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◆アジア・大洋州◆

日本
厩戸王

日本[574~622]


◎摂政
用明天皇の第二皇子で推古天皇の甥に当たり、摂政として推古天皇を補佐した。後に聖徳太子と呼ばれる。
◎和を以て貴しとなす
遣隋使を派遣するなど第陸と交流して仏教などを積極的に取り入れ、貴族や官僚が規範とすべき十七条憲法を制定した。
◎冠位十二階
朝廷に仕える臣下12の等級に分けたもの。地位によって色の異なる冠が与えられた。
蘇我入鹿

日本[????~645]


◎蘇我氏の権勢
父祖より蘇我氏の権力を受け継ぎ、聖徳太子の子である山背大兄王とその一族を攻め滅ぼした。
◎乙巳の変
三韓朝貢の式典の際に中大兄皇子(のちの天智天皇)、中臣鎌足らによって暗殺された。
藤原鎌足

日本[614~669]


◎大化の改新
乙巳の変において中大兄皇子(のちの天智天皇)と共に蘇我入鹿を討ち、天皇主導の中央集権化を進めた。
◎藤原姓
元は中臣姓だったが死の直前に藤原姓を賜り、子孫は日本の政治の中核を担い続けた。
天智天皇

日本[626~672]


◎天皇
第38代天皇。舒明天皇の子で、即位前は中大兄皇子と呼ばれた。
◎大化の改新
乙巳の変で蘇我入鹿を討ち、天皇による中央集権化を進めた。
◎公地公民
全ての土地と民は天皇の元にあるといる制度。土地や人民の私有が禁止され、税の徴収が始まった。日本初の戸籍である庚午年籍が定められた。
◎白村江の戦い
百済復興支援のため軍を朝鮮半島に派遣したが大敗した。
弓削道鏡

日本[700~772]


◎祈祷
法相宗の僧で、病を患った孝謙上皇に侍して看病を行ない、寵愛を受けることとなった。
◎法王
称徳天皇(孝謙天皇の重祚)によって仏門の支配者として任ぜられた。僧でありながら皇位を狙ったとされ、日本三大悪人の一人にも数えられる。
阿弖流為

日本[????~802]


◎悪路王
東北地方で活動した蝦夷の族長とされ、軍を率いる指揮官でもあった。また鹿島神宮などに伝わる蝦夷の賊首『悪路王』であるとも言われた。
◎巣伏の戦い
退却を装い朝廷軍を引き込んで包囲攻撃を仕掛けた。これにより朝廷軍は総崩れとなった。
坂上田村麻呂

日本[758~811]


◎征夷大将軍
優れた武人で、東北の阿弖流為を討伐すべく征夷大将軍に任命された。
小野小町

日本[????~????(9世紀)]


◎六歌仙
平安時代前期の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人に数えられ、情熱的な恋の詩は『古今和歌集』や『後撰和歌集』などに収録されている。
◎小町物
小野小町を題材にした作品の総称。和歌の名手として深草少将に白夜通いを受けたり、年老いて乞食となったり、美女の死体が腐敗する様だったり様々。
藤原純友

日本[????~941]


◎海賊貴族
藤原北家の出身だが、伊予掾となり伊予国に下向すると瀬戸内の海賊と結びついて自ら海賊行為をするようになった。
◎藤原純友の乱
瀬戸内海沿岸の国々の国府を襲撃し、太宰府にも襲いかかった。しかし小野好古に敗れる。同時期の平将門の乱と併せて承平天慶の乱と呼ばれる。

房玄齢

唐[579~648]


◎筆頭宰相
李世民に仕えて玄武門の変では策謀を以って権力奪取に貢献する。さらに筆頭宰相として貞観の治の立役者となった。
◎正史編纂
『北斉書』をはじめ『梁書』、『陳書』、『隋書』、『周書』などの正史編纂を総監した。
玄奘

唐[602~664]


◎法相宗
仏典の研究には原点に拠るべきだとしてインドから教典を持ち帰り、従来の誤りを正して法相宗の祖となった。
◎大唐西域記
シルクロードを経由してインドに至るまでの諸国で見聞きした事柄について玄奘の口述を弟子の弁機が記したもの。17年の旅路は全12巻に及ぶ。
◎三蔵法師
『西遊記』において三蔵法師の名で語られる。孫悟空、猪八戒、沙悟浄を従えて天竺を目指して旅をする物語。
武則天

