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安倍晴明 日本[921~1005] ◎妖の出自 晴明の母親は信太の森の狐・葛の葉とされる。稲荷大明神の神使である狐を母に持つことから強い霊力を持って生まれたとされる。 ◎陰陽術 土御門流陰陽術の祖。星を読み吉凶を占い、式神を使役し、反魂の法も扱ったとされる。 |
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蘆屋道満 日本[????~????(11世紀)] ◎陰陽術 九字を格子状に切った「九字切り」の紋はドーマンと呼ばれ、魔除けに用いられる。 ◎播磨法師 安倍晴明と式神対決をしたり、藤原顕光に仕え藤原道長に呪詛をかけた。後に播磨国に追放され在野の陰陽術となった。 |
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清少納言 日本[966頃~1025] ◎枕草子 宮中での日常風景を「をかし」の言葉で思いを述べた散文。三代随筆に数えられる。 ◎定子の女房 中宮・藤原定子の女房として仕えた。歌人としても有名で、『後捨遺和歌集』、『百人一首』に選ばれ、『中古三十六歌仙』、『女房三十六歌仙』に数えられる。 |
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紫式部 日本[????~????(11世紀)] ◎源氏物語 主人公・光源氏の恋愛と人生を描いた全54帖の長編物語。当時の貴族の日常や社会・文化、多くの和歌が詠み込まれている。 ◎定子の女房 中宮・藤原彰子の女房として仕えた。『紫式部日記』や『紫式部集』などを残し、『百人一首』に選ばれ、『中古三十六歌仙』、『女房三十六歌仙』に数えられる。 |
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藤原道長 日本[966~1028] ◎藤原氏の栄華 娘の彰子、嬉子を一条天皇に嫁がせ、後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇の外祖父として権力を握り、藤原氏の絶頂期を作った。 ◎望月の歌 天皇の摂政、太政大臣、内覧となり、満月が欠けるもののないように満足に揃っていると我が世の春を謳歌する様を歌った。 |
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武蔵坊弁慶 日本[????~1189] ◎五条大橋の刀狩り 武者と決闘して999本の太刀を集め、京の五条大橋で牛若丸(源義経)と戦ったが返り討ちに遭い、以降は義経の家来となった。 ◎弁慶の立往生 奥州平泉の衣川の戦いで、義経を守り雨のような矢を受けて立ったまま絶命した。 |
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源頼朝 日本[1147~1199] ◎挙兵 河内源氏の源義朝の三男で伊豆に流されていたが、坂東武士らと共に平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を中心に関東を制圧し、平家を滅ぼした。 ◎征夷大将軍 平家に続き奥州の藤原氏も滅ぼし、後鳥羽天皇に征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府を開いた。 |
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阿野全成 日本[1153~1203] ◎悪禅師 源義朝と常盤御前の子で源頼朝の異母弟で源義経の同母兄。頼朝の挙兵にいち早く駆け付け、御家人として仕えた。 |
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平徳子 日本[1155~1214] ◎国母 平清盛の娘で、高倉天皇に入内して後の安徳天皇の母となる。院号は建礼門院。 ◎壇ノ浦の入水 壇ノ浦の戦いで平家の敗北が決定的になると母の時子、子の安徳天皇と入水自殺を図ったが、救助され生き残る。その後は京都で出家し一門の菩提を弔った。 ◎大原御幸 『平家物語』で語られる大原寂光院の徳子を後白河法皇が訪問した場面。徳子は自らの人生を振り返り、仏教の六道になぞらえて語った。 |
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花山院師賢 日本[1301~1332] ◎公卿 正二位・大納言、贈太政大臣。内大臣・花山院師信の二男。 ◎天皇の身代わり 元弘の乱の際に後醍醐天皇に扮して比叡山に登り、延暦寺衆徒の士気を挙げ幕府軍を撃退に導いた。 ◎文貞公 著名な歌人でもあり、『続千載和歌集』や『新葉和歌集』に入集している。 |
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北畠顕家 日本[1318~1338] ◎鎮守府将軍 名門貴族の出で北畠親房の長男。建武の新政で鎮守府将軍として陸奥国に下向し、東北地方の統治に当たった。 ◎神速の行軍 足利尊氏が乱を起こすと、陸奥国から京に西上して豊島河原の合戦で尊氏の軍を敗走させた。 |
