836: 高嶺の花と放課後『リンドウ』 :2021/03/05(金) 10:52:37 ID:rgNZ.V2g

世の中には知らない方がいいことってのがある。

けど人間って愚かな生き物は、探求心にあらがえない。

一度知ってしまえばもう、"知らない"には戻れない。

自分が正しいと思っていたことは全て間違っていたと気付いてしまうこともある。

けれど知らなければそれは正しいのままでいられる。

これから綴られる物語も知らなければ良かったと、そう為る物語。

親切なあたしは一度だけ警告するよ。

これ以上は読まないほうがいい。

警告したからにはもう読書を中断させる義務なんてない。

知ってしまったことに対する責任なんてない。

嗚呼、きっとお前は後悔するんだろうな。

それでもいい。

だってあたしは












悲しむ君が好きだから

837: 高嶺の花と放課後『リンドウ』 :2021/03/05(金) 10:53:51 ID:rgNZ.V2g
待ちに待った月に一度の性行為の日。

けれどあたしが一番楽しみにしてるのは性行為自体じゃなくてその後の出来事だ。

いつからだろう。

あたしの中にあるこの歪んだものに気づいたのは。

あたしの膝の上で眠る彼を見つめれば、苦悶の表情で夢を見ている。

嗚呼、きっと彼は悪夢を見ている。

忘れたくても忘れられない地獄が何度も何度も繰り返されている。

胸が締め付けられる思いになる。

初めは彼が苦しんでいる姿を憐んでいるからこんな気持ちになるのだと思っていた。

違う。

本当はそうじゃない。

彼の苦しんでる姿が堪らなく愛おしいのだ。

けれど自分がそんな歪んだ人間なんて認めたくなくて、何度も目を逸らし続けた。

彼の前で誰よりも正しく、真っ当に生きようと思った。

そうやって彼を、そして自分自身を偽ってきた。

でもどうしたって心のどこかでもう認め始めている。

不幸のどん底にいた彼に惹かれた時点で既に歪んでいたのだ。

少し考えればわかる話だ。

普通は絶望し「死にたい」が口癖の人間を好きになるなんてどうかしてる。

相談相手として話を聞いてるならこちらまで病んでしまいそうになる。

けれどあたしは彼の不幸を聞くのは何の苦でもなかった。

その頃、何も知らない女子高生のあたしはただの恋だと錯覚していた。

ただの恋だと思えたままなら、良かったのに。

己の中にある狂気なんて知りたくもなかった。

まだ彼は知りもしない。

あたしが歪んでいるなんて想像だにしていないだろう。

それが余計に彼が憐れに思えてきて、愛おしく感じてしまうのだ。

どうして彼はこんなにも歪んだ女性ばかりを引き寄せてしまうのか。

彼ほど絶望した人間がいただろうか。

彼ほど苦しんだ人間はいるのだろうか。

否、そうそういないだろう。

不幸な彼を甘い蜜のように啜るあたしはまるで害虫。

知らない顔して幸福を積み上げる。

そして積み上げた幸福をいつ壊してやろうか
、どうやって壊してやろうかと悪魔のような思考に駆られる。

彼はあたしにどんな絶望した顔を見せてくれるのか。

「やっ…ば」

行為が終わった後だというのに、急速に性的興奮が高まっていくのを感じる。

ただこれはジレンマのようなものでもある。

真実を知り、不幸になり、絶望する彼を見たいが、彼に嫌われたいわけではない。

望むのであれば不幸に堕ちつづける彼をずっと側で支えたい。

側で観ていたい。

「はぁ…はぁ…」

頻度の少ない性行為の穴を埋めるようにする自慰は、いつだって不幸な彼を妄想する。

無知な彼にはあたしを真っ当な人間かなにかと思ってる。

それが余計に哀れで愛おしい。

だからいつも思う。

私以外の誰かが彼を不幸のどん底に落とさないかな、と。

貴方のことは好きで好きで堪らないけど、多分『愛してる』という感情とは程遠いものなのかもしれない。

もしあたしがこれ以上ないくらいまで幸福を積み上げたとき、もっとも最悪な方法で壊すとするならばそれは…

「んっ…はぁぁぁッ…でも、それは、ァ…ン」

その方法で壊せば、不幸な彼を"この目で"見ることは叶わないだろう。

でも夢見てしまう。

838: 高嶺の花と放課後『リンドウ』 :2021/03/05(金) 10:54:35 ID:rgNZ.V2g

「あたしが首吊って死んだら、どんな表情をするのかなぁ…」

口端が歪に吊り上がって行く。

正直、愛故に監禁した女より、愛故に殺人をした女より、ぶっちぎりであたしがイカれてる。

愛故に、不幸にしたい。

「嗚呼…好きだ。大好きだ」

思うに、幸せの尺度は如何に無知であるかで決まる。

ある大人が言った。

『毎日、ご飯が食べれて幸せだな。貧しい国では十分な食事にありつけるのに精一杯だというのに』

一見その貧しい国を配慮したように思えるその台詞が、実は意図的ではないにしろ心の底で馬鹿にしていることに気がついたのはごく最近のこと。

だってそうだろう?

『十分な食事にありつけなければ幸せになれない』

ある大人はそう言ってるのさ。

じゃあ貧しい国の人たちは毎日毎日幸せを感じずに生きているのか。

そんなわけがない。

私たちは毎日3食十分食べれることを、そんな当たり前な日々をもう"知ってしまった"。

食事にありつけるの大変な日々になってしまえば、それを凄く不幸に感じるだろう。

最初から飯を食うのは大変だとしか知らなければ、それほど不幸に感じることはないだろう。

けれど、隣の奴が楽して飯を食えてることを"知ってしまえば"、途端に不幸に感じるだろう。

ましてや価値観や性格の違いで各々の感じる幸福に差異があるのであれば、幸福なんてものは実体がなく想像の域を出ない。

幸福も不幸も頭の中でしか起こらないものならば、知識の量で自ずと尺度が決まる。

自分より幸せな奴なんて知らなければ、自分が世界で一番幸せになれる。

だからあたしの中の化け物を知られるわけにはいかない。

彼を世界で一番幸福にするために。

貴方がこの物語を読むときがいつになるかは分からない。

もしかしたらあたしが死んだ後かもしれないし、あたしが誰かを殺した時かもしれないし、何も知らずに幸せに浸っていた時かもしれない。

いつだって構わない。

いっそのこと、これは読まれなくたっていい。

所詮、この物語はあたしの中にある矛盾に与えられる過度なストレスの発散でしかないんだ。

あの日より不幸な、人生最悪の日を今も模索している。

そしてあたしはいつか迎えるその日まで、貴方をうんと幸せにする。

世界一の幸福を壊す時、あたしはきっと満たされる。

世界で一番幸せになれる。

「イッ……クッッッ………」

この歪な感情すら愛と呼んでもいいのなら…

「……はぁ、はぁ。…愛してるよ、アマネ」

今日もあたしは何も知らない君に愛を囁く。
最終更新:2021年04月18日 18:11