「さようなら!」
「さようなら、九野先生」
「うん、さようなら」
初夏と梅雨の訪れが迫った5月下旬頃、ここ常盤台中学の近隣にある女子中学校では部活動に入部していない生徒達が次々に下校していた。
その光景の中の一幕、校門付近に居る教師に対する女子生徒の挨拶が複数聞こえて来る。それは、この中学に勤務する教師、“天才”と謳われる男九野獅郎に対するモノであった。
「九野先生!」
「うん?おぉ、苧環じゃないか。それと・・・」
「つ、月ノ宮向日葵と言います!よろしくお願いします!!」
「・・・そうか。苧環。彼女はお前の派閥の一員か?」
「はい」
そこへ、茶髪の少女2人が九野に声を掛けて来た。常盤台中学3年生の苧環華憐と2年生の月ノ宮向日葵である。
「月ノ宮ちゃん。そんなに緊張しなくてもいいよ。リラックス、リラックス」
「は、はい!」
緊張のせいかガチガチに固まっている月ノ宮の雰囲気を察した九野が、砕けた雰囲気を周囲に漂わせる。
しかし、中々月ノ宮の緊張が取れない。その理由に心当たりがある九野は、苧環に確認を取る。
「苧環。お前、月ノ宮ちゃんに俺のことを何て言ってるんだ?」
「そ、それは・・・え~と・・・・・・」
「苧環様は、九野先生のことを『とても厳しい先生』と仰っておられました!」
「・・・苧環?」
「じ、事実ですよね?私に喝を入れて下さった時も、かなり手厳しかったですし」
月ノ宮のぶっちゃけにゴーグル越しに厳しい視線を送る九野に、慌てた苧環が言い訳にも聞こえる弁解を始める。
「そういえば、そんなこともあったな。・・・あの頃のお前はドン底だったし、周囲からも冷たい視線を送られていたっけ?」
「はい。九野先生の檄が無ければ、今の私は居ません。それだけの価値が、九野先生の言葉にはありました」
「ほら!『優しい先生』だろ?」
「・・・・・・・・・それだけでしょうか?」
かつて苧環は常盤台における『電撃使い』の最高峰を決めると謳って、現在学園都市第三位のレベル5御坂美琴と直接対決を敢行し、結果あえなく惨敗を喫した。
自身の実力に自信を無くし、惨めな敗北者として周りから陰口を叩かれた。一時は不登校にも陥りかけた彼女を救ったのは、“天才”と呼ばれる教師・・・九野獅郎だった。
常盤台の教師では無かった彼が、不登校の真似事として学校を無断欠席して第7学区をうろついていた苧環に声を掛けて来た。
苧環は彼と話したことは無かった。それは当然の事。常盤台学生寮の近くにある学校に通っている“天才”と呼ばれるサイボーグ風教師…程度の知識しかなかった。
但し、“天才”と謳われるだけの実績がある事くらいは知っていた。そんな彼は自分の事を知っていた。どうやら常盤台生間で噂になっていた2人の対決を耳にしたらしい。
しかも、苧環が周囲から陰口を叩かれている事も含めて。少女は内心ビクビクしながら彼の言葉を待った。御坂美琴への挑戦を無謀と断じるのか、それとも・・・。
ネガティブな思考ばかりが頭に浮かぶ苧環に、九野は口を開いた。そこから出て来たのは、苧環が予想していたモノとは全く違っていた。
『御坂は、元はレベル1で努力を重ねてレベル5になった。苧環、お前はこんな所で立ち止まったままか?失意の底無し沼に沈んで行くだけか?
お前の目は何のためにある?お前の耳は、鼻は、口は、頭は、手は、足は、体は、能力は!?お前がお前自身の力で、自分だけの道を切り開いて行くためにあるんじゃないのか!?』
決して優しくは無かった。甘くも無かった。唯厳しい現実を叩き付けた。苦労を知らなかったお嬢様に苦労(げんじつ)の意味を教えた。
苦労をしていなかった自分自身の“新たな”可能性に目を向けないのか?苧環華憐はずっと立ち止まったままか?それでお前が納得できるのか?
苧環は、九野の厳しさの中に優しさを感じ取った。それ以降、苧環は九野の言葉を励みに日々精進を積み重ねている。1人の『電撃使い』として御坂美琴を越えるために。
苦労もする。限界も感じる。迷いもする。逃げる時もあるかもしれない。立ち止まる時もあるかもしれない。でも進む意志だけは持とう。そう自分自身に誓った。
「お、苧環様だけじゃありません!九野先生の評判は『優しいけどとても厳しいダンディー教師』というのが常盤台生の共通見解です!」
「ガクッ!的を射ているとは言え、少し複雑な気分になるね」
月ノ宮のフォローが九野に心に突き刺さる。彼の指導で人間的に成長した者は学生・教師問わず多く居るが、反面ズバズバ言ったりもするので泣いてしまう者も多く居る。
彼の場合はフォローもキッチリ行うので後腐れは全く無いのだが、結果的に少々微妙な評判になってしまっているようだ。
特に、常盤台と学生寮との行き交いや学生寮での暮らしにおいてサイボーグのような風貌をしている彼をよく見掛ける常盤台生には(余計に)微妙に見られているようだ。
「ところで、苧環。俺に何か用でもあったのか?」
「いえ。九野先生の姿を見掛けたので、下校の挨拶をと思い。後は、月ノ宮の紹介もかねて」
「・・・・・・俺はまだ月ノ宮ちゃんの授業を受け持ったことは無いが、その時が来ても彼女に対する課題レベルを下げるつもりは無いぞ?」
「「うっ!?」」
「やっぱりそれが狙いか。そろそろ勘弁してくれよ、苧環」
苧環と月ノ宮の焦り顔を見て、九野は生徒の浅知恵に溜息を吐く。九野は個別的に御坂の授業を受け持っているだけあって、実力は本物だ。
彼が所属校とは別に通っている研究所が電気系統能力に精通している事もあって、苧環は彼に喝を入れられて以降は週に1~2回の割合で研究所へ足繁く通って教えを受けている。
だが、出される課題は常盤台のお嬢様クラスでも難しい。そんな彼の課題レベルを下げようと、苧環は事あるごとにゴマ摺り染みた真似をしたりしなかったりする。
しかし、“天才”は妥協しない。妥協してはいけない一線では、絶対に妥協しない。それが生徒のためでもあると理解しているから。
教師足る自分が構成する授業内容次第で、教え子達の成長度合いも変化する。そのためにも、手抜きは絶対に許されない。それが教師の務めであり、また負う責任でもある。
「俺としては、きっちり理解できるように授業を構成しているつもりなんだけどね。課題は、あくまで授業で教えたことの応用だぞ?そこから先はお前達の努力が必要だ。
そのための資料なら常盤台に揃っているだろう。駄々を捏ねているだけなら、俺はそんな態度を決して認めない。授業中にそんなことをほざくなら、さっさと退室して貰う。
俺の悪手以外で授業環境の弊害になるようならね。苧環。月ノ宮ちゃん。俺の言っていることは間違っているかい?」
「・・・いえ」
「・・・間違っていません」
九野の言葉は丁寧だ。徒に相手の反感を買うような口調には決してならない。しかし、それ故に“厳しい”。言葉以上の厳しさが九野の言葉には宿っている。
「調べてもわからないことがあれば、俺の所に質問に来たらいい。答えを教えるつもりは無いけど、答えに辿り着くヒントなら教えることができる。
そこから先はその生徒次第だ。俺は授業に、お前達のような生徒に全力で当たっている。お前達の成長を願って。
だからさ・・・その努力を否定するような真似を俺にさせるなよ、2人共」
「「・・・すみませんでした」」
九野の悲しそうな顔と声色を受け取った苧環と月ノ宮は、己の行為を恥じる。彼女達とて、九野に自分達の要望が通じるとは最初から思っていない。
気持ち的には、『それとなしにお伺いを立ててみようかな』レベルだった。しかし、それが九野の授業への拘り―生徒の成長を願っての―を否定することに繋がりかねないと認識した今、
軽はずみな行動をしてしまったことを悔い、彼に謝罪する。
「・・・フッ。頭を上げなよ、2人共。俺としても、生徒の反応を直に耳にすることができるのはむしろ望む所なんだよ。俺って、何と言うか近寄り難い風貌だからね」
「あっ・・・」
月ノ宮が思わず声を漏らしてしまった彼の風貌―近寄り難い―とは、主に首より上の部分を指す。
視力と聴力を維持するゴーグル型端末に黒白両方が混ざったオールバックの姿が、まるでサイボーグのように見えるのだ。
物言わぬ壮大な威圧感を体から滲ませる九野は、常盤台生はおろか、通っている女子中学生においても関わりが薄い生徒からは少し敬遠されたりしている。
逆に、関わりが深い生徒からは常盤台生含めすごくモテたりしている。月ノ宮が『ダンディー教師』と形容したのはそれが理由である。
「生徒の率直な意見は、教師にとって何物にも替え難い財産だ。駄々を聞くつもりは無いけど、それ以外の意見ならドシドシ言ってくれたまえ!