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一休宗純 日本[1394~1481] ◎反骨の破戒僧 後小松天皇の落胤ともいわれる臨済宗大徳寺派の僧。仏教で禁じられる飲酒、肉食、性交などを行なう一方で権威や名声を嫌った。 ◎髑髏杖 正月に杖の先に髑髏を付けて「御用心、御用心」と練り歩いた。正月を迎えることは死に一歩近づくものだとの皮肉とされる。 |
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司馬光 北宋[1019~1086] ◎旧法派の領袖 英宗、神宗、哲宗に仕え宰相を務めた。あまりに性急な王安石の政治改革に対して対立し、新法の全面廃止を断行しようとした。 ◎資治通鑑 英宗の詔によって司馬光が編纂した歴史書。戦国時代から北宋の成立までおよそ1300年が収録されている。 |
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王安石 北宋[1021~1086] ◎新法 青苗法や均輸法、市易法など多くの新たな法律を定め、中小の農民や商人を保護した。農業、経済、軍事だけでなく科挙の改革も行い、この改革は新法・旧法の争いと呼ばれる。 ◎唐宋八大家 優れた文学者で、『仁宗皇帝に上りて事を言うの書(万言の書)』は名文として称えられ、唐宋八大家の一人に数えられる。 |
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徽宗 北宋[1082~1135] ◎北宋皇帝 北宋第8代皇帝。神宗の第十一子で哲宗の弟。兄の死後皇帝となる。 ◎風流天子 政治よりも芸術の方面に秀でていた。『痩金体』という書体を作り、写実的な院体画を開き、『桃鳩図』などの名画を残した。 ◎靖康の変 金に首都の開封を陥とされ捕虜となり、北宋はそのまま滅亡してしまった。 |
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岳飛 南宋[1103~1142] ◎南宋の英雄 南宋の武将で、金に対して幾度も勝利を収めた。主戦派の筆頭で、民衆から絶大な人気があった。 ◎尽忠報国 忠義を尽くして国に報いる事。岳飛は母親によって背中にこの文字の入れ墨を彫られた。 ◎鄂王 宰相の秦檜に謀殺された後、救国の英雄として岳王廟が建立され信仰を集めた。 |
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秦檜 南宋[1091~1155] ◎宰相 南宋の宰相。金との交渉を担当した。主戦派のの武官に対し、講和派の筆頭だった。 ◎紹興の和議 南宋と金の和平条約。南宋皇帝は金から封冊される地位となり、毎年の朝貢を強いられることとなった。 ◎売国奴 金との講和に反対する政敵を排除し、英雄と呼ばれた岳飛も反逆罪をでっちあげて謀殺した。これにより売国奴の代名詞となった。 |
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鄭和 明[1371~1434] ◎三保太監 永楽帝に仕えたイスラム教徒の宦官。 ◎大船団 ヨーロッパの大航海時代に先んじて東南アジアからアラビア半島を経てアフリカまで到達した。麒麟などの珍しい動物を本国に持ち帰った。 |
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チンギス・ハーン モンゴル帝国[1162~1227] ◎モンゴル皇帝 モンゴル部の首長イェスゲイの子で、モンゴル高原の諸部族を統一して一大帝国を築き上げ初代ハーンに即位した。 ◎大征服 金朝をはじめ西遼、クチュルク、ホラズム・シャー朝など西方に版図を広げていった。 |
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バトゥ ジョチ・ウルス(モンゴル帝国)[1207~1256] ◎タタールの軛 モンゴル皇帝オゴデイの命を受けてヨーロッパ遠征軍の総司令官を務める。その後ポーランドまで侵攻しヨーロッパ中を恐怖に陥れた。 ◎黄金のオルド ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の実質的な創設者となる。国家の安定を図り、宗教においても融和的な政策を採り、『偉大なる賢君』とも呼ばれた。 |
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ティムール ティムール朝[1336~1405] ◎ティムール朝アミール チャガタイ・ハン国の軍事指導者だったが、ティムール朝を建国して初代アミールとなった。 ◎苛烈な征服 降伏勧告に応じない都市には虐殺や略奪を許可した。反抗を恐怖で抑えるためにヘラート、イスファハーン、デリーなどで大量虐殺が行われた。 ◎サマルカンドの発展 首都のサマルカンドにはモスクやマドラサ、武器工房などが多く建てられ水路も整備された。さらにバザールや隊商宿も置かれ交易の中継地点となった。 |
