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地底旅行 ~ Escape Underground!



 お燐は今日も死体を運んでいた。
 用途は灼熱地獄を燃やす為、しかしお燐の個人的趣味も兼ねている…と言うよりは火車としての特性そのものだが。
「おくうー。また持って来たよー。死体」
 おくうとは灼熱地獄の火力を管理する地獄鴉、霊烏路空の通称だ。
 読みとしては「うつほ」が正しいのだが、あまり一般的な読みでは無いし、そもそも呼びづらいのでお燐が名付けた。
 そういうお燐も本名は火焔猫燐と言い、長い名前が嫌という理由で周りにお燐という通称で呼ぶ様に言っている。
「うにゅ、ありがと。放り込んでくれて良いよ」
 灼熱地獄は、地底が地獄でなくなった時より冷え、かつての様な高熱地帯では無くなっている。それでも人間や、熱さに耐性の無い妖怪には堪える熱さだが、おくうは暢気にも地獄の熱で茹でたゆで卵を食っていた。
「それって、鶏の卵?それとも…」
「まさか、共食いなんてしないよ。…多分」
 名実共に鳥頭なおくうは、物忘れが激しい。
 と言う事は、今食べている卵が鶏のものであるか、同族である鴉のものなのかも覚えていない可能性が高い、と言うよりは確実に後者だろう。この辺りで鶏など見た覚えが無い。
 お燐は人肉を食らう人間が居ると聞いた事があるが、これはそれに近い行為なのだろう。確かカニバリズム、と言った筈だ。
「ゆで卵も良いけど、お弁当持って来たからそれを食べよ?なんとさとり様の手作り!凄い!」
 さとりと言うのは、お燐やおくうの主人である地霊殿の主古明地さとりの事だ。
 地霊殿の外の妖怪からすれば、不気味、恐ろしい、冷たそう、関わりたくない、そんな風に思われる彼女だが、ペットである彼女達には常に優しく、今回の様に弁当を作る様な家庭的な面を見せたりもする。
「おー、じゃあ早速食べよう」

 仮におくうが「い」、「ろ」、「は」、「に」、「ほ」という事側を覚えたとする。
 ここでおくうの頭の中に「へ」という情報が入って来るとすると、最初に覚えた「い」は頭より抜け落ちる。
 つまり何が言いたいかと言うと、この「さとり様のお弁当を食べる」「お燐と一緒に」という二つの情報が入ってきた事により、おくうの頭からは二つの事柄が抜け落ちたのだ。
「って、このまま放って置く訳にも行かないじゃない、灼熱地獄。ちゃんと火力調整しておいてよ」
「あ、うん」
 「お弁当を食べる前に火力を調整する」また一つ、おくうの頭の中には情報が入って来て、一つ抜け落ちてしまった。
 「どうせなら見晴らしの良い場所で食べようかな。東の方には小高い丘があったよね。地霊殿が全貌出来るやつ。先にそこ行っておくから、ちゃんと来てね」
「了解ー」
 さて、合計でおくうは四つの事側を忘れたことになる。
 お燐は大炎上する地霊殿を眺めながら食事をする羽目にだけはならない様に願いながら、灼熱地獄跡を後にした。



