1
「………こんなところに本当に手錠を持っている奴がいるんですかね」
湖后腹は目の前でそびえ立つセブンスミストを見上げながら佐野に聞いた。
「ついさっき春咲さんに聞いたところ、まだターゲットは店内にいるとのことでした」
「……そうですか」
そんなやりとりを終え、二人は店内へと入る。
セブンスミストの中は閉店時間が近いせいか、思ってた程に人はいなく、ガランとしていた。
「とりあえず、反応が二階から出ているとのことなのでまずはそこから調べて行きますか」
佐野の提案にわかりました、と湖后腹は頷く。
そんな中湖后腹は手錠を持っている人物はどんな者なのだろうかと、考えを巡らしていた。
湖后腹の遭遇した二人の男はまさしく不良といった感じであり、そういう奴らが好んで隠れ潜む場所は薄暗い廃工場や廃ビルと相場が決っているものである。
しかし、実際に手錠の反応があった場所はそんな所ではなくセブンスミストというファッションセンターからと来たもんだ。
あんな男らがこの時間帯に服を買いにきて、見せあいっこをしているとはどうも考えられない。それではまるでオシャレを気取って、服を買い漁りに来てる女子みたいではないか。
「……佐野先輩」
「なんでしょうか」
「先輩は手錠を持ってる奴はどんな奴だと思いますか?」
「そう、ですね………」
佐野はいきなりの質問にも動じず、すぐに答えを返した。
「私の考えでは、無関係の者が何も知らずに拾ってしまったんじゃないかと考えてます。どうもこう簡単に場所がわかってしまうのはどこかおかしいので」
つまり佐野は今手錠を持っている奴は不良達とはまったく関係のない者だと考えていた。
湖后腹もまったく同じ様な考えであった。
もし奴等が手錠に発信機が取り付けられてる事を知らなかったとはしても、何らかの警戒はするはずだろう。
湖后腹は手錠の在処がわかった時には不良の巣屈に乗りこむ事さえ覚悟していたというのに、実際はファッションセンターの中をただただ探索しているだけである。
これでは敵の所在を突きとめるというよりかは落とし物探しをしているかのようでどこか緊張感に欠ける。
「俺も何となく………ですけどそんな感じがします」
「ま、そんな事はすぐにわかることですよ」
それだけ言って佐野は携帯を取り出し、春咲に電話を掛ける。
「………ええ………はい……わかりました」
恐らく現在のターゲットの位置を聞いてる佐野に湖后腹は尋ねる。
「何か、わかりましたか?」
携帯を閉まうと、佐野は面白い事を発見してしまったかのように笑う。
「ええ、どうやら簡単に見つけてしまったようですね」
佐野の視線は湖后腹ではなく、違う方へ向いていた。
湖后腹は佐野の視線の先を見ると、
「まさか……あそこに……?」
そこには一つだけ使用中の試着室があった。
2
「フーフフ、フーフフ、フンフンフーン♪ フーフフ、フーフフ、フンフンフーン♪」
一人の少女は鼻歌を歌いながら服を着替えていた。
「これなんてどーかなー? んー、でも私にはちょっと小さ過ぎるかも……」
そんな風に買ってきた服を重ね合わせ、一人自画自賛する少女の名は|白高城天理《しろたきてんり》。
彼女が試着室にこもっておよそ三〇分が経過しようとしているが未だにお似合いのコーディネイトが見つからないのか試着室から出る気配はない。
「はあーー、ここの品揃えも落ちたものね……」
白高城は溜め息をつきながら仕方なしに風輪学園の制服を着なおそうとバッグに手を掛ける。すると服とは違う何かゴツゴツした物の感触が指先に伝わってきた。
(……?)
白高城は頭にはてなマークを浮かべながらバッグの中からそれを取り出す。
その正体は数時間程前に白高城が風紀委員に捕まった二人の男から回収しておいた手錠だった。
「あ……」
その手錠の存在をすっかり忘れていた白高城。
(あちゃー、すっかり忘れてたよ……この手錠のこと。どうせ半殺しにされたんだからあのバカ二人に渡しておけばよかった)
あの時はノリで鞄のなかに突っ込んでしまったが後々考えるといらない、すさまじくいらない。
(どうしよーー ここに置いてっちゃっていいかな?)
などと一人考えを巡らす白高城に丁寧な口調の男の声が試着室の外から聞こえてくる。
「風紀委員です。すいません、少しお伺いしたいことがあるんですが」
その声はまさしく試着室の中にいる白高城に向けられたものであった。
(え…? ちょっと待って? 今の声って、まさか……)
試着室の中と外を隔てるカーテンの隙間から外の様子を伺う白高城。
『先輩! ほんとにここでいいのか? もし違ったら……』
どこか不安気なツンツン頭の少年の問いに対して
『大丈夫ですよ 春咲さんの言ったことを信じましょう』
と自信満々の表情で銀縁のメガネを光らせる少年。
その光景を目の当たりにして白高城は目を背けざるを得なかった。
(ウッソーー!! あいつらって風輪学園の四位と五位、佐野馬波と湖后腹真申でしょ!? なんでこんなところに!?)
