池沼唯の出生
唯は未熟児でした。
その影響で脳に障害が残ってしまったようで、でも今より軽度のものでした。
それを聞いた両親は、毎日喧嘩を繰り返すようになり、父は「池沼を産むような女は知らん」と家を出てってしまいました。
母が落ち込んでいたとき、一人の男が母に近付いてきました、それが憂の父親です。
母も子供を産んだばかりで体力的に余り芳しくありませんでしたが、この男の人の母がバツイチだと知っても慕ってくれる誠実さに唯を受け入れてくれるはずだ、と心を許していきました。
母が憂を妊娠した頃、母は男に子供がいることと、その子が障害を持つと言うことを正直に話しました。
はじめは男も母の言葉を頷きながら聞いていたのですが、障害を持つと聞いたとたんに顔を歪ませたのでした。
それ以降その男とは音信不通となり、やはり母は幸せにはなれませんでした。
でも自分を不幸のどん底に陥れた憎むべき相手なのに、無邪気に笑う唯の顔を見て、この子には私しかいないんだと深く思い、捨てることが出来ませんでした。
憂の出産が近付いてきて、軽い人間不信に陥っていた母は、もしかしたら唯が障害を持っていることがばれてしまうのではないか?、もしばれてしまったらおしまいだと心配になりましたが、背に腹はかえられず仕方なく、唯を祖母祖父に預けることに決めました。
憂の出産が終わった後祖母祖父が病室にお見舞いに来て、こう言いました。
「唯ちゃんが、まだ立つことができんのじゃけども」
同い年の子供はヨタヨタと歩いたりハイハイをしている中、唯は置かれた場所から動こうとしません。
祖母祖父は夫と離婚したこともあって、何か事情があるのではないか、と愛しい娘のことを心配し、力になろうと努めようとしたのです。
ですが母は、祖母祖父に唯のことがばれてしまったとヒステリックを起こし、祖母祖父を病室から追い出してしまったのでした。
そしてそれ以降祖母祖父と連絡をとることはなく、母は心の中で孤独となってしまったのでした。
その時投げやりになった母は生まれた赤ちゃんに憂とつけたのです。
月日が経ちまして、唯が三才になった時のことです。
絵本を読み聞かすような耳から入った情報は、ある程度理解は出来るのですが、目からは難しいらしく文字を読むことが出来ませんでした。
母は仕事から帰ってくる八時から唯が寝る十時までの少ない時間を費やして、頑張って小学校入学までに日本語の読み書きが出来るまで覚えさせることができました。
無事に小学校に入学してから一ヶ月学校から呼び出しを受けました。
母は唯が怪我したのかと思い飛んできましたが、そこには先生と唯が机とにらめっこしていたのでした。
「どうも唯ちゃんは漢字と計算ができないようなのですが、ご家庭ではどのような教育をされているのでしょうか」
ほっとしたのもつかのま、先生から厳しい一言を言われました。
先生は忙しいのもわかりますがと二の句を踏んで、ご家庭でも学習のお手伝いをお願いします、と母に念をおすのでした。
でも、そんな暇はありません。
唯は大脳が未発達らしく、自己管理能力と記憶力が大変乏しく、毎日母が帰ってくるまで我が儘を自分より幼い憂に言って困らせ、毎日書き取りをさせないとひらがなを忘れてしまうのでした。
それでも合間合間に漢字や計算をさせましたが、一向に覚えずとうとう小学二年生で特別支援学級に入れられてしまうのでした。
一方憂は教えずとも日本語を覚え、漢字や計算を簡単にこなしていきました。
だんだん母は憂に愛情を注ぐようになり、唯の時に出来なかった、一緒に料理したり、ショッピングしたりと女の子を産んだらやりたいことを思いつく限りいっぱいやりました。
その代わり母は唯に無感心になり放っておくようになりました。
急に構われなくなった唯は戸惑い、気を引かせるために同級生の男の子を殴ってしまって、母は監督責任を問われるのでした。
その頃からです、母は唯を殴るようになったのは。
母は憂を可愛いといった分だけ、唯を殴りました。
頭を掴み水に沈めたり、背中にタバコを押し付けたり、泣き叫べばお腹を思い切り蹴る、毎日唯の体には生傷が増えていきます。
唯は今まで頼ってきた存在からの暴力でおった心の傷から幼児退化し、暴力によって脳に衝撃をうけ障害がより重度のものへと変わっていきました。
憂は、ある日母になぜ唯を殴るのかと尋ねました。
「唯は私たちを不幸にするからよ」
親愛する母がそう言うので、憂はそうなのかと思いましたが、唯を気の毒に思い二人きりの時にはうんと甘やかすようになりました。
でもそんな毎日に転機が訪れます。
母の虐待が学校にばれてしまったのです。
母はノイローゼのため精神治療を受けることとなりました。
まともに食事を与えられなかった為にガリガリにやせて空腹から道端に落ちている物を口に入れ、しつけのなっていない犬猫と同じようにそこら辺で糞尿漏らすような唯を、老体で体力のない祖母祖父には手に負えず施設に預けることになりました。
しかし憂が一緒でないといやだと駄々をこねたので、親戚で話し合い、引き取る位なら一軒家を借りてそこに住まわせる方が良いと決まり、唯と憂の二人暮らしが始まりました。
はじめは唯も母がいない生活に戸惑ってはいましたが、あの恐ろしい暴力と母の存在を、体のアザがゆっくりと消えるように少しずつ忘れていきました。
ある日、唯が学校に行きたくないと我が儘を言っていた時のことです。
ついつい憂は手をあげてしまいました。
そして我に戻った憂は泣き叫ぶ唯に謝り、罪悪感から欲しいもの(アイス)をあげてしまいました。
そして唯はさらに我が儘を言うようになりました。
痛がればアイスが貰えると大袈裟に泣き叫び、落ちているものを拾っては口に入れることとお漏らしは癖にっていて治らず、そして太っているのであちこちと歩き回る唯を憂には制止することができませんでした。
もともと自己管理能力がないので本能にしたがって、物事の分別も毎日のように口をうるさくしないと覚えない。
憂もついつい甘やかしてしまって、唯は益々我が儘になり、憂の手からどんどん離れていくのでした。
こうして今の池沼唯はここにいます。
めでたくない
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最終更新:2011年11月13日 03:18