三年。
一年が三六五日だから、一千九五日。
一日が二十四時間だから。
……何時間?
パッと求める答えに辿り着けず、ただ無意味に人差し指で空中を掻き回す。頭の中で計算をしているつもりだ。
確か、東の大陸には「ソロバン」という計算器があり、石か何かを指で弾いて計算の答えを導き出すと言う。
ならば、この指の動きはその「ソロバン」を使う時のものに似ているのかもしれない。
今、自分はすごく頭良さそうに写っているかも?なんて考えていると、急に後ろから声をかけられた。
「どうしたの?ワユさん。指をぐねぐねさせて」
理知的に見えるかもしれない……と考えていた指の動きも、この真面目で優しい聖職者の青年が見れば、ただの「ぐねぐね」らしい。
「キルロイさん、これは“ぐねぐね”じゃなくて、“ソロバン”だよ。ソ・ロ・バ・ン」
両腰に手を当て、いかにも偉そうに説明。
実物を手にした事も、目にした事も無いが、普通は皆そうだろう。
だから、どんな出任せも自信を持って言えば本当っぽくなる。
「へぇ……何だかわからないけど、凄そうだね」
作戦成功。
「ふふん、そんな中、キルロイさんに問題を出してみよう。一千九五かける二十四、答えは?」
そして、作戦は第二段階へと移行する。
「え?なんで急に、そんな低レベルな算数の問題を……ああ、ソロバンって計算の道具なのかい?」
…………低レベル。
「そ、そう!まあ、キルロイさんは頭が良いから、それぐらい暗算で一瞬だろうけど、一応、ね」
しかし、いくらなんでもそんなに直ぐに答えは出ないだろう。
キルロイさんより前に自分は、この問題に着手していたのだ。
何とか、先に答えを導き出そうと必死に頭を巡らせる。
「正解は…………」
「二六二八十だね」
二六さ……慌てて言葉を飲み込む。
あれ、一つくり上がって……どうなるんだ?
「ふ、ふふ。さすがキルロイさん、あたしは感無量だよ」
二六二八十時間。時間にしてみると、恐ろしく長く感じる。
「あれ、ひょっとしたらこの計算、年月の?……ああ、あの戦いから約三年だからね」
さすがキルロイさん。もうそこまで思考が進んでしまうとは。
聖職者、特に神父様は子供達に勉強を教える教師とも成り得るが、どうやら頭の良くない聖職者は居ないらしい。
小さな村の聖職者であるキルロイさんでここまで頭が良いのだから、ベグニオンの司祭達はどのレベルなのだろう。
「その通り。年単位だとたった三という数字で表されちゃうけど、日にちだと一千八五になっちゃうし、時間だともっと長く感じるなぁ、って」
しばし、時が凍り付く。
その原因に気付いた時、あたしは何とか言い逃れの方法を頭の中で弾き出そうとしていた。
だが、セネリオ程の頭の無いあたしは、こんな単純な事への言い訳も考え出す事も出来ない。
「あ、ああ!それも、僕に間違いを訂正させようと言う…………」
もうやめてキルロイさん、あたしのHPはとっくにゼロよ。
「…………ありがとキルロイさん。ちょっと、素振りして来るよ」
逃げる為の口上では無く、少しの間でも暗算なんてものをしてしまったから、軽く知恵熱が出ている気がする。
頭を冷やす為にも、剣の鍛錬は必要な気がした。
「……う、うん…………気をつけて……」
目に見えて空気が悪い。
いや、空気は見るのではなく、感じるものだから……
直後、余計な事を考えようとした頭を軽く振り、一切の考えを空中に放り投げる。
このまま頭を使い続けては、何かがいけない気がする。
「だから、愛に言葉は要らないんすよ。理屈も要らない。必要なのは、心、ハートってやつなんすよ」
「へぇへぇ、そうかよ」
仕事と仕事の合間の休息時間に聞ける傭兵仲間の雑談。
ナンパだが、まるでモテないガトリーと、無愛想だが、恐ろしくモテるシノン。
両極端な二人は、よく女の子の事で話をしている。
「それで、お前はハート一つ持って、何人の女と付き合えたんだ?」
返って来たのは沈黙。
これまでに相手をしてくれた女の子は一人。
しかも、その子は貴族の箱入り娘。
それも、クリミア騎士団に正式に入隊してしまい、引き離されてしまった。
ガトリーの春はまだまだ、恐ろしく遠い。
「シノンさん!モテる秘訣って何なんすかっ!?」
単刀直入。
ある意味、モテない理由はそこにもある気がする。
「黙っとけ。後は痩せろ」
玉砕。
魔法か、ハンマーを喰らったかの様にガトリーの太い身体が地にがっくりと落ちる。
半分は筋肉とは言え、太っている人間にそれは……と思った辺りで、思わず自分の身体の各所を確認してしまったあたしが居る。