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エドワード懺悔王 イングランド[1003~1066] ◎イングランド国王 ウェセックス朝イングランド国王。エゼルレッド2世の子で、エドマンド2世の異母弟。 ◎懺悔王 敬虔なカトリック教徒でウェストミンスター寺院を建立した。聖人視され『証聖王』とも表記される。 |
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ウィリアム1世 イングランド[1027~1087] ◎イングランド国王 ノルマン朝イングランドの初代国王。フランス貴族のノルマンディー公でもあった。 ◎征服王 ノルマンディーからイングランドに侵攻し、『ノルマン・コンクエスト』と呼ばれる。国王裁判所を設置し、世界初の土地台帳ドゥームズデイ・ブックを作った。 |
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スティーブン イングランド[1096~1154] ◎イングランド国王 ブロワ朝初代イングランド国王。フランス貴族であるブロワ伯エティエンヌ2世の子で、母方の祖父はイングランド国王ウィリアム1世。 ◎サリカ法 ヘンリー1世の死後、ヘンリー1世の娘であるマティルダと王位を争ったが、「女性は君主に就けない」というサリカ法を根拠に王座を手に入れた。 |
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リチャード1世 イングランド[1157~1199] ◎イングランド国王 プランタジネット朝第2代イングランド国王。ヘンリー2世とアリエノール・ダキテーヌの三男。 ◎獅子心王 生涯のほとんどを戦場で過ごし、騎士の鑑と謳われた。アーサー王伝説に憧れ、自分の剣にエクスカリバーと名付けた。 ◎十字軍 第3回十字軍に参加しアッコンを征服する。その後サラディンと休戦協定を結んで帰国した。 |
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ジョン イングランド[1166~1216] ◎イングランド国王 プランタジネット朝第3代イングランド国王。ヘンリー2世とアリエノール・ダキテーヌの末子で、兄に若ヘンリー王、リチャード1世らがいる。 ◎欠地王 フランスとの戦いで大陸の領土を失ったため『失地王』とも呼ばれる。元々は、出生時に領地を与えられなかった事に由来する。 ◎マグナ・カルタの承認 失政を重ね、王権を制限するマグナ・カルタの承認を余儀なくされた。 |
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シモン・ド・モンフォール イングランド[1208~1265] ◎レスター伯 第6代レスター伯。前半生はヘンリー3世の寵愛を受けた。 ◎第二次バロン戦争 国王ヘンリー3世と対立すると諸侯と共に王権に抵抗した。一時は国王を拘束したが、最終的には鎮圧された。 ◎オックスフォード条項 王権を制限する条項で、大臣任命、地方行政、王城の監督を15人委員会に委ねる取り決め。この委員会は議会の監視下に置かれた。 |
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エドワード黒太子 イングランド[1330~1376] ◎イングランド王太子 イングランド国王エドワード3世とフィリッパ・オブ・エノーの長男。 ◎長弓隊 長弓(ロングボウ)を用いて戦う部隊。弩(クロスボウ)に比べて連射が利く分、弓兵の熟練が必要となる。 ◎ポワティエの戦い 英仏百年戦争においてフランス西部で行われた戦い。イングランドの長弓部隊がフランス騎兵を狙い撃ち、フランス王ジャン2世を捕虜とする大勝利を収めた。 |
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ジョン・ウィクリフ イングランド[1324~1384] ◎ウィクリフ聖書 ラテン語で書かれた聖書を史上初めて英訳し、新約聖書、旧約聖書を出版した。 ◎ロラード派 ウィクリフの思想から発展した考え方。聖職者の権威はカトリックのヒエラルキーではなく聖書に基くと強調する。教皇に清貧と教会財産への課税を求めた。 |
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ジョン・タルボット イングランド[????~1453] ◎シュールズベリー伯 初代シュールズベリー伯爵で、短い期間ながらアイルランド総督も務めた。 ◎イングランドのアキレス 英仏百年戦争の主要な指揮官で、勇猛果敢で知られた。ヴェルヌイユの戦いでは勝利を収めるが、オルレアン包囲戦、パテーの戦いで敗れ、カスティヨンの戦いで敗死した。 |
