1
痛みの中、目が覚める。
霞んだ視界にまず始めに映ったのは清々しいまでに青い空だった。
屋上から吹き飛ばされたはずなのに、何故か生きている。こうして思考することも出来るし、息をすることも出来る。
そんな生の実感を噛み締めていると、一面が青の視界に一人の少女が現れた。
「黒丹羽……!」
少女の名は白高城天理。
こうして生きているのは、彼女の『座標回帰』によって空中からここまで転移させられたからだろう。
「生きててよかった……死んじゃったかと思ったんだから……」
少女の瞳からこぼれる雫が、重力に引かれ黒丹羽の頬に落ちていく。
涙。
それは黒丹羽が最も忌み嫌うものだった。
泣けば許されるだとか、同情を誘えるだとか、そんな見え透いた人間の醜さを見ることになるから。
「俺の前では涙を流すな、そう言っていた……はずだけど、な」
だが、そんなものは建前でしかなかった。
本当の理由はそんなに込み入った理由ではなく、もっと単純で明快な――――
「悲しむのは……見たくないからさ」
人間が本来持つ『悲しみ』という感情。それが見たくない。
言葉に出してみれば簡単なのに、それを見つけるのにこんなに時間がかかった。
なんて愚かなんだろうか、なんて鈍いんだろうか。
黒丹羽は、白高城の涙を拭うように手を伸ばした。
分子レベルで分解してしまう凶悪な手としてではなく、目の前で泣く少女を宥めるための優しい手で。
そうだ。
自分は誰かが苦しむのが嫌だった。他人の涙を見る度に自分の胸を締め付ける。
あの時もそう。
双里にいいように利用された黄ヶ崎に抱いた感情だけは『憎しみ』じゃない。苦しんでる彼女をどうにかしてやりたかっただけだった。
だから、もう二度とあんなことに関わらせない為に怒りに惑わされて殺すのではなく、この学園から追い出すことで逃がした。
「最初から、わかってたよ……だから私は黒丹羽にここまでついて来たんだから」
「はっ……お前も筋金入りの馬鹿だな」
呆れたように黒丹羽は笑う。
その笑みは狂喜にひん曲がったモノではなく、年相応の少年が見せる純粋な笑み。
――――ここにいるじゃないか、自分を居場所としてくれている少女が。こんな自分を必要としてくれる少女が。
「行けよ、お前の“居場所”はここじゃない……こんなクソッタレな人殺しとは金輪際関わるな」
だが、それはあってはならない。
こんな自分と関わったがために、この少女の全てを壊してはいけない。
なぜなら――――この少女を必要としてる者は他にいるから。
「違うよ! 黒丹羽は誰も殺してない! だって……」
「いいから……!」
ドン、と黒丹羽は上に覆いかぶさる白高城の体を突き飛ばす。
「お前の友人……一厘って言ったか。あの女、巡回中にしつこくお前のこと聞いてきてな、うざいったらありゃしなかった」
だからさ、と黒丹羽の言葉は続く。
「――――行ってやれよ。いつまでも偽りの仮面をつけてないで、本当の自分自身をぶつけろ」
「黒丹羽……」
かすれた声で、白高城は次の言葉をつなぐ。
「そうだ、ね……わかった。私行ってくる。……けど戻ってくるから、必ず黒丹羽のとこに」
戻ってくる必要はない。
今ここで抜け出せればこの少女は自分のように堕ちることはないんだから、これ以上関わりを持ってはいけない。
その旨を伝えようと、黒丹羽は身を起こす。
だが、
「本当に話を最後まで聞かねえ奴だ……」
そこにはもう白高城はいなかった。
考えてる時間が長かったのか、それとも彼女の足が早かったのかはわからない。
けれど狐に化かされたかのように黒丹羽の周辺にはもはや誰一人いなかったのだ。
まったく、と軽い溜息をついて黒丹羽は身を寝かし、眠るように瞳を閉じた。
自分は理屈とは裏腹に心の奥底では彼女が戻ってくるのを期待しているのかもしれない。
そうして今度は普通の関係に、それこそ周りから噂されている『カップル』として白高城とつきあうのも悪くないと、幻想を抱いているのかもしれない。
(――はあ、)
そういえばここはどこだろうか。
馬鹿らしい空想をぐちゃぐちゃに丸めて脳内のゴミ箱に捨て、耳を澄ます。
と、草木の奏でる風音が心地よく耳に届き、嗅覚に訴えかけてくるように甘い花粉が鼻孔の奥をくすぐった。
自分は生きてる。
まだこの世界で生きていける。
空に投げ出された時に諦めかけた“生”が確かにまだ存在しているのだ。
(まだ……間に合うのか……?)