何でと言っても、心当たりは一つしかない。そう、例の手錠の件だ。
「あのー、聞こえてますか?」
再び佐野の声が聞こえてくる。
「ひゃ、ひゃい! 聞こえてますが、にゃにか!?」
あまりの突然の出来事に動揺して声が裏返る白高城。
何か変な喋り方だな……と、湖后腹が呟いた様な気もするが今はそれどころではない。
「実は、紛失した手錠を探してまして。場所を探知した結果、貴方の今いる試着室から反応が出たんですよ」
「へ、へえ~~、残念だけどわたしは知らないかなぁ~~」
(―――――って、まさか発信機内蔵されてたの、これ!? どうりで重かった訳だ……)
白高城は慌てて鞄の奥に手錠を押し込む。
「では今から、そこを調べますが構わないですよね」
「ち、ちょっと、女の子が着替えてる真っ最中にズカズカと乗り込んで調べるつもりなの!? いくら風紀委員でもそれは許されないんじゃない?」
「大丈夫ですよ、貴方が着替え終わるまでは待っておきます。 念のためあなたの荷物も調べさせて頂ますがね」
さらっと、とんでもないことを言い放つ佐野に白高城は思わず叫ぶ。
「はぁ!? 乙女の鞄を覗くとかあんたどういう神経してるのよ!!」
「しかし、最悪の場合を想定してどんなに小さい可能性でも潰していかなければいけないんですよ」
それを聞いて言葉を詰まらせる白高城に追い討ちをかけるように佐野は続ける。
「―――――それに、見せられない様な物が鞄の中に入ってる訳でもないんですし、ねぇ?」
(くっ……こいつ………!)
白高城の今の状況は八方手詰りといったものだった。
もし、正面突破で逃げ出したとしてもレベル4二人を相手にして逃げ切れる可能性は0に等しい
し、このままでも鞄の中にある手錠を発見されて終わり。
(考えないと……どうにかしてこの状況を脱するのよ、白高城天理…)
そこで一つの考えが白高城の頭に浮かぶ。
(けど………この手は……ううん、四の五の言ってる場合じゃないよね……)
「さて、着替えは終わりましたか? 終わったのならすみやかに出てください。勿論、荷物は置いてね」
佐野の言葉に白高城は応えない。もはや応える必要が無いのだ。
白高城は胸に手を置くとスッーと息を吸い呼吸を整える。
(いいわ……風紀委員の奴らに一泡吹かせてやろうじゃない)
僅かなる沈黙、それを撃ち破るかの様に
「キャーーーーー!!! 誰か、誰か助けてーー!」
店内全体に響きわたるかの様なかん高い悲鳴。勿論、それは白高城以外の誰のものでもなかった。
3
「―――――おう、んじゃそういうことだから宜しくな」
鉄枷はそれだけ言うと携帯を閉じる。
「これで一厘にも伝えたし、佐野と湖后腹には支部で話せばいいか」
春咲に続いて一厘に報告を終えた鉄枷は未だに風輪学園に向かっている途中だった。風輪学園までまだ距離があり、少なくともあと一五分は歩き続けなければならなかった。
完全下校時刻はとっくに過ぎているためか、周りには人気を感じさせるものもなにもない。
そんな中鉄枷は気になって仕方ないものがあった。
「……それにしてもぶっちゃけマジで痛いんだが」
そう、破輩に蹴られた右頬だ。
厳原に貸してもらったおしぼりは頬の熱を吸ってか生温かくなっており、頬を冷やすことすら叶わない。
「しゃあねぇ、ちょくらよってくか」
鉄枷は近くにあった公園のトイレに寄る。
トイレといっても流石は学園都市製、内部には自律掃除ロボも配備されており、常に清潔さが保たれていて、一点のホコリも感じさせない。
「うーー、冷水が傷口にしみるぞ、ぶっちゃけ」
洗面台で顔をバシャバシャと洗ったあと、鉄枷は鏡越しに自分の顔をまじまじと見る。やはり右側の頬が少し腫れていて、こんな季節だというのにオタフク風邪にかかったかのようだ。
「ぶっちゃけ破輩先輩も容赦ないよなーー、こんな二枚目を躊躇なく蹴り飛ばすなんて……」
などとぶつぶつ呟く鉄枷の視界に………いや、鏡に映る鉄枷の背後に―――――
「うおぉぉぉりゃあぁぁぁぁ!!」
一人の人間、しかも金属バットを鉄枷の頭を狙って思い切り振りかざす者がいた。
(なっ!?)
いきなりのことに鉄枷は後ろを振り向こうにもからだが着いてこない。
次の瞬間、金属バットは鉄枷の頭をかち割った
――――――――――かに思えた。
しかしバットを振り払った中円の眼前に鉄枷の姿はなく、代わりに見えたものは勢いよく飛び散る鏡の破片。
中円が振ったバットが叩き割ったのは鉄枷の頭ではなくその奥にあった鏡だったのだ。
では当人の鉄枷は何処に消えたのだろうか、と中円は視線を下に向けると
「てっ、めぇ……いきなり何しやがるんだっ!!!」
頭にかかった鏡の破片を払いながら鉄枷は立ち上がる。
そう、バットが振り払われた瞬間、鉄枷はとっさに身をかがめて避けたのであった。
中円は本能的に危険を察知してか後ろに下がるとそれを追う様に鉄枷はトイレの外へと出る。
刹那、中円は追ってきた鉄枷の方へとくるん、と向き直すと再びバットを鉄枷目がけて振るう。
その動きはあまりに直線的で風紀委員として訓練を積んでいる鉄枷にとって容易く避けれるものだったが鉄枷は避けない……否、避ける必要がなかった。
今まさに自分自身に向けて振るわれているバットに対して、
「ぶっちゃけ効かねえよ!!」
左手の裏拳で対抗するように金属バットを殴りつけた。
バキィン!!と何かが折れ曲がる様な音が公園内に響きわたる。折れ曲がったのは鉄枷の骨ではなく金属バットの方であった。
その折れ曲がったバットは殴られた勢いで中円の手から離れ、放物線を描きながらすぐ近くの砂場に落ちていく。
そんな光景を呆気にとられながら見ていた中円は今の状況を理解するのに数十秒掛かった。
(おいおい、あれは鋼鉄製のバットなんだぞ!? それを生身で捩じ曲げるってことは肉体強化系の能力者なのか!?)
