第五章 終わりを告げる非日常、これから始まる非日常


  1


密室で監禁なんていうとすさまじく嫌悪感を抱く者も多いかもしれない。
外には一歩も出れず、話し相手と言ったら同じ囚人、もしくは壁。
もはや体内時計さえ狂い、今自分が生きているのか死んでいるのかさえもわからなくなってくる。
そんな、地獄だ。

……形式といえばまさにその状況なのだが、今現在囚われの身である百城と嘉納は何故かそのような実感がわかなかった。

「――――というか、充実しすぎだろ。これ」

ボソリと百城は呟く。それもフカフカのベッドに横たわりながら。
それに頷きながら、嘉納もこれから先のチクリネタを考えていた。

「確かに……これは案外いいネタになるかもねえ。木原一派は案外穏健派!? レベル4にVIP待遇! なんて記事が……」

確かにこの部屋は外から鍵がかかっていて、一歩も外に出ることはできない。
だが、そのかわり二段ベッド、シャワールーム、洗濯機等々一般家庭に常備されてある電化製遺品が何から何まで取り揃えてあるのだ。
(テレビやラジオ、パソコンなど外部の状況を把握できるものを除いて)

「けど、食いもんだけがな……」

ビリっと、包装紙を破いて出てきたのはブロック状の携帯食料。
『カロリーメイク』とかいうコンビニでも普通に市販されているものだ。

「百城先輩。俺、さすがにチーズ味はもう飽きましたよ……」

それが幾重に重なるダンボールの中にぎっしりと詰め込まれているのだ。要はこれと水道水だけで食いつないでけというメッセージだった。

「……マシだろ。何も無いよりは」

重力を操ってカロリーメイクの一つを嘉納に投げつける百城。それはプカプカと宙に浮きながらゆっくりと嘉納の所へと向かう。

「ま、そうなんですけどね」

嘉納はそれを慣れた手つきでキャッチして、口へと放り込んだ。
嫌というほど味わったチーズの味が口いっぱいに広がる。
あの時から今日でおよそ何日が経過しただろうか。嘉納は壁に刻んだ『正』の文字を数えてみた。
正の文字は二つ。そして、あと一本の線で正になる文字が一つ。つまりあの日から数えるともう7月に入っていた。



『オズの魔法使い』という廃墟と化した屋内型のアミューズメントパーク。
そこに踏み込んでしまった嘉納が見たものは木原一派と一戦を交えている百城の姿だった。
木原の部下をほとんど全滅に近い状況に持って行きながらも、最後は不意打ちによって百城は気絶させられ、嘉納は逃げ出すも取り押さえられた。
あの時現れた木原一善という男。彼は出会い頭に百城と嘉納に機関銃をぶっ放すなど、完璧に殺しにかかってきていた。なのにこうして捉えた上で食事まで与え、生かし続ける理由が百城にはわからない。

「そして、この場所……」

壁には何やら実験の日時が記された用紙や、その時間のシフトなどが記されている。日付は今からおよそ三年前のもの。
木原一派はどこかの使われなくなった研究所をこうしてアジトとしてるようだった。

「今日でちょうど二週間かぁ。そんだけ休んでるのに風紀委員はなんとも思わないのか?」

嘉納の言葉に百城は表情を曇らせる。
確かにそうだ。
この時点でもう半月が過ぎようとしているのに、周りからの音沙汰が全くといっていいほどない。
それは未だ百城と嘉納の捜査に取り掛かっていないのか、それとも捜査には踏み切っているが未だにこの場所を掴めていないのか。

「ま、俺もお前もサボりの常習犯だったし、たかが半月休んだ程度じゃそんなに不審がられないのかもな」

「げっ……それは確かにありえますね……」

百城の言葉に後悔をする嘉納。こんなんなら普段からもっとしっかり登校しておくべきだったと。

窓の外にはシャッターが貼られており、完璧に日の光が刺さない。それなので今の時間が把握できる唯一の頼りは壁にかかったアナログ式の時計だけだった。
アナログ式の時計の悪い点は、例えば時針が一を差していたとしてもそれが午前一時なのか午後一時なのかわからない点にある。
普段なら外部からの光の刺激によって、そんなのは迷うことのない点だ。
しかし完璧に外部との空間が閉ざされたこの状況だと、もしかしたら体内時計が半日以上も狂っている可能性だってある。

「脱出とか考えてます?」

ベッドで寝転ぶ百城に嘉納は尋ねる。
百城はめんどくさそうに一回寝返りをうって、

「そりゃ、俺だって野郎と二人っきりでこんなとこになんていたくはねえが。重力を操るだけの能力と、能力を探知できる能力だけでどう脱出しろと? こんなんじゃ南京錠の掛かったドアすら壊せねえよ」

「……ですよね。それにこの部屋から出たとこで、この建物がどういう構造になってるのかもわからねえですし。無事外に出るのは無理そうですね」

初めから反論が返ってくるのがわかっていたように嘉納も同意する。
やはり今はこのまま助けがくるのを待つのが無難か、そう考えた時。

「なあ百城先輩」

「……ん? どうした」

「うちらの学園って読心能力者がいましたよね。確かレベル4の」

「ああ、いたなぁ。名前は薙波なんとかっていう。それがどうかしたのか?」

「前々から周囲の能力を探知してんですけど、毎回それに読心能力の反応が出るんですよね。だからもしかしたら―――」

嘉納が言い終わる前に、百城が言葉を重ねる。

「そいつもここに閉じ込められてるってわけか」

「まぁ、確証はないんですけどね」

だが、こんな所に閉じ込められていることを考えると、それは自分たちのようにヘマをした人間か、あるいは木原が故意的に狙った者しかいない。

「別になんとも思わないけどな、一人や二人この状況下の人間が増えたって」

大きくあくびをして百城は眠りにつく。
この閉ざされた空間の外では、あの風紀委員の少女はなにをしているのかを考えながら。


  2


風紀委員強化週間が施行されてから数えて今日は一九日目。つまりは三週目の金曜日にあたる。
今日はその中間報告も兼ねて一五九支部の者と協力中のレベル4は全員が会議室に集まっている。

「はぁ。ぶっちゃけ、気が重いぜ」

ロの字に設置された業務机の端で風紀委員の一人鉄枷束縛が憂鬱なため息を漏らす。
そう、今回の話し合う大きな目的は中間報告よりも、『影で集金が行われていた』という事実を告げることがメインだ。
それを聞いたレベル4は風紀委員の不甲斐なさに呆れ、非難の声を上げるだろう。悪ければ協力を取りやめる者もいるかもしれない。
それがわかっていながら、破輩はそれを伝える決心をした。その決意の重さを支部員全員も重く受け止めた。

「何言ってるのよ、それを報告するのは貴方じゃなくて妃里嶺よ? 貴方がそんなんじゃ妃里嶺が怒るわ」

「そうっすね……すいません」

鉄枷を冷静にたしなめる厳原。
だが彼女も口ではそういうものの、これから先巻き起こるであろう騒動に多少の憂いを感じていた。

(頑張って……妃里嶺)


今現在会議に出席している者は計一四名。
風紀委員から破輩妃里嶺、厳原記立、春咲桜、佐野馬派、鉄枷束縛、湖后腹真申、一厘鈴音。
レベル4から越前豪運、黒丹羽千責、御嶽獄離、山武智了、葛鍵真白、小日向黄昏、晩葉旭。
どちらからも七人ずつの選出だった。