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オウエン・テューダー イングランド[1400頃~1461] ◎テューダー家の祖 元々ウェールズの貴族で、ヘンリー5世に仕え百年戦争のアジャンクールの戦いで戦功を挙げる。ヘンリー5世が没するとその未亡人キャサリン妃との間に子をもうけ、孫のヘンリー7世が薔薇戦争を制してテューダー朝を開いた。 |
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隠者ピエール フランス[????~1115] ◎扇動 十字軍が提唱されると各地で説法を説いて十字軍への参加を呼び掛けた。 ◎民衆十字軍 十字軍の本隊到着まで待てなかった民衆は次々と出発するが先々で略奪を行い、挙句ドラコンの戦いで壊滅した。 |
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ユーグ・ド・パイヤン フランス[1070~1136] ◎テンプル騎士団総長 第1回十字軍終了後、エルサレム巡礼者を保護するために設立された騎士修道会の初代総長。騎士団はほかにも寄進された財産を運用して国際的な財務システムを発達させた。 |
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ルイ7世 フランス[1120~1180] ◎フランス国王 カペー朝第6代フランス国王。ルイ6世の子で『若王』と呼ばれた。 ◎修道士の振る舞い サン=ドニ修道院で育ち、第2回十字軍にも参加し、ヘンリー2世に迫害されたトマス・ベケットを保護した。しかし、結婚したアリエノール・ダキテーヌからは「王と結婚したと思っていたら修道士だった」と言われた。 |
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クレティアン・ド・トロワ フランス[????~????(12世紀)] ◎吟遊詩人 フランス王女でありシャンパーニュ伯妃のマリー・ド・フランスの支援を受けて活躍した。 ◎アーサー王伝説 『獅子の騎士イヴァン』、『荷車の騎士ランスロ』、『聖杯の騎士ペルスヴァル』などを書き、アーサー王伝説や聖杯伝説の普及に大きな影響を与えた。 |
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アリエノール・ダキテーヌ フランス[1122~1204] ◎アキテーヌ女公 アキテーヌ公ギヨーム10世の娘で、広大なアキテーヌ公領、ガスコーニュ公領、ポワチエ伯領などを相続した。 ◎ヨーロッパの祖母 フランス王ルイ7世、イングランド王ヘンリー2世と結婚しており、広大な領土は英仏の百年戦争の遠因となったといわれる。 |
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フィリップ2世 フランス[1165~1223] ◎フランス国王 カペー朝第7代フランス国王。ルイ7世の子。 ◎尊厳王(オーギュスト) 第3回十字軍に参加し、イングランド王ジョンから大陸領土の大半を回収した。内政においてもパリを整備するなど、偉大な王として評価される。 |
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ルイ9世 フランス[1214~1270] ◎フランス国王 カペー朝第9代フランス国王。 ◎聖王 高潔で敬虔な人物で、教会の対立を調停したり、国内の裁判制度を整備した。 ◎十字軍 第7回、第8回十字軍を主導して遠征したが、ことごとく失敗に終わった。 |
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ギヨーム・ド・ノガレ フランス[1260~1313] ◎フランス王の番犬 フィリップ4世に仕えた政治顧問。アナーニ事件、ユダヤ人追放、テンプル騎士団解体、教皇のアヴィニョン捕囚などフィリップ4世の主だった政策に関与した。 |
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フィリップ4世 フランス[1268~1314] ◎フランス国王 カペー朝第11代フランス王国国王。ナバラ女王フアナ1世と結婚してナバラ国王にもなる。 ◎淡麗王 官僚制を拡大し中央集権化に努めた。財政難解決のため商人に重い税金をかけた。 ◎聖界への圧力 ローマ教皇と対立し、アナーニ事件、教皇のアヴィニョン捕囚などを起こし、王権の強化に繋げた。また、テンプル騎士団に悪魔崇拝の嫌疑をかけて財産を没収した。 |
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ジャック・ド・モレー フランス[1244?~1314] ◎テンプル騎士団総長 第23代にして最後のテンプル騎士団総長。 ◎悪魔崇拝 フランス王国フィリップ4世によって悪魔を崇拝していると濡れ衣を着せられた。異端審問で有罪となり火刑に処され、テンプル騎士団の財産は没収された。死の間際、関わったフランス王フィリップ4世とローマ教皇クレメンス5世を呪ったとされる。 |
