「へえーここが秋雪先輩のお部屋ですかー意外と綺麗ですね」
「意外とは余計よー鏡星ちゃん。まあとりあえず上がって上がって」

 梅雨の開けぬ6月の上旬。外は豪雨とも呼べる雨が降りしきり、開いたドアからは雨水がコンクリを叩く音が鳴り響いてきた。秋雪は雫まみれになった折り畳み傘を閉じ、鏡星を中へと迎え入れる。

「いやーでも助かりましたよ。先輩の家がこの近くにあって」

 珍しい物でも探すかのようにキョロキョロと辺りを見渡しながら鏡星はそうつぶやく。

「全く、風紀委員が傘も持ち歩かないでどうするの。もし私が通りすがらなかったらずっとあの公園で雨宿りよ」 
「えへへ。ついうっかり」

 雨が降り始める少し前、鏡星は公園で時間を潰していた。それがどういうわけか急に雨が降り出し身動きがとれなくなってしまったのである。傘は持っていない、雨に濡れて帰るという選択肢は論外、それなら雨が止むまで滑り台の下でじっとしてる一択だった。そんな時にその公園を通りすがったのが秋雪であった。秋雪と鏡星は支部は違えど風紀委員という同じ治安維持組織に所属しており顔見知りであった。しかもある共通の特性から意気投合し何度か熱く語り合うくらいの仲。そんな知り合いを放っては置けない。「滑り台の下よりはましでしょ」と秋雪は気を利かせて雨が止むまで自分の家にお招きする形になったのである。

「ま、いいわ。ちょうど鏡星ちゃんには見せたいものもあったしね」
「見せたいもの?」

 意味深な秋雪の発言に顔を30度傾けて疑問符を浮かび上がらせる鏡星。「ちょっとまってて」と秋雪は押し入れから程よい大きさのダンボールを持ち出してきた。

「いらっしゃい」

 それをリビングの机の上に置いて手招きする。秋雪の表情はまるで宝の山でも掘り当てたかのように純真な笑顔であった。

「なんですか? これ」

 向かい側の椅子に腰掛けてダンボールを凝視する鏡星。そんな彼女の頭に手をポンと置いて秋雪はこう答えた。

「とてもいいもの♪」

 ダンボールがひっくり返される。中から溢れだしてきたのは写真、写真、写真。気がつけば机中に写真の山が形成されていた。鏡星は興味津々でその一枚に手をかける。そして裏返して見てみれば――

「んほおおおおおおッ!」

 口から漏れた歓喜の叫び。それを止めるために口を抑えるがあふれだす笑みは隠せない。それを見るだけで思わずニンマリとしてしまう。それはもはや彼女にとっては避けられないサダメとも言えた。

「ここ……これは! この人はイケメンAランクには分類される超美形じゃないですか! あああ……見てるだけで酔っちゃいそう」
「ふふ……その程度で音を上げるのはまだ早いわよ。それ以上の逸材なんてこの中にまだゴマンとあるわ」
「この中……? まさかこの写真全部が……!?」
「ええ。それもすべて選りすぐりのイケメンばかり」
「んはあぁぁぁぁ!!」

 興奮が限界を振りきり鏡星の身体を突き動かした。手当たり次第机に散らばる写真を手に掴んでそこに映しだされた男の姿を見る。そしてまた歓喜の叫びを上げる。そんなことを延々と繰り返す鏡星を秋雪は楽しそうにみつめる。そう、彼女たちの共通の特性とは『面食い』であるということであった。

――――――――

「ああ……幸せ。眼福眼福」

 全ての写真に目を通した(1000枚を越す枚数をわずか15分で見終えるという神業であった)鏡星は夢見ごこちのようにぐてっと机により掛かる。まるでここ数日の疲れが一気に吹き飛んだかのように幸せそうな様子である。

「でも……これだけの写真一体どうしたんですか?」
「よく聞いてくれたわね。実はこれ……全部盗撮写真なの」

 一瞬目が点となる鏡星。そしてその意味を辿って行くと……

「ええぇぇぇぇッ!?」

 今度はまた違った意味で声が抑えきれない。秋雪を先輩として尊敬しつつも公私の線引が危ういと思っていたがまさか盗撮という犯罪に手を染めてしまっていたとは。もはや風紀委員とは何だったのかという状態である。
 そんな冷たい視線を悟ったのか秋雪はすこし慌てて、