「それで、どうやればこういう事態が起こり得るの?」
 言ったのは古明地さとりだ。
「えーと、その後、丘の辺りを適当に歩いていたらその…ですね」
 お燐の心境は悪戯が母親に見つかった子供のそれと同じだ。
 ちなみに共犯者はとうにその事を忘れてしまっている
「その、何なの?」
「久し振りに死体じゃない人間を見たなーと思いまして」
「そう、生きている地上人を見たのね?」
 お燐は内心、逃げ出したい衝動に駆られている。
 さとりは決して非情な妖怪では無いと知っているが、それでもご主人様にここまで詰め寄られると、やはり恐怖を覚えてしまう。
「はい、それで、珍しいから話かけてみようかなーと思いまして」
「話かけたのね?」
「はい、そしたら、気付かない内に穴に落ちて、気が付いたら此処に居て、お腹も空いてると言ったので、私の分のお弁当を食べさせてあげて…」
「今に至るのね?」
「はい、その通りです」
 お燐はその後、ちゃんと来たおくうにも事情を話し、その地上人を地霊殿に連れ帰る事にした。そしたらさとりの大目玉を食らった、その時の説教の内容を律儀にもおくうは覚えた為、次第に何で怒られているかも忘れてしまい、呆れたさとりに席を外す様に言われた次第である。
「で、でもですね。悪い人じゃないんですよ?初めはあたい…じゃなくて私の事を不思議に思ったりもしましたが、住んでた所にも妖怪は居たみたいですし、地獄の妖怪への偏見も無いみたいで…」
 ところでさとりは、人の心を読み取る能力を持つ。つまりその能力を使えば、お燐の心の中から一切の情報を読み取る事が出来、こうして態々自分の口で言わす必要も無いのだ。
 しかし、こういう事は自分の口で言わさせるのが教育だとさとりは思っている。だから既に知っている情報をお燐に繰り返させるのだ。
「燐、地霊殿(ここ)の掟を知っている?」
「えーと…何でしたっけ」
「惚けても無駄。あなたの心の中にはその情報がある」
 心を読まれているという事は、嘘もつけない。
 さとりが他者から恐れられる要因だ。
「地上から来た者は、全力で追い返す、でしたっけ」
「まだ違う」
「処刑…するんですよね」
 死体などという、死の象徴の様な物を扱うお燐だが、死と殺すという言葉は同意義では無い。
 死が自然なものを含めた生命活動を終える事の総称ならば、殺すというのは、人為的に死を与える事だ。
 お燐はその行動を肯定出来る程、非情な妖怪では、無い。
「あなたが見付けたなら、当然ながらその役目はあなたが果たさなければならない。出来るわね?」
 そういう意味で、さとりはやはり非情で、冷たいのかもしれない。
 お燐がそんな事を出来ないと承知の上で、処刑の執行人にお燐を選ぼうと言うのだ。
「せめて…記憶を消して、地上に帰すだけにしてあげれませんか?さとり様のお力を使えば、そういう事も…」
「燐、地上の妖怪は人間を食料として見るわ。そして私達は住む場所は違えど、妖怪に違いは無い。妖怪が人間を殺すのは極当たり前の事、わかる?」
「……わかり、ません」
 お燐は今まで、人間を襲うという行為をした事が無い。
 そもそも、妖怪と戦った事もほとんど無い。
 そんなお燐には、人を殺すと言う現実を理解したくても出来ないのである。
「だったら、実際にして理解しなさい。…明日の昼までに出来なかったら、あなたごと処刑する事も考えるわよ」
 一層冷たい声音で言い放つと、さとりは館の奥へと消えて行った。
 地霊殿のロビーには、大きな恐怖を植え付けられたお燐が残されるのみだ。



「あ、お燐ちゃん……やっぱり、俺の事…だよな」
 地霊殿から出て来たお燐は、誰が見ても落ち込んでいるとわかっている顔だった。
 お燐が匿ったという形になったこの人間の男にも、当然ながらそれは伝わるのである。
「い、いや。別の事で怒られただけ、お兄さんは明日に帰ってもらえば文句は無いって」
 帰る、還る……還る先は地上では無く、地だ。
「えっ、そうなのか?旧地獄なんて、人間が来たら即刻どうにかされると思ったのになぁ」
 男のこの鋭さは、更にお燐を傷付ける結果になった。
「アハハ、さとり様は心の広い方だから、大丈夫だよ。それより折角地底に来たんだし、ちょっと観光して行かない?名付けて地底旅行、

お燐スペシャルツアーってね」
「おー、面白そう。私も一緒に行かせてー」
 その辺りを一っ飛びしていたのか、地面に降り立ったおくうが暢気な声を上げた。
 恐らく、飛んでいる内に説教された事も忘れてしまっているのだろう。
「じゃあ決まり、あたい、お燐とちょっと…大分頼りにならないおくうがガイドを勤めるツアーの開始ー」
 精一杯の空元気。
 とりあえず暢気なおくうが気付いていないが、どこまでこの男に通用しているのか。
 この男もかなり暢気そうだが。