これから先『アヴェンジャー』は解散はもちろんのことだが、自分達はどうなるのだろうか。
警備員の元で処分を下され、何年も拘束されるかもしれない。
たとえそこから出たとしてもまともな人生を送っていけるのだろうか。
そんな状態でやり直すことなんて出来るのだろうか。
(いや……)
しかし、そこへの不安はない。
(間に合わせてみせる)
この世界にはまだ光があると知ったから。こんな自分にも居場所があるから。
諦めるにはまだ早い。
否、今まで諦めてた分を取り返すために、信じるのだ。
そんな時ザッザッ、とこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。
厄介事を片付けて戻ってきた白高城か、はたまた黒丹羽を取り押さえに来た風紀委員か。
どちらでもいい。どちらにせよ黒丹羽のこの先を変えるわけではないのだから。
黒丹羽は自分の近くに人の気配を感じ、ゆっくりと瞳を開けた。
「――――……ッ!」
同時に、思考が停止する。
視界いっぱいに映るのは、ギョロリとこちらを見つめている両眼。
人間というよりかは爬虫類のものに近いそれは黒丹羽の視線に合わせるよう位置を調整すると
「ケケッ……ようやく見つけたぁ。……俺が“壊したかった”人間……」
不気味な笑み。そして、本能的に感じる目の前の男の異常さ。
黒丹羽が目を逸らそうとした時にはもう遅かった。
「じゃあ……俺の絶望再起《フラッシュバック》でぇ、また絶望しろぉ……」
バン!!
一瞬、辺りを強烈な光が照らした。
それは光へと導く標《しるべ》ではなく、闇へと引きずり落とすシグナル。
「――…がッ……」
人間が信じれなかった少年。
しかし居場所を求め続けていた少年。
そして、ようやくそれを手に入れかけていた少年は――――
「が、ああァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
再び、“闇”へと沈む。
2
白高城は校門の前で佇んでいた。
黒丹羽には一厘に会いに行けと言われたが、そもそも彼女が今どこにいるかわからない。だから、こうしてここで待っているのだ。
一厘がここに来るという確証はない。だが“女の勘”というものかここで待っていれば会えるような気がするのだ。
しかし会ってどうする?
今まで彼女を拒み続けてきた自分が。あれほどまでの罵声を浴びせた自分が。
今更どのツラ下げて彼女に会えばいいのか。
『いつまでも偽りの仮面をつけてないで、本当の自分自身をぶつけろ』
仮面――――まさに今の自分を形容するにふさわしい言葉だ。
“あの時”から自分は仮面つけることにした。小学校までの“白高城天理”を隠し、別の自分を作り上げた。自分の利益のために他人を食いつぶし、それを生きがいとする醜い自分を。
その仮面は自分を偽るとともに、自分を見えなくもする。だから不思議と嫌悪感は感じなかった。仮面をつけた自分は他人と割り切れば、その醜さを認めないで済むから。
そんな時に現れたのが一厘だ。
彼女は仮面の下の白高城を求め、この学園にやってきた。
しかし、もうどこにもその白高城はいない。仮面の奥に封印し、二度と出すことはなかったのだから。
だからこそ、“変わってしまったら自分”と一厘の求める“過去の自分”を比べてみると、ようやく今の醜さを実感し、自己嫌悪した。
けど、その要因を作った一厘にも苛立ちを覚えたのは事実だ。
過去は過去、今は今で割り切っていたはずなのに、それをまたほじくり返されるのは良いものではない。
――それが、良い過去ならなおさら。
「おい」
けど、それは自分のせいだ。
過去を思い出して今の自分に嫌悪するのは、ただ単純に、『嫌悪の対象になるような行動をしてる今の自分』のせいなのだから。
「おいってば」
自分は馬鹿だ。
いつの間にか、自分に対しての怒りを一厘になすりつけていた。
ただ約束を守ろうと、ただもう一度だけ親しかった友達に会いたいと。そう願っていた『大事な大事な友だち』を怒りの対象に、更にはあんな酷いことまでを言ってしまった。
レベルがどうとかなんて言い訳でしか無い。自分はただ見られたくなかった。そして逃げていたのだ。
“何一つ変わらない優しすぎる一厘”から。
かつて、太陽に近づこうとした英雄はそれを傲慢とみなされ、翼を焼かれて地に落とされた。
それと同じだ。
自分にとって一厘は太陽の様にまぶしすぎる。だから近づけない。近づこうとしなかった。
自分は全てを焼きつくされ、現実という地面に叩きつけられることになるから。
「やだ、やっぱり……やだ」
急に逃げ出したくなった。
自分は今の彼女に会う資格なんて無い。ましてや許されるだなんて……
逃げよう。
白高城はそう決意して、足に力を込める。
――と、何やら軟らかい感触が足に伝わった。
ニャーー。
そこには喉をゴロゴロと鳴らし、飼い主を見つけたかのように足に擦り寄ってくる子猫がいた。
その黒と金の毛が擦れあい、光を反射させキラキラと光る。
「黒にゃん……」
それは百城に預けていたはずの猫。
と、言うことは。
「気づいたか。ようやく」
