1


風輪学園の屋上。
度重なる雨によりすっかり錆びついてしまったフェンスと、塗装が剥がれむき出しのコンクリート、そして文化祭に使われる予定の諸々の材料が雑にブルーシートをかけられてそのまま放置されている、なんとも言えない空間。
そこにはこの学園……いや世界を見渡すようにどこか遠い目で呆然と眺める少年がいた。

「……、」

名は黒丹羽千責。
アヴェンジャーのリーダーとしてこの学園の行方をここから観察していた。破輩に言った通り、一番良く見えるこの場所から。

今の状況は思い通りとは言えない。
神奈音響、坂東将生、木原一善。それぞれに与えた行動の完了報告がないのだ。
これは逃げ出したか、あるいは風紀委員に囚われたかを意味している。
そして破輩討伐のために向かわせた精鋭達はここから見てた通り、イレギュラーな人物の介入により全て返り討ちにされた。

「この腐った世界に居場所なんて無い……なのになぜそこまで必死に守り通そうとする。なぜそんなもの信じるんだろうな」

フェンスを握る力が次第に強くなる。
黒丹羽は理解できない。否、理解しようとしない。
今まで自分がいた場所に居場所なんて無かった。
必ずといっていいほど自分の周囲の者は裏切りや、野心を抱え自分に危害を加えてくる。そんなところが居場所なわけがない。

「なぁ……お前もそう思うだろ」

黒丹羽は誰に話しかけているのか、フェンスにもたれかかったまま呟く。

「――醜い醜い……風紀委員様よぉ」

入口が開く音が聞こえた。
来客は三名。そのうち屋上に出てきたのは二名。

「黒丹羽先輩、俺はまだ信じてませんよ……!」

「ぶっちゃけ……なんでだよ」

その二名とはツンツン頭が特徴の少年、湖后腹真申と、赤いハチマキを巻いた少年、鉄枷束縛だった。


  2


鉄枷は風輪学園に着くと湖后腹と合流した。
湖后腹もまた『アヴェンジャー』による暴動で傷を負っていたが、それはまだ軽いもので、動けないことはなかった。
屋上まで向かった経緯は、一緒に同行していた薙波の『読心能力』によりアヴェンジャーの者の思考を読み取った結果、リーダー的人物のいる場所は屋上という答えが出たから。


鉄枷も湖后腹も携帯をチェックして、破輩から来たメールには目を通していた。それは黒丹羽が『アヴェンジャー』の首謀者であることが書かれた、衝撃的な内容。
黒丹羽といえばこの学園の鑑のような人物で、生徒や教師からの信頼も厚い非の打ち所のない人物とも言えた。
クラスは違えど同じ学年として鉄枷は黒丹羽を少なからず認めていたし、先輩として湖后腹は尊敬していた。

そのせいもあって今まで疑ったことのない破輩の言うことを、今日初めて湖后腹は疑ってしまった。
湖后腹にとってその事実はそれほど信じられないことだったのだ。

「なんとか言ってくださいよ! 『違う』って……言ってくださいよッ!」

屋上に向かった先には、黒丹羽がいた。
今まで見せたことのないような、憎しみに歪んだ表情を浮かべて。

「……、」

「黒丹羽。ぶっちゃけテメェが何を考えてるのか俺にはわかんねえ……。でも、破輩先輩が言ったことが本当なら俺はテメェをぶっ飛ばして更正させなきゃいけねえ!」

やれやれ、と呆れた様子を浮かべ、黒丹羽はようやく振り返る。
気だるそうに首の骨を何回かコキコキとならすと、

「何が更正だ、ばっからしい。俺は間違ってなんかいない。なんでも自分の定規で正誤を判断すんなよ、エゴイスト」

吐き捨てるようにそう言った。
鉄枷は、人が変わったように豹変した黒丹羽に歯ぎしりをする。何がこの者を動かすのか、何がこの者をここまで歪ませたのか。

「鉄枷先輩、そうですよ! 俺達はまだ黒丹羽先輩自身から真実を聞いてない! まだ決め付けるのは――――」

「お前も黙れ」

湖后腹の言葉を遮って黒丹羽は続ける。

「やめろやめろ。こんな茶番。悪役を信じ続ける健気な役なんか今じゃなんの需要もないぜ?
それでもまだ『信じ続ける健気な人物』を演じたいなら、その役はここで終わらせてやるよ」

空気が凍り付く。
鉄枷と湖后腹は息を呑んで次の言葉を待った。

「そう――――俺が『アヴェンジャー』だ」


  3


黒丹羽のその一言により、湖后腹の表情はガラリと変わった。
先輩に向ける目から、敵を倒す算段を探る風紀委員の目に。

「湖后腹……お前も覚悟はできたか」

「……はい。俺はこの学園の風紀を乱すものは誰だろうと取り締まる、そうここに入った時から決めてますから……!」

湖后腹の覚悟を確認すると、鉄枷は金属の長棒を二分し、警棒の形へと変形させた。
片方は自分の右手に握りしめ、もう片方は湖后腹へと手渡す。

「行くぞッ!」

「はいっ!」

警棒を握りしめた二人は両サイドから黒丹羽の元へと距離を詰めていく。対する黒丹羽は何もせず、ただ立ち尽くすだけだった。
何の抵抗もしない人間に武器を振るうのは些か気が引ける二人だが、今はそんなことを言ってる暇はない。目の前に立つのは、仲間のレベル4ではなく『アヴェンジャー』の“黒丹羽千責”なのだから。
湖后腹と鉄枷は同時に黒丹羽に向けて警棒を振った。飽くまで気絶させるのが目的なので急所は避けて―――