「さて、やって来ましたは旧地獄街道!此処には鬼を始めとした地底の妖怪が人間の様に生活しています。鬼はもう地上に居ないから、今じゃ唯一鬼に会える場所、かな」
「へー、鬼って本当に居たんだ…もう伝説の中だけの話だけだと思っていたけど」
 旧地獄街道は、ある意味地上の人間の里よりも賑やかで活気に溢れている。血の気盛んな妖怪同士の喧嘩もあれば、小火もしょっちゅうある。
 その度に力自慢の鬼達が新しく家を建て、どんどんと街は華やかになって行く。
 妖怪の街は、人間とは違う形で発展を遂げて行くのだ。
「そう言えば、私達と仲の良い鬼も居たよね。なんと言ったっけ…」
「勇儀ね。星熊の」
 星熊勇儀はかつて、妖怪の山の四天王の一人、力の勇儀と呼ばれた大妖怪である。
 きっかけはおくうならずとも、お燐や勇儀自身も忘れてしまったが、大方一晩中を酒を飲み明かしたとか、そんな感じの理由であろう。
 鬼は兎に角酒を飲むのが好きであり、気に入った酒飲み友達にはとことん入れ込む癖があるのだ。
「おお、お燐におくう。今日は買出しか何かかい?猫車を押してないみたいだけど…」
 噂をすれば、酒気をはらんだ声が聞こえ、随分と慣れなれしく話しかけて来た。
「勇儀。今日はこの人に地底を案内してるんだよ。明日には帰ってもらわないといけないから、いっぱい此処の事を知ってもらおうと思って」
「どうも、お邪魔してます」
 男はひたすらに暢気な調子で言った。
 まるで友人の家に遊びに来て、買い物から帰ったその母親に言う様な言い草だ。
 例えが悪過ぎる。
「へー、地上からの迷い人か。…結構良い男じゃないか。人間しているのが勿体無いねぇ」
「え、ええ!?」
 仄かに顔を赤く染めた勇儀は、人間から見ても魅力的に写る。
 そんな相手に自分の顔を褒められたのだから、少し戸惑ってしまうのは男としては仕方が無い事であろう
「勇儀、酔っ払ってるんだよ。顔はほろ酔いでも、多分人間が一年以上かけて飲む様な量のお酒を飲んでるよ」
 お燐に叩き付けられた現実、割りに堪えるのはお察しの通りだ。
「な、なんだ。そうだよなぁ…ははは」
「お燐ー!折角だから何か食べようよー!」
 街道に並ぶ屋台を見ながらおくう。
 この妖怪鴉の頭には食べ物の事しか無いのか、否。正しくは今現在、食べ物の事しかないだろう。一つの事ばかりを考えるのはメリハリが付くとも言えるが、逆に言えばどうしようもなく扱い難い。
「はは、おくうは相変わらずか。それじゃお燐、アンちゃんにこっちの良さを十分に知ってもらうんだよ」
「はーい。今日はこっちに泊まろうと思うから、勇儀の家借りても良い?」
「ああ、ウチは無駄に広いから、使ってくれて構わない。ふふふー、女の家に男が泊まるんだねぇ」
 相手は酔っ払いだとわかっているが、純情な雄はその言葉に反応せざるを得ない。
 今夜に期待なのか、ある種の恐怖なのか、まだ成人を迎えた程のこの男には判断付かないのであった。



「ちょっとおくう、先行かないでよ。お兄さんはまったく此処の事知らないんだから、逸れたら大変じゃない」
「あー、ごめんなさい。でもそれよりも今は夕ご飯が先決!」
 男はそれとなく、この鴉と親友であるお燐に尊敬の様な感情を抱いてしまった。
 確かに一歩引く感じに付き合っていれば子供っぽくて可愛らしいが、仕事仲間としても付き合うのであれば、また勝手が違って来るだろう。
「はーっ、ごめんね。馬鹿な娘で」
「いやいや、可愛らしいよ」
 お燐とおくう、どちらに向けたでも無いが、男の正直な気持ちだ。
 と言っても、人間の男より妖怪である彼女達は間違いなく年上だ。可愛らしい、は少し間違った表現なのかもしれない。
「アハハ、まあ馬鹿な子ほど可愛いって言うからね」
「それじゃ何にしようかな。ここだと一年中屋台が出てるんだよね。折角だから地底だけの……でも人間には刺激が強いかな、まあ無難にお好み焼きにでもしようか」
 妖怪による、妖怪の、妖怪の為のお好み焼き…「人肉玉」や「ネギ人肉」、「人肉すじ」なんかがメニューに無い事を祈りながら、男はゆっくりとした歩調で歩くお燐に並んで歩き出した。

