10話「珍奇騒動《カーニバル》は終わらない。」
イギリス ロンドンの裏ホテル
ワケありの客ばかりを扱うホテルの一室、手錠でベッドに繋がれた昂焚はただボーッとして、天井のシミの数を数えていた。ベッドの傍らにあるソファーではユマがどこかから入手したエロ漫画を凝視していたが、最初の方のページから一向に進んでいない。
「なぁ・・・ユマ。かれこれ30分、まったくそのページから進んでいないんだが・・・」
「う、うるさい!読んでる!ちゃんと読んでる!薄い本の癖にセリフの量が多いんだ!」
「そ・・・・そうか。」
しかし、残酷にも時は流れ、部屋は時計の針が動く音だけが聞こえる。
すると、そんな沈黙を破るように部屋のドアがノックされる。
「ユマ・ヴェンチェス・バルムブロジオ様。お荷物が届いております。」
どうやら、ボーイがホテルの届いた荷物を届けに来たようだ。ユマが手配した荷物が届いたのかと思ったが、どうやら彼女にとっても予想外の出来事の様で、ノックの音と同時に彼女はビクッと反応した。
(これはチャンスだ。)
昂焚はここぞとばかりに大声を出して、助けを呼ぼうと画策する。しかし、ユマは荷物を取りに行く前に昂焚の喉に小さな紙を張り付けた。手錠で繋がれている昂焚は抵抗できず、「何だこれは?」とユマに尋ねようとすると、何かしらの負荷がかかって、全く声が出せなくなっていた。
(アステカ系の魔術か・・・厄介だ。声が出せないと強制翻訳(スペルトランスレイト)も使えない。)
そうして、昂焚は何もできず、ユマは扉の方で淡々と荷物の引き渡し手続きをしていた。ボーイの位置から昂焚の姿が見えるはずも無く、そのまま希望の扉は閉ざされた。
「相変わらず、重い~。」
そう言って、ユマはズルズルと3つの大きな荷物を昂焚の前へと持ってきた。
一つはあの事件以降、行方不明になっていた昂焚愛用の棺桶トランク、布で終われた1m50cm近くの棒状の物体、おそらくは都牟刈大刀(ツムガリノタチ)が布で覆われているのだろう。そして、新品の銀色のスーツケース。イタリア製の高級ブランド物だ。昂焚には身に覚えが無い。
「昂焚ってこんなに重い荷物持ってたんだ~。どうりで肉付きも言い訳だよ~。」
そう惚気ながら、ユマは銀色のスーツケースを開けた。その中には昂焚が普段から使っている生活用品や代えの服、変な店で買った土産、愛用しているノートパソコン、愛読している学術書など、昂焚が普段から持っているものが入っていた。普段なら、全て棺桶トランクの中にあるはずなのだが・・・
「代えの服があったのなら丁度いい。ユマ。その代えのスーツを俺に着せてくれないか?」
今まで描写していなかったのだが、現在の昂焚はトランクスに肌着シャツという部屋着にしてはあまりにもラフ過ぎて、もし娘がいたら「パパ!家だからってその格好やめて!」と言われるレベルの格好だ。だが、ユマが昂焚の喉に張りつけた紙のせいで喋れても声が出せない。
ユマは昂焚の主張など無視して、スーツケースの中を物色している。すると、ある物をスーツケースの中から発見した。
「女物のコート?」
彼女がそれを広げると、コートのポケットから一通の手紙がヒラリと堕ちた。
それは前のイギリス旅行を終えてドイツのホテルに着いた時、運び屋の恩師である(と昂焚は勝手に思っている)オリアナ=トムソン女史へと充てた手紙だった。結局、彼女の住所も連絡手段も知らないので送ることは出来ずにいたものだ。
ユマは手紙を両手で掴み、紙がクシャクシャになることを気にせずに内容を凝視する。
「幸せの定義・・・・熱い夜・・・有意義な時間・・・」
肩を震わせ、手紙の内容の一部を口から零すユマ。どう考えても誤解している。
すると、彼女は手紙を丸めて投げ捨てた。
「へぇ・・・オリアナって女とはヤっったんだ・・・・気持ち良かった?」
ユマは問いかけるが、昂焚はユマが喉に貼った紙のせいで声を出すことが出来ない。
「へぇ・・・だんまりなんだ・・・この【禁則事項】が!!」
そう叫んで、ユマは昂焚の胸元で馬乗りになり、イツラコリウキの氷槍の先端を昂焚の鼻へと向けた。愛しむ心などどこかにポイ捨てし、修羅の如き形相でこちらを睨んだ。
(どうしてこうなった・・・)
ユマの心情の変化について行けず、昂焚は人生最大の絶体絶命の危機に陥った。
そんな絶体絶命の危機を少し離れた建物の屋上から眺めている男がいた。
不気味な雰囲気を醸し出す男だ。栄養が行き届いているのか怪しい痩せすぎた体型、190cm近くある長身であるにもかかわらず猫背気味のせいで背が低く感じられる。彼の目はどこか遠くを見つめながらも今まさに悦に浸る寸前と言えばいいのだろうか、とにかく気持ち悪かった。
彼の名はミック=フォスター。必要悪の教会《ネセサリウス》の諜報部に所属すし、諜報部らしく“覗く”ことに特化した魔術を使う魔術師であり、覗きが趣味の変態だ。
「ヒヒヒ・・・・他人の情事を覗くというのは・・・至高の娯楽ですねぇ・・・ヒヒッ。男の方が邪魔ですが、そこは我慢しましょう・・・。さぁ・・・早く脱ぐのです!」
見た目通り、雰囲気通りの変態的なセリフを吐く彼なのだが、どうしてこんなピンポイントで他人の情事を覗くこうとすることが出来るのか。それにはこんな理由がある。
数時間前 ロンドンのとある書店