「い、いやね。鏡星ちゃん。早計よ。確かにこれは盗撮写真だけど撮ったのは私じゃないわよ。むしろ撮ったんじゃなくて取り上げたみたいな?」
「つまりどういうことですか」

 さっきまでの純粋な瞳がまるで道端の虫けらを見るかのようなジト目に変わっている。こりゃまずいと秋雪は更にフォローを加えた。

「私の学校にね新聞部があるのよ。そいつらはスクープのためなら手段はとはないっていうどうしようもない連中で、色んな所から苦情が来てたの。んでそいつらを風紀委員が取り締まったってゆーわけ。その時に差し押さえたのがこの写真の束。部員の中に男好きの奴がいてねスクープに関係ない写真ばっか持ってたのよ」

 その言葉を聞いて鏡星の緊張の糸が解ける。雨宿りさせてもらっている身でその宿主を「ジャッジメントですの」しなきゃいけないのはさすがに辛いのだ。

「あはは。なんだそんなことだったんですか。驚かせないでくださいよ。でも、その男好きの人とは気が合いそうじゃないですか。仲良くなったりしました?」
「なるわけないじゃない。……だってそいつも男だし」
「え」
「まあ……そこはあまり触れないで。いろんな人がいるのよ」

――――――――

「いやーでもこれ全部処分しちゃうのはちょっともったいないですね」
「仕方ないわよ。これも風紀委員の仕事だから」
 誤解も解けたところで鏡星はまたまじまじと写真を見渡す。どこかイケメンの写真に対して秋雪の諦めが良いのが気になったがこは触れるべきか触れぬべきか。
 うーん……と少し悩んだところで鏡星は後腐れ無くここから去れるように追求できるところは追求しておこうと思った。
「そんな事言ってー、実は一枚くらい隠し持ってるんじゃないですか?」
「いやいや。そんなこと断じてないわよ。鏡星ちゃんまだ私を疑ってるの?」
「そういうわけでは……あるかも」
「ひどーい。お姉さん悲しいー!」

 ちょっと悪気を感じてしまうが、鏡星はこの程度ではブレない。一人こっそりイケメンの写真を隠し持っているなんていう抜け駆けは同族として許しては置けなかった。
 よってここは一つ反応を見てみようと思った。すぐその戸棚にある雑誌なりなんなりを開いて動揺したら隠してあるということ。なにもないのであれば堂々としているはずだ。

「実はー、こことかに挟んでたりするんじゃないんですか?」

 鏡星が手に取ったのは一番端にある色あせた大学ノートのようなもの。それはもちろんとくに理由があって選んだわけではない。ただ適当に掴んで反応を確かめようとしただけだ。

「あッ、それは」
「ほうほう、その反応は? やっぱなんかあるんですかー!?」

 バッと開いたノートの間から一枚の紙切れのようなものが落ちる。それはやはり写真のようで二人の人物が映しだされている。
「ほうらやっぱり隠してた……てあれ?」

 手にとって見るとその写真は古ぼけ黄ばんだり色あせたりしていて、ここ数日の間に取られたものではないことがすぐに分かった。だがそこに映しだされてる一人の少年はまだ若干幼さが残るがそれを差し引いて考えてもかなりのイケメンで鏡星目線でSSクラスはある逸材に見えた。だがそれとは対照的に並んで映る少女はどこかパッとしないクラスでいうと3年間ずっと話さずに終わりそうな地味めな少女であった。

「もう。また懐かしいものを引っ張りだして」
「懐かしいもの……って、もしかしてこの隣の少女が秋雪さんなんですか!?」
「そうよ」
「へえ……って、えええええええ!?」

 本日3度めの叫びが部屋内に木霊する。今の秋雪とは到底結びつきそうにない容姿。写真の少女は黒髪だしおさげだし瓶底メガネだしで、同一人物とは思えない。
 これだけ変わったということは何か過去に彼女を大きく変える何かがあったということ。そのキーとなる人物が隣のイケメン君にあるのではないかと鏡星は直感的に確信した。

