龍専戦争

龍専戦争

龍専戦争とは

 龍専戦争とは大雲龍帝国と専守防衛連邦社会主義共和国との間で勃発した戦争のことである。

龍専戦争発生までの経緯

 第三次龍崑戦争は雲龍が辛勝したが、雲龍の殲滅を狙い侵攻した崑崙帝国、五族協和王道楽土帝国、蒼狼国らによる圧倒的な火力による市街地攻撃によって雲龍全土は焦土と化していた戦争末期、雲龍は国際社会への何の通告も無く核兵器を保有し、即座に使用するという行為を行った。当時の国際法は核兵器の取り扱いに関して国際会議場への通告を最低限の義務であると規定しており、この国際法違反行為はモルドールの違法攻撃事件とともに、国連安保理で制裁決議が決議される運びとなった。

 雲龍政府は三次紛争の末期に専守連邦外交部に「敗戦した場合には連邦の保護国になる」との極秘の正式な書簡を提出しており、また安全保障条約の締結も確約されていが、実際には雲龍は別の国との安保条約を締結し、また雲龍側の条約締結拒否理由が政府声明と矛盾していることもあり、これは徹底的に糾弾の的となった。なお、当時の雲龍政府は、勝利か滅亡しかないという政府声明の文言が、崑崙に隙を与えないためであったと釈明している。

 こうした雲龍側の密約への裏切り行為はこれに始まったことではなく、第一次龍崑戦争でも雲龍政府は仲介役を専守連邦側に依頼していたが、当時の雲龍政府は自ら停戦仲介を拒絶たという屈辱的な事件があった。更にこの仲介拒絶の結果として、紛争が全世界に拡大し、世界中に戦火を撒き散らしたという指摘もあり、龍専間には歴史的な確執があった。なお、提示された仲介案が崑崙寄りであったという指摘や、戦争の世界規模への拡大を阻止する目的を考慮すれば妥当であったとの反論など、これに関しては現在も歴史学者の論争の的となっている。詳しくは第一次龍崑戦争の項目を参照されたし。

 また、そうしたことに加えて雲龍の国営であるはずの報道内容の無責任さ、一貫しない外交態度が、こうした龍専間の対立を助長する要因となっていた。

 冒頭の違法な核攻撃についての国連安保理の雲龍制裁決議に従い、国連軍として専守連邦人民解放軍がピンポイント爆撃を実施する。だが当時の安保理決議は軍事関連施設とはいえども情報省、軍港、駐屯地、司令部、核施設のみに絞っており、空爆能力を有する軍事基地は対象から除外されていた。にも関わらず専守連邦は軍事基地を目標として選定して空爆を実施しており、雲龍はこれを専守連邦から侵略戦争が開始されたのだと高らかに宣言した。なお、これについては意図的であったのか、誤認であったのかは定かではない。これを機に両国は流動的に事実上の戦争状態へと突入することとなる。

龍専戦争の流れ

 専守防衛連邦政府は国際会議場を通じて正式に宣戦布告文書を提出するが、これに対して雲龍政府は「自衛権」ではなく「専守防衛連邦への宣戦布告」という奇怪な文書を提出したことによって龍専戦争は幕を開けた。

 開戦当初は物量に押されていた雲龍軍だったが、専守防衛連邦の集団農業地区は重点的に空爆に晒されることになり形成は逆転する。専守防衛連邦軍は雲龍軍等の抵抗により、いずれも壊滅を余儀なくされ、また食糧の自給が困難になったことにより国内の政情が急速に不安定化、連邦の陸海空軍は撤退する結果となる。

 これを機に風虎側(戦時中に政変)はディルタニア大陸への逆侵攻を計画するが、日照の仲介による講和条約が成立し龍専戦争は終結した。

龍専戦争のアフターマス

 この戦争を経て雲龍では、完全な金厳政権による独裁国家である大風虎帝国が成立し、専守防衛連邦は本戦争に起因する食料不足による大規模暴動が発生して東西に分裂することとなり、これが第三期の最後を飾る戦争となり、世界はパータラスク暦へと移行した。

 また当時の雲龍国営放送による誇張された過剰な虐殺数のプロパガンダは、一応は開戦前の人口から戦時中の人口を引いたものではあったものの、そのような単純計算では必然的に無理な数値が算出されるため、雰囲気を著しく害すると非難され、論争となった。人口の単位が当時と同じである以上、この論争は現在の我々が報道の内容のマナーを再考する上で非常に重要なテキストと言えよう。

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最終更新:2007年10月29日 01:41
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