 恐る恐るお好み焼き屋台のお品書きを見た男は、とりあえず妖怪も豚肉を食べる事を知り、ほっとした。
 事情を店主に話すお燐と、他の屋台をうろちょろしているおくうを横目に見ながらお品書きを左から右に目を通して行くと、標準的な「豚玉」以外にも「スーパー豚玉」、「ハイパー豚玉」挙句の果てには「マスター豚玉」まであるのだから、妖怪は凄い。
 とりあえず豚玉の頭に「モンスター」が付かなかったのを喜ぶばかりである。いくら豚でも妖怪豚の肉はあまり好んで食べれなさそうだ。
 無い事を祈っていた「人肉玉」は無く、「人肉すじ」も「ねぎ人肉」も無い。豚玉の頭の「スーパー」や「ハイパー」の内訳が気になるが、そこに惨劇の結末が待っているのは嫌なので、無難に豚玉を頼む事に決めた。
「さて、注文はお決まり?お兄さん」
「うん、普通過ぎるけど、この豚玉をお願いしようかな」
「おくうは?」
「りんご飴!…じゃなくて、私も豚玉で良いや」
 りんご飴…食べたかったのだろうか、人間の金が使えるならば買ってあげても良いのだが、お燐が取り出した硬貨を見る限りは、地底には地上とは違う貨幣が使われている様だ。
「じゃああたいも同じので、女将さん、豚玉三つお願い」
「はいよっ!直ぐ焼き上がるよ!」
 お品書きを見ている時は気にも留めなかったが、この屋台の主人は見れば女性である。
 金髪を後ろで束ね、屋台越しでよく見えないが布をたっぷりと使ったスカートを穿いている様だ。
「彼女は土蜘蛛だよ。一応能力は感染症を操ったりするものなんだけど、当然ながらお客さんに菌を盛ったりはしないから大丈夫」
 地底はやはり、デンジャラスな土地なのである。

 本当にお好み焼きはあっと言う間に焼き上がり、焼きたてを三人一緒に食べるのは、まるで修学旅行気分だ。
 寺子屋に通っていた頃に行ったきりだが、幻想郷内でも旅行するのは良いものだった。
 あの時の寺子屋の先生は今尚寺子屋を続けているはずだが、半獣故に幾度と無く旅行を経験しているのだろう。
 少しそういうのも羨ましいが、今は地底などと言う、地上からは絶対に行けない場所を旅しているのだから、ある意味でその先生にも勝っている気がする。
 それに両手に花、どちらも自分の好みだと言うのだから、言う事無しだ。
「もぐもぐ…あれ、お兄さんどうしたの?やたらと嬉しそうだけど」
「うにゅ?」
「いやあ、俺は貴重な体験をさせてもらってるなぁ、と思って。こんなに可愛い子達に地底を案内してもらってるなんて、明日地上に帰るのが勿体無くて仕方無いよ」
 地底は正確な時間が分かり難いが、一応時計というものは作られている。
 基準は地上と共通なので、時差で悩んだりもしない。
 その時計は、酉の刻過ぎを示しており、丁度一日、日限がある事を告げている。
 そして、その時が来るまでには男がどうなるかが決まる。
 還るのか、帰るのか。
 お燐が地底を捨てる覚悟で逃げ出せば、男は助かるのだろうか。
 そもそも、お燐は地底を捨てる事が出来るのか、男はどの程度の存在なのか。
 お燐自身、その事がわからずに居た。



