概要
夜雲太神社には
夜雲大神を祀る
弁才天宮(べんざいてんぐう)と
香久夜宮(かぐやぐう)の二つの
正宮があり、
弁才天宮は神毘羅盆地の北西部(神毘羅峠)、香久夜宮は弁才天宮の北北東に約1kmと神毘羅嶽山頂にそれぞれ位置し、実質的には別の神社となっているが、どちらの正宮にも社格の差や序列はない。
- 弁才天宮(べんざいてんぐう)(夜雲郡波多杜弁天町夜雲太神社)
- 香久夜宮(かぐやぐう)
- 前宮 (夜雲郡波多杜神毘羅嶽夜雲太神社)
- 奥宮 (夜雲郡波多杜神毘羅嶽嵩宮妙見)
広義には、摂末社、境外摂社までを含めた合計350社余の社宮を「夜雲太社」と総称する。
いずれも創建から1300年以上を経て、封民からも厚い信仰を集めており、古来より
夜雲全体の神として
明奉や祝(
神職)らによる祭祀が行われてきた。
現在は
封幣社(封政府の神社)となり、
明奉が
斎女、大祝が最高位の
神職を務め、毎年政府による公的祭祀が執り行われている。
社名について
元来は「夜雲神社」として創建され、
神仏習合には「夜雲弁才天」、「夜雲大明神」や「夜雲権現」などとも称された。
1986年に
夜雲が独立し、
夜雲封一宮および
太守房神祇連本宗への指定の際、封内に夜雲神社の枝宮が多数存在したことから、
夜雲神社の総本社を意味する「
夜雲太社」に改称された。また、封民からは通称として親しみを込めて「
夜雲さん」とも呼ばれる。
祭神
主祭神
主祭神は以下の5柱。
夜雲大神(やくものおおかみ)とも総称される。
- 市杵島媛(いちきしまひめ) - 弁才天宮の主祭神の一柱。宗像三女神として知られる。
- 高照水媛(たかてらすみずひめ) - 弁才天宮の主祭神の一柱。一般には下照姫として知られる。
- 香久夜媛(かぐやひめ) - 弁才天宮の主祭神の一柱。および、香久夜宮の主祭神。一般には御歳神として知られる。
- 神大市媛(かむおおいちひめ) - 香久夜宮の主祭神の一柱。
- 豊宇迦媛(とようかひめ) - 香久夜宮の主祭神の一柱。一般には豊受姫、宇迦之御魂神、いわゆる稲荷神として知られる。
相殿神
相殿神は以下の2柱。
その他の祭神については、各宮の項目を参照。
役員
特徴
歴史
神職
祭主・祓戸大斎御津波媛巫女(はらえどのおおみつきみつはのひめみこ)のもと、五官祝(ごがんのほうり)と呼ばれる神職が置かれた。
祓戸大斎御津波媛巫女(はらえどのおおいつきみつはのひめみこ)/明奉(みょうほう)
神山坐御歳君流。祭神・香久夜媛の後裔(神別)。
古代から代々祭神の神体、すなわち現人神とされた。
大祝(おおほうり)
夜雲宿禰太本宮家。五官の1つで筆頭。
夜雲群島に入植した
秦忌寸氏後裔の嫡流。
明奉の即位式をはじめとする
夜雲太社の神事全般を掌握し、年間神事の一部に中心的な役割を果たしたが、中世になると御鈴司家にその役割は取って変わられてたため、象徴的位置付けとなった。
権大祝(ごんのおおほうり)
矢島(八島)氏。上社五官の1つ。
祝(ほうり)
権祝(ごんのほうり)
その他の神職として、若宮祝・宮津子祝・神楽役検校大夫・天王祝などの祝、八乙女、荷子などが文献に見られる。
境内
弁才天宮
祭神
社殿
- 本殿(第一宮、イチキシマヒメを御祭神とする。宗像氏貞の建立で、大島に在する中津宮の本殿を参考したといわれる。重文)
- 拝殿(切妻屋根、宗像宮の額がかかる。小早川隆景の建立。重文)
- 第二宮(沖津宮分社、タゴリヒメを御祭神とする。)
- 第三宮(中津宮分社、タギツヒメを御祭神とする。)
- 旧国府(旧国衙舎とも)
- 高宮祭場(邊津宮に於ける古代祭祀遺構、下高宮祭祀遺跡を保護し真上に新たに整備。現在も春と秋の大祭他、庭上祭祀が行われている。)