そんな様子を見て鉄枷は満足そうに言う。
「へへ、何が起きたって顔してんな、あんた。特別に教えてやるぜ、これが俺の能力、金属加工《メタルイリュージョン》だ。 この能力の前ではどんな金属なんて粘土のように簡単に捩じ曲げることだって出来るんだよ」
「お前……随分と簡単に自分の手の内を晒しているが……敵の俺にそんな事言っていいのか?」
「はん、ぶっちゃけ風紀委員の俺が、不意打ちなんかしてくる卑怯な奴に負ける訳がねえからな」
その言葉にカチンときた中円は
「調子に乗ってんじゃねえええ!!」
鉄枷に向かって殴りかかる。
金属バットが武器として使えないならもはや頼れるのは己の拳のみ、中円は鉄枷の顔面目がけて右ストレートを放つ。
しかし中円の右腕は鉄枷の顔面に届くことなく、途中で止まった。というのも鉄枷の手が正確に中円の腕を掴んだからだ。
「くっ……! 放せっ!!」
中円は手を引っ越めようとするが鉄枷は放さない。
「その制服……お前|風輪《うち》の生徒だな? 俺を狙ってきたということはぶっちゃけ今日あったことに関係があるのか?」
「だったらどうした!」
中円は掴まれていた右腕を無理矢理に引き離すと、ある程度の距離をとる。
「テメェになんざ話す義理なんかねえよ」
鉄枷と中円の距離はおよそ五メートル。お互い相手の様子を伺い、微動だにしない。
中円はこの後どう動くかを考えていた。
(俺の攻撃は簡単に見切られちまうし、かといってこのままじっとしておく訳にもいかない……)
そもそも最初の不意打ちに失敗した時点で勝敗は決っていたかもしれない。
風紀委員として訓練を受けた人間と、不良の幹部とはいえ戦いには不慣れな人間。まともにやりあったところでどちらが勝つかなんて目に見えている。
(けど……ここまで来ちまったからにはもう引き返せない。やるしかねえだろ中円良朝……!)
中円は覚悟を決め、拳を握り締めると一気に距離を詰めながら走り出した。
「うおりゃあああ!」
右の拳を横に振るうと、鉄枷はバックステップでそれをかわす。その勢いを緩めずに次に左の拳を振るうが鉄枷はまたしてもそれをかわす。
「ちょろちょろと避けんじゃねえ!」
必死に喰らいつきながら次々と蹴りやパンチを放つがどれも結果は同じ避けられて終わりだった。
中円の攻撃を紙一重でかわしながら鉄枷は提案してくる。
「なぁ、いい加減終わりにしないか」
「テメェ……何で反撃してこねぇ……舐めてんのか」
息切れをおこしながらも中円は声を振り絞って言う。
そんな中円を眺めると
「お前だって殴られたら痛いだろ? ぶっちゃけ嫌なんだよ、痛いのも痛みにもがき苦しむ人を見るのも」
鉄枷は当然の様にそう言う。
(な……)
その言葉は今まで風紀委員を目の敵として見てきた中円にとって思いもよらないものだった。
中円にとっての風紀委員とは、ただただ自分の正義を押し通し、こっちの状況や考え、思いなどを理解出来ないし、しようともしない。
“上っ面の治安”を守ることで自己満足しているそんな下衆共。
そんな奴らがただ純粋に自分を殴る事を躊躇していることに中円は信じられない。
「はっ!! 自分の言葉に酔ってんじゃねぇよ偽善者! お前も所詮はクズ共と一緒で、俺を取り抑えられればそれだけで満足なんだろ?」
先程以上に息を切らせ、血走らせている目が中円の必死さを物語っていた。
「……ぶっちゃけあんたが風紀委員をどう思っているかはわからない。だけどよ……これだけは言える」
鉄枷は少し間をおいて
「俺を含めて一五九支部の奴等は絶対にそんなんじゃない!!」
ハッキリと言い切る。その表情に戸惑いや偽りは感じられなかった。その言葉を受け、面くらっている中円に鉄枷は語りかける。
「お前は何故“集金”なんてものをしてるんだ? 訳があるなら聞かせくれ」
一瞬躊躇いを見せる中円だが少しずつ話し始めた……いや、誰でもいいから聞いて欲しかったのかもしれない。―――――自分の今の状況を、考えを、思いを。
「……ただのならず者の集まりだった俺達のグループがおかしくなったのはつい一ヵ月前ぐらい前からだ」
鉄枷は黙って聞く。
「急に上の方から学園内の無能力者、低能力者を中心に“集金”を行えという命令が降りたんだ」
「……それでぶっちゃけお前はどうだったんだ?」
そんなもの答えは決まっていた。
「もちろん、嫌だったさ」
「なら―――――」
鉄枷の言葉を最後まで聞かずに中円は叫ぶ。
「けどっ!! けど……駄目なんだよ……もしそれに反対したら俺は上から追い出されることになる。あそこは……学校にも寮にもどこにもない俺の唯一の居場所なんだよ!」
鉄枷は掛ける言葉が見つからなかった。こんな風に追い詰められている人間にどう言葉を掛ければいいというのだ。
物思いに耽る様にうつむくと一つの提案をする。
「居場所ってのは何も一つじゃないだろ? お前が今の居場所が嫌っていうなら新しい居場所を見つければ―――――」