「おいおいおいおいィィィ!! いつまで待たせんだァァァあ!? さっさと始めようぜぇ!!」

今か今かと待ち続ける晩葉が大きく声を上げる。隣にいた小日向はあまりの大声に鬱陶しそうな表情で耳を塞いでいた。
さすがに晩葉ほど主張は激しくないが、集められたレベル4達の意見はそれで満場一致のようで、誰もが今か今かと待ちわびている。
破輩は自分の席についた所で、ようやく口を開いた。

「……よし、じゃあ始めようか。これより風紀強化週間中間報告及びに“風紀委員からの重要連絡事項”を伝える」

その言葉でレベル4勢はザワザワとざわめき出す。
中間報告を行うことは事前に聞いていたが、別枠として風紀委員から連絡があることは聞いてなかったからだ。
何かあったのか、という少し不安げな面持ちの者や、ボーナスでもくれるってか? なんてのんきなことを言う者のも中にはいる。
破輩はそれでも落ち着き払った態度でそのまま進行していった。









「――――以上で俺からの報告は終了です」

湖后腹の報告が終了すると、これで全員からの中間報告が終わった。
風紀委員からはアヴェンジャーのことを、レベル4からは巡回中に起こったことを伝えた。
の神道の腕の負傷の件はスキルアウトに絡まれただけの事件と報告され、百城、嘉納、薙波の不登校が続く件はいつものサボりとして判断された。

「……では、私が捕まえた『アヴェンジャー』と名乗った男達はそう名乗れと命じられただけと?」

小日向が確認のため春咲の方へと視線を移す。春咲はピクリとも表情を変えずに、

「はい。警備員から聞いた話だと、『なんでもアヴェンジャーと名乗るだけで金をもらえる』とか言うことです」

「つまり、そこら辺の不良に『アヴェンジャー』を名乗らせることで、どれが本物かさえわからなくするっといった手法ですか」

小日向は悔しそうに小さな拳を強く握り締める。
だが、隣の黒丹羽はそれ以上に不機嫌な様子だった。

「どうかしたんですか? 黒丹羽先輩、顔色悪いですよ?」

隣の葛鍵が心配そうに尋ねるが、黒丹羽は少し笑って『何でもないよ』と言うだけだった。

「では手元の資料を確認してくれ」

破輩は室内の全員にそう促す。
机にはアヴェンジャーの住処から見つかった日記のコピー(あの靴の跡があるページ)が置いてあった。

「これがさっき言ってた。“手がかり”ってか? この足跡から何がわかるっていうんだよ、破輩?」

越前が呟き、周りもそれに同調する。

「見ての通り、これは風輪学園指定のローファーだ。サイズを測ってみたところ24~26の間ってとこだな」

「つまり、アヴェンジャーに風輪の生徒がいるってのがわかっただけか?」

「いや、それだけじゃない」

破輩はスクリーンに映しだした足跡の画像を拡大する。

「ここの右端に注目してほしい。ほれ、ここに傷の跡がついているだろ」

タン、と破輩の差した指先には確かに靴裏の模様ではない跡が残されていた。
これは注意してみなければわからないもので、そこまで目立つものではない。そんな所に気づくというのは余程の注意力あってのことだ。

「それで犯人が割り出せるのですか? まさかこの学園全員の靴の裏側を調べるんじゃ……」

葛鍵の質問には厳原が答えた。

「半分正解で半分不正解ね」

更に疑問は加速していく。すべて不正解だと思っていたというのに、半分の“正解”が含まれているのだ。
一体その半分はなにか?

「つまり……どういうことなんですか?」

山武も不思議そうに頷く。
するとキラリと厳原のメガネが光った。いかにもその言葉を待っていたかのように。

「――――つまり、調べるのはここにいるレベル4のだけで十分ってこと」

厳原の言葉に部屋全体が凍りついたかのように停止する。
ざわめきが起きだしたのはそれから数秒たった後だった。

「はぁァァァ!? 何いってんだオメエ!? 俺達の靴調べるってそりゃどういう意味だよ!?」

「今の言動には理解しかねます。どういうことか詳しく話してもらいましょうか」

隣同士の晩葉と小日向がほぼ同時に立ち上がり、抗議する。その意気の合い様は案外正反対に見えて似たもの同士なのかと思わせるぐらいだ。

「とりあえず席に着け、お前ら。説明ならしてやる」

破輩は取り乱さない。ただ冷静にそれだけを呟いた。
たったそれだけだというのに、二人は獅子に睨まれた草食動物のように黙りこんでそのまま席に座る。

(こっえ~~! 何今日の破輩先輩!? ぶっちゃけ超鬼レベルなんだけど!!)

(鉄枷君うるさいって……今ここで騒いだら次に行くのはお花畑なんて生易しいもんじゃないよ? 多分地獄の果てまで突き落とされると思う……)

(すっ、すみません春咲先輩!!)

辺りがシンとした所をひと通り見渡し、破輩は口を開く。
ここにいる全ての者がその一言を固唾を呑んで見守った。

「このレベル4の中に『アヴェンジャー』と繋がっている者がいる。ただそれだけだ」


  3


破輩の一言で状況はかなり混乱していた。

このレベル4の中に『アヴェンジャー』の内通者がいる?
ならなんでそれを早く言わなかった?
そもそもその根拠は何だ? 
俺じゃないぞ、もしかしてお前じゃ……
何言ってんの! ホントはあなたじゃないんですか!?

レベル4同士で疑心暗鬼に陥ったり、もっと詳細を求めて騒ぎたてる。
そんな光景を黒丹羽は覚めた瞳で見つめていた。内通者本人である黒丹羽千責が。

(ほんと、醜いよな……人間てのは、さ。
所詮形だけの友情というか、協力体制というか、たった一言ですぐに他人の蹴落とし合いが始まる)

風紀委員の者たちが必死で落ち着かせようとするが、なかなかその勢いは止まらない。
そんな時だった。
バン!! という衝撃とともに机が少し揺れる。黒丹羽はその衝撃が伝わってきた方を向くと、

「てめえら、いい加減静かにしろ!! そんなんじゃ破輩が話すに話せねぇじゃねぇか!!」

内通者のことではなく、今のこの状況に憤怒する第三位、越前豪運。
その目は血走っており、これ以上騒ぎ立てるのなら戦闘だって望むところだ、といった目をしている。

「越前……お前……」

「いいから話せよ。俺は別に靴だって調べさせてやっていい。だからこそ、正当な理由が欲しいんだ」

その言葉にコクンと頷き。破輩はまた語り始めた。

風紀委員と協力中のレベル4しか知らない巡回エリアがすべて『アヴェンジャー』側に漏れていたこと。
学園中の監視カメラは全てダミーの映像が流されており、目としてまったく機能していなかったこと。
そして、それらを利用し、『アヴェンジャー』は未だ学園内で堂々と集金を行なっていたこと。

それらの話聞くにつれて、レベル4達の顔は混乱ではなく、何か失望したかのような表情に変わっていく。
そう、そんなことに今まで気づかなかった風紀委員を軽蔑するかのような眼差しに。


「はぁ、ここまで来ると呆れるのを通り過ぎて、逆に何かさっぱりしました」

小日向が呆れる。

「流石にそれは気づくのが遅すぎます。もっと早くに気づく機会はあったでしょうに」

御嶽が毒づく。

「そ、そんな……誰かが傷つかないようにって頑張ってきたのに……無駄だったなんて」

山武が落ち込む。

「まだ、これで終わったわけじゃないでしょ? こんな時だからこそ協力しなくちゃ」

葛鍵が励ます。

「そうだ、葛鍵の言う通り。こんなんで落ち込んでちゃ始まんないぜ? 今できるのはこれ以上被害を増やさないためもっと巡回を強化するといったことだ」

越前がそれに同意する。

「……」

黒丹羽は何も語らなかった。
それは、自分が内通者だからというわけではなく、ただ単にこの状況に呆れ変えっていたから。
ここで何を言おうが所詮『集金』を許してしまったことには変わりがない。
つまりここにいる全員が黒丹羽からしたら“負け犬の集まり”でしかなかった。
その負け犬の中で交されるのが非難の声ならそれは愚かな共喰い。励ましの言葉ならそれは傷の舐め合い。
どちらにせよ惨めで見るに耐えない。