あの常盤台に入って来る女の子達は、いずれも前途有望な若者だと俺は思っている。そんなお前達の真摯な意見を、俺は無視したりしない」
「「九野先生・・・!!」」
これがフォロー。初対面であっても言いたいことをズバズバ言う代わりに、後でちゃんとフォローにも務める。
頭脳的に“天才”と謳われる彼が人間的にも高評価を与えられているのは、この辺りの要領の良さが要因である。
もちろん、ズバズバ言うのも当人を思ってのことである。飴と鞭という表現は適切では無いのかもしれないが、これが総合的に物事を量れる彼の真骨頂である。
「九野先生が通っている女子中学でモテる理由もわかる気がしますね。どうです?いっそのこと、常盤台に転勤してハーレム生活を築いてみるというのは?」
「常盤台でハーレム生活だって?やめてくれよ。俺は嫉妬する妻に何回殺されればいいんだい?冗談でも止めてくれよ、苧環。そもそも男子禁制だろ、『学舎の園』は」
「フフッ。これは失礼しました」
苧環のジョークに苦笑いする九野。彼は既婚者である。子供も2人いる。家では妻に尻を敷かれているが、その愛は衰えることは無い。妻にも子供にも愛情をたっぷり注いでいる。
「おっと!もうこんな時間だ!済まないけど、俺はこれにて失礼するよ」
「あれ?職員室に戻らないんですか?」
「あぁ。ちょっとヤボ用でね。バカ弟子と待ち合わせをしているんだ」
「バカ弟子?・・・先生が通っている中学の生徒ですか?それとも常盤台生・・・もしくは警備員とか?」
九野の言うヤボ用に、少し興味を惹かれる苧環と月ノ宮。彼から『弟子』という言葉を聞いたのはこれが初めてである。
「いや。他の学校に通っている風紀委員さ。あいつも、お前達のように素直だったらなぁ・・・。少しは可愛げも出て来るのに」
対する九野は、苦笑いをしながら教え子達の質問に答える。自分が教えた中であのバカ弟子程面倒な弟子は居ない。
「ということで失礼するよ。また明日」
“天才”は教え子達に別れを告げ、別の教え子の下へ赴く。ここ数ヶ月の間に『悪評』が立ったバカ弟子・・・“風紀委員の『悪鬼』”固地債鬼の下へ。
「何故お前まで付いて来る?」
「いいじゃん!非番同士なんだし!というか、債鬼君が非番なんてすっごく珍しいね!どうしたの?」
そんな九野の弟子である178支部風紀委員固地債鬼は、偶然出会った176支部リーダー加賀美雅と共に第7学区のとある空き地に居た。
どうやら加賀美も今日は非番だったらしく、ブラブラしていた所に偶然固地を見掛けたという体である。
「待ち合わせをしているだけだ。お前には関係無い」
「酷いよ、債鬼君!同期なんだし、少しは優しくしてくれたってバチは当たらないでしょ?」
この2人は中学1年の同じ時期に風紀委員となった者同士である。最初の1年間は同じ支部で働き、そこから固地は178支部へ、加賀美は176支部へ転属した。
「何で、俺がお前に優しくしないといけないんだ?」
「むぅ~!そんなんだから、債鬼君には友達が私やしゅかん以外に居ないんだよ?」
「大きなお世話だ!」
男女の言い争いが少しずつ熱を帯びてくる。固地はその性格の悪さから、よく敵を作ってしまう。そのせいで友達が殆ど居ない。
友達と呼べるのは加賀美と彼女の親友である焔火朱花という少女くらいである。朱花は固地のことを『サイちゃん』と呼んでおり、それが固地にとっては多少以上に気に入らない。
しかし、朱花は持ち前のオカン根性から固地の天邪鬼な性格を押さえ込んだりできる稀有な人間であったりする。簡潔に言えば、『懐の深い女性』である。
「そういえば、今度176支部(ウチ)にしゅかんの妹が配属されるんだよ。知ってた?」
「いや。今知った。・・・そうか。朱花の妹・・・緋花だったか。どんなヤツだ?確か、『世話が焼ける』と朱花が愚痴を零していたが」
「あれは愚痴じゃ無くてツンデレ的発言だと思うな。そうねぇ・・・私も小川原で何回か目にしただけなんだけど、元気一杯の明るい女の子だったよ」
「・・・そうか」
友達話から、176支部へ入って来る朱花の妹―焔火緋花―の話に発展する。時々固地・加賀美・朱花が揃った時に、よく朱花が妹のことを話題にするのだ。
『世話が焼ける』、『私の方が姉だっつーの!』、『今日は愚妹(アホ)の好きなクリームシチューを作ってやらないと。あぁ、忙しい忙しい』等々愚痴にも聞こえる言葉だが、
加賀美から見ればそれは妹への愛情の裏返しであると感じていた。やはり、姉として妹は可愛いのだろう。
「まぁ、俺の所に来なくて良かったことは確かかもしれんな。あの朱花の妹だ。そいつを俺が指導した日には、朱花に何を言われるか知れたモンじゃ無い」
「別に、朱花はそこまで口出ししないと思うけど。まぁ、債鬼君の嫌味はヤバイからね~。緋花って娘も最初に債鬼君はキツイだろうね。同期の私が保証してあげる」
「・・・その嫌味にずっと食い下がったお前も大概だがな」
「・・・フフッ」
固地の何処か呆れた声を耳にし、加賀美は少し笑ってしまう。彼の発言は、正論だがキツイ。具体的に言えば、総じて口調が荒い。他人の神経を逆撫でにする。
そのせいで、彼の人間的な評判は風紀委員の中でもすこぶる悪い。これで、検挙率トップクラスを維持していなければ益々彼は孤立していただろう。
「ねぇ、債鬼君?」
「何だ?」
「・・・最近どうしたの?何だか、色んな所から債鬼君の悪い評判が聞こえてくるようになったんだけど」
良い機会だ。そう思い、加賀美は固地に問い掛ける。ここ数ヶ月の間に、固地の『悪評』は急激に伸びた。今年の2月下旬頃178支部で起きた『下剋上』を境に。
「俺の『悪評』は今に始まったことじゃ無いが?」
「誤魔化さないでよ。債鬼君。最近どうしたの?私が176支部のリーダーに就任した時に言ってくれたよね?
『待っていろ!!俺も自分の実力に更なる磨きをかけた暁には、お前と同じ位置に立ってみせる!!』ってさ。その答えが『これ』なの?」
「・・・・・・」
「どうして・・・178支部リーダーの浮草先輩の立場を危うくするようなことをするの?どうして、浮草先輩を“お飾りリーダー”なんて言うの?」
それは、178支部で起きた電撃的とも呼べる『下剋上』。178支部リーダーである浮草宙雄を差し置いて、固地債鬼が新たなリーダー格として伸し上がった。
他支部である加賀美には両者の間にどんなやり取りがあったのかまではわからない。わかっていることは、浮草が固地にリーダーを譲ってはいないこと。
固地が勝手にリーダー格として振舞うようになったこと。その影響もあって、固地の『悪評』が一定レベルを超えてしまったこと。
「・・・他支部のお前には関係無い」
「関係あるよ!同じ風紀委員だよ!?同期だよ!?債鬼君が理由も無しに浮草先輩を押し退けるなんてことするわけ無い!何かあった筈だよ?
