ニーナ=フォン=リヒテンベルグは目の前の敵を見据える。敵は毛皮を着て、魔剣を持つ殺人鬼、ジェイク=ワイアルド。ジャック=ザ=リッパー。

正直、ニーナは怖いと思った。手に持っている血を吸い尽くす魔剣。毛皮によってガスマスク越しからでも判る面妖さ。その面妖な面の中で爛々と輝く眼光。
怖かった。しかし、それ以上に譲れなかった。ジェイクの言った事は、決してニーナが見過ごせるものではなかった。

「小娘、イマ何か言っタカ?」
「悪が、――――――――悪だけ人の本質なのか、って私は言ったの。」
「ああ、ソウだよ。悪がヒトの本シツだ。ソレが俺が魔術師にナって解った結果ダ。――――――――――ニンげんは弱い。汚い。醜い。お前ハ、チガうといいキレるのか?」

ヤールはジェイクの隙を見据えるついでに二人の表情を見比べる。
問いかけるジェイクの表情は、心底「悪人」という言葉が似合った。
一方、ニーナの表情は見えない。今の彼女の俯いた態勢では顔が見えなかった。
そしてニーナは口を開いた。

「……確かに、人間は悪かもしれない。」
「ッ―――――――――――――!!」
「ほぉー………。」

信じられない、と言う様な。どこか納得したかの様な。そんな矛盾した心がヤールの中をよぎった。しかしやはり目の前の少女を信じることが出来なかった。
彼女は常々「人の役に立ちたい。その為に魔女として大成したい。」と言っているのをヤールは知っているからだ。

「ハハッはははははははははハハハハハハハハハハはははははハハハハハ!!ナんだヨ、分かるジャアネエか!!ナンならお前もコッチ側に……」










「貴方と一緒にしないで。」

その瞬間。空気が凍りついた。ジェイクの表情が止まる。ヤールの心の中もまた、固まった。

「確かに、人は悪かもしれない。貴方の言う通りで弱くて、醜くて、汚いかもしれない。」
ふと、ヤールは反射的に顔をある方向に向ける。視界に何か入ってきたからだ。

「私は見てきた。お母さんとの旅で、いろんな人を見てきた。中には悪人もいた。」

それは光。東から昇る朝日が、ロンドンの空から夜を掃い始める。

「でも、悪人と同じくらい――――――――――――――――――――――――――――――善人だっていた!!」

そして太陽の輝きが、彼女の顔を照らした。
その時、ヤールはニーナの表情がやっと見えた。そして彼は目を見開いた。

その紫水晶色の瞳は意思で輝いていた。
その口のなかは、覚悟で歯を食いしばっていた!
その表情は、立ち向かう事を諦めていない表情だった!!

―――――――――――そして何より太陽が、そんな彼女に微笑むかの様に、朝日で照らしあげていた。

……それは出来過ぎた偶然かもしれない。陽光をスポットライトの様に扱うとはなんて度が過ぎた、なんて身に余る、

しかしなんて。


今の彼女に似合う演出なのだろう。


ニーナを見るヤールは心のどこかで、そう思った。

「だから私は信じる、人の光を、人の意思を、ヒトの強さを。そして、私はそんな人たちの役に立つ魔女になりたい。悪人だっているって解っていても。私は諦めない。私は魔女になりたい。人の役に立ちたい。

 ――――――――そのためには今ここで止まるなんて、死ぬなんてことは出来ない!」
「イイヤ、テメエハここで死ぬンダヨォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

狂獣が、雄叫びを上げる。自分と真逆な考えを持つこの少女とは決して相成れない。そんな奴は速攻で斬り殺す。吸血なんてセコイ方法は使わない。斬って、刻んで、嬲って、骨の髄まで殺し尽くすと心に決めた。

「テメエハここで死ぬ!!俺にかなう事なんテ、ナニヒトツ無いって事を思い知らせてヤル!!!」
「確かに、私は強くない。あなたの足元にも及ばない。……でも、立ち向かう事は出来る。だから私は逃げない! 私なんかにも出来る事があるのなら、―――――――――――――――――――精一杯それをやり遂げてみせる!!」