武周(唐)[623~705]


◎武周皇帝
唐の高宗の皇后で夫の死後、国号を武周に変えて皇帝に即位する。中国史上唯一の女性皇帝。
◎実力主義
科挙を拡充し家柄よりも実力を重視し、有能な官僚を抜擢した。
◎情報統制
密告制度や酷吏による強権的な支配を敷き、反対派を容赦なく粛清した。
韋皇后

唐[????~710]


◎唐皇后
唐の皇帝中宗の皇后で、武則天は義理の母に当たる。韋玄貞の娘。
◎女帝への野心
中宗を毒殺すると武則天のように皇太后を名乗り実権を掌握しようとする。しかし、政変が起こり処刑されてしまう。
安楽公主

唐[684~710]


◎皇太女を望む
唐の皇帝中宗と韋皇后の娘。美しいが贅沢で奢侈な生活を送り、いずれ皇帝になりたいと公言し、母の韋皇后と共に宮廷政治を乱した。
楊貴妃

唐[719~756]


◎傾国の美女
玄宗の寵姫で音楽や舞に長けた。世界三大美人、中国四大美人に数えられる。
◎長恨歌
安史の乱で死んだ後に、玄宗と楊貴妃の物語を白居易が作った漢詩。その中で永遠の愛を誓い合っている
安禄山

唐(大燕)[703~757]


◎節度使
ソグド人と突厥系の混血。商才と勇猛さで玄宗に気に入られ、平盧・范陽・河東の三節度使に任じられた。
◎安史の乱
宰相の楊国忠と対立し反乱を起こす。長安と洛陽を制圧し大燕皇帝を称して大燕を興した。
安慶緒

唐(大燕)[????~759]


◎大燕皇帝
第2代大燕皇帝。安禄山の次男。疑心暗鬼に駆られ父を暗殺して皇位を簒奪するが、周囲の信頼を得られず史思明に排除された。
史思明

唐(大燕)[703~761]


◎節度使
范陽をはじめ、河東・河北・平盧の節度使を務めた。
◎安史の乱
安禄山の部下で、安禄山が反乱を起こした際にも忠実な腹心として軍を指揮した。
◎大燕皇帝
第3代大燕皇帝。安禄山を殺害して皇帝となった安慶緒に反発して、殺害して自らが皇帝となった。
玄宗

唐[685~762]


◎唐皇帝
唐朝第9代皇帝。睿宗の第三子。
◎開元の治
税制を改革し節度使制などを導入して安定した善政を敷き、開元の治と称えられた。
◎晩年の堕落
晩年は楊貴妃を溺愛し政務を疎かにした。さらに安禄山の反乱を許すと都から逃亡した。
李白

唐[701~762]


◎詩仙
自然と酒を愛し、天才的で自由な作風は仙人と称された。
◎静夜思
旅先での孤独、故郷への郷愁を表現した詩。李白の作品でも最も親しまれる。
◎将進酒
人生の短さを嘆きつつも、だからこそ酒を飲んで楽しめといった豪快で自由奔放な精神が込められた詩。
史朝義

唐(大燕)[????~763]


◎大燕皇帝
第4代大燕皇帝。史思明の長男で安史の乱にも参加した。史思明が末子の史朝清を後継にしようとしたため、史朝清と父の史思明、母の辛皇后を殺害して皇帝に即位した。しかし民心を失い部下も離反したため自害し、大燕は滅亡した。
杜甫

唐[712~770]


◎詩聖
社会の混乱や民衆の苦悩、国家への憂いなどを詠み、その人格と詩風の高潔さを尊敬された。その生涯は唐の歴史を映すといわれ、『詩史』とも呼ばれる。
◎国破れて山河あり
『春望』の出だし。安史の乱の戦乱下の都を描いた。
◎絶句
短い四句の中で美しい自然を描写し、静と動を対比させ、望郷の想いを綴った詩。

吐蕃
ソンツェン・ガンポ

吐蕃[????~650?]


