日はとうに暮れ学園都市全体は夜を迎えていた。夜といっても街を覆う街灯は消えることはなく、昼と大差なく辺りを見渡させるくらいには明るい。日中でムシムシしていた空気は未だ消えず、蛾の羽音と共に不快の相乗効果を生み出していた。

「ごめんなさいね。無関係の君にここまで手伝わせちゃって」
「いえいえ。自分から言ったことですから」

 頬好は今の所変わった様子なく、つい数時間前に襲われたとは思えない程に落ちつきはらっていた。推測でしかないが、この女はこういう類のことに慣れているのだろう。でなければ、拳銃を突きつけられて拉致されそうになったなど、まともなメンタルならトラウマものだ。

「一つ尋ねたいのですが」

 合わせていた歩調を解き、俺は道中で止まる。今必要な情報はこの女の正体、及びにアヴェンジャーが狙う理由だ。最初から核心に迫るのではなく、まずはありきたりな質問から攻めていこう。

「どうしてあんなことに巻きこまれたんですか?」

 その言葉にピクリと小さく反応して頬好も歩を止める。そしてブラウン髪を捲くし立て一本調子な声で「さあ? わたしにも見当もつかないわ」とだけ言った。

 予想はしていた。まだ会って間もない人物に真相――もとい心当たりをペラペラ喋る者はそうそういない。それに逆にこれであっさりと答えられてしまったら、それはそれで事実かどうか疑わしい。

「そうですか……身に覚えもないのに襲われたなんて不幸の一言に尽きますね」
「まったくね。こっちの迷惑も考えて欲しいものだわ」

 プイと向き直って再び歩き始めようとする頬好。だがその一歩は30センチ先の地面につくことはなく、爪先立ちの要領で止まったままだ。彼女の視線の先には一人分の人影があった。闇の奥からこちらの出方を窺うように、餓えたハイエナのごとく眼をぎらつかせている。

「誰かしら……と問うのは不粋なようね」

 声を低くし、剥き出しの敵意に対抗する。

「カカッ! そりゃあ聞かなくともわかんだろ?」

 ザッ……と、靴と地面で砂利を摺り潰して中肉中背の男は一歩前にでた。蟲漂う外灯の下に照らされた赤髪と錆びた釘が幾重にも打ち込まれた金属製のバットは鈍く煌きを放っていた。――闇を背に男は笑う。ひっそりと内に秘めた殺意を抑えて。

「俺はテメエを引き渡して“アヴェンジャー”の幹部にしてもらんだよ。そうすりゃあ今にも潰れちまいそうなゴミみたいなスキルアウトの下っ端から抜け出して、富も名声も女も思うがままだぜ」

 聞き飽た単語が男の口から吐き出された。
 アヴェンジャー、これはつまりこの男も『夜明けの晩』よろしくあいつらに駒として利用されてと見て間違いないだろう。

「アヴェンジャー……?」

 頬好は訳の分からない様子で瞳を何度か瞬かせる。

「こっちは二人、貴方は一人ですよ。勝ち目があると?」
「へっ! ヒョロガキが強がってんじゃねえ! その女の連れってことはテメエもイカズチのメンバーなんだろ!? 見たところ武器は持ってねえ……手ぶらのスキルアウトよりも武装したスキルアウトのが強いに決ってんだろ!!」

 イカズチ――今度は聞き慣れない単語。この男はどうやら情報源としては価値がありそうだ。俺がそう考えている間に頬好は一歩先に出て盾になるように男の前に立ちふさがった。

「あなたは逃げて。この問題は私がけじめをつけなきゃいけないものだから。関わらせるわけにはいかないわ」
「なんだあぁ? 爆弾狂が善人気取りかぁ? ……まあいい。てめえさえ捕まえればこっちとしては万事オッケーだからな」

 言って、男は駆け出す。手に持った金属製の鈍器を両手に持ち、頬好だけを目掛けて。
 その瞬間頬好は鞄から何かを取り出そうとした。あの男に対抗しうるものなのか、それとも催涙スプレーやスタンガンなどの一般的な防犯グッズなのか。どちらにせよこの状況下ならば――