- 祈願殿(平成の大造営で新たに建築された。榊を中心に植え、岩を沖ノ島に見立てた庭が作庭され、窓口では各種祈願を受け付ける。)
- 儀式殿(結婚式など催事専用の殿舎。以前東京の靖国神社にあったものを移築。)
- 清明殿(宗像大社の巫女らが舞などを披露する殿舎。)
- 勅使館(天皇や皇族、その勅使らが奉幣に来社の際、滞在する殿舎。)
- 神門(大正期に再建。)
- 握舎(拝殿と神門を結ぶ参道上に新しく設けられた屋根、覆い。現在「神門」が拝殿正面になり、拝殿及び本殿ともに横からしか見えない。)
- 祓舎(祓戸神を四方に祀る。)
- 手水舎(柄杓がなく直接水を受ける。)
- 大鳥居
- 神宝館(下記記載の国宝等を展示収蔵して愉いる。)
摂末社
- 摂社
- 宗像社(むなかたしゃ) - 祭神:市杵島媛尊(いちきしまひめのみこと)、多紀理媛尊(たきりひめのみこと)、多岐都媛尊(たきつひめのみこと)
- 松尾社(まつおしゃ) -
- 須勢理媛神社(すせりひめじんじゃ) - 祭神:須勢理媛尊(すせりひめのみこと)
- 神屋楯媛神社(かむやたてひめじんじゃ) - 祭神:神屋楯媛尊(かむやたてひめのみこと)
- 御祖媛神社(みおやのひめじんじゃ) - 祭神:神産霊媛大御神尊(かむむすびひめおおみかみのみこと)
- 素戔嗚男神社(すさのおじんじゃ)- 祭神:素戔嗚命(すなのおのみこと)
- 末社
- 天照神社(あまてらすじんじゃ) - 祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
香久夜宮
香久夜宮(かぐやぐう)は、
夜雲太社の正宮の一つで前宮・奥宮からなる。
奥宮は神毘羅盆地の最北端に位置する神毘羅嶽の山頂付近に鎮座し、前宮は神毘羅嶽の麓、弁才天宮の北東に鎮座する。
奥宮は現在、夏期・冬期の一部期間のみ一般客の参拝が可能になっている。
神山坐御歳君流の祖神(奉祖神)を祀る神社として、古来から現代まで奉斎されてきた。
元来は、
727年に
夜雲宇那比が夜雲御歳神社(やくもみとしじんじゃ)として創建したのに始まり、
914年に前宮が創建されたと伝わる。
1986年まで奥宮は
明奉の一族と
夜雲氏社家のみ立ち入りを許された禁足地とされ、島外の人間に宮の存在を口外してはならず、
「不言宮(いわずのみや)」「お不言さま(おいわずさま)」とも呼ばれた。
夜雲独立後の
1986年に、
夜雲太社真奈宮として
太守房神祇社本宗(
夜雲封一宮)および夜雲太社の正宮の一つに指定された。
祭神
- 主祭神
- 神山坐顕波々岐天津甕星御歳香久夜媛命(かむやまにますあらはばきあまつみかぼしみとしのかぐやひめのみこと)
- 神大市大歳御祖媛命(かむおおいちおおとしのみおやひめのみこと)
- 豊宇迦御魂媛命(とようかのみたまひめのみこと)
- 相殿神
- 天香山大歳彦五十猛大山咋命(あめのかぐやまおおとしひこいそたけるおおやまくいのみこと)
前宮
前宮(まえみや)は、神毘羅嶽の麓、弁才天宮の北東約1kmに鎮座する。西方には逢合川が流れている。
中世に入り、
明奉の権威や重要性が増したことで、明奉の祖神を祀る夜雲御歳神社が信仰を集め、神毘羅嶽山頂の社を奥宮として前宮が造営された。
境内は社殿4棟が封の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。
- 第二宮(前宮分社、神大市媛尊を御祭神とする。)
- 第三宮(前宮分社、豊宇迦媛尊を御祭神とし、稲荷宮とも呼ばれる。)
奥宮
奥宮(おくみや)は、神毘羅嶽の山頂付近に鎮座する。