何か契機になるような・・・・・・あっ!そういえば、去年の12月に債鬼君が同僚と大喧嘩して・・・その同僚が風紀委員を辞め・・・」
「・・・お前にそんな余裕があるのか?『リーダー』であるお前に」
「ッッ!!」
友の追及に固地は禁句にも似た指摘を口に出す。彼女の心の奥底に封じられている悔恨を呼び起こす。
「今度朱花の妹が入って来るんだろう?その受け入れ態勢は、もうできているのか?」
「そ、それとこれとは・・・」
「お前・・・自分で言っていただろうが。『風子のような事態を二度と起こさない』と」
「うっ・・・!!」
固地が指摘するのは、元176支部風紀委員である風路鏡子の失踪事件。彼女は去年の11月上旬に違法薬物に手を染めた挙句暴走し、一般人への凶行に及ぼうとした。
その場に居た固地の手によって鏡子は取り押さえられた後に免職されたが、同月下旬に謎の失踪を遂げた鏡子は今も行方不明のまま。
警備員による捜査が打ち切られた後も、加賀美は独自で元部下の行方を探した。しかし、見付からない。幾ら探しても、その手掛かりさえ掴めない。
今となっては、彼女が何らかの事件に巻き込まれ死亡した・・・と思っている。そう、加賀美雅は風路鏡子の生存を諦めた。諦めてしまった。
「同じ過ちを繰り返したくは無いだろう。唯でさえ、当時は10月初めに176支部を辞めた風紀委員と合わせて、リーダーとして批判されていただろう?
今の176支部は、俺達の間でも知られている問題児集団を抱えているだろうが。もっと、そっちに目を向けるべきじゃないのか?俺なんかに構ってる余裕は無い筈だ」
「だからこそだよ!『悪評』は後々までその人に付き纏う。今のままじゃあ、債鬼君の立場が悪くなる一方だよ」
「別に俺は気にしていない」
「もぅ・・・!!この意地っ張り!!」
加賀美は固地の頑強な意地にお手上げ状態になる。最初に会ってからちっとも変わらない。この悪態さえ無ければ、周囲との繋がりも円滑になるのに。
固地だってわかっている筈なのに、彼はその手段を取ろうとしない。理由も教えてくれない。固地は加賀美に全く優しく無いのだ。
そんなすったもんだの言い合いを止めたのは・・・
「おやっ?どうしてここに178支部の悪名高き“『悪鬼』”がいるのかしら?」
風紀委員の腕章を付けた女性3名。1人は繚乱家政学校らしきメイド服を着用しており、他2名は余り見掛けない制服を着用している。
「都城先輩が居るってことは・・・181支部の方々ですか?」
「そうよ。・・・久し振りね、加賀美?」
その中の1人に加賀美が声を掛け、掛けられた少女も落ち着いた声色で返事をする。左目が隠れる程の黒色長髪の女性の名前は都城上手。
高校3年生である彼女は現在塔川学校に拠点を構える181支部のリーダーを務めており、同じくリーダーである加賀美は彼女と面識があった。
「そういえば、ここは181支部の管轄だったか?」
「その通りよ。それなのに、178支部のあなたが何故ここに居るのかしら?」
「夜越様。この方が・・・」
「飛嶋さんの想像通りです。この男が、178支部に君臨する独裁者・・・“風紀委員の『悪鬼』”と呼ばれる固地債鬼ですね」
都城と同じ制服を着用し、また固地と同じくらいの身長を誇る黒髪少女の名は夜越希望。彼女は基本的に誰が相手でも敬語口調なのだが、固地に対しては少々以上に崩れている。
そんな彼女に確認を取っている膝丈のメイド服を着用する茶髪の少女は飛嶋満陽。彼女達も181支部に所属する風紀委員である。
この内、都城と夜越はスポーツ工学系である塔川学校に通う生徒である。スポーツ推薦枠出身者が多数を占める塔川の生徒数は他の学校に比べて少ないために、
数多の学校が乱立するこの学園都市でも目立たない部類に入っている。生徒個人を知らない者が彼女達の制服を見ただけでは、すぐに塔川生とは気付かないだろう。
「今日の俺は非番だ。別に178支部の風紀委員としてこの辺りをうろついているわけじゃ無い」
「そうですか。それは私達にとって不幸中の幸いですね。“風紀委員もどき”がいきがる姿を目に映したくはありませんから」
「(都城先輩!あの娘、何でいきなり債鬼君に突っ掛かってるんですか!?)」
「(・・・・・・端的に言えば、希望は固地のことが嫌いなの。初対面の筈なのにあそこまで口調が荒くなっている所から見て、唯の嫌いじゃ無いわね。つまり・・・)」
「(つまり・・・?」
「(大嫌いなのよ)」
「(ガクッ!?そ、それはわかりますけど・・・)」
天然ボケをかます都城に加賀美が項垂れている間にも、夜越と固地の言い合いはヒートアップして行く。
「ほぅ・・・。俺が“風紀委員もどき”と?」
「そうですよ。何せ、上司であるリーダーを無理矢理押し退けて好き勝手していると聞きますし。そんな人間が、どうすれば学生の模範になれるのですか?
彼等を正しく導くことが私達風紀委員に求められているのに、あなたの姿は逆に彼等を間違った方向へ導くことに繋がりかねません」
「お前と会うのは今回が初めての筈だが?」
「“火の無い所に煙は立たぬ”。あなたの『悪評』は、私達風紀委員の間では有名ですからね」
『悪評』。浮草に成り代わって178支部に君臨するようになってから、『悪評』は勢いを増していた。
また、176支部・178支部・181支部は同じ第7学区に存在していたこともあって伝わる速度も早かった。
「面白い。例えば、どんな『悪評』があるんだ?」
「そうですね。例えば、『他支部の実力者やエースと呼ばれる人物ほど、奉仕活動や住民への思いやりが疎かになる』と。その中の筆頭格が・・・あなた」
「俺が?・・・・・・まぁ、“当たらずと雖も遠からず”と言った所か」
「何が“当たらずと雖も遠からず”ですか。図星では?」
「(・・・ねぇ、加賀美?実の所どうなの?私も噂では聞くんだけど。言っておくけど、私は本当のことを知りたいだけだから。噂を鵜呑みにするのは危険だし)」
「(債鬼君は、別に奉仕活動を軽視していませんし一般市民への対処も普通にこなしています。唯・・・)」
「(唯?)」
「(『他人に優しくする』という行為がすごく苦手・・・というか皆無というか。それを無理矢理すると、オカマ口調になったりするんです)」
「(・・・オカマ?あの固地が?)」
「(当人的には『優しくて、しかもおせっかいな少年』を演じているそうなんですが、傍から見たらどう見てもオカマとしか判断できないんです)」
『偽装演者』と呼ばれる固地の捕縛術の1つは、他にも使われる場合が多い。その代表例が『優しくて、しかもおせっかいな少年』―加賀美や同僚の真面達から見れば唯のオカマ―である。
加賀美自身、初めてその演技を見た時は寒気しか湧かなかった。気色悪いにも程がある。一応固地のプライドを損ねない範囲で指摘をしてみたのだが、良く理解できていないようだ。
「(不器用というか何というか・・・。ですから、債鬼君の態度は必然的に事務的なモノに終始しちゃうんです)」
「(成程ね。だから、冷たい印象を持たれやすい・・・ひいては『思いやりが無い』という評判に繋がるわけね。・・・奉仕活動についても同じ理由かしら?)」
「(はい。それと、176支部から178支部へ今年の3月に転属になった真面進次という男の子が奉仕活動を得意としていまして。
彼が奉仕活動等を主導して行うことで178支部のイメージ回復に繋げていることが、『悪評』を生み出している債鬼君との対比で・・・)」
「(それは固地の自業自得でしょうけど・・・フム。もしかしたら、彼が得意じゃ無い奉仕活動をその真面という男の子に任せているのかもね。・・・合点が行ったわ)」
