710 名前:今帰さんと隠し物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/23(火) 21:37:25 ID:hosSoLM. [2/8]
「阿賀くん」
終礼が終わり、いつものように速攻で教室を出ようとした僕の背中に声が投げられる。
特別に特徴があるわけでもないのに、ざわめく教室の中でもすっとよく通るこの声は今帰さんのものだ。聞き間違えるはずも無い。
しかし妙だ。クラスの頂点におわします天上界の麗しの天使が、地を這うゴキブリにいったい何のようだろう。
昨日の口封じでもされるのかな。
できるだけ不自然にならないように返答をしなければならない。
放課後で気の緩んだリア充たちが跋扈する教室という空間。ヘマをすれば僕のリアクションはこれからの彼らの笑いの種になってしまう。
ただでさえゲラゲラ笑って愉快に生きている彼らにこれ以上笑いを提供するするほど僕はボランティア精神にあふれていない。
「あ、なにかな、今帰さん」
言葉の頭に『あ』がついてしまうのは許容して欲しい。
ぼっちは声を出さないから、正式な発話の前に発声練習が必要なのだ。それが『あ』なんだ。日常会話の度にいちいち『あー、あー、声帯のテスト中。声帯のテスト中』なんてやるよりははるかに効率の良いやり方だろう?
「また明日」
「……え?」
ええと、何か用事とかあったんじゃないのか?
また明日というのは別れの挨拶だ。
ということは会話はこれで終わりということだ。
会話がこれで終わりならどうして話しかけたりしたのか。目的は何だ。
終わりとなる会話を始めたってことは、挨拶そのものが目的ということだ。
つまり彼女は俺に挨拶をしたかったということになる。
……なんで?
俺が混乱から完全に停止していると、突然、今帰さんの隣にいた、ええっと、誰だっけ、まあその誰かがげらげらを手を叩いて笑い出した。
「ちょ、カナに話しかけられてアガ超てんぱってんじゃん! ウケルー!!」
今帰さんも少し申し訳なさそうにしながらも、くすくすと笑っている。
そんなに間抜けな顔をしてたんだろうか。
「ごめんね、そんな顔されると思わなくって」
「あ、いえこちらこそ。びっくりして」
「声かけられただけでビビるとか!」
その誰かはそういってまた大笑いを始めた。
うるさい。手をパンパン叩くな。その動作は本当に意味のある必要な動作なのか。笑うという行為のどこにその動作が必要な部分があるのか。顎と手が連動でもしてるのか。それにあなただっていきなり僕に話しかけられたらびっくりするだろう。その逆だ。
曖昧な笑みを浮かべたまま所在無さげにしていると、今帰さんが助け舟を出してくれた。
「じゃあ、また明日ね」
今帰さんはそう言い、僕に向かってフリフリと手を振る。
「あ、ああ。また明日」
ああ、見事にリア充に笑いのネタを提供してしまった。
711 名前:今帰さんと隠し物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/23(火) 21:37:57 ID:hosSoLM. [3/8]
彼女の意図がさっぱり分からない。
僕に挨拶していったい何の得があるというんだ。
自らの優しさのアピールとしたってさすがに度が過ぎている。
優しさは向ける相手を選ばなければならない。
そうしないと、優しい人から変な人にクラスチェンジしてしまうからだ。
道端の子犬を可愛がるのはいい子だが、道端のホームレスを可愛がるのは変な子だ。そういうことだ。
一般人が使う『優しい人』は本当の意味での優しい人を指わけではない。
……たった一度、別れの挨拶をされただけで悩みすぎだ。
単なる、ほんの気まぐれかもしれないじゃないか。いや、そうじゃないと考える要素もない。
昨日の今日だから、なんとなく挨拶をしてみただけだろう。
今帰さんは空気の読める人だ。
だから、「僕に挨拶することは空気が読めないことなんだ」ということをすぐに学習、あるいは再認したはずである。
ということは明日からは何もない。
やはり考えすぎたな。ああ、また無駄な時間と神経を使ってしまった。
――――――――――――――――――――――――――
今度は宿題を忘れた。
しかも今度気づいたのは家についてからだ。