「このノートって日記帳ですね。見てもいいですか」
「ダメに決まってるじゃない。……でも、そんなに気になるなら話してあげるわよ」

 秋雪は過去を思い出し、懐かしむように、どこか悲しげに笑って腰を上げた。

「今思えば風紀委員になったのも、今の私がいるのも全部こいつのせいだったのよね。人の気持を弄ぶだけ弄んで、本当に最低の男だったわ」

――――――――

 まずねこいつと出会ったのが学校の図書館だった。

 この時の私は人付き合いが苦手で常に一人でいたの。

 そんな私に話しかけてきてくれたのがこの男よ。

 その男はイケメンである以上に人間として上手く出来ていた。
 
 人付き合いはいいし、なんでもかんでもパーフェクトにこなせる奴で、女子だけでもなく男子からも支持を得ていた。

 そんな円の中心に立てる人物と円にもはいらず隅で孤立している人間なんて一生相容れることなんてできるはずがない。

 だけどね奇跡が起きたの。

 私が読んでる本とそいつが読んでる本が被っていたわけ。

 人間不思議なもので共通の話題があるだけでグッと距離が縮むのね。

 それから放課後毎日のようにその作品について語ったたりしたわ。

 人と話すことなんて億劫なだけだと思ったけど、その時初めて知った。
 
 話すことがこんなにも楽しいなんて。話すことがこんなにも温かいだなんて。

 そんなある日彼からデートの誘いがきたの。その写真もその時撮ったものね。

 あ、……まあデートというのも語弊があるわね。

 ただ私と彼が好きな本の発売日だから一緒に買いに行かないか、みたいなことだけ。飽くまで友達としての付き合いよ。

 でも、なんだかんだでそのあとはゲーセン行ったり食事したりでデートみたいなものだったけど。

 こんなイケメンとデートできることが嬉しすぎたのかもしれないわね。私は少し思い上がっていたの。

 私にこれだけ優しくしてくれるなんて、もしかしたらこの男は気があるんじゃないかって。

 今思えば小学生特有の痛い思いあがりよね。でもそれだけ衝撃的な出来事でもあった。

 その時の私はアイツの特別な何かになりたかったんだと思う。

 この男を取り巻く『その他大勢』の中の一人ではなく。






 その男に寄り添う『特別な存在』に。

「は? お前と付き合う? 馬鹿だな。寝言は寝て言えよ」

 でもね……私の精一杯な告白なんては嘲笑と共に切り捨てられたわ。

 それだけで済めば私もすんなりとはいかなくてもなんとか引き下がれた。

 だけども次にアイツはとんでもない事を言ったのよね。

「しかし一週間か結構かかっちまったなー。ん何がって? ああダチと賭けしてたんだよ。いつも図書館にこもってる悲しい女を何日で落とせるかってな」

 出来すぎだったのよ。

 そういう思惑でもない限り、アイツみたいな奴が私なんかに話しかけてくるなんて。

 好きな本というのも全ては近づくために用意したものでしかなかった。

 結局全部嘘だったのよね。

 それ以来もうアイツとは会わなくなったわ。

 というか怖くて会うことができなくて、学校が終わったら速攻家に帰るだけ。

 図書館? 行けるわけないじゃない。

 恥ずかしさと悲しさでもう誰にも心を開きたくなかった。

 枕だけを濡らす日が何日も続いた。

 だけどね時間が経つと怒りもこみあげてきたの。

 どうして私がこんな目に合わないといけないだ、私が一体何をしたんだって。

 そして最後にあの男が残した言葉を思い出したの。

「お前みたいなパッとしない女が俺と釣り合うと思ってんのかよ」

 それが本当に悔しくてね。いつしか見返したいと思うようになっていたわ。

 それで中学にあがったと同時に風紀委員になった。

 風紀委員になれば今の自分から変われるし、それに伴ってあの男以上のイケメンの彼氏だってできると思ったから。

 いつかイケイケの女子になって「付き合って欲しい」とか言われてもバシっとフッてやるんだ―!なんていきこんでたっけ。

――――――――

「……」

 ひと通り話し終えた後、二人の後にはなんとも言えない沈黙があった。鏡星は気まずさで口数が減っている。そういえば前にも風紀委員になった理由を訪ねてみたが「イケメンにモテるためー」と秋雪は軽く流していた。だがまさかその言葉の裏にこんな重い過去があるとは。