加賀美の説明に、都城は持ち前の頭脳で回答を導き出して行く。冷静沈着な彼女は、並大抵のことではその意志を揺らがせることが無い。
噂や又聞きで他人を完全に判断せず、当人と近しい人間の意見も聞き、実際に相対することで彼女の判断に必要なピースが揃う。
181支部リーダーとして相応しい頭脳と実力を兼ね備えている少女は、同じリーダーに賞賛にも似た声を掛ける。
「(それにしても・・・よく見てるのね。固地のことを)」
「(えっ!?そ、それは同期ですし・・・朱花って言う友達には『腐れ縁』とも言われたことがあります)」
「(そう。固地も、もっとあなたの有り難味を知ってもいいと思うんだけど・・・・・・ムッ?)」
「(都城先輩?)」
「(これは・・・面倒なことになるわね)」
都城の言葉が不意に途切れたことに加賀美は気付く。それが、彼女の予知系能力『直後予知』によって未来視した光景に理由があることも。
前髪や帽子など視界内の遮蔽物に『数秒後の未来における第三者視点の自分の周囲の映像』を映すこの能力に必要な遮蔽物とは、すなわち都城の左目を隠れる程の前髪。
「アンタのような思い込みの激しいタイプは、有事の際の対処には不向きだな。どうだ?領域(ナワバリ)の一部を譲渡するなら、今度から手助けしてやってもいいぞ?」
「領域(ナワバリ)の一部を譲渡ですか?それは困りましたね・・・・・・・・・寝言は寝てから抜かせ。“風紀委員もどき”のクソガキ」
そして、都城が予知した通りの光景が現実に現れる。終わらない言い争いに終止符を打つために固地が夜越を挑発し、その挑発に夜越が乗ったのだ。
「飛嶋さん。手出し無用でお願いしますね。あなたの手を煩わせる程ではありませんので」
「・・・夜越様。無茶はしないで下さいね」
同僚である飛嶋も両者の戦闘行為を止める気配が無い。彼女も、目の前のやり取りを受けて固地に好印象を持つ筈が無い。
「ヤバッ!早く止めない・・・(ガシッ)・・・都城先輩?」
「・・・・・・」
一触即発の空気に危機感を抱いた加賀美が間に入ろうとするが、それを都城が抑える。
「・・・ひとまず様子を見ましょう。固地が浮草を押し退けてまで振舞っている以上、“線引き”を超えない程度には抑える筈よ」
「都城先輩・・・」
「仮に“線引き”ができていないのなら、その瞬間から私は固地をリーダー格とは認めないしね。“風紀委員の『悪鬼』”のお手並み拝見といこうかしら」
都城は、敢えて訪れる未来を変えようとはしない。今は見極める時。その結果として、何らかの見極めができる筈だ。
「ハーハハハッ!!仲間の手を借りなかったことを後悔するなよ?」
「その傲慢さが何時までも通じると思うな!!この夜越希望が返り討ちにしてあげるわ!!」
そうこうしている間に、遂に固地と夜越の喧嘩が始まった。先手は夜越。持参しているペットボトルから水を脚に垂れ流した直後に己が能力『氷面滑走』を発動する。
ピキピキ!!!
彼女の脚に触れた水が瞬く間に氷と化す。脚に触れた物体を凍らせる能力『氷面滑走』にて生み出されたサッカーボール程の氷球を、固地目掛けて蹴り飛ばす。
「フン!!」
顔面に飛んでくる氷球を、身を捻ることでかわす固地。その隙に靴の裏まで凍らせた足でスケーティングのような移動術を駆使する夜越が固地に迫る。そして・・・
ブォン!!
夜越の飛び膝蹴りが固地を襲う。もちろん、膝を氷で覆いながら。スケーティングにより勢い付いた必殺に近い蹴りを見て、慌てて飛び退くことで回避する固地だが・・・
「甘い!!」
「!!!」
それすらも予期していた夜越が、地面へ着地したと同時に脚に纏っていた氷を数十のゴルフボール程の氷球に変化させ、回し蹴りの要領で蹴り切る。
「チィッ!!」
やられっ放しである固地も、『水昇蒸降』で周囲の水蒸気を水に変換し、数十もの水球を向かって来る氷球に勢い良く衝突させ貫こうとする。
ぶつかるレベル3同士。軋み合う『氷面滑走』と『水昇蒸降』。衝突する氷球と水球。この場合、演算処理の差の他に・・・能力の特性が勝敗を左右する。
ピキピキピキ!!!
「!!?」
『氷面滑走』の特性として、一度凍り付かせた物体に触れた物も凍らせることができる。今回で言えば、『水昇蒸降』で発生させた水球が氷と化す。
『水昇蒸降』は固体である氷を操作することはできない。つまり、氷と化した水は固地の支配下から解き放たれている。
「どうした!?“風紀委員の『悪鬼』”って言っても、これくらいなの!?そんなんで、よく178支部に君臨してられるわね!?」
「くっ!!」
勢いの乗る夜越に、固地は懲りずに幾十もの水球を発生させぶつけるが、夜越の華麗な脚捌きに水球全てが凍り付く。
元々、格闘術において固地は風紀委員の中でも中の上である。対して、夜越の格闘術は風紀委員全体を見ても上位グループに位置していた。
近距離戦では、総合的に夜越の方が上回っている。それがわかっているからこそ固地は距離を保とうとするが、彼の狙いを看破している夜越は果敢に近距離戦に持ち込もうとする。
「・・・腕を上げたわね、希望」
「(そ、そういえば、都城先輩は『師範』って呼ばれるくらいの格闘術のスペシャリストだっけ!?能力無しの格闘術だけなら、ウチの稜ともガチで戦り合えるのよねぇ)」
加賀美は、今更のように隣に居る181支部リーダーの実力に震撼する。都城は女性ながら181支部の中で格闘術No.1の実力を誇っており、
176支部のエースと謳われる“剣神”神谷稜と能力無しの格闘戦で互角に渡り合う猛者なのだ。
彼女の影響や指導で、181支部に所属する風紀委員の多くは格闘術を磨きに磨いていると聞く。その1人が今固地と戦っている夜越であり、傍で見守っている飛嶋なのだ。
「でも・・・まだまだね」
「えっ?」
そんな『師範』の顔色は険しい。それは、部下が固地の“都合の良いように振り回されている”現状に対してのモノ。
「気付かない?固地は、自分が希望との戦闘では近距離での勝負が不利と見て盛んに距離を取ろうとしているわ」
「そうですね。それは私にも・・・」
「でも、本当に希望相手に『近距離戦で手も足も出ない』のなら、もっと必死になって距離を取ろうとする筈よ。それこそ水球なんて小さいモノを幾十も浮かべるより、
希望を飲み込むくらいの水を発生させてもおかしくは無い。力量的にそれが無理って線も有り得るし、固地の『水昇蒸降』の材料である水蒸気の上限もあるにはあるけど」
「・・・都城先輩の目にはどう映っているんですか?」
「端的に言わせて貰うと、固地は手加減をしているわ。近距離戦に限っては本気だろうけど、あの様子じゃあ奥の手みたいなモノを持っていそうね。
今の彼は、おそらく希望の戦闘能力を測っているんだと思う。さっきまでの言い争いも、希望の性格を知るための話術ね。良くも悪くも自分の性格を熟知しているのね、固地は。
彼女には、上辺だけで物事を量ってはいけないって指導しているんだけど・・・。噂の鵜呑みと言い、ショタコンの気と言い、希望は思い込みが激しいのが玉に瑕ね(ボソッ)」
「えっ?最後の方がよく聞き取れなかったんですけど?」
「・・・・・・ようは、一度自分がこうだと決めたことを貫き通すということ。融通が利かないっていう欠点もあるけど、それが彼女の美点でもあるから難しいのよね」
都城は、以前から自身も思っている己が部下に対する評価を改めて口に出す。