ああめんどくさい。
僕はため息を吐きながら学校に戻る。
最近、物忘れが激しい。
ぼっちには助けてくれる人がいないから、こういった些細なミスが生活の致命傷となりうる。
それゆえに神経使って、つまらないミスをしないように日頃から気をつけているのに。
どうしてそんな苦労をしてまでぼっちをやるんだと言われたら、そこまでしてでも、不毛な人付き合いに時間と神経を費やすよりマシだと思っているからだ。
まったく、人付き合いとは不毛なものである。
……嘘です。強がりを言いました。本当はどうやったら人と仲良くできるのか、さっぱり分からないだけです。
それにしても、この年にしてもうボケが始まったかな。
ふと、携帯でアルツハイマーについて調べてみる。
とあるサイトに、メジャーな認知症とは異なり、症状は徐々に進行すると書かれていた。自覚症状がないことが多い、とも。
怖い。
アルツハイマーマジ怖い。
なんだよ若年者でも発症するとか初期状態の自覚症状の僕との一致具合とか、マジ怖い。
携帯なんてものが無ければこんなもの調べずに済んで、不安になることもなかったのに。ああ、これは文明が齎す闇だ。
大げさな暗い妄想を振り払うように、僕は足早に教室に急いだ。
夕暮れ時の学校にこんな短期間に二回も来ることになるなんて。
帰宅部の僕にはまったく縁がない空間に、僕は違和感を抱きながら廊下を進む。
なんというか、すごいアウェー感だ。
712 名前:今帰さんと隠し物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/23(火) 21:38:19 ID:hosSoLM. [4/8]
そもそも今帰さんが原因なんだ。
もちろん、彼女は何も悪くない。僕が勝手に動揺しているだけだ。
それでも、どうにも調子が狂ってしまった。
クラスのカーストトップに話しかけられて、いったいどこのカースト最下位が平常心でいられるのか。
なんとなく、部活中の生徒の目を出来るだけ避け、こそこそと教室に向かう。
教室の扉は昨日とは異なり、ぴったりと閉じられていた。
教室の前で一度静止する。話声は……無い。
このステップを忘れるとうっかり僕の悪口を言うクラスメートに出くわすということになりかねない。
あるいは、僕以外の人間に対する悪口でも同じことだ。
そんなことになったらお互い気まずくてしょうがない。
教室の戸を開けると、夕焼けに照らされて一人の人影が佇んでいた。
今度は、それが誰だかすぐに分かった。
「また会ったね」
今帰さんははにかむように笑う。
その様はあまりにも可憐で、夕焼けの彩度が30%くらい増したようにすら思えた。
そう言えば、鬱病に罹患すると、世界が暗く、白黒に見えると聞いたことがある。
すごいよ今帰さん。鬱病の特効薬だよ。
「阿賀君?」
その声で、僕はドアに手をかけたままアホみたいに突っ立ってたことに気づいた。
「あ、そ、そうだね」
昨日とは打って変わって、今度は僕がどもる番だ。
「あはは、こういうのって少し恥ずかしいよね」
「こ、こういうのって?」
僕みたいな気持ち悪いのと、放課後の教室で二人っきりになることだろうか。
いやそれはおかしい。それならば正しい感想は少し恥ずかしいではなく大分気持ち悪いのはずだからだ。
「また明日って言ったのに、今日中にまた会っちゃう、みたいなこと」
ああ、それなら分かる。間が悪いというかなんと言うか。
「今度からは、また明日じゃなくてまたねって言おうかな」
彼女はそう言って思案顔になる。
それがとても様になっていて、僕は笑ってしまう。
「なに、どうしたの?」
「あ、あああいや、そそそそういうわけじゃなくてですね、こんなことで考え込まなくてもって思って」
だって、それは無駄な思案だ。そもそも僕に声をかける必要なんてないんだから。
「大事だよー。また恥ずかしい思いしたくないもんー」
「あはははは」
僕と同じだ。誰だって恥はかきたくない。恥の多い生涯を送ってきたけども。
「今日はどうしたの?」
「しゅ、宿題を忘れてさ」
「あっ、山田先生の? 山田先生、厳しいもんね」
「そうそう。ちょっと、苦手でさ」
「私も、少し苦手。阿賀君にも苦手なことってあるんだね」
今帰さんはくすくすと笑う。