◎チベットの王
チベット初の統一王国(吐蕃)初代の王。吐谷渾、白蘭、タングートに勝利し、唐にも度々攻撃をした。
◎官位十二階
氏族長一族の身分を保障する事で永続的な主従関係を構築し、中央集権の統治を進める事が出来た。
◎チベット文字
中国、インドから高い文化を吸収し、チベット独自のチベット文字を発明させた。

後高句麗
弓裔

後高句麗[857~918]


◎後高句麗王
朝鮮半島の中部に勢力を拡大して王を自称し後高句麗を打ち立てた。しかし暴政を続けたため王建によって追放された。
◎一目大王
新羅の憲安王(あるいは景文王)の子とされ、生まれてすぐに王宮を追放された際に片目を失った。

◆ヨーロッパ◆

ビザンツ帝国
テオドラ

ビザンツ帝国[500頃~548]


◎ビザンツ皇后
ビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世の皇后。貧しい踊り子の身から皇帝の妃になった。
◎賢女の演説
ニカの乱において狼狽る夫に対して「帝衣は最高の死装束であるという言葉が正しい」と勇気づけた。
ユスティニアヌス1世

ビザンツ帝国[482~565]


◎ビザンツ皇帝
ユスティニアヌス朝第2代ビザンツ皇帝。ユスティヌス1世の甥。
◎ローマの栄光
ベリサリウス、ナルセスを派遣し、ヴァンダル王国を征服し、東ゴート族からイタリアを奪還し、イベリア半島にも攻め入った。
◎ローマ法大全
帝国諸法を成文化し、『勅法彙纂』、『学説彙纂』、『法学提要』、『新勅法』に編纂させた。
◎アヤソフィア寺院
当時、世界最大の教会でビザンツ文化を象徴するドーム建築の傑作とされる。

フランク王国
ピピン3世

フランク王国[714~768]


◎フランク国王
フランク王国宮宰カール・マルテルの子だが、国王キルデリク3世を廃してカロリング朝初代国王に就いた。
◎ピピンの寄進
ランゴバルド王国を破り獲得したラヴェンナ地方をローマ教皇に献上した。これは教会が王位を承認するための見返りだった。
シャルルマーニュ

フランク王国[742~814]


◎フランク国王
カロリング朝フランク国王国王。教皇レオ3世から西ローマ皇帝としても戴冠している。
◎大帝
ヨーロッパの多くを領土に収め、古典ローマ、キリスト教、ゲルマン文化の融合を体現した。文化の隆盛はカロリング・ルネサンスと呼ばれる。
◎聖剣ジュワユーズ
『ローランの歌』などの伝説にに語られる聖剣。柄頭に聖槍が埋め込まれており、日に30回その色彩を変じるという。

東フランク王国
カール3世

東フランク王国[839~888]


◎東フランク国王
カロリング朝東フランク王国の国王。ルートヴィヒ2世の子で父の遺領を分割してアレマニアを継承する。後に教皇ヨハネス8世からローマ皇帝の位を戴冠し、兄である西フランク王カルロマンの死去によって西フランク王国も統治して一時は分裂していたフランク王国を統一した。
◎肥満王
優柔不断で弱腰な性格で無能とみなされた。甥のアルヌルフに反乱を起こされ、トリブールの帝国議会において退位させられた。

フランス
ユーグ・カペー

フランス[940頃~996]


◎フランス国王
カペー朝初代フランス王国国王。西フランク王ロベール1世の子であるユーグ大公の子。
◎フランス王朝の基礎
王権の強化に努め、世襲制にする事で安定した統治を実現した。以降、フランスの王朝は共和制に変わるまでカペー朝の血筋が国を治めた。
イングランド
カンタベリーのアウグスティヌス

イングランド[534~604]


◎カンタベリー大司教
教皇グレゴリウス1世の命によりイングランドへ布教のために派遣された。そこで初代カンタベリー大司教に任じられ、約1万人のイングランド人に洗礼を施した。

教皇領
グレゴリウス1世

教皇領[540?~604]


◎ローマ教皇
第64代ローマ教皇。ローマ司教を西ヨーロッパの全キリスト教世界の最高指導者としての教皇の地位を築いた。
◎大聖グレゴリウス
ゲルマン人への布教を進め、ブリテン島にも修道士を派遣した。教会の改革、典礼の整備を行い、四大ラテン教父、教会博士にも数えられる。
◎グレゴリオ聖歌
多くの聖歌を作曲し、グレゴリオ聖歌も彼に由来する。

神聖ローマ帝国
オットー1世

神聖ローマ帝国[912~973]