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シャルル・ド・ヴァロワ フランス[1270~1325] ◎ヴァロワ伯の祖 フランス国王フィリップ3世の子でフィリップ4世の弟。フィリップ6世の父親でもある。ヴァロワ伯、アンジュー伯に叙せられた。 ◎軍指揮官 軍事的才能に長け、兄のフィリップ4世の起こした戦争で軍功を挙げた。 |
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フィリップ6世 フランス[1293~1350] ◎フランス国王 ヴァロワ朝初代フランス王国国王。フィリップ3世の子であるヴァロワ伯シャルルの子。 ◎幸運王 英仏百年戦争のクレシーの戦いで大敗したものの戦死を免れ、ヨーロッパで流行した黒死病の被害もフランスが少なかった。 |
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ジャン2世 フランス[1319~1364] ◎フランス国王 第2代ヴァロワ朝フランス王国国王。フィリップ6世の子。 ◎善良王 英仏百年戦争の渦中に王位を継ぎ、ポワティエの戦いに自ら出陣するも敗北し、イングランドの捕虜となる。 |
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ジャンヌ・ダルク フランス[1412~1431] ◎ラ・ピュセル 神からの啓示を受けてシャルル7世をフランス王位に就けた。 ◎オルレアンの乙女 イングランド軍に包囲されたオルレアンを解放した。最前線で旗を振るジャンヌの姿は多くの兵が奮い立たせたという。 ◎異端審問 ジャンヌを捕らえたイングランドはフランスの士気を挫くためにも無理やり魔女として火刑に処した。 |
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ジル・ド・レ フランス[1404~1440] ◎大元帥 フランス王国の地方貴族であり、ジャンヌ・ダルクと共に英仏百年戦争を戦い『救国の英雄』とまで呼ばれた。 ◎黒魔術 ジャンヌ・ダルクの死後はオカルトに傾倒し、少年誘拐などの黒い噂も立った。 ◎青ひげ シャルル・ペローの童話に登場する青ひげのモデルとなった。 |
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ラ・イール フランス[1390頃~1443] ◎ジャンヌの戦友 百年戦争時のフランス軍の指揮官。ジャンヌ・ダルクと共にオルレアン包囲戦を勝利に導いた。ジャンヌがイングランドに捕らわれると奪還を主張した。 ◎癇癪持ち 粗暴で怒りっぽい性格で、ラ・イール(憤怒)の異名で呼ばれた。 |
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シアルテュール・ド・リッシュモン フランス[1393~1458] ◎ブルターニュ公 ブルターニュ公ジャン4世の子で、のちに爵位を継ぎブルターニュ公アルテュール3世となる。 ◎正義の人 英仏百年戦争の後半にフランス王国の大元帥を務めた。パリを奪還し、フォルミニーの戦いで勝利しノルマンディーを再征服した。 |
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シャルル7世 フランス[1403~1461] ◎フランス国王 ヴァロワ朝第5代フランス国王。 ◎勝利王 ジャンヌ・ダルクを起用してランスで戴冠する。その後イングランドからノルマンディーやギュイエンヌを奪還してフランスの復興に尽くした。 ◎疑心暗鬼 ジャンヌが謁見した際に別の者を立てて臣下に紛れていた話があり、ジャンヌが捕われた時も身代金を支払おうとしなかった。 |
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フリードリヒ1世 神聖ローマ帝国[1122~1190] ◎神聖ローマ皇帝 ホーエンシュタウフェン朝第2代神聖ローマ皇帝。 ◎コンスタンツの和議 メッカ巡礼の際に大量の黄金を持参し、金の価値を大暴落させるほど分け与えた。 ◎赤髭王(バルバロッサ) ローマ教皇やハインリヒ獅子公と争った。第三回十字軍にも参加するが、小アジアの川で溺死してしまう。 |
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アルベルトゥス・マグヌス 神聖ローマ帝国[1193頃~1280] ◎普遍博士 トマス・アクィナスの師であり、アリストテレス哲学と教会教義を融合させ、スコラ哲学の礎を築いた。 ◎錬金術 神の教えに背くものではないとして錬金術を研究し、ヒ素を発見した。 ◎守護聖人 医療技術者、自然科学、科学者、哲学者、学生などの守護聖人。 |
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ヨハンネス・リヒテナウアー 神聖ローマ帝国[????~????(14世紀)] ◎ドイツ流剣術 剣だけでなく盾、短剣、小刀、甲冑戦闘、平服戦闘、騎乗での組み討ちを含んだ剣術を確立した。 ◎リヒテナウアーの友 数多くの弟子たちがおり、師の教えを受け継ぐ剣術家の集団が『リヒテナウアーの友』を名乗った。 |