「俺が出たほうが早いよな」

 振り下ろされている鈍器と頬好の間は約60センチ。その間に自分の腕を割りこませる。
 ギャン! と金属がひしゃげる音が響き、鈍器は直角に折れ曲がった。呆気にとられる男、そして頬好。そんな彼らに俺は告げる。

「実は俺も関わっているんだよな、これが。どうせなら混ぜてくれよ」
「ままま、まさか能力者!? なんでそんなヤツが……!」

 男は一歩ずつ後ずさりして逃げようとする。さっきまでの威勢はどこへ行ったんだと呆れつつ、能力により男の足を固定、コンクリが意思を持った触手のように絡みつく。俺は動けなくなった男に歩み寄り問う。

「お前の知っていること全て話せ。さもなければ」

 投げ棄てられた金属バットを拾い上げ――

「お前の右腕もこうなるぞ」

 消失。それは文字通り分子の結合が織りなす完璧な消滅。男は「ひっ!」と情けない悲鳴を上げ、逃げ出そうとするが足が固定されてるので一ミリたりと動くことは叶わない。そしてようやく自分の置かれている状況を理解し選択肢は一つしかないと悟った。

「わ、わかったよ言えばいいんだろ! 言えば!」

 拍子抜けするほどにあっさりと口を割るものだ。だがこいつはアヴェンジャーという組織の差金に過ぎず正規の構成員でもない。忠誠も義もないのだから自分の命を優先するのは当然とも言える。

「俺の名前は模部駄茂武蔵(もぶだもぶぞう)。あるしょぼいスキルアウトの下っ端さ」
「自己紹介なんてどうでもいい。俺が聞きたいのはアヴェンジャーのことだ」
「ちっ……俺より年下のくせに生意……ひっ! すみません、話します話しますんで消さないで!」

 男は差し向けられた右腕に怯えながらも、ポツポツと語りだした。まず最初に男がアヴェンジャーとであった経緯。それは運命のいたずらかそれとも必然か、ずっと下っ端の地位に留まり続け不満を抱え込んでいた男にアヴェンジャーと名乗る者がとあるバーで話しかけてきたことがきっかけである。その者は男に自らの組織『アヴェンジャー』については多くは語らなかった。アジトなどの細かい事はもってのほかである。それでも模部駄にはとても魅力的な組織に聞こえたらしい。その者は模部駄にある指示を出し、それを成功させれば幹部クラスの地位を与えることを約束した。で、その指示というのがイカヅチ――『威苛頭血』の元リーダーである人物を生け捕りにせよというもの。『夜明けの晩』には曖昧にしていた指示内容なのに模部駄にはっきりと教えたのには理由がある。それはかつてのスキルアウト同士の抗争で模部駄の所属するスキルアウトと威苛頭血がやりあったからである。情報だけではなく実際の戦闘を経て威苛頭血が知っている模部駄ならば、すべて教えてしまった方が良い結果を出すと考えたらしい。

「ふうん……大体話は繋がったな」

 『夜明けの晩』に伝えられたアヴェンジャーが同盟を結ぼうとスキルアウトが威苛頭血。そしてその同盟を円滑に進めるための交渉材料がその元リーダー……もとい

「貴方は一体何者なの?」
 頬好理乃だったということだ。
 
    ◇ ◇ ◇

 『貴方は一体何者なの』という問に俺はただこう答えた。

「なに、ただの人探しの手伝い人だよ。その為にアヴェンジャーを追ってる」
「……」

 信用はしていない。
 先ほどまで談笑しながら歩いていたはずなのに、それを否定するように疑念と疑惑の渦が俺と頬好の間を取り巻いている。

「こっちも聞きたいんだけどさ、なんでアヴェンジャーは同盟先を威苛頭血に選んだ? そして、もはや威苛頭血とはなにも関係ないはずのあんたがどうして狙われる?」

 模部駄と頬好、俺は両者に尋ねた。スキルアウトという組織に興味がなかったので威苛頭血という組織がそれだけの価値があるのかわからない。そして狙うんだとしても元リーダーなんていう微妙な位置じゃ威苛頭血が動くのかという疑問もあった。

