む直前、彼と目が合った。
僕は彼の目から何も読み取ることは出来なかった。
僕は数瞬呆然としていたが、辺りに満ち溢れる苦悶の声で正気を取り戻す。
立ち上がり、フラフラとポポとやどりさんの下へ歩く。
遠くからでもよくない状態だということは分かっていたけど、近付くとよりはっきりと容態が伝わってくる。
二人とも、息も絶え絶えだ。
頭のほうの原因は分からないけど、二人とも、重度の火傷を負っていることは明らかだ。
特にポポは酷い。ランと直接ぶつかった右の翼は酷く焼け爛れ、まさしく、焼き鳥と呼んでも差し支えの無い状態になっている。
焼き鳥だ。ははは、焼き鳥か。
こんな悲惨な状況なのに、何故だか、急に可笑しくなってきた。
「ご、ゴールド?」
リュックから取り出した火傷治しを患部に吹きかけていると、ポポが苦しそうに僕の名前を呼んだ。
「なんだい?」
僕は震える声で何とか答える。
笑えて笑えて、こんなことをいうのも一苦労だ。
僕の尋常ならざる様子に怯んだのか、それとも、傷が痛むのか、震える声でポポが言う。
「ゴールドは……早く二人を追うです……。ポポは、いいですから……」
「ふ、ふふっ、二人? 二人って誰のこと?」
ポポは青ざめた顔で続ける。
「さっきの、二人組みです。……ゴールド? 大丈夫、です?」
どうやらポポはこんな状況にも関わらず、僕の心配をしてくれていたらしい。
ポポの真剣な顔がまた可笑しい。
「ああ、いいんだよ。くっく……だって毒が塗ってあったんだ」
「……毒……です?」
「そう! 毒! 僕のあのナイフにはねえ、猛毒が塗ってあったんだよ! 掠っただけでも死ぬようにってね!」
僕はもう堪えきれず、お腹を抱えて笑い出した。
この日のために用意した、特別なポケモンの毒。
旅の準備をしているとき、何気なくリュックの底に入れた毒ナイフは、僕の最も望んだ形で使われた。
「毒、毒、毒だよ! はっはっはっは! 毒って! はははははは! だからほっといても死ぬんだよ! うふふ、あはははは!」
「ごー……るど?」
「そうだよ! 死ぬんだよ! ひーっひっひ!」
不意に暖かいものに包まれた。
気づかないうちに、やどりさんが這ってここまできていたらしい。
火傷はポポに比べれば大したことないけど、謎の頭痛は感じているのだろう、鎮痛な面持ちだった。
730 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13:05:15 ID:XfAuM+yJ
「ゴールド、もう……」
「やどりさんも笑おうよ! こんなにおかしなことはないよ! だってシルバーは死ぬんだよ!」
子供の頃からの、一度は諦め、忘れた宿願がようやく叶うんだ。
嬉しくないわけが無い。
……いや、本当は分かっている。
シルバーは何も悪くなかった。
僕は無実の親友を、愚かな勘違いで十年間ずっとうらみ続けて生きてきて、そして間抜けにも全てが手遅れになってから、ようやく真実を知った。
勘違いしただけならまだしも、勘違いから愚行を成し遂げてしまった。
稀代の馬鹿だ。当代きっての大馬鹿者だ。
こんな滑稽な話はない。
こんなにも笑えるのは、それは僕がとんでもなく滑稽だからだ!
