456 名前:フェイクファー 二 ◆4Id2d7jq2k [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 23:56:08.34 ID:vY/ox+IM [2/4]
予鈴が鳴った。
五分後には本鈴が鳴る。それはすなわち授業開始の合図だ。
机の中から、教科書類を文字通り引っ張り出す。
五限目の教科は現代文。
用意するものは多いが、実際に使うのは教科書とノートくらいだ。
便覧とか、辞典とか、そういったものの出番は少ない。
机の上に教科書、ノート、その他を出す。
机のスペースが簡単に埋まってしまう。
俺は現代文の授業が嫌いだった。
もっと限定して言えば、机の上が無駄なもので溢れるのが嫌いだった。
机の上を一瞥し、溜息をつく。
ふと、右隣の席で騒々しく鞄を探る女の子が視界の隅に映った。
視線を向けると隣の席の女の子、犬飼 桃(いぬかい もも)が、
「ないなぁ、ないなぁ」と、間の抜けた声をあげて、鞄の中を引っ掻き回している。
多分、教科書かなにかを忘れたのだろう。
やがて諦めたのか、鞄の口を閉じて、鞄を机の横にひっかけた。
そして彼女は、一つ大きく溜息をつくと、俺の方を向いて、口を開いた。
「あのー、赤星くん」
咄嗟に、目を逸らす。
「赤星くん、あのー……」
聞こえていないふりをする。
楓との約束が頭の中をぐるぐると廻る。
『楓以外の女の子としゃべらない』
昨日の今日で、約束を破るのは正直怖い。
視線を落とす。視界が、机に積まれた国語辞典の表紙でいっぱいになる。
少しして、横目で隣の机を見ると、誰もいないことに気付いた。
他の人に借りに行ったか――。
457 名前:フェイクファー 二 ◆4Id2d7jq2k [sage] 投稿日:2012/05/01(火) 23:58:22.72 ID:vY/ox+IM [3/4]
ほっとして顔を上げると、犬飼が目の前に居た。
彼女の身長が平均より高いためか、俺が座っているせいか、目の前に立たれると中々の圧迫感があった。
彼女は癖のある茶色がかった髪をしていて、今どき珍しく三つ編みにしている。
楓より強く自己主張する胸と、おしりのラインは、男子高校生には少々刺激が強い。
ツンと少しとがった鼻にのせた銀のフレームの眼鏡は、彼女を知的に見せていた。
ちなみに、楓とは小学校のころからの付き合いだが、犬飼とは高校で知り合った。
「赤星くん」
「……はい」
返事をした。
目の前に居る人が自分に話しかけているのに無視するのは、いくら約束があるからって失礼だ。と、思う。
「わたし、教科書忘れちゃったみたいだから、
見せてほしいんだけど……、いーい?」
「えっと……」
俺は迷った。
だが、なるべく約束を守ろうと思った。
「そっちの、右隣の人に見せてもらったら?」
「今日、休んじゃったみたいで」
「じゃあ、あれだ、隣のクラスの人から借りてくるとか」
「もう、授業始まっちゃうよ……」
「教科書使わないかも」
「今日、絶対音読周ってくるよー……」
「いや、でも……」
『楓が』と言いかけたところで、本鈴が鳴った。
犬飼がそそくさと自分の席に戻る。
「申し訳ないんだけど、この時間だけ!ね?」
そう言って、犬飼は手を合わせた。
俺じゃなくて、楓に手を合わせてくれ。
そう、文句を言いたいのを、俺は我慢した。
授業が始まると、犬飼は机をがたがたと動かし、俺の机とくっつけた。
先生はそれを見て、『忘れたのはどっちだ』と少し語調を強めたが、
忘れたのが犬飼の方だと知ると、『犬飼ならいいや』と、さっさと手に持った教科書を開いた。
理不尽だ。
苦笑いした俺の視界の隅。
楓が射るような視線でこちらを睨んでいたことは、その時は気付かなかった。
458 名前:フェイクファー 二 ◆4Id2d7jq2k [sage] 投稿日:2012/05/02(水) 00:00:38.87 ID:Et+rfft0 [1/3]
「私の言ったこと、覚えてる?
聴く気あった?ちゃんと聴いてた?
言ったのいつだと思う?昨日だよ?
秋くん。約束破ったね……」
放課後の教室。夕日は雲の中に隠れている。
昨日より、暗い。少し教室内の空気も冷えている。
教室内の空気が冷えているのは、気温のせいだけではない。
唇を噛み、握り拳を作り、わなわなと震えている。
楓の声が教室に響くたび、教室の、いや、俺と楓の二人の間の空気が冷えていくのを感じる。
「秋くん」
楓が俺の右頬を手のひらで叩く。
「か、楓……」
「問答無用」
もう一度、同じように右頬を叩かれる。
もう一度。もう一度。もう一度。
「秋くんは物覚えが悪いみたいだから……!
身体で、こうやって覚えこまないと……!」
もう一度、同じ場所を。
右頬を何度も叩かれる。
「私以外の女としゃべらないでっ!
秋くんが他の女としゃべるの、どのくらい嫌か!
秋くんは知らないでしょ!」
右頬が、火傷したように痛む。
右頬の感覚が徐々に麻痺していく。
「おまけに何あの女! 図々しく机くっつけちゃって!
教科書忘れたくらいで私の秋くんに!」
楓の怒声の迫力に、後ずさりをした。
瞬間。
世界が一回転したような感覚。
尻もちをついた。足元には椅子の脚。
「あっ!秋くん!」
楓の顔からさっと、血の気が引いていくのが分かった。
459 名前:フェイクファー 二 ◆4Id2d7jq2k [sage] 投稿日:2012/05/02(水) 00:04:05.00 ID:vY/ox+IM [4/4]
肩を震わせ、歯はカチカチと音を立てている。
動揺。
やがて、大粒の涙を零し、その場にへたり込んだ。
「あぁ……秋くん……ごめん……私……、
ごめんなさい……ごめんなさい……」
「か、楓……」
『ごめんなさい』を繰り返し、泣くじゃくる楓。
俺は、頭の中から慰めの言葉を探した。
けど、混乱した頭からは、気の利いた慰めは浮かばなかった。
結局、ありきたりなことしか言えない。
「……楓、俺は気にしてないから」
「うっ……うぇぇ……、嘘……」
「本当。第一、約束を破ったのは俺だ」
楓を泣き止ませようと必死になる。
もとより、守れない約束だとたかをくくっていくせに、。
俺は調子良くほざく。
「楓は悪くない」
「でも……ここ……こんなに腫れちゃった……」
楓の白く小さい手が、俺の右頬に触れる。
電流が走ったような感覚。
「いてっ!」
「わ……ご、ごめん……私……」
「良いって……大したことない」
自分の頬を撫でる。
言った通り結構腫れているようだが、
本当に大したことはことはないと思う。
暫く二人で向かい合ったまま、じっとしていた。
楓の、鼻をすする音はやまない。
廊下から人の声が聞こえた。
教室の壁にかかっている時計を見る。
うす暗くて見づらいが、大体六時前後と分かる。
楓が落ち着いたのを見計らって声をかけた。
「そろそろ帰ろうか」
「…………うん」
最終更新:2012年05月05日 11:53