「!?」

消えた。
二人の手に握られていた警棒が、黒丹羽に触れた瞬間に瞬きをする暇さえ与えずに消滅した。
その消失は空間移動のような不自然な消え方ではなく、まるで掴んでいた警棒が霧で出来ていたかのように空気中に溶け込んでいったかのだ。

「――――『昇華』」

黒丹羽がポツリと呟く。
それは今の不可思議な状況を説明してくれる一言。
とりあえず鉄枷と湖后腹は一旦後ろに下がって距離を離す。

「湖后腹……今のは?」

「恐らく、黒丹羽先輩の『状態変化』により、触れた金属の分子を自由運動に変えて気体にしたんだと」

クッ、と鉄枷は苦虫を噛み潰したように表情を険しくする。
レベル4とレベル3の間に広がる差を改めて実感した瞬間だった。

「そういうこと。けど一旦引いたのは正解だったぜ? あのままお前らが俺を素手で殴りにかかってきたら……」

黒丹羽は自分の右手の甲に人差し指を置いて、

「――こんな風に、まずは皮膚からズタズタにされていたんだからな」

ジュウと肉を焼くような音が聞こえる。
鉄枷達が見たのは、指を当てた部分の皮膚が綺麗になくなり筋肉が見えている黒丹羽の手。
痛みを感じてないのか、その顔はいまだ無表情に近い。

「こいつ……自分の手を……」

鉄枷は正気の沙汰とは思えない黒丹羽の行動に純粋に恐怖する。
人間の身体をそこら辺のモノと大差なく消滅させる。つまりこの男は本気だ。
もしこの男に触れようものならその瞬間に手首までを、あるいは腕全体を躊躇なく消されるだろう。

「何かねえのか……湖后腹。ぶっちゃけアイツよりお前のほうが順位は上なんだろ?」

「あることにはあります……」

「なんだ?」

「これです」

バリッと、湖后腹の指で青白い光が弾けた。そう、それは電流。
状態変化とは物体にのみ作用するもの。物体ではなく“現象”であるはずの電流なら防がれることはない。

「物理的攻撃が効かねえって言うなら、それしかないな。頼んだぞ湖后腹……」

「任せてください! 俺が黒丹羽先輩を止めて見せます!」

バチン!! と、先程よりも威力の高い電流を手のひらに帯電させる。
そして湖后腹は黒丹羽へとその手を向け、

「今俺があなたに向けているのは高電圧の電流です。加減はしますが、かすり傷ではすみません。
……だから、降参して下さい」

「やりたければ好きにしろよ。自分のエゴを押し通して屈服させてみろ、“偽善者”」

「くっ……なんで――!!」

湖后腹は説得は不可と思い、そのまま黒丹羽に向けて『雷撃の槍』を放った。光の速度で空気を駆け抜ける稲妻。それを人間が目視で見切り、かわすのは不可能。
黒丹羽もその例外ではない。
いや……それでも彼は“かわす必要がなかった”と言ったほうが正しいのだろうか。

「――――『脱電離』」

バシュウウン!! と、耳に障る音が響き、雷光が突如として消えた。
それは警棒の時と同じく、黒丹羽に触れた瞬間に。

「馬鹿だな。電気はプラズマの一つだ。“第4の状態”って言われてる、な」

「そんな……!?」

「なんだそりゃ! ぶっちゃけ、聞いたことがねえぞ!」

「放電という現象は、放出された自由電子が空気中の気体原子と衝突し、電離させ、そこから生じた陽イオンが新たな電子を叩きだすこと。
そしてこの電子が更なる電子雪崩を引き起こすことによって持続的な放電現象を発生させる。
……つまりは俺に触れた瞬間に電離した気体原子を元に戻してやればいい。そうすることにより連鎖的に電子雪崩も止まり、電撃は消えてなくなるというわけ」

黒丹羽の説明に二人は静まり返る。

(ぶっちゃけ、こいつの説明聞いても全然理解できなかったんだけど? プラズマとか電離とか……湖后腹お前わかったか?)

(ええ、大体は……簡単に言うと、電撃使いはプラズマ使いでもあり、黒丹羽先輩はプラズマを『状態』として、操ることができるんです。つまり俺が電撃という『プラズマ』を放っても『気体』の状態に戻されてしまうんです)

要するにこの男の前では湖后腹の電撃も鉄枷の金属も等しく無力ということだ。
肉弾戦も封じられたこの状況では、それぞれの能力を取り上げられた二人は今のところまったくといっていいほどに勝機がない。

「ま、俺もこのことは最近知ってさ……苦労したよ。なんせ電撃を何度も浴びて、電離中の粒子の構造、集まり方を脳に焼き付けたんだから」

黒丹羽はまだ微動だにしない。なのに自分たちはこうして押されている。
風紀委員として恥ずべきことだった。目の前の相手に手も足も出ないこと。自分が非力なこと。

(湖后腹……俺に考えがある)

だが、鉄枷にはまだ策があった。
否、策というにはあまりに漠然としすぎている。あえて言うなら『試したいこと』ぐらいなものか。
それでもこうして何もできず、動かないよりは百倍マシだ。

(なんですか……?)

