続・とある学級の新任教師

続・とある学級の新任教師


私は母校である、桜ヶ丘養護学校に着任した。
現在は養護学校から、特別支援学校という名前に変わってはいたが、
それ以外は当時とは殆ど変らない。

私は約10年前の母校での生活を回想していたが、そんな感傷的な雰囲気は

一つの間抜けな奇声で吹き飛んだ。

唯「あー、たかしくんだー!(^q^)/」キャキャキャ…


たかし「えっ!?お、おまえ、唯か?」

私は我が目を疑った。
私と同級生で、当時池沼の中の池沼と誰もが匙を投げた、池沼の唯が居たからだ。
しかも、水色のスモックを着て、よだれかけをしている。
左胸には「ひらさわ ゆい」と平仮名で書かれた名札を付けていた。

どこをどう見ても、この養護学校、もとい、特別支援学校の生徒に見える。

ただ顔のしわや弛んだ体形が、10代の頃とは違う。
確かにこいつは三十路を超えているようだ。

唯「あ~う~(^q^)/」

目の前の池沼は、「唯か?」という私の問いに対して返答したようだ。
間違いない!こんな間抜けな返事は、なかよし学校でも池沼唯だけだ!

たかし「おまえ、何でここに居るんだよ!」

私は驚いて唯に尋ねた。

唯「あ~う? (^q^)」

が、尋ねた私がバカだった。
池沼の唯にこんな質問が理解できる筈が無い。
やっぱり、こいつはあの池沼唯だ。

私は質問の仕方を変えた。
この10年で私も随分と成長したものだ。

たかし「唯、お前まだこの学校に通っているのか?」

流石にこの位の会話なら理解できるだろう…


唯「あ~う~ (^q^)/」

しかし、何故?
幾ら唯が池沼でも、30歳になるまで特別支援学校の高等部で留年を繰り返すとは思えない。
とっくに退学して施設にでも入るべきだろう。


私が狼狽えていると…


唯「わたしは、ひらさわゆいです (^q^)」
  「さくらがおかよーごがっこー、すみれぐみです (^q^)/」 キャキャキャ…


  「ゆい、みそじー♪みそじー♪ (^q^)」 パチパチパチ

あ…自己紹介か…

12年前と全く一緒だった。
違っていたのは「みそじー=三十路」という年齢だけだった。

当時も豚のような気持ち悪い池沼だったが、12年が過ぎて老化が加わり、
益々気味が悪くなっていた。
しかし、これほどまでに進歩の無い奴なんているのか、などと考えていると


唯「う゛ーう゛ー (`q´)」
  「ゆい、じょーずした。たかしくん、ゆいほめる (`q´)」

たかし「……」

私は呆気に取られて声も出なかった。
そういえばこいつは自己紹介をありとあらゆる人にしていたが、今でもそうなのか…


私も社会人になったとは言え、こんな池沼の自己紹介を見せられ、おまけに褒めろと言われては腹が立つ。
昔、友人たちと唯をいじめた記憶がよみがえってきた。

目の前に居る池沼を激しくボコりたい!

恐らく多くの人間がそういう衝動に駆られだろう。
中には実行する人もいるだろう。

しかし私はその衝動を抑えることができた。
それはこの10年間に及ぶ治療のお陰と言って良い。

既に書いた通り、私はこの特別支援学校の卒業生だ。
つまり、世にいう池沼である。

しかし、池沼である私がこのような理性的な行動を取り、かつここにその様子を克明に

記すことができるようになったのも、この10年間の治療とリハビリの成果である。
その内容は壮絶であり、また膨大でもあるのでそれだけで本が1冊出来上がる位だ。

しかし池沼だった私が、こうして文章を書けるレベルにまで回復したのに興味のある読者は

非常に多いと思われるので、ごく簡単にその内容を記そう。

15年前の私はこの桜ヶ丘養護学校に入学した。
当時のIQは60前後で、日常会話はなんとか分かるものの、通常の高校の授業についていくには

厳しい状況であった。
とくに算数はからっきしダメで、小学1年生レベルも怪しい状態だった。


このような状況で私はこの学校にお世話になった。
私立の特別支援学校というだけあって、普通の学校と違いきめ細かい授業は、
IQの低い私たちには非常に心地よかった。

だが、それは学校内の話であって、卒業し社会に出ると厳しい世界が待っていた。
障害者枠での採用というのも今ほど普及しておらず、また不況も重なって結局就職できなかった。
しかし、同級生には工場の手伝い、パン工場などへ就職できた者もいた。