ロンドンの裏路地にある書店。建物も寂れており、立地条件も最悪だ。しかし、若い男性を中心とした客がそこそこ来ている。この店は日本から輸入した漫画を専門的に扱っている店であり、所謂オタクと呼ばれる人間が来る店だ。しかも全て日本語なので日本語の分かるオタクという非常にニッチな客層だ。
そんな店の奥の隅にあるやたらピンク色と肌色が目立つコーナーの前でユマは顔を真っ赤にしながら、本棚をチラチラ見つつそれに興味のない素振りを見せながらやっぱりそのコーナーをうろついていた。その素振りは初めてエロ本を買おうとする中学生の行動に近い。
そんな光景をたまたま書店に訪れていたミックは眺めていた。
必要悪の教会の魔術師である彼がなぜ漫画専門店にいるのか言うと、自らが使う覗きの魔術「ピーピングトム」の対策方法が必要悪の教会の女性魔術師に知れ渡ってしまったことで女性の着替えなどを覗くことが出来なくなり、新たなインスピレーションを得ることで新たな覗き魔術を構築しようと躍起になり過ぎた結果、普段は全く興味を示さないマンガ・アニメに手を出すほどの投げやりになってしまったからだ。
(ヒヒヒヒ・・・もう覗き魔術なんてどうでもいいです。三次元(リアル)で覗きが出来ないと言うのなら、いっそのこと二次元に逃げてしまいましょう・・・・イッヒヒヒヒヒ・・・)
ミックはそんなことを思っていた矢先にエロ漫画コーナー付近を右往左往するユマを見かけたのだ。
(あそこにいる褐色の肌の美女・・・イイ身体付きしてますねぇ・・・ヒヒヒヒ。でも普段から露出しているのはとても残念です。“覗き”というものの極意は相手が“見られている”ことを意識せず、自然な状態や行動を観測することなのです。その人とその場にいる人間にしか知り得ない“その人”を全く無関係の自分が知ることになる。勝手に相手のプライベートを見た背徳感、一方的に秘密を握った時の高揚感と優越感、その人の意外性を自分だけが独占した時の感覚など至高です。故に美しき肢体を露出し、常に誰かに見られていることを前提とした行動を取る女は大嫌いなのですよ・・・ヒヒヒ・・)
―――と、頭の中で覗きの持論を展開するミックだが、ユマのことを大嫌いと言いつつも彼女から目が離せなかった。しかし、ついに自分が彼女を凝視していることがバレてしまった。
「おい。そこのキモ男。何ジロジロ見てんだよ。」
ユマは非常に怒った目でミックを睨みつける。ミックは女を覗くことは好きだが、こうやって女性と対面することは大嫌いなのである。その上、今にも自分を殺しにかかりそうな瞳が恐ろしくて動けず、ヘビに睨まれたカエルの状態だった。
「ヘ・・・ヒヒヒ・・・お、俺があんたを見ていた?」
ユマはミックの態度が気に入らなかったのか、彼の胸ぐらを掴んで自分の元に引き寄せる。
「ああ。そうだよ。クソ気持ち悪い目で見やがって。そんな気持ち悪いてめぇなら――――」
ユマはミックを引きずり、エロ漫画コーナーの本棚の前に彼を持ってきた。
「この中から『男を逆【ピー】して、その女の身体無しじゃ生きていけない身体にする漫画』ぐらい見つけられるだろ。」
そう言って、ユマはミックの髪を掴み、彼の顔を本棚の前へと突きつけた。
「いや・・・そんなの自分で探せb―-―――――ゴフッ!
「いいから、探せ。」
「はっ・・・・はいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
ユマに戦々恐々としながらもミックは必死にユマが提示した条件に適したエロ漫画を必死に探した。表紙で判断するのは難しく、その場で何冊ものエロ漫画を熟読して、慣れない日本語を読む。そんな光景をユマは先に店の外に出て眺めていた。
余談だが魔術師は7ヶ国語は読み書き出来て当然らしく、その7ヶ国語には日本語も含まれている。必要悪の教会に所属するミックも例外ではない。
そして、20分の捜索の結果、ユマの条件に適したエロ漫画を発見し、そのまま購入した。
紙袋を抱えて店を出てきたミックはユマに指示された通り、店の裏側にやって来た。
「ここここ・・・これでどうですか?」
「ああ。ご苦労だったな。」
恐る恐るユマに紙袋を差し出すと、ユマはそれをパッと分捕って、どこかに走り去ってしまった。
「あの・・・お金・・・・」
何せ日本から輸入した漫画は高い。最近、覗きがバレたせいで減棒をくらっているミックには大きな出費だったが、ふと地面を見ると、1枚の紙幣が落ちていた。漫画の代金より高く、おそらくユマが置いて行ったものだと推測した。
それと同時にミックは希望を見出したのだ。
(女性があのような本を買っていくということは・・・・それを実践する相手がいるということでしょう・・・ヒヒヒヒ・・・これはまた、良い覗きネタに出会えました。)
不気味で歓喜に満ちた笑みを浮かべると、ミックは手当たり次第、ロンドン中のホテルの一室をピーピングトムを使って覗きまわった。
見るからに旅行者であることを推測し、部屋に男を拘束しても誰も気に留めないホテルという条件であれば、彼女の部屋を見つけるのは容易であった。
そして、ユマと昂焚の情事を今か今かと待ちわびる現在となった。
「それにしても・・・ヒヒッ・・・中々進みませんねぇ・・・早く・・・早く情事を!」
もうかれこれ数十分も待っているミックだが、それなりに暇を潰しているようで、右目で覗き、左目でちゃっかり購入したエロ漫画を読んでいる。触手ものというエロ漫画デビューにしてはハードでマニアックなチョイスだった。