鉄枷は湖后腹の耳に口を近づけ、あることを口にする。
それは今までの経験に基づいた推測、しかしそれがもし正しければこの状況を打開できる架け橋となるかもしれなかった。

(わかりました……それで行きましょう)

湖后腹は鉄枷の案に賛成し、その行動にととりかかる。

「作戦タイムは終わったか? ま……どの道、俺がお前らに負けることはないけどさ」

鉄枷は屋上のフェンスを一部変形させ、手頃な大きさの鉄棒に変化させた。

「ああ! 行くぜ!」

そして、それを構え一気に突撃する。
空気の抵抗を受けながら黒丹羽へと向かっていく中で思い出していたのはあの時のこと。

(確かにこいつの能力はありとあらゆる物を変形させる、ありえねえ能力だ。
けど……それは飽くまで広く浅く。金属に限定して言えば俺の『金属加工』の方が精密さは上回る――!)

鉄枷は自身の上位互換とも言える能力者と対峙したことがある。
触れる必要もなく膨大な量の金属をありとあらゆる形に鋳造し、意のままに操ることのできる金属操作系の大能力者。しかし同系統の能力があるが故に鉄枷はその能力に干渉し、短時間ではあったがその者の能力の発動を阻害することができた。
ならば今回もその原理で、能力によって金属の分子を固体の集まり方のままに固定して、『状態変化』を無理やり押さえ込めばいいのではないか。

「うおぉぉぉぉ!!」

鉄枷は鉄棒をまっすぐ突き立てた。
相変わらず黒丹羽は動かない。それは自分の策に気がついてない証拠。
ならばこの一撃で決めることが出来れば、全てに片がつく。

だが―――

「!!」

デジャヴにも似た既視感が鉄枷の脳裏に過る。
それは過去に風紀委員の仕事として、暴走中のスキルアウトと対峙した時。
鉄枷は意識を失わせるために、振るった鉄棒でそのスキルアウトの一人に重症を負わせてしまったことがあったのだ。
結果としてそれは正当防衛で済まされたが、その時のトラウマは未だ鉄枷の胸の奥に深く刻まれている。

また自分は傷つけていくのだろうか。
この手を鉄臭い血で染めていくのか。

「くっ――――!」

やめろ。
余計なことは考えるな。
急所に当てないよう注意すればあの時の二の舞にはならない。
そうだ。自分を“信じろ”。

「だらあぁぁぁぁぁぁッ!!」

鉄枷は黒丹羽の右肩を狙って鉄棒を槍のように突き立てる。
能力を働かせ、分子を固定しながら。


ジュウウウウウ!!
肩に突き立てた鉄棒は触れた先から侵食されるように、『液体』となっていった。
鉄枷が『固体』のまま固定しようとしたのに対し、黒丹羽は蒸発させて『気体』にしようとした。
それらの力が拮抗し合い、『固体』と『気体』の中間である『液体』へと変化したのだ。

「――――へえ、」

そこで、ようやく黒丹羽が動いた。
自分の能力に触れることのできる者の存在を知ってか、退屈そうな表情から少しだけ笑みが溢れる。

「なるほど……金属に限っては俺も棒立ちというわけにもいかなさそうだ」

そう言って黒丹羽が取り出したのは一本のペットボトル。
しかし中には水ではなく、灰色い液体。そう、液状にされた金属が眠っていた。
黒丹羽はそのペットボトルの蓋を外し、地面に注ぐかのように垂直に傾ける。
ゴポゴポという音と水泡を立ててこぼれ落ちていく液状の金属。しかしそれは地面に到達する前にピタリと止まった。

「なら目には目を鉄には鉄を ってことで――――」

ザン!!
黒丹羽は鉄枷めがけてペットボトルを薙ぎ払う。そのペットボトルの口からは氷柱《つらら》のように途中に固体化された金属が刃のように飛び出していた。

即座に身を逸らす鉄枷。だが、首にかかるネクタイだけがその動作に着いてこれず、先端を断裁された。
しかし今の一撃をよけていなかったら切られていたのはネクタイではなく胴体だったかもしれないのだから、マシだといえよう。

「っぶねえ……」

鉄枷は額に伝う冷や汗を拭い、迷いを見せた自分に後悔をする。
さっき余計な心配なんてしなければ、黒丹羽へと向けた鉄槍は固体を保ったままだったはずだ。
その一瞬の迷いが演算に影響を与え、分子を固定する力を弱めたらしい。

「こうなっちゃ仕方ねえ……湖后腹!!」

「はい!」

湖后腹は予め預かっておいた予備の鉄塊を鉄枷に投げつける。それをキャッチして、鉄枷はまた鉄槍を生成した。

(だが、これでこいつも迂闊には俺の鉄に触れては来ない……ならこのまま押し切るまで!)