「さて、ここは地上と地底を繋ぐ縦穴。明日お兄さんはここから帰る事になるね。
ここには橋姫っていう、守護神みたいなのが居るんだよ。話を通さないと明日直ぐ発てないからね」
「そんなに急ぐのも勿体無い気がするけど…やっぱりそれは出来ないのかな」
 可能ならば、このまま地底に移り住んでしまいとさえ、男は思っていた。
 まだほんの半日しか此処には居ないが、それ程までにこの地と、住む妖怪が気に入ってしまったのだ。
「本当はそうだね。あたいもお兄さんに残れるなら残って欲しいんだけど、そこまで我侭は言えないよ…」
 俯き加減にお燐は言い、先ほど購入した酒の瓶の蓋を徐に開けた。
「それは?」
「橋姫を呼ぶには、お酒を使うの。まあ、こーんな美少女を連れているお兄さんに嫉妬して勝手に来るかもしれないけど、これが一番手っ取り早いからね。…えーと、確かこんな風にするのかな」
 瓶を小さく傾け、少しずつ縦穴の最下部の地面を酒で濡らして行く。
 割りとアルコール度数が高かったのか、それだけで結構な酒臭さが周囲に漂い、それは縦穴を上に上って行く様だ。
 あまり酒に強く無い男は、思わず鼻を噤んでしまう。
「さて、もう来るかな。…っと、お兄さん、もっとしっかりしてなきゃ。地上に行くのはあたいじゃなくてお兄さんなんだから」
「あ、うん。ちょっとお酒の臭いが鼻に付いたもんだから」
 間も無くして、縦穴の上方より、橋姫、水橋パルスィが現れた。どういう訳か釣瓶落としであるキスメも連れてある。
「誰?見慣れない人間みたいだけど」
 基本的に極度の人見知り…というよりは知らない者=敵と判断するパルスィは、男に訝しげな目を向けた。実はこれが地底の妖怪のする地上の者への正しい反応なのだが、今まで出会った妖怪はどれもそういった警戒心を持ち合わせていなかったのだ。
 それは心の余裕か、それとも人間一人に出来る事の限界を知っているからか。
「どういう訳か地上から来ちゃった迷い人でね。明日には地上に帰ってもらうから、その話を通しておこうと思って」
「ふーん。その人間って直接地霊殿まで来たの?それなのに帰してもらえるんだ」
 そう言えばパルスィはその辺りの事情を知っている。地霊殿まで来た人間の処理も、今までそれが一度として違える事無く繰り返されてきた事も。
「うん、まあ今回は事故だしね。明日の昼ぐらいにあたいも見送る為にここに来るから、ちょっかい出したりしないでよ」
「ええ、しかし地底を知っておきながら地上に帰れるなんて妬ましいわね」
「こらこら、誰彼構わず妬むんじゃありません」
 パルスィは橋姫であると同時に、嫉妬狂いでもある。
 その嫉妬心はこの地底よりも深く、基本的に他人を常に妬んでいる。しかもかなり理不尽な理由で、だ。
 お燐の妬まれ方はただの火車の癖にさとりのペットで妬ましいとか、おくうは鳥頭なのに灼熱地獄の管理の様な大きな仕事を与えられていて妬ましいとか、そんなレベルだ。
「そう言えば、なんでキスメも一緒に居るの?パルスィとなんて珍しい組み合わせだけど」
「…えっと……お手伝い…」
 釣瓶落とし、夜道で人を狙ったり、狙わなかったりするこの妖怪は酷く内気で、常に桶やら樽やらに入っている。
 会話も苦手で、中々言葉が出て来ない。話好きで活動的なお燐とは丁度逆の気質を持っていると言える。
「最近どうもこの辺り、地上の地震の影響か何かで壁が崩れてきたりしているの。その補強作業の時の灯りをキスメに提供してもらっていた訳」
「へー、よくもまあこの辺りが震源地にならなかったね。そしたらとんでもない事になっていたわ」
「…普通の、地震じゃないみたい……」
 どういう事かはわからないが、キスメは所謂第六感、感覚的神経が優れている。そんな彼女が言う事ならば、その地震は尋常ならざるものなのだろう。
 ちなみに三人の話に入るに入れない男は、残った日本酒を狙っているおくうの姿を観察するばかりである。
 子供っぽい言動と行動の目立つ彼女だが、酒は好きなのだろうか。
「まあ、その辺りの話はまた今度、さとり様に伝えておこうかな。許可をもらったら、あたいが直接調べにも行けるし」


 それきり、簡単に挨拶をして縦穴を後にした三人は予定通り、勇儀の家に上がり一晩を過ごした。
「よっ、手なんか繋いぢゃって色男!」
 などと茶化されたりもしたが、仕方の無い事なのかもしれない。
 どういう訳か縦穴から帰る時から、お燐の方から率先して男の手に指を絡めて来たのだ。
 本人曰く
「夜道は危ないから」
 らしいが、地下は総じて暗い。
 言い訳の他無かった。