「……これでわかったか? 私達の情報が駄々漏れということが、この中に『アヴェンジャー』と関わりを持つものがいる何よりの証拠ってことを。だから靴を調べさせてもらう……いや、“させてもらった”」

何故か過去形に言い直した破輩。
黒丹羽はおや、と顔を見上げると。

「春咲ーー!! 頼まれてたもんしっかりと撮ってきたぜ!!」

バン! と、勢い良くドアが開く音が聞こえた。
部屋中の者が扉の方へと顔を向けると、そこには鮮やかな黄色の髪が特徴的な男が立っていた。
手には、何かがプリントされた写真を握っている。

「ありがと、土原くん」

土原という男から写真を受け取った春咲はそのままそれを破輩に回す。

「何ですか、それ」

山武が、一枚一枚受け渡された写真を吟味する破輩に尋ねる。

「ああ、これか……これはお前らの靴裏の写真だ。この会議中に玄関に閉まってある靴を撮らせてもらった」

レベル4達はまたしてもザワザワと騒ぎ立てる。いくら真相を解明するためとはいえ勝手に自分の靴を調べられたら誰しもいい思いはしないのは当然であり、人間らしい反応とも言える。

「ふざけんなよ!! それプライバシーの侵害っつか……なんつーか……とにかく!! 風紀委員としてそれはないだろ!」

その中でも一番声がでかい晩葉。
自分の感情を包み隠さず真っ直ぐ伝えるのがこの男の性らしく、憤怒一色で染め上げられた晩葉の表情には冷静さの欠片もなかった。

「おや番外さん? 急に焦り出しましたね? という事はあなたが犯人なんじゃないですか?」

そこに油を注ぐのが小日向黄昏。
もちろん彼女だって無断で靴を調べられたことには納得はいってないし、怒ってだっている。
だがそれ以上に先程から騒がしく喚き散らす晩葉に苛立っていたのだ。そもそもつい最近までレベル3だった晩葉がこの会議に参加していることにだって納得していない。

「なんだァァァ!? このなんちゃって優等生が! それに俺の名は“番外”じゃねえ!! “晩葉”だ!!」

「そんなことはわかってます。それより自分が犯人であること……否定しないんですね?」

「あアァァン!? んなこと否定する必要がねぇから言ってねぇだけだろ! それともなんだ? バレそうでヤバイから誰かを犯人に仕立てあげて逃げようって策かぁ!? ええぇぇぇ!!?」

再び論争が激しくなる。周囲もそれに感化されたかのように騒ぎ立て、鬩ぎ合う。

「破輩先輩! ぶっちゃけヤバイっすよ! このままじゃ、レベル4同士の戦争が勃発しますって!」

「もうすぐで全員分のチェックが終わる。結果は後数分でわかるんだ。好きなように騒がしとけ」

晩葉は拳をダイヤモンドで包み、机に叩きつけた。業務用の机は真っ二つには折れ曲がりはしなかったが、晩葉の拳が貫通し、ポッカリと穴が開く。
ひっ! と、それに反応し小さな悲鳴をあげたのは隣にいる小日向……ではなく、向かい側に座っている山武だった。

「そもそも最初からテメエは気に食わなかったんだよ……そんなにレベル4である期間が長けりゃいいってのか!? そんなに偉いのか!?」

机では物足りない、そんな危険なオーラを滲ませつつ、ゆらりと晩葉が立ち上がる。
隣にいる小日向をいつでも殴れるよう拳を握りながら。

「あなたはまずレベル云々の問題ではなく人間性からしてダメダメなんですよ。レベル4たる者、この生徒のお手本のような者ではなりません。あなたにはその自覚がまったくといっていいほど欠落してるようですね」

「テメェ……!! 人をバカにするのも……大概にしろおおぉォォォ!!」

プッツン と、晩葉の理性を抑えるためのか細いワイヤーが切れた。
天高くかざされたダイヤモンドの拳は小日向目掛けてまっすぐに振り払われる。
その状況に驚いたのは一厘、鉄枷、春咲、土原、山武のみ。その他の者はなんでもないかのようにただぼうっとしているだけだ。
――――今まさに、一人の少女が世界最高の硬度を誇る原石に頭をかち割られそうになっているというのに。

バギン!! と粉々に砕け散る音が室内に広がる。

「……呆れるほど、単純すぎる攻撃ですね。貴方本当に多細胞生物ですか? ホントは単細胞生物なんじゃないですか?」

晩葉が捉えたのは先程まで小日向が座っていた椅子。
当の本人はと言うと、晩葉のすぐ背後で欠伸をしながら悪態をついていた。

「このクソアマ! 舐めてんじゃねえぞ!!」

背後にいた小日向に裏拳を振る。
しかし、またしてもその拳は空を切り、小日向には当たらない。
まるでこちらの手が読まれてるかのように、一手先に動かれてしまうのだ。

「はぁはぁ……くそ……ヒョイヒョイ避けやがって……!!」

何度も何度も攻撃を回避され、晩葉は息切れをおこす。
一方。小日向は涼しい顔をして床に座り込む晩葉を見下していた。

「いくらやろうと結果は変わりません。貴方、オツムは無能力者レベルなんじゃないですか?」

小日向の能力は挙動予測《ルックアヘッド》。相手の生体電気を読み取ることにより次の行動パターンを把握できる能力だ。
もちろん読み取る対象が同じレベル4だろうと関係ない。
いくら晩葉が破壊力の高い攻撃を繰り出そうが、それら全てを小日向は避けることができてしまうのだ。
加えて一発一発を全力で放つ晩葉に引きかえ、小日向は最低限の動きでかわしている。
これではどちらが先にスタミナ切れを起こすかも一目瞭然だった。

「そのへんにしておけ。晩葉も、小日向も。能力には相性というものがあるから同じレベル4同士でも戦闘に差がつくことだってあるからな」

その間に割って入った来たのは、すべての靴裏の写真を調べ終えた破輩だった。
小日向はあくまで冷静な様子で頷き、席に戻る。
晩葉はしばらく黙ったまま床に座り込む。

「……さて、風紀委員も含め全員分の靴裏のチェックが終わった」

辺りは静まり返り、ガヤガヤと騒ぐものもいない。なんだかんだで不満は残るが、これで犯人がわかるのならばそれでもいいと判断したためであったからだ。

「この資料にあるように靴裏に傷をつけている者は――――」

全員が息を呑む。
もしこの中に内通者いると判明したとならば、その瞬間に取り押さえられるように身構えながら。

「誰もいなかった」

破輩は至極真面目な表情でそれだけをはっきりと言った。


  4


しばらく沈黙したまま、室内は静まり返る。
拍子抜けした者たちや、内心ほっとした者たち。そして困惑する風紀委員。

「ばっからし……」

晩葉はゆっくりと立ち上がり、そのまま部屋から出ていった。
大方、ここまで騒がしといて結局何にもなかったことに苛ついてのことだろう。

「結局、レベル4に内通者がいるという線は薄いようですね。情報の漏洩の原因はレベル4以外から漏れたと考えるべきではないでしょうか?」

葛鍵がもっともなことを言い、あたりもそれに同意した。

「そうだよ……! 今まで一緒にやってきた仲間じゃないか。その誰かに敵がいるなんて僕は思いたくない……」

山武は未だ疑いを解かない破輩を説得するようにそのような言葉を放つ。
だがそれも耳には入らないようで、破輩はまだ写真を疑り深く眺めていた。

「破輩先輩……今のところはそう判断するのが無難なところかと」

佐野の言葉で破輩はようやく考えるのを中断し、

「そう……だな」

まだ何かに引っかかってるかの様な様子で、歯切れの悪いまま頷く。

「んじゃ……これで終わりってことでいいよな? 俺はそろそろ用事があるから帰んなきゃいけねえしさ」

越前の一言で周りは現在の時刻を確認し始めた。

壁にかけてある時計の時針は午後六時を指し示している。
夏にはいったこともあり、ここ最近は日が暮れるのが遅い。まだ周囲はそこまで暗くなってないので、そんなに時間が経ってることに気づかなかったようだ。

