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卑弥呼 日本[????~248頃] ◎邪馬台国女王 日本史で2番目に登場する人物で邪馬台国を治めた女王。 ◎親魏倭王 大陸に使者を送り、魏から正式に倭国の王として認められ、金印を贈られた。 ◎鬼道 鬼道という呪術を用いて卜占や政治を行った。卑弥呼は表に出ず、弟が政治の補佐をしたとされている。 |
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蔡倫 後漢[50?~121?] ◎製紙法 従来からの製紙法を改良して和帝に献上し、実用的な紙の普及に貢献した。 |
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張角 後漢[????~184] ◎大賢良師 太平道の創始者。呪術によって病人を治療して信仰を集めた。 ◎天公将軍 漢王室に対する反乱である黄巾の乱の指導者。目印として黄色い頭巾を頭に巻き、張角は天公将軍を名乗った。 ◎蒼天已死 黄天當立 黄巾の乱を起こした際に飛ばした檄文。「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて、天下大吉。」と続く。 |
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董卓 後漢[????~192] ◎後漢相国 辺境を防衛する将軍だったが、霊帝の死後、十常侍らを排除し献帝を擁立して実権を握った。宦官によって不遇の地位にあった者たちを重用するなどした。 ◎暴虐非道 権力を手にすると、政敵を次々と殺し家々を襲って金品を略奪するなど暴虐の限りを尽くした。 |
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呂布 後漢[????~198] ◎飛将 弓術や馬術に優れ天下無双と呼ばれたが、丁原、董卓、袁術や袁紹など主君を次々と変えていったため、忠誠心には欠けるとされた。 ◎赤兎馬 一日に千里走ると言われるほどの俊足と体力を持ち、真っ赤な毛並みから赤兎と呼ばれた。 |
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曹操 魏[155~220] ◎魏の武帝 漢の丞相として屯田制・戸調制・兵戸制などを整備した。魏王となり、死後に武皇帝の帝号が追贈された。 ◎官途の戦い 宿敵の袁紹を破り、華北地域を制圧して魏の基盤を作った。 |
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夏侯惇 魏[????~220] ◎不臣の礼 曹操の従兄弟で挙兵時からの重臣で、曹操が魏王となったのちに配下として扱わないという特別待遇を受けた。 ◎隻眼の武勇 左目を射抜かれても戦い続け。矢を抜いて眼球ごと呑み込んだという逸話が残る。 |
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陸遜 呉[183~245] ◎呉の丞相 孫権に才を買われ、軍事だけならず政治面においても重臣として用いられた。 ◎夷陵の戦い 関羽死後、激怒した劉備が呉に攻めた戦い。陸遜は火計を用いて大勝し、蜀は衰退した。 |
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孫権 呉[182~252] ◎呉皇帝 父祖の代からの江東の地を支配し、呉の初代皇帝に即位する。 ◎赤壁の戦い 蜀の劉備と手を結び、魏の曹操を破った戦い。火計を用いて曹操の船団を焼き払った。 |
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関羽 蜀[????~220] ◎美髭公 三国志でも屈指の武人で義理を重んじた関羽は、死後神格化され、各地に関帝廟が建てられた。 ◎五虎大将軍 漢中王となった劉備が信頼と功績のある武将に与えた称号。関羽はその筆頭。 ◎青龍偃月刀 関羽の用いた武器。数合撃ち合わせただけで、ほとんどの敵を討ち取ったという。 |
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張飛 蜀[????~221] ◎長坂橋の大喝 長坂の戦いで敗走する劉備を逃がすため殿をつとめ川の橋を落とした。「燕人張飛これにあり!俺と勝負したい奴はいるか!」と叫ぶと曹操軍の兵は近づけなかったという。 ◎五虎大将軍 漢中王となった劉備が信頼と功績のある武将に与えた称号。 |
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劉備 蜀[161~223] ◎漢王室の血筋 前漢の皇帝の子孫を名乗り黄巾の乱の鎮圧軍に参加した。後に蜀漢の初代皇帝として即位した。 ◎人徳 強い意志と大きな器量を持ち、礼儀正しい劉備の周りには彼を慕う若者や有能な者が集った。 ◎桃園の誓い 『三国志演義』で語られる劉備・関羽・張飛が義兄弟となり生死を共にする宣言を行なった逸話。 |
