閑散とした工場跡地に満月の光が煌々と照らす。風は穏やかに吹き、手入れを怠った空き地に茂る雑草を軽く撫でた。
「……、」
ザワザワと奏でられるその音。そこで身を潜める少女はそれが自分の心のざわつきを表現しているかのようでうっとうしく感じた。
「こちらスイーパー3。スイーパー2、そちらの準備はよろしいですか?」
そんな少女が携帯に向かって放つ声はいかにも事務的で、感情の一切を切り払った冷たい響き。まるでこれから始まることに備えて感情を伏せようとするようかのような。
「ああ。こっちはいつでもOKだぜ」
電話の向こうの男は意気揚々と、それでいてどこか剥き出しの野生を抑えるかのような口調で返答して来た。早く暴れたくて堪らない、そんな感情がいとも簡単に読み取れた。
「了解」とだけ返し、少女はおもむろに立ち上がる。ずっと丈の長い雑草のもとでしゃがみ込んでいたせいか、立ち上がると同時にあちこちの関節からパキパキと音が鳴るが少女はそれを気に止める様子もなく防具のチェックを軽く済ませた。
その恰好は一言で言えば重武装。防弾チョッキから暗視ゴーグル。迷彩柄のスーツにヘルメット。今にでもサバゲーを始めそうな勢いだが、ただ一つだけある物を欠いている。
それは武器。ナイフや銃等の相手を戦闘不能に追い込むための武器が何一つとして所持していないのだ。これではまともな戦いにはならない。
……と、ここまでが常識的な見解だが、ここはそんな常識がいとも簡単に覆される学園都市。つまり彼女にもそんな見解を覆す“見えない武器”があったのだ。
「では、これから第十三回学園都市清浄化《ダストシュート》運動を開始します」
ボォ! と圧縮された炎の渦が少女の周囲のに展開される。同心円状に広がる紅の波は瞬く間に雑草を飲み込み、黒々とした焦土をあらわにさせた。
――そう、これが彼女の異能の力、超能力《パイロキネシス》。
少女はすっかり焦げた雑草に一瞥をくれると直線上にある建物に目をやる。
ブルーシートが全体を覆い、『解体中』の看板が掲げられた廃ビル。そこに潜んでる汚物を排除するのが少女が今から成す事。
学園都市の汚点――スキルアウトを抹殺し、能力者のみのより良い世界を作り上げることこそが彼女達の組織『スイーパーズ』の掲げる理想なのだ。
「明かりはついてる……どうやら、この時間でも起きてるようですね」
少女をリーダーとし、後方に続く数名のメンバーのうちの一人が緊張を孕んだ声で話し掛けてくる。少女は「そうね」と、短く言葉を切り、焦げた草を踏み付けながら一歩ずつ前進を開始した。
今回で十三回目を迎える無能力者狩り……もとい学園都市清浄化運動のターゲットは小規模なスキルアウト、『夜明けの晩』。第五学区の南東付近の廃ビルを住家とし、そこを通る付近の者からは「いつ害をもたらすかわかったものではない」と懸念されている鼻つまみ者の集まりだった。
スイーパーズはそれぞれ三人のリーダーで三つのチームに分けられ、陽動、鎮圧、後始末と役割もそれぞれに割り振っている。今回少女のチームに課せられた任務は『後始末』。証拠を可能なかぎり抹消するという何とも地味な役割で、遅くまで現場に残らなければいけないという、もっとも警備員に補導される可能性がある危険な役割である。
しかしその半面で直接戦闘をするのは陽動と鎮圧のチームのみ、少女のような戦闘に不慣れな連中にとっては戦闘をせずに、かつ無能力者をいたぶれるなんとも有り難い役割でもあった。
「止まって」
少女は数名のメンバーに指示を送り廃ビルの様子を窺う。時間的には陽動部隊による建物の一部の爆破が開始される時刻なのだが、一向に進展はないまま時間だけが無駄に過ぎて行った。
これは間違いなく何かあった。少女は長年の経験から今起きている異変をその肌で感じ取る。
ゾッ、という悪寒が身体の髄まで冷やし、身震いを起こさせた。
「こちらスイーパー3。もしもし、聞こえますか」
陽動のスイーパー1。鎮圧のスイーパー2。どちらに連絡しても繋がらない。
もしかしたら夜明けの晩に返り討ちにでもあったのかと考えたが戦闘が開始されたにしてはやや静か過ぎる。それに今までのスイーパーズの戦歴は全戦全勝なのだ、夜明けの晩なんて言う底辺に負けるはずがない。そんなことあってはいけない。
「どうしましょう。リーダー」
メンバーの一人は雲行きの怪しくなったこの状況に少なからずの不安を抱いていた。
少女だってそうだ。今何が起こっているのか分からなかったら怖い。戦場での無知は時には死にも繋がりかねないのだから。
「……、」
しばし考えた後、携帯を握り締め、意を決したように顔を前に向けると。
「行くよ。散開せずまとまってね」
「はい!」
怖い。しかし後戻りはできない。それはこの組織に身をおいた時からわかっていたことだ。ここで逃亡すれば実際に被害を被るのは自分ではなく――
「ぎゃは、ぎゃはははははは!!」