僕はやどりさんに背中から抱きつかれたまま一通り笑い、そしてそのまま気を失った。
女の子の呻き声で目が覚めた。
僕は焦げた地面に倒れていて、隣にはやどりさんが、前にはポポが倒れて呻いていた。
起き上がって周りを見てみると、ロケット団は死体以外はもうどこにもいなくなっていた。
でもまだ日は高い。そんなに時間がたったわけではなさそうだ。
仲間に生じた異変に、僕達に構っている余裕なんか無かったのかな。
もしかしたら二人が撃退してくれたのかもしれない。
僕はといえば、あんなに愉快だったのが嘘のように、最悪な気分だった。
脳みそが鉛になったみたいだ。
きっと、それは焦げ臭い地面で寝たせいだけじゃないだろう。
僕は、気絶する前のことをできるだけ考えないようにした。
途中だったポポの翼の治療を機械的に行い、呻く二人を起き上がらせると、二人に肩をかして何とか歩き出した。
僕の手持ちの道具で出来る治療なんかたかが知れてる。あくまでも応急処置だ。
ちゃんとした治療を行うために、そして二人の頭痛の原因を確かめるためにも、急いで病院にいく必要があった。
ポケギアを取り出し、救急車を呼ぼうとする。
「……あれ? 圏外!?」
しかしこともあろうに画面には圏外の文字。
おかしい。旅のルートはすべて電波状態が良好なように整備されているはずなのに。
ロケット団に電波塔が倒されたりしたのだろうか。
しかし、これで俄然まずいことになった。
まさかこの一刻を争うって時に、救急車が呼べないなんて。歩いてポケモンセンターまで行けというのか。
……立ち止まっている余裕は無い。
ここからだと桔梗市に戻るより、丁子町に行ったほうが近い。
だから僕は丁子町に向かうことにした。
しかしポポの火傷のダメージは、思ったよりもずっと酷いらしい。
通行所を越え、数百メートル歩いた頃には、ポポはもう歩くどころか自分の力で立つことすらできなくなった。
ポポは青い顔をして苦しげに息を吐いている。
飛行用の器具でポポを僕の背中にしっかりと固定すると、ポポを背負って僕達は再び歩き出した。
さらに、大きな誤算があった。
丁子町へと続く道を進んでいた僕達の前に現れたのは、湖。
そういえば、ここを通る以外に丁子町へと行く方法は無かったんだ。
意識が錯乱していたとはいえ、僕はなんて馬鹿な判断をしたんだ。
頭を抱えてその場に蹲り、そのままじっとしていたい欲求に駆られたけど、そんなことをしている場合じゃない。
背中のポポから、どんどんと命が失われていっているようで、怖かった。
その恐怖が、この状況から逃げだしたくて今にも消えてしまいそうな僕の正気を、かろうじて繋ぎとめていた。
しかしポポは飛ぶことなんてとてもじゃないけど出来ないだろうし、やどりさんも頭痛のせいで念力は使えそうになさそうだ。
なす術がないじゃないか。
湖を前にして途方に暮れる僕に、やどりさんが言った。
731 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13:06:13 ID:XfAuM+yJ
「……私が……泳ぐ……だから……捕まっていて」
息も絶え絶えだ。
言葉を話すのも辛そうなのに、泳げるわけが無い。
しかしポポの容態を考えると、とてもそんなことを行っている余裕は無かった。
僕はポポにチラと目をやると、意を決して水に飛び込む。
ポポが悲鳴を上げた。僕も呻き声を漏らす。
全身の火傷に水がしみる。
一刻も早く病院に行ったほうがいいのは僕も同じようだった。
やどりさんに捕まると、やどりさんはすいすいと進みだした。
さすが水ポケモン。その名前は伊達じゃないらしい。
しかしさすがに消耗しているようで、進むごとにペースはドンドン落ちていく。
僕が呼びかけるも、次第に答えてくれなくなった。
向こう岸が見えてくる頃には、もはや泳いでいるのか漂っているのか分からない速さになっていた。
首を後ろに回すと、真っ青な顔をして目を閉じているポポが目に入る。
唇は紫に変色しており、息は荒く、か細く、震えている。
今にも消えてしまいそうだ。
体温が大分下がっているみたいだ。体の半分も水に浸かってはいないのに。
仕方が無かったとはいえ、ポポを水に入れたのは失敗だったかもしれない。
しかし、この状態では湖を前にして留まり、体力の回復を待つわけにはいかなかった。
一刻も早い治療が必要だった。
焦燥が苛立ちに変わる。
僕は判断を誤ってはいないはずだ。
……もう向こう岸は見えている。
