270 名前:妹はキスを迫る 一話「妹と兄」 ◆Dae8xgpN5o[sage] 投稿日:2017/04/29(土) 22:48:30 ID:35cSQn8E [2/7]
 その一言は、蝉の大合唱に紛れて聞こえた。

「キスして」

 夕焼けに照らされた居間の中。ソファに寝そべった妹の朔(さく)は阿呆らしいことを呟いた。
 連日の猛暑で頭がイカれたのだろう。扇風機前に居座る俺は、そう判断し無視を決め込む。ただでさえ暑苦しいのに、この意味不明な発言に付き合いたくはなかった。
 黙ったまま、引き続き人工の風を浴びる。

「……お兄ちゃん、無視はひどいんじゃないかな」

 すると、拗ねた声が返ってきた。

「無視してやってるんだ。ありがたく思え」
「いいじゃん、してよキス。減るもんじゃあるまいし」
「俺の社会的信用が減る」
「減る程無いじゃん。友達ほぼ0人なんだから」

 軽口にうんざりしながら、俺は高圧的に言う。

「とにかく妄言を吐くのは止めろ」

 欧米人でもないのに、家族とキスなんてありえない。
 子供の頃ならともかく、俺はもう高一。朔は中二だ。とっくに、分別を踏まえる年頃になっている。
 この歳になって、兄妹同士でキスをするのは異常だ。

「……わかった」
「よし」
「お兄ちゃんはツンデレだということが!」
「氏ね」
 
 手元にあった洗濯ばさみを投げつける。
 遠慮なしの速球ストレート。獲物(いもうと)めがけ、グイグイと伸びていった。
 しかし、朔はそれをあっさりと右手でキャッチ。掲げて、俺に見せつける。

「ナイスキャッチ」
「自分で言うな」

 無駄に反射神経がいい奴だ。

271 名前:妹はキスを迫る 一話「妹と兄」 ◆Dae8xgpN5o[sage] 投稿日:2017/04/29(土) 22:51:04 ID:35cSQn8E [3/7]
「ナイスツッコミ。じゃあ、改めてキ」
「言わせねえよ」

 続けて、第二球。さらに、スピードを上げた洗濯バサミが飛んでいく。

「――スしよう!!」

 ……今度も捕られたが。

「ふふん、可愛い妹は無敵なんだよ」

 ドヤ顔の朔に、第三球を投げつけたくなったが止めた。これ以上は抑えが効かなくなる。
 俺は嘆息しつつ、問題発言に切り込んだ。

「で、何でキスなんだ」
「お兄ちゃんが好きだか――」
「それはいい」

 耳にタコが出来るくらい聞き飽きている。
 朔は、いわゆるブラコンだ。子供の頃、面倒を見ることが多かったせいか俺に懐いている。普段から、何かとスキンシップを取ろうとしてきたりはするが……。

「いつもは精々、急に抱きついてくるだけだろ」

 それなりに弁えてはいた。だが、今日の朔は言動がおかしい。

「お兄ちゃん、人は常に前進しないと駄目なんだよ!」
「脇道に逸れる事を前進とは言わない」
「なら、ステップアップで」

 言い方の問題じゃない。

「つまりは、そろそろ新しい段階へと踏み込みたいと思ったんだよ」
「……それがキスだと?」
「ご名答。より淫らな兄妹関係には必須だよ!」
「既に淫らみたいに言うな」

 ピンク色なのは、お前の脳内だけだ。

「えー。普通、可愛い妹には欲情するものだよ」
「どこの常識だ」
「エロゲーの」
「……」

 本格的に頭が痛くなってきた。
 どこで妹の教育を間違えたんだろうか。小さい頃は、不可思議な言動をしない普通の女の子だったのに。今ではすっかり、奇人変人の類になってしまった。
 昔の名残を探すように、改めて朔を見る。
 いまだに、子供料金を利用できる小柄な身体。母親譲りの黙っていれば愛らしい顔立ち。髪型は、昔から変わらぬツーサイドアップ。幼い印象を、更に強調させている。笑みの一つでも浮かべれば、俺ですら小学生に思えてしまうことさえある。
 ……今頃、気づいた。朔の容姿は、昔とさほど変わっていない。小学生の頃に背が伸びず、髪型もそのままだからだ。だというのに、内面は恐ろしい程に変わってしまった。例えるなら、オタマジャクシから山椒魚。幼少期とは別の生き物だ。