夜越は『子供は未来の希望!彼らを守り正しい道へ導いて行くのが私達の役目!』と豪語しているだけあって、一般人からの評判は上々である。都城自身も彼女の姿勢を歓迎している。
その一方で、一度自分が決めたことは頑として譲らない気質の持ち主である。言い換えれば思い込みが激しい一面があり、その代表がショタコンである。
彼女は小さな子供が大好きである。特に、小さな男の子が大好物である。盛大にハァハァしてしまう。都城も指導しているのだが、全くと言っていい程改善しない。
故に、彼女が『置き去り』の施設にボランティアへ赴く際には、181支部員が付き添うことが多い。そうしないと、過ちを犯してしまうかもしれないからだ。
「そういう意味では、夜越も固地のことを言えた義理じゃあ・・・ハッ!」
「えっ・・・うわっ!!?」
またもや都城の言葉が途切れた。と同時に都城が加賀美を抱きかかえて俊敏に移動する。
そして数秒後・・・都城と加賀美に居た場所目掛けて上空から181支部が誇る“暴走火車”が突っ込んで来た
「み~~~~な~~~~さ~~~~ん~~~~!!!こ~~~ん~~~に~~~ち~~~は~~~!!!!!」
「「「「!!!??」」」」
都城以外の人間、すなわち固地・加賀美・夜越・飛嶋の4名が上空から聞こえて来た元気ハツラツを体現したかのような挨拶を耳にする。
その声の主は、地面に墜落する数秒前に足裏から怒涛の勢いで爆炎を放射し、減速した後にビシッと着地を決める。
「遅れてすみませんでした!!!都城先輩!!夜越先輩!!今日も良いお天気ですね!!!満陽!!今日も元気!!?さぁ、今日も1日頑張りましょう!!!」
鼓膜を叩く大音量を吐き続ける赤髪の少女の名前は常盤台中学2年生の果無火煉。“暴走火車”の異名を持つ暴れん坊である。
「火煉・・・。また建物の屋上を『焦熱爆走』で伝って来たの?幾ら『焦熱爆走』でも危ないと思うんだけど・・・」
「そうだよ!!私なら問題ナッシング!!イェイ!!!」
「・・・・・・ハァ」
飛嶋が親友である果無の根拠の薄い自信(Vサイン付き)に、呆れた溜息を吐く。飛嶋は基本的に他人を呼ぶ時は『~様』なのだが、親しい間柄の人間に対しては名前を呼びすてる。
「いけませんよ、果無さん!飛嶋さんの『揚力調整』もそうですが、無闇に空中に身を投げ出してはいけません!!」
「問題ナッシング!!グッド!!!」
「サムズアップしない!!何がグッドですか!!?」
「あれが181支部の“暴走火車”か(ボソッ)」
果無の根拠の薄い自信(サムズアップ付き)に、先輩である夜越も声の音量を上げる。“暴走火車”は、根本的にバカである。種類的には熱血バカである。
バカにも色々種類はあるが、その中でも熱血バカは総じて面倒臭いことが挙げられる。その1つが・・・『人の話を碌に聞かない』。
「あれっ!!?夜越先輩は隣に居る“ハットマン”と何をしてらっしゃるんですか!!?」
「“ハットマン”・・・?」
固地は、赤髪の少女に急に名付けられた渾名と思われる“ハットマン”にイラッとする。シルクハットを被っていたからだろうが、ネーミングが安直過ぎる。
「『何を』って・・・。それは、この“風紀委員の『悪鬼』”の性根を叩き直して・・・」
「そうか!!ようは風紀委員同士の模擬戦ですね!!!私も混ぜて下さい!!!よっし!!やる気が出て来たぞおぉぉぃぃいいい!!!」
「人の話を聞きなさい!!!」
質問した側が回答側の言葉を碌に聞いていない。これもまた、181支部の日常である。
「“ハットマン”!!今度は私から行きますぜぇい!!!ちゃいやっ!!!」
「むっ!!?」
固地の禍々しい瞳が見開かれる。その視界に映っているのは、果無が足裏から爆炎を生み出して脚に纏っている姿。
これが果無の発火系能力『焦熱爆走』。足裏から爆炎を生み出すことができる能力者である。
「ちぇいやっ!ちぇいやっ!ちょちょいの~~~ちゃい!!!」
「!!!」
果無が地面に着いていた左足の裏の爆炎を爆発させ、その勢いで固地に肉薄しながらハイキックをぶちかます。
固地は咄嗟に付近に浮かべていた複数の水球を果無の蹴りにぶち当て纏う炎を消火した後に、腕でガードしていた頭を落とすことでハイキックを避ける。だが・・・
「の~ちぇい!!!」
「グッ!!」
蹴り脚である右足の裏から爆炎を噴出させ無理矢理体勢を変更、そのまま右脚を固地の右側頭部―正確には側頭部を防御した右腕―に叩き込む。
炎を纏っていないとは言え、爆炎の噴出を利用した一撃で固地は地面へ転がり落ちる。
「(右腕が痺れて・・・。あの女・・・!!!)」
「中々やりますね、“ハットマン”」
右腕に走る痛みと痺れに固地が顔を顰め、蹴りを見舞った果無は思わぬ歯応えに気分を良くする。
彼女は常盤台に通うお嬢様でありながら幼少の頃からムエタイを嗜んでおり、『師範』である都城とも良く稽古を行っている程熱中している。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!果無さん!!あの“『悪鬼』”とは、私が戦っていたんですよ!?邪魔をしないで・・・」
「夜越先輩の『氷面滑走』って、私の『焦熱爆走』と並んじゃうと使いモノにならないんですよね!!!ダーハッハッハ!!!」
「ぶっちゃけないで下さい!!そもそも、果無さんが横槍を入れなければ問題無い・・・」
「それじゃあ、私と先輩のどちらが先にあの“ハットマン”に蹴りを叩き込めるか勝負です!!!行きまっしょいぃや!!!」
「だから、人の話を聞けぇ!!!」
遂に敬語口調さえ取っ払った夜越の言葉さえ碌に聞いていない熱血バカは、眼前の相手に神経を集中する。今度こそ、会心の蹴りをお見舞いしてやる。
「ほいらほいら、ほほいのほほいの~~~~~」
「くそっ!このまま果無さんにK.O.でもされたら私が戦った意味が無い!!こうなったら、先手必勝!!ハッ!!」
再び足裏に爆風の準備を行う果無に先を越されまいと、夜越が『氷面滑走』によるスケーティングで固地へ急接近する。
「(右腕が上がらん!!この状態であの2人を同時に相手取るのは荷が重い!!)」
一方、果無の一撃で右腕が上がらない状態の固地は戦況の不利を悟る。しかし、ここで逃げるわけにもいかない。“風紀委員の『悪鬼』”というイメージを保つためにも。
「(だが、俺の格闘術と『水昇蒸降』による妨害で両者の攻撃を“両者自身”で相殺させれば勝機はある!!)」
夜越の『氷面滑走』は果無の言う通り『焦熱爆走』によって無力化可能、『焦熱爆走』に至っては、水を操る『水昇蒸降』に分がある。
『水昇蒸降』を妨害する『氷面滑走』のいなし方次第では、両者の攻撃を無力化した後に反撃を加えることも可能だろう。
「(後は、奴等の格闘術に俺が瞬間的に何処まで張り合えるか・・・。“あの”能力はさすがに風紀委員へは使えない。後は・・・俺の力を信じるだけ!!)」
周囲に水球を幾十浮かべ待ち構える固地に夜越が近付く。その後ろでは、今まさに果無が固地目掛けて突っ込もうとしていた。そして・・・時は来た。
「ほい!!!」
「成敗!!!」
「(来た!!!)」
足裏の爆炎を爆発させた勢いで左ミドルキック(炎は纏っていない)を放とうとする果無と、氷を纏った右ミドルキックを放とうとする夜越。
タイミング的には夜越の方が僅かに早く固地へ届く。それを察した固地は、後方へ跳ぶことで果無と夜越の一撃が重なるように体を動か・・・
「バカ弟子!!!」
「ビクッ!!!」
し切れなかった。突如固地の後方から放たれた男性の声に固地の体が途中で硬直する。その結果・・・
ドン!!ドン!!
