206 名前:アヤツリ人形【第一話】  ◆S96vOI40zw [sage] 投稿日:2010/10/09(土) 03:04:55 ID:6gHj1X7Z
「あなたがいないと、私は死ぬらしいのです」
「…………は?」
 思わず首を傾げた僕に対し、初対面であるはずの彼女は数回瞬きをしてから、

「あなたがいないと、私は死ぬらしいのです」
 同じことを繰り返した。
 いや、僕が聞き返したのは決して聞こえなかったからとかそういう理由じゃないんだけど。
 BGMよろしく小鳥が背後で囀っている中、刺さるような彼女の視線から逃れるように視線を外し、

「悪いけど、何のことかさっぱりだから」
 彼女が開口一番に言った言葉を聞いた直後から鳴り響いている警鐘に従い、僕は来た道を全力疾走で駆け戻った。
 困っている女の子を助けないというのは基本許せないたちなのだが、彼女の場合はどうにも事情が違っていた。
 まず、困っているという様子が一切掴めない。表情が一貫して無表情なものだから、むしろこっちが困ってしまう。
 第二にどう聞いてもまともじゃないあの言葉。
 僕がいないと死ぬって何だ。遠回しの告白?あなたがいないと生きていけない、みたいな。
 ねーよ。仮にそうだとしても怖いわ。
 そして第三に、彼女の雰囲気が、僕にはどうにも恐ろしく感じられた。
 肩に届くか届かないかという艶のある黒髪は毛先が酷く雑に切られており、肌が異様に白く、大きな瞳はどこか濁っているようだった。
 またそれと相対するように彼女はとても綺麗な顔立ちをしていたため、余計に恐怖感を煽がれる。
 関わってしまえば、絶対にろくな目に遭わない――そんな不吉な空気を彼女は周囲にばらまいていた。

 息を切らせながら五つほど曲がり角を横切った辺りで背後を確認してみる。しかし、そこには人っ子一人いはしなかった。
 これで追いかけられていたら、それこそホラーだ。
 ほっと胸を撫でおろして携帯電話の時刻を確かめてみると、そこには8時38分と表示されていた。

「……一限目は、40分開始だよな」
 どうやっても間に合いそうにない。
 深呼吸と同時進行で、僕は大きく息をついた。

207 名前:アヤツリ人形【第一話】  ◆S96vOI40zw [sage] 投稿日:2010/10/09(土) 03:05:55 ID:6gHj1X7Z
 ・・・

「それって幽霊じゃない?」
 目を爛々と輝かせてそう言った千葉は、妙に嬉しそうだった。
 千葉千華【ちばせんか】。やや茶色がかったショートカットと白色のカチューシャが特徴的なクラスメイトである。 
 僕の真ん前に席を構えているため、遅刻した理由を聞かれたついでに今朝のことを話したところだった。

「服はどんなのだった?」
「赤いラインの入った紺色のセーラー服。ここらでは見ない制服だろ?」
「うーん……セーラーなら南高だけど、あそこはライン白だしね」
「そもそも、幽霊なんてどこから出てきたんだよ」
 確かに恐怖感は感じたが、そういう怪奇現象とは違うものだ。
 しっかり足もついていたし、存在感はむしろありすぎるぐらい。インパクト大で一生はともかく、あと数カ月は忘れられそうもない。

「だって、伊槻君の説明がそんな感じに聞こえたんだもん」
 そう少し頬を膨らませるように言った千葉。
 まあ、ホラーだとか不吉だとかいう言葉を使ってしまったので、そう思われるのも無理はない。
 かといって、百パーセント幽霊ではないとも言い切れないわけだが。
 そんな風に若干盛り上がりに欠けた会話を繰り広げていると、

「紺色のセーラーで幽霊か」
 まるで今までの会話を盗み聞きしていたような声が聞こえてきた。
 ので、声の主の方へと振り返ると、案の定思っていた通りの奴が腕を組んで思案顔を形成していた。

「しかも美人だと……?よし、伊槻。もう一回その子を呼び出してくれ」
「だから幽霊かどうか分からないって言ってるだろ」
 もし幽霊だったとしても呼び出すってなんだ。魔物でも降臨させる気かお前。
 大真面目な顔で阿呆なことを頼んでくるのはクラスメイトその2、城主遠矢【しろぬしとおや】だ。
 大層な名字をもっているが、城主の家自体はごく普通の中流階級のはずである。

「でも、私も見てみたいなー」
「千華ちゃんもこう言ってることだし、な?」
「な?じゃねえよ」
 できるわけないだろ。
 ばっさりそう言いきると、当たり前だが最初から期待していなかったとでも言いたげにふたりはため息を吐いた。

「まあ、幽霊にしろ幽霊でないにしろ、伊槻君がいないとその子死んじゃうんでしょ?なら、近いうちにまた来るんじゃない?」
「……嫌なこと言うなよ」
「いいよなー、美人がわざわざ訪ねてくるなんて」
「城主。お前は美人って単語から離れろ」
 一日の始まりこそ妙なものだったが、学校に着いてしまえばそんなものは関係なく、いつも通りの時間が流れていた。
 平々凡々とした、変わりのない時間だけが、ゆるゆると流れて行くだけだった。