ロンドン界隈のとあるオープンカフェ
気持ちの良い日光の元、オープンカフェのテラスで2人の少女がテーブルに突っ伏していた。ポルノ規制法があれば即規制対象になる金髪ボンテージのハーティ=ブレッティンガム、ミニスカワンピっぽいシスター要素皆無の改造修道服を着たバルバラ=キャンピオン。
2人は魂の抜け殻のように生命力の欠片も感じられず、もう人生を完全に放棄していた。
「どうして・・・・どうしてこうなったのでしょう・・・・」
「あんたの拷問が悪いんでしょうが・・・私はとばっちりよ・・・・・」
尼乃昂焚うっかり拷問しちゃった事件の関係者である2人がなぜ、こうなったのか。
理由は簡単だ。意図的では無いとは言え、最大主教《アークビショップ》の「穏便に済ませけりなるものよ」という命令に背いて尼乃昂焚を穏便に扱わず、あろうことか拷問に掛けた後、ゴミ箱に突っ込んで放置したことが最大主教にバレてしまったからだ。その後、人間の理解を遥かに超えたオシオキを喰らってしまったのだ。
「あんたのせいだ・・・・この拷問ジャンキー・・・・」
「あなたの知り合いの記憶魔術師が悪い。今度・・・・・私的な理由であなたを拷問にかけましょう・・・・・」
そんな無気力な責任転嫁を続ける2人の元に一人の男が現れた。
中肉中背の青年だ。顔はおろか服の下の至る所が傷だらけであり、焦点の合ってない目のせいで誰がどう見ても狂人にしか思えない男だ。干し首で作った首飾りを首に二重三重と巻き付けてあり、誰がどう見ても魔術師と思うだろう。
そのあまりの不気味っぷりはハーティとバルバラでなかったら無意識に警察に通報するレベルだ。
「冠華霧壱・・・・何の用ですか?」
ハーティが顔を転がして死んだ魚ですらしないような視線を冠華の方に向ける。
「聞いたぜ?最大主教に大目玉喰らったらしいじゃねえか。何やらかしたんだ?」
冠華は非常に不気味でニタニタと嘲笑するかのように2人に笑いかける。
ハーティは沈黙を決め込み、冠華の質問に答えたのはバルバラだった。
「この拷問ジャンキーが最大主教の命令を無視して男を拷問にかけたのよ。穏便にって言われたのに。」
「ハハハハハッ。そりゃあ、拷問された男は災難だったなぁ。そいつ、生きてるのか?」
「全身ズタボロだったけど、あれじゃ死なないでしょ。だって、世界を股に掛けるトラブルメーカーの尼乃昂焚よ。」
バルバラの言葉を聞いた途端、冠華はカチンと動かなくなった。
「おい・・・。今、なんつった?」
「だから、ハーティが拷問にかけた男は尼乃昂焚なのよ。」
尼乃昂焚の名前を聞いた途端、冠華は武者震いし、拳を握りしめた。あの男には恨みがある。刺突杭剣《スタブソード》の一件で重傷を負わされたのもそうだが、自分の大切な干し首に1週間は消えない油性マジックで落書きされたのだ。今はもう消えたが、それでも恨みは消えない。
「あの野郎・・・ロンドンに来てやがったのか・・・・。今、どこにいる?」
「知らないわ。あれから何日も経ってるし、でもロンドンから出てないのは確かよ。あれだけのケガでそんなに動ける訳ないし。」
「そうか・・・・。」
それを確認した途端、冠華は猛ダッシュでその場から去っていった。その目はギラギラと輝いていた。
「冠華霧壱・・・今日がお前の命日だ。」
突如、冠華の前に一人の男が現れる。
折角、不倶戴天の敵がいることを知って行動に移したところでこの邪魔だ。冠華はバツの悪そうに男を睨んだ。
男は20代半ば。身長180cm程と相応に肉が付いて鍛えられた体型だ。美形と判別できるぐらいには顔の造形は良いのだが、顔を斜めに大きく割る刀傷で全てを台無しにしており、服の汚れ具合や体臭、伸ばしに伸ばされた髪に付いたノミやフケなどは、風呂や洗濯をしていなのが即座に分かるレベルだ。ホームレスのような格好をしていた。
「邪魔だ。栄紫御。今日はてめえの相手をしている場合じゃねえ。」
「どうした?まさか、俺の剣術に怖気づいたか?」
さっさと昂焚を見つけて殺したい冠華としては栄はとても邪魔だったのだが、ここである悪知恵が働いた。自分も栄も尼乃を追っているという点だ。
「栄よぉ。今、俺の相手をしていても良いのか?尼乃昂焚がこの街に来てんだぜ?」
「!?」
尼乃昂焚という名前を聞いた途端、栄は拳を握って震え始めた。
あの男のことは前から殺したいと思っていた。剣の道を究めるための真剣勝負を軽くあしらったからだ。あれほどの屈辱を感じたことはない。
「お前が良いって言うなら、尼乃の奴を一緒に探さねえか?お前は尼乃の奴をぶっ殺したい。俺もあいつをぶっ殺して首を取りたい。利害は一致してるだろ?」
「・・・・・命拾いしたな。」
「それはこっちのセリフだ。」
こうして、尼乃昂焚殺害同盟が生まれた。
同盟の締結後、冠華と栄の2人はテムズ川で捜索域を分断した。
冠華は尼乃が日本人街に潜伏していると踏んで日本人街へと訪れた。だが、来た理由はそれだけではない。この街には自分ら以上に昂焚について知っている男がいるからだ。
“霧の蛸《ミスト・オクトパス》”
そう書かれたたこ焼き屋の屋台。タコを悪魔の怪物だと考え、タコを食べることを忌避するイギリス人の国でたこ焼き屋を営むその度胸と神経を疑ってしまう。
ここに尼乃昂焚を良く知る男がいた。