「威苛頭血っつーのはこの学園都市の中でも指折りのスキルアウトだ。なんつってもあの紫狼と同規模の人員と戦力を保持してんだからな。だが噂では紫狼は紫狼でやばい傭兵を雇ったとも聞くから単純に互角とも言えねえが」

 比較対象がまたスキルアウトでは結局どれだけ凄いのかはわからない。だがまあ凄いと仮定しておいて次の疑問が人質の対象がなぜ頬好なのかということだ。それについては頬好自身の口から聞くこととなった。

「威苛頭血ってのはリーダーが幹部の中から選ばれ、ちょくちょく変わっていったりするわ。それで現リーダーは7代目にもなる。私は5代目なんだけどこれがなかなか縁が切れないものでね。結びつきが強いのかしら。まだ私のファンもあそこにはわらわらいるわ」
「要するに、人質としての価値は十分にあるということか」
「はあ。ようやく普通の女子大生として生きていけそうだと思い始めた矢先にこれか……ほんとう過去っていうのはなかなか断ち切れないものね」

 やんなっちゃう、とぶちりながらどこか遠くを眺める頬好。星を見るその瞳は憂いの感情を映し出すかのようにわずかに揺れている。
 過去なんて断ち切れるものではない。過去から今まで全てが繋がって今の自分がいるのだから、過去の否定は自分の否定。なかったことになんかできない。

「ふん。まずまずの収穫か。じゃあもう用はないな」

 そう、用はない。あとは早々にここから去るだけだった。

「ちょっと待ちなさい」

 それを引き止める頬好の声。彼女は何かを言いたげな表情でしばらくこちらを見つめると

「人探しといったわね。それってゆくゆくはその人を助けるためにアヴェンジャーとぶつかるってこと?」
「そうなるかもな。ま、既に手遅れかも知れないが」

 なら……と、しばらく間を置いたところで頬好こちらを見てきた。なんらかの覚悟を決めた目で。

「私も協力するわ。仕掛けてくるのに怯えて待っているよりもこっちから突っ込んで爆破させてしまったほうが楽でしょ? それに『元』とはいえリーダーなんだから威苛頭血は私が守らないと」
「おいおい。かんべんしてくれよ。威苛頭血が動き出したら本格的にスキルアウト同士の抗争になるだろうが。俺はひっそりと終わらせたいんだよ。後々のためにな」

 それにスキルアウトなんていう大勢との共闘はゴメンだ。慣れ合いを求めた連中が行き着くような吹き溜まりの場所に近い関係になどなりたくなかったから。

「安心しなさい。威苛頭血は動かさない。これは私の私闘よ。だからこれは自分の手で収めたい。ほら利害が一致してるんだから大丈夫でしょ」
「……はっ」

 手を組む? この俺が?
 まったく考えもしなかったことなので思わず笑ってしまった。
 だが、それもいいだろう。変な仲間意識が芽生え、ありもしない居場所を錯覚するのはごめんだが、お互いを道具として利用しあうだけの関係ならそれも悪くない。

「勝手にしろよ。だけど使えないようであれば降りてもらう。もちろん力づくででもな」
「ふふ。貴方がどのような人生を歩んできたかは知らないけどあまりスキルアウトのリーダーをなめないことね。そこらのパンピーよりもはるかに経験はあるはずよ?」

 勝手に話が進んでいく中、ただ一人未だに足を拘束されたままでいた模部駄が声を掛けてくる。

「あの、それで、俺はどうしたらいいのでしょう」
「ああ、まだいたのかアンタ」
「まだいたのかって……逃げ出したくても逃げ出せねえんだよ!! どっかの誰かが足をこんな風に締めあげるから!」
「そりゃあ悪いことをしたな。じゃあとっとと逃げ出せよ」
「うぇ?」