ニーナもまた負けまいと宣言する。左手に握りしめた『樫の杖(オークワンド)』の植物がそれに呼応するかの如く生い茂り、そして火蓋を切った。
槍の様に鋭く尖った植物は、標的を貫かんと加速する。間一髪でジェイクは避けた。しかし、一瞬反応が遅れたのか、ガスマスクの一部が剥がれ、左目が晒される。

むき出しになった左目に、一本の投げナイフが突き刺さった。

「ギィ、アアああああアアアアああアアああああああアアああああああアアアアああああ!!テェメエエええええええエエええエエエエええええ!!」

投げナイフが飛んできた方向を振り向く。方向は斜め右後ろ。そこには投げナイフを投擲した張本人、ヤール=エスぺランがいた。

「ニーナ、一瞬貴女を疑ってしまってすみません。やはり貴女はどこまでも立派だ。お詫びとまではいきませんが、布石を打っておきました。」
「え、ヤールさん?布石って……。」

言っている途中でニーナは気付く。こうして話をしている隙に目の前の殺人鬼が襲ってきてもおかしくはなかった事に。ならなぜ今、自分たちは生きているのか?答えは簡単。ジェイクは“動かなかった”のでは無く“動けなかった”のだ。
ヤールが打った布石とは、今回用意した霊装『紅帽悪鬼(レッドキャップ)』だ。
この霊装の元になったのは『レッドキャップ』と呼ばれる妖精。イギリスの民間伝承にある極めて危険な妖精で人殺しに纏わる血塗られた場所に出没し出遭った人間を惨殺する。彼らの名の由来となっている帽子の赤は犠牲者の血で染められたものであり、それゆえに常に赤錆色を帯びているのだという逸話がある。
霊装『紅帽悪鬼』は投げナイフと赤い帽子で構成されている。赤い帽子をかぶった者を『妖精レッドキャップ』に対応させ、投げナイフには『吸収した血液を帽子のアクセサリーに染みこませる」と言う効果がある。

この霊装の効果だけではジェイクの動きを封じることは出来ない。ジェイクの動きを封じているのは彼おなじみの魔術、『感染魔術』だ。
ヤールは投げナイフに普段使っている紙片を張り付けることで、吸収した血液は紙片にも染みこみ。感染魔術で『繋がり』を作り。ジェイクの動きを掌握、行動不能にしているのだ。

「さぁ、ニーナ。チャンスは今しかありませんよ!!」
「ありがとうございますヤールさん!!」

ニーナは即座に『樫の杖(オークワンド)』から、葉の生い茂った蔦を伸ばし、ジェイクの全身を縛る。

直後、ジュゥウウウウ!! と音を立てながら煙を立てる。

「グッギャァアアああアアアアぁあああああああああああアアああああアアああアアアアアアアアああああああアアああああああアアアア!!!」

今までで一番、左目に『紅帽悪鬼』が刺さった時よりも鋭い痛みが走る。
北欧神話の一つ、ヴォルスンガ・サガによるとこの毛皮を被ったシギスムンドはカラスの運んできた不思議な葉によって呪われた毛皮を脱いだとされている。そのカラスは隻眼の主神オーディンの使いだったとも言われている。
蔦にはルーンが刻まれている。――――――――――――――――『A(アンザス)』。神、情報を意味するルーンであり、北欧神話の隻眼の主神オーディンのルーンでもある。
この逸話に基づき今、『呪狼の皮』は剥がれてゆく。

バサリ、と毛皮が融け、落ち、朽ち果てる。これでジェイクの肉体は普通の人間と何等変わらなくなった。
腕まで縛られていては剣はふるえない。命の危機の回避も、もう使い果たした。

ジェイク=ワイアルドが完全に詰んだ瞬間だった

「く……そんな。馬鹿な。馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁあ!!こんなことがあっていい物か!!!」
「ええ、あるモノです。さぁ、覚悟してください!!」

縛り付けたジェイクを、植物で持ち上げ、一気に振り下ろす。
地面にたたきつけられたジェイクは、ゴッ!!という打撃音とを聞いた後、意識を放棄した。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年07月31日 21:32