白高城は声のした方へと顔を上げる。
そこには見紛うはずがない百城鋼、当時の知り合いが立っていた。
しかも、何か風船を掴んでいるように、宙にプカプカと浮くモノを持っている。
「――うそ」
そのものを見て白高城は息を呑んだ。
そこには一厘がいた。百城に右手だけを掴まれ、あとは宙に浮いている一厘鈴音が。
「いやなに。こいつがお前のとこまで連れて行って欲しいってな。だからこうして運んできたってわけ」
白高城はそれまでの過程ではなく、年頃の少女をそんなデリカシーのない運び方をした所にツッコミを入れたかったが、それはあえて留めておく。
百城は一厘にかかる重力を元に戻し、ストンと地に置く。一厘はまだ意識を失っているようで目は覚まさない。
「“あれ”に気づいて出ることが出来たなら、さっさと寮にでも帰ればよかったのに……本当に物好きね、あなた」
白高城は百城が監禁されていた時に『黒にゃん』とその餌が入った皿を預けておいた。
しかし、それだけではなく内側から部屋のロックを解除する鍵を、その餌皿の中に隠しておいたのである。
「そこのクソ猫が散々暴れまわって手に負えないから、元の飼い主に返しにきただけだ。あのまま飼うはめになるのは正直ゴメンだったからな」
「それだけじゃないでしょ……? 貴方は私を許せない、だから一厘ちゃんと一緒に私に復讐しに来た……違う?」
「違う」
あっさりと、それでいながらきっぱりと百城は否定した。
「なんでそんなめんどくさいことしなきゃいけねえんだよ。俺は飽くまで“案内人”。お前や一厘の“指導者”でもなければ“復讐者”でもない。つーか、もう疲れたし帰ってもいいか?」
「ちょ……!」
白高城は勝手に帰って行ってしまう百城を追いかけようとする。
が、百城は遮るように、
「俺からの言葉は必要ないだろ? まあ、昔なじみのガールズトークにでも洒落こみな」
そう言って、校門の前に広がる長い坂を下り初めて行ってしまった。
だんだんと遠ざかっていく百城の影。
白高城は百城の残した言葉の意味がわからなかった。あの少年だって、半月に渡る監禁なんていう酷い目にあったのだ。文句の一つや二つ、あるに決まってる。
なのに何故――――
「白高城……ちゃん……?」
目が覚めた一厘の言葉と同時に、白高城は気づいた。
百城はこの少女に全てを託したのだと。不器用な自分ではうまく伝えられないことを、もっと不器用なこの少女に。
「―――……ッ」
言葉が詰まる。
どうしていいのかわからない。この少女にどんな顔をして接すればいいのかわからない。
けれど少女は立ち上がる。
満身創痍なんてとうに通り過ぎた状態で、尚も白高城に近づくために立ち上がる。
両者の距離は十メートル。それが近いのか遠いのかわからない。だが白高城にはその距離は遠く感じられた。
……否、自分が遠ざかっているのだ。
「――――や、」
白高城は『座標回帰』を発動させた。
対象は一厘の肩にある風紀委員の腕章。
「こ、こないで……私は一厘ちゃんが思ってるような人間じゃないの……こんなに愚かで、馬鹿で、醜い人間なのよ」
「……、」
それを否定しなければ肯定もしない。ただ一厘はゆっくりと白高城との距離を詰めるために、足を引きずりながら進む。
「来ないでって言ってるでしょ!! 次に来たら……その身ぐるみ全部剥がすわよ!!」
「……、」
一厘はそれでも歩を止めない。血にまみれた両足をゆっくり前後させる。
なんで、そこまでしてこの少女は自分を求めるのだろうか。
自分がどれほどのことをしたのかはもう知っているはず。
なら、いつまでも過去の幻惑に囚われずに一人の風紀委員として自分を捉え、捕らえるべきだ。
「……あッ」
一厘が言葉を紡ごうとした矢先、何かに躓いたのか急に体制を崩した。
「!!」
まずい。
このまま一厘が倒れれば、地面の堅いコンクリに頭を打ち付けることになる。あんなにボロボロの体ではまともに受け身もとることはできないはずだ。
コンクリに頭をぶつけてそれが軽傷で済むほど世界は甘くできてはいない。
このまま傍観していれば、一厘は勝手に自滅するだろう。
なら好都合ではないか。
自分はこの少女から逃げようとしていた。だからその隙に逃げ出せばいい。
しかし、それでいいのか?
ここで逃げ出せば、黒丹羽や百城そして一厘を裏切ることになる。
それだけではない。本当の自分にだって――――
「――……一厘ちゃん!!」
白高城は反射的に『座標回帰』を発動させた。
対象は一厘鈴音本人。
シュンという風切り音と共に目の前に出現した一厘を白高城は抱きしめるように支える。
ズシッと人間の重みが感じられた。そして……温かさも。
「やっぱ……」
そのつぶやきは耳元にすぐ口があるからか、儚げな呟きなのに白高城の全身を駆け巡るようにはっきり聞こえた。
「何も、変わってないよ……白高城ちゃんは……」
「え――――」
ビキッ。
――――音が、聞こえた。
ビキッ……ビキ。
――――今まで視界を覆っていた氷のように冷たい仮面。
秘める思いも、伝えたかった本音も、何もかもを封印し、閉じ込めていたはずの絶対の仮面。
ビキッビキッビキッ!!