鉄枷は黒丹羽に向けて鉄槍を薙刀のように薙ぐ。無論、常に能力を発動し、『状態変化』の影響を受けないようにしながら。
黒丹羽もそれに触れようとはせず、ペットボトルの先から出る凍りついた金属の刃で受け止めた。

ギイィィン! と、金属が擦れ合う甲高い音が響く。
幾度も衝突しては間に火花が散り、お互いの体力を摩耗させていく。

黒丹羽と鉄枷が鍔迫り合いを起こす中、湖后腹は絶えず電撃を放ち続けてきた。標的は黒丹羽ではなく、その周辺。
黒丹羽を狙わないのは、鉄枷にも当たる危険性と、脱電離による回避を危惧してのこと。

そして、それにはもうひとつ大きな意味があった。

(鉄枷先輩……これで本当にうまくいくんですか……?)

ガァンッ!! 
鉄枷の槍で黒丹羽の鉄剣はペットボトルごと弾き飛ばされた。弾き飛ばされた先は、空中。
そう、屋上から真っ逆さまに落ちていったのだ。

「へっ! 残念だが日頃訓練を受けている俺に棒術で叶うと思うなよ」

「くっ……」

黒丹羽は少し苛立ちの表情を見せ、あることを疑問に抱く。
それは先程からの息苦しさ、そしてこの空間に漂う独特な刺激臭。

「ぶっちゃけ、終わりだ!」

鉄枷の槍がまた黒丹羽の右肩を狙って突き進む。今度はあちらの固体化の固定が自身の気体化を上回るかもしれない。だとしたら右肩に固体のままの鉄の塊が直撃し、損傷は必至。

「――――ッ!」

黒丹羽は身をかがめ、その一撃を回避する。
それでもその回避は完璧ではなく、チッと音を立て鉄枷の一撃は制服を引きちぎっていった。

肩から血が滲みだす。
痛みはそこまで感じないが、別の何かが心の奥底でふつふつとにえくり返っていくのを感じた。

「……殺すぞ?」

それは怒り。
自分でもわからないほどに頭の中が怒り一色に染まっていく。
今までの怒りが静かな停止中の火山のようなものだとしたら、今は噴火寸前にまでにマグマを溜め込んだ活火山の如き怒りだった。
抑え切れない感情を五本の指に乗せ、黒丹羽は鉄枷を爪で引き裂くように振るった。

「がぁああああああああ!!」

その指になぞられた部分がジュウジュウと音を立てて溶けていく。
しかし服に邪魔されたせいか傷はそこまで深くなく手応えは少ない。

鉄枷は痛みを堪えて再び後ろに引いた。
服の腹の部分には五本の穴が空き、そこから血がボトボトとこぼれ落ちている。

「鉄枷先輩!」

「俺のことはいい! お前はまだ“あれ”を続けろ!!」

鉄枷の指し示す“あれ”のため、湖后腹は頷いて、また電撃を飛ばす。しかし、やはりその電撃は黒丹羽には向いておらず、空を切るばかり。
鉄枷は自分の傷を探るため、血だらけの腹部に右手を伸ばした。

「つっ!」

少し触っただけだというのに、激痛が全身を襲う。
鉄枷は後もう少し前にいたら、内臓ごと――――いや、先ほどの距離でも十分に内蔵には届いていたはずだ。
なのに何故黒丹羽はそうしなかった。口では『殺す』なんて言っていても、本当に黒丹羽に自分を殺す気はあったのだろうか。
振り返ってみると他にも違和感はある。
『アヴェンジャー』だというのに何故黒丹羽は自分から攻めて来ない。ずっとこのまま間延びした戦闘をしていれば増援が来るかもしれないというのに。
それに、黒丹羽の身体触れたらどうなるか、自分の身体を傷つけてまでこちらに教えてきた。
まるで、自分から離れるように促すかのように。

(まさか――――)

鉄枷は痛みをこらえながら立ち上がる。僅かな確信があるのか、その瞳はギラギラと鋭い光を放っていた。


  4


「はぁ……いつまで続けんだ? テメエらの浅はかな戦法は既に見きってんだよ」

「え?」

湖后腹が最後の電撃を放った瞬間、黒丹羽は片手を天に掲げた。
そして、まるで何かを掴むように開かれた手をギュッと握りしめると、

「――――『凝縮』」

空気中にあった“あるもの”が状態変化によりその正体をあらわにする。

ビシャビシャビシャ!! と雨粒がコンクリに打ち付けられるような音が響いた。その“あるもの”は液体となり、屋上のコンクリを濡らしていく。
その色は雨水のようには澄んではおらず、濁りきった紺色。

「電撃により空気中の酸素を同素体の『オゾン』に変えるとは考えたもんだ……けど、所詮はオゾンも三つの状態を持つ。結局は俺の手の上。
それにオゾンの存在がバレないとでも思ったか? ……残念ながら、この不快な刺激臭でバレバレなんだよ」

そう、その正体はオゾン。
高いエネルギーを持つ電子と酸素原子を衝突させることで発生する毒性のある物質。
鉄枷が黒丹羽をひきつけている間に湖后腹はオゾンを作り出していた。もちろん高濃度ではなく、黒丹羽が戦闘を続けるのが困難になる程度の濃度で。

