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140311 奇跡の一本松

 東日本大震災から2年半経った昨年の9月、ボランティア仲間と岩手、宮城、福島の沿岸部を訪れた。現状をこの目で見たいという気持ちと、遠方の方々に写真をお見せできればとの思いからだった。当時関東では原発以外の報道はほとんどなくなっていて、友人にも「今どうなっているのか想像もつかない」という人が多かった。
 しかし帰宅して以来、この内容をネットに上げるかどうか半年ほど迷い続けてきた。写真を見て”被災地の現状を理解”したと思われるのはちょっと違う気がした。写真に写っているのは限られたフレームに”収まりやすい景色”であり、特に自分は車の運転を担当していたのでシャッターを切るタイミングも限られた。写真と写真の間の写っていないところに膨大な空間があり、時間があり、住んでいる方々の生活があり、それぞれの心情がある。自分とて見聞きしたのは一寸にすぎない。東北の出身で、親族や友人がいて、親戚が被害に遭った自分でも、”理解”には到底届かない。
 前置きが長くなったが、これがこの報告の”結論”である。3.11が近づくに連れ、マスコミの報道も増えてきた。ここより詳しい情報がたくさんあるだろう。ただ実際に足を運んで得た”結論”は、熱力学の第三法則(絶対零度には到達し得ないという、自分にとっては机上の知識)とは違った形で私の心に居座っている。
 岩手県陸前高田市で、約7万本と言われた高田松原の中で唯一津波に耐え残った「奇跡の一本松」。後に枯死し樹脂やレプリカで再生されたのが現在の姿である。2年半経って地元の方々がこの木をどう思っているのか、どれだけ足を運んでいるのか、よそ者の自分にはわからなかった。自分を含めた観光客が車で乗りつけ、木の写真を撮って帰っていく。観光地という以上の感想を持ち得なかった。夜にはライトアップもされるようだ。木よりも気になったのが崩壊したままの近くの建物。どんな施設で、他の場所に再建されたのか、これからもこの状態で放置されるのか。がれき処分の目処が立ったと聞く中、まだまだこのような建物が多いことを目の当たりにした。
 岩手県大槌町は2度目の訪問。勤務先の同僚の伝手で科学教室を開催して以来1年半ぶりだった。町役場の時計は依然津波の到達時刻を指したままだった。お供えが多かったのは、ちょうど神社のお祭りの日だったからか。向かいの建物も以前見たまま。津波の威力を物語っている。科学教室を開催した学校はまだ仮設校舎のようだ。前回お世話になった知人宅にお邪魔し、歓待を受けた。名残惜しかったが、他の地域も周りたいためお暇した。
 岩手県釜石市は大槌町以上に生々しい震災の爪痕が残っていた。ゲームセンターやオフィス等の建物が惨状のままだった。大観音から見えたのは盛り土用の土砂だったのだろうか。プレハブ建ての商店街でラーメンを食べた。かつて新日鉄釜石のラグビー部は日本選手権7連覇の強豪だった。商店街の隣にまで津波到達の地という石碑があった。
 海岸沿いを走っていると、津波に関する石碑をあちこちで見る。海に向かって立つ墓地。盛り土の工事を見守ってくれていることだろう。
 宮城県気仙沼市では陸に乗り上げたタンカーの解体が行われていた。ちょうど三連休だったこともあり、我々と同様東北地方を周っている人も多かったようだ。わざわざレンタカーを借りて来たという人が、レンズを変えながらシャッターを切っていた。船の周り、家の基礎だけが残っているところにコスモスの花が静かに咲いていた。
 宮城県石巻市は震災以降何度か訪れている場所だが、新しい街並みがどんどんできていて高速道路を下りたところでは震災の面影が感じられなかった。しかし港の近くにはまだまだがれき(と言い放っていいのかわからないが)がうず高く積み上げられていた。高台の日和山公園にはいまだに生花が置かれていた。震災前の写真も掲げられていた。この一帯で一度に数千人の命が奪われたというのはどんなに想像力を巡らせてもイメージがわかない。同時に、この状況を見慣れてしまいたくないという気持ちにもなった。
 宮城県仙台市から沿岸部を南下した。ただの草むらに見えるかも知れないが未だに津波のあとの臭いが鼻をついた。おそらく塩害に遭った田畑なのだろう。がれきの搬入場の近くの家を撮らせていただいた。このような家屋が至る所にあったあった。トラックが道路脇に横転していたり、民家に突っ込んだままだったり。この日本において2年半もこの状態で放置されているとは。
 そして福島県に入った。カーナビはデータが古くてほとんど役に立たなかった。とりあえず道なりに海岸近くを南下していく。南相馬あたりで道路脇に出動体制のパトカーが何台かあった。呼び止められたら道を聞こうと思ったが、何事もなく通り過ぎた。しばらくして浪江町あたりだっただろうか、ふと人気がなくなっていることに気付いた。一見、普通の道路沿いの風景なのだが、他に走っている車も歩いている人もいない。特に規制がある地域ではないのだが、信号機以外に動くものが全くないゴーストタウン状態だった(少なくとも自分が通った時は)。なんとはなしに、ハンドルを握る手が汗ばんでいた。その後、かなり走ってからようやく検問ありの表示が出てきた。とりあえず検問で道を聞こうと思い走り続けた。これでもかとばかりのbumpを経てようやく到着。警備員がたくさん立っていて怒られるかなと思ったがやさしく道を教えてくれた。写真はとても撮れる状況ではなかったが。来た道をかなり引き返さなくてはならなかったが西に抜ける道を教えていただいて帰途に着いた。
 三県を周って、見た目の復興すらここまで進んでいないということにショックを受けた。損壊した建物や車が未だにあちらこちらにある。そのような中に日々の生活があるということは、やはり想像を絶する。インフラ整備にも雇用の創出にもならない自分のボランティア活動は、先回りし過ぎなのかも知れない。それでも時折いただく生徒さんたちの感想を読みながら、いつかそれぞれの想いが一本の松のように重なる夢を見続けている。
最終更新:2014年03月09日 20:29