疾走を続ける二人は、再び森の中に突入していた。二人が通りすぎてから一泊置いて、風で木々が揺れる。
やがて、オージルの目が木々の隙間に一つの人影を捉える。森の影に紛れて立つその人影は、左の肩に何か大きな物を担いでいた。
距離を詰めるに従い、オージルの目が、徐々にそこに居る人影、そして肩に担いだ物の詳細捉えていく。
肩に担がれていたのは、風に揺れるトウモロコシのような髪を揺らす少女だ。その特徴から、オージルはそれが監視対象であった『少女』であると把握する。腹の部分を肩に当てられており、両手と両足は力なく垂れ下がっていた。意識は無いようである。
もう一人は、インバネスコートを着用した男だった。背は高く、くすんだ短い金髪をしている。こちらに背を向け、ゆったりとした足取りで森を進んでいる。
オージルはダレンを置いて、地面を蹴った。影のように身を低くして地面を駆け、木々の合間を縫って一気に距離を詰める。
そして、数瞬。
オージルは既に槍の間合いに男を捉えていた。一突きで絶命を狙い。力を込め、その心臓を貫かんとした時。
「――」
目の前の男が何かしら呟き、白手袋を着用した右手を振り上げながら後ろを振り返った。
オージルの目に、男の右目に装着された仮面が入ると同時。地面から人間大の石槍が突き出し、オージルの槍の一撃を受ける。槍の穂は石槍にその身を深々と入り込んだが、貫通には
居たらず。オージルは柄に刻まれたルーンの内『火(KEN)』を即座に起動させ、槍の穂先を僅かに溶かし、石槍の束縛から離脱。
再び突き入れるまでの動きに、1秒も用いぬ瞬速の槍捌き。その何れもが、男を絶命させんと軌道を変え、蛇のように撓りながら襲い掛かる。
しかし、男は指揮者のように右手を動かす。その動きに連動して、石槍が樹木のように成長し、石槍を防いでいく。何度かの攻防の後、男は右手を握りしめた。オージルにその動きは見えなかったが、石槍の微妙な変化を察知し、直ぐ様後ろに飛び退く。
直後、無秩序に大きく成長した石槍が一瞬ぶるりと震えた後、ハンマーで砕かれたかのように粉々に砕けた。その破片の一つ一つが、鋭利な刃物となってオージルと、その背後にいるダレンへと向かう。
至近距離でショットガンを発射されたような一撃を、しかしオージルはその正確無比にして素早い穂先の動きで一つの例外なく打ち落として行く。それはダレンも同じであり、魔術による風で、石の破片の何れも彼を傷つける事は叶わなかった。
「――貴様等、何者だ?」
右目に仮面を付けた男が、どこか芝居がかった口調で二人に問う。
「イギリス清教――
必要悪の教会」
「ほう。『教会』の連中か。警戒はしていたが……これは大物が網を張っていたな」
「その仮面。
ディエロ=ド=ベルトリーニとお見受けする。死体弄りが趣味の外道がなんの用だ?」
「貴様らが撒いた餌だ。当然知っているだろう」
ディエロと呼ばれた男は一瞬、その視線を少女に向けた。
「『聖女』――だったか。生まれついて魔術が使えるこの少女」
くくっ、と苦笑する。まるで演説をするように、ディエロは右腕を広げる。
「勿論研究だ。全身を隈無く研究する。生きたままありとあらゆる研究を行い、生かしたままありとあらゆる解体を行い、死んだ後も肉の一片血の一滴に至るまで――全てを解き明かす」
ディエロは愉悦に塗れた声でそう言った。彼は、フリーの魔術師であり、『新たな生命の形』を探り続ける錬金術士だ。多くの人間を『消費』して、かの有名な『賢者の石』へと到達せんと研究を続けている。
自らの研究の為に様々な人間を犠牲にしているその悪辣さは必要悪の教会も耳に入れている所であったが、しかし、実の所、彼は一般人に手を出した事が無い。『そういう用途のため』だけに存在している人間を買い集め、それを利用していたのだ。
勿論必要悪の教会の全員がそれを許容している訳では無かった。だが、彼よりも尚優先すべき巨悪が他にも存在していたというだけの話である。
「そうかい」
オージルが槍を回転させ、構え直す。その声音は、真冬の石像のように冷えきった物だ。
「それなら晴れて、お前は俺達の敵という事だな」
槍を握る腕の筋肉が、地面を踏みしめる足の筋肉が膨張した。今のオージルは、導火線に火が付くのを待つダイナマイトのような存在だ。