「くっ……そ」

しかしそれが回る前にこうして液体にされてしまった。
ならばまた作り出せばいいではないかという話かもしれないが、黒丹羽はその時間を与えてはくれないだろう。

「――――『凝固』」

黒丹羽は足元のオゾンを更に状態変化させ、固体へと変える。冬場の湖のように凍りついたオゾンは色が濃紫色になっていった。

「んで……? 次の手は」

黒丹羽の表情からは怒りは薄れ、最初の頃の退屈そうなモノに戻る。

湖后腹はどうしていいのかわからなかった。
鉄枷と考えた策は失敗。電撃も、オゾンも効かない。
唯一状態変化に干渉できる能力を持った鉄枷も傷を負ってしまった。
まさに絶望的。

「じゃ……たまにはこっちから仕掛けてやるとするか。腰の抜けた風紀委員様の為にな」

ゆっくりとした動作で黒丹羽は右手をあげる。
ふざけているのか、ピストルの形で人差し指だけ湖后腹に向けながら。

「――――『電離』」

ポツンとつぶやきが放たれた。
瞬間、黒丹羽の人差し指に青白い物体が収束する。

「え、まさかこれって……!!」

湖后腹はその動作に見覚えがあった。
それは自身も憧れる“常盤台のエース”御坂美琴の必殺技とも言える最大の武器。


名を、超電磁砲《レールガン》。



しかしそれは似て非なるもの。
超電磁砲はコインをローレンツ力で加速させ、音速の三倍以上の速度で打ち出す。
しかし黒丹羽のものには弾丸であるコインそのものがないのだ。

「――――高電離気体砲。……じゃあ長いな、高電離砲《プラズマガン》でいいか」

バジッ、バジッと小刻みに閃光が走り、指先には綺麗な球が描かれる。
ホログラムを見ているかのように透き通った青白い光。その球は更に形を変形せさ――――

ギュウウウウウゥゥゥゥゥゥゥン!!

荒れ狂ったように突き進む電撃とは違い、それはスマートな軌跡を描き、音も立てずに光速で突き進んでくる。
それが黒丹羽の扱う高電離砲《プラズマガン》。
通常ならば、大気中でエネルギーを周囲に与えてしまい、プラズマ状態を維持できないのだが、黒丹羽はそれを『状態変化』の能力によって制御し、プラズマ状態のまま投射したのだ。

ギャアアンッ!! 

コンクリの上に粉々になった金属片が飛び散る。それは鉄枷の『金属加工』によって作り出された盾“だった”もの。
黒丹羽が湖后腹に向かって撃ち出そうとした瞬間に、鉄枷が庇うように前に出てきてそれで防いだのだ。
その盾のほとんどは何千度にもよる熱で溶け、残ったものもこうして粉々にされた。もちろんそれを支えていた鉄枷自身も無傷ではすまず、数メートル後ろへとふっとばされていた。

「あ……あ」

何もできない。何も言えない。何も考えたくない。
湖后腹は自分が震えていることに気づいた。平衡感覚が狂ったかのように、地面が歪んでいる様に感じ、もはや立っていることもできない。
そして遂にバランスを崩しグラっと後ろにのけぞる。

「ビビんなよ湖后腹。ぶっちゃけ、まだ終わりじゃねえ」

だが、倒れることはなかった。遥か後方へと吹っ飛ばされた鉄枷が戻ってきて自分の背中を支えてくれたのだ。
自分よりもボロボロでいつ倒れてもおかしくない鉄枷が、
先ほどの衝撃で左手を骨折したのか、右手しか動かせていない鉄枷が。

「―――先輩」

湖后腹は自然と涙が溢れていく。ボロボロと、押さえ込んでいた感情と共に。
それはこの恐ろしい戦場から逃げ出したいためか、それとも見るからに軽傷ではない鉄枷がそれでも自分を励ましてくれるからなのか。

「泣くんじゃねえ! 俺達はぶっちゃけ風紀委員だろ!」

鉄枷は泣いてる湖后腹に叱咤してきた。
口で伝えてきたのはそれだけだ。しかし、そこから胸に届いたモノは確かにある。

「はい、すいません……俺は、まだ頑張れます!!」

鉄枷だけではない。
同じ支部の仲間。破輩だって、春咲だって、厳原だって、佐野だって、一厘だって誰一人としてこの状況で諦めはしないだろう。
だから自分も最後まで戦い抜こう。たとえ泥を被ろうと、足を折られようと、この心が折れるまでは。


  5


「本当……風紀委員ってのは茶番が好きなようだな。反吐が出るよ」

黒丹羽は吐き捨てるようにそう言って、背中を向けた。この街を一望できるここから、何かの想いを乗せるかのように。

「……テメエはぶっちゃけなにがしたいんだ。そして何がお前をそこまで歪ませた……答えろ黒丹羽!」

「何が、ね……」

黒丹羽はあまり自己主張というのが好きではなかった。なぜ破輩に言ったことをまた違う者に説明しないといけない。
それに同情や理解なんてしてもらうつもりないのだから、無駄口を叩く必要もまた皆無。