僕も寒さでかじかんで、手足の感覚があまりないけれど、それでも泳いで向こう岸にたどり着くことは出来ないだろうか。
自分一人ならまだしも、ポポを背負ったこの状況で。
いや、リュックが浮き袋の役割を果たしているから沈むことは無い。
ならば行けるはずだ。
「やどりさん、やどりさんは一人なら向こう岸にたどり着けそう?」
「……いや、だ」
「え?」
「ゴールドを置いていくくらいなら、私も一緒に死ぬ」
一瞬の間が空き、気がついた。
やどりさんには僕達を見捨てて一人で助かってと言っているように聞こえたのか。
言葉が足りなかったな。この状況では誤解するのも無理は無い。
「違うよ、そうじゃなくて、僕はポポを背負ってこのまま自力で向こう岸を目指す。やどりさんは自分一人ならもっと速く進めるんじゃないかないかと思って」
言葉にして気づいた。これ、結局僕達を見殺しにして一人で進むってのと変わらなくないか?
やどりさんにもやはりそのように聞こえたようで、厳しい声で答える。
「……ポポを置いていこう」
「……え?」
「ゴールド、冷静に考えて。湖を渡っても、町まではまだ何キロもある。ポポはもうもたない。どうせダメなら……」
「そんなことはない!」
「ゴールド!」
水面が声で波立った。
シンと静かになった空気を切り裂くように、冷たい声で続ける。
「ここで、ポポと一緒に死ぬ気?」
「……う……し、死なない」
「なら……」
「でも! ポポも死なせない!」
「ゴールド! お願い! 聞き分けて!」
「嫌だ! 絶対に嫌だ!」
頭では分かっている。もう駄目だ。
でも、諦めることなんてできない。
ここでポポを見捨てるくらいなら、いっそこのままポポと心中したほうがマシだ。
やどりさんの背を離れ、リュックを下にして泳ぎだす。
向こう岸が見えるとはいえ、僕の今の体力から言って、その距離は絶望的なほど遠い。
それでも、懸命に手足を動かすしかなかった。
732 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13:06:41 ID:XfAuM+yJ
「どうしたー? 大丈夫かー?」
遠くから唐突に、男の声が聞こえてきた。
半ばうかされたように振り向くと、遠くにボートが見えた。
釣り人みたいだ。助かった!
「助けてくださいー! 怪我人がいるんですー!」
渾身の力で声をはりあげた。寒さでみっともなく震えていたけど、今はそんなこと気にしている場合ではない。
僕に呼びかけたのでなくても構わない。僕に気づいてもらわないと。
「待ってろー! すぐ行くぞー!」
聞こえたか不安だったけど、しっかりとした声が返ってきた。
エンジン音とともに、水しぶきを上げてボートがこちらに近付いてくる。
三人で浮かんで待っていると、ボートはあっという間に僕達のところにたどり着いた。
釣り人のおじさんはすぐに僕達をボートの上まで引き上げてくれた。
「たまげたなあ。お前らどうしてこんなところに。それにこのひでえ怪我」
「あの、僕達、旅の参加者で、それで、ロケット団に襲われて」
「ロケット団! 奴らもうこんなところまで……しっかし、ロケット団に襲われてよく助かったなあ」
「運がよかったんです。でも、この通りパートナーは重症で、それに、ポケモンの様子が変なんです。皆頭を押さえて苦しがって……だから早く病院に連れて行かないと」
「そういや、今日は一人もポケモンを見なかったなあ。いつもは必ず餌をくすねてくんだが……っておめえ、これ酷い怪我じゃねえか! なんでこんな状態で水になんか入れた!」
「で、電話が通じなくて、どうしようもなかったんです。僕じゃ治せないし、すぐに病院に連れて行かなくちゃと思って」
いつの間にか僕は涙声になっていた。
説明をしているうちに岸にたどり着いた。
おじさんと協力して二人をボートから降ろす。
「電話が通じねえって……あれ、ほんとだ。おかしいなあ」
おじさんも自分の携帯電話を取り出し、不思議そうに画面を眺めている。
「いつもならこんなことねえんだが……。しょうがねえ、俺の車に乗れ! ポケモンセンターまで連れて行ってやる」
「あ、ありがとうございます!」
「礼は後だ。いいから早く乗せろ!」
急いで二人を車に乗せ(車の中が水浸しになって申し訳なかった)、町に向かうが、町のが近付くにつれ、様子がおかしいのに気づいた。
「……なんだ……煙?」
おじさんの声で視線を前方に移すと、確かに進路上から煙が上がっていた。
まさかここもロケット団に?