「そうね……時間も時間だからここまでにしましょうか。みんな帰り道には気をつけて、ね」

破輩の代わりに厳原が承諾する。
その言葉で今まで張り詰めていた空気は一転し、緊張が解かれた様に騒がしくなる。


「は~~ぶっちゃけどうなるかと思ってヒヤヒヤしたぜ」

「本当、レベル4の人たちが内通者潰しの為にこんな狭い場所で暴れまわったら私達もただじゃすまなかっただろうし」

業務机にグデっと身体を置きながら、無事終わった事実に安堵する鉄枷と一厘。
出口に目をやるとレベル4達がぞろぞろと帰っていくのが窺えた。

「しかし……どういうことだ……? 私の予想ではあいつらの誰かに必ずついていてもおかしくはなかったのに……」

破輩は未だに日記に残された靴跡が誰のにも一致しなかったことが不思議でならなかった。
念のため見落としがないか資料と写真を見比べるが、やはりそれらしき点はない。

「妃里嶺、少し休んだらどう? 貴女ここ最近ろくに休んでないでしょ? そんな状態じゃわかることもわからなくなっちゃうわ」

そんな破輩を労うように厳原が買ってきたコーヒーを差し出した。
破輩はコーヒーに映る自分の顔を見てほんの少し微笑む。

「ホント……ひどい顔だな私」

憔悴しきった自分の顔はまるで断食修行でもしてる尼のようにひどくやつれていた。
髪は潤いを失いパサつき、眼の下には大きなクマ、更には眉間にシワまでもがよっていた。

「帰ったら妃里嶺の部屋に行くわ。今日はあなたのために私が料理を作っちゃうんだから」

それは頼もしいな、なんて言葉を返し破輩は再び資料との睨めっこを開始する。



「おう! 春咲! 最近調子はどうだ?」

今日、風紀委員の手伝いとして駆けつけてきてくれた土原は、いつものにこやかな様子で話しかけてきた。
春咲も最近会えてなかった友人との再開を少し喜びながら、照れかゆそうに答える。

「うん。最近はいろいろあったけど、元気だよ」

「おお! そうかそうか! じゃあ俺も心配事がひとつ消えてよかったわ! 最後にお前にあった時の顔と言ったらもう……ありゃ人間じゃなくて死人だったからな死人!」

「それ……何気に失礼じゃない?」

「仕方ねーだろ、ホントのことなんだから! ……けど、今のお前は前とは比べ物にならないほどキラキラしてんな。うん」

春咲はムッとした顔を緩め、ニッコリと笑う。

「そう言ってくれると嬉しいかな……でも、土原君はあんまり前と変わらないね」

「まぁ、変わらないことが俺の良さだからな!」

……呑気なことを言うが、この少年はまだ父親のことを引きずっている。
そう春咲は直感した。

春咲が聞いたところでは、この少年の本名は風輪来《ふうりんらい》。
土原という苗字はこの少年が自分で勝手につけただけの仮初の苗字。
なぜそんなことをする必要があるかといえば、苗字から分かる通りこの少年はここの校長の息子なのだ。
息子といっても幼い頃からそこまで面識はなく、今はほぼ勘当状態に近い。
なんでも『親父の人を見下すような視線が大嫌いだった』とのことで、意図的に今まで避けてきたらしい。
だから自分の忌み嫌う父親の苗字を本人は疎ましく思い、仮初の苗字を名乗っているのだ。

「けど、人はいつか変わらないといけないよ? 不変っていうのは進歩がないってことだから……」

けど、そのままでいいのか?
嫌だからと避け。怖いからといい逃げ。わからないからといい理解を拒む。
そんなままで本当にこの少年はいいのかだろうか。

土原はその言葉に不機嫌そうな顔を示し、

「それは、俺と親父の事を言ってんのか? ……春咲には関係ないことだろ、俺だってお前の家庭事情には深く干渉しなかったんだから、余計な気遣いはしないでくれ」

「でもさ……土原君のお父さんは彼一人だけでしょ? 人生でたった一人しかいない父親を蔑《ないがし》ろにしていいのかな……?」

「ああもう! うるさいな! 本人がそう言ってんだからいいんだよ! それに親父だって俺のことなんてどうでもいいと思ってる! ほらお互いどちらも困ってない! これで完璧だろ!?」

春咲の言葉を振り払って、土原は部屋から去っていった。
その背中はどこか寂しそうにも見えた。


  5


レベル4達が帰る中、黒丹羽だけは寮の方へは向かわなかった。
近くの喫茶店で一時間ばかし時間を潰し、ある場所へと向かう。
彼が行くべき場所は木原一善のいる場所だった。
普段は木原一派としてそこら辺の廃ビルや廃工場などを転々としているが、一善はそれとは別に自分だけの隠れ家を持っている。
それはこの学校内では黒丹羽しか知らない場所であり、その黒丹羽自身も今まで行ったことのない場所だった。

「くそが……ふざけやがって……」

悪態をつく黒丹羽の表情は怒りが見え隠れし、普段の冷静さが欠いていた。
その理由には2つある。
まずは木原の勝手な単独行動。今日の会議で話しのあった風輪学園のレベル4の一部の疾走。それは間違いなく、木原が関わっていると黒丹羽は確信していた。
そしてもう一つが『アヴェンジャー』という名をそこいらのゴロツキにまで名乗らせたこと。黒丹羽にしてはこっちのほうが相当頭にきている。
『アヴェンジャー』とは、彼にとって枷であり、自分を戒めるもの。
彼が『アヴェンジャー』という名を奪い取るにはどれだけの決意があったかなんて一善はまったく気にしていないのだ。
一善がいるはずの場所までつくと、黒丹羽はドアノブを引く。だが、やはり鍵がかかってるらしく、開く気配は一向になかった。
チッ、と小さく舌打ちをする黒丹羽。
こんなドア『状態変化』で破壊してやろうかなんて思考が脳裏をかすめるが、後始末を考えるとめんどくさそうなのでやめておいた。
仕方なしに携帯電話を取り出し、一善へと電話をかける。
ここに来る途中に何度も電話をかけたが、繋がらなかったので出ることに期待はしていない。
ただ単に最後の賭けとでも言ったところか。