「生憎、自分語りは大っ嫌いなんだ。そこら辺は想像にお任せするよ」

ここから見える街は黒丹羽にとって、酷く『歪んだ』世界に見えた。ここに住む誰もが自分のことしか考えておらず、他人は自分を飾り付ける為の道具でしかない。
しかも、それをそれぞれが考えているのだから、これほど救われないことはない。

「――――げんなよ」

鉄枷の震える声が聞こえる。
今にも殴り掛かってきそうだが、それを必死に押し止めて、何かを伝えようとしてきていた。

「逃げんなよ! そうやって自分の思いから!」

もったいぶってようやく言ったと思ったら、そんな検討はずれなことかと、黒丹羽は失笑した。
自分は何も隠していない。何からも逃げていない。
ただお前みたいな奴に話しもても無駄だから――

「ぶっちゃけろ! テメエは本当にそれでいいのか! 誰にも心を開かず塞ぎこむ自分のままで! 内に溜め込んだままウジウジしたままで!」

まったくもって理解不能だ。
この男は一体何を自分を勘違いしてそんなことをホザいているんだろうか。
黒丹羽は次第にさっきの怒りがじわじわと蘇ってきたことを内の中で感じた。

「何を根拠に……バッカじゃねえの? 
テメエは歪んだ人間にはその過程になんらかの事情があった……とか錯覚してんのか? 
ないない、漫画の見すぎだろ。俺の知ってる奴にはそんなのはいねえ、狂人は生まれた時から狂人なんだ」

怒りは消えない。
鉄枷の戯言が耳をかすめる度に黒丹羽は不快になる。

「根拠はある……だって黒丹羽、お前はホントは……」

「――『融解』」

黒丹羽はコツンと地面を軽くつま先で蹴った。すると地面のコンクリは全て表面から三十センチほど下まで『液体』となる。
それにより鉄枷と湖后腹の両足は底なし沼に食われていくかのように、ズブズブと沈み、それを確認した所で、黒丹羽は地面を『固体』へと戻した。

完璧に両足をコンクリに沈め、動けないようにする。
同じ地面に足が着いてる時点でこんなことはいつでもできた。もう少しばかり遊んでやろうと思って今までこの手は使わなかったが、その配慮はもう必要ない。

「わかったような口をきくな偽善者。知ったかぶりでソイツだけの救世主《メシア》にでなったつもりか」

何故なら、あとはこのバカどもを始末すればいいだけの話なのだから。
二度とそんなことを言えないよう顎でも砕いておこうか。

「知ったかじゃねえ……お前自身が俺に伝えてきたことだ」

「……、」

「自分の身体を傷つけてまでの警告、対処してくれと言わんばかりの高電離砲を放つまでの時間、そして今になって使った地面融解。
敵ならなんでここまで手を抜くんだ!? 風紀委員が憎いなら、殺したいと思ってんなら、こんなことせず最初の一撃でねじ伏せることもできただろ!」

「……そんなに俺を善人したてあげたいってか。
やっすいねえ、実に安っぽい。『敵かと思ってたら実は良い奴でした』なんて、アニメや漫画だけの話だっつーのに」

黒丹羽は動けない鉄枷の方へと一歩ずつ歩き始める。
触れた瞬間に分子を操り、バラバラにするその手を向けながら。

「もう一度言う。クズはどう転んでもクズだ。平気で壊し、平気で奪い、平気で殺す。ほら、その証拠を見せてやるよ。“偽善者”」

黒丹羽は明確に殺意を持って近づく。
だが鉄枷は逃げ出そうともしなければ、抵抗しようともしない。

ただ一言。

「ぶっちゃけ無理だな、その証拠を見せることは。だってお前はまだ“人間”だ。だから人は殺せない」

鉄枷は語った。平気で人を殺せるような人間はもはや“人間”ではないと。もはや感覚が麻痺し、善悪の判断もつかなくなった“殺人鬼”だ、と。

そう、人ではなく“鬼”。
古代から語り継がれてきた『バケモノ』という部類に入る凶悪な生き物。

「――――……くそが。そうやって信じていれば助かるだとか、すごい人間だと思われるとか―――……醜いんだよ」

黒丹羽はかつて『バケモノ』扱いをされてひどい迫害を受けた。
その時から“人間”として扱われて来なかったというのに今更になってその者を信じるなんて愚問だ。愚かすぎる。

それに鉄枷の口から出る言葉なんて全てが虚言。
すべては自分が助かるために発せられている言葉だ。



「違うよ」

古ぼけた屋上の扉が開く。黒丹羽の思考を読んでいたかのように、反論してきたのは一人の少女。
ボサボサの頭に、しわくちゃのアイマスク。肌は若干褐色でアイマスクの跡だけポッカリと白い。

「鉄枷の思考にそんなモノは存在していない。あるのは貴方への“信頼”」

それは、読心能力より導き出された否定のしようのない完璧な答え。
薙波藍守――――この学園の第16位が下した疑いようのないただひとつの結論。

黒丹羽はその結論にどう返していいのかわからない。
今まで自分は全ての者の全ての発言は、裏があると思っていた。それを言えば褒められる、助けてもらえる、同情してもらえる、感謝してもらえる。
何もかもが自分のため。そこに相手への配慮など一つも考えてないはず……だ。