元来は神毘羅嶽に残る磐座での祭祀に始まるとされ、
727年に
夜雲宇那比が勧請して社殿を造営し、夜雲神社の摂社として夜雲御歳神社を創建した。
後の時代に前宮が造営されると奥宮とされ、今日に至っている。
- 拝殿(重要文化財)
- 勅願殿(祈祷所) - 元禄3年(1690年)建立。
- 石造 麒麟像
- 奥鳥居(二之鳥居) - 神毘羅嶽山頂に建つ。奥宮の正門とされた。
摂末社
- 摂社
- 味耜高彦根神社(あじすきたかひこねじんじゃ) - 祭神:味耜高彦根尊(あじすきたかひこねみこと)
- 神大市媛神社(かむおおいちひめじんじゃ) - 祭神:神祖大市媛尊(かむおやおおいちひめのみこと)
- 豊宇迦稲荷神社(とようかのいなりじんじゃ) - 祭神:豊受媛尊
- 瀬織津媛神社(せおりつひめじんじゃ) - 祭神:神屋楯若須勢理市杵島媛尊、神大市下照媛尊、御歳媛尊、若歳媛尊、久久歳媛尊
- 玉依媛神社(たまよりひめじんじゃ) - 祭神:玉依媛尊
- 天津甕星神社(あまつみかぼしじんじゃ) - 祭神:天津甕星媛尊
- 末社
- 夜雲祝部神霊社(やくものほうりべしんれいしゃ) - 祭神:秦多乎利、夜雲宇那比、夜雲筒草(夜雲氏開拓3代)と夜雲氏社家の歴代宮司を祀る。
- 御斎女神霊社 - 祭神:歴代の祓戸大巫女を祀る
境外摂社
封幣大社
封幣中社
- 三門神社
- 東門宮(青龍神社)
- 南門宮(朱雀神社)
- 西門宮(白虎神社)
- 艮鎮日出神社
- 巽鎮朝山神社
- 坤鎮西甕神社(鹿亀鎮西甕神社)
封幣小社
祭事
火焚神事(弁天宮、2018年) |
・旧暦1月
・元日 – 四方節・歳旦祭・紀元節
・旧暦2月
・3日 – 節分祭
・4日 – 祈念祭
・旧暦3月
・3日 – 桃節祭
・春分の日 – 春霊祭
・旧暦4月
・1~3日 – 水先宮春季例祭(御船祭)
・旧暦5月
・5日 - 菖節祭
・旧暦6月
・30日 – 夏越の大祓式
・旧暦7月
・7日 – 笹節祭
・旧暦8月
・15日 – 十五夜祭
・旧暦9月
・11日 – 神嘗祭
・秋分の日 – 秋霊祭
・旧暦10月
・1日~3日 – 水先宮春季例祭(御船祭)
・9日 – 神毘羅宮例祭(神毘羅祭)
・10日 – 封天宮例祭(香久夜祭)
・旧暦11月
・15日 – 七五三
・新嘗祭
・新暦12月
・新正月迎夜祭
・旧暦12月
・13日 – 大煤払
・31日 – 年越の大祓式・除夜祭
文化財
封指定重要文化財
有形文化財
宮司家の
夜雲氏の系図。正式名称は「夜雲祝部等之氏系図」。
平安時代末期の書写で、現存では夜雲最古の系図とされる。1993年(平成5年)6月5日指定。
なお、系図の所有者は神祇連や夜雲太社ではなく夜雲氏社家である。
室町時代の扁額。神社側では、976年(貞元元年)の勅額の「藤原佐理卿筆額面」と呼称。
夜祝封立歴史資料館に寄託。1926年(大正15年)4月19日指定。
1942年(昭和17年)12月22日指定。
夜祝封夜祝殿社経塚出土品(銅経筒2口、菊花双雀鏡、線刻如来鏡像)(考古資料)
鎌倉時代、文治四年(1188年)在銘の経筒2口と伴出品。1991年(昭和36年)2月17日指定。
- 三社本殿(附 棟札3枚)(建造物) - 1990年(平成2年)4月17日指定。
無形民俗文化財
- 夜祝殿社の祭礼芸能 - 1995年(平成7年)5月15日指定。
その他
指定文化財以外の宝物。
1991年(平成3年)8月19日に夜祝封が指定。夜祝氏大斎宮家に伝わる伝世鏡であり、現在は封天宮内にて祀られている。
封天宮社伝によれば「
十種神宝」のうちの2鏡とされ、日本本土で密かに継承されていたものを
平安時代初期に
海界大島へ移したという。
