「おはようございます。ご主人様」
焦点の合わない黒く曇った瞳。
抑揚が皆無な声。
そして、嫌味な程に礼儀正しい態度。
もしメイド検定なんてものがあれば、彼女は満場一致で一位とされるだろう。
しかし、同時にロボットコンテストにも出る事が出来るかもしれない。
それ程に機械的な、メイドであったものが語りかけて来た。
「ああ、おはよう」
彼女に負けないぐらい感情を押し殺して返してやると、メイドはテーブルを指し、次に椅子を引いて座る様に促した。
既に朝食は出来ているらしい。
生き物かどうかさえ怪しいメイドの作った料理。普通の人間ならば気味悪がって食べないかもしれない。
でも、俺はそれを一抹の不安も抱える事無く食す事が出来る。
何故ならば、彼女をここまで壊したのは俺自身だからだ。
他の人間相手なら兎も角、彼女が俺に対して食べられない物を出す事は無い。
そんな事が出来る筈無い。
もし、そんな事をすれば――
それはそれで、楽しい事になりそうだ。
この次の段階、それはどんなに可愛らしいものなのだろうか。
完全な無、会話能力さえ失くすのだろうか?下手をすれば、記憶も失くすかもしれない。
いや、もっと致命的な物の喪失に繋がるのかもしれない。
そうなったら、彼女は肉人形も良いところ。メイドとして機能はしなくなるが、その辺りは目を瞑れるだろう。
こんなにも美しい人形が手に入ると言うのであれば。
彼女の料理は、恐らくこの郷中を探したとしても、匹敵する者が居ない程に絶品と言える。
それでも、俺には不要なものだ。
栄養を摂取する為だけの食事であり、本来の目的は別にある。
気が付いたら、程好い量の料理が盛られた皿は空になっていた。
本来ならば、形だけでも「ごちそうさま」なり言いそうだが、彼女にそんな事を言ってもにこりともしない。
言うだけ、労力の無駄だ。
先ほどの朝の挨拶だけは、特別な感情を未だに残しているらしく、何となく顔が和らぐ気がする。
凛とした美人は好きだが、柔和な顔も見たいというものだ。
もう、ほとんど彼女にそんな感情は無いのだが。
無言で立ち上がり、食堂をとっとと後にする。これ以上この場所に居る必要は無い。
背中では、彼女が食器を運ぶ音が聞こえた。
確認する事もしないが、彼女はいつも通り、およそ三十度の角度で皿とテーブルの間に手を滑り込ませ、音も無く持ち上げている事だろう。
それを計三回。十秒とかからない。
いつも通り、それを綺麗に洗い上げ、水滴の一つも残さず拭き上げる。
――もう何週間と、こんな生活が続いている。
「おはようございます。ご主人様」
給仕用のエプロンドレスに身を包んだメイドが、食堂に顔を出した俺に背中越しに声をかけた。
「ああ、おはよう。トルシェ」
挨拶を返されると、思わずトルシェは顔を赤らめ、逃げる様に視線をまな板の上に乗った包丁に戻す。
まるで新婚さんだ。
――実はと言うとこのやりとり、もう百数回と繰り返されているのだが、気の弱いメイド――トルシェは未だ慣れない様子だ。
いや、気の弱いと言うのは誤りだ。
彼女は内気だったり、意思が弱かったり、そんな事は全く無い。
むしろ、気だけで言えば一般的な女性よりも強い類だろう。
ただ、彼女が未だに顔を赤らめたり、今だって、いつ包丁で指を切るかわからない程に危なっかしかったりするのは、偏に彼女が多くの一般的な女性よりも恥じらい深く、男と会話をする事、そのものを恥じるべき行為だと考えているからだ。
今までどんな生活をして来たんだ、とツッコミを入れたくなるが、そんな事を言えば彼女はたちまち泣き出してしまうだろう。
それ程に男が苦手なのだ。
「しかし、今日は遅いね。いつもなら、俺が来たと同時に食事を並べてくれるんだが……」
何気ない一言。
それが思わぬ地雷を踏む事になるのが、彼女との会話というものだ(男性に限る)。
「あっ、え、えっと、その、そ、そそそ、それは…………」
やたら滅多に感嘆詞を並べる。
しかも、普段の彼女からは考えられない程に早口。
隣まで行って、顔を覗き込んでやると案の定、真っ赤になっていた。
「あの、えっと、その…………怒らないで、くださいますか?」
あのー、敬語が少し変ですよ?お嬢さん?あなたは何時からブロンティストにジョブチェンジされたのですか?