『はい、こちら木原ーー』

予想外のことに一善は電話に出た。それも、何か機嫌がいいのか陽気な声で笑いながら。

「俺が言いたいことはわかってんだろ? 木原、テメエどういうつもりだ……?」

黒丹羽の声はただひたすらに暗い。ボソボソと紡ぎだす声は闇に振動して不協和音を奏でる。

『あーー、今日の会議で色々とバレちまってたっつーことか。把握把握』

バギン! ドン! と電話の奥で肉を叩くような物騒な物音が聞こえてくる。
またどっかの無能力者をリンチにでもしているのだろうか。

『別に俺のしたことは至って普通だぜ? これから先、風紀委員《バカども》を出し抜くため、使えねークズどもにアヴェンジャーを名乗らせ、邪魔になりそうなレベル4を潰しただけだ。ほら何もおかしいことはねーだろ?』

「……やっぱりレベル4の三人を潰したのはお前だったか……その三人は今どうしてんだ?」

『んーーあいつらの処理は中円に押し付けたからな。殺してもいいとは言ったが、どうせアイツのことだから生かして監禁でもしてんだろーョ』

ああそれと、と一善は付け加えて。

『今、丁度四人目が出来上がったわ。女っつーのはホント脆いよなぁ、なんせ五分間全身殴打し続けただけでコロッと意識が飛んじまうんだからョ』

黒丹羽は一善が言った意味を瞬時に把握した。
つまりはつい数時間前に共に会議に参加したレベル4が電話相手のこの男によって潰されたのだ。
黒丹羽は呆れたように『それは誰か』と問う。
対する一善はまるで遊び終えた無邪気な子供のようにはしゃぎながら答えた。

『ああ、なんだっけな、たしかこいつの名前は――――』


  6


「ごめんなさいね。リンちゃんまで私の買い物に付きあわせちゃって」

「いえ、大丈夫です。バスの時間までまだ少し時間がありますし、私も破輩先輩に元気になってもらいたいですしね」

第五学区のスーパーマーケットで厳原は今晩、破輩に振る舞うための料理の買い出しにきていた。一厘はその買い物の付き添いといったところ。
夕暮れ時ともなると、流石に混みあうようで、店の中は大変混雑していた。やはりは学生が多く、食品売り場には様々な制服を着た者たちが見受けられる。

「破輩は先に寮に帰させておいたから、今頃腹ペコ状態で待ちわびてるでしょうね」

フフと笑みをこぼす厳原。

「ホント、厳原先輩は破輩先輩のこと好きなんですね」

ギイギイと買い物用のカートを押す一厘も釣られて微笑む。
カートの中には料理の材料が次々と放り込まれていき、三十分も立たずしてカートは満帆になっていた。

「そうね……私は妃里嶺に助けられたこともあるから、今はその恩返しってところかしら?」

「恩返し……ですか?」

「そ、恩返し。それに私は妃里嶺に一人の少女として幸せになってほしいの。レベル4だとか、風紀委員なんかとしてではなくね」

ひと通り買うものが決まって、レジで並ぶ一厘と厳原。
せわしなくバーコードを読み取る音が四方八方から聞こえて、一つのメロディーを形成する。

「私にもいますよ、そういう人」

精算を終え、レジ袋に一つ一つ食材を詰め込みながら一厘はそう言った。

「月並みな話なんですけどね。私、小学校の頃よく泣き虫って言われていじめられてたんですよ」

過去のことを語る一厘はどこか照れ恥ずかしそうに頬を掻いて、

「そんな時、一人の少女が声を掛けてきてくれたんです。『泣きたければ泣けばいいんだ』って、『悲しさは堪えることじゃなく、吐き出すことだ』って」

そんな一厘に厳原は優しく微笑みかける。

「私もそう思うわ。女の子にポーカフェイスなんて似合わない。子供の頃は内に溜め込まず、近くにいる誰かに思う存分甘えればいいと思う。……もちろん大人になれば時には我慢も必要だけどね?」

レジ袋を抱えた二人はそのスーパーマーケットを後にした。
外はコンクリから出される熱でほのかに蒸し暑い。

「それじゃあ、頑張ってくださいね! 破輩先輩も多分心待ちにしていると思いますよ!」

「そうね。リンちゃんも、ちゃんと門限は守るのよ?」

厳原はそこで一厘と別れた。何度も何度も振り返っては手を振る一厘の姿を見て思わずクスリとしてしまう。
そして――――遠ざかる一厘の姿は何故か永遠の別れさえも感じさせた。

「さて、と……急いで帰ってご飯の支度しなくっちゃね」

自分に活を入れ、厳原は寮へと向かおうとする。


だが。


ふとした拍子に、彼女は透視能力《クレアボヤンス》を使って見てしまった。
すぐ先の建物で裏で襲われてる一人の少年を。

「――――ッ!」

考えるよりも先に体が動く。
両手に持ったレジ袋をかなぐり捨てて、全速力でその場へ向かって走り出す。
今現在襲われてるのは風輪学園の制服を着た少年。だったら、そこで行われてるのは、まさしく『アヴェンジャー』による暴行だった。

「風紀委員《ジャッジメント》よ!! 今すぐにその子から離れなさい!」

ようやくその場へとたどり着いた厳原は、急いで取り付けた腕章を『アヴェンジャー』と思われる男につきつける。

「……あぁ?」

スカジャンを羽織ったその男は厳原の方へとゆっくり振り返った。
街灯から差す光がゆっくりとその相貌をあばいていく。

まるで獰猛な野獣の瞳。口は狂気の笑みでひん曲がっており、茶髪のコーンロウがその奇怪さを際立たせていた。


「なんだョ、お前。人がせっかく趣味を満喫してるってのに」

食事の邪魔をされた肉食動物のごとくギラリと男の双眼がこちらを覗く。

「貴方は……木原一善!」

木原一善。
風輪学園の危険人物の一人として認識されている人物であり、これまでも数々の悪行を繰り返してきたとされる人物。風紀強化週間では『アヴェンジャー』との関わりも懸念されていたが、学校自体にほぼ登校してこないので探り様がなかった。

「やっぱり貴方だったのね……『アヴェンジャー』の正体は」

一善は自分の足元で呻き声を上げる少年を

「ああ、だからどうした?」

ドズッ!! と、思い切り蹴りあげて厳原の元へふっ飛ばした。
肉がコンクリに叩きつけられる音が連続して聞こえる。少年はバウンドを繰り返しながら厳原の足元でようやく止まった。

「なんてことを……」

その少年の惨状を見て厳原は下唇を噛み締める。
少年の顔面は原型を留めないほどに膨れ上がり、鼻はあらぬ方向に曲がっていた。

「あぁ……やっぱゴミを処理したって何のストレス発散にもなんねえや……」

一善は巻き上げた財布をつまらなさそうにポッケに突っ込む。

「こんなことをしてただで済むと思ってるの!? 今から貴方を拘束します!」

「へぇ……俺を捕まえるってか? それは無理な話じゃねぇか」

だってョ、と一善は呟き。

「俺がテメェを返り討ちにあわせちまうからさぁぁ!!!」

ダンッ!! という、地面を蹴り飛ばす音が幕開けの合図となった。
先程までノラリクラリとしていた一善の動きがありえない速度へと切り替わり、厳原に向かう。

「――――早いッ……!」

一善の人間離れした運動能力。
そのスピードはアスリートの様な自然の速さではなく、まるで自動車のパワーをそのまま人間にトレースしたかのような不自然な速さだった。

「ヒャハ……」

口からは人間とは思えない奇声が漏れた。
瞬間。
右の拳が厳原の胴体目掛けてまっすぐに振り払われる。

「――――ツッ!」

厳原はとっさの判断で両腕を前に掲げガードを試みる。案の定一善の拳は予想通りの軌跡を描き、防いだ腕にヒットした。
これで胴体に直撃するよりかはいくらかダメージは軽減された――――