町を襲うなんて全盛期のロケット団でも滅多にやらなかったことだ。
多分違うと思いつつも、唾を飲む。
そういえば、復活後のロケット団は以前にまして過激になっていると聞いたような気がする。
市街地に近付くにつれ、事故が目に入るようになってきた。
それも一件や二件ではない、いたるところで事故が起きている。
「こりゃあ一体……」
おじさんも言葉を失っている。
「多分、原因不明の頭痛と関係あると思います。運転中に急に頭痛に襲われて……」
「朝、町を出るときはなんともなかったのに……」
そのまま車を走らせていく。
幸運なことにというべきか、警察の整理のお陰というべきか、道路を通ることが出来たのはありがたかった。
ようやく見えてきたポケモンセンターの前にはすさまじい人だかりがあった。
人がポケモンセンターに納まりきらず、道路に毛布がしかれ、寝かされている。
皆、一様に苦しそうな表情を浮かべていた。
人だかりの奥から、拡声器によって拡大された声が聞こえてくる。
「頭痛の原因は現在調査中です! 通常の怪我を負った患者を優先して治療していますので、ご協力ください!」
やはり、皆一様に頭痛に襲われているらしかった。
ただでさえ多発した事故のせいでパンク状態の病院に、治療のめどが立たない頭痛患者が山ほど押し寄せてきたんだ、病院は大混乱に陥っていた。
「助けてください! 大怪我なんです!」
人だかりの前まで来た僕は、ざわめきにかき消されないように、精一杯の声をはりあげた。
僕の声は届いたようで、すぐにタンカを持った人達が人ごみを掻き分け、病院の中から躍り出る。
僕が少し離れたところで止まっている車を指差すと、すぐに二人は車から運び出され、タンカに乗せられて病院の中に入っていった。
「ありがとうございます」
僕はおじさんに深々と頭を下げた。本当に、感謝してもしきれない。
733 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13:07:14 ID:XfAuM+yJ
「おじさんがいなければ、今頃、僕達は……」
「気にすんな。怒鳴って悪かった。てっきりお前がパートナーよりも自分の功名心を大事にする屑トレーナーかと勘違いしちまってな」
「いえ、そんな、本当に、なんとお礼を言ったらいいか……」
「お礼なんていい、いい。その代わり、困ってる奴を見たら、今度お前が助けてやればいい。俺も、昔旅に参加したとき、人に助けてもらったことがあってな。
それより今はパートナーの傍にいてやれ。ポケモンセンターに来たからもう安心だとは思うが、どうも様子がおかしいしな……」
おじさんも随分と困惑した様子だ。
確かに、この光景はどう見ても異様だ。誰もが言い知れぬ恐怖を覚えているだろう。
「はい、本当にありがとうございました」
もう一度おじさんに頭を下げると、僕は病院に入っていった。
病院の中は外より酷い状態だった。
頭痛にも個人差があるらしく、外に寝かされているのは比較的経度の人だったらしい。
多くの人は頭を抱えてのた打ち回り、いたるところから呻き声や叫び声が聞こえてくる。
人ごみを掻き分け、治療室の前までくると、僕はそこのベンチに腰を降ろした。
酷く疲労していたせいか、それとも安堵のせいか、こんな酷い喧騒の中にも関わらず僕はすぐに意識を失った。
誰かの呼びかけで目が覚めた。
目を開けると、目の前にはやどりさんが立っていた。
しばらく頭が回らず、ぼんやりとやどりさんを見ていたが、彼女は何も言わず僕の前に立っている。
そういえば、あんなに騒がしかったポケモンセンターがすっかり静かになっている。
「やどりさん?」
「なに」
「大丈夫なの?」
「うん」
そう答えるやどりさんにはまったく苦しそうな様子はない。本当みたいだ。
よく頭が回らず、ぼんやりとしていると、ちょうど職員の方が通りかかった。
彼女の説明によると、始まった時と同様に、唐突にポケモンの原因不明の頭痛は治まったという。