 コンクリの拘束が解ける。あまりにもあっさりと解放されたことに戸惑いを覚えている様子。こんなにも簡単に自分を離しても良いのかといった様子だろう。

「最初はこの女の正体が不確定だったからあれだが、スキルアウトの元リーダーならアンタごときにやられることもないだろう。ただアンタはいつまでも下された命令を成功できず、遅かれ早かれ『あっち』に始末されることになるだろうな」
「へぁ!? そんなことはねえ! 俺はこんなところで終わらねえ……もっとビッグになるんだ」

 予期されるマイナスの運命を振り払って模部駄は語る。だが、その否定も弱々しく実現できないことを暗に示していた。

「ねえ、あんた」
「あぁなんだよ?」
「どうせ私達が近いうちに潰すスキルアウトなんだから、そこの幹部なんか目指しても意味ないわよ」
「う、うるせえ!! 俺にはもうそこぐらいしかねえんだよ! 何をやらしても駄目、努力もしない、こんな冴えない俺がビッグになれるチャンスはもうこれしか……!」
「いいえ。あるわ」

 遮る声と射抜く瞳。その真っ直ぐな目に捕らえられたのか、模部駄はゴクリと息を呑んでオドオドと「どこだよ」と聞く

「もしアンタが私に協力してくれるっていうのなら……威苛頭血のメンバーに入れるよう頼んであげてもいいってこと。どう悪くない条件でしょ?」

 その申し出には模部駄だけでなく俺も目を見張らされた。ついさっきまで自分を狙っていた人物を配下に加えようとするなど、やはり思考が常軌を逸している。だが、そんな思考でなければスキルアウトの頭は務まらないのかもしれない。

「へっ……へ。確かに悪くない条件だが、そんな簡単に俺を信用していいのか?」
「信用なんかしてないわよ」

 ピンと小石サイズの何かを親指で弾いた。頬好の指から離れたそれは模部駄の首筋をかすって更に直進。そして――
 ボボンッ! と小さな爆発が起きた。小さいと言っても人一人の頭を丸々飲み込むほどのサイズではある。「はい……?」と、状況をつかめず顔面蒼白の模部駄に頬好は深い微笑みを向けて言い捨てた。

「単に、もしアンタが変な気を起こそうとしても『始末』の手段はたくさんあるから大丈夫ってこと。首から上がウェルダンな肉質になりたくなかったらよく覚えておくことね」
「は……? はひいぃぃ!!」

 結局、模部駄はその条件を飲むことにした。それが好条件ということもあるがそれ以上にあの場で断ったとしたら爆殺されそうな雰囲気だったからだ。
 あの怯えようならまたアヴェンジャーにまた寝返りということも心配はないだろうが、役に立つのかという点ではいささか疑問だ。
 ついでに模部駄から後に聞いた話しだが頬好理乃のスキルアウト時代の通称が『爆弾狂☆りのちー』。それはもう色んな意味で恐れられていたらしい。そういう意味では爆弾狂と知りながら単身で、しかも金属バット一本で立ちかってきた勇気だけは褒められるものかもしれない……が、どうせ目先のことに夢中で勝算なんてなにも考えていなかったというのが真実だろう。現に小さな爆弾一つで竦んでいるようでは模部駄の作戦が成功したビジョンが見えてこない。

 一方通行ではあったがアヴェンジャーとのつながりを持った者からの情報を手に入れ、人手も増えた。これにより少しは展開を早く進めていけそうだ。ただ、その先にあるのが希望とは限らない。進めない方がマシなのかもしれない。
 そもそも希望なんてあるはずがないのだ。非日常に足を突っ込んでしまった時点で、アヴェンジャーなどという所に関わってしまった時点で、どうあがこうとあの子供の姉は元に戻る術はない。この先にあるのは確かな絶望だけだろう。

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最終更新:2014年01月12日 11:17