「いらっしゃい。あなたが来るなんて珍しいですね。」
洋服の上から流水紋の甚平を羽織っている17歳の青年だ。黒髪で眼鏡をかけており外すと美形なのは本人談。懐に鉄扇を持ち、儚げな笑みを浮かべている。
「まぁな。お前に聞きたいことがある。藍崎多霧。」
藍崎はたこ焼きを焼きながら少し考えると、焼き立てのたこ焼きをパックに詰めた。
「たこ焼き10個入り1パックで手を打ちましょうか。」
「ちっ。分かったよ。」
冠華は大人しく藍崎のたこ焼きを買って、その場で開封して食べ始める。
「それで、聞きたいこととは?」
「尼乃昂焚についてだ。この街に居るらしいんだが、お前ならどこにいるか知ってんじゃねえか?」
藍崎と昂焚は何度か会っては互いに腹の探り合いをするライバルのような関係だ。もしかすると、彼なら知っているかもしれないと思ったのだ。
藍崎は黙々とたこ焼きを焼き続けながら冠華の問いに答えた。
「まぁ・・・彼がこの街にいるという噂は耳にしましたけどね。あなたはその情報をどこで?」
「ウチの職場。ハーティのバルバラのバカ2人だ。で、今はどこにいるんだ?」
「さぁね。ボクも一応、調べてはいるんですけどね。でも手掛かりならありますよ。」
「手掛かりだと?」
「ええ。数日前、彼のことを探す女がウチに来たんですよ。『尼乃昂焚がどこにいるか知らないか?』って。ボクもそれで『彼がこの街にいるんじゃないか。』って思い始めたんですけどね。」
「あいつ・・・どんだけ恨み買ってやがるんだ?で、どんな女だ?」
「スタイルの良いラテン系の女性でしたよ。年齢はボクより少し上ぐらいですかね。布地の少ない挑発的な格好で長い棒みたいなのを持っていました。恨んでいるとは思えないんですがねぇ。」
冠華はたこ焼きを食べ終えると屋台傍にあるゴミ箱にパックを捨てた。
「ラテン系の女か。情報提供ご苦労さん。尼乃の首以外ならくれてやる。」
そう言って、冠華はその場から去っていった。
それを後ろから見届ける藍崎。だが、彼がただの情報提供で終わるわけが無かった。
(そうか・・・。必要悪の教会からの情報ならある程度の信憑性はあるな・・・・。)
藍崎はニヤリと黒い笑顔を浮かべると、早急に店仕舞いを始めた。
“霧の蛸 臨時閉店”
一方、そんな3人が追っていることもいざ知らず、昂焚はずっと絶体絶命の危機の中にいた。
ベッドが何度もイツラコリウキの氷槍で貫かれている。断熱仕様の布で包まれているため、全てを曲げる冷気が出ていないとはいえ、そのままでも十分に殺傷能力がある。
(弁解の余地をk―――――――――「ふん!」
グサッ!
ユマが振り降ろしたイツラコリウキの氷槍は昂焚の左耳すれすれのところを通り、ベッドに穴を開けた。昂焚の左耳に一筋の赤い線が出来る。
(ヤバい・・・・これはマジでヤバい。トルコでの『聖書を復唱する人面コガネムシ騒動』の時よりもヤバい。)
走馬灯が流れている間にユマが槍を構え、続けて第二撃が迫ろうとした時だった。
「ひゃっ!」
昂焚は自由だった足を思い切り振り上げてユマの後頭部を蹴る。その拍子にユマはバランスを崩して前に倒れそうになったが槍をベッドに突き刺して支えにする。だが、それが失敗だった。
偶然なのか、それとも昂焚の思惑通りなのか、槍の先端は昂焚とベッドを繋いでいた手錠を破壊してしまったのだ。
昂焚はすかさず飛び起き、都牟刈大刀を手に持つと、9年前のラテンアメリカの時のようにホテルの窓から飛び降りた。
「しまった・・・・また昂焚に逃げられた・・・・。」
半ベソかきながら、ユマはホテルの部屋の鍵を閉めて、彼を追った。
5階から飛び降りた昂焚は都牟刈大刀を伸ばしてゆっくりと地面に着地した。・・・が、それと同時にギャングに囲まれてしまった。
(そういえば、ワケ有りの客ばかりを扱う裏ホテルだったな・・・)
客層がワケ有りならば、ホテルの周囲の環境も容易に想像できたし、思った通りの治安の悪さだった。
「おいおい。パンツとシャツとか、バカじゃねえの?」
「そんなんじゃ風邪ひいちまうぜぇ!ヤク中だから分かんねえか?」
「ってか、何だ?このヘンテコな形をしたサーベルはよぉ?」
「あ、丁度いい。」
昂焚はユマに喉に貼られていた札を外して、ポツリと呟いた。
「「ああん?」」
何のことか分からないギャング達は眉をひそめると、全員の身体に都牟刈大刀の枝が巻きつき、スタンガン程度の微弱な電流が流れることで気絶させられた。
「服、借りるぞ。返す予定は無いが・・・。」
こうして、昂焚は親切なギャングから服を拝借(強奪)した。
ジーンズに袖が千切られた黒革ジャケット、手の甲にドクロの装飾があるグローブにサングラスという世紀末ヒャッハーなファッションだった。もし仮に昂焚がモヒカンになり、棘付き肩パットを付けて火炎放射機を持てば、汚物消毒の準備は完了になるだろう。
ユマは昂焚を追ってホテルから飛び出したが、来た頃にはギャングが倒れ、一人だけ服を剥がされていただけだった。
「なんて逃げ足の速さ・・・」
ユマはとにかく昂焚を探すために疾走する。部屋に鍵を掛けたとはいえ、彼女も慌てて飛び出して来たので、イツラコリウキの氷槍とエロ漫画が入った紙袋を持って出て来てしまった。
昂焚のいる方向は分からないが、とにかく女の勘を頼ってユマは走り続けた。ユマはこれといた索敵・追跡魔術を持ち合わせておらず、とにかく闇雲だった。
ドンッ!