原因は相変わらずわからないが、ポケモンセンターの収容能力を超えているし、とりあえず症状は治まったので帰宅してもらった、と。
それで静かになっているのか。
尤も、多発した事故の治療のため、平時に比べて忙しいのは変わらないらしい。
ポポは見た目どおり重症だけど、治療すればちゃんと元に戻るらしい。
ポケモンセンターについた以上、命の危険はないと思ったけど、それでも一安心だ。
やどりさんの治療はもう終了したそうだ。
僕のほうも、順路を外れてこんなところにいる理由の説明を、郊外でジム戦に向け戦闘訓練をしていたらロケット団と偶然遭遇し、そして今に至るということにしてごまかして説明した。
ポポの治療が終わるまでここに泊まっていってもいいということになり、いつものように一室を割り当てられた。
割り当てられた部屋に入り、ベッドの端に腰を下ろす。
今は乾いてはいるものの、先ほどまで水浸しの服を着て、その上椅子に座りながら寝ていたので、体の節々が痛い。
それも加わって、ますます気分は重い。
やどりさんは僕の隣に座り、心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。
「ゴールド、大丈夫?」
もちろん大丈夫じゃない。でも、彼女に心配をかけたくない。
だけど、彼女に気を使うのも億劫だった。
「うん、大丈夫だよ。服を洗いに行くついでにお風呂にいってくるから」
そういって、会話を終わらせる。
リュックは防水のため、中に水は入っておらず、幸い、換えの服がないということはなかった。
僕についてきたやどりさんと脱衣所の前で別れると、のろのろと服を脱ぎ、洗濯機の中に放り込んだ。
浴室には当然なんだけど、ほとんど誰もいない。
いつもなら広い浴槽を独り占めできることに少しは高揚感を覚えそうなものだけど、今の僕はまったく心躍ることもなく、ただ作業的に入浴を終えた。
734 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13:07:46 ID:XfAuM+yJ
脱衣所から出ると、すぐ前に相変わらず心配そうな顔をしたやどりさんが立っていた。
「遅かったから、おぼれてるかと思った」
「ははは、まさかそんな……」
あながちありえないとも言えなかった。
部屋に戻ると、すぐに床に就いた。
なかなか寝付けないが、何もする気になれず、布団に包まって丸くなっていた。
浅い眠りを何度か繰り返していると、いつの間にか外から日が差していた。
しかし起きる気になれず、壁のほうに向き直ると、またそのままぼんやりとし、眠るともなく、起きるともなく時間を潰す。
「ゴールド、ゴールド、朝ごはん、食べに行こう」
やどりさんが僕を呼ぶ声も、寝たふりをしてやり過ごした。
布団にこもっていても、一向に疲れが取れる様子は無い。
それどころか、ずっと横になっているせいでむしろ体は凝ってだるくなり、頭もますます曇っていく。
それでも、僕に動き出そうという気は起きない。
昨日から、僕は暗雲の中にいた。
今まで思い続けたことがすべて嘘だった。
そして僕は十年近い間、ずっと無実の罪を負い、苦しんで生きてきた親友を殺してしまった。
僕の今までの思いはいったいなんだったのだろう。
正義も何もない。僕はただの人殺しとなってしまった。
警察にすべてを告白すべきだ。
それはわかっている。
でも、僕はどうしようもない屑だった。
捕まりたくない。
まさか、こんなことになるなんて、思ってもいなかった。
僕は、罪の意識に、そして自分がしでかしたことの恐ろしさに責めさいなまれていた。
様子のおかしい僕を心配してくれているとはわかっていても、後ろにいるやどりさんの気配がうっとおしかった。
一人にしてほしかった。
昼食の誘いも、寝たふりでやりすごした。
日が暮れてきた頃だろうか、ちょっと前からいなくなっていたやどりさんが、人を連れて帰ってきた。
まさか警察?