彼らはIQでは私より劣っていたので私は激しいショックを受けた。
私は彼らより手先が不自由で、作業をこなすことができなかったからだ。
しかし、池沼だった私はこのショックの表現を思う様に伝えることができず、ストレスばかり溜まり
生活は荒れに荒れた。
そんな日々が2,3年続いたのだろうか?
その間にも精神治療や薬物治療を受けていたが、効果は無かった。

だが、23歳の時に転機が訪れた。
親戚の紹介でアメリカの最先端の治療を受けることになった。
その治療内容を書くことはできないし、私自身も良く覚えていない。
なにせ3年近くに渡り、次から次へ治療、薬、リハビリの繰り返し。
しかし、あまり苦しいとは思わなかった。
というのも、治療の効果がメキメキと表れたからだ。
今までは自分でしたい!と思ったことが出来なかったのだが、それが段々できるようになったのだ。


赤ちゃんが成長する様にというとオーバーかもしれないが、回りの反応は正にそのようだったらしい。
しかし、幾ら脳の機能が回復しても、知識が習得できたわけではない。
パソコンで言うと、ハードが向上しただけであるから、それを運用すべくソフトを入れてやらねばならない。

その努力は非常にきつい、というか退屈だった。
脳の機能が回復したとは言え、依然一般人よりは劣るので、物事を覚えてもすぐ忘れたり等
そうとう苦労した。
それに数学的な能力はやはりダメで、結局暗算は今でもできない。
だがそれを補ってくれたのが、パソコンでありスマートフォンであった。
アメリカの研究所から私のために補助機器を開発してもらい、結果的にそのサポートで今の生活が
送れるようになった。

今こうして文章を書いているのも、その特殊なパソコンのお陰だ。
(ただ、それでも文章にミスがあるので、校正はしてもらっている。原文はもっと酷いが、
それでも意味は伝わるそうである。)

実際、現在でも鉛筆で漢字は書けないし、区別がつかない字もある。
しかしそんなことはこのパソコンが全部補助してくれる。
既に書いたように、暗算は今でもダメだが、買い物での金の計算は全部スマートフォンがやってくれる。
というか、今の私は日常の買い物はすべて財布携帯かカードで、現金を使って困ることはほとんどない。

最先端の治療(しかし、全員に効果があるわけではない)とパソコンの技術が私を支えてくれるのである。

以上が池沼の「たかしくん」だった私が、母校の先生になるまでの簡単な経緯である。

そう、この10年間の成長で、念願だった先生になれたんだ!
今日はその着任初日の記念日だ。
神聖な日を、こんな池沼を殴って台無しにしたくはない。

もちろん、池沼唯を殴った所で別に何とも無いだろうし、実際、私が在籍していた
当時は唯はしょっちゅう先生にお仕置きを受けていた。
殴りたくないのは、私自身の精神的な問題であった。

そう思うと、私は何とか池沼を殴りたい気持ちをぐっと抑えることが出来た。

私は池沼唯の返答に無視を決め込んだ。
池沼唯は不満そうにぶちぶちと文句を垂れる。

唯「う゛ーう゛ー (`q´)、ゆいじょーずした!」

しかし私は無視し続けた。
唯はしばらくは唸っていたが、やがて


唯「あ~ぅ… ('q') 」

と諦めたようだ。
流石の池沼さんも、友人のたかし君(と言っても唯が一方的に思っているだけ)
の無視には堪えたみたいだ。
「あ~う」という声もどことなく張り合いが無い。