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ヤン・フス 神聖ローマ帝国(ボヘミア)[1369~1415] ◎フス派 贖宥状を批判して聖書だけを信仰の根拠としたプロテスタントの先駆け。フスの支持者をフス派と称する。 ◎真実は勝つ カトリックに破門され、コンスタンツ公会議の後に火刑に処されたフスが最後に残した言葉。この言葉は現在のチェコの国の標語になっている。 |
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ヤン・ジシュカ 神聖ローマ帝国(ボヘミア)[1347~1424] ◎フス戦争 『隻眼のジシュカ』と呼ばれ、フスが火刑に処されると皇帝ジギスムントに反旗を翻した。城塞都市ターボルを建設するとターボル派を結成し、カトリックの皇帝軍を圧倒した。 ◎新兵器 フス戦争では携帯可能な銃火器であるマスケット銃や、荷車を改造した戦車などの新兵器が導入された。 |
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ヨハネス・グーテンベルク 神聖ローマ帝国[1390~1468] ◎活版印刷技術 金細工師で、金属活字を使った活版印刷術を発明した。印刷業・印刷物出版業を創設して本の大量生産を可能にした。印刷技術は羅針盤、火薬と共にルネサンス三大発明の一つに挙げられる。 ◎四十二行聖書 グーテンベルクが初めて印刷した書物。42行で組まれた聖書で180部が羊皮紙に印刷された。 |
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シャルル突進公 ブルゴーニュ公国[1433~1477] ◎ブルゴーニュ公 善良公フィリップ3世の子で、広大なブルゴーニュ公国を継承した。 ◎ファルコン砲 車輪付きの砲身の長い大砲の導入に成功した。これは後のヨーロッパの軍制に先駆けるものだった。 |
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マリー・ド・ブルゴーニュ ブルゴーニュ公国[1457~1482] ◎ブルゴーニュ女公 第5代ブルゴーニュ女公。シャルル突進公の娘で、広大なブルゴーニュ公領を継承した。 ◎美しき姫君 ブルゴーニュ公領を狙うフランス王ルイ11世に対抗するため、神聖ローマ皇帝となるマクシミリアン1世に救援を求めて結婚した。 ◎大特許状 ネーデルランド諸都市と関係改善に努め、大特許状を発布して都市の自由を認めて指示を集めた。 |
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ウルバヌス2世 教皇領[1042~1099] ◎ローマ教皇 第159代ローマ教皇。クリュニー修道院長、オスティア司教、枢機卿などを歴任する。 ◎神がそれを望まれる(デウス・ウルト) クレルモン教会会議において第1回十字軍の派遣を訴える演説を行なった。 |
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インノケンティウス3世 教皇領[1161~1216] ◎ローマ教皇 第176代ローマ教皇。 ◎十字軍 第4回十字軍を提唱するが、ヴェネツィアが主導して東ローマ帝国を略奪したため、全て破門した。 ◎教皇は太陽、皇帝は月 第4ラテラン公会議でこう演説した通り、この時期にローマ教皇の権力が絶頂だった。 |
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ボニファティウス8世 教皇領[1235~1303] ◎ローマ教皇 第193代ローマ教皇。アナーニの名門の出でドミニコ会員でもあった。 ◎文化の保護 学問への造詣が深くローマ大学を設立し、多くの芸術家のパトロンとなった。一方で華美を好む美食家で、教皇庁はカジノのようであったとされた。 ◎アナーニ事件 フランス王フィリップ4世やコロンナ家と対立し、アナーニの離宮で襲撃され数日間監禁された事件。その後ボニファティウス8世は高齢と屈辱のため憤死した。 |
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クレメンス5世 教皇領[1264~1314] ◎ローマ教皇 第195代ローマ教皇。フランス人でボルドー大司教などを歴任する。 ◎教皇のアヴィニョン捕囚 フランス国王フィリップ4世の意向に従い、教皇座をアヴィニョンに移した。 ◎ヴィエンヌ公会議 フランス国王フィリップ4世の要請で実施され、テンプル騎士団を異端として解散を命じた。 |
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エンリコ・ダンドロ ヴェネツィア共和国[1107?~1205] ◎ヴェネツィア元首皇 ヴェネツィア共和国の第41代元首。ヴェネツィアで高名なダンドロ家の出身。 ◎第4回十字軍 十字軍の資金援助をする代わりにザラを攻撃させ、ビザンツ帝国の皇位継承問題に介入するとコンスタンティノープルまでも攻撃させる。結果的にラテン帝国が成立し、一時ビザンツ帝国は滅亡した。 |