――――それが、今この瞬間に砕け散ったのだ。
「私、今まで白高城ちゃんがどんな思いで生きていたかわからない……でも、ね。
今のでわかったことはあったよ……それはやっぱ“白高城ちゃんは白高城ちゃんなんだ”って」
「意味が、わからないわよ……」
「えへ……ごめん、うまく自分でも言い表せないや。……血、流しすぎたからかな?」
白高城は力の限り一厘をギュウッと強く抱きしめる。
意味がわからないなんて嘘だ。
本当はこの少女が今自分に何を伝えたいかなんて、痛いほどわかった。
仮面を被るというのは自分を隠すこと。しかし“隠された自分”が消えるわけではない。
重ね合わされた色紙と同じ。そこに映しだされた色は表面の色紙の色でだけではなく、内の色と重なりあって形成された色。
だから今までの白高城は完璧に別人になったというわけではない。仮面の奥に隠された白高城も含めて白高城天理なのだ。
「……馬鹿! どじ! マヌケ! トンチンカン! ……そうやって、一厘ちゃんは昔から自分のことは構わず、ボロボロになって……」
震える声で、白高城は幼稚園児のような思いついただけの罵声を浴びせる。
そんなこと一厘はわかってくれていた。そして受け入れようとしてくれていた。
なのに自分は“今の自分”を見てくれていないと勝手に思い込んで、勝手に苦しんでた。明らかに自業自得。
しかし、一厘はこうしてまた自分の元に現れた。
こんな自分にすら愛想をつかさず、ただ純粋に“助けよう”としてくれた。
「けど……ありがとう」
エヘッと一厘は白高城の耳元で笑うと、
「うん……」
頷いてポケットから一つのリボンを取り出した。
それは過去に交換したはずのリボン。そしてなくしたと思っていたリボン。
「今度は落とさないでね……。これ、結構高かったんだから」
一厘は白高城の後頭部に手を伸ばし、そのまま髪を整え始める。
「やっぱ、白高城ちゃんはポニーテールのほうが可愛いと思うな……」
なんとも緊張感のない一厘。こんな状況でも彼女は一厘鈴音のままだった。
優しく髪に触れる一厘の手。そのぬくもりを噛み締めつつ白高城は応える。
「うん……わかってるよ。二度と手放さないから……大事にするから」
あの頃に戻ったかのように、涙をこぼしながら笑った。
3
真っ暗な空間。
どこが左でどこが右、どこが上でどこが下かも分からない。ポッカリと宇宙空間で浮かんでいるかのようなこの空間に黒丹羽は佇んでいた。
その瞳はどこか虚ろげで、全身はだらんと力が抜けて、放り出されていた。
『ここは……?』
記憶が曖昧だ。
ここはどこなのか。どんな理由でここに居るのか。どんな経緯でここに来たのか。まったく思い出せない。
ただわかるのは自分が“黒丹羽千責”であることだけ。
何か思い出さないといけないことがある。そんな義務感が彼を襲うがそれでも思い出せない。
そんな時真っ暗なこの空間で光が生まれた。
長方形に切り取られ、照らすように広がる温かい光。それは開かれた扉のようにも見えた。
光を求めてむらがう蛾のごとく、黒丹羽はその光りを目指して先に進む。
そこには思い出せない記憶のカケラがあるような気がしたから。
その光をくぐり抜けると、そこは病院だった。
視界を白いもやが包んでいるせいであまり現実味がわかないが、確かにここは病院だ。アルコール消毒のためか室内はツンとしたニオイが漂っていて、それでいてどこか落ち着かせてくれる。
『君と僕の子供だ、名前は何にしようか?』
部屋は個室で、中央には大きめのベッドが敷かれていた。
そこで身体を休めているのは妊婦……だった女性と、その女性の手の中で眠る子供を見つめる男性。
『“千責”……なんてどうかしら? 例え責務が千あろうと、それら全てを背負い、果たせる人間に育って欲しいから』
(……!!)
千責。それは自分の名前だ。
つまりこの二人が自分の親ということになる。
でも不思議と驚くことはなかった。
記憶では忘れてしまっているが、脳の片隅で自分はこの二人を覚えているような気がしたから。
『いい名前だね……僕達二人で大事に育てていこう』
父と思われる男は笑った。
『ええ、もちろんよ』
母と思しき女も笑った。
こういう場面は人間として和むのが当然だ。
しかし黒丹羽は素直に喜ぶことができなかった。
曖昧な記憶が告げているのだ。この後に待っているのが決して良いものでは無いことを。
目の前に広がっていた病院の風景が消え、テレビのチャンネルを変えたように新しい場面が黒丹羽の前に広がる。
そこは夜の子供部屋のようで、全体が暗い。
片隅に設置されたゆりかごの中で一歳未満の子供が何かを求め泣き叫んでいた。
(……ッ)
ゆりかごの中でただひたすらに泣き喚く赤ん坊を見つめて、黒丹羽はふと思った。
こんなに子供が泣いてるのに、なぜ親はあやしに来ない。
まだ離乳も出来ていないこの赤子。それをほったらかしにするとはひどい親もいるもんだと、どこか客観的な感情をいだき黒丹羽はその部屋から出る。
『だったら!! 貴方があの子を育ててみなさいよ! ミルクの用意からおむつの取り替え何から何まで! そうすれば私の苦労がわかるから!』
『ふざけるな! そういうのは君の仕事だろ!? 他のお母さんはそんな当然のことにいちいち愚痴は言わないよ!』
リビングで二人の夫婦が口喧嘩をしていた。