◎神聖ローマ皇帝
東フランク王ハインリヒ1世の子で、東フランク国王並びにザクセン朝神聖ローマ帝国初代皇帝となる。
◎反乱鎮圧
東フランク王に戴冠する際に多くの諸侯や親族が反乱を起こした。これらを鎮圧すると聖職者による統治体制を進めていった。
◎ローマカトリックの守護者
カール大帝を倣い、ローマカトリック教会のキリスト教世界を守護する理念から、神聖ローマ帝国が成立した。
ジークフリート1世

神聖ローマ帝国[992頃~998]


◎ルクセンブルクの祖
聖マクシミン修道院より岩山の城塞を取得し、後のルクセンブルク城として国家形成をしていった。

東ゴート王国
テオドリック

東ゴート王国[454~526]


◎東ゴート王
西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルを討ち東ゴート王国を起こして王位に就き、『大王』と呼ばれた。
◎ローマ化
ビザンツ帝国に敬意を払い、軍人はゴート人で占めたが行政においてはローマ人も登用した。アリウス派でありながらカトリックにも寛容で、インフラも整備した。
◎テオドリックの霊廟
ラヴェンナに建てられたテオドリックの霊廟。「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」として世界遺産に登録されている。

ノルウェー
ハーラル1世

ノルウェー[850頃~930頃]


◎ノルウェー国王
ヴェストフォルという地域のユングリング家の出身で、ノルウェーを統一した最初の王。
◎美髪王
ノルウェー全土を征服するまで髪を切らないという誓いを立て、見事にノルウェー統一を成し遂げると髪を整えて『美髪王』と称えられた。
エイリーク1世

ノルウェー[885頃~954]


◎ノルウェー国王
ノルウェー王国とノーザンブリア王国の国王で、ハーラル1世の子。
◎血斧王
王位継承の際に4人の兄弟を殺害し、その残忍さを恐れられた。また妻のグンビルドは邪悪な魔女としてサガで語られる。

デンマーク
ハーラル1世

デンマーク[????~986]


◎デンマーク国王
スキョル朝初代デンマーク国王。老王ゴームの息子。
◎青歯王
デンマークを一つの国としてまとめ上げ、キリスト教化する事で統一化を進めた。電子機器を繋ぐ通信技術のBluetoothは彼に由来する。

キエフ大公国
オレーグ

キエフ大公国[????~????(10世紀)]


◎キエフ大公
キエフを占領してキエフ大公国を建国、初代キエフ大公となる。ビザンツ帝国のコンスタンチノープルに遠征し、通商条約を結ばせた。

ノヴゴロド公国
リューリク1世

ノヴゴロド公国[830頃~879頃]


◎ノヴゴロド公
ノヴゴロドを建設してルーシ諸国の最初の首長となり、リューリク朝の祖となる。
◎ヴァイキングの血筋
ルーシ国家の建設に携わった者の多くが、海賊業や交易などで活躍したヴァリャーグ(ヴァイキング)だったと言われる。

ノルマンディー公国
ロロ

ノルマンディー公国[846頃~933]


◎ノルマンディー公
ノルウェー人やデンマーク人のヴァイキングの指導者だったが、西フランク国王シャルル3世と同盟を結んでノルマンディー公に叙された。
◎徒歩王
恵まれた体格で、乗馬すると馬を潰してしまうのでいつも徒歩で移動していた。

◆中東・アフリカ◆

ウマイヤ朝
ムアーウィヤ1世

ウマイヤ朝[603頃~680]


◎血の復讐
4人目のカリフであるアリーと対立し、スッフィーンの戦いで勢力を拡大し、自身もカリフを名乗る。
◎ウマイヤ朝カリフ
アリーが暗殺されるとウマイヤ朝を創設し、カリフを世襲制にした。
◎ディーワーン制度
軍と官庁を整備して、イスラム共同体を国家として形成させた。

アッバース朝
ハールーン・アッ=ラシード

アッバース朝[763~809]


◎アッバース朝カリフ
アッバース朝第5代カリフ。第3代カリフのマフディーの子で、兄のハーディーが没するとカリフを継承した。
◎偉大なる帝王
アッバース朝の最盛期を築き、バグダードは世界最大級の都市に成長した。『千夜一夜物語』においてもアッバース朝の君主として語られている。

◆南北アメリカ◆

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最終更新:2026年05月20日 03:15