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馬謖 蜀[190~228] ◎馬氏の五常 襄陽の名家の出で軍略の才があり、孔明にも将来を嘱望された。 ◎街亭の戦い 第一次北伐において街亭で魏の張郃と戦うが、高台に布陣すると水を絶たれて敗北した。その後孔明に処断され、「泣いて馬謖を斬る」の語源となった。 |
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諸葛亮 蜀[181~234] ◎蜀漢の丞相 伏龍として劉備に三顧の礼で迎えられ軍師として蜀を支えた。晩年には益州南部を平定し、魏への北伐の指揮を執った。 ◎天下三分の計 劉備が蜀を建てることで曹操の魏、孫権の呉に対抗し、三つの勢力が拮抗して鼎立する状況を作り出した。 ◎赤壁の戦い 呉の周瑜と交渉して同盟を結び、赤壁の地で魏の水軍を火計で破った。 |
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カニシカ1世 クシャーナ朝[????~????(2世紀)] ◎クシャーナ王 クシャーナ朝第4代君主。ヴィマ・カドフィセスの子。 ◎王の中の大王 中央アジアからガンジス川流域まで支配し、クシャーナ朝の最盛期を築いた。 ◎仏教保護 仏教に深く帰依し、大乗仏教を保護した。多くの寺院を建立し、多くの仏教彫刻が造られ、ガンダーラ美術と呼ばれる。 |
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ゲルマニクス ローマ帝国[前15~19] ◎ゲルマニアの征服者 ゲルマニアの国境で蛮族と戦った父の大ドルススから引き継いだ称号。自身もゲルマニア戦線で大きな軍功を挙げた。 ◎軍団兵の支持 誠実な人柄で一家揃って人気があった。ゲルマニア軍団が皇帝宣誓を拒否した際に代わりに皇帝に擁立されそうになる。危険を感じて妻子を陣営から退避させようとすると、兵たちが泣いて許しを請うたという逸話がある。 |
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ティベリウス ローマ帝国[前42~37] ◎ローマ皇帝 ユリウス・クラウディウス朝ローマ帝国第2代皇帝。 ◎厳格なる後継者 アウグストゥスの後を継いで金融政策や辺境防衛に力を注いだ。それ故に市民からの人気が低く、軍団兵のストライキや反乱もあった。 ◎カプリ島の隠棲 市民や元老院とのやり取りが煩わしく後年はカプリ島から政務を執った。 |
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カリグラ ローマ帝国[12~41] ◎ローマ皇帝 ユリウス・クラウディウス朝ローマ帝国第3代皇帝で、ゲルマニクスの息子に当たる。 ◎小さな軍靴 父に従い幼少期から軍駐屯地に出入りして小さな軍靴(カリグラ)と呼ばれて親しまれた。 ◎善政と暴政 皇帝即位後は賞与の支給、貧者の救済、公共事業など行なったが、後半の治世は側近を虐殺するなど狂気に陥ったと評される。 |
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メッサリナ ローマ帝国[20~48] ◎ローマ皇妃 ローマ皇帝クラウディウスの皇妃。由緒あるウァレリウス氏族の出身。 ◎売春婦スキッラ 強欲で冷酷な上に性欲が強く、偽名を使い売春宿で朝まで25人もの男と交わり続けた。 |
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クラウディウス ローマ帝国[前10~54] ◎ローマ皇帝 ユリウス・クラウディウス朝ローマ帝国第4代皇帝。名門ユリウス・クラウディウス家の一員だが、身体的障害を持っていたため公務からは遠ざけられていた。 ◎ガリア人の登用 属州であるガリア出身者の元老院議員の議席を認めさせた。 ◎ブリアンニア征服 ブリアンニアへの遠征を敢行し、同地南部を属州として獲得した。 |
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小アグリッピナ ローマ帝国[15~59] ◎皇位に連なる血筋 本名ユリア・アグリッピナ。ローマ皇帝カリギュラの妹で、ティベリウスの姪にして皇妃、ネロの母親に当たる。 ◎暴君の母親 ネロを帝位に就けるため様々な陰謀を巡らせた。しかし、ネロが皇帝になると政治にも口出しする母と対立し女性問題で決裂した。暗殺者を差し向けられ、最後に腹部を指しながら「刺すならここを刺しなさい。ネロはここから生まれてきたのだから」と言った。 |
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ネロ・クラウディウス ローマ帝国[37~68] ◎ローマ皇帝 ユリウス・クラウディウス朝ローマ帝国第5代皇帝。 ◎暴君 ローマ大火の際に犯人をキリスト教徒と断定し迫害したため、後世の評価が低い。 ◎黄金宮殿(ドムス・アウレア) ローマ大火の後に建てられた大宮殿。庭園を中心として多くの建物が複合した宮殿だった。 ◎ネロ祭 オリンピア祭に対抗して5年に1度開催された。音楽・体育・戦車の3部門から成りネロ自身も参加した。 |