「グハッ!!!」
「よっしゃああああぁぁぁっっ!!!」
「決まった!!」
果無と夜越の蹴りが固地の腹部を襲った。一応、固地の目論見通り2人が接近したことで夜越が纏っていた氷の硬さが軟化し、また果無も先輩の接近にキックの軌道を少々変更したことで、
固地へのダメージは幾分軽減された。が、決して軽くは無い二撃に手応えを感じた少女2人が叫び、彼女達の攻撃を喰らって吹っ飛ぶ固地を後方に居た中年の男性が受け止める。
「そこまでだ、お嬢さん方。これ以上戦闘を継続するというのなら、さすがの俺も黙っているわけにはいかないな」
その男からは、只ならぬ威圧感が漂っていた。まるでサイボーグか何かと見間違うような風貌をした男の声が、少女達の挙動を封じていた。
「あ、あなたは誰ですか!?私達は風紀委員・・・」
「俺は警備員だ。それがどうした?もし、警備員で無かったとしても一体何の問題がある?言ってみろ、風紀委員?」
「警備員・・・!!こ、これは失礼しました!!」
闖入者の登場に混乱する夜越の抗議を、警備員である“天才”は封殺する。子供(ガキ)の戯言を耳に入れる寛容は、この場では必要ない。
「く、九野先生・・・!!!」
「九野って・・・あの“天才”九野獅郎先生!!?」
「果無ちゃん。君の熱血っぷりは微笑ましいとは思うけれど、少しはブレーキを覚えたまえ。何時か大事になるよ?」
先程まであれだけ大騒ぎをしていた果無が半ば震えていた。彼女の言葉から、『実地研修』として常盤台にも派遣された経験のある飛嶋は目の前の警備員の正体に驚愕する。
何より、果無火煉は知っている。常盤台に通う風紀委員(かのじょ)は知っている。目の前の男を・・・“天才“九野獅郎の恐ろしさを。
「バカ師匠・・・・・・何で・・・」
「どうせ、『悪評』高いお前のことだ。“どちらが先に仕掛けたにせよ”、お前の非は免れない。だったら、その非の分くらい痛い目を見ろ。お前だけは俺でも実力行使が必要だからな」
「何だ・・・それ・・・は・・・」
「寝ていろ。お前が起きていたら話がややこしくなる。後は俺に任せろ」
「ちぃっ・・・」
果無と夜越から喰らったダメージで気を失いかけているバカ弟子に師匠は優しく、しかし指摘する部分は指摘する。
その容赦の無い言葉に苦笑いを浮かべながら(+舌打ちをしながら)固地は意識を手放す。
「・・・都城ちゃん。一応確認しておこうか?君の予知能力なら、俺の登場もわかっていた筈だ。何故止めなかった?」
師匠は、果無・夜越双方の上司である181支部リーダー都城に確認する。彼女の『直後予知』なら、タイミング次第で九野の登場に伴う固地の被害はわかっていた筈だ。
そして、九野が知る都城上手という少女は能力行使における最適なタイミングを見誤ることはまず無い。
「・・・希望と火煉の攻撃は、固地に重傷を負わせる程度では無かったことも“わかっていました”ので」
「それは・・・181支部リーダーとしての判断かい?」
「はい。それに、私の『直後予知』は決して万能ではありません。私が動くことで、不測の事態が発生することも有り得ました。
ならば、大きな問題にはならないと“わかっていた”予知の通りに事を運ぶことがベターだと私は判断しました」
都城は九野の質問にテキパキ答えて行く。リーダーとして、正確な状況報告を行うことは必要最低限の―しかし絶対に求められる―実力である。
「・・・成程。わかった。君の言葉を信じよう。では、何故こんなことになったのか・・・その説明もして貰えるかい?」
「・・・・・・はい」
九野は容赦しない。先程は固地に非があることを認めた。彼にも伝えた。しかし、固地だけに非があるとも思っていない。ならば、師匠として弟子のために動くことは彼の責務である。
「・・・夜越ちゃん」
「・・・はい」
「まずは謝ろう。申し訳無かった。債鬼が君の性格や戦闘能力を調査したくて、わざと君を挑発したんだね」
「わざと!?」
「あぁ。このズル賢いバカ弟子は、自分の『悪評』さえ利用しようとするからな。君達がここを通り掛った偶然を利用して、君を分析していたんだろう」
「そ、それでは領域(ナワバリ)の譲渡は・・・」
「それも挑発の一環だね。その言葉にどういう反応を示すかで、債鬼は君を量っていたんだ。全く、そんな言葉で量るくらいならもっと別のやり方で量れと言いたいモンだ」
空き地に詰まれている土管の上に九野が座り、地面に都城・加賀美・夜越・飛嶋・果無が座っている。
固地は九野の後方で寝かされていた。一応対外傷キットを用いて治療済みである。
「だが・・・君にも非はある。何故なら、君の方から債鬼に仕掛けたんだからね。噂を鵜呑みにし、『悪評』だけでその人物を理解したつもりでいた。
債鬼は決して奉仕活動を軽んじる男じゃ無いし、一般人に対して思いやりが全く無いわけじゃ無い。加賀美ちゃんや師匠の俺が保障しよう。
まぁ、債鬼の挑発分は差し引くにしても・・・君、それで風紀委員が務まるのかい?確認するにしても、相応の確認の仕方があるんじゃないかい?」
「うっ・・・」
「これは債鬼にも口酸っぱく言っていることだが、喧嘩腰で掛かれば最後には和解に繋がろうともそれまでの過程は紆余曲折を経る。
夜越ちゃん。それは、君が目指す風紀委員の在り方に通じているのかい?」
「い、いえ・・・」
「なら、何故そんな真似をする?債鬼のやり方が気に入らないんだろう?その債鬼と同じことを君がしてどうする?他人を指摘する前に、まずは自分を見直したまえ」
「・・・も、申し訳ありませんでした」
「「「「・・・!!!」」」」
九野の断罪に、夜越は少し涙声になりながら謝罪の言葉を口にする。九野の言う通り、“『悪鬼』”を撃退するにしてももっと穏便なやり方があった筈だ。
それを、幾ら腹を立てていたとは言え最初から喧嘩腰で向かって行ったのは褒められる行動では無い。むしろ、批判されて然るべきだ。
「果無ちゃんに関しては、常盤台付近で見掛けた時に時間があれば色々話すとしよう。・・・いいね?」
「(コクンコクン)」
「(火煉が・・・押されてる!!)」
蛇に睨まれた蛙のように体を縮こまらせている果無に、親友の飛嶋は驚愕の表情を露にする。
今だかつて親友のそんな姿を見たことが無かった彼女としては、果無のビクつきようは今でも信じられないのだ。
「都城ちゃん。債鬼の在り方を量るために、わざと放置した・・・だね?」
「はい」
「まぁ、それに関して俺はとやかく言うつもりは無いよ。拳と拳を交えながら相手を知るという方法は存在するし。
だから・・・君は君の為すべきことを為したまえ。教え子の失態は教えている人間に跳ね返って来るよ?債鬼が馬鹿をすれば、師匠である俺に跳ね返って来るように。
教える人間は、その責任から逃れるわけにはいかない。教え子を背負ってこそだ。君なら、その重さを理解しているだろう?」
「・・・・・・はい」
「なら、いい」
都城は九野の言葉に、上司としての責任の重さを再確認した。今回の件は、夜越の悪手をわざと見逃していたのは確かである。
それを利用して、『悪評』を撒き散らす固地の真意を見極めようとした。そこを九野に看破された。これは、甘んじて受け入れる批判である。
「総じて、今回の件は両方に非がある。しかし、重さ的には181支部の方が重いだろう。
あぁ、債鬼には謝らなくていいよ?こいつは、意地でも謝らないだろうからね。ホント困った弟子だ。