「んっ、ああ…………いや、わかった」
「わかった」と聞いた瞬間に今度は、顔が真っ青になる。
こんな関係になる前は、感情が乏しかったと言うのに、今では正反対だ。
「はっ、はうっ…………ごめんなさい……」
言われる前から謝られると、色々と言い出しづらいものがあるのだが。
「珍しいな。トルシェが寝坊なんて」
今度はその場に崩れ落ちる。顔も伏せているが、どんな顔かはわかる。
間違いなく、その端正な顔には涙が絶えず流れている事だろう。
「ご、ごめんなさい!!昨晩はその、ご主人様があんまりにも…………あっ!い、言い訳してしまってすみません!!全部あたしが悪いです。ごめんなさい。許してください…………」
最早、悪戯の発覚した子供だ。
おいおいと泣き喚き、理屈じゃない理屈を捏ね回す。
ちなみに、俺自身その理由はわかっていた。
なんだかんだで昨日は、一時程まで彼女と楽しんでしまった。
しかも、相当にハードな内容で。
いくら体力の回復が早い妖精と言えど、流石に辛かったらしい。
八時を過ぎるまで寝てしまうのも、無理は無いだろう。
そして、トルシェ豆知識。トルシェは極限までテンパると、敬語を始め、一人称辺りまで壊れ始める。
どうやら、メイドをする前は結構ラフな口調だったらしい。
「いや、昨日は確かに俺が悪かった。全然気にしていないから、鍋を焦がすのだけはやめてもらえると助かる」
味噌汁が黒く変色し、鍋が静かに炎上するのを俺は止める事が出来なかった。
不甲斐ない俺を許してくれ、鍋。
「す、すみませんっ!!あたし、またご迷惑を…………」
不意に飛び上がり、流しから少し顔を出していたまな板に壮絶に頭をぶつける。
その上にあるは、白菜の漬け物、そして包丁。
「はぅーー…………」
だが、物理的にそれらがこちらに落ちてくる事は有り得ない。
片方から突き上げられたまな板は、そのまま流し側に倒れ、全てを落とし、浄化させる事となった。
「完…全……?」
これは彼女の売り文句。今では疑問符しか付かない称号。
夜までは、他の女で遊んで過ごす。
メインディッシュは最後に、という理屈だ。
当然ながら、他の奴隷はトルシェとは違い、感情豊かだ。
反発をされたり、喜ばれたり、恐れられたり。
様々な反応が返って来る。
また、上げられる喘ぎ声一つも、俺には必要な潤いだ。
トルシェは行為中、ほとんど声を出さない。
ただ、股間を濡らし、絶頂に達し、何時の間にかに倒れている。
この感じからすれば、既にほとんど人形も同じだ。
「こんばんは。ご主人様」
部屋にノックもしないで入ると、今日の家事を全てこなしたトルシェが、一糸纏わぬ姿でベッドに腰掛けている。
彼女の体自体は、大した色気を持っていない。
どこにでも居そうな女だ。
反応も先に言った通り、もう彼女に女としての魅力は無い。
喜びを感じないので奉仕を命じても、機械的にしかされない。
これなら、オナホでも使った方が遥かに良い。
今まで惰性で続けて来た習慣も、そろそろ潮時かと思われた。
「トルシェ、もし、お前を売りに出す。そう言ったらどうする?」
何処までも率直、しかし他に良い文句は思いつかなかった。
「それが、ご主人様の望まれる事でしたら私はそれを受け入れるのみです」
言って、相変わらず感情の死んだ目を向けてくる。
先には無限の闇が広がっている気がして、薄気味悪い。
「そうか、じゃあトルシェ。今晩限りで別れよう」
これもやはり率直、彼女には言葉を繕う必要が無い。
「わかり、ました」
「こんばんは。ごしゅ……っ、あっ!…………えっと、ダーリン……」
やはり数える事、三桁突入しているやりとり。
毎回「ご主人様」と言いかけて、毎回「ダーリン」と訂正する。
ちなみにこんな呼び方をさせているのは俺の好みだ。
夜は、そう呼ぶように言っている。
一種の、けじめとして。
「ああ、こんばんは。さて、今日はどうしてやるかな……」
態とそんな事を言うと、トルシェは一瞬で頬を紅く染め、そそくさとエプロンドレスを脱ぎ出す。
緊張の所為で、かなり動作は無駄が多いものになっている。
それが何とも意地らしい。
「突然だが連想ゲームだ。長い、太い、茶色い。何だ?」
これはいつもとは少し違った趣向。しかし、トルシェは即答する。
「長芋ですね」
朴念仁。
この場でそんな発言が出来るのには、ある意味感服する。
ご褒美は、軽い拳骨だ。
「痛っ!…………えーと、触手、ですか?」
変な所で恥じらいが無い。でも、これは正解と言えるだろう。
「何だ、あんなのが良いのか?」
「一般論です。私はあんな不潔な生物は好きではありません。常識で物事を考えて下さい」
基本、こんな女。
平気で矛盾した事を述べる。
そして、変な所で毒舌。
「蟲に欲情して、鰻にあんあん言わされていたのは何処のどいつだ?」
「それはきっと、天狗の仕業です。私じゃありません」
安心しろ、天狗なんて(ここには)居ない。
「あっ、ところで…………」
「ん?」
「三人目、出来てしまったのを言うのを忘れてました」
しばしフリーズ。
ターン数にして三ターン程。
「…………竹林のお医者さんに、ダーリンがお仕事に行かれている間に診てもらいました。最近、体が何となしにだるく感じましたから」
即座にトルシェに服を着せ、絶対安静を約束させたのは言うまでも無い。
続く
最終更新:2009年06月01日 20:10