鉄枷の言葉は途中で中円の怒号に遮られた。
「ふざけるなっ!! 俺が今までどんな思いであの居場所での地位を維持してきたと思っているんだ! やっぱり風紀委員っていうのは何もわかっちゃいない……ただ偉そうに理想論を並べるだけの偽善者だ」
「そんな……俺はそういうつもりで言ったんじゃ……」
中円は先程砂場に落ちた金属バットを拾い上げると
「うるさい……お前の御託は聞き飽きた」
中円は足元の土を飛び散らせながら鉄枷の元へと走っていく。
「うおおおおおおお!!」
振り降ろされたバットを鉄枷は避ける、二発目も避ける、三発目も避ける。
(くっ……俺はどうすればこいつを救ってやることが出来るんだよ……どうすれば……)
中円の言葉は僅かだが着実に鉄枷の動きを鈍らせていた。
そこで鉄枷の動きに一瞬スキができる。中円にはその一瞬で充分だった。
「もらったぁあああ!!」
金属バットは鉄枷の空いた右脇に一直線に振り払われる。
鉄枷の能力、金属加工《メタルイリュージョン》は手で触れなくても自在に金属の形を操ることができる。
もし、右脇に金属バットが直撃したとしても能力を使えばダメージを0にすることができる
―――――はずだった。
バキィ!! と鈍い音と、同時に鉄枷の耳にミシミシと骨が軋む様な音が聞こえてきた。
そう、金属バットが見事に鉄枷の右の脇腹にクリーンヒットしたのだ。
「が、ハアッ!」
肺の空気が体内から押し出されるのを感じると次の瞬間には激しい痛み身体中に駆け巡った。
(どういう……ことだ!? 一瞬だが演算が働かなかった?)
鉄枷の頭は痛みでうまく回らない。
これが中円の能力、能力中断《AIMリセット》。周囲の人間のAIM拡散力場に干渉し、能力を一瞬だけ中断させる能力。
鉄枷の脇に金属バットが触れた瞬間に中円はこれを使って金属への打撃を有効化させたのである。
「く、ははははっ、どうだ風紀委員? これがあんた達がいつもやっている暴力による蹂躙だ。ハハハァ……うっ、うぅぅ」
中円の笑い声は途中で呻き声に変わっていった。
頭を抑えながらフラフラと中円はヨロメき、持っていた金属バットは手から離れて地面に落ちる。
(くっ……そ、これが“あれ”の副作用ってやつか……)
「おい、お前……具合悪そうだが……大丈夫……か?」
鉄枷は脇腹を押さえながらヨロヨロと立ち上がる。
「はっ! ここまできてまだ正義を気取る気かよ偽善者……テメェはそんなに深手を負ったんだから今にも俺をぶち殺したいくらいに腸煮えくり返っているんだろ!?」
「こんなもん……破輩先輩の蹴りにくらべりゃあぶっちゃけ屁でもねぇよ」
「このクソ野郎が……何でお前は……うっうううう!」
中円はフラつきながら一歩、もう一歩と後ずさる。
そしてある程度鉄枷と距離を取ると背を向け、一気に逃げ出していった。
怖かった。
いくら罵声を浴びせようが、バットで殴って痛めつけようが、鉄枷が自分に向けてくる変わらないただ真っ直ぐな瞳が。
「くそっ!! どうしてこんなことに!! こんなはずじゃ……」
中円の脳裏に今日ヘマをして一善に半殺しにされた二人の仲間の姿が浮かぶ。
あんな光景を目の当たりにして自分はそんなヘマを犯さないと誓ったはずだったのに、結果として風紀委員に自分の顔を明かすことになってしまった。
これがこの先どう影響していくのか、わかったものではない。
(俺は……これからどうすればいいんだよ………)
中円が走り去って一人公園内に取り残された鉄枷はしばらくの間呆然としていた。
鉄枷の頭の中では様々な疑問がぐるぐると渦を巻いている。
あいつは誰だったのだろうか、どうして自分を狙ったのだろうか、どうして―――――あんなにも苦しそうだったのか。
考えても答えは出ず、ただ時間だけが過ぎていく。
「とりあえず………支部に戻る事が先か」
鉄枷は血で滲んだ右の脇腹を手で押さえながら再び支部へと歩きだす。
足どりが重いせいか、風輪学園への距離が先程の倍以上に長くなったような感じがした。
4
「キャーーーーー!!! 誰か、誰か助けてーー!」
風紀委員としてこの悲鳴は結構聞きなれた言葉で、大抵の場合は助けを求めている人間が自分達、風紀委員に掛けてくる言葉だ。
しかし自分達がその悲鳴の原因となるのは湖后腹にとって思いもよらないことだった。
その悲鳴を聞きつけた店員や野次馬が何事かと駆けつけてくる。
「そこの二人の男が私を襲おうとしてるの………!! 誰か取り抑えて!」
その言葉を聞いて店員や野次馬の視線が佐野と湖后腹に集中したかと思うと、二人を取り囲むかの様に一気に押し寄せてきた。
「騙されてはいけません、私達は風紀委員です! こっちの話しを聞いて下さい!」
佐野の必死な呼びかけも野次馬達の罵声に掻き消され、伝わることはない。
(くっそ、どうして佐野先輩の言うことを誰も聞いてくれないんだ………)
湖后腹は試着室の方へ目を移すと先程女がいたであろう場所はカーテンが開いていて中には誰もいない。