まるで昼ドラにでもありそうな会話をしばらく眺め、黒丹羽はあることに気づく。
(この二人って……)
そう、先ほどの病院で映しだされた夫婦。つまり、黒丹羽の両親だ。
――と、いう事はあの場で放置されているのは自分自身ということになる。
記憶では忘れてしまっているトラウマ。これは思い出すべきではなかった記憶だと毒づく。
場面が歪み、また新しい場面が生み出される。
そこは混雑した街。
何かのパレードのようにあちこちで気泡の音が聞こえ、カラフルな風船が宙にばら撒かれていた。
「ここは……」
この街並みを自分は知っている。あのビルも、あの公園も、あの信号も。
そう、ここは学園都市。そして年に一回のみ行われるお祭り大覇星祭が今まさに行われていた。
『ふふ、どう? ここが学園都市よ。わざわざ外からきただけあったわね。ねえ千責?』
黒丹羽の真横をベビーカーを押す女性が通り過ぎる。
ベビーカーには幼い頃の自分が、すっぽりと入っていた。
「やめろ……!!」
ベールに包まれていた記憶がその姿を徐々にあらわにする。
自分の記憶が正しければこの母親はこの後――
「ふふ。お母さんすごい嬉しいわ、こんなに親孝行な息子が生まれてきてくれて」
ベビーカーを押す手が止まった。
人気のない路地裏まで来ると母親は自分の子供が乗ったベビーカーを置き去りにしてそのまま離れて行ったのだ。
「おい……待てよ! それでもあんた人間かよ……自分の子を……俺をこんな! いらなくなった玩具みたいに捨てやがって!!」
黒丹羽が止めようとして母の腕に手をかけるが、その手が感触を得ることはなかった。
まるで霊体のように腕はスルリと母の肩を通り抜けて黒丹羽は地面に転ぶ。
一人にされたベビーカーの中の子供は、母がいないことを悟ってか、次第にぐずつき始め、終いには泣き出した。
「やめろ……やめろよ……もうこんな」
赤ん坊の泣き声から耳を逸らすように黒丹羽は両手で耳を塞ぐ。
しかし音は一行に止まない。
「やめろオォォォォォォッ!!」
バン、とまた場面が切り替わった。
研究所にも近い構造の一室。何列にもつながった机が部屋全体に配置されてあり、そこはどこかの学校のような雰囲気を醸し出していた。
ここはチャイルドエラーの子供が通う研究所兼小学校の役割を果たす施設。
黒丹羽は小学校の頃ここで生活していた。
その部屋の端に目を向けると一人の少年が窓に突っ伏して外を眺めていた。
誰とも関わりを持たない、関わることを知らない少年。
「もういい……! 消えろ! こんなのは見なくていい!!」
それは自分。
これは黒丹羽の過去の再生であり、トラウマの回帰。
『今日もつまんなかったな……』
少年は外で遊ぶ子供たちを恨ましげな視線で見つめている。教室で、ただ一人だけ取り残されたまま。
そんな時、ドアが開くとともに声が聞こえてきた。
『ねえ、君一人なの?』
少年と黒丹羽は声のした方を同時に向いた。
そこには一人の坊主頭の少年が立っていた。おそらくは違うクラスの者だろう。
『うん……』
『じゃあ、“友達”になろうよ』
『友達……? それってなに? 『かーいんとうろく』とかいるの?』
『やだなあ。そんなの要らないよ。ただ――』
坊主頭の少年はスッと幼い時の黒丹羽に手をのばす。
『握手。これだけで友だちになれるんだよ!』
『そう……なの?』
疑うように、されど嬉しそうに少年はその手を掴もうとした。
「……触るなッ!」
黒丹羽はそれを遮ろうとするが、やはり触れることは出来ない、抑えこもうとした過去の自分は黒丹羽をすんなりと通り抜けてさらに距離を縮める。
二人の少年はそのまま手を握って握手をしてしまった。
『これが友達のしるし。今日から僕達親友だよ!』
『うん!!』
ジュウ。
途端に、坊主頭の少年の手から蒸気のようなものが上がる。黒丹羽と、握手した右の手から。
『ぎゃああああああああああ!!』
聞くに堪えない痛ましい絶叫。
手を離してみると、坊主頭の少年の手のひらは火傷でもしたかのようにグジュグジュに溶け、酷い所では骨があらわになっていた。
「ああ……ああ、あああああ!!」
目を覆いたくなる、忘れていた、忘れたかった光景。
黒丹羽はこの時初めて『状態変化』の能力を発現させ、制御を誤ってその少年の手を破壊してしまったのだ。
友達だと言ってくれた少年。それを能力の開花と引換えの消失。
また場面が変わる。
あの少年の手を焼いてから黒丹羽の孤立はさらに大きいものとなっていった。
誰も近寄ってきてくれない、触られたら皮膚を剥がされるなんてことが噂になり、故意的に避けられていた。
『やあ、君が黒丹羽千責君かい?』
まただ。
ほっとけばいいのに、こうして声をかけてくる輩がいる。
『……』
『大丈夫だ。君は優しい。だから進んで傷つけたいなんて思ってないだろ?』
研究者と思われる男は、何の躊躇もなく黒丹羽の手を掴む。
『ほら、やっぱりそうだ。僕は傷つけられてない。君の『状態変化』は既に手中に収められてるんだよ。だから安心して』
『おっさん……なんのようだよ』
過去の黒丹羽は触れられた手を引き離すように振り払う。
前回の経験のせいで、他人に触られるのも他人に触れるのもいやになっていた。
もし、また能力が自分の意志とは関係なく発動してしまったらその時はもっと酷いことになるかもしれないから。