「ったく・・・危ねぇな。」
肩と肩がぶつかり合い、ユマとその相手は互いの姿を見ようと振り向いた。無論、謝罪の為ではない。昂焚に逃げられて追いかけるのに忙しくてイライラしているのに肩がぶつかるなんてアクシデントだ。相手を殺すくらいの勢いで睨みつけた。
その視線の先に居るのはどこをどう見ても狂人としか評価できない男“冠華霧壱”だった。
一方の冠華も相手を殺す勢いでユマを睨んでいた。彼は彼女に対して、これといった怒を感じているわけではない。これが普通なのだ。
(長い棒を持ったラテン系の女・・・・まさか・・・)
「おい。」
冠華は藍崎の言葉を信じて、ユマに声をかけた。案の定、ユマは異様なまでに不機嫌な態度で答えた。
「こちとら忙しいんだ。あんたみたいなジャンキーの相手をしている暇は無いよ。」
「暇は無ぇってのは、“尼乃昂焚”絡みなのか?」
「!?」
「はははっ!図星のようだな!」
早々に手がかりを掴んだことに冠華は歓喜し、ユマはこの狂人に警戒する。こんな狂人とはさっさとオサラバしたいが、同時にこんな奴を昂焚に近付けさせるわけにはいかないという使命感も湧いて来る。
「お前も尼乃昂焚を探してるんだろ?だったら協力しようぜ。お前もあいつをぶっ殺したいんだろ?」
それを聞いた途端、ユマは静かに怒りの炎を焚き上げ、イツラコリウキの氷槍を包む断熱仕様の布を解いた。
「それは無理な相談だ。この干し首ジャンキー。昂焚を殺させはしない。だって、昂焚はこれから“私無しでは生きられない身体”にして、ずっと私と一緒にいるんだから。」
この9年、ずっと焦がれて、焦がれて、恋焦がれて、やっと手に入れた宝物。
昂焚がいればなにもいらない。私はただ彼だけが欲しくて、彼だけを求めていた。
だから、失いたくない。
何が何でも戦って、勝って、昂焚と添い遂げる。
「はぁ?」
冠華はてっきりユマが昂焚を恨んでいるから追っているのだと思っていた。なので、彼女の対応には少し意外だった。それと同時に、彼女の言う「私無しでは生きられない身体」というものが気がかりになった。
(それは・・・あれか?相手の生命を自分の身体的記号に依存させて生死を操る呪術のことか?)
どうやら、ユマと冠華の間に何かしらの語弊が生じているようだ。
(そういえばあの女が持っている紙袋・・・形からして中身は本か。・・・・なるほど。あれは呪術が記された魔導書か何かだな。あの女は呪術で尼乃の奴を隷属させるつもりか。まぁ、確かにあいつはかなり実力があるしな。)
冠華は何か大きな勘違いをしているだが、本人が間違いに気づくことも、ユマがそれを指摘することもない。
「クカカカカカカカカッ!!そうか!お前も面白ぇこと考えたな!」
冠華が笑ってユマの言った事を面白いと言い放つが、ユマは今更になって自分がはしたなくて恥ずかしいことを言っていることに気付き、紙袋を抱きながら赤面する。少しウルウルと涙目にもなっている。意外と純情でウブのようだ。
冠華はその後、とんでもないことを言い放った。
「だから、その本を俺に寄越しな。」
「え?」
その言葉にユマは凍りついた。全身に悪寒が走り、ブルブルと身体が震える。
その本を寄越せ
↓
その本で俺も尼乃昂焚を“俺無しでは生きられない身体”にしてやる
↓
アーッ!
「誰が渡すか!!この・・・ホモ!ゲイ!変態!同性フ○ッカー!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
昂焚の貞操を護るという新たな決意を胸にユマはイツラコリウキの氷槍を構える。そして、冠華も己を侮辱した女を倒すために戦闘態勢に入った。
お互いに大きな勘違いを抱えたまま・・・
その頃、昂焚はたまたま捨てられていたコントラバスのケースに都牟刈大刀を入れて日の当たりにくい裏通りから表参道へと出た。
世紀末ヒャッハーなファッションの男がボロボロなコントラバスのケースを持っているというシュールな光景が周囲の目を引き付けるが、いつもマイペースな昂焚は気にも留めなかった。
(さて・・・これからどうするべきか・・・・。)
昂焚は今、非常に悩んでいた。財布を部屋に置いて来てしまい、所持金ゼロ。無論、イギリスに銀行口座を持っているわけもない。ユマから逃げるために国外逃亡しようにも金が無くてはどうにもならない。
道行く人々が昂焚を一瞥して通り過ぎ去る中、顔の知っている2人組がこちらに向かってきた。
一人はユマと同じような年齢の女性だ。赤髪碧眼の白人女性で、ボンキュッボンなグラマラスな体型は男の目を引き寄せる。グレーのコートに白いTシャツ、ダメージジーンズと色気のない格好だが、それでも色気を漂わせるほど魅力的な女性だ。
もう一人は10歳前後の少年だ。黒髪に銀眼で顔立ちは整っており、いわゆる美少年という奴だ。服装は女性の方と同じく灰色の上着にダメージジーンズという格好だ。
2人の関係を推測するに、ペアルックであるが年齢差的に考えてカップルというのは考えにくい。(女性の方が 某イルミナティ幹部のような性癖を持つのであれば別ではあるが・・・)
「あれ?もしかして尼乃?」