「読心能力なんて“意識上の思考”しか読み取れねえだろ。俺の言う醜さは“無意識の思考”なんだよ」

そう。
それは思考より更に奥の、深い深い場所に眠っている潜在的な醜さ。
たとえ本人が自覚していなくても確かにその醜さは存在してる。

「黒丹羽先輩……もうやめましょうよ、こんなこと」

湖后腹は黒丹羽になにか同情するような様子で声を上げた。まるで黒丹羽が“かわいそうな人間”だと示すかのように。

「黒丹羽……ぶっちゃけ無理すんな。お前は確かに強い、能力も精神も。だけど“人間”なんだ。
自分の痛みも他人の痛みも知れる、知ることが出来る」

やめろ。

「鉄枷を殺したいなら先に私を殺しなさい。もちろん“人間”のあなたに出来ればの話だけど」

やめろ、やめろ。

いつもこうだ。
自分にかけてくる声は不気味なまでに温かい。
信じるだとか、優しいだとか……罵声を浴びられるよりも聞くに堪えない言葉ばかりを投げかけてくる。
そしてその温かさのあとに待っているのは、絶対零度よりも冷たい人間の負の部分。裏切りだ。



『お母さんすごい嬉しいわ、こんなに親孝行な息子が生まれてきてくれて』

やめろ、やめろ、やめろ。

『握手しよ? これが友達のしるし。今日から僕達親友だよ!』

やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。

『黒丹羽君の能力、研究者として少し興味があるな。協力してくれると嬉しいんだけど』

やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ!

『私の名前は漣《さざなみ》、黄ヶ崎漣。よろしくね黒丹羽君!』

やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ!!


「ああ……醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い――――醜い!!」



そうやって、近づいてくるな。俺を形だけの“居場所”に押し込もうとするな。
存在しない“居場所”に……期待をさせるな。



ガッ!! 
黒丹羽は、鉄枷を庇うように立ちはだかる薙波の首を掴む。
力を入れる必要はない。このまま『状態変化』を発動させれば、一瞬の上に絶命するのだから。

「バカどもが……現実を見せてやるよ。……バケモノによる殺人ショーを」

無意味とはわかりつつ、黒丹羽は右手の握力を強くした。それにより薙波はウッという呻き声を漏らす。
だが、その表情に死への恐怖は窺えない。後ろにいる鉄枷もそうだ。何かを信じているかのような瞳でこちらを見つめてくる。

この期に及んでまだ自分が殺さないと思っているのか。
――――甘い、甘すぎる考えだ。

「自分語りが……嫌いなんだってね。……なら、私が貴方の代わりに代弁して……あげる」

苦しそうに、しかし何かを伝えようと、薙波は薄らと笑みを浮かべながら口を動かす。

「貴方は、いつも……裏切られてきた。“居場所”だと……思っていた場所は裏切られる度に消えていく……
そのうち、貴方はこの世界に“居場所”なんてないと考えるようになっていった……」

その内容は『読心能力』で読み取った黒丹羽の過去の出来事と今の思考。

「けどね、“居場所”はあるよ。どこにでも……
ただ貴方が目を背けているだけ……偽りの居場所と……勝手に決めつけてね」

黒丹羽の右手は更に薙波の首を締め付ける。
御託でしか無い。そう一蹴したかった。

「――――……ッ!!」

なのに言葉を紡ぐことができない。
戦況では圧倒的に有利なこの状況なのに、なぜここまで追い詰められている。
なぜこの者たちは今の状況に絶望しない。

「ぶっちゃけお前は誰よりも“居場所”を求めてたんだ。だからこそ信じれなかった。そして許せなかった」

「やめろ……」

耳を貸すな。
一思いに殺ればこの雑音も消える。だから早く『状態変化』を発動して――

「もう一度信じてみようよ。居場所を、人間の可能性を」

出来ない……!
この声は不快でしかないのに、どこか温かい。耳障りだというのに、どうしても耳を傾けてしまう。
黒丹羽は気がつけば、薙波の首から手を離していた。

「……くっ」

何をやっているんだ自分は。
殺せ、女だろうが関係ない。あの時双里を殺したように一思いに殺れ。
じゃないと、本当にこいつらの言った通り、人を殺せないということになってしまう。これじゃ偽善者ならぬ偽悪者だ。

「……いいのか」

思いとは真逆の言葉が口から漏れる。
こんなところまできて、まだ自分は救いを求めている。我ながら情けない話だ。

「うん」

ケホケホと咳き込みながら、薙波は手を差し伸べてくる。
一見握手を求めているように見えるが黒丹羽にとってそれはこの泥沼から引っ張りあげてくれる救いの手にも見えた。

信じていいのか?
今度こそ、今度こそ本当にその手は自分を救い上げてくれる救済の手なのか?
今まで、救いの手かと思ったらそれは自分をさらに底なしの沼へと押しこむ為の裏切りの手だった。

黒丹羽はゆっくりとその手を触れようとする。
まだ人間だって居場所だって信じていない――――だが、信じたい。
だからこそ、最後にその手を取ろう。自分はもう底なしの沼の“底”についてるようなものだ。
もし押し込まれたって、これ以上堕ちることはない。