『随分と単刀直入な質問だね。まあそれが子供の可愛さというものかな?』
男はフッと笑い、一枚の名刺を渡してきた。
『この場所にいつもいるから暇な時にいつでもおいで、ボクが君の居場所になってあげる。
あと黒丹羽君の能力、研究者として少し興味があるから協力してくれると嬉しいんだけど……』
『誰がいくもんか』
最初は意地を張って一人を好んでいた黒丹羽。
しかし自分が行かなくてもあちらからやってくる。しつこく、しかし自分に興味を持ってもらおうと必至に最新のゲーム機や玩具を与えてきた。
その男を自分の父親と重ねていったのだろうか、黒丹羽は閉ざしていた心を徐々に開いていくようになった。
しかし。
『今日はどこに行くんだ。おっさん』
『そうだね~~……』
雨が止まず、水でビショビショになったコンクリの上を研究者と黒丹羽を乗せた車が走る。
今日もいつものようにドライブのはずだった。
『君を売り飛ばす』
が、その行き先はゲームセンターやレストランでもなく、秘密裏に人体実験を続けるこの世のものとは思えない地獄だった。
『いやあ、ようやくこの日が来たよ。
糞ガキの相手もこれでおしまい。俺はこれで金を手に入れてとんずらできるって訳!! どうだ、見事に出し抜かれた気持ちは? 悔しいか!? 悔しいよなぁ!!』
『おっさん……嘘だろ』
場面が変わる。
研究所兼小学校の生活を終えた黒丹羽はなるべくそこから離れた学区に行こうと思った。
二度と思い出したくない記憶を、そこに置き去りにするために。
場所は第五学区。学校は風輪学園という所。
ここならば過去の自分を知るものはいない。ならばまたやり直せそうな気がした。
予想はあたった。
中学一年には何事も無く無事に終えることができて、それどころかついにレベル4になることも出来た。
過去に他人を傷つけてしまった忌々しい能力ではあるが、友人達は祝ってくれた。ただそれだけで満足だった。
親に捨てられ、友人になりかけた少年を傷つけ、心を開きかけていた研究者には殺されかけた。
それでもここまで生きててよかったとその時黒丹羽は思った。自分を認めてくれる人間はいる。まだ、居場所はあるんだと。
そう、一年までは。
「やめろ……やめろ……もうやめてくれ」
今までの光景を全て見せられ、黒丹羽は全てを思い出してしまった。
この先に続く悪夢だってもうわかっている。
わかっているからもう見せないでくれ。頼むからもう思い出させないでくれ。
願いは届かず、無慈悲にも次の光景が映し出される。
場所は屋上。
目の前には一人の女の首を締める自分がいた。
『まぁ……そういうわけで、アンタは一生宙に舞ってろ』
目の前の自分がそう呟いた後、女の絶叫が響き渡る。
あの時は目を閉じて見ていなかったが、今は状態変化で人間を消される光景を記憶を通して目の当たりにしている。
もっと酷いものかと思っていたが、それはあっさりとした消滅。
空間転移で消えたのと同じくらいに一瞬にしてその女はそこから消滅していった。
4
「が、ああァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
すべての記憶《トラウマ》を思い出した黒丹羽は現実へと引き戻される。
目の前には未だこちらを眺めてせせら笑う男がいた。
誰しも持つと言われるトラウマ。
それを掘り返し、その者が壊れていくさまを楽しむ男――――13位、黒埼痲愚露。
「あ、あ、あ……うああァァァァァ!!」
黒丹羽はどこへともわからず走りだす。
まるで走り方を知らない人間が突如走りだしたかのように、何度も転び何度もぶつかりながら。
「ケケケ……クカカッ!! 最高、最高だヨォ!! 俺の絶望再起を食らった奴なんて、大体は放心状態でうわ言を呟く程度なのに……あいつは違う。まさかまだ動くことが出来るなんて……それにあんな壊れっぷり今まで見たことがねえよケケケッ!」
それを見送るように黒埼はそこで狂ったように笑い続けた。
今まで我慢してきた破壊衝動がここに来て流れだしたかのように。
「はぁ……はぁ……がっ、うがああああああ!!」
言葉にならない言葉を漏らしながら黒丹羽は走り続ける。
体全体にヒビが入り自分が崩壊しそうな錯覚に囚われる。
「――るさい、うるさい……うるさい!!」
脳が軋む音。身体が砕けていく音。そして過去の者達の罵声が聞こえてくる。
何も考えられない。
思考が停止しているのか、それとももはや心が死んでいるのか。
「うるさいのはそっち。ゴミ野郎」
そんな時、突如として曲がり角から一本の足が出てきた。その足に引っかかり黒丹羽は大きく転倒する。
「――――がっ……」
肉が擦れ、コンクリに引きちぎられていく。血が吹き出しコンクリを紅く染める。
「ホント……健気キャワイクもない良いざまですね~。黒丹羽先輩」
ギュッと、うつ伏せの背中に少女の足が乗る。
黒丹羽は顔を傾けてその少女の姿を見ると――
「って、ことで……使えない風紀委員の代わりに、救済委員である私があなたみたいなゴミを“救済”してあげます♪」
青空の下、金色のカチューシャとおでこが光っている。
制服は同じ風輪学園。
その少女は救済委員に所属している羽香奈琉魅だった。
「ゴミへの救済はッ! まずは徹底的に痛めつけることからッ! 始まるよんッ!」
ガンッ! ガンッ!! ガンッ!!!