その時、少女の思考と足取りを汚い笑い声が遮る。見ればそこには一人の女性。モデルのようなスリムな体型に、痛んだ茶髪が風になびいて、その風貌は山姥《ヤマンバ》に近いとも言えた。
少女は最初は『夜明けの晩』のメンバーかと思った。
が、違う。
こいつはそこら辺にいるただのスキルアウトなんかではない。計り知れない負をその心に抱え、憎悪と執念で突き動く破壊の権化。少女にはそのように見えた。否、そう見させられたと言ってもいい。
「だ、誰だッ!」
仲間の一人が上擦った声を上げ、戦闘態勢に入る。手には青白い光、雷激が帯電していた。
「誰……ねえ」
女は不気味な笑みでニタリと笑い。パチンと指を鳴らす。
直後、後方からは二人の人影。それも何か大きなものを担いだ……
「!!」
少女は、その二人が運んできた“大きなもの”が何かを把握した途端、全身から脂汗がにじみ出るのを感じた。
そう、それはスイーパーズの者なら誰もが知る、この組織の顔であるスイーパー1とスイーパー2だったのだから。
「私たちは無能力者狩り《あんたら》を潰すためにできた能力者狩りのチーム。名前は、そうだねぇ……」
――――復讐者《アヴェンジャー》。
「ッ、あ……」
声が、出ない。出たとしてもなんと口にすればいいのかわからない。
先ほどまでのあり得ないとしていた仮定がまさか現実になるとは思ってもみなかったからだ。
どうして? どうしてあの二人が? 無能力者相手には無敗を誇ってきたレベル4のあの二人が。
混乱は更なる混乱を呼び、少女の理性を徐々に奪っていく。そんな混乱の渦の中でたった一つ思い浮かんだ選択は『逃亡』。
そうだ。もう逃げるしかない。自分より格上の二人がやられたんでは勝ち目なんて端かっらあるわけないのだ。
「――撤ッ!!」
ギュアアアアンッ!!
――収、と言い終わる前に、黒板を切り裂くような甲高い機械音が夜空に響いた。鼓膜を喰いちぎられるような激痛と、混乱状態の脳を更にかき混ぜられるかのような不快感。
これはなんだ、という思考の前に恐怖が先行する。
ただ怯え、ただ竦み、ただ膝を折るしかない現状に少女は、
「助けて……下さい」
己のプライドも立場も忘れ、今は失いかけている生への懇願しかできない。
死にたくない。それだけが彼女の最優先事項、それ以外はなんだって切り捨てる覚悟でいた。
「ははっ最高……いい姿だよ能力者!! だけどなぁ……!!」
ゴッ!! という衝撃が少女の身体全身を駆け巡る。気がつけば蹴り付けられた腹部が異常な形に陥没し、胃の内容物が逆流して口から溢れてきていた。
「がっ……!」
げほげほと何度もせき込むが、それでも奇妙な音のせいで身体の自由が利かない。
少女はこの苦痛の中で自分は生きて帰ることができないことを悟った。ぼんやりとした記憶をかき集め、この茶髪の女が誰であるかを悟ったからだ。
そう、あれは去年のちょうどクリスマスイヴの日。自分たちは一人のスキルアウトの男を半死状態まで追い込んだ。そしてその男とともに重傷を負わせた恋人がこの女だったのだ。
女は自らを“復讐者”と名乗った。そしてあのときのメンバーであるスイーパー1とスイーパー2、そして自分を狙ってきたのである。これがなによりの証拠だ。
「う、うわぁぁぁぁ!!」
少女の後ろからついてきたメンバーはかろうじて立ち上がり、千鳥足で逃げ出していく。誰一人少女を助けようとしないのは、これが仮初めの結束で、誰一人仲間意識なんて持ち合わせていないということをはっきりと物語っていた。
「さて、一人になっちまったなあ」
うつ伏せに倒れ込む少女に茶髪の女がゆっくりとしたペースで歩み寄ってくる。逃げるものを追わないと言うことはやはり少女だけが狙いのようであった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私、死にたくない」
泣きながら訴えかける少女に、
「はっ……!」
女は嘲笑し、髪を掴んで無理矢理に顔を持ち上げさせる。そしてメリケンサックをはめた右の拳を強く握ると――
バギッ!!
女の放った一撃が少女の左の頬をえぐり、奥歯もろとも弾きとばす。少女は顔半分が血に染まり、視界すらも涙と血が入り交じって曇り始めた。
「あ、があああああああああ!!」
――絶叫が、木霊する。
されどもそれは誰にも伝わることはない。少なくとも、この狂気を否定し、少女を救ってくれるであろう正義のヒーローには。
「お前、死にたくないって言ったよな。安心しろ。すぐには殺さねえ。もっとも惨めで、もっとも醜い死を時間をかけてたっぷりとその身体に刻み込んでやるよ。このゴミ二人と、一緒になぁ!!」
復讐者は今ここにその使命を果たした。
しかし復讐は更なる復讐を呼び、“復讐者への復讐者”を生み出す。幾重に延びた連鎖は永久に終わることのない螺旋を完成させる。
――これは、そんな復讐の連鎖の一端を綴った物語。
最終更新:2013年01月25日 23:39