さて、僕は妻の淹れたお茶を飲みながら手元の書類に目を通した。
無意味に出世してしまうと、デスクワーク的な事が増えてしまう。
卓上の狭い世界を見るよりは、外に出て行きたい性質(タチ)だ。
正直、苦痛ではあるが仕方が無い。
時に思うに、果たして運命とはよく出来たものである。
僕はついこの間まで、運命主義者を馬鹿にしていた側の人間ではある。
しかし、その僕が運命を信じる様になったのは、全てこの数奇な運命のお陰だ。
さて、僕の妻を紹介しようか。
ここまで読んでもらえた人なら、二通りの予想が出来る筈だ。
一人は、ずっと長い間共に旅をした、以津真天華。明らかに僕と恋仲であると見て取れる節があったので、彼女が妻となったと予想する人が多いだろう。
もう一人は、前話で初登場したものの、僕との関係は相応に深いとわかるリリア・フラバス。苦しい言い訳を書いたつもりだが、間違いなく彼女とも恋仲と言えた。
後の可能性としては、以津真天理も有り得る。しかし、彼女は先に言っておこう。違う。
彼女には、他にしてもらう事があったので、結婚などしたくても出来なかった。
……それに、僕は女房の尻に敷かれるという趣味がなかった。
弱気な事を言う様だが、僕は正直、天理と一緒になって尻に敷かれずに居る自信は無かったのだ。
聡明な読者は、もう気付いてもらえている事だろう。
僕は冒頭で、「妻の淹れたお茶」と書いた。
そう、僕は「お茶」を飲んだ。
「紅茶」でなく、「お茶」を飲んだ。
もうわかってもらえただろう。僕は日本の緑茶を妻に入れてもらった。
――あんまり当てもののようにしていても面白くない。
答えを出してしまおう。
「しかし、リリーも女らしくなったな。言葉遣いから変えるなんて」
妻が優しく微笑みながら、窓の外に目をやる。
「流石に、二十五にもなって男口調は違和感があるでしょ?」
その通りだ。
少女と呼ばれていた時代は、中性的な口調も魅力でさえあったが、もう十分大人になってそれでは、とても万人には受け入れられない。
「それに、僕も男らしく見られたくてあんな口調だったんじゃない。その辺りは、ヴァンもわかっているでしょ?」
リリーは、今も尚一人称は「僕」のままだ。
それは、彼女の中でその言葉があまりにも一般的過ぎるからであり、女性の身である自分を隠しているのではない。
今までの口調もそれと同じで、男手一つで育てられ、幼少期より友達も居なかったリリーは、その言葉を一般的なものとして認識して生きざるを得なかった。
ただ、それだけの理由だ。
そして今、女性らしい口調と言うものも、十二分に理解出来ている。
それでも、今まで慣れ親しんだ一人称は、急にどうこう出来る様でもなかった。
「ああ……リリーは、常に可愛らしいしな」
……不味い、先輩の癖がうつったか?
ああ、そんな事を言っていると、妻が嫉妬をしてしまった様だ。
手がわなわなと震えている。
細い腕の先にある、申し訳程度に肉の付いた、小さな手が。
「おっと、ヴァン。僕はそろそろ、お暇しましょうか?夫婦水入らずを邪魔するのは、悪いよね」
その様子に気付いたリリーが、慌てて立ち上がる。
妻の性格的に、そこまで気にしなくても……
「別に良いよな?」
数拍の間。
相変わらず、天華は音速が遅い。
「私は良い……けど……」
「良いの?」と続いて聞こえた。
「ふふっ、ヴァン、まさか僕が許すとでも思っているのか?」
やはり、か。
「良いか?リリス、ヴァンは僕の夫なんだ。まさか君は、僕から彼を取ろうと言うのかい?」
始まってしまった。
相変わらず、仲が良いのか悪いのか……分かり難い姉妹だ。
双子はとことん仲が良いか、悪いかの両極端と聞くが……彼女達の場合、どちらでもある気がする。
「待て、何時から僕は君の夫になった?僕の妻は、天華だけだ。この国で一夫多妻が認められているとでも思っているのか?」
「冗談だ。ただ、今日の出来事を本に残すのだろう?ふふっ、読者の頭の中を引っ掻き回すのは楽しいな。ちゃんと、混乱してもらえる様な書き方をしてくれよ?」
絶対に嫌だ。
僕は、読者に喧嘩を売る筆者にはなりたくない。
「天華、やはり帰ってもらおうか。リリアにも、リリスにも」
危険分子は、排除するに限る。
「……お仕事の邪魔だね」
あ、天華の毒がそれとなく吐かれた。
すごく自然過ぎて、それが毒だと気付くのに時間を有したが。
「そうだ。……という訳で、出て行ってくれ。――いや、早急に出て行け。主にリリア」
「ふっ、妻を持った途端にこれか」
「早速亭主関白ね」
「日本より酷いな」
「さすがヴァン」
「鬼だ」
「悪魔ね」
「魔人だ」
「魔王ね」
「悪代官だな」
「アクタイオン様に失礼じゃない?」
「いや、悪代官と言うのはだな……」
永遠に続きそうな馬鹿な会話を遮る様に、机をばんと叩く。
よし、効果は高そうだ。
「出・て・け」
ちなみに結局、僕が直々に送り出す結果になってしまった。
天華は終始苦笑いだったが、随分と表情豊かになったものだ。
やはり、澄まし顔よりも、様々な表情を見せてくれている方が可愛い。
その後、僕は仕事をとっとと片付けてしまうと、早速今日の事を紙に認め始めた。
傍らでは天華が、可愛らしい小動物でも愛でる様な目を僕の手元に向けている。
冒頭部を書き始めた辺りで早速、天華の小さな笑い声が聞こえた。
同時に、満面の笑みが零れる。
僕はその笑顔を横目で見ながら、強い達成感を感じていた。
五年という時間を掛けて、彼女の七百年閉ざされた心を開いてやる事が出来た。
僕にそんな事が出来たのが、今でも信じられない。
いや、僕だから出来たのか?
ああ、辺りを読んだ彼女は、どんな顔をするのか。
きっと、赤面してしまうだろう。
あ、早速顔を伏せてしまった。
そんなに照れなくても良いのに。
あ、あの、天華さん?
あ、ごめんなさい。これ以上は書きま
こんな夫の文章ですが、これからも是非、お付き合い願います。
最終更新:2009年07月08日 22:13