208 名前:アヤツリ人形【第一話】  ◆S96vOI40zw [sage] 投稿日:2010/10/09(土) 03:06:41 ID:6gHj1X7Z

 ・・・

 夕暮れ時。学校に忘れ物をして、それを取りに行ったら教室で変なもの、人に出会いました。
 そんな非日常系学園ものにおけるテンプレ的地雷を、僕は踏んでしまったらしい。

「困ります」
 そう言った彼女の瞳にはやはりなんの感情も浮かんではいなかった。
 白い肌に夕陽の赤色がよく映え、窓から入る風になびいている髪すらも赤く見える。
 場違いにもそれを綺麗だと思いながら、僕は教室中央にある自分の席の傍で立ちつくしていた。
 その様子を瞬きもほどほどに見つめ、彼女はすうと音もなく教室の扉を閉める。
 今朝の紺色セーラーの少女は、ごく普通に、教室の引き戸からここへ入ってきたのだ。

「あなたは、私のたったひとつの〈ドール〉ですから」
 逃げられると、困ります。
 呟くようにそう言い加え、足音小さくこちらへ近づいてきた。
 僕は後ずさりすらできずに、千葉とは正反対な彼女の瞳をずっと見つめ続けている。

「もう私にはあなたしかいないのです」
 だから、逃げないでください。
 紺の生地を揺らせながら、彼女は空気にすら溶け込んでしまいそうな程、澄んだ声を発した。
 得体のしれないものに近寄られるのは誰だって嫌だろう。僕も決して例外ではない。
 徐々に近づいてくる彼女から、離れたくてたまらなかった。

 けれど、体は動かない。
 体が、動かない。

「私の手足となってください。私の身体となってください。私のものになってください」
 そして、もしそれが完了したなら、
「私と、仲良くなってください」
 言って彼女との距離が数十センチをなったとき、どこからかパキリという音が鳴った。
 彼女の言っていることもさることながら、何がなんだかわからずに音の正体を探して背後の窓へと目を向けると、

 教室の窓ガラスが、一瞬にして消滅した。

 ――そう思ったのもつかの間の話で、すぐさま視界には黒い何かが入り混じり、凄まじい風と身を切りつけられているような鋭い痛みが全身を覆う。
 窓ガラスは消えたのではなく、粉々に割れて、こっちに吹き飛ばされてきたのだ。
 とっさに目を瞑り、無意識に何かを掴んで抱き寄せてから、窓に背を向ける。

 なんだ これ


209 名前:アヤツリ人形【第一話】  ◆S96vOI40zw [sage] 投稿日:2010/10/09(土) 03:07:21 ID:6gHj1X7Z

「キャハッ」
 風が止んだ後、混乱して取り乱す暇もなく、背後から甲高い子供の笑い声が聞こえてきた。
 やっとのことで目を開けて自分の掴んでいるものへ目を向けると、涼しげな顔でいる得体のしれない彼女が、僕の腕に収まっていた。
 高校生にもなって未だ男女の付き合いをしたことがない僕には、例え相手が正体不明女の子であっても衝撃的すぎるものだった。

「ご、ごめ、」
「私がさせたことですから」
 謝りきる前に、彼女はそう言ってするりと腕の中から抜け出て行った。
 いろいろと考えるべきことはありそうなものだが、まず僕が思ったのは「彼女は絶対に幽霊じゃない」ということ。
 ちゃんと掴むことができたし、体温もあった。……その名残が妙に生々しい。

「みーいつけたあ、かすかちゃんとおにんぎょさん」
 そんな無邪気な声を聞いてやっと我に返り、僕は現状を思い出した。
 じわじわと痛みだした無数の切り傷を気にしながらも慌てて振り向けば、窓の外にいたのは、

「うわ、いたそー」
 三毛猫を連想させる茶と白と黒の混じった滅茶苦茶な髪色をした七歳ほどの女の子だった。
 どういうわけか、その子は黒い何かの上に立って宙に浮いている。よく目を凝らして見ると、

「カラス……?」
 少女の足元でうごめているそれは、カラスだった。

「あの子は鳥類専門ですから」
 なんでもないように言う彼女は、先ほどのガラスで切れてしまったのか頬から血を流している。
 今までさんざん無視を決め込んでいたものに、そろそろ向き合わなくてはいけない時が来たらしい。
 やや混乱気味の頭をひねり、なんとか僕は口を開く。

「お前ら……一体、何なんだ?」

 すると、彼女は夕陽に染まった赤い瞳で、

「私たちは〈人形遣い〉。あなたはそれに操られる〈ドール〉すなわち〈人形〉」


 ――そして、私はあなた専門の人形遣いです。
最終更新:2010年10月17日 22:15