 夜は無情にも明け、朝は来てしまった。
 しかも皆昨日に疲れてしまったのか、昼も間近に迫る巳の刻に起きてしまったのだ。事情を知らない勇儀が起こしてくれる訳も無い。
「勇儀!こんな時間になる前に起こしてよ!もう昼までそんなに時間が無いじゃない!」
 お燐が不平の声を上げるのは当然かもしれないが、勇儀からしてみれば不条理な他無い。
「いや、そんな昼までとか私は聞いてないし。それに逆に考えればまだ時間が残されているのは良い事だし」
「そんな無理矢理プラスに考えられないよ!最後はあたい達の職場を見せてあげようと思ってたんだけど、これじゃ地霊殿まで帰る頃には昼になっちゃうよ」
 地霊殿までの距離は、妖怪の尺度で考えればそんなに無いが、人間を連れて行くとなると別だ。
 簡単に昼近くになってしまう。そうなれば、男を帰すのが困難になってしまう。
「い、いや。確かにお燐の職場は見たかったけど、無理にとは言わないから。昨日一日、一緒に過ごせただけで十分だよ」
 本気で落ち込むお燐を見て、男はただ励まそうとするばかりである。
「っと、おくう、アンちゃん、あんた等はちょっと席を外してくれないか?朝の旧都は夜とそんなに変わらないけど、少しの間見て回ってくると良い。私はちょっとお燐に話があるから」
「うにゅ、わかったよ。じゃあ行こっか、お兄ちゃん」
 おくうは寝起き早々、用意されていた朝食を食べていたが、それも済まし、元気に立ち上がった。
「う、うん。じゃあお燐、昨日は見れなかった東の辺りを見て回ってるから」
「了解。直ぐに追い付くよ」
 何の話をされるか、およその目星が付いているお燐はそれが敵わないかもしれないと思いつつも、相槌を打つしか無い。


「あんた達が帰って来る前に、さとりの使いの鴉が来た。この意味がわかるかい?」
「うん。大体は」
「私は初めから怪しく思っていた。お前達が来たのはどう見ても地霊殿の方角だ。なら、当然ながらあの男は地霊殿に居た事になる。あそこは人間の立ち入りを禁止されてる土地。例外なく人間は処刑される事になっている。今まで一度もその掟は違えられた事は無いし、それに背こうとすれば庇い立てたやつごと、処刑されて来た。お燐、お前はそいつ等と同じ事をしようとしているのか」
 素面の勇儀は結構珍しい、朝からでも平気で酒を飲む為だ。
 しかし今は、素面の勇儀を見る事がとてつもなく恐ろしい。この鬼は、それだけの威圧感を持っているのだ。
「そうだと言ったら、勇儀はそれを止めようとする?」
「それがお前の決断なら、私は何も言わない。ただ、さとりからは昼までにあの男の死体が確認されなければ、お前とあの男を殺せと言われている。本当にあの男を逃がしたいと思うなら、地底も、空も捨てて逃げる事だ。そうすれば私は地上に上がってまでお前達を殺そうとはしない」
 半日の夢から覚めた先には、何処までも無情な現実があった。
 それは正しくいうならば、無情でも何でもなく、極当たり前の事だ。
 しかし、お燐にはそれが当たり前などでは無く、十二分に異常な事だ。
 何故、偶然地霊殿の近くに来てしまった人間を処刑しなければならないのか。ここまでさとりの事を疑い、反骨精神を剥き出しにした事も無い。
「勇儀、あたいはあの人を本当に助けたいと思っている。それに、昨日半日でもう一つ、別な感情も覚えてしまった。だからあたいはきっと、ここから逃げ出すよ」
「だったら早々にそうするのが良い。私もあんたを殺したくは無い」
 勇儀は勿論、お燐自身も悟っていた。
 今のお燐は地霊殿の主である古明地さとりのペットの猫では無く、一人の人間を愛してしまった妖怪だ。
 そう簡単にその立場から、元のただのペットに戻る事は出来ない。
 勇儀はそれを承知していた上で、お燐達を早くに起こす事を避けた。
 もし地霊殿を見て、一瞬だけでも男では無く、さとりの方に心が揺らいでしまえば、お燐はどっち付かずのまま、自分が殺す事になるだろうと考えたからだ。
 事実、この考えは正しかったのだろう。
 今のお燐の目は、とてもでは無いが死体好きの妖怪猫のものでは無かった。