だ、大丈夫。余計な肉は付かない様にしてるし、あまりにも重い剣を持って、筋肉を付け過ぎない様にもしている。
家系的にも比較的細身だし、万に一つも太る事は無い。きっと。
「オスカーさん!あたし、太ってないよね!?」
「あ、ああ…………」
馬具の手入れをしていたオスカーさんを捕まえ、第三者の目からも確かめる。
これで万全だ。
「……ところで、今日の夕食は肉料理にする予定なのだけど」
………………………
………………………………………………
………………………………………………………………………
間。
「あ、あたしは太らないから大丈夫だよ!?」
「それならよかった」
力強く言ったつもりだけど、心は泣いているのがはっきりとわかる。
そんな中、横目にミストちゃんが映った。
比較してはいけない。
相手は自分よりも年下であり、当然その分、身体も細い。
剣を使うのもかなり不慣れだし、依然杖使いのイメージの方が強い。
だから、手足があたしよりずっとほっそりしているのは当たり前だ。
………………それでも、嫉妬してしまう。
「大将も、ミストちゃんみたいな女の子が一番好みなのかな…………」
ミストちゃんがガトリーを始め、団の男性陣に大人気なのを思い出し、あの朴念仁も同じ考えなのか、と頭の中で照らし合わせる。
兄妹なのだから、また色々と変わってくるだろうが……やはり、あれぐらい守ってあげたくなると言うか、平民ながらも、お姫様なオーラを纏っていると言うか…………
「あーー!素振り素振り!!」
主に現実逃避の為。
「そんな訳でオスカーさん。最近、どうも上手くいかないんだよ」
団の中でも、悩みの相談役になっているのは、一番の年長者であるティアマトさんと、温和で優しいオスカーさんだ。
どちらでも良かったけど、運良く槍の手入れをしているのを捕まえられたので、オスカーさんの方に相談してみる。
「何か、悩みがあるのかい?」
あるから、人を頼ってしまう。
改めて、自分は自分が思っている以上に弱い人間なのかもしれない。そんな風に感じる。
「仕事中に剣を握っていても、いまいち戦いに集中出来ないし、こんな風に空きの時間でも、そう。なーんか、上の空って言うか……」
「恋煩いだね」
即答。
一刀両断。
必殺の一撃。
どれを持って行っても良い気がする。
「……こ、恋………………」
そう言われて頭の中を駆け巡るのは、蒼髪の青年。
妙に話し言葉が爺むさいし、果てしなく単純だし、食い気以外が脳内を支配している様には思えないし……
「成る程。それでキルロイを捕まえて…………三年越し、か……中々にロマンチックなんじゃないかな」
あ、あの。そこまで言っていないのですけど…………
何となく口が軽そうな人物ではあるけど、依りに依って、相談相手に話しているだなんて。
「…………でも、大将って食い気以外の感情って持ち合わせていますか!?」
無意味に敬語。
風が冷たい。体中からは汗が吹き出していて、目には涙が溜まっているのがわかる。
「う、うーん…………すごく不安ではあるけど、食欲以外にも思いやりの感情はあるし……きっと。情愛の概念も、十二分に伝わる可能性は、秘めているだろうかな、と…………」
………………………
………………………………………………
………………………………………………………………………
間。
「…………まずは、料理を教えてください」
尚も敬語。
何となく、そうしたい雰囲気。
「そ、そうだね。まずはそんな餌から…………」
「大将!今日のご飯、どう?」
決戦の夜。
その夜は、あたしが大将を剣の鍛錬に連れ出し、態と他の団員には先に食事を取ってもらっていた。
そして、いいぐらいの時間に砦に引き返し、予め仕込みを終わらしておいた料理を自分で作り、然もオスカーさんが作りましたよーな雰囲気を漂わせつつ、大将の目の前に並べたのだ。
決戦――この夜、あたしは三年の苦悩に終止符を打つ。そう決めていた。
梟の声だけが聞こえる夜。
静かに、否。
騒がしいあたし自身の声により、その火蓋は切って落とされた。
「どうと言われても。いつも通り、オスカーの飯は美味い。ミストも必死に練習はしている様だが、この味までには後五年は軽くかかる
ろうな」
この勝負、いける。
声が震えない様にする為に、剣の柄を握り締める。
「大将、このご飯、本当にオスカーさんが作ったと思うの?」
再度、確認。
あまりしつこいと嫌われる、と言うのは先にティアマトさんに聞いているので、これで最後にする。
「ああ、この味はオスカー以外には出せん」
釣れた!