わけではなかった。



「……っぎ! っがあぁァァァァァ!!!」

痛い。

厳原の脳が、その二文字に占拠される。
しかも、その痛みは常人の拳を腕で受け止めたものとはまったく比にならない。
例えて言うのならばそれはトンカチ。
左腕に思いっきりトンカチを叩きつけられ骨を砕かれたかのような痛みだった。
実際に厳原の左腕はブランと垂れ下がり、肘から下がまったく動かない。

「おいおい。ちょっと本気出しただけでこれかョ、メガネ女? そんなんじゃ余興にもなんねえなぁ」

一善は厳原の左腕を砕いた右腕の袖をまくる。
そこに現れたのは鋼鉄でできた義手だった。

「貴方……それ……!」

「かかかっ。そういや言ってなかったな、俺の身体は五割以上がサイボーグ化してんだョ。だから貧弱な人間ごとき潰すのはわけねえってこと」


ブンッ! と一善の右足が弧を描き、厳原の脇腹へと直撃する。足は義足ではないせいか先程よりもダメージは軽い。
だが、やはり人間離れした速度の蹴りは肉眼では見きれなかった。
ノーバウンドで何メートルもふっとばされた厳原は、

「ガッ……ゲホッゲホッ」

うつぶせに倒れこみ、咳とともに血を吐き出した。トマトジュースをそのまま吐き出したかのような量が地面に染み渡り、小さな血の湖を形成する。

「そう言えばテメエもレベル4の一人なんだっけか? んじゃ早く能力を使って俺を圧倒してみろョ。ええっ!?」

一善は仰向けにした厳原に馬乗りになり、そこから両手で全身を殴打する。
一回殴る度に、小刻みに悲鳴を上げる厳原。
だが、それを五十回も続けると、悲鳴すら聞こえなくなってきた。

「チッ、そういやこいつの能力は透視能力《クレアボヤンス》だったか。そんなんじゃ大して戦闘には使えねし、少し戦闘訓練を積んだ一般人と変わりゃあしねえか」

殴り続ける一善はそこで自分の携帯が鳴っていることに気づく。

「はっ……黒丹羽の野郎か。どうせ俺のしたことにケチをつけてくんだろーな」

片手で厳原を殴り続け、もう片手で携帯を取る。

「はい、こちら木原ーー」


 7


時刻は七時四十五分。
さすがにこの時間にもなると、辺りは暗くなり始めていて、周りを支配する音はセミの鳴き声から、鈴虫やみみずくの鳴き声に変わる。

「は~~、もうこんな時間か……まさかこんなに時間が掛かるとは思はなかったな……」

そんな中、夜の舗道を一人歩く少女がいた。名を白高城天理。
彼女は先日怪我をした野良猫を動物病院から回収するため、わざわざ第五学区の末端までこうして足を運んできたのである。
彼女の抱えるかごの中で、黒猫はもの寂しそうにミーと鳴く。

「どうしたの黒にゃん? お腹すいたの? でも、ちょっとまっててね。私まだ寄らないといけないところがあるから」

鳴き止まない黒猫をなだめながらも白高城は歩く。この先に続く場所はある者と待ち合わせ場所だ。

しばらく歩いた所で、取り壊し予定の研究所についた。
ここが木原一派の一番のアジト。
取り壊し予定と形ではなっているが、未だ電気は通っており室内の設備も良い。寮に帰らないものはここで寝泊まりをするくらいだ。

「それで、聞きたいことってなんだ?」

そこの入口前でウロウロしていると、不意にそんな言葉が飛んできた。
白高城は声の主を探し当てると、

「あ! 中丸ちゃん! よかった来てくれたんだ」

その者へと駆け足で近づいていく。
かごが揺れるのが不快なのか黒猫はまたそこでミーと鳴いた。

「あのね。それで聞きたいことっていうのは木原が捉えたレベル4のことなんだけど……」

「ほんと、お前はそういうこと一々気にするよな。あいつらは俺達の敵だっつ―のに」

「いいから答えて! そいつらはまだ生きてるんだよね? 木原に命じられたまま、殺してなんかないよね!?」

ものすごい剣幕で中丸に迫る白高城。
その表情は今にも泣き出しそうで、瞳に大粒の涙を溜め込んでいた。

「……殺してもいい、とは言われた。けど俺にそんな度胸はない、だから今は一室に閉じ込めてる」

急に涙目になる白高城に困惑しながらも、ぶっきらぼうにそれだけを告げる。
すると、白高城は涙を拭って、地面に膝をついた。

「よかった……本当によかった……」

「なんでそんなにレベル4に肩入れしてんだよ。知り合いでもいたのか?」

「うん……」

素直な返事に中丸はギョッとする。
それならばこの女はいつレベル4側の人間、つまりは自分たちの敵に回りこむかも分からないのだ。

「お前は、そいつらを連れ出すためにここに来たっていうのか?」

ギュッと拳を握り、中丸は臨戦態勢に入る。

「ううん……ただ無事を確認したかっただけ。欲を言えば会って少し話をしたかったけどね」

その言葉に嘘偽りは無く、今の状況にただ安堵してる様子が窺えた。
中丸は「はぁ…」とため息をついて、

「俺たちはアヴェンジャーの一員なんだぞ? そんなに甘かったらこれから先やりづらくなるだけだろ」

「中丸ちゃんだってそうでしょ。甘かったら保護なんてした、残虐になれなかったからその判断を先延ばしにした」

それを言われたら何も返せないのが事実。
白高城の言う通り、中丸も同じ甘ちゃんであったのだ。
全くもって図星な中丸は小さく舌打ちをして、

「入れよ」

「えっ?」

「お前が言うことが本当かどうか怪しいから、監視の意味も含めて今日はここに泊まれ……それに、レベル4と話すことぐらいなら許可してやる」

まさか自分の願望がここまであっさり通るとは思っていなかった白高城は、中丸の申し入れに目を点にした。

「そ、それは嬉しいけど……私着替えとか持ってきてないし……」

「女物の服ならいくらか用意してある」

白高城はその言葉に疑問を覚える。
それはなぜ男の集まりである木原一派に女物の服が置いてあるのか、ということだ。
それを中丸に尋ねると、何やら少しあたふたしながら

「そ……それはほら! 俺達が今捕えてるレベル4の16位は女だろ!? 流石に毎日同じ服を着せるのは男として心苦しいからさ! 多めに用意しておいたんだよ!」

「ふーん。中丸ちゃんて案外紳士な所があるのね。見直しちゃった」

「ま、まぁな……」

中丸は背筋に嫌な汗が伝う。
もちろんさっき言ったことは嘘だ。
本当はその服は自分が女装する為に買いだめしておいたものだ、なんて言えるわけがなかった。

「でも、どうせ寝るとこなんて床の上でしょ? 堅いのはちょっと……」

「使われてない仮眠室だってある。というかお前は結局どうしたいんだよ」

煮え切らない白高城に苛立ちながら中丸が結論の催促を迫る。
すると、

「あーーもう! 泊まればいいんでしょ泊まれば。わかったわよ! 泊まってあげるわよ!」

何か吹っ切れた白高城は中丸を置いてズンズンと入り口に向かっていく。
猫はかごに入れたまま地面に置いてかれてしまった。

「わけわかんねえ……とにかく、木原さんには黙っとけよ。怒られんのは俺なんだからな」

仕方なく中丸はその猫をカゴごと抱え白高城を追う。
――――すぐ後方で、自分たちの様子を窺っていた人物にも気づかぬまま。


  8


「嘘、でしょ……?」

今までの様子を物陰から窺っていた一厘は顔を強張らせ、その場にヘナヘナと腰を下ろす。
一厘は聞いてしまった。
元研究所の入口で話す白高城ともう一人の少年の会話を。
その会話のほとんどが雑音に遮られ、断片的にしか聞き取れなかった。
が、たった一言、そして一番重要な一言が聞こえてきてしまった。
それは白高城と話していた少年の一言。