苦手なことがあるも何も、僕は苦手なことだらけだ。僕くらい苦手なことが多い人間もそうはいない。
そもそも普通に生きるってことから苦手なんだから。
713 名前:今帰さんと隠し物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/23(火) 21:38:41 ID:hosSoLM. [5/8]
「ど、どうして?」
「阿賀君、いつも涼しい顔してるから」
涼しい顔、か。そんな風に思われていたなんて、意外だ。
単にからかわれたくなくて、感情を顔に出せないだけなのに。
「僕には、今帰さんに苦手なことがあるほうが意外だよ」
「えー、どうして?」
「今帰さんはいつもにこにこ優しい顔をしてるから。それで、その顔で何でも難なくこなしちゃうじゃないか」
「そんなことないよー。いっぱいいっぱいだよー」
今帰さんは少し照れた風に、頬に手を添える。
まったく、謙遜まで堂に入っている。褒められるのに慣れているんだろうな。
僕が最後に褒められたのは、一体いつのことだろうか。あ、今か。
その前に褒められたことなら、いくら考えたって思い出せる気がしない。あるいは、今が僕の人生で初めて人に褒められた瞬間なのかもしれない。
「阿賀君って結構忘れっぽいんだね。これで二日連続だ」
「そんなことないよ。昨日忘れ物をしたのだって、多分高校に入ってから初めてのことだし」
「また明日も忘れるかも。そしたら明日も会えるね」
「それはさすがにないよ。それに、会えるも何も、同じクラスだし」
「あはは、そーでしたー」
僕はクラスメートにクラスの一員だと認識されていない。そういった意味では、僕に会えないというのは正しい。
僕は机の中を探り、目的のプリントを見つけ出す。
「あった。じゃあ、帰るよ」
「うん。またね」
僕はプリントを手早くかばんにしまい、部屋を出ようとする。
そこでふと気になり、聞いてしまった。
「今帰さん、ここで何してたの?」
「え」
「ああいや、僕が来たとき、教室の真ん中に、一人立っていたから」
「君を待っていたの」
「え?」
「あはは、冗談。戸締りにきたら、夕焼けが綺麗だったから」
そういって、今帰さんは背後の夕焼けを見る。
さすが今帰さんだ。そんな臭い台詞が、酷く絵になる。
たとえば僕が同じ台詞を言った日には、何を自分に酔ってるのか、と笑い飛ばされるか、何か悩みでもあるのか、コイツ自殺するんじゃないだろうか、などと真剣に心配されるかだ。
夕焼けのせいで、彼女を直視するのが酷く難しくて、僕はすぐに視線をそらす。
「そうだね。綺麗だ。じゃあ」
僕はそう言って教室を後にした。
――――――――――――――――――――――――
はあ、神経使ったな、今日は。
自室で一人、天井を仰ぐ。
涼しい顔、か。
気が抜けたのか、今日の会話の記憶が自動で再生される。
ぼっちは人付き合いが無いから、一度あった人付き合いはこうして何度も再生、反芻されるのだ。
そのせいで失敗を思い出したりして余計な後悔とか自己嫌悪に苦しめられることになったり、あるいは些細な会話をニヤニヤと反芻して、相手がすっかり忘れていることをいちいち覚えたりして相手から気持ち悪がられるという無駄機能が標準装備となっている。
714 名前:今帰さんと隠し物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/23(火) 21:39:15 ID:hosSoLM. [6/8]
「可愛かったな、今帰さん……」
そう呟いた後で、僕は激しく頭を降った。
あああああ。
無駄に神経が圧迫される。
本当に、どうして今帰さんは僕に話しかけてくるんだろう。
彼女と僕の縁が彼女にとって何かの利益を産む可能性はゼロと言っていいだろう。
その逆もまたしかりだ。
それなのに、僕はこうして余計な想像を巡らせ、いちいちどうでもよいことに喜んだり、悲しんだりに忙しい。利益はなくとも、こうして僕の精神への悪影響だけはきっちりある。
僕は、こうしてどうにもならないことを悩んだりすることが嫌いだった。それなのに、悩まずにはいられない。今帰さんのせいだ。
僕は、クラス一の美少女から話しかけてもらえるというぼっち垂涎のイベントを、疎ましく感じ始めていた。
ぼっちここに極まれり。いや窮まれり、か。