「さあ手を伸ばせ黒丹羽! 俺達ががっちりと掴んでやる!!」

「黒丹羽先輩……!!」

――――なんて茶番だ。
こんな三文芝居、クサすぎて目も当てられない。



だが、何故だか悪い感じはしない。
ずっと一人だった時には満たされなかった感情が、ここに来て満たされていく。






――――――……そうか。






俺が求めていたのは復讐なんてものじゃない。





こんな風に自分を受け入れてくれる“居場所”だったんだ。







薙波の言う通り、居場所は確かにあった。
手を伸ばせばすぐそこにある。けど、逃げていたんだ。
それが本物とは信じれず、信じたくなく。醜さだとか言い訳にして、目を背けていた。


「――――出来んなら、見せてくれよ」

あと少し、あと少しで手が届く。

「人間の可能性を理解できない……この俺に」

指先が触れた。温かい感触が伝わってくる。それは間違いなく人のぬくもり。

「居場所を……さ」



―――――ド、……ゴオオォォォォォォッ!!

刹那。
轟音とともに薙波の眼前を巨大な暴風が突き抜けていった。黒丹羽はその暴風に直撃し、押し出されるかのように数メートル先まで吹っ飛ばされていく。

「――――あ、」

確かにあった指先のぬくもりは、冷たい風にかき消されていった。
全身を風が覆い隠し、コンクリートへと叩きつける。その一撃だけで、全身は傷つき、皮膚は裂かれていった。



「残念ながら、テメエが見なきゃいけねえのは……『アヴェンジャー』によって傷ついていった被害者だ」

カツン、カツンと階段を登る音が開いたドアから聞こえてくる。
その音は段々と大きくなり、何段か上がった後、その者が姿を現した。

「破輩先輩……!」

破輩紀里嶺。
この学園の第2位にして風紀委員159支部のリーダー的存在。
その姿は、この場の誰よりもボロボロで、この場の誰よりも険しい表情。

「待って下さい破輩先輩! 黒丹羽先輩は……!」

「なんだ湖后腹……こいつを庇うのか? 厳原をあんな目にあわせたのは……こいつなんだぞ!!」

その瞬間、湖后腹と鉄枷は言葉が出なくなる。
自分の目の前の人物が厳原を重体にまで追い込んだ。そんな人物と和解しようとしていた愚かな自分達を悔いるかのように。

「ぶっちゃけ……本当なのかよ、それは!」

黒丹羽は起き上がる。
頭を強く打ったせいか、視界は何重にもブレていた。

「ああ……」

ここにきてあの時の虚勢が裏目に出るとは思はなかった。
だがそれも仕方ない、元から水と油が交わらないとの同じく、自分は風紀委員とは相容れぬ存在なのだから、こういう結末のほうがふさわしい。

「私は厳原を……この学園の多くのものを傷つけたテメエだけは許さない!!」

黒丹羽の直線上に破輩が立つ。
風を収束させ、先程以上に巨大な風の大砲を生み出そうとして、両手をかざしながら。

「待って――――!」

薙波が破輩を止めようとするが、もう遅い。

ゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!
半径五メートルを超す巨大な竜巻が、ありえない速度で直進し、後ろにあるフェンスごと黒丹羽を飲み込む。
ベリ、ベリと根本から引きちぎられ、空へと飛んでいく金属フェンス。
しかし黒丹羽はまだ足をついていた。
……否、足を、『状態変化』で溶かしたコンクリに埋め込み身体を固定していたのだ。

「待って下さい! 破輩先輩!」

鉄枷の言葉に聞く耳を持たない破輩は更にその威力を強める。
『状態変化』では防ぎようのない攻撃。黒丹羽は自分の体が風により引き裂かれていくのを感じた。
それだけではなく、今は風の影響で呼吸すら出来ない。酸素を求め脳が暴れるがどうしようもない。
動こうとして足をコンクリから出した瞬間に打ち上げられるのは目に見えているのだから。

「が……」

痛み、憎しみ、悲しみ。ありとあらゆる感情が風に流されて行く。

残ったのは空白の心。
すべてが空っぽになった、心。
だが、そこにただひとつ残されたものがあった。

それは――――

「――――吹き、飛べえェェェェェェェェェ!!」

足元のコンクリが崩れ去る。
支えがなくなった黒丹羽の体はあらがう術を持たず、一瞬のうちに空へと弾き出された。
妙な浮遊感と喪失感を感じ、空から見た世界。皮肉な事にそこにあったはずの『歪み』は消えていた。

「やっぱ……あったんだな」

黒丹羽はポツリと呟く。
このあとに待っているのは五十メートルの高さから地上への落下。
それでも不思議と恐れは感じない。その発見は、死すら霞ませるほど黒丹羽にとって大きなものだったのだ。

着実に地面の距離を狭めていく中、だんだんと意識が薄れていく。
黒丹羽は『歪み』の消えた世界を名残惜しそうにしながら、両目を閉じた。

「本当に運が無い。もっと――……早く、気づいてればな」

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最終更新:2014年01月12日 10:59