女性の方が昂焚に指を指して問いかけた。どうやら昂焚の知り合いのようだ。隣にいる少年は昂焚の滑稽な服装がツボに入ったのか、腹を抱えながら笑うのを堪えていた。
「ココとデイヴィットか。久し振りだな。」
そう言って、昂焚はサングラスを外して2人の姿を確認する。
女の方はココ=スタンレイ、少年の方はデイヴィット=ミラー。2人で活動するフリーの魔術師であり、昂焚も何度か味方として、時には敵として同じ現場で働いたことがある。
「ああ。半年振りか?それにしても随分と変わったな。ついこの間まで日本のサラリーマンみたいだったのに今じゃ“1年で業界から消える一発芸人”みたいだ。」
「悪いが、誉めてもギャグは飛ばないぞ。」
「ブフォ!・・・いや・・・大丈夫・・・その格好自体が既にギャグだから。」
未だに耐性がつかないようで、デイヴィットは今も腹を抱えて耐えていた。
「デイヴィットの様子がおかしいな。拾い食いでもしたか?」
「デイヴィット。お腹が空いたなら素直にそう言えばいいのに・・・」
「違うよ!お前の格好のギャグセンスに・・・ククク・・・・もう罰ゲームだよ。その格好・・・」
「言っておくが、俺も好き好んでこんな格好しているわけじゃないからな。」
「じゃあ、何のために―――――――
「見つけたぞ!尼乃昂焚ぁ!!」
3人の会合を邪魔するかのように一人の男が昂焚の名を叫ぶ。振りむいた先には冠華とは同じようで違うようでやっぱり同じベクトルの狂人である栄紫御が刀を持ってこちらに向かっていた。
「さぁ!俺と殺し合え!あの時の雪辱を果たそうじゃねえか!」
栄のあまりの狂人染みた言動に3人は唖然とするしか無かった。
「尼乃。お前の知り合いには愉快な奴が多いんだな。」
「いや、あいつ誰だか知らないんだが・・・」
昂焚はあることを閃いた。
「なぁ。ココ。一つ、飛び入りの仕事があるんだが、乗らないか?ちょっとした小遣い稼ぎだ。」
「条件次第では。」
「依頼はあの男の足止め。弱いなら別に倒しても構わない。300ドルでどうだ。」
「800」
「400じゃ駄目か?」
「800」
「500だ。これ以上は出せない。」
「OK。乗ったわ。デイヴィット!仕事よ!」
「分かりました!ココさん!」
刀をを震わせてゆっくりと歩み寄る栄を相手に、ココとデイヴィットはそれぞれの得物を出す。
ココが使うケルト神話の剣、硬雷の剣《カラドボルグ》
デイヴィットが振るうのは緋黄の双槍《ガ・ジャルグ=ガ・ボウ》
剣を構えたココと両端に赤と黄の刃を持った槍を構えるデイヴィットを尻目に昂焚は栄から逃走した。
―――と思いきや、何を血迷ったのか、ココとデイヴィットのところに戻って来た。そして、祈るように片手を出し、もう片方の手を出して何かを催促する。
「悪いが、金貸してくれ。」
「はぁ?」
「今、所持金0なんだ。仕事の代金はイルミナティの双鴉道化《レイヴンフェイス》か、ヴィルジールセキリュティー社にツケといてくれ。俺の名前を出せば大丈夫だから。」
「で、いくらいるんだ?」
栄との戦いはデイヴィットに丸投げし、ココは呑気に財布を出した。
「10ポンドくらい。」
「利子は1日につき20%。」
「えげつないな。」
「どんな魔術を使うか分からない狂人の足止めに500ドルしか払わない奴に言われたくないね。」
栄とデイビットによる激戦を背景に2人は呑気に井戸端会議を続ける。命を掛けた激戦と井戸端会議という非常に温度差の激しい空間が隣り合わせになっていた。
「俺の相手するには千年早いんだよ!クソガキ!」
「ぐあっ!」
栄がデイヴィットを蹴り飛ばして彼を後退させる。体格差、年齢差、そして実力差から考えて栄が圧倒的に有利だった。
周囲には栄の火之迦具土神の伝承を用いた魔術による炎が周囲を焦がし、デイヴィットの緋黄の双槍のガ・ボウと海神マナナーン・マクリルに纏わる伝承で生み出された海水が炎を消していく。
「あ、デイヴィットが負けそうだから加勢してくるわ。」
「本気で丸投げするつもりだったのか。」
2人はキリの良いところで井戸端会議を終え、それぞれの行くべき場所へ向かった。
ココは弟子が待ち受ける戦場へ、昂焚はとにかくユマから逃げられる場所へ・・・
昂焚はとりあえず、公衆電話を探し、ヴィルジールに連絡して航空機でもチャーターしてもらおうかと考えていた。パスポートとかお金はイルミナティを使えば何とかなりそうだ。
(航空機は大丈夫だろう。あいつツンデレだし。)
昂焚が公衆電話を発見し、そこに駆け寄ろうとする。
「!?」
突然、自分と公衆電話の間に霧が現れ、昂焚は霧に突入する直前で足を止め、少し後退りして霧から離れる。周囲にいた人もいなくなっており、人払いの術式が使われているようだ。
自分と公衆電話を遮るように霧は壁のように立ちはだかる。一瞬で霧は濃くなり、数メートル先の公衆電話すら見えなくなった。この不自然な霧に昂焚は覚えがあった。
「そういえば・・・ここにはあいつがいたな。」
あからさまに嫌そうな顔をする昂焚。そんな昂焚の嫌な予感は的中し、霧の中から一人の青年が現れた。
それは、昂焚にとっては不倶戴天の敵とも言える藍崎多霧だった。
「藍崎多霧か・・・。随分と久しいな。」