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マルコ・ポーロ ヴェネツィア共和国[1254~1324] ◎東方見聞録 アジア諸国の見聞を口述したものをルスティケロ・ダ・ピサが記述した旅行記。マルコ・ポーロ自身が記したものではない。日本を黄金の国ジパングと表現し、東インド諸島の香辛料などを紹介したことで、後の大航海時代に大きな影響を与えた。 |
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ダンテ・アリギエーリ フィレンツェ公国[1265~1321] ◎神曲 ダンテ自身がローマの詩人ウェルギリウスの案内で地獄・煉獄・天国を旅する物語。そこで再会したベアトリーチェに導かれて天へと至り、世界を動かすのは神の愛であると知る物語。ルネサンスの最高傑作の一つとされる。 |
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ロレンツォ・デ・メディチ フィレンツェ共和国[1449~1492] ◎フィレンツェ僭主 ルネサンス期のメディチ家の当主で、フィレンツェの実質的な統治者だった。 ◎豪華王 優れた政治・外交能力を持ち、イタリア各国の利害調整に大きな影響を持った。 ◎芸術の庇護者 美術のみならず、建築や彫刻などのパトロンとしても知られ、若きミケランジェロの才能を見出した。 |
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ジローラモ・サヴォナローラ フィレンツェ共和国[1452~1498] ◎神権政治 フィレンツェの僭主ピエロ・デ・メディチを追放して、共和国の政治顧問となった。 ◎虚栄の焼却 市民にも清貧を求め、贅沢品として美術品や書籍などをシニョリーア広場に集めて焼却した。 |
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ベアトリーチェ・デステ ミラノ公国[1475~1497] ◎ミラノ公妃 ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの公妃で、フェラーラ公エルコレ1世の娘。高い教養を持ち、大使としてヴェネツィアにも赴いた。 ◎ヴェルチェッリの和議 フランス国王シャルル8世にルドヴィーコを正式なミラノ公と認めさせる事に尽力したとされる。 |
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ヴァルデマー1世 デンマーク[1131~1182] ◎デンマーク国王 ウルフ朝第11代デンマーク王国国王。シュレースヴィヒ公クヌーズ・レヴァートの子。 ◎王位争い スヴェン3世、クヌーズ5世とデンマークを三分して王位を争った。しかしクヌーズ5世はロスキレの血祭りで暗殺され、グラーテ・ヘーゼの戦いでヴァルデマー1世がスヴェン3世に勝利した事で王位が確定した。 ◎大王の統治 ヴァイキング対策として沿岸部の防備を強化、腹心のアブサロンにコペンハーゲンを都市化して国内統治の強化に努めた。 |
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アブサロン デンマーク[1128頃~1201] ◎王の右腕 ヴァルデマー1世と共に育ちロスキレ大司教、ルンド大司教などを歴任する。政治・軍事の両面に長け、王を支えた。。 ◎コペンハーゲン 軍を率いて沿岸部の抵抗勢力と戦い、コペンハーゲンを要塞化した。 |
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マルグレーテ1世 デンマーク[1353~1412] ◎北欧王室 デンマーク国王ヴァルデマー4世の次女で、ノルウェー国王ホーコン6世に嫁ぐ。 ◎カルマル同盟 デンマーク王国参事会を味方に付け、息子のオーロフをデンマーク、ノルウェーの国王に即位させ、自らも摂政となる。さらにスウェーデンに勝利し、甥のエーリク7世を国王に据えた。こうして、北欧三国の君主となり、カルマル同盟を結成する。 |
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キンガ ポーランド[1224~1292] ◎ポーランド王妃 ポーランド国王ボレスワフ5世の王。ハンガリー国王ベーラ4世の長女で、聖エルジェーベトの姪に当たる。 ◎ヴィエリチカ岩塩坑 キンガがハンガリーの岩塩坑に投げ捨てた指輪が10年の時を経てヴィエリチカの岩塩貯蔵庫で発見される出来事があった。王室がヴィエリチカで掘削を進めてみると良質な岩塩床が発見され、ポーランドは塩の輸出で莫大な利益を上げた。 ◎守護聖人 ポーランドとリトアニアの守護聖人。岩塩坑で働く坑夫からも篤く信仰された。 |
