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トシドンへの道(2) - (2006/01/15 (日) 13:27:02) のソース
*12月28日 **行程 -長崎原爆資料館 -平和公園 -浦上天主堂 -如己堂 -崇福寺 -新地中華街 -大浦天主堂 -日本二十六聖人殉教地 -カステラ屋さん -茂木港 -富岡港 -本渡市 ---- **原爆資料館・平和公園 朝。ものすごく眠かったので,浦上天主堂の朝のお勤め参加は見送った。そもそも一般でも参加可かどうか分からないし。異界会としては朝寝坊で活動開始(今思えば道成寺や那智の旅が信じられない)。駅のロッカーに荷物を預け,浦上方面へ朝ごはんの食べられるところを探しながら歩き始める。ところが店は見つからず断念して,路面電車で松山町まで乗る。人生において好機をつかむのは大事なことで,一度機を逃すと朝食をとるのさえなかなかできなくなってしまうものだ。こんなことから人生の歯車が狂うというのもあり得ないことではないのかもしれない…。己が身の決断力のなさを呪いつつ,仕方なく原爆資料館近くのホテルのレストランで,やや高めのブレックファスト。 レシートにパンだか卵料理だかの代金が入っていないと言って,レストランに不足分を自己申告しに行く燈籠大臣の背を見ながら「馬鹿正直な人だ」と思いつつ,これまでの自分の罪深さを知る。 長崎巡りの一ヶ所目は原爆資料館。「我ながら修学旅行生みたいにマジメだね」と言いつつ,その日で仕事納めの原爆資料館へ。 資料館・常設展示室は3つのコーナーに分かれている。 -①1945年8月9日 被爆前の長崎/永遠の11時2分 :11:02で止まったままの時計によって,我々は<その時>に引き戻され,いよいよ一瞬に破壊された長崎の街へと足を踏み入れる。 -②原爆による被害の実相 原子野と化した長崎の街/浦上天主堂の惨状/長崎原爆投下までの経緯/被爆した長崎の街/熱線による被害/爆風による被害/放射線による被害/救援・救護活動/被爆者の訴え/永井隆博士 #ref(DSC01067.JPG) 【写真】原爆の投下された空。60年経った今,穏やかな青色が心を打つ。 [[長崎平和宣言>http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/abm/index.html]] **浦上天主堂 #ref(DSC01077.JPG) #ref(DSC01078.JPG) #ref(DSC01082.JPG) **崇福寺 #ref(DSC01092.JPG) #ref(DSC01095.JPG) #ref(DSC01123.JPG) [[次の日のレポート>http://www4.atwiki.jp/ikaikai/pages/84.html]]を読む [[前の日のレポート>http://www4.atwiki.jp/ikaikai/pages/82.html]]に戻る [[トシドンへの道>http://www4.atwiki.jp/ikaikai/pages/81.html]]に戻る