「あれ、お兄ちゃん大丈夫?」
「大丈夫じゃない」 
 
 お前の現在が。

「あらら。もしかして、脱水気味なんじゃない。夏だから気をつけないと」
「そうだな」

 朔が、ソファーから立ち上がった。

「じゃあ、何か飲みもの持ってくるよ。わたしも喉渇いたし。何がいい?」
「アイスコーヒー」
「ラジャー」

 ふざけた返事をして、朔はキッチンに向かった。

272 名前:妹はキスを迫る 一話「妹と兄」 ◆Dae8xgpN5o[sage] 投稿日:2017/04/29(土) 22:52:56 ID:35cSQn8E [4/7]
「おまたせー」
「ああ」

 幼馴染とメールのやり取りをしていると、朔がキッチンから帰ってきた。
 手にはおぼん。アイスコーヒーが注がれたコップ二つと、クッキーが盛られた皿が載っている。

「どうしたんだ、そのクッキー」
「この前、満(みちる)叔母さんが置いていったんだって」
「ふーん」

 ケータイをポケットにしまい、氷が浮かぶコップを受け取る。熱を帯びた手が急速に冷やされた。

「ちなみに、わたしのオススメは苺ジャムのかな。色が綺麗だし美味しいよ」

 おぼんを居間中央のテーブルに置くと、朔は再びソファに腰を下ろした。

「そうか」

 説明を聞きながら、クッキーが盛られた皿に手を伸ばす。

「じゃあ、これにする」

 俺は躊躇わず、チョコクッキーを口に運んだ。甘さが控えめでうまい。

「……お兄ちゃん」
「どうした、食わないのか」

 続けて、アーモンドクッキーをつまむ。香ばしい風味が口の中に広がった。

「仕返しにしても、ちょっと意地悪すぎない!?」
「何のことだ」

 惚けた態度をとりながら、コーヒーに口を付ける。飲みなれた苦味が喉を通りすぎた。

「別に、オススメされたのを食わなきゃいけない理由はないだろ」
「悪意があるかどうかで、受け止め方に大きな差があるよ!」

 お兄ちゃん、最近意地悪だよ。そうぼやきながら、朔もクッキーに手を伸ばす。

「昔は、優しくしてくれたのに」
「昔は、可愛げがあったからな」

 皮肉交じりに返す。
 朔は、頬を膨らませた。

「もう! 今でも十分可愛いでしょ。……あ、チョコクッキーの方が美味しい」
「人間、外見よりも内面だ。……アーモンドもイケるぞ」
「あれ、わたしが美少女だってのは認めるんだ。……アーモンド美味しい」
「ずいぶんと腐った思考回路だな。……やっぱ、アーモンドだな」

 会話をしながらも、俺と朔は順調にクッキーの山を減らしていった。

273 名前:妹はキスを迫る 一話「妹と兄」 ◆Dae8xgpN5o[sage] 投稿日:2017/04/29(土) 22:54:35 ID:35cSQn8E [5/7]
 話の流れが変わったのは、皿からクッキーが消えた頃。朔の一言からだった。

「あ、叔母さんで言えばさ。そろそろ、一年だよね」
「一年? ……ああ」

 まだ、一年なのか。そう思いながら、俺は口を開いた。

「叔父さんが死んでか」
「うん、あの時は本当に急だったね」
「……そうだな」

 約一年前。今日と同じような猛暑日に、満叔母さんの夫である望(のぞむ)叔父さんは交通事故で死んだ。享年三十四歳、早すぎる死だった。
 ちなみに、満さんは母方の叔母。望さんは、俺達からして義理の叔父にあたる。いつも、笑顔を絶やさない穏やかな人だった。

「いい人だったよね、叔父さん。わたし達にも優しくしてくれたし」
「ああ」

 それゆえに、叔母さんのショックは大きかった。葬式での姿は、今も脳裏に焼き付いている。
 涙こそ流していなかったものの、美麗な顔立ちは憔悴しきっていた。長い黒髪にも艶がなく、まともに寝ていないことは一目瞭然。回りの人に支えられて、やっとこの場にいるという
感じだった。それくらい、突然過ぎる叔父さんの死が受け入れらなかったんだろう。
 俺は、まともに見ていることが出来なかった。

「あの後、大変だったよね。叔母さん、すっかり弱っちゃって。食事も喉を通らないって感じで」
「母さんも、しょちゅう様子を見に言ってたな」
「そうそう。お婆ちゃんも、心配しすぎて弱っちゃったし。お母さん、あの時は死ぬほど忙しそうだったね」