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ガルバ ローマ帝国[3~69] ◎ローマ皇帝 四皇帝の年の最初のローマ皇帝。ヒスパニア・タラコネンシスの属州総督だったが、皇帝ネロに対する反乱が起きると皇帝に擁立された。 ◎皇帝にならなければ皇帝に値する人物 先帝ネロによって破綻した財政の再建を図ったが、軍隊に金貨を配らなかったため支持を得られず反乱が起きた。 |
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オトー ローマ帝国[32~69] ◎ローマ皇帝 四皇帝の年の2人目のローマ皇帝。先帝ガルバの後継者に別の者が指名されると、親衛隊と計って殺害した。 ◎ネロの親友 ネロの親友で男色関係にあったともされるが、ネロが妻との結婚を望んだため離縁させられた。 ◎ルシタニア属州総督 ルシタニアでは善政を敷き、属州民の人気も高かった。 |
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ウィテッリウス ローマ帝国[32~69] ◎ローマ皇帝 四皇帝の年の3人目のローマ皇帝。ゲルマニア・インフェリオルの軍団に擁立され皇帝即位を宣言し、クレモナの戦いでオトーを破った。 ◎名家の生まれ 名家出身故に気前が良く一時は人気があったが、明確な政治方針もなく贅沢な暮らしをしたため市民の支持を失った。 |
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ウェスパシアヌス ローマ帝国[9~79] ◎ローマ皇帝 フラウィウス朝ローマ帝国初代皇帝。 ◎公衆便所 財政健全化に努め、公衆便所を設置して集めた尿を有料で販売した。 ◎コロッセオ ネロの黄金宮殿跡地にローマの象徴の一つとなるコロッセオの建設を開始した。 |
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ティトゥス ローマ帝国[39~81] ◎ローマ皇帝 フラウィウス朝第2代ローマ皇帝。ウェスパシアヌスの長男でドミティアヌスの兄 ◎ユダヤ戦争 父ウェスパシアヌスが皇帝となると代わりにユダヤ人鎮圧の司令官となる。エルサレムを包囲陥落させ、断崖絶壁のマサダ要塞は進入路を埋め立てて攻略した。 ◎善政 剣闘士試合を開催し演劇も多くの上演を許した。元老院とも良好な関係を築き、反逆罪で裁かないとした。 |
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ドミティアヌス ローマ帝国[51~96] ◎ローマ皇帝 フラウィウス朝第3代にして最後のローマ皇帝。ウェスパシアヌスの次男でティトゥスの弟。 ◎記憶の抹消 元老院議員を処刑しては財産を没収した。また、ユダヤ人やキリスト教徒を迫害し、最後には暗殺された。あまりの暴政のため、死後には個人記録が抹消される『記憶の抹消』の刑に処された。 |
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ネルウァ ローマ帝国[30~98] ◎ローマ皇帝 ネルウァ=アントニヌス朝ローマ帝国初代皇帝。先帝ドミティアヌスが暗殺されると、元老院によって皇帝に推挙された。 ◎五賢帝 有能なトラヤヌスを養子に迎え後継者に据えることで、続く五賢帝時代の礎を築いた。 |
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トラヤヌス ローマ帝国[53~117] ◎ローマ皇帝 ネルウァ=アントニヌス朝ローマ帝国第2代皇帝。初の属州出身の皇帝で、ネルウァの養子となって即位した。 ◎五賢帝 文武両面に長け、国内のインフラ整備を増強するとともにローマ帝国の最大版図を築いた。 ◎ダキア征服 2度に渡ってドナウ川を越えてダキア王国へ親征した。これによってローマ帝国の国境線の防衛が強化された。 |
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ハドリアヌス ローマ帝国[3~69] ◎ローマ皇帝 ネルウァ=アントニヌス朝ローマ帝国第3代皇帝。 ◎五賢帝 行政や法律を整備してローマ帝国全体の平準化を進めた。広大な帝国を2度に渡って巡察旅行をしている。 ◎ハドリアヌスの長城 ローマ帝国最北端の国境線に築かれた城壁。ハドリアヌスはほかにも属州メソポタミアとアルメニアを放棄して国境線の安定を図った。 |
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アントニヌス・ピウス ローマ帝国[86~161] ◎ローマ皇帝 ネルウァ=アントニヌス朝ローマ帝国第4代皇帝。 ◎五賢帝 軍との距離を取り続け、治世下においては軍事命令を出さなかった。 ◎慈悲深き者 先帝ハドリアヌスの神格化を反対していた元老院を説得して成し遂げた事によって「慈悲深きアントニヌス(アントニヌス・ピウス)」の称号が送られた。 |