だけど、今回の件における君達の非はよくよく覚えておきたまえ。言っておくが、師匠である俺は君達を許したわけじゃ無いからね?」
「「「「ゴクッ・・・!!!」」」」
「君達を許すかどうかは、今後の君達の行動で決めるとしよう。本来風紀委員と警備員は管轄も何もかも違うが、同じ学園都市を守る治安組織の一員には違いない。
君達が今後も風紀委員で在り続けるのなら、同じ失態は繰り返さないようにしろ。仮に、何度も同じ間違いを繰り返すようなら・・・フッ、皆まで言わなくてもわかるだろう?」
“天才”が醸し出す雰囲気に181支部は呑まれる。これが大人と子供の差。言い換えるなら、九野獅郎(ししょう)と固地債鬼(でし)の差。
「後ろで寝ているバカ弟子も例外じゃ無い。こいつは筋金入りの意地っ張りだ。昔はまだ素直な部分もあったんだけど、今となっては見る影も無い。
何でこんな天邪鬼になっちゃったんだろうね?師匠として恥ずかしいよ。だから、このバカ弟子には実力行使もしている。それでも中々矯正できないから困ったモンだ」
「矯正・・・ですか?」
「そうだよ、加賀美ちゃん。昔はしごいてしごいてしごきまくって、毎度の如く泣かせ続けたモンさ」
「債鬼君を・・・!!?」
あの固地債鬼を泣かし続けた?とてもじゃ無いが想像できない。それは加賀美だけでは無く、181支部の面々も同じ思いだった。
「あぁ。だから・・・181支部の諸君。肝に銘じるんだ。俺と君達が同じ現場で立つことも有り得るよ?もし、君達が同じ過ちを繰り返すのなら任務から外れて貰う。
正確な情報を見極められない人間が居ても何の役にも立たない。却って邪魔だ。そんな人間は現場に要らない。とっとと支部に帰りたまえ・・・という具合になるかもよ?いいね?」
「「「「はい・・・」」」」
駄目押しの言葉が突き付けられる。一般的に風紀委員より警備員の方が重要度の高い任務に就く。それに対して不満を持っている風紀委員も実は少なく無い。
しかし、そこには確かな理由も存在する。子供にはできない判断でも大人には下せる時も多くある。子供の戯言が通じない戦場に踏み入れることも多くある。
その中でも、“天才”と呼ばれる警備員九野獅郎が放つ言葉はとても重い。自身が抱える“障害”を含め、様々な経験を経て来た“天才”の言葉は本当に重い。
「・・・フッ。とは言え、今回の発端は全て債鬼の振る舞いが元凶と言える。『悪評』を生み出したのは、紛れも無い後ろのバカ弟子だ。
その点に関しては、君達に非は無いよ。そこは履き違えないでくれ。元凶は債鬼だ。いいね?」
「「「「はい」」」」
そして、物事を見極める力にも長けている。元凶は間違い無く固地にある。それは揺らがない。その部分に関しては、181支部には何の落度も無い。これが“線引き”である。
「むしろ・・・・・・そうだ、都城ちゃん。君は178支部リーダーの浮草君を知っているかい?」
「・・・はい。同じ学年、同じリーダーということもあって色々話したりすることもありますが・・・」
「彼もバカ弟子のじゃじゃ馬に苦労しているんだろ?機会があれば、一度彼にも謝らなければならないと思っていてね。『バカ弟子が面倒をお掛けしてすみません』ってさ」
「・・・浮草もよく愚痴を零しています。『後始末をする俺の身にもなれ』、『固地の悪辣さは目に余る』、『178支部の評判が落ちる』、『あれが「本物」の風紀委員なのか?』・・・」
「(やっぱり・・・。浮草先輩も怒ってるよぉ。債鬼君・・・)」
九野の質問に都城が178支部リーダーの本音をスラスラと述べて行く。その内容から、加賀美は浮草が怒っていることを再確認する。
それは当然だろう。急にリーダーを差し置いて部下の1人がリーダー格に伸し上がったのだ。浮草の心情足るや、どれ程のモノであったのか。
「・・・それだけかい?」
「・・・えっ?」
しかし、“天才”は都城が述べる浮草の本音にある事柄が含まれていないことに気が付いた。常々固地自身が零している愚痴にでてこない事柄が。
「浮草君は・・・“そんなことしか”していないのかと聞いたんだ。つまり・・・こうは言っていなかったかい?『債鬼をどう指導すればいいんだろう?』・・・とか。
『俺もあの債鬼が手本にするくらいまで成長しないと!』・・・とか。『債鬼を部下に押し戻すくらいの結果を、リーダーとしての実力を示してみせる』・・・とか。
そういう、指導者(リーダー)として部下をキッチリ指導する過程においての愚痴、あるいはそれに似た内容の愚痴を君に零していなかったかい?」
「・・・・・・いえ。私が聞いた限りでは、そのような言葉は零していませんでした」
「・・・・・・そうか。・・・成程。・・・・・・フッ。そんなんでリーダーか・・・。そんなんで教える立場に居るのか・・・。フフッ・・・・・・」
笑い声に冷たさが宿る。雰囲気が変わる。教える者としての怒りが露になる。
「これは・・・・・・機会があれば、一度浮草君に確認しなければならないね。リーダーとしての覚悟を。この俺自らが彼に会って直接問い掛けるとしよう。フフッ・・・!!!」
「「「「「・・・!!!!!」」」」」
怒っている。あの“天才”が。声に、表情に、雰囲気に紛れも無い憤怒の気配が満ち溢れていた。
「あぁ、君達。今の話はオフレコで頼むよ。このことを浮草君や債鬼に知られたら意味が無い。彼等のためにも。
ついでに、俺と債鬼が師弟関係なのも基本的に口外禁止。俺が浮草君と会って話すまでは。これに関しては、絶対に守る必要は無い。気にする程度でいいから。いいね?」
「「「「「(コクン)」」」」」
少女達に口止めを行った九野は手持ちの時計を見る。随分時間を掛けてしまった。
「ふぅ。時間を取らせてすまなかったね、181支部の諸君。君達には風紀委員の仕事があるんだろう?それに戻ってくれたまえ。
それと、重ね重ね謝罪しておこう。ウチのバカ弟子が馬鹿なことをして申し訳無かった」
「・・・いえ。こちらにも非はありました。むしろ、今回の件に限っては私達の方の非が大きいです。固地にも伝えておいて下さい。『ごめんなさい』と。希望。火煉」
「・・・本当に申し訳ありませんでした。そう・・・固地さんにも伝えておいて下さい」
「・・・ごめんなさい」
九野には謝らなくていいと言われていたが、それは都城自身が許さなかった。非がある以上、謝罪することは当然。これは基本的なことであり、とても大事なことである。
夜越・果無もリーダーに続いて謝罪の言葉を述べる。都城の顔に泥を塗るわけにはいかない。それ以上に、自分達にも非があることを彼女達自身が理解したからである。
「・・・これは、何時か債鬼を君達の所へ連れて行って謝らせなければならないな。何時になるかはわからないけど・・・約束しよう。師匠であるこの俺が」
「・・・了解しました。では、その日を私達181支部は首を長くして待っています」
「あぁ。首が伸び切らない内に何とかしよう」
「「「フフッ」」」
九野と都城の漫才のようなやり取りに、他の181支部員が思わず笑みを零す。九野は唯厳しいだけでは無い。ちゃんと後腐れの無いようにフォローも行う。
この直後181支部は風紀活動に戻って行ったが、彼女達と九野の間に確執は残っていなかった。各々のやるべきことを各々が理解したからこそ生まれた、それは信頼感であった。
「果無ちゃんは、常盤台で云々をすっかり忘れていそうだな。後でちゃんと思い出させないと。・・・加賀美ちゃん。確か、君は債鬼の友達だよね?」