美少女と話せるという幸福さえ、訓練されたぼっちには疎ましさの材料になってしまう。
これ以上なれないことをしたくない、状況を変化させたくないという意思が、この境遇から救い出してくれるかもしれない、この最低な日常が変わるかもしれないという希望を上回るのだ。
明日もまた話しかけられるのだろうか。もちろん、話しかけられたら嬉しい。
しかしそれを期待して一日中そわそわしているのは大変苦痛だ。
はあ。そもそもリア充の気まぐれにいちいち反応していたら神経が持たない。
明日には彼女が僕から興味を失ってくれることをうっすらと願いながら、僕はこの無為な思考の反芻を停止した。
――――――――――――――――――――――――
「ばいばい、阿賀君」
その小さな後姿を、私は笑って見送った。
「二日連続で忘れ物なんて……」
そう呟き、あまりの白々しさに笑ってしまった。
彼は忘れ物なんてしていない。彼はプリントを忘れたのではなく、隠されたのだ。
どうしてそんなことを私が知っているのか。
だって、彼のプリントを隠したのは、私だから。
阿賀君にまた会いたかったから。二人っきりで、話をしてみたかったから。
五時限目の体育のあと。男子より先に教室に戻ってきた私は、彼のかばんの中からプリントがはみ出しているのを見つけてしまった。
気がついたら、そのプリントは私の机の中に納まっていた。
生徒会活動を早めに切り上げて、彼の机にプリントを入れ、夕焼けを見ながら教室で待っていたら。案の定彼は来た。
だから、彼を待っていたというのは冗談ではなく本当のことだった。
715 名前:今帰さんと隠し物 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2014/12/23(火) 21:39:34 ID:hosSoLM. [7/8]
そっか。阿賀君はめったに忘れ物をしないんだ。
それなら、明日も同じことをしたら、怪しまれちゃうかな?
でも、もう少し阿賀君と話していたかったな。
挨拶をしただけで大げさに驚かれ、避けられてしまう。
だからと思って、こうやって二人きりになれる機会を作ったのに、そんな風に逃げるように教室を出て行かなくたっていいのに。
そんなに、私が嫌いなのかな?
自分で、唇の端がつりあがったのが分かった。
そんな風にされると、ますます追いまわしたくなる。
彼との会話は、自分を取り繕わなくてよくて、すごく楽しい。
今度はどんなことを話そうかな。いきなり話しかけたら、また慌てさせちゃうかな。
そんなことをとりとめも無く考えていたら、不意に途轍もない後悔と自己嫌悪が襲ってきた。
ベッドに横たわると、私は蹲るように自分の体を?き抱く。
またわたしは忘れていた。
調子に乗るな、浮かれるな。
私は自分に呪詛を吐く。
勘違いするな。私はまた同じ過ちを繰り返す気か。
ひときわ大きな悪寒が、氷の杭のように私を貫く。
あんな思いはもうたくさん。
ぜったいに、ぜったいに、もう、二度と。
しばらくして、体の震えは収まった。
私は酷く冷めた頭で、体を起こす。
罰さなきゃ。
私は、机の引き出しを開け、そこから一本の待ち針を取り出した。
そうして、私は爪と皮膚との間に、待ち針をつきたてた。
ピンクの肉と、透明な爪の間に針がつぷと沈む。
酷い痛みが脳を焼く。
眦に涙が浮かび、口から漏れそうになる悲鳴を私は必死でかみ殺す。
強く。もっと強く。
こんなんじゃ、ぜんぜん足りない。
罰にならない。
罰さなきゃ、私はこの苦痛から逃れられない。
痛みという警告に逆らい、私はさらに針に力を篭める。
ほんの数ミリ、針が沈み込んだだけ。
それなのに、私は息も絶え絶えだった。
これ以上はだめだ。跡が残ってしまう。誰かに心配されてしまう。
心配なんてされてはいけない。これは罰なのだから。
そこで私はようやく針に篭める力を抜いた。
心臓の拍動にあわせて、指先が脈打つ。規則的な苦痛の反復が指先から全身に流れる。
これが調子に乗った罰だ。
また同じことをしたら、今度はもっと大きな罰を受ける。
私は自分にそう諭す。
だから、やめなさい。
阿賀君と仲良くなりたいだなんて思っちゃいけない。
思っちゃいけないんだ。
そうして今日も、私は私を罰する。
最終更新:2015年01月12日 19:00