「ええ。三ヶ月振りですかね。それにしても随分と背格好が変わりましたね。何ですか?その“見た目のインパクトだけで売り出そうとしたけど、結局売れない哀れな芸人”みたいな格好は・・・・」
「悪いが、持ちネタは無いぞ。哀れなお笑い芸人だからな。」
「大丈夫ですよ。今からでも十分に愉快で滑稽なものにしますから!」
藍崎は懐から鉄扇を取り出し、彼の動きに呼応するかのように霧が刃のような形状になって昂焚に襲いかかる。街灯もゴミ箱もお構いなく切り裂き、真っ直ぐと昂焚の方へと向かった。
昂焚は都牟刈大太刀を取り出すが、応戦せず、とにかく霧の刃から逃げることに徹する。
以前、藍崎と戦った昂焚だからこそあの魔術の恐ろしさを知っている。あの霧に対して硬度は一切の意味を成さない。あれは霧と境界の神である天之狭霧神の伝承を利用した藍崎の魔術は霧を用いて物体や空間に境界線を引くことで対象を分断している。神が定義した境界線という概念を前に硬さなど意味を成さないのだ。その上、強制翻訳《スペルトランスレイト》対策も十分に施している。
「いきなり攻撃とか、随分と荒くなったな。」
「ボクはどうしてもあなたから聞きたいことがあるんですよ。どうしてもね。」
「じゃあ、素直に訊けばいいじゃないか。『尼乃様。どうかこの無知な藍崎めに知識を授けて下さいませ。』って額を地面に擦りつけながらな。」
「そういうところが嫌いなんですよ。」
「俺もお前のことは大嫌いだけどな。お互い様だ。」
昂焚は逃げながらも都牟刈大刀の刀身を7つに分割し、分割して現れた7つの刃の蛇が強力な電撃と雷光を発しながら霧に包まれた空間を縦横無尽に駆け抜ける。
(わざわざ霧の中に突っ込むなんて、ボクの魔術を理解していないのか?いや、そんなはずは・・・)
藍崎は昂焚の無謀な行動だと高を括ったが、その直後に彼は昂焚の思惑に気付いた。
(まさか!霧を構成する空気中の水分を電気分解することで霧を消すつもりなのか!?)
昂焚の思惑通りに霧が晴れ始め、藍崎から彼の姿が見えた。
彼はまるで野球の投手のように構え、大きく振りかぶって石ころを藍崎に向かって投げつけてきた。
「何を悪足掻きを!」
藍崎は鉄扇で昂焚が投げた石ころを弾いた。摩擦で一瞬だけ火花が散った。しかし、その火花は段々大きな炎になり、一気に轟音を立てて大爆発を引き起こした。
周囲は霧の代わりに爆煙が包み込む。しかし、すぐに黒色の爆煙は白色の霧に包まれて消え去り、霧が晴れたところで藍崎が姿を現した。服は焼け焦げ、肌も黒ずんでいる。
爆発の直前、自分の周りに霧の境界を鎧のように展開することで爆発から自分を護ったのだが、あと一歩遅れたといった感じだった。
「水素ガスの爆発とか、正気か!?死ぬところだったぞ!」
「いや、お前なら大丈夫だと思ったんだけどな。それにしても面白い格好だ。まるで、“見た目のインパクトだけで売り出そうとしたけど、結局売れない哀れなお笑い芸人”みたいだ。」
「・・・・・」
「さっさと家に帰ったほうがいい。その格好だと箕田みたいに警察に連行されるからな。」
昂焚の放った言葉に藍崎は胸を衝かれた。
「おい。今、何て言った?」
「だから、警察に・・・」
「違う!その前だ!」
藍崎の豹変に昂焚は少し驚いた。今の言葉の何が彼をそこまで駆り立てるのか、非常に興味深かった。
「その前って、ああ。『箕田みたいに』ってところか?」
「お前の言う箕田ってのは、箕田美繰・・・・なんだよな?」
「さっきから変だぞ。口調まで変わって、どうした?」
「いいから、ボクの質問に答えろ!!」
藍崎の霧の刃が昂焚に襲いかかり、彼の眼前で寸止めされる。昂焚と同等かそれ以上に飄々とした態度は吹き飛び、藍崎は獲物を追う飢えた獅子のような目になっていた。
「ああ、お前の言う通り、箕田美繰のことだ。」
「どこで会ったんだ?今、彼女は何をしている?」
「ドイツで会ったよ。今は現地の魔術結社の世話になってる。」
「現地の魔術結社・・・だと?どこの組織だ。」
「それ以降は自分で調べるんだな。確証の持てる情報は出ないだろうが、お前の頭でも大体の予想はつくはずだ。」
そう言って、昂焚は飄々とした態度のまま、藍崎の元から立ち去った。彼は無防備に背を向けていたが、藍崎は昂焚のことをどうしようとも考えていなかった。それ以上の驚愕と希望で胸がいっぱいだった。
(癪ですが、今日だけはあなたに感謝しますよ。尼乃昂焚。これでようやく、あの人に繋がる道が開けた。)
藍崎は懐からロケットペンダントを出すと、愛しむような目で中の写真を眺めていた。
ドイツ・イルミナティ幹部協議会
―――――この中から一人だけ、幹部を辞任してもらう――――――
今回の主催者、ヴィルジール=ブラッドコードが放った言葉に幹部一同は騒然とした。
「うっせえ!じゃあ、言いだしっぺのお前が抜けろ!」とメイラは叫んだが、ヴィルジールは即座に「却下」と言い返した。
ある者は我関せずの態度を取り、ある者は自分が抜かされるのではないかと戦々恐々し、またある者はヴィルジールの思惑を読み取ろうとしていた。
そんな中、ディアスは席から立ち上がった。王然とした立ち振る舞いは即座に周囲の目を引きつける。
