とあるピアノとバイオリン
「憂って、変わったよね」
「そうかなぁ」
「そうだよ。昔に比べて、穏やかになったね」
梓ちゃんがそういうのも無理はない。
確かにこの間までの私は、ピリピリしてた。
というのも、姉の唯と自分自身を世間から守るために常に神経を尖らせていたからだ。
そんな私の苦労を知らず、姉は擁護学校では毎日迷惑をかけまくり、授業の態度も著しく悪かった。
私が休日を潰して勉強や箸の持ち方などを教えても効果がなく、姉のことで私が怒られることも度々あった。
挙げ句の果てには、姉が豚小屋を掃除しないのを注意したクラスメートに逆ギレして自分の大便を食べさせた。
それが原因で姉は擁護学級を退学させられた。
退学が決まった時、だろうなと思った。
姉は数え切れない程の問題を起こし、先生方はそのたびに処理に悩まされていた。
今まで通わせてもらったのが不思議なくらいだ。
私は前々から決めていた小屋を作って姉を隔離する計画を実行した。
律先輩やムギ先輩に手伝ってもらったおかげで、姉にとって住み心地のいい小屋が出来た。
姉を小屋に入れる時に最初は抵抗をしたが、「豚は小屋に入るもの」といった瞬間に
「ゆいはぶーぶ、こやがだいすき(^oo^ )」
と快く入っていった。私は姉を情けなく思った。
姉が大便を食べさせたクラスメートの家に謝罪に行こうとして遺族に泣きながら追い返された時も情けなく思ったが、それ以上だ。
今更ながら姉に守る価値がないと気付いた私は小屋に軟禁し、食事以外の世話を放棄した。
そのことによって精神的な余裕ができた私は、皆に「丸くなった」と言われるようになり、次第に友達ができた。
更に梓ちゃんの推薦で軽音部に入り、リズムギターを担当することになった。
やがて私が2年生になり先輩達が3年になるとムギ先輩が卒業後に留学することが決まり、そのための勉強に専念する為退部した。
代わりに生徒会長選に落選し、やることがなくなった和ちゃんがバイオリン担当として入部し、私は楽器をピアノに持ち替えた。
和ちゃんを実質的リーダーに据えた新生「
放課後ティータイム」は、3人の先輩方が高校を卒業しても活動を続けた。
やがて私と梓が3人がいる大学に入学すると、全員での練習時間が増え、腕前を上げていった。
4年になった律先輩に就職先を決めたのかと聞くと、
「アタシ達、プロになろうって決めてたんだ。そのためにデモテープあっちこっちに送ってんだ。」
律先輩と澪先輩はともかく、和ちゃんまで同じことを考えていたことは驚きだった。
だが、現実は厳しく、デモテープを送った25社中20社から書類審査の時点で落選の通知が届き、残り4社も面接止まりだった。
今日は残り1社の面接の日。
ここを落としたら私たちは解散し、音楽で生きることを諦める。そう決めていた。
「私たちの演奏を、社長が直々に聞いてくれるらしいぞ」
「皆、自分が持ってる最大のカをだすんだ」
「はい!」
「そんな固くならなくてもいいわよ」
その声はムギ先輩だ。
「なんでここにいるんですか」
「私、ここの社長なの」
私たちはムギ先輩の会社と契約し、ムギ先輩の家の元メイドの菫さんをマネージャーに据えてプロのバンドとして活動することになった。
「お姉ちゃん、私達デビューできることになったよ」
姉に報告する為に小屋に行くと既に死んでいた。
元々人より豚に近い姉は、とうに豚の平均寿命を超えてかなり老いていた。
そう考えると大往生だったのだろう。
もしかしたら姉がデビューさせてくれたかもしれない。
なんとなくそんな気がした。
姉の亡骸は火葬され、ペット霊園に葬られた。姉は最後まで人間ではなく、豚として生涯を終えた。
その後は、和ちゃんと暮らした。その生活は両親が願望し、手に入れられなかった幸せそのものだった。
私達の幸せな家庭は和ちゃんが心臓病に倒れ、デビュー20周年を目前に解散するまで続いた。
(終)
(2012.10.13)
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最終更新:2019年01月08日 19:04