ついに勝った!
私はこの池沼の誘惑を断ち切ることが出来たのだ!
勝利の喜びに浸っていた瞬間、

唯「あう!ゆい、うんたん♪じょーずだよ (^q^)/」

と不意打ちを食らった。

たかし「えぇっ…!?」

と狼狽する私を後目に、池沼は「うんたん♪」を始めた。

唯「うんたん♪うんたん♪」


 ♪

    / ̄ ̄\       うんたん♪

    l(itノヽヽヽl
 ♪ ノリ(l| ^ q^ ノi ♪

   (( ( つマンス ヽ、   うんたん♪

    〉   とノ )))
    ( ̄ ̄   ))
   (__ノ ̄(_)


    / ̄ ̄\        うんたん♪

    l(itノヽヽヽl
 ♪ ノリ(l| ^ q^ ノi ♪

    /  ロマン⊂ ) ))    うんたん♪

   ((( ヽつ__(
   (      ))
    (_) ̄ヽ__)


池沼唯は体全体を揺すり「うんたん♪うんたん♪」を奇声を発して、カスタネットを叩く。
体を揺するたびに、池沼の汗と涎が辺りに飛び散る。
おまけに悪臭も漂ってきた。
10年振りに見た池沼唯の「うんたん♪」は、おぞましさがパワーアップしていた。

唯の頭は3歳児並みでも、体は既に30歳。
しかも常人より劣化が著しいはずだ。
10年前に比べて体力も衰えただろうし、元々極度にデブった池沼の体には酷な運動のようだ。
本人は、悦に入って無我夢中で「うんたん♪」と叫ぶが、
その度にハァハァと言う気持ち悪い息使いも混じる。

衝撃的な光景である。
私もこの10年でさらに色々な池沼を見てきたが、ここまで酷いのは見たことが無い。
何と言っても凄いのは、こいつが10年以上(否、それ以上)、ひたすらカスタネットを
持ち歩いて出会う人に「うんたん♪」を見せつけていたことだ。
しかも披露する内容には、全く進歩が無い。
いつまで経っても3歳児並みである。

ここまで一途な池沼に私はむしろ関心すらしてしまった。
いくらバカでも同じネタを10年以上もできないだろう。
いい加減飽きて違うことがやりたくなる物ではないだろうか?

しかし、目の前の池沼は違った。
あれから10年経た30歳になった今でも、なんの躊躇なく自身満々でカスタネット
を叩いているのだ!

良く見ると、手に握られているカスタネットの色はあせてくすんでいる。
池沼唯の汗と涎とうんちが染み込んでいるのであろう。
そう思うと、見ているだけで吐き気がする。

ふと、悦に入っていた池沼唯が急に悶え始めた。

唯「んひぃぃんひぃぃ ("q")」
  「うぇ~うぇ~……ゲロゲロゲー ("q")」ビチャビチャ ー




 うぇ~うぇ~ ("q") 

    / ̄ ̄\

    Il(itノヽヽヽl    
   ノリ(ill "q " ノi ゲェェェ

    ( つ!;:i;l 。゚・ )
   と__)i:;l|;:;::;:::⊃
    ⊂;::;.,.';;;;'::.:.;::.⊃


なんと!唯はゲロを吐いた!
ほんの数秒前まで悦に入っていたのに、この始末。

30の体でうんたん♪をしたのが、想像以上に体に負担が掛かっていたようだ。
もっとも、誰も「やれ」などと強要していない。
池沼唯が勝手に始めて、勝手に苦しくなって、勝ってにゲロを吐いただけなのである。
全くもっと迷惑な話だ。

たかし「……」

何なんだ、これは!!
池沼のゲロ吐きショーなのか?
私は怒りよりも、哀みを覚えた。
これが永遠の3歳児、IQ25の池沼唯なのだ。


だが、池沼唯がゲロを吐いたとあって、回りから他のなかよし学校の生徒達が集まってきた。

生徒A「あー汚ねー!ゆいの奴、またゲロはきやがったぞ!」
生徒B「きたねーババアだなあ」
(30歳ともなれば、高校生から見たら婆なのか…)
生徒C「もうこいつを追い出そうぜ!」