黒丹羽の背中に羽香奈の蹴りが次々と炸裂する。靴に金属プレートを埋め込んでいるらしく、その蹴りは少女が放つものとは思えないほどに一発一発が重い。
「グッ……ァアアアアアア!」
内側と同時に外側までもが破壊されていく。
痛みが脳をさらに狂わせていく。
「さて、こんぐらいで終わりにして~~本題に入ろうかな~~」
何分も蹴り続け、疲れが出たのか羽香奈はそこで足を止めた。
これからが本題、彼女の言う“救済”だ。
「う……あ……ああ」
黒丹羽は動くことも出来ずにその場でのたうち回る。
「なんとですね~! 貴方みたいなゴミ虫と、これからのこの学園、どちらも救済できる案があるのです。パチパチ!」
それはね、と羽香奈は続ける。
「アンタみたいなゴミが『死ぬ』ことです」
ふざけるな。
もし黒丹羽にまだ人間としての意識があったらこう言っていただろう。
なぜ自分が死ななければならない。居場所をまた見つけることができたのに何故ここでそれを手放さなければならない。
しかし、壊れた時計が動かないのと等しく、壊れてしまった人間にそんな反論をすることは出来ない。
「だって、苦しいでしょ? 生きててもしかたがないでしょ? ならさっさと死んだほうがマシだよ~~。
そしたら、こんなことになった元凶も消え、この学園は無事ハッピーエンドを迎えられるよん♪」
羽香奈は黒丹羽の腹を蹴りあげて仰向けにすると――――
「――――って、ことで『死ね』」
ビシィと指を突き立てて、そう命じた。
正確には『絶対挑発』により“死にたくさせた”。
「私とても優しいから~~。人は殺せないの……だから自分で死んでね? そしたら私も手を汚さずに済むから」
そう言い残すと羽香奈はどこかへと消え去って行く。
カツン、カツンと響き渡る足音、それは段々と小さくなっていき最後は虚空へと消えていった。
沈黙が包む中、黒丹羽の目の前に落ちているのは一本のダーツの矢。
先ほど足を引っ掛けられて転ばせられた時に胸ポケットからこぼれ落ちたものだった。
「あ……う、あ」
動かない身体をズルズルと引きずって、黒丹羽はそのダーツの矢を掴もうとする。
その理由は簡単。
自殺のためだ。
あれを喉にでも突き刺せば死ねる。
なぜだか分からないが自分は死にたい、死ななくてはならない。
壊れた心にそんな衝動を阻止する術はなかった。
黒丹羽はダーツの矢をボロボロの左手で掴む。あとはこれで首を裂けばいいだけ。
「あはは……はは」
震える手がダーツの矢を掴んで首へと向いた。
ギラリと光る針の先端が喉に四センチ、三センチ、二センチと近づく。
そして――――
5
あれから一週間が経過した。
今からここに記すのは風紀委員としてではなく、ぶっちゃけて言えば俺個人の日記のようなものだ。
それでも見たいというやつは次のページをめくってくれ。
約一ヶ月に渡る風輪学園を舞台にした俺たち一五九支部と『アヴェンジャー』の抗争。
それを制したのは俺たちだった。
しかしその勝利が圧勝と言うには無理がある。それほどこちらの被害も甚大だったんだ。
破輩先輩、春咲先輩、湖后腹、一厘。この三名は軽傷とは言えないものの病院で手当を受け、その日の内に退院することができた。
俺こと鉄枷、佐野、厳原先輩はやはり病院で何日か世話になった。
俺は右腕の脱臼、佐野はアバラにヒビが入ったとか何とかで二日ほど入院。
ホントならもっとかかってもおかしくはなかったんだが、学園都市の進んだ医療技術、及びにあのカエルっぽい医者の腕のお陰だとか。(無表情で俺の腕を無理やりはめ込もうとした時は正直殺されるかと思った。)
かなり危ない状態だった厳原先輩も、今は意識を取り戻し、復帰に向かってリハビリの最中だという。
厳原先輩が意識を取り戻したのを聞いて破輩先輩が涙を流したのにはぶっちゃけビビったぜ……
鬼の目にも涙というかなんというか……て、話がそれちまったな。
今回の騒動で協力してくれたレベル4にも負傷者はいた。
神奈音響にバットで何度も殴打された七位。
木原一善に切り刻まれた十位。
木原一派のものにリンチにされた九位。
いつの間にか入院してた一五位。
それぞれ傷の度合いには差はあるが、命にかかわるほどひどい状態の者はいなかった。
強いて言うなら……っとこれは一番最後にとっておこう。
『アヴェンジャー』とそれに協力していた無能力者狩りのグループ。
そいつら全員は一度警備員に確保され、事情聴取にへと連れて行かれた。
当初の予測は全員が第一〇学区の少年院に送られると思ったが、結果は――――
お咎め無し。
ふざけんな……って話だよな。
その理由は二つ。
一つはアヴェンジャーの今まで行なってきた集金などの物的証拠がないこと。
学校の監視カメラは破壊され、被害者のほとんどが何者かによってアヴェンジャーに関する記憶を奪われていた。
それにぶっちゃけた話、あっちは単なるイジメとしか認識しておらず、まともに取り合ってくれなかった。
そしてあの抗争の日、戦場となったのは風輪学園の敷地内と廃棄された施設の中のみ。
学校側が器物損壊罪かなんかで訴えでもしなければ特に警備員が動くこともない。
(それでも木原一派の何人かは別件で捕まったらしい。なんでもアヴェンジャーの活動外でかなりヤバイことをやっていたとか)
そして学校側が『アヴェンジャー』に対して下した処分は『夏休みの間の寮での謹慎処分と反省文の提出』。
これもまた想像していたよりも遥かに甘い処分だ。
これは飽くまで推測なんだけど……学校側は何らかの理由で裏で手を回してたんじゃないかって思う。
じゃなければこんな甘い決定が通るはず無いし、許されるはずがない。
でも、俺はその決定に少しだけホッとしたフシもあったんだ。
俺はたしかに『アヴェンジャー』のやったことは間違ってたと思う。
けれどもその者達にもそんなことをしたそれなりの理由があったとも思う。
その理由も聞かず、ただ“自分たちの正義”で圧殺するのは間違ってるし、それは傲慢ともいえるだろ?