「ヴィルジール。まずは理由を聞かせてもらおうか。君だって、ただ全員に喧嘩を売るために双鴉道化の権限を使ってまで幹部協議会を開いたわけではないのだろう?」
「ご明答だ。」
「では、聞かせてもらおうか。」
そう言って、ディアスは着席した。
そして、中央の台に立つヴィルジールは自らの口からその理由を語りだした。その立ち振る舞いは今までの戦場の傭兵とは違い、まるで大企業の社長の演説のようだった。彼がヴィルジールセキリュティー社の社長であることを再認識させる。
「ここにいる皆さんがご存じの通り、我がイルミナティの幹部は魔術的意味から13人に固定されている。無論、私はその数字を崩すつもりはない。私はどうしてもイルミナティの幹部に推薦したい男がいる。故に、ここから誰か一人抜けて頂きたい。」
「その男とは誰だ?」
「尼乃昂焚です。」
昂焚の名前がヴィルジールの口から出た途端、彼のことを知る人間は少し驚いた。
「29歳の日系魔術師にして、世界を駆け回る運び屋モドキ兼トラブルメーカー。私は彼こそが、イルミナティの幹部に相応しいと思っている。」
その言葉を誰もが疑った。イルミナティとは強欲なる者の集まり。これといった強欲の無いように見える昂焚が幹部に相応しいとは到底思えなかったからだ。
「私の推薦に懐疑的な方が多いようだが――――――――
「ここから先は私が説明しよう。」
神告の如く降り注ぐ声―-全員が上を向くと、幹部らを見下ろす位置にある最高位の座席にイルミナティのリーダー双鴉道化《レイヴンフェイス》が鎮座していた。
黒のワイシャツに白いスラックスの上に黒い羽毛がついた白いマントを羽織っており、全身を覆っている不気味な背格好。顔には鳥の様な仮面をつけていた。
顔も年齢も性別ですら分からない。全てがunknown、それが双鴉道化だ。
「尼乃昂焚と私は古い友人でね。彼の底知れぬ強欲にはこの私でさえ驚かされた。残念ながら、彼と接触して気付いたのはヴィルジールだけなのだがね。」
「それって、どういうこと?」
ミランダの問いかけはここにいる幹部全員の代弁だった。
「彼が今まで関わって来た事件にはある共通点が存在する。9年前のラテンアメリカでの霊装争奪戦、北アフリカでの便所に群がるシスター事件、トルコの聖書を復唱する人面コガネムシ騒動、その全てにおいて、事件の渦中には霊装があった。情報凝縮型霊装。法の書やラテンアメリカの霊装のように通常の方式では不可能に近い情報の凝縮を実現した霊装だ。」
「それってつまり・・・」
「彼は情報に飢えているのだよ。情報依存症とでも言えばいいのかね。彼の欲望は情報収集に向けられている。ジャンルも分類も関係無く、科学・魔術も問わない。彼が世界を飛び回るのも自分を満たしてくれる膨大な情報を求めているからだ。よりにも寄って、この私にこんな企画書を出すぐらいだからな。」
そう言うと、双鴉道化は紙の束をばら撒いた。巻かれた紙の束はヒラヒラと舞いながらも幹部全員の手元に向かい、手に取った幹部たちはその企画書の内容に目を通した。
「なっ・・・何だ!これは!」
常に王然としたディアスが声を荒げるほどの内容がそこには記されていた。
「やべぇよ。クレイジー過ぎてあの男にはついて行けねえよ。おい。」
「うひゃひゃひゃひゃひゃ!あいつ、頭のネジが何本か抜けてんじゃねえの?」
「でも・・・興味・・・深い。実現すればの話だ・・・けど。」
誰もがその内容に驚きを隠せないようだ。
「けど、現時点で実現は不可能ね。」
そう言って、ローズは企画書をテーブルの上に置いた。
「学園都市には幻想殺し《イマジンブレイカー》がいるのよ。彼が存在する限り、この企画は不可能だわ。」
ローズの主張に対し、周囲の幹部も一斉に同意する。
「だが、その幻想殺しがいなくなるとしたらどうするかね?」
そう言い放った双鴉道化は、どういうことか理解できない幹部たちを眺めていた。仮面の下は見えないが、彼(彼女)はきっとヴィルジールと同じようにニヤリと笑っていたに違いない。
そして、時は流れ・・・
11月1日
幻想殺しのいない学園都市
4日間限定の珍奇騒動《カーニバル》の幕が開ける。
【とある土産の珍奇騒動】
登場人物【登場順・敬称略】
【オリキャラ】
尼乃昂焚
ミランダ=ベネット
ニコライ=エンデ
ルシアン=ハースト
箕田美繰
ユマ・ヴェンチェス・バルムブロジオ
ヴィルジール=ブラッドコード
マティルダ=エアルドレッド
守音原二兎
ハーティ=ブレッティンガム
バルバラ=キャンピオン
メイラ=ゴールドラッシュ
ローズ=ムーンチャイルド
ラクサーシャ・マヌージャ
鬼島甲兵
リーリヤ・ネストロヴナ・ブィストリャンツェヴァ
ディアス=マクスター
アレハンドラ=ソカロ
エドワード=ハント
ミック=フォスター
冠華霧壱
栄紫御
藍崎多霧
ココ=スタンレイ
デイヴィット=ミラー
双鴉道化
【原作キャラ】
建宮斎字
五和
~スペシャルサンクス~
素晴らしいキャラを生み出してくれた作者の皆さま
スレで応援してくれた皆さま
“とある魔術の禁書目録”を生み出してくれた鎌池先生
最終更新:2012年07月31日 21:24