ダレンも、既に準備をしていた。敵の実力は未知数。だが、先程の石槍を見るに、三流の魔術師ではない。慎重に演奏を重ね、オージルの援護に回る算段を立てる。
「やれやれ――荒事は得意では無いのだが」
ディエロがインバネスコートのフロントボタンを丁寧に外す。その動きにも隙は無く、オージルは迂闊に打ち込めなかった。その事に、多少なりとも違和感を覚えるオージルであったが――。
「さあ、出番だぞ。私の作品達よ!」
ディエロが大仰にインバネスコートを跳ね上げ、全身を露わにする。彼はインバネスコートの内側に赤色のフォーマルなスーツを着用しており、その腰には筆箱程度の大きさの棺の如きオブジェが括りつけられていた。ディエロが簡略化した詠唱を小さく口ずさむと、その棺の内、正面に装着されていた棺の蓋が開いた。オージルとダレンは、その内側に、すっぽりと収まる人の姿を捉える。
その人影はもぞり、と動くやいなや、そのまま棺から飛び出してきた。そして、空中でその大きさを変え、一気に膨れ上がる。霊装の役目は運搬。そして、棺の霊装から推し量るに、運搬する物は、死体。
果たして、ディエロの備えていた棺の如き霊装から飛び出し、冷たい土の地面に着地したのは、一人の少女だった。
年の頃は十を回るか回らないかというその少女は、腰には厚い布を撒いていたが、上半身は裸であった。真冬の月に照らされた雪を思わせる青白い肌が目に入る。あまりにも肌が白すぎるが為に、小さな唇に塗られた赤い口紅が、妙に目立つ。金色の髪の毛は丁寧に手入れされているようで、太陽に照らされた小川のようにさらりと流れている。
一見すれば、それは美しい少女だった。だが、彼女をよく観察して尚、その感想を持つ者は居ないだろう。その碧い瞳は暗く濁っていて、まるで死にかけの魚のように痙攣しながら、明後日の方向を眺めていたからだ。
その少女は、やはり死体だった。
死んで尚、悪徳の魔術師にその死を辱められ、人形としてそこに居た。
そして、二人の魔術師は驚愕する。
勿論、ただ少女の死体が目の前である種の武器として扱われた程度では、必要悪の教会に籍を置く二人の魔術師は驚愕しないだろう。
オージルは歴戦の戦士であり、多くの死体を見てきた男だ。何人もの魔術師をその手で殺害した事もある。不快感こそあれ、あくまで少女の死体を死体として見る事の出来る男だ。
ダレンも同じだ。元は一般人とはいえ、既に必要悪の教会で一流の魔術師として任務をこなしている。
しかし、その少女は。そんな彼らであっても、その心を揺るがすほどに、歪であった。
人間を一度グチャグチャにすりつぶして、悪意を混ぜてから、人の形に戻したかのように。
右腕から先に、無数の『目』が存在した。びっしりと、隙間なく、腕全体を埋め尽くすように、人間の『目』が、そこには埋め込まれていたのだ。
肩から先、無数に埋め込まれたそれらは、数度、瞬きをした後、何かを追いかけるように忙しなく瞳を動かしている。腕の表面を這いずりまわるそれらは、さながら小さな黒い虫が皮膚を蠢くような錯覚を、見るものに味わわせた。
「き、さま……!」
オージルがやっとの思いで喉から声を絞り出す。魔術師だからこそ、分かる。それはただの『目』ではない。魔術的な処理が施された、れっきとした『霊装』だ。
「それは私の作品の中でも、中々の労力を費やしたぞ。百か、二百か。霊装になるだけの資質ある眼球を手に入れるだけで、それぐらいは使い潰した。勿論、死体は別のモノにも利用させて貰ったがね」
それだけではない――と、ディエロは続ける。彼が腰に装着している棺の霊装から、『収納』されていた少女が、次々と解放され、飛び出してくる。
それらは全て命を持たない死体であり、そして一人目と同じく、歪な改造を施されていた。
黒髪の少女は両手首から先がハンマーである。赤髪の少女は右足が剣だ。片目が潰れている少女は、腹部に大釜を備え付けられ、大きな空洞を晒している。全身に有刺鉄線を括りつけられた少女が居た。
五人の――5つの死体人形。体の一部を霊装に置き換えられ、歪な戦闘人形となった少女たちの姿がそこにあった。
最終更新:2014年01月08日 16:52