「は、はい」
「・・・じゃあ、君に俺の携帯のアドレスを教えておこう。君のアドレスも教えてくれるかい?」
「?わ、わかりました」
空き地に残っているのは九野と固地・・・そして176支部リーダーの加賀美である。加賀美は思う。たった1時間前後の間にこうも二転三転するなんて、今日は異常だ・・・と。
そんな彼女とアドレスを交換した九野は、不敵な笑みを浮かべながらこう告げる。
「もし、バカ弟子が目に余る行動を取ったら俺に連絡してきなよ。俺が直接出向いてこってり絞ってやるからさ。
そうだ。債鬼にも伝えておこう。そうすれば、抑止力的な意義が発生するし」
「は、はぁ・・・」
「・・・迷惑ばっかり掛ける天邪鬼だが、できればこれからもよろしくしてやって欲しい。あいつは本当に不器用な奴でね。
その悪辣な態度にばかり注目が行くが、その向こう側にあいつの真意がある。あいつにはあいつなりの信念がある。それは、あいつが『本物になろうとする』証だ。
それを見極めることは君にとっては難しいかもしれないが・・・」
九野の弟子を想う独白を加賀美は黙して聴く。彼は確かに厳しい。ある意味では固地より厳しいと思ってしまうくらいに。
でも、同時に彼の優しさも伝わって来る。さすがは“天才”と呼ばれるだけのことはある。この優しさの百万分の一でもいいから固地にあったらと思わずにはいられない。
「・・・わかっていますよ」
「・・・」
「私は・・・債鬼君を見限ったりしません。酷いこともよく言われますけど・・・それは確かに私の血となり肉となりました。
所属する支部が分かれた今も続いています。きっと、九野先生の教えが生きているんだと思います」
「・・・そうか。そうであってくれると嬉しいね」
「私は私の思いで彼にぶつかります。彼は・・・その・・・・・・見ていて危なっかしいですから」
「債鬼が聞いたら、『人のことが言えるか』とか何とか言われそうだね?」
「ですね。私も・・・人のことは言えませんし」
加賀美は夕暮れに近付きつつある空を見上げる。何処か哀しそうな表情を浮かべながら。
『天牙・・・!!何で風紀委員を辞めるって言うの!?』
『リーダー・・・。あなたには、一生理解できないことだ』
「私は・・・・・・」
『鏡子が失踪!?債鬼君!!ど、どういうこと!!?』
『入院していた病院から、突如として消えたそうだ。加賀美、お前の監督不行届だな』
「本当に・・・」
『176支部のリーダーは何をしているんだ』
「『本物』のリーダーになれるのかな・・・?」
少女の寂しげな声がオレンジ色に染まった空に吸い込まれる。答えは・・・出ない。
「・・・加賀美ちゃん。俺で良かったら相談に乗るよ?」
「・・・・・・今は、いいです。ちょっと心の整理ができていないというか・・・」
「そう?それは残念」
「(危ない危ない!!)」
アドバイスを申し出た九野にやんわりと断りを入れる加賀美。先程の181支部とのやり取りの直後では、加賀美と言えども彼にズバズバ指摘されたくは無い。
これは、心の防衛本能。見たく無い部分まで根掘り葉掘り掘り下げられるような恐怖を抱いてしまったために。
「債鬼のことは俺に任せろ。そもそも、俺は債鬼と待ち合わせをしていたんだ」
「九野先生とだったんですか?」
「そうだ。捜査の在り方について色々議論するために。偶の非番なんだし、少しは気分転換でもすればいいのに・・・本当に全くだ」
「債鬼君・・・。わかりました。債鬼君をお願いします。では失礼します」
「うん。さようなら」
非番の日まで風紀活動に関わる研究を行っている固地のストイックさに何とも言えない感情を抱いた加賀美は、九野に別れを告げて去って行く。
彼とアドレスを交換した携帯電話を握り締めながら、少女は帰宅の途に着く。今後の自分の在り方に、一抹の不安を感じながら。
「余計な邪魔をする・・・バカ師匠。アンタがあの時声を掛けていなければ・・・」
「うるさい、バカ弟子。事態を複雑にしてどうする?少しは、その悪辣な態度を見直せ」
日が陰り始めた空き地で師弟が言葉を交わす。目を覚ました固地は、師匠の一喝に体が硬直してしまう己の体を不甲斐無く思っていた。
「頭痛の種を増やすな。いい加減俺自身の仕事も面倒臭いことになってるってのに、その上にバカ弟子の問題まで俺は抱えたく無い」
「・・・確か、警備員に圧力が掛かってるんだったか?学園都市統括理事会の」
「・・・直接的では無いにしろ、間接的に『上』の圧力は肌で感じるね。もうすぐ、『解決済』という名のお蔵入りにされそうだよ」
「『闇』が関わっている・・・か」
「だろうね。全くこの街は面倒だよ」
九野と固地が語っているのは、この学園都市に住まう大部分の人間が知らない事柄。『闇』を蠢く人間達のお話。
「だが・・・このまま泣き寝入りするつもりは無いんだろう?」
「もちろん。ネタは取っとくさ。何時でも使えるように。お前でもそうするだろう、債鬼?」
「当たり前だ。俺は組織が全て善だとは思っていない。“表”があれば“裏”もある。それ以外も当然のように。その中で足掻くために・・・俺は九野獅郎に弟子入りしたんだ」
「それは途中からだろう?初めは『あの時の借りを返す!!』とか言って、俺に反抗してばっかりだったじゃないか?全部返り討ちにしたけどね」
「う、うるさい!」
昔の恥ずかしい過去を穿り返されるようで、固地は堪らずそっぽを向く。彼がこんな風に子供(ガキ)らしい振る舞いをするのは、師匠である九野の前くらいだ。
そんな子供が真っ直ぐ生きて行くには、この『科学』の世界は多少以上に複雑だ。それを子供以上に知り尽くしている大人は、今一度子供へ確認する。『闇』の話をしたついでだ。
「・・・俺に助けられたことが、お前が風紀委員になる切欠になった。どうだ、債鬼?この街は本当に面倒臭いぞ?不条理は幾らでもある。
お前は・・・風紀委員になると決めたお前自身の決意を後悔しているか?俺に助けられたことを後悔しているか?」
師匠は弟子の覚悟を試す。答えはわかり切っている。自分が知る弟子なら。“天才”が知る“『悪鬼』”なら。九野獅郎が知る固地債鬼なら。
「後悔などしない。あの時アンタに助けて貰ったことを感謝こそすれ、後悔したことは一度も無い。風紀委員になると決意した当時の俺の覚悟も同様に」
ゴーグル越しに見る弟子の瞳には、常のような禍々しさは存在していなかった。あるのは、師匠へ向ける真摯な感謝と覚悟を宿した光である。
それを瞳に映した―風紀委員になった直後に自分の下へ、いの一番に報告に来た時の眼光と全く同じ光―師匠は・・・口の中だけで笑った。
「だが、俺はお前から『ありがとう』という言葉を聞いた試しが無いんだが?」
「そうか?まぁ、どうでもいい」
「どうでもよくあるか!師匠の責務として、何時かお前が周囲に迷惑を掛けた時は絶対に頭を下げさせてみせるぞ!?覚悟しとけ、バカ弟子!!」
「ハァ?ふざけるなよ、バカ師匠!!何で俺が頭を下げ・・・」
「ふざけてんのはお前・・・」
「・・・・・・!!!」
「・・・・・・!!!」
それからたっぷり1時間は空き地で激論を行った師匠と弟子は、本来の目的である捜査手法についての論議を行うことができなかった。
師匠と弟子。師弟関係。これにも色んな形はあるだろうが、この2人―九野獅郎と固地債鬼―についてはこんな感じである。
end!!
最終更新:2013年03月06日 21:56