90 :姉弟:バレンタイン by前スレ367 [sage] :2007/02/14(水) 19:10:35 ID:GS4dNN5H

 佐藤育に取っては、バレンタインという行事は、年に一度のビッグイベントの一つだ。他はクリスマスと正月である。
 なにしろ、バレンタインは時に秘めがちな思いを持つ女性には絶好の機会であり、自身の思いを確かめる重要なときであるからだ。
 チョコを作ったり、買ったりする。そしてそこで思う。コレをあげていいのか、あの相手にと・・・。そう言う葛藤の中、自身の暴走や思いの強さを持って行動する。
 そしてまた自分に気づく。その思いの弱さ。その思いの強さ。
 育の思いは、当然強いものだった。
 彼女が弟にチョコをあげたのは、中学1年の頃。授業で作ったのをあげたのが始まりだった。
 それからはまるで惰性の様に続いているが、受け取る方はともかく、作るほうは真面目だった。
 
 育は材料を買い、その梱包を一つ一つ解いて行った。銀紙を破り、チョコを砕く。溶かし少量のミルクを加える。
 くどいチョコは好みではない。ミルクの味は強すぎない方がいい。彼女なりの経験から出された結論だった。
 攪拌しているとき、育は少し振るえた。
 日常の料理を作るではない、違う感覚。特別なものを作ってる自負。
 弟にあげるチョコレート。
 甘い甘い、私の味のチョコレート

 
 佐藤伸がコンビニに久しぶりに入ると、店の一角にはチョコにチョコがあふれている事に気がついた。
 腕時計を見て、なるほど、今日はそう言う日なのか。と理解する。2月14日。バレンタイン。
 しかし、彼にとってバレンタインと言うものは、特別な意味を持たない。
 幼少の頃から聞き及ぶ行事ではあれど、世間一般でその対象になったことはなく、自身もそれを当然と捕らえていた。
 ただ、バレンタイン戦車ってのがあったな。と言うのを思い出すための日。その程度の日だった。
 ちなみに、彼がゴリアテ自爆有線戦車を思い出すのはなぜか9月1日である。
 コンビニを後にして、車のイグニッションを捻る。直6シングルカム3キャブレターのエンジンがうなりをあげる。
 つながる綺麗な音。ロータリーなどとは違う回転感。やはり直6はいい。ココロが洗われる。
 時計を見れば夜の7時。
 今日がバレンタインと言うことならば、姉はチョコを作って待っているということになる。
 こう言う日は何かと早めに帰った方がいいのだが。伸はS30Zに耳を傾けた。
 普段は変化の無い顔を少し笑わせる。少し乗ろうか、首都高に。


91 :姉弟:バレンタイン by前スレ367 [sage] :2007/02/14(水) 19:12:28 ID:GS4dNN5H
 7時50分頃。
 そろそろ弟が帰ってくる頃だと、育はエプロンを脱いだ。
 家事を一段落下と言うことで、椅子に座り、安堵のため息を付いた。
 テーブルには夕食がすでに準備してあり、チョコレートも冷蔵庫に叩きこんである。
 残念だが、漫画のような「私を食べて」などという事はしない。溶けたチョコは熱いのだから。
 そんな事を考えていると、携帯のアラームが鳴った。午後8時。普通なら、もう帰って来ているはずだ。
 仕事や渋滞で遅れるときは事前に連絡してくるから、そう言うことではないのだろう。
 でもまだ帰ってこない。
 メールを打つ。いまどこにいるの?
 数分後、メールが来る。今帰ってるところ。
 早く帰ってきて。
 なるべく速めに帰る。
 一度携帯を畳む。
 聞こえないはずの、秒針が動く音が聞こえる。
 カチ、カチ、カチ・・・・。
 ちょっと遅くないかな?
 カチ、カチ、カチ・・・・。
 おそいよ。
 カチ、カチ、カチ・・・・。
 おかしいよね。こんなに遅いんだから。
 もう一度メールを打つ。
 誰かとあってるの?
 否、帰り道に居る。
 カチ、カチ、カチ・・・・。
 やっぱり遅い。
 カチ、カチ、カチ・・・・。
 遅いよ。遅い。
 カチ、カチ、カチ・・・・。
 遅い。
 遅い。
 遅い。
 遅い。
 遅い。



92 :姉弟:バレンタイン by前スレ367 [sage] :2007/02/14(水) 19:13:55 ID:GS4dNN5H
 ひどいよ。お姉ちゃんはこんなに待ってるのに

 聞きなれた音が、育の耳に入った。
 今の車ではない特徴的な音。
 弟が乗っている車の音だった。

 やっと帰ってきた。
 でも駄目、こんなに遅いんだもん。
 少し、叱らないとだめだよね。

 そう思って、育はフラフラと玄関へ歩いて行った。
 時計は8時6分を指していた。
最終更新:2008年07月21日 09:12