「佐野先輩! さっきの女がいません、どうやらこの隙をついて逃げたようです!」
「またしても、やられてしまいましたね。 ここは私に任せて、君はその女を追って下さい」
わかりました、と湖后腹は返事をすると群がる野次馬を押し退けて階段を目指して突っ走る。
「まだそう遠くには行ってないはずだよな………」
カンカンカンとテンポよく階段を降りていくと携帯を取り出し、春咲に電話を掛ける。
『もしもし、湖后腹君………どうかしたの?』
「あっ、春咲先輩。手錠を持っていると思われる人物に逃げられました。今すぐに手錠の位置を教えて下さい!」
『わかった……』
湖后腹の要求に春咲はすぐに対応し、手錠の位置を割り出す。
『現在の手錠はセブンスミストから南に三〇メートル程度離れた場所で、どんどんセブンスミストから遠ざかってる……』
「あんにゃろう………逃げ切るつもりか……!」
湖后腹はセブンスミストから出ると南方向に向かって走り出した。
5
「ハァ……ハァ、ハァ」
息切れをおこしながら白高城は夜の街を走っていた。
手錠で場所を探知されているので、どこへ逃げても必ず追手が来るのはわかっているが、逃げずにはいられない。逃げるしかなかったのだ。
人気のない裏路地に入ると、乱れた呼吸を整える様に壁に寄り掛かり、僅かに膨らんだ胸に軽く手をあてる。
「ホントに……ツイてないわね、今日は」
近くの河原から轟々と水の流れる音が聞こえてくるが今はそんな音でさえも白高城にとってはうっとうしい以外の何物でもなかった。
白高城はいつまでもこの場所には留まる訳にはいかず、急な運動でふらつく足に鞭打って走り出した。
しばらく走ると白高城は何の変哲もないただの鉄橋まで着いた。
そんな時に唐突に聞こえてくる湖后腹の声。
「風紀委員だ! 用件は言わなくてもわかるよな?」
ついに追いつかれてしまった。
幸いにも辺りは暗くてお互いの顔はそこまでハッキリとは見えない上に白高城の服装は風輪学園の制服ではなく、先程セブンスミストで購入した服を着ていたので湖后腹に風輪の生徒だということは気づかれずに済んだ。
じりじりと迫ってくる湖后腹に対して白高城は鉄橋の柱に寄り掛かりながら
「あんた達が探しているのはこれでしょ?」
おもむろに鞄から手錠を取り出す。
「お前が……やっぱりそれを持っていたのか」
湖后腹の口調は重みを増す。
「まぁね、それで私をどうしようっての? 力づくで捻じ伏せて、無理矢理にでも奪う? 乱暴な男は嫌いよ」
「とりあえず……一緒についてきてもらうぜ、話しはその後で聞く」
「やーよ、貴方みたいな暑苦しい男と一緒に夜の街を歩いた所で少しも魅力を感じないもの」
軽口を叩く白高城にも動じず、湖后腹はただ距離を詰める為にと一歩ずつ進んでくる。
(このままじゃ……捕まるのも時間の問題ね)
白高城は時間を稼ぐ為に話題を切り出した。
「ねえ、貴方はどうしてわたしを捕まえようとするの」
「そりゃあ、お前等のせいで傷ついた人間がいる、理由はそれだけで充分だろ」
「ふーん……“お前等”……ね」
白高城の思わせぶりな発言に湖后腹は眉をひそめながら言う。
「何が言いたい?」
「貴方はわたし達の組織がどれほどの規模かも把握出来てないでしょ? それを単純に“お前等”なんて言葉で一括りにしてもいいのかなーって」
「ふん、どうせ学園内の不良共の集まりだろ? 大袈裟に言うなよ」
吐きすてる様にそう言うと更に一歩前へ踏み出してくる。
だが白高城は肩をすくめて、
「残念、私達の組織は各地の無能力者狩りの連中らにもコネがあるんだよん 本気を出せば貴方達の支部を潰すのだって訳ないんだから」
無能力者狩り、学園都市内部で能力者がスキルアウトなどの無能力者を主な標的として襲う行動。最近ではスキルアウトでなかろうと無能力者なら無差別に狙われるケースも増えてきているという。
そして、湖后腹が放課後に二人の男から守った少年もまた無能力者だった。
「お前等は学園内の無能力者を中心に“集金”ってのを行ってきてたってことか、だからこそ各地の無能力者狩りを行う奴等とも繋がりがある、違うか?」
「ご名答、ついでに言えば低能力者も私達の標的だけどね」
湖后腹はギリッと歯ぎしりすると、まるで親の仇にでも会ったかのような表情で白高城を睨みつける。
「お前等は……どうして平然とそんな事が出来んだよ!! 他人の痛みって物が理解できねぇのか!」
怒りの感情を現《あらわ》にする湖后腹とは打って変わって、白高城はただ平然とした面もちで答える。
「うーん、どうしてって言われてもねぇ……ま、貴方には一生わからないと思う」
「ふざけ…」
「あと、」
白高城は湖后腹の言葉を遮る様に口を挟んできた。
「“お前等”って、呼ぶのはあまりに抽象的過ぎでしょ 本来、私達の不良グループには名前なんてものはなかったんだけど、一ヵ月前“集金”が始まってからこう名乗ることになっているの」