「ああ……で、その写真をとっているのはアイツの顔を忘れないためよ。忘れちゃったら私が求めてるイケメンの基準もわからなくなっっちゃうから。ちなみに未練があるというわけじゃないからね」
「なるほど……」
「やだ、なに硬くなっちゃってるのよ。ここは笑うとこよぉ?」

 笑えるわけがない。鏡星は秋雪の作り笑いの奥に秘められた涙を見たから。

「それで先輩は今どうなんですか。その人よりもイケメンな人を見つけられたんですか」
「まあボチボチってところかしらね。だけど最近になって思うことはイケメンは好きなんだけどイケメンと付き合うことは嫌なのかもしれない。イケメンはただ憧れているだけで十分。私みたいなのはもっと無難に生きるべきなんじゃないかなーって」

 またあの時のようになることを秋雪は恐れている。ならばもうイケメンはただ憧れる存在止まりでいいのではないか。また深入りして傷つくよりもましだ。
 秋雪の能力で風が吹き、テーブルに置かれた写真が宙を舞う。そしてそのまま何回転かして秋雪の手に収まった。

「だったらこんなものもいらないわよね」

 そしてその写真を破ろうと両端を握りしめ―――――

「こんな……!」

 プルプルと手が震え、掴みきれなくなった写真が秋雪の胸に落ちる。そのまま写真を胸に抱き寄せ強く強く抱きしめた。

「こんなものもういらないのに……! どうして……! どうして捨てられないのかしらね……私は」

 閉ざしていた過去が吹き出し、静かに涙を零す秋雪。
 切り捨てたくても切り捨てられない。今の自分がいるのは皮肉ではあるが彼が関わっているから。
 だがそれ以上にただ純粋に彼に惚れ込んでいた。本当に好きで好きでたまらなかった。だから忘れることができない。ただそれだけの話である。
 鏡星は秋雪に付き添う形で震える背中に手を添える。雨の中、二人はずっとそのまま寄り添っていた。 

――――――

「ごめんなさいね。せっかくの機会だったのにこんなことになっちゃって」
「いいんですよ。もとはといえば私が変なとこ突きだしたのが始まりですし」
 半開きのドアの前で二人は会話を交わす。涙ではれた瞼をこすりながら秋雪は言った。
「このこと他の奴らには言わないでね。特に178支部の連中には、そして特に固辞にはっ!」
「分かってますよ。というか言えませんよ」
「それもそうね」

 フフと落ち着いた笑みを見せる秋雪。
 彼女はまだ心の隅にわだかまりを残したままである。それを取り除けないのは鏡星としては心苦しいものではあった。だが、他力本願ではあるとは思うがそれを取除くのはもっと適役がいる。むしろその者でしか彼女のそれは取り除くことはできないのだろう。

「秋雪先輩ならSクラスのイケメンをものにするのなんてわけもないですよ。だから諦めないで下さい。私だってあの青髪のお方と結ばれることを諦めてないんですから」
「そう……ね」

 声は弱々しい。だが少しでも諦めの姿勢から立ち直れたならそれでいいと思う。
 彼女の闇を取り払う者は彼女自身が見つけるべきだ。秋雪が求めるこれぞというものではなければどうしてもあの男を思い出してしまう。過去を忘れ去ってくれるほどのイケメンが必要なのだ。

「またね。また会いましょう」
「はい。次はダブルデートできればいいですね」
「ちょっとそれはハードル高すぎじゃない?」
「いいんですよ! こんくらい高めに目標を定めなきゃ」

 手を振り帰っていく鏡星を見つめながら秋雪は思う。自分は本当はどうしたいんだろう・どうなりたいんだろうと。
 あの時から自分は大きく変わった。それは間違いなくプラスの変化だ。

(諦めない……か)

 だが、ただ憧れるだけではなく勇気を持ってその一歩先に踏み出せるように更に変わっていければ自分を取り巻く現状も変化していくのではないか。

 怖くても・辛くても動かなければ変わらない。秋雪はまた2段階目の変化を求められているのだ。

「……お姉さんも頑張らなきゃね」

 顔を上げ、空を見渡して思いを馳せる。雨は一時的に上がったものの、空はまだ幾つもの濁った雲を抱えていた。だがいつかは晴れ、鮮やかな虹がかかる時が来るはずだ。同じように自分も――……。

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最終更新:2014年01月12日 11:23