『俺たちはアヴェンジャーの一員なんだぞ?』

この言葉がまるで鼓膜に焼き付けられたかのように耳から離れない。
厳原と別れた後、偶然見かけた白高城の後をつけてきた結果がこのザマだ。

「そんな……こと……」

嘘だ、と何度も何度も心で強く念じた。
今まで会いたくて会いたくて仕方なかった幼なじみが、自分たちの敵である『アヴェンジャー』だなんて嘘に決まってる。
そうだ、そんなことがあってたまるか。
砂利が敷かれている地面を一厘は思い切り叩いた。

「何でよ……なんで……!!」

何回も地面を叩き、両手は血で濡れる。
しかし手を濡らすのは血だけではなかった。

「グスッ……グスン……。こんな事って……あるわけないよ……」

頬を伝う涙が、両手の甲を濡らしていたのだ。



『ホント、一厘ちゃんて泣き虫だよね。貴方の涙腺何で出来てるのか聞きたいくらい。
……でもさ、泣きたい時は泣けばいいんじゃないかな? 悲しみは堪えるものじゃなくて吐き出すものだからさ』



幼い頃、白高城自身が自分に言ってくれたことを思い出す。

一厘はヨロヨロと立ち上がって、逃げるようにその場から立ち去った。
その現実から目を離そうと、涙でにじむ視界を何度もこする――――しかし何も変わらない。
悪い夢なら覚めてくれと言わんばかりに走りだす――――しかし何も得られない。


結局、一厘はどういう道のりでここまできたかはわからないまま、気がつくと呆然と常盤台の寮の前に立ち尽くしていた。
時刻は門限ぎりぎりの八時二十八分。
フラフラとした足取りで自分の部屋へと向かう途中、知り合い達が挨拶をしてきてくれる。
が、一厘はそれに応えれるほどの余裕はない。
今はゼンマイ仕掛けの人形のように、ただ足をすすめるだけしかできないのだから。

部屋につくと、明かりも付けぬままベッドの中に潜り込んだ。ルームメイトはまだ食事をとっているのか、戻ってくる気配はない。
こんな姿を見せて、いたずらに心配させるわけにもいかないので、むしろ誰も居ないのは好都合だった。

「私は……どうすればいいの?」

布団の中でポツリと呟いた。
今にも消えてしまいそうに弱々しい声は、ただ自分の耳だけに反響する。

もっと泣きたい。泣きたくてたまらない。この悲しみをもっともっと吐き出したい。

だが、それでどうなる?

このまま泣き寝入りした所で何がある?
何が変わるというのだ。

今、自分がしなきゃいけないことは、この現実に向き合うことただ一つだけ。
実際に彼女と会って詳しい話を聞かないうちに全てを諦めるには早すぎる。

(そうだよ……白高城ちゃんに何か事情があるんだよ……ほら、脅されたりとかしてさ。
 明日会いに行こう、そして聞かなきゃ。アヴェンジャーには無理矢理入れさせられたんでしょ……って。返事は絶対“うん”しかないよね)

そう決心したと同時に、睡魔が彼女に振りかかる。一厘はいつの間にか眠ってしまっていた。

放り投げたカバンから携帯がけたたましく鳴る。
もちろん眠りについた一厘がそれには出ることはなかった。


  9


パチリと目が覚めた。
寝ぼけ眼で辺りを見渡すと、部屋の明かりは消えており、近くで嘉納のいびきが聞こえてくる。

「んあ……寝過ぎた」

百城は大きく欠伸をしてベッドから降りた。
やはり、こう閉め切られた空間で何日も監禁されると、寝るぐらいしかやることがなくなり、半日以上眠り続けることが当然のようになる。
そのため目覚めたあとに待ってるのは、半日待たされ続けた尿意か、空腹感。

「……渇いたな、喉が」

なので百城はまずは水分を取るため冷蔵庫に向かおうとする。
だが、そこでピクリと動きを止めた。

「……!」

“何かが”いる。
完璧に閉じられた扉の前で何かがこっちをじっと伺っていたのだ。
暗闇の中で、二つの青い玉のようなものが光っている。


「誰だ? お前は」

百城の問いに二つの青い玉はこう答えた。


ニャーー


と。

「……なんだ、猫か」

どこかで聞いたことのあるセリフを述べ、百城は冷蔵庫で冷やしておいたミネラルウォーターを取り出した。
冷蔵庫から漏れる光でなんとかコップを探し当てると、それにトクトクと注ぐ。

「はぁ……味気ねえ……」

一杯口に含み、喉の渇きを癒す。
すると、寝ぼけていた頭も次第に冴えてきて、

「……つーか、なんで猫がいんだよ、ここに」

ようやく低リアクションながらその異常に気づいた。
明かりをつけ、ドアの前を確認する。

そこには、やはり猫がいた。
ふさふさとした黒い毛にところどころ金の毛が交じり合っている。その間隔はほぼ均等なもので、天然で生まれてくるはずがない毛並みだった。
おそらく、この学園都市の科学技術により遺伝子操作をされ恣意的に生み出された個体なのだろう。

その猫の隣にはドライフードが入った皿が置かれている。
ここでこの猫を養えとでも言うのだろうか。

「ようやく起きたの? 起きるの遅いっつーの!」

そのタイミングを見計らったようにして、ドアの外から少女の声が聞こえてくる。
それは随分と聞き覚えのある声。

「冷やかしにでも来たのか、白高城」

足に擦り寄ってくる黒猫を軽くいなし、百城は文句ありげに呟いた。

「テヘッ? バレた?」

「バレた? じゃねよ……つか、なんだよこの猫は」

「何って、黒にゃんだよ。可愛いでしょ」

ドア越しで話しているため白高城の表情は窺い知れないが、今の表情を想像すると百城はもの凄くブン殴りたくなった。

「んなこと聞いてねえ。なんで猫をここにいれたかってことだよ、俺が言ってるのは」

イライラしつつ百城はドアに向かってぼやくと、「その子を守って欲しいから」という答えが帰ってきた。
何を思って白高城がそんなことを言ったのか百城にはわからない。
だが、一つだけわかること。

「お前、後悔してるな」



「えっ?」

「ここの……『アヴェンジャー』だっけか……そんなもんに入ってお前は後悔してる。違うか?」

「馬鹿言わないでよ……私は楽しかったわ、身の程も知らない無能力者どもをいたぶるのは」

百城は、かまって欲しいと言わんばかりに自分の足に飛びかかってくる黒猫を掴むと、

「一厘がこの学園に来るまでは……か?」

ポイと後方へ放り投げた。
無重力状態にされてで放り投げられた黒猫はミャーミャーと鳴きながら宙を浮く。

「……ッ!!」

白高城の言葉を詰まらせている様子がドア越しにヒシヒシと伝わってくる。
だが、百城は容赦なしに続けた。

「図星ってとこか、その様子だと」

「そんなこと……ない!」

「夢っつーのはほっといても覚めるもんだ。覚めた後に待ってるのは後悔が多い。お前の場合も、そうだったみたいだな」

「!!」

自分は優れている。
白高城はそんな夢を『アヴェンジャー』として格下の者を潰すことで見続けてきたのだろう。
だが、気がつけばそれはただの弱い者いじめでしか無い。自分が上に上がったわけでもなければ、成長したわけでもなかった。