「―――――復讐者《アヴェンジャー》、ってね」
6
支部に一人で待つ春咲は若干の胸騒ぎを感じていた。
先程、湖后腹に手錠の場所を伝えたというのに未だに手錠とその所有者を確保した、という報告がないことからすると手錠の回収に手間取っている。もしくは―――――
「返り討ちにされた……」
春咲は自分が言ったことを全力で否定するようにブンブンと頭を横に振る。
(湖后腹君は伊達に第五位やってる訳じゃないんだから大丈夫……)
春咲は湖后腹達のこともそうだが、もう一人心配している者がいた。
そう、鉄枷だ。
鉄枷がすぐに戻ってくると言って、もう四〇分以上が経過していた。
高等部女子寮から風輪学園までの距離は遅くても二〇分程度でいける距離だというのに、戻ってくるのに倍以上の時間がかかっているというのは明らかにおかしかった。
そう思いを巡らす春咲の後ろでガチャン、とドアが開く音が聞こえた
「鉄枷く―――――」
入口の方とへ駆けつけるとその光景に春咲は思わず息を飲んだ。
「ハハッ……すいません、ぶっちゃけ遅れてしまって」
鉄枷は純白のワイシャツを右の脇腹だけ真っ赤に血で染めて、入口の前で倒れこんでいたのだ。そんな姿は見てるこっちが痛みを感じそうなぐらいに痛々しかった。
「鉄枷君……その傷、どうしたの?」
春咲の問いに鉄枷はかすれた声を絞り出す様に返した。
「これっすか? いやーー、帰り道ですっころんでしまって、ハハハ……」
どうすれば転んで脇腹を怪我する事ができるのだろうか、そう春咲はツッコもうかと思ったが止めておいた。
鉄枷が下手な嘘をつく時は必ず何か理由がある。春咲は鉄枷との長い付き合いでそのことはよく理解していた。
「この傷のことはぶっちゃけ誰にも言わないで下さい。お願いします」
鉄枷はそう言いながら起き上がると救急箱が置いてある棚へと向かっていった。
春咲はそれに黙って頷いた。応急処置ということで傷に包帯を巻いていく鉄枷。
そんな鉄枷の頭の中で中円の言葉が響きわたる。
『はっ!! 自分の言葉に酔ってんじゃねぇよ偽善者! お前も所詮はクズ共と一緒で、俺を取り抑えられればそれだけで満足なんだろ?』
『ふざけるなっ!! 俺が今までどんな思いであの居場所での地位を維持してきたと思っているんだ! やっぱり風紀委員っていうのは何もわかっちゃいない……ただ偉そうに理想論を並べるだけの偽善者だ』
中円の言葉に全力で反対した鉄枷だが、実際はどうなのだろか。
もしかしたら中円の言う通り自分は治安を乱す奴をただ一方的に捕まえることに充実感を得ていたかもしれない。
そもそも自分が風紀委員に入った理由は何だったのだろうか。
(俺は………)
鉄枷の風紀委員に入った理由は治安維持だとか内申点の上昇だとかそんなこみ入ったものではない。もっと単純な―――――
(そうか、すっかり忘れていた………)
ただ、みんなの笑顔が見たかった。それだけのことだったのだ。
包帯を巻き終えると鉄枷はゆっくりと立ち上がった。
少しからだを動かすだけで鈍い痛みが小刻みに全身に伝わってくるがその程度の事を気にしてはいられない。
誰かを笑顔にする、それが鉄枷の目的だというなら偽善者と罵られようがやることは一つしかない。
(不良だろうがなんだろうが関係ねえ、あいつが苦しんでるなら………笑顔に変えるまでだよな)
7
「復讐者《アヴェンジャー》………だと?」
湖后腹は聞き返す様に復唱した。
「ま、名前なんてどうでもいいんだけどねーー。それよりこれ、取り返さなくていいの?」
白高城は湖后腹の目の前でこれ見よがしにプラプラと手錠を揺らす。
「そうだったな、返してもらうぞ」
「ええ、いいわよ」
じゃあ……、と手錠に向けて手を伸ばす湖后腹を尻目に
「ちゃーんと、返してあげるッ!!」
言うが早いか白高城は鉄橋から思いっきり手錠を投げ捨てた。
四つの手錠は宙をクルクルと舞いながら川の方へと落ちていく。
「なっ!?」
とっさの判断で湖后腹は磁力を使い手錠を引き寄せようとしたがその時には手錠は既に水の中に落ちてしまっていた。
「あららー、今日は川の流れも激しいからほっといたらあの手錠はどんどん流されていっちゃうんじゃない? あの手錠がなければ証拠不充分ということでわたしを捕まえることもできないわよねー?」
確かにその通りだ。
もしこの場で目の前の白高城を取り抑えた所で、『こいつが手錠を持っていた』という物的証拠がなく、目撃証言だって湖后腹以外に白高城が手錠を持っていた所を見た者がいないのだからあてにはならないだろう。
つまりは、白高城の指紋が着いた手錠を証拠として突きつけるか、手錠を媒介して読心能力で白高城が手錠を持っていたことを裏付けない限りは捕まえることは出来ないのだ。
「くっそ、また服を汚す破目になるのかよ」
湖后腹は毒づきながら靴を脱ぎ捨てると鉄橋の端のフェンスによじのぼる。