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マルクス・アウレリウス・アントニヌス ローマ帝国[121~180] ◎ローマ皇帝 ネルウァ=アントニヌス朝ローマ帝国第5代皇帝。アントニヌス・ピウスの外戚に当たり、幼い頃よりハドリアヌスの寵愛を受けた。 ◎五賢帝 学識に長け先帝同様の安定した政治を行なった。またパルティアとの戦いで共同皇帝のルキウス・ウェルスを派遣して勝利を収めたが、続くマルコマンニ戦争の陣営地で没した。 ◎自省録 自分宛てに書き続けた哲学的な散文。マルクス・アウレリウスは後期ストア派の哲学者で『哲人皇帝』と呼ばれる。 |
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コンモドゥス ローマ帝国[161~192] ◎ローマ皇帝 マルクス・アウレリウス・アントニヌスの子で、共同統治の後、父の死後、ローマ皇帝となる。 ◎暴虐帝 姉のルチッラによる暗殺未遂事件により人間不信となり、市民の虐殺を行ないヘラクレスに扮して剣闘士一万人以上殺害した。後に暗殺され一時、記録抹消刑となった。 |
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セプティミウス・セウェルス ローマ帝国[145~211] ◎ローマ皇帝 セウェルス朝ローマ帝国初代皇帝。五皇帝の年の皇帝を退けて皇帝となった。初のアフリカ系出身の皇帝。 ◎軍人皇帝の先鞭 兵士を厚遇し軍事色の強い政策は後の軍人皇帝の先駆けとなった。 |
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ゲタ ローマ帝国[189~211] ◎ローマ皇帝 セウェルス朝ローマ帝国の皇帝。セプティミウス・セウェルスの子で、兄のカラカラと共同統治した。 ◎記録抹消刑(ダムナティオ・メモリアエ) 兄カラカラとの確執の末に暗殺された。さらに全ての記録を抹消され、家族の肖像画からも顔が削り取られた。 |
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カラカラ ローマ帝国[188~217] ◎ローマ皇帝 セウェルス朝ローマ帝国第2代皇帝。セプティミウス・セウェルスの子。弟のゲタと共同統治していたが後に暗殺する。 ◎アントニヌス勅令 全属州民にローマ市民権を与える命令。 ◎カラカラ浴場 カラカラ帝がローマ市民のために建設した大浴場。当時はアントニヌス浴場と呼ばれた。 |
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サン・ドニ ローマ帝国[????~250頃] ◎ガリア伝道者 パリ司教。ローマ教皇ファビアヌスの命でガリアへ布教に赴き多くの人々をキリスト教に改宗させた。 ◎手に持つ首 ケルト人のドルイド僧によって斬首刑に処されたが、切り落とされた首を拾い上げて説教を始めたという逸話が残っている。 ◎守護聖人 パリのディオニュシウスとも呼ばれる。頭痛、悪魔憑きの守護聖人であるとともに国家フランスの守護聖人でもある。また十四救難聖人の一人にも数えられる。 |
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アウレリアヌス ローマ帝国[214~275] ◎ローマ皇帝 軍人皇帝時代第15代ローマ皇帝。ゴート族にダキア地方を譲渡してドナウ川防衛線の安定を図った。 ◎アウレリアヌス防壁 北方から侵入してくる異民族に対して、ローマを囲う城壁を構築した。 ◎世界の修復者 パルミラ帝国とガリア帝国を降し、三分されていた帝国の再統一を果たした。 |
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コンスタンティウス・クロルス ローマ帝国[250~306] ◎ローマ皇帝 西方ローマ副帝でマクシミアヌスを補佐し、ガリアやブリタンニアを防衛した。後にマクシミアヌスが退位すると正帝に就任する。 ◎大帝の父 行政や法律を整備してローマ帝国全体の平準化を進めた。広大な帝国を2度に渡って巡察旅行をしている。 ◎後の大帝コンスタンティヌス1世の父親に当たる。 |
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マクシミアヌス ローマ帝国[250~310] ◎ローマ皇帝 四分統治(テトラルキア)によってディオクレティアヌスに西方ローマ正帝に就けられた。ブリタンニアの反乱を収め、北アフリカの防衛線を強化し、ヒスパニアのムーア人を攻略した。 ◎復位 ディオクレティアヌスが退位すると同時に退位させられたが、息子のマクセンティウスが皇帝に名乗りを挙げることで自身も皇帝に復位した。 |