予感が、確信に変わった瞬間。
剣を握る手に力を込める。
何も、斬りかかる為ではない。
「今日のご飯、あたしが作ったんだよ」
さり気無く、出来るだけ言葉少なげに言う。
これはガトリーに聞いた事なのだけど、たまには参考になりそうな事を言ってくれた。
「…………本当か?」
眉毛をぴくりと上げ、それまで手元の料理にのみ、注がれていた視線があたしの方を向く。
「本当。一ヶ月、オスカーさんに付きっ切りで習ったんだ」
真実は、と言うとその三倍は掛かっていたのだけど。それは隠す。
剣豪で三倍。何となくこのフレーズは縁起が良いけど、この戦いは剣を使った戦いではない。
――そう、あたしは今、剣を握って戦う剣豪としてのワユじゃない。
一人の男性への愛に生きる、一人の少女としてのワユだ。
「そうか。あんたは剣だけでなく、何事も器用にこなすんだな。ミストに見習わせてやりたい」
大将の興味は確実に、興味は料理を通し、あたしに向いた。
これぞ、三ヶ月かけて料理を完璧にした目的。
「ところで大将、あたしが急に料理なんて習った理由、わかる?」
質問は距離を縮める。
相手が短気だったりすると、逆効果だが。
大将の気質的に問題は、一切ない。
「どうだろう。剣がすっかり極まってしまったから、次に料理を極めようとしたのか?……どうも、それもあんたらしくない気がするが」
割りと意外な答えだ。
大将が、そこまで相手の性格を気にしているなんて、失礼ながら有り得ない事と思っていた。
…………また一つ、好きな要素が出来てしまった。
砦の別室から、アドバイスをくれた二人……と一応プラス一人。
彼らが、そっと応援してくれている気配が伝わる。
そこまで力が無いとわかっているのに、柄を握り締める手が更に強く絞まり、そのまま柄を握り潰してしまうのではないか、と錯覚してしまう。
それなのに、尚も力を込めようとすると、今度は空回りをしてしまう。
手汗が相当に酷いらしい。
顔が不自然に歪んだりはしていないだろうか、と見えない自分の顔を想像してしまう。
――兎も角。
これ以上、手を拱いてはいられない。
最後に小さく息を吐き、覚悟を固めた。
「大将、あなたに喜んでもらう為だよ」
瞬間、身体が冷え切って行くのが感ぜられ、その直後に全身の血液が沸騰する感覚もした。
その後、更に体中の皮膚という皮膚が凍り付き、沸騰する血液によりそれが溶かされる。
氷を溶かした血液は冷めてしまい、元の感覚があたしに戻って来た時、口が勝手に続けた。
「大将――いや、アイクの事が好きだから」
食堂兼会議室として使っている、比較的大きな部屋。
今、その部屋に居るのは二人だけ。
しばらく、物音一つ無い。
不自然な事に、お互いに呼吸の音も漏らさない様にしている。
カチャリ。
皿の上にフォークを乗せた時に鳴った金属音が、沈黙を静かに破った。
その音が消え去る前に、肉声が響く。
「本気か?」
沈黙が破られた瞬間から、一瞬たりとも無音の状態を作ってはいけない。
そんな感じがしていた。
だから、間髪入れずに返す。
「三年間、ずっと思い続けて来たの。でも、どうしても言い出せなかった」
言葉を言い切ってしまい、また沈黙が訪れるのが怖い。
でも、そこにフォローが入らなければ、失敗だ。
そんな確信があった。
「そうか。俺が感じていたのは、そうだったのか」
ほとんど、言い切りにアイクの言葉が重なっていた。
それに倣い、返事を重ねて行く。
「な、なんだ。あたしだけじゃなかったんだ」
随分と危ない橋を渡った気がした。
でも、不思議と安心めいた確証があったから、言う事が出来た。
もう、剣からは手を離している。
この瞬間、間違いなく自分はただの女だった。
「こういう事は、本当なら男が言い出すべきだったな。すまん」
相変わらず、妙に年寄り臭い謝罪の意の述べ方。
それでも、それが愛しかった。
「謝るぐらいなら、先に実行してよ。大将」
確信が、更に確かなものになって行く感覚があった。
それ以上の安定を表す言葉を、あたしは――あたし達は知らない。
「すまん」
一迅の風が吹いた。
冷たい夜風。
軽装の身には、少々堪える。
しかし、まもなくそれも止んだ。
尚も風音は聞こえる。
でも、二度と風があたしに当たる事は無かった。
最終更新:2009年06月18日 00:28