そんな湖后腹を見た白高城は信じられないといった様子で言った
「貴方………死ぬ気? 貴方がいくらレベル4の電撃使い《エレクトロマスター》だからといって水の中では能力を使えないのよ?」
電撃使いにとって自分が水に濡れている状態での能力の行使は下手をしたら水を伝って自身が電撃を浴びる危険性がある諸刃の刃。
つまりいくらレベル4だろうが湖后腹は水の中ではただの人間なのだ。そんな者が流れが早い川に飛び込んだらどうなるかなど目に見えている。
「わかっているよ………けど俺はこれ以上仲間の足を引っ張たくないんだ。それに手錠を取り戻したらお前も捕まえに行く、覚悟しとけ」
それだけ言い残すと湖后腹は鉄橋から飛び降りていった。
白高城はあまりに突拍子もない湖后腹の行動にしばらく呆然として
「プッ、アハハハハ。これは傑作、たかが手錠の為に川にダイブするなんて。フフフ、お腹……痛いよ」
子供の様に腹を抱えて笑いだした。
鉄橋には白高城の笑い声だけが静かに響く。
白高城はしばらくそんな光景を眺めると、
「さて、いいものも見れたし、帰るとしますか」
落ちていた鞄を拾い上げ闇へと消えていった。
(せいぜい死なないよう頑張ってね。 第五位のこ・ご・は・ら・君)
8
冷たい。
それがまず最初に水に浸かった時の正直な感想だった。身体中のありとあらゆる場所に水が入り込んでくる。
湖后腹はそんな冷たさに耐えながら手錠を探し始める。
白高城が投げ捨てた手錠は計四つだがその全てを集める必要はない。証拠としてなら一つで充分だからだ。
(一つだけ、せめて一つだけでいいから見つかってくれよ……!)
しかし湖后腹の思ってた以上に川の流れはキツく、手錠を探すどころか流されまいと必死に抵抗するのが精一杯だった。
(畜生!! こんなんじゃ探そうにも探せねえよ)
轟々と流れる水の音だけが湖后腹の聴覚を支配し、冷たい川の水が身体の体温を徐々に奪っていく。
そんな時、湖后腹の僅か二メートル先にキラリと光る物があった。
濁った水のせいではっきりとはわからないがそれは確かに手錠の形をしていた。
(!! あった……!)
湖后腹は水をかき分けながらそこへ向かおうとするが川の流れに遮られ思うように進めない。それどころか、その手錠はどんどんと流されていき、湖后腹との距離は広がっていく。
(ちっ、くしょぉおおおおお!!!)
湖后腹は自分の身体の電気信号を操り、思いっきりバタ足をした。
一時的に増幅された脚の筋力は足元の水を蹴散らし、みるみるうちに手錠との距離を狭めていく。
そして―――――
(……取った!!)
確かに手で掴んだものは風紀委員に支給されている近未来的なフォルムの手錠だった。
無事手錠も取り戻すことが出来て、後はこの川から出れば済むはずだった―――――が。
ズキン! と足に電流が走ったかの様な痛みが湖后腹の両足に訪れる。どうやら無茶をして脚の電気信号を操った反動が出たようだ。
(ガッ……こんな時に両足ツっちまうなんて……)
湖后腹には両手だけで陸まで泳ぐ程の体力は残されておらず、万事休すかに思われた。
そんな時
「何してんだ、湖后腹」
湖后腹の耳に聞きなれた少年の声が聞こえてきた。薄れていく意識の中で湖后腹はその声の正体が誰かを思い出す。
(この声、どこかで聞いたな、誰だっけ、そうだ、確か、いつも学校で会ってる奴だ、クラスメイトの―――――)
「ひ…ゃく……じょ……う……か?」
湖后腹は口に入り込んでくる水を吐き出し、ついに幻聴まで聞こえてきたか、と微笑しながらクラスメイトの名前を口にする。
答えなど返ってくるはずがない。そう諦めていた湖后腹。
しかしその予想は数秒後に
「いいザマだな、必要か? 助けが」
良い方へと裏切られることになった。
湖后腹がゆっくりと目を開くと、すぐ上で宙にふわふわと浮いている少年、風輪学園の第八位、百城が手を差しのべていたのだ。
「な……んで、お前が……」
「いいから早く俺の手を取れ、このままじゃホントに溺死するぞ、お前」
湖后腹は差しのべられた手を掴む。
百城の手は温かみを帯びていて、それは幻覚ではなかった。
9
「んで、どうして川なんかで泳いでたんだ?」
百城の能力、重力干渉《グラヴィティルーラー》によって川から引き上げられた湖后腹は百城から貸してもらっだハンドタオルで身体を拭いていた。
「泳いでたんじゃねぇよ! というかお前こそ何で第七学区にいんだよ、お前は中等部の寮……っていうか俺のすぐ隣りの部屋だろ!」
「相変わらず騒がしい奴だな、お前は。 ただ野暮用があっただけさ、ここには」
さらっと質問を流される湖后腹は百城に若干の苛立ちを覚える。
風輪学園には同学年のレベル4は一つのクラスにまとめられる風潮があり、その為必然的に入学当初から湖后腹と百城とは同じクラスであった。
中学三年となった今でもお互い仲睦まじい関係というほどのものではなく顔を見ればたまに話しをするくらい。
「そうかよ……」