「お待たせー。どう?こっちの方はただの住宅街だけど、中々に良いでしょう?」
 旧都はメインストリートを外れると、途端に庶民的な住宅街が広がる。
 しかしそれも作っては壊され、発展を遂げて行っているので、やはり人間の住宅とは一味違う。
「やっぱり賑やかで良い所だね。どうしても地上じゃ人間は肩身が狭い思いをしてるし、こうは行かない。はは、帰るのを目前にして、途端に地上が嫌になって来たな。またあくせく働くだけの日常が始まるのか」
 何気ないこの男の一言も、お燐の背中を押す事になった。
 もう、お燐の腹は完全に決まっている。
「おくう、悪いけど先に地霊殿に戻っててもらえないかな?そろそろ灼熱地獄も見ておかないと不安だし、後はあたいが送り届けるだけだから」
 お燐がそう言うと、例のごとくおくうは灼熱地獄の事など忘れており、急にはっとすると「それじゃ、ばいばい」と軽く言って地霊殿の方に飛んで行ってしまった。
 今はその単純さがこの上無く好都合だ。
「それじゃ、あたい達も行こっか」
 極自然な動作でお燐は男の手を握り、男もそれを優しく握り返した。
「お燐、そう言えば君は死体を運ぶのが仕事らしいね」
 その言葉に、お燐は指の先から体が凍り付く感覚を覚えた。
 それは当たり前の事なのだが、この時、この瞬間、この人物に言われるのでは勝手が違う。
 もしかすると、この先お燐に向けられる男の言葉は、これ以上が無く残酷なものかもしれない。
 聞きたく無い。聞いてはいけない。
 体が反射的に手を振り解き、逃げ出そうとする。
 しかし、男はあくまで手を離そうとはしなかった。
「猫車で運ぶって聞いたけど、乗り心地ってどうなのかな」
 男の知る猫車は、工事に使用する運搬道具だ。
 石やら土やらを乗せて運ぶのだが、あの大きさならば、頑張れば人間が乗れなくも無い。
 それにお燐は実際、それに死体を乗せているらしいのだ。
「ああ、死んだら感覚も無いか。取り越し苦労だな」
 今この男を蹴り飛ばしでもすれば、そのまま逃げ出す事は出来るだろうか。
 しかし、勢いが強過ぎれば地面に頭を打ち付ける危険性もある。
 余りにリスキーだ。しかし、次の言葉が出てくる前にこの場を去らなければならない。
 そうしなければ、ならないのだ。
「お燐、俺は十分に今を楽しんだよ。君に殺されるのなら、本望だ」
「い、いやっ!!そんなのっ、出来る訳…っ!」
「お燐、俺を…殺してくれ」
「な、なんでっ!!なんであなたを殺さないといけないの!?おかしい、絶対こんなの、おかしい!!」
 世界には不条理が溢れている。それは地上も、地底も、あるいは冥界も、天界さえも変わらないのかもしれない。
 そして、何故それらの不条理達は、生きる者の恋心、最も美しく、尊い感情さえも邪魔するのか。
 お燐にも、この男にもその答えは見出せない。
 それ故に男は諦め、お燐は抗おうとする。
「おくうから、全部聞いたんだ。あの娘、余程ショッキングだった事は覚えていられるみたいだね。このままじゃお燐まで殺されるかもしれない事も、お燐がここを捨ててまで俺を助けようとしてくれている事も。…だけど、俺は君の生きる道を邪魔してまで、助かろうとは思わない。だって君のこれから生きる年数に比べれば、俺の生きる年数なんて瞬き一つに等しいだろう?そんなのの為に君まで人生を滅茶苦茶にされるのは、間違っている。君は、これからもこのまま生き続けてくれ。………これは一応、俺の…お願い、だな」
 男も涙を堪えるのが精一杯だった。
 他者を。違う、一人の女を恋しく思う気持ちに付き合った時間なんてものは問題では無い。
 半日の間に、二人は互いを愛し合っていた。
「馬鹿、そこは命令、にしてよ。旦那様の命令は、絶対なんだから」
「そう、だな。でも俺は君の夫には成れないよ。だって、挙式をするには金も、時間もあまりに足りな過ぎる」
「猫が結婚するのに、結婚式を挙げるとでも思う?」
「俺は人間だよ。だから君と結婚をするのは、どうしても出来ない」
 この日、旧都には誰一人として妖怪が家の外には出ていなかった。
 当初、男もお燐も朝だからと解釈したが、もう昼も近いから、それは不自然だ。
 勇儀がここまでを見越して、顔を利かせてくれていたのだ。
 だから、この場所に二人を邪魔する者は誰一人として居ない。
 物音一つ、聞こえない。
「………帰ろっか。勇儀の所に」
「……………なんで、勇儀さんの家に?」
「やっぱりあたいは、お兄さんを殺したりは出来ないよ。そんなのするぐらいなら、勇儀に一緒に殺してもらう」