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エンリケ航海王子 ポルトガル[1394~1460] ◎航海王子 ポルトガル王ジョアン1世の子で、大航海時代初期のパトロン。 ◎船酔い 自らは船酔いがひどく、航海に出る事はなかった。 |
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ウルバン ハンガリー王国[????~1453] ◎技術者 ビザンツ帝国の技術者だったが、オスマン帝国のメフメト2世の支援を受けて大砲の研究をした。 ◎ウルバン砲 バシリカ砲という巨大な射石砲。オスマン帝国のコンスタンティノープルの包囲戦に用いられ、テオドシウスの城壁を破壊した。 |
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タマル グルジア王国[1160?~1213] ◎グルジア女王 バグラティオニ朝グルジア王国の女王。ギオルギ3世の娘。 ◎グルジアの最盛期 セルジューク朝に対抗して勢力を拡大し、トレビゾンド帝国の成立にも力を貸した。 |
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ヴラド3世ツェペシュ ワラキア公国[1431~1476] ◎ワラキア公 バサラブ朝ワラキア公国の君主。竜公(ドラクル)と呼ばれるヴラド2世の子。 ◎串刺し公(カズィクル・ベイ) 反乱を起こした貴族を串刺し刑にして粛清し、攻めてきたオスマン朝の兵士も串刺しにして晒したため冷徹な君主として恐れられた。 |
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バシレイオス2世 ビザンツ帝国[958~1025] ◎ビザンツ皇帝 マケドニア朝ビザンツ帝国第9代皇帝。ロマノス2世の嫡男。 ◎ブルガリア人殺し(ブルガロクトノス) ブルガリアとのクレディオン峠の戦いで大勝してバルカン半島を制圧し、中世のビザンツ帝国の最盛期を築いた。征服地には寛容な政策を取り、禁欲的な生活を送った。 |
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ヌールッディーン ザンギー朝[1118~1174] ◎ザンギー朝アミール ザンギー朝第2代アミール。初代アミール・ザンギーの子。 ◎イナブの戦い アンティオキア公国を破り、ダマスカスなどシリアの大部分を支配下に収めた。以降も領土を広げてイスラム勢力を統一していった。 ◎信仰の保護 光のモスクやヌーリーヤ学院などを創設し、信仰や学問を保護した。 |
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サラディン アイユーブ朝[1137~1193] ◎信仰の救い ザンギー朝、ファーティマ朝滅亡後、アイユーブ朝を創始する。 ◎シリアの稲妻 エジプトを掌握し、エルサレム王国との戦いで聖地エルサレムを奪還した。第3回十字軍の進軍を受けたがリチャード1世と休戦協定を結んだ。 ◎寛容の精神 降伏した兵を護衛を付けて解放し、公正な人格は十字軍君主の尊敬も集めた。 |
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アル=アーディル アイユーブ朝[1145~1218] ◎アイユーブ朝スルタン アイユーブ朝第4代スルタンで、サラディンの弟に当たる。 ◎公正なる者 第3回十字軍でリチャード1世と交渉して和睦を成立させた。狡知と策略に長け、エジプトの平和を保った。 |
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メフメト2世 オスマン朝[1432~1481] ◎オスマン朝スルタン オスマン朝第7代スルタンでムラト2世の子。 ◎征服王 コンスタンティノープルを陥落させビザンツ帝国を滅亡させた。さらにセルビア公国やトレビゾント帝国、ボスニア王国などを征服した。 ◎トプカプ宮殿 征服したコンスタンティノープルに宮殿を建設し、スルタンの居住地とした。 |
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タンクレード ガリラヤ公国[1072~1112] ◎ガリラヤ公 第1回十字軍に参加してエルサレムの占領に成功する。エルサレム王国が成立するとガリラヤ公となった。 ◎アンティオキア公国摂政 十字軍国家のひとつであるアンティオキア公国のボエモン1世の甥で、摂政として公国の留守を守った。軍略に長け、アンティオキア公国の領土拡大に大きく貢献した。 |
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マンサ・ムーサ マリ帝国[????~1337?] ◎マリ皇帝 ケイタ朝第9代マリ帝国皇帝。 ◎黄金の巡礼 メッカ巡礼の際に大量の黄金を持参し、金の価値を大暴落させるほど分け与えた。 ◎都市の繁栄 トンブクトゥやガオにモスクやマドラサを多く建設し、マリ帝国の最盛期を築いた。 |