唯はあっという間になかよし学校の生徒達に囲まれ、蹴りを入れられたり物をぶつけられたりと容赦なくボコられた。

唯「んぃぃんぃぃ、やめちぇ~ ("q")」

唯は、自分の半分の年齢程の連中にボコボコにされて泣き叫んでいた。

たかし「こいつは15年前と全く変わっていないや…」

結局、私の初出勤日は池沼唯のゲロ吐きで台無しになってしまった。
しかし、幸い私はこの10年で学習したので、遠巻きに池沼唯がボコられているのを傍観していた。

だが、この騒ぎを聞きつけて、先生がやってきた。

先生「こらー!なにやっているのー!!」

たかし「あ!山中先生だ!」

私がこの学校でお世話になった山中さわ子先生である。

生徒A「せんせー、だって、唯のやつまたゲロを吐いたんだよ!」
生徒B「そうだよ、また廊下を汚したんだ。とっちめないと!」
生徒C「そうだー、そうだー!とっちめよー」ボコ!

 ボコスカ ボコスカ

唯「うぇーーん ("q") いちゃいよ~ ("q")」

山中先生「もう…後は先生が片付けますから、あなたたちは教室に行っていなさい!」

そう言って山中先生は池沼唯をいじめている生徒達を追っ払う。
私はその光景を見ていて、デジャヴの感覚に襲われた。

 10年前と全然変わっていない……


苛めている生徒が変わっているだけで、苛められる側は何故か10年前と同じである。

その時、山中先生と目が合った!

山中先生「あら~たかし君、立派になって」
たかし「山中先生、もうたかし君なんて言うのやめて下さいよ。」
  「私ももう30歳なんですから…」
山中先生「もうそんなに経つのね~。でも、本当に立派になってくれて、先生嬉しいわ」

私は山中先生が心から喜んでいるのを見て、頑張って母校の教師になって良かったと思った。

本来なら昔話やこの10年間のことで話が盛り上がるのだろうが、
山中先生は池沼唯が吐いたゲロを始末しなくてはならない。

って、俺もゲロの始末をやらないといけないのか!?

と今後の教師生活に急に不安を感じた。

俺は池沼のゲロ掃除のために、苦労したんじゃない!
そう思うと沸々と池沼唯への怒りが込み上げてきた。

その時、ウィーンという音と共に、大きな箱のような物がこちらに動いて来た。

 なんだ?

と不思議そうに見ていた私の顔に向かって山中先生は、

山中先生「お掃除ロボットよ。あれが全部綺麗に片付けてくれるから心配無いわよ」
たかし「えっ!?」

私は驚愕した。
10年の進歩で自動掃除機ロボットが母校にも入ったのは良いが、
それが池沼唯専用のゲロ掃除機とは何とも情けない。

たかし「まさか…唯のために買ったんですか?」
山中先生「ええそうよ。だって、手で掃除するなんてゴメンよ」
 「それに、寄付もあったんだし」
たかし「えっ!寄付?」

私は二度びっくり!
こんな池沼に寄付なんてする奴がこの世に居るのか?

山中「いつ頃からかしら…伊達直人を名乗る人から、唯ちゃんへお金が送られて来るようになったのよ」
たかし「ダテナオト??」
山中「あらやだ、たかし君知らないの?」
  「タイガーマスクじゃない!」
たかし「タイガーマスク??」
山中「伊達直人って言ったら、孤児院『ちびっこハウス』出身のヒーローよ!」
  「そんなのも知らないの!」

私は「タイガーマスク」というのは知らなった。
無理もない。1970年前後に放送したアニメで、私の生まれる遥か前のことである。

その時、もう一人お世話になった日笠先生が現れた。

日笠「もう山中先生ったら、昭和ネタ止めて下さいよ!」
  「たかし君が分かるわけ無いじゃないね~」
山中「なに、日笠!もう一度言ってみろ!」
日笠「いっけね~てへぺろ (・ω<)」
たかし「日笠先生~、まだそのネタやっているんですか?」
日笠「たかし君がいるから、やって上げたんだよ」
たかし「え~、怪しいですね…」

日笠先生は相変わらずだったが、それが逆に私を安心させてくれた。

それにしても、こんな池沼に金を寄付するなんて、金をドブに捨てるよりも酷い!
もっと有効な使い道があるだろうに!



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    (2012.08.02-2012.08.26-)

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最終更新:2018年12月30日 18:13