「…っ!…だから、それじゃ駄目なんだ!」
「だって!あたいにはそれしか選べないよ!」
 静かな旧都に、お燐の叫びだけが響く。
 立派な家屋の壁にそれは反射され、まるで大勢の人に言われている様にその声は男に伝わる。
「じゃあ!俺が今、ここでお燐に襲い掛かったらどうだ!?俺は丁度、農作業をしていた時に神隠しに遭った、作業用の鎌を持っているんだ。いくら妖怪でも、これで斬られたらタダじゃ済まないだろ!?」
「え!?神隠しって………穴に落ちたんじゃ………」
 男は返事をせず、鎌を取り出してその銀色の刃をちらつかせる。お燐は反射的に飛び退き、気が付くと鋭利な爪の備わった指で構えを取っていた。
「そう、その爪で俺を思いっ切り引っ掻き、切り裂いてくれたら良いんだ。……もしそれをしないなら、君が死ぬ事になる。………勿論、俺も後を追う」
 お燐は構えていた手を振り下ろし、再び無防備な姿を曝け出した。
「お兄さんになら、別にあたいは殺されても良いよ。後からお兄さんも来てくれるって言うなら、尚更だ」
 男はもう、完全に涙を流してしまっている。
 ここまで悲痛な面持ちをしているお燐を見れば、堪えていた涙も堰を切って溢れ出してしまうのは、当然の事だ。
「この……馬鹿猫!」
 言い終える同時に男は鎌の刃を自分の首筋に当てる。後は軽くそれを引いてしまうだけで、頚動脈は快い程の音を立てて掻き切れるだろう。自分で自分自身に印籠を渡すと言うのは中々にロマンティカルではあるが、誇り高き武士の様に一般人がそうそう出来る事ではない。
「っ!…お、お兄さんっ!?」
 慌ててお燐が駆け出す。今がチャンスだ。逆にこれを逃せば、お燐の方がこの鎌か、自分の爪で死んでしまうかもしれない。
 最初はゆっくり、なるほど、肉が切れるのはこういう感じなのか。生暖かいものが首筋から伝い、服が染められていく。死に装束は白いものなので、なるほど自害するとそれが血に染められ、確かに格好良さそうだ。
 もう感覚には成れたので、躊躇する必要は無い。
 刃の先が軽く首に触れただけの鎌を、次は思いっ切り引く。
 そうすれば、本当に首は切り裂かれ、飛んでしまうものなのだろうか。
 お燐は死体を見慣れているだろうが、女の子だ。
 そんなグロテスクなものを見せるのは非常に気が引けるが、鎌で心臓を突くというのも妙な話である。
 やはりこれは首を掻き切るべきだと思ったが、後々になって考えれば手首を深く切り裂くだけでも致命傷となり得る筈だ。
 そうすればまだ気持ちも楽だったかもしれないが、一度首を傷付けてしまった以上、これで死ななければ格好悪いし、何より他の事をする余裕は無かった。
 手はがたがたと震えている。
 お燐はもう目の前、後少し近付いた所で手を伸ばされれば、この鎌を取り上げられてしまうだろう。
 迷う事は許されない。手早く引き、手早く死んでしまわなければ。
 しかし、そこで男の意識はふつと切れる事になった。
 お燐が何かした訳でも無いし、首からの出血で意識が途切れてしまった訳でも無い。
 第三者の介入に寄るものだ。
「…!勇儀!?」
「はぁ…まだこんな所でがたがたやってたのかい。私は早くふけてしまえって言ったと思ったんだけどねぇ」
「……勇儀、お兄さんの手当てが済んだら、今から地霊殿に一緒に来て」
「おい、自分から死にに行くって言うのか?この男と同じ様に」
「違うよ。………お兄さんは、本当に無実。それがはっきりした」
「なんだって?」
「お兄さんはさっき確かに、自分は神隠しに遭ったって言った。考えてみればおかしいんだ。地上に地霊殿に直接通じる穴がぽっかり開いているなんて、そんなの現実離れし過ぎている話。間違いない、お兄さんは人為的に地下に落とされた」
「………誰が、何の為にそんな事をしたんだ?」
「そんなの、あたいにはわからないよ。でも、これからさとり様にその事を言って、地上に調査に行く。お兄さんの無実を証明して、お兄さんを無事に地上に帰してあげる為に」
「お前………地上に地底の妖怪が出て行って、無事に帰って来れるとでも思ってるのか?」
「あたいは地上に死体を取りに行ってるからね。一度も出た事の無い連中よりは地上の事を理解してる。それに…お兄さんの為なんだから、ヘマなんて出来ないよ」
「………わかった。この男の手当ては私がしておく。さとりにも話を通そう。お前は地上に急ぎな」
「勇儀……ありがとう」
「礼は全部上手く行ってからだ。私も地上は知ってるし、行ける様なら後を追う」





   続く



最終更新:2008年12月04日 00:47