兎も角、様々な不安や思惑を抱いたままに、天華は僕の相棒(パートナー)となり、仕事を共にする事となった。
僕の不安は尽きないが、その内の一つはこの件によって生じる最初にして最大の問題に対するものだ。
僕は彼女と仕事をする。それはつまり、彼女とおはようからおやすみまで顔を付き合わせる訳である。
さて、おやすみの前には何がある。そりゃ、夕食はある。その後だ。
入浴。平たく言えばお風呂。
そして、彼女と僕は異性同士。
現在、曲がりなりにも町の名を冠する集落の宿屋は、規模の大小はあれど浴場を有している。
宿泊客は部屋別にまとまって入るのが一種の暗黙の了解となっていて、それはつまり混浴をしなければならない事を意味する。
……十九の男にこれを享受するだけの度量は無い。
気が付いたら、僕は何度も息を吐いていた。
「ヴァン、もっと嬉しがらないのか?俺はお前がそんな朴念仁だとは認識して無いが」
先輩はそんな僕を見かねたのか、冗談と共にそれとなく僕の心に足を突っ込む。
「その逆ですよ。女の子と旅をする。だから生まれて来る弊害に僕は頭を悩ましているんです」
もうしばらく歩くと、彼女の休んでいる宿屋が見えて来る。
僕は恐らく、生まれて初めて女の子の事を考えて、溜め息を吐いた。
僕は先輩を恨んだ。
それはもう、親の敵の様に激しく恨んだ。
少し前の回想である。「じゃあ、ヴァン。天華ちゃんによろしくな」先輩は宿の前まで来ると、残酷な言葉と共に僕を見捨てて行ってしまった。
後に残されたは僕と、宿の天華。
詰まる所、先輩も僕と同様の思考に至り、逃亡を図ったのだ。
僕に恨まれるのも省みず。
せめて、同じ業を背負う、道連れは欲しかったのだが、まさかのエスケープだ。
――だからと言って、僕も風呂に入りたい、入る必要がある。
それは天華も同様だろう。
――試練を、甘んじて受けなければならない。
そんな風に吹っ切れ、僕は宿屋の扉を打破る様に開け、心では降首台の十三階段を、しかし見た目としては灰被り姫の下へ急ぐ王子のように階段を駈け登り、二階の天華の部屋に転がり込んだ。
そして開口一番。
「天華、お風呂に入ろうか」
間も無く、宵闇が訪れる。
薄暗い二人部屋の中にそんな声が広がり、反響も消えた頃に返事が返って来た。
「うん」
こっくりと天華が頷くと、彼女の白髪もそれに呼応してさらりと揺れた。
僕は、とんでもないお宝を手に入れてしまった。
感情の見えない天華の澄まし顔は、哀れな男にそんな詩を吟じさせるだけの魔力を持っていた。
僕は着替えの用意を二人分し、天華を浴場まで連れ出した。
天華の服は二着用意している。
一つは今、彼女が着ている黒い飾り気の少ないドレスに薄い青色をしたリボンを締めた物。
もう一着は僕の手の中に綿の様にもさっとして収まっている純白のドレス。
結婚式で花嫁が着るそれより厚手で、レースの装飾では無く、フリルが何重にも重ねられている。
二着とも、貴族の令嬢が着そうな装いではあるが、裾は大きく切り落とされている。
天華の最大の武器であると言える脚の動きは制限されず、それでいて彼女の儚げな美しさを引き立てる最高の「仕事着」であるだろうと自負している。
色も白と黒をチョイスしたのは以津真天を象徴していて、我ながら中々に良い判断では無いのかと思う。
――そして、天華も天華で、そんな洋服を気に入ってくれている様だった。
彼女の感情は顔から判断するのは難しい。
しかし、彼女の小さな行動一つ一つがその考えを伝えてくれた。
昨日、彼女が着ていた白い方のドレスが、綺麗に畳まれて枕元に置かれていたのだ。
しかも、胸元のリボンがちゃんと上に来る様に折り方も考えて。
僕にも女友達は居る。
しかし、職業柄からか男勝りの「お転婆」どころか「粗暴」な気質なので全くアテにならない。
でも、男の身ながらも几帳面だと自負している僕の見解では、それは服を気に入っている証拠である、そう自己判断した。
また、天華は最初にドレスを手渡された時、最初、驚いた様な顔を見せた後。小さく腰を折った。
東洋の礼だ。
彼女が故郷を離れて久しいのは何となく察しが付くが、尚も体は習慣を覚えている風だった。
まだ彼女と出会って数日。しかし、そんな彼女が素の仕種を見せてくれた。
それは、少なからずの感謝から来ている気がしたのは、僕の考え過ぎではないと思う。
さて、僕が急にこんな事を考え出したのには意味がある。
現実逃避だ。
僕は今目の前にある現実を直視出来ない。
人間として、男として。
だから、これからのことは憶測だ。
服越しの彼女の外見から推測される事で、きっと事実とは異なって来ているだろう。
きっと。
僕の目の前には、彼女が居た。
他でも無い、天華だ。
しかし、天華からは僕が見えていない様に天華は、平然とその美しい裸体を晒していた。
どこまでも白い、透き通る様な素肌だ。
身長が低い割には、胸部や脚部は女性らしく、細身の中にある部分的肉感は、彼女が少女と女性の中間の体をしている事を示している。
さて、天華は風呂を楽しんでいるかと言うと、実は定かでは無い。
しかし、鴉の行水と言う言葉がある通り鳥妖も、水浴びは好きなのかもしれない。
――鴉と以津真天を一色たにすると、天華が怒り出すかもしれないが。
兎も角、天華との入浴中僕達は一時も口を聞かなかった。
重ね重ね言うが、僕は彼女を直視出来なかったし、気が気ではなかった。
彼女も特に何も言わなかったので、空気は立ち上ぼる湯気程は軽くならなかった。
一通り汗と諸々を流し終えた後、僕は初めて口を開いた。
「じゃあ、出よ(あがろ)うか」
天華はその言葉を待ち望んでいたかの様に、湯船から立ち上がって浴場から出て行った。
「熱かった」
冥界の神の使いは、地獄の釜湯で水はお気に召さなかった様だ。
最終更新:2009年07月08日 22:06