寝たふりを続けていたけど、脈拍が俄かに速くなるのが分かった。
「ゴールドさん? 若葉ゴールドさーん?」
やどりさんではない、女性の声で呼びかけられる。
僕は目を強く瞑り、耳を閉ざした。
「昨日からこんな調子なんですよね?」
「はい」
女性の問いにやどりさんが答える。
「ゴールドさーん、起きてくださーい」
今度はそう呼びかけながら、僕の体を揺すってきた。
「どうしたんですかー?」
きっと僕が答えるまでこの調子で僕に構ってくるのだろう。
そう判断した僕は、意を決して目を開けた。
薄暗い室内に、白い服があった。
看護婦さんか。
僕は人知れず胸をなでおろした。
「……ほっといて下さい。具合が悪いんです」
相手が看護婦さんだと分かれば、僕がもう関わる理由はない。
ぞんざいにそう返答する。
「どこが悪いんですかー」
しかし相手は猫なで声で聞いてくる。
そりゃあ相手は看護婦。具合が悪いと言ったら原因を求めるのが当然だ。
「いいからほっといて下さいよ……寝てれば治りますから」
僕はそう言って、頭まで布団をたくし上げた。
ふう、とため息をついたのが聞こえてくる。
735 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13:08:18 ID:XfAuM+yJ
「困りましたねー。これじゃどうしようもないですよ」
「だからほっといて下さいって言ってるじゃないですか」
「そういわれましても、昨日からずっとこんな調子なんでしょう? お体を悪くしますよ?」
いっそ、悪くしたかった。
そのまま体調を崩して死にたかった
そうして、一切の責任から逃げたかった。
「……ポポちゃんも心配してますよ」
そこで予期せぬ名が挙がった。そういえばポポはどうなったのだろう。
僕の疑問は言葉にする前に回答が返ってきた。
「目を覚ますなり、ゴールドさんを探して大変だったんですよ。一度見に行かれたら、安心されると思いますよ」
大変な騒ぎになったのは想像に難くない。
が、僕はそれでも行く気は起きなかった。
「しょうがないですね、それじゃ点滴しましょうか」
どうやら、ここにいる限り僕が体調を崩すすべはないらしい。
どんな抵抗を試みても、外部からの措置により治されてしまう。
「大丈夫ですよ、ちゃんと自分で食べれますから」
「それじゃあこれをどうぞ」
布団をはぐって顔だけ出した僕の眼前に、プラスチックの白いボトルが差し出される。
表面にはなにやら英字が印刷されていた。
「これは?」
「総合栄養ドリンクです」
昔食べた怪我治療用の食事が思い出された。
どうしてポケモンセンターという施設はこう怪しいものを開発(採用?)するスキルに長けているのだろうか。
こんな得体の知れないものを飲みたがる半病人がいるもんか。
「他にはないんですか?」
「他といいますと……これですとか」
そう言って看護婦さんが取り出したものはパッケージを水色にした以外は先ほどのものと同じように見えるものだった。
「これは?」
「総合栄養ドリンク、朝専用です」
「……朝専用?」
「はい。朝に相応しいすっきりとしたのど越しとキレにひたすらこだわった意欲作です」
栄養ドリンクに何を求めているのだろうか。
いったいどこに需要があるのだろう。市販されているわけでもなさそうだし。
「……さっきのでいいです」
「そうですよね。今は夕方ですものね」
そういう問題じゃない。
「ではどうぞ、ぐいっと」
看護婦さんに押し付けられ、僕はしぶしぶボトルのチューブを加える。
一口吸い込んだ瞬間、僕の口腔内に濃厚なフレーバーが充満する。
何これ、甘っ! 苦っ! あ、生臭っ! 何これ生臭っ! あ、でも酸っぱっ!