「うる、さい……!」

堕ちるとこまで堕ちた自分と、今もなお風紀委員として頑張っている一厘。
これらを比較した時、白高城が感じるものは優越感なんてものではなく、ただの自己嫌悪だった。

「だけど、安心しろ。お前よりも馬鹿はいるよ。
ここまで変わっちまったお前を“小学校の時と何一つ変わっていない”……なんて、浅はかなで、綺麗なままの夢を見続けている大馬鹿《一厘》がな」

二人の間にはドアが一枚。
たった一枚だけだというのに、何故かとてつもなく離れている気がする。
その差はお互いの境遇からくるものなのか、それとも考えの違いからくるものなのか。

「もう……やめてよ。これ以上あの子の話はしないで……!」

「……」

「私が貴方とあの子のせいで……今までどれだけ苦しんできたかわかる!? 知り合い二人がドンドンと自分から遠ざかっていく気持ちがわかる!? 何で私だけいつもこんななの!? どうして私の努力は報われないの!? 何であの子は……私の気持ちもわかろうとせず、自分だけの考えを押し付けてくるのよッ!!」

つらつらと思いのままをぶちまける白高城に、いつもの余裕さはない。
この少女は絶えず自分の上に立つものに劣等感を感じていたのか。そして、そんな自分に気づいてくれない一厘にさえも腹立たしさを感じていた。

「それに引きかえ、“あいつ”はレベル4にもかかわらず私のすべてを理解してくれた! ううん……ここの『アヴェンジャー』のみんながまるで自分事の様に私に共感してくれる……あんたやあの子なんかとは、大違いでねッ!」

はぁはぁと白高城の荒い息遣いが聞こえる。
必死に自己を主張してくるのが痛いほどよく伝わってきた。

「なら、同じ者どうしで傷の舐め合いでもしてろよ。何で批判されるとわかっていて俺の前に来た?」

「それは……!」

百城の言葉が白高城へと突き刺さる。

そうだ、何故自分は否定されるとわかっていながらこの男に会いに来た?
嫌な気持ちになるのはわかっていたのにどうして……

「本当はお前、昔の頃の自分に戻りたいんだろ? 自分は間違ってるって言われたいんだろ?」

ズバリと言い当てられた。
白高城は自分自身を否定して欲しかったのだ。『お前は間違ってる』この一言だけで自分はここから抜け出せるような気がしていた。
現実をつきつけられることによって、元の“白高城天理”に戻れるような気がしたのだ。


「思い上がりも甚だしいわね……私はただ木原にとっ捕まったあんたの情けない姿を拝みに来ただけよ……それ以外何もあるわけ無いじやない」

だが、結局それを素直に認めることはできなかった。
今の自分を否定されるというのは予想以上に重かったから。
それこそ、認めてしまえば何もかもが壊れてしまうかもしれないぐらいに。

「そうか、なら姿が拝めなくて残念だったな。気が向きゃ写メでも送ってやるよ。――あっ、でも携帯は奪われたまんまだったか」

白高城の挑発さえ、異常なまでに冷静に対処する百城は冗談なのか本気なのかそんなことを告げた。



本当はこの少年にもっと自分の虚言を追求して欲しかった。
『嘘を言うな』だとか『もっと素直になれ』だとか、そう追い詰められていけば嫌でも全ても認め、素直に助けを求めれる気がした。

しかし――


「……もうこんな時間。また機会があったら見に来てあげる。じゃ今日も硬いベッドでおねんねするのね」

そんな甘い考えをいつまでも持っててはいけない。
ここまで来て助けてほしい、なんて虫のいい話があるはずがないのだから。
白高城は強く下唇を噛んでその場を去った。
研究所の廊下は長く、床は堅い。歩くたびコツコツと鳴る音が耳に障った。


  10


「――で、レベル4と話してみて何か意味はあったか」

曲がり角を曲がった所で、中丸が腕を組んで壁にもたれかかっていた。
どうやら、こちらの様子を遠巻きに監視してたらしい。

「別に……」

そっけなく返す白高城。

「ふん……まあいい。それよりも伝えないといけないことがあってだな……」

落としていた視線を白高城へと向けると、中丸は一枚の紙を手渡してきた。

「これって……」

それは自分たちの通う学校全体及び通学路周辺の見取り図。
ところどころに赤や青のマーカーで印がされており、こうしてみると何らかの配置図の様にも見える。

白高城は訝しげに顔をひそめる。
この用紙には明日の日付が記されてあった。つまり土曜日ということになる。

「明日、『アヴェンジャー』総がかりで風紀委員を潰すことが決定した。もちろん風紀委員に手を貸すならレベル4も例外じゃない」

「つまり、この配置図は明日の為の……?」

「ああ、風紀強化週間のせいで休日の学校敷地内での部活動は休止されている。邪魔な人間がいないからおそらく、スムースに事を運べて絶好のチャンスなんだろ」

もう、この時が来たのか。嫌で嫌で仕方なかった風紀委員との全面対決の時が。
白高城の用紙を掴む手がわずかに震える。

「で、明日お前は指示があるまでここを動くな。一応ここの人間も何人かは警備のため置いていくから、一人だけになる心配もない」

「中丸ちゃんはどうするの……?」

「俺も明日は学校側に行く」

中丸の表情に変化はなく、ただ冷静に、冷徹に、物ごとを処理する機械のようだった。
寿命を迎えた蛍光灯が頭上で何度も点滅し、そこを飛び回る蛾の羽音が不気味な音色を醸し出す。

「おそらく、坂東一派や、神奈音響のグループ、そして数合わせにそこら辺の無能力者狩りのグループもこれに参加することになる。数では圧倒的にこちらの有利だ。だから、そんな心配そうな顔をするなよ」

白高城の胸中を察してか、中丸が肩に手を乗せてきた。
しかし白高城はそれを振り払って、

「そんなことはどうでもいいの。私が心配してるのはもし本当に風紀委員を潰してしまったら……その後に何が待ってるかってことよ。私には……何の秩序もなく、狂気と暴力が入り乱れるだけの地獄が待ってるだけにしか思えない」

「馬鹿。お前は風紀委員共の独りよがりな正義に束縛されたままの方がいいのか? なんでも強制され、無理やり矯正され、次第に風紀という檻に綴じ込まれていく。そんなんなら俺は地獄を選ぶよ」

それを理解できないならお前はアホだと言わんばかりに中丸はため息をついた。

「……まあいい。とにかくお前は明日すぐ連絡に対応できるようスタンバっとけ」

それだけ言って、中丸はすぐ隣りの仮眠室へ向かった。
その様子はまるで明日の狩りに備えて休む狩人の様にも見える。




「はぁ……」

一人取り残された白高城はしばらくうつむいた。

こんなことに巻き込まれたのは自業自得だ。



わかっている、そんなことは十分承知している。



……はずなのに、未だ割り切れない自分がいた。
善悪の感情に板挟みになり、まったく身動きの取れない状況とでも言えばいいのだろうか。

「明日……か」

『アヴェンジャー』の者達は今どういう心境で明日を待っているのだろうか。
今まで押さえつけられた感情を爆発させることができて喜んでいるのか、自分よりも格上を相手取ることに武者震いをしているのか。
それぞれの立場に立つ坂東将生は、木原一善は、神奈音響は、中丸良朝は

そして――――

「黒丹羽……あんたは一体何を考えてるの?」

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最終更新:2012年07月07日 02:50