 普段から、母は帰りが遅い。仕事が忙しく、残業もしょっちゅうだからだ。
 その上、あの頃は二人の様子を見に行っていた。俺達が眠った後に、帰宅することもザラだった。

「ついには、叔母さんを家に置こうかって段階にもなったしね。いやー、あそこからの回復は本当に奇跡だったよ」
「……時間が経って落ち着いただけだろ」
「そうかな?」
「そうだ」

 叔父さんの死から数ヵ月後、叔母さんは徐々に元気を取り戻した。
 枯れ枝のような腕に生気が戻り、陰気な隈も消えた。髪にも艶が戻り、笑みも浮かべるように。我が家にも、時々訪れるようになった。

「私には、この回復は不自然に思えるんだけどなー。何か、理由があると思うよ」
「理由?」
「うん、具体的に言うと」

 口元を歪め、朔は意地悪げに呟いた。

「新しい男が出来たんじゃないかな」

 瞬間、第三球を放った。

274 名前:妹はキスを迫る 一話「妹と兄」 ◆Dae8xgpN5o[sage] 投稿日:2017/04/29(土) 22:56:57 ID:35cSQn8E [6/7]
「いてて。ちょっと、お兄ちゃん。ガチストレートはやばいって」
「黙れ」

 額をさする朔を睨みつけた。
 右手には、第四球を用意済み。いつでも、投げることが出来る。

「口に出す言葉くらい選べ。言っていい事と悪い事がある」
「いやいや、私そんなに変な事言ったかな?」
「何?」
「だってさ」

 けろりとした顔で、朔は話し始めた。 

「空いた穴を男で埋めるなんてありふれた話だよ。フィクションでもお馴染み」
「叔母さんが、そんなすぐに切り替える訳ないだろ」
「どうかなー。人間、弱っていると藁にも縋っちゃうからねー」

 否定できない言葉が並ぶ。いつの間にか、会話の主導権は向こうに移っていた。

「叔母さん、元々強いタイプじゃないしね。誰か、適当な人を引っかけたかも」
「……根拠のない話は止めろ。叔母さんが、叔父さんの事を簡単に忘れるはずないだろう」
「『忘れ』はしないだろうね。でも、乗り換えるかどうかは話が別だって。人間、一人では生きていけないよ」
「知ったような口を聞くな」
「生意気言いたいお年頃なんだよ。にしても、お兄ちゃん。やけに、当たり強いね。いつもより、風速5mくらい増してるよ」
「内容が内容だから当然だ」
「ふーん、そっか。私はてっきり」

 朔はポケットに手を入れ、一枚の写真を取り出した。

「――図星を突かれたのかと思ったよ」
「っ!」 

 俺と叔母さんが、裸で交あっている写真を。 

「いやー、という事はお兄ちゃんそっくりの別人なんだね。いやー、びっくりしたびっくりした。なんて、展開な訳ないよね」
「……ああ」

 唇を噛み締めながら、俺は首肯した。

「間違いなく、俺だ。盗撮魔」
「いやー、それほどでも。よく撮れてるよね、この写真。ついつい、自画自賛しちゃうよ。お母さん達に見せたら大変な事になるだろうね」
「俺の顔面が、か」
「そうだね。お兄ちゃんがお父さんに殴り倒されるのは確定。でも、本当にやばいのは叔母さんだろうね。自分の甥に手を出したんだから。絶縁くらいはされそうだね」
「……もう手は切ってある」
「だから?」

 口元を歪め、朔が写真を突き立てる。逃げる事は出来ないと強調するように。
 俺は、拳を握り締めながら尋ねた。

「お前の望みは何だ」
「望み。そうだな」

 顎に指を当て、朔は考える素振りをした。実際は、とっくに答えを出しているだろうが。

「なんで、叔母さんと寝たかを問いただすのも面白そうだね。でも、大体予想できるから却下。後は、私の事を悪く言えない変態だったお兄ちゃんを言葉責めというのも悪くないね。でも、これも却下。わたし、サディストじゃないしね。お兄ちゃんラブの可愛い可愛い妹だから」
「どの口が言う」
「この口が。じゃあ、取り合えず」

 この日、俺は知った。無邪気な笑みと、邪悪な笑みが紙一重な存在である事を。 

「キスしてもらおうかな」

――続く――
最終更新:2019年01月14日 19:41