五つの味覚と複雑な香りが瞬時に僕の口内から脳天へ突き抜ける。
どう考えても人が飲むものではなかった。
「そーれいっきっ! いっきっ!」
看護婦さんは手拍子をしながら僕を囃し立ててくる。
いや何考えてるんですかあなたは!
「……いっき、いっき」
やどりさんまで、控えめではあるもののそれに唱和した。
何を考えてるんだこの人たちは。
というかこれを一口でも口に入れたことがあるのかあなたたちは!
特に病院関係者! 採用した人!
抗議しようと口を離しかけたその瞬間。
「……ちゃんと飲まなきゃ、だめ」
やどりさんの念力によって無理やり内容物が押し込まれる。
ちょ、ま、ま、あぁっ!
一瞬間のうちに、僕は今までの人生でおおよそ摂取したことのないようなおぞましいものに蹂躙され尽くした。
736 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13:08:53 ID:XfAuM+yJ
「これで、ゴールドも、元気に、なる」
荒い呼吸をして伏している僕を前に、やどりさんは安心げにそう言った。
僕が元気になったように見えますか、やどりさん。
「明日も調子が悪いようでしたらお申し付けくださいね。今度は朝専用をお届けします」
看護婦さんはそういって上機嫌で出て行った。
キレとかのど越しとか、そういう領域の飲料ではない気がするんですけど……
明日はちゃんと食事を取ろう。
僕は固く決意した。
翌朝……の前に。
前日寝すぎたせいか、夜中の二時という中途半端な時間に目が覚めてしまった。
そのまま寝なおそうかと思ったけど、そこで僕は、僕の寝ているベッドの前に椅子を持ってきて、そこに座っているやどりさんに気がついた。
そーっと顔を見たら、目をつぶっている。
座ったまま寝ているらしい。
思えば、やどりさんはずっとこうして僕のことを見守ってくれていたのか。
申し訳ない気分になった。
なんだか寝付けなくなってしまった僕は、そっとベッドを抜け出し、身支度をしてポケモンセンターの前に来た。
誰もいない道路を、街灯がむなしく照らしている。
そこには、僕が来たときのような喧騒はまったくなかった。
あの時の記憶は鮮明に思い出されるが、あまり現実感がない。
現在の情景もあいまって、全部夢だったようにすら思える。
「……ゴールド」
いつのまにか、僕の後ろに来ていたやどりさんに声をかけられた。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「……大丈夫、なの?」
そういえば、昨日に比べて気分は大分よかった。
考えたくないが、もしかしたらあの栄養ドリンクが効いたのかもしれない。
「う、ん。結構よくなったとは思うよ」
「……そう」
そこからしばらく沈黙が続く。
僕は黙って空を見上げていた。
町がすっかり寝静まっているおかげで、星々が綺麗に見える。
不思議なほど、心の中から澱みが消えていた。
「やどりさん」
「……何」
「僕、警察に全部話そうと思う」
「…………そう」
「ごめん、結局こんなことになってしまって」
「いい」
「え?」
「あなたが決めたなら、それで、いい」
彼女はそう言って、柔らかく微笑んだ。
それだけで、僕は少し救われた心地がした。
「……ありがとう」
最終更新:2010年06月12日 09:02