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ディオクレティアヌス ローマ帝国[244~311] ◎ローマ皇帝 軍人皇帝時代を収拾してローマ皇帝に即位する。また、専制君主制(ドミナートゥス)を創始して、軍事と政治を分離させた。 ◎四分統治(テトラルキア) ローマ帝国を東西に分割して更に正帝、副帝の4人で統治するシステムを構築した。ディオクレティアヌス自身は東方正帝としてニコメディアを都とした。 ◎最後の大迫害 皇帝やローマの神々を崇拝せず反逆行為を起こすキリスト教徒に対して大規模な弾圧を行った。多くの者が処刑され、聖書は焼却、教会は破壊されて財産は没収された。 |
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コンスタンティヌス1世 ローマ帝国[272~337] ◎ローマ皇帝 コンスタンティヌス朝初代ローマ皇帝。 ◎ミラノ勅令 全帝国市民の信教の自由保障した法令。これによりキリスト教を公然と信仰できるようになり、国教化の先鞭を付けた。 ◎大帝 キリスト教世界の君主において大きく貢献した者は『大帝』の尊称で呼ばれる。 |
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ユリアヌス ローマ帝国[331?~363] ◎ローマ皇帝 コンスタンティヌス朝ローマ帝国第3代皇帝。 ◎背教者 コンスタンティヌス1世の甥であるにも拘らず、異教復興を掲げてキリスト教の優遇政策を取り止めた。 ◎ペルシア遠征 東方国境がササン朝の攻撃に晒されたため遠征するが、その陣中で没した。 |
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シルウェステル1世 教皇領[????~335] ◎ローマ教皇 第33代ローマ教皇。歴代で8番目に長い在位。 ◎虚構の権威 ローマ皇帝コンスタンテヌス1世に洗礼を行ない、コンスタンティヌスの寄進状を受けたとされる。これは捏造だったがローマ教会の権威を大きくした。 ◎大晦日の聖人 12月31日の聖人。大晦日をシルヴェスターと呼ぶこともある。 |
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ブーディカ ブリタンニア[????~61?] ◎ケルトの女王 ブリタンニアのイケニ族の女王。 ◎勝利の女神 野ウサギを放ち吉凶を占い、勝利の女神アンドラステに祈りを捧げたとされる。 ◎ローマへの復讐 征服者であるローマに反乱を起こし、カムロドゥヌム、ロンディニウム、ウェルラミウムの都市の住民は悉く虐殺された。 |
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フラウィウス・スティリコ 西ローマ帝国[365~408] ◎ローマ軍司令官 ヴァンダル族の出身だが、軍を率いて西ゴート族の侵略から何度もローマを防衛した。 ◎最後のローマ人 蛮族の血のためホノリウス帝に疎まれ続け反乱を起こす事もできたが、戦功を挙げても私腹を肥やす事無くローマという国家と体制を尊重した。 |
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オドアケル 西ローマ帝国[433~493] ◎傭兵隊長 ゲルマン人の出自とされ、西ローマ帝国の親衛隊に属していたとされる。 ◎皇帝廃位 「もはや西方を担当する皇帝は必要ない」と、西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃し、ラヴェンナを中心としたイタリアの領主となった。 |
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ヒュパティア ビザンツ帝国[????~415] ◎学術の徒 アレクサンドリアのテオンの娘で、幼い頃より数学や哲学を学んだ。彼女自身も新プラトン主義哲学の講義などを行った。 ◎学問への殉死 キリスト教の教義よりも学問を優先させたため、アレクサンドリア総主教キュリロスに捕えられ、生きたまま牡蠣の貝殻で肉を削ぎ落とされて殺害された。 |
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アレクサンドリアのキュリロス ビザンツ帝国[376~444] ◎アレクサンドリア総主教 第24代アレクサンドリア総主教。強権的な聖職者だが、多くの著作を残して教会博士にも数えられる。 ◎エフェソス公会議 イエスの人間性と神性に関する議論を巡ってアレクサンドリア学派とアンティオキア学派が対立した会議。結局キュリロスが勝利し、相手のネストリウスは異端とされた。 ◎異教徒の弾圧 キリスト教の教えに沿わずユダヤ人との融和を図ったエジプト長官オレステスや、女性哲学者ヒュパティアらの殺害を主導した。 |
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ゼノビア パルミラ帝国[????~????(3世紀)] ◎パルミラ女王 セプティミウス・オデナトゥスの王妃で後にパルミラの女王となる。 ◎戦士女王 ローマ皇帝アウレリアヌスと争うが、ササン朝の援軍も得られなかった。パルミラに籠城するが、最後はローマに捕えられてしまう。 |