「それよりまだ答えて貰ってないぞ、俺の問いに。どうして川で溺れてたんだ?」
「溺れてねぇ……いや、まぁ、そうか………」
湖后腹は風紀委員とは無関係の百城に風輪学園の現状を伝えてよいか迷ったが、助けてもらったこともあるので仕方なく話すことにした。
湖后腹の説明に百城はピクリとも表情を変えずただ真剣にそれを聞く。
「―――――という訳で、俺は手錠を取り戻す為に川に飛び込んだんだ」
「………、相変わらず無茶をするな、お前は。」
百城は少し笑いながら言った。
「……自分の通っている学校がこんな状況だというのに、あんまり驚かないんだな。」
「普通だと思うぞ、こんぐらいのいざこざがあるくらい。むしろ今までが平和過ぎたんだよ」
「そう、なのか?」
そんな中、不意に携帯のメール受信音が鳴る。それは湖后腹のものではなく百城の携帯からだった。
ゆっくりとした動作で携帯の画面を開く百城。
「……なるほど、その件でどうやら“お前等”のリーダーは“俺達”を頼ることにしたらしいぞ」
携帯の画面を湖后腹は覗き込むようにに見る。そこにはこう書かれていた。
【本文】やあ、風輪学園のレベル4の諸君。風紀委員の破輩妃里嶺《はばらゆりね》だ。
急な話しだが明日、風輪学園の会議室に集まって欲しい。詳しくは明日追って説明する。
これからの風輪学園を大きく左右する大事な会議だ。必ず参加してくれ。
追記:こないとシバくぞ☆
「お前も含めて……なかなかにハッチャケてるな、風紀委員の人間つーのは」
「ハッチャケてねーよ! これが破輩先輩の平常運行なんだよ!」
あぁそう、と百城。
「そんな事より百城、お前明日の会議に出るのか?」
湖后腹の問いに百城は一言。
「出ねぇよ、もちろん」
湖后腹はその答えに怒りを通り越して憐れみを感じていた。あの破輩先輩に逆らった奴の末路は土下座しながら泣いて謝るのが基本でそこに例外は存在しない。
「まぁ、いいけど。死ぬなよ百城」
「死にかけた奴が何言ってんだよ」
そう言うと百城は立ち上がり
「んじゃ、俺は帰る。しっかりと身体を乾かしておけよ」
くるり、と湖后腹に背を向け歩きだしていった。
どんどんと遠ざかっていく百城の背に湖后腹は最後に大きな声で叫ぶ。
「助けてくれて、サンキューな」
「溺れてた奴を助けるのはこれで二回目だし、気にすんな。」
百城の姿が見えなくなると、湖后腹もその場を去ることにした。
手には水分を吸って重くなった制服とただ一つの手錠だけを持って。
「とりあえず、佐野先輩に合流しないといけないな」
10
風輪学園の高等部男子寮の屋上。
そこで一人の少年がフェンスに寄り掛かりながら学園都市の夜景を眺めていた。
時折吹く風によって少年の髪はたなびき、所々染めている金髪と黒髪がバサバサと交じり合う。
少年の表情はまるで汚い物を見るかの様に嫌悪感だけが突出していた。
「いつ見ても……この街は腐ってやがるな」
そんな風に毒づく少年の後ろから一人の男が歩み寄ってくる。
「よう、ご無沙汰してるぜ」
少年は後ろを振り替えらずに答える
「木原か………何の用だ」
茶髪にコーン・ロウの男、木原一善はニヤニヤと笑いながら少年に話し掛ける。
「久々の再開だっつーのに、相変わらずツメテーな」
「………、」
「話がある、これは俺達、復讐者《アヴェンジャー》にとって深刻な問題だぜ?」
一善の思わせぶりな発言にも少年は大した興味を見せず、微動だにしない。
しばらくの沈黙の後、口を開いたのは少年の方だった。
「大方……風紀委員に見つかったといったところだろ」
「はっ、大アタリって所だな。よくわかったなリーダーさんョ」
少年は自分の携帯を開くと、一善の方へと投げ渡した。
「おっ、……と、なんのつもりだョ」
「そのメールの内容を見てみろ」
「あぁ? “やあ、風輪学園のレベル4の諸君………」
一善はそのメールに書いてある内容を読み始めた。
それを読み終えた所で
「ブ、ハハハハハ、ついにあのババアが本気を出すってことか、しかもレベル4の力を借りようとしてるとはなぁ。こいつ傑作だ。ギャハハハハ」
少年は未だにそんな一善に背を向け、ただ夜景を眺め続けている。
「でェ、お前はその“力を貸す立場のレベル4”に入ってる訳だがどうすんだリーダー? いや―――――」
一善は言い直して
「風輪学園の第六位、黒丹羽千責《くろにわちせき》さんョ」
黒丹羽と呼ばれる少年はそこで一善の方を向くと
「あっちの動きを把握しておけば、俺達がこの先どう動けばいいかも必然的に見えてくる」
そう言い放ち、一善から携帯を取り返してポッケに閉まった。
「つまり“風紀委員に協力する形であっちの情報を抜き取る”って訳か。オモシれぇじゃねぇか」
「どうだかな………」
黒丹羽はそうポツリと呟いて空を見上げる。屋上では先程よりも風が強くなり、吹き荒れ始めていた。
まるで―――――この先の嵐を告げるかの様に。
最終更新:2012年07月23日 21:00