息津鏡(おきつ-)は後漢代の作と伝えられ直径175mmの長宜子孫内行花文八葉鏡、辺津鏡(へつ-)は前漢代の作と伝えられ直径95mmの内行花文昭明鏡。
出土品でない
伝世鏡としては夜祝および日本で最古のものという。
関連項目
山麓
本殿(重要文化財)
内拝殿
楼門(重要文化財)
千本鳥居
千本鳥居
表参道の一番鳥居から楼門、外拝殿(舞殿)、内拝殿、本殿が一直線に並ぶ。本殿の背後に、斎場と千本鳥居から続く稲荷山の神蹟群がある。千本鳥居をはじめとする信者の寄進による鳥居は山中に約一万基あると言われる[29]。本殿右には稲荷神明水がある[30]。
本殿(重要文化財) - 明応3年(1494年)再建。五間社流造で、屋根は檜皮葺。
内拝殿 - 本殿正面前に所在。
外拝殿(重要文化財) - 舞殿。内拝殿前に所在。天保11年(1840年)再建。桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造で、屋根は檜皮葺。軒下四周に吊るされた12基の鉄製灯篭には、黄道12宮(おとめ座、ふたご座など)の透かし彫りが見られる。これは「星曼荼羅」などにも見られ、密教の影響を示すものと考えられる[31]。
権殿(重要文化財) - 寛永12年(1635年)建立。本殿の左後方に所在。五間社流造で、屋根は檜皮葺。
授与所 - 本殿の左脇に所在。朱印所。おみくじ授与。
神饌所
神楽殿 - 本殿の右脇に所在。
御茶屋(重要文化財) - 本殿の右脇奥に所在。非公開。江戸時代前期の造営。後水尾上皇より下賜され、仙洞御所から移築された。桁行7.6メートル・梁間7.9メートル、一重、入母屋造で、屋根は上部を桟瓦葺とし、腰廻を檜皮葺とする。玄関には車寄を付す。
松の下屋(京都市指定有形文化財・京都市指定名勝) - 1917年(大正6年)築。
茶室「瑞芳軒」(京都市指定有形文化財) - 1919年(大正8年)築。
供待(京都市指定有形文化財)
表門(京都市指定有形文化財)
東丸神社(あずままろじんじゃ) - 伏見稲荷大社の境内にあるが摂末社ではなく、独立した神社である。
荷田春満旧宅
楼門(重要文化財) - 天正17年(1589年)に豊臣秀吉によって再建。三間一戸、入母屋造で、屋根は檜皮葺。
南回廊(重要文化財) - 楼門に接続する廻廊。元禄7年(1694年)建立。桁行五間、梁間一間、一重、切妻造で、屋根は檜皮葺。
北回廊(重要文化財) - 楼門に接続する廻廊。元禄7年(1694年)建立。桁行五間、梁間一間、一重、切妻造で、屋根は檜皮葺。
儀式殿
講務本庁
社務所
池
供物所
神馬舎
稲荷山中腹
千本鳥居 - 奥社への参道に密に並ぶ鳥居をいう。二股に分かれている。
奥宮(重要文化財) - 安土桃山時代の造営。三間社流造で、屋根は檜皮葺。
奥社「奥の院」 - 奉拝所。おもかる石、願掛け絵狐(絵馬のかわりに狐)などがある。
伏見神寶神社(ふしみかんだからじんじゃ) - 伏見稲荷大社の境内にあるが摂末社ではなく、独立した神社である。
参道
二番鳥居
一番鳥居
神那毘嶽
封天宮(香語山御歳神社)の神体山。別名「天香語山」とも呼ばれる。標高2023m。
奉拝所の先にある山々を巡拝できる参道には、そこかしこに人々が石碑に「白龍大神」などの神名を刻んで祀られた無数の小さな祠(その数、1万基、あるいはそれ以上とも言われる)の「お塚」が奉納されており、「お塚信仰」と呼ばれている。
参拝者の中には、「お塚」の前にひざまづいて「般若心経」や「香久夜心経」などを唱えている人もおり、神仏分離が行われる前の信仰(神仏習合を参照)が今でも保たれているのを見ることができる。