今後俺たちに科せられた課題は二度とこんな事が起きないよう、もっと視野を広く持ち、悩みがある者をそのままにはせず、ぶっちゃけさせることだと思う。
誰もが心に悩みや不安、怒りを抱えている。極論かもしれないが今回の事件はそれに気づくことのできなかった風紀委員にも責任の一端はあるからな。
俺は、最後にはどんな人間にもハッピーエンドを迎えて欲しい、笑っていて欲しい。
そう、黒丹羽《あいつ》にだって。
最後に語るのは『アヴェンジャー』の黒丹羽千責のことだ。
破輩先輩に吹き飛ばされた後、黒丹羽は風輪学園から少し離れた場所で発見された。
両腕をリストカットし、血まみれの状態で。
自殺。
それがアイツの選んだ選択肢ということを俺は信じたくない。
破輩先輩に吹き飛ばされる前、アイツは確かにまだこの世界に未練を持っていた。
まだ生きたい、そんな姿が痛いほど伝わってきた。
なのに、なんでアイツはそんな道を選んだんだよ……。
愚痴っぽくなっちまったな。
結果から言うと“黒丹羽千責”は死んだ。
いや……生きてる、けど死んでる状態だ。
黒丹羽は発見された後すぐに病院に搬送され、一命を繋ぐことが出来た。
しかし本当の問題は外傷ではなく、心の方にある。
重度の精神疾患と自殺衝動。
それが黒丹羽に刻み込まれた心の傷だ。
アイツは、今も病院の方で隔離されている。
意識があれば自虐行為を行うので、手足を完璧に拘束された状態で。
誰かと話すことも、会うことも、笑うこともできない環境の中、ただただ精神安定剤や麻酔を投与され、臭いものに蓋をされるかのような扱いを受けている。
それを自業自得とか、因果応報とも言う者も居るかもしれない。
けど俺は、それでも俺はこんな終わり方には納得がいかねえ。
だから俺は信じてる。本当に最後は誰もが笑って迎えられるハッピーエンドを。
黒丹羽がまたこの学園に戻ってくることを。
長くなっちまったがこれで俺からは以上だ。
最後に言っておくことがあるとすれば――――
「鉄枷先輩、何してんすか?」
「ぬわっ!! なんだ……湖后原か……ビビらせるんじゃねえよ。」
風紀委員一五九支部。
夕日がブラインドの隙間から差し込む中、一人作業を続けていた鉄枷はいきなり湖后腹に声をかけられた。
「なんだとは何ですか……せっかく知らせに来てあげたのに」
「知らせ? なんかあったっけ?」
顎に手を置き、はてなマークを浮かべる鉄枷。
そういえば何か大事なことがあったような、無かったような……
「忘れたんですか!? 今日は厳原先輩の退院日ですよ!? みんなで迎えに行こうって言ってたじゃないですか!!」
今思い出した。
そう、今日退院予定の厳原を迎えて一五九支部メンバーで打ち上げに行く予定だったのだ。
破輩曰く『時間厳守。一分でも遅れたら打ち上げの前にそいつを大気圏まで打ち上げる』とのこと。
「やべ!! ぶっちゃけすっかり忘れてた! 花束とか買ってあるのか!?」
「それは破輩先輩が用意してます。とにかくさっさと支度して行かないと、また病院にお世話になりますよ!」
「縁起でもない事言うんじゃねえよ! まじで有り得そうだから怖いじゃねえか!」
鉄枷はアセアセと準備にかかる。
湖后腹そんな先輩にやれやれと肩をすくめながら、空いた席に目をやる。
すると、パソコンの画面にはなにやら報告書とは別の文章が纏められていた。
「先輩。なんですかこれ?」
ああそれは、と鉄枷は振り返りながら答えた。
「今回の事件を俺なりに纏めたもんだ。
二度とこんなことが起きないよう、これからこの支部を引き継ぐ後輩にも知らせなきゃいけないからな」
「へえ~~なんか面白そうですね。タイトルはなんですか?」
鉄枷はハンガーにかけていた赤い鉢巻を頭に巻くと、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにニッと笑ってこう言った。
「――――紛争記憶、だ」
【とある学園の紛争記録】
製作開始2011年8月27日
製作終了2012年7月31日
制作日数340日
【登場人物】
一厘鈴音
鉄枷束縛
湖后腹真申
春咲桜
佐野馬波
百城鋼
白高城天理
木原一善
中円良朝
破輩妃里嶺
厳原記立
黒丹羽千責
黄ヶ崎漣
皇光双里
津久井浜憐憫
御嶽獄離
山武智了
葛鍵真白
小日向黄昏
吹間羊介
坂東将生
薙波藍守
大狗部汰含
神道猛
毒島拳
家政夫
黒埼痲愚露
嘉納鳴嘉
道原歩
倉元芹
土原来
逆守かなで
寺門仁義
羽香奈琉魅
風輪縁暫
クイーン
晩葉旭
破顔大笑
越前豪運
安生汀
萬代超流
吾味真吾
形勢流麗
神奈音響
上条当麻
